彩の言葉に呼応するように、山門はその中へと彼女らを招き入れた。
門より内側の地面には石畳が敷かれていて、徐々に視線を上げていくと寺の
境内が広がっていく。砂利の中に立つ灯籠、奥に鎮座している社。視線を横に
ずらせば、来訪者のための手洗い場がある。
特に不思議ということもない、どこにでもある寺の風景だった。
ただ、その風景にそぐわないものが一つあることを除いては。
それは、由宇たちの正面にたつ見知った人物の姿だった。
「ごくろうさま、彩。よくやったわね」
「はい、お姉様」
その人物の元へ歩み寄っていく彩。顔を伏せ気味にして、なんだか照れてい
るようにも見える。
「み、瑞希っちゃん? なんでここにアンタがおるん……?」
「むねでかー。きょにゅー」
彩と仲睦まじく話しているのは、高瀬瑞希だった。サイドテールと大きな胸
がチャームポイントの元一般人である。ちなみに今は一部で絶大な人気を誇る
コスプレイヤーだ。
その彼女と彩の遣り取りに、由宇と詠美は突然の展開に放心状態になってい
た。口をぽかんと開けて立っているその姿は、イースター島のモアイかハニワ
のようだ。由宇はどちらかと言えば遮光器土偶だったが。
「お姉様やて? なんやまるで……事前に約束してて遊びにきたような風やな
いか。そんなアホな。ウチらが来ることを知っとったわけない……」
「ちょっと、さっきから何ぶるぶる言ってんのよ。この温泉ぱんだ!」
「なんや詠美、『ぶるぶる』て? それを言うならぶつぶつや。自分かて気い
失っとったときに、ずいぶんうなされてうるさかったで」
言い合う由宇と詠美の耳にボソッとした声が聞こえた。
「それは……きっとそのブローチの影響だと思います」
彩だった。二人の言い争いの原因である彼女は何食わぬ顔でそう言うと、背
負っていたリュックから二本の巻物を取り出すと、由宇と詠美にそれぞれ投げ
つけた。
「うわっと! なんや?」
「う……ぶべっ」
取り損ねた詠美が地面を転がる巻物を追いかけている。由宇は視界の隅にそ
の姿を捉えながらも、巻物に書いてある文字に意識を向けた。
「『識別の巻物』? なんやこれもマジックアイテムなんか?」
「巻物は“読む”ことで効果を発揮します」
彩は由宇と、ようやく巻物を拾い上げた詠美に向かって言った。
「ようわからんけど、読めばええんやな。なんだか本格的にロープレみたくな
ってきたけど、いまいち状況がつかめんなー」
「あ、あたしも読むー。ちょっと、パンダ! あたしが先よ、なんたってこの
詠美ちゃん様が主役なんだからねぇー」
「へーへー、どうぞお先にー。しっかし、詠美にヒーロー補正がかかってると
は思えへんけどな」
えいみは『しきべつのまきもの』をよんだ。
>なにをしきべつしますか? →Meたんのブローチ
『のろわれた -2 Meたんのブローチ』
「うみゅ――――――!! 呪われてるぅ!!」
「まあ、せやろな。日頃の行いが悪いからな。しゃーないわな」
「と、取れないぃぃぃいぃぃ!?」
「知らへんのか? 呪われたアイテムは一旦装備すると外せーへんのやで」
「うみゅー……」
「ほなら、次はウチの番か。どれどれ……」
ゆうは『しきべつのまきもの』をよんだ。
だれかが「なかのひとなどいないっ!」とさけぶのをきいた。
「…………なんや? 何も起こらへんで?」
「どうやら、その巻物自体が呪われていたようです。呪われた巻物は1/5の
確率で読んでも何も起こりませんので……」
彩の言葉に、由宇はキレた。HPの日記の更新が不定期になっているときに
『いつ更新されているのかわかりにくいので、日記をUPしたらメールしてく
ださい』というWeb拍手をもらったときくらいキレた。
「アホか――――――――っ!! もうこんなもん着てられへんわっ!!」
むりだ。それはのろわれている!
『のろわれた 98たんのハリボテ』
「な、なんで? ウチのダンボールも呪われてるんやけど? アーマークラス
はごっつ低そうなくせして」
「…………」
「なあ、彩。これはいったいどういうこっちゃ? 説明してくれんと、ウチら
彩のこと疑ってしまうで?」
目を逸らして黙っている彩に由宇が話しかけるが、彼女は答えない。石畳の
溝をじっと見つめているだけだ。そこには誰もいない。蟻さえ這ってはいない。
「ちょっと彩! どーしてくれるのよー。これじゃあくりーにんぐに出せなく
なるじゃなーい!」
「いいから、詠美は黙っとき……あんたが喋ると事態が余計ややこしぅなるわ」
「なによー、このパンダー」
「いいから黙っとき!」
「ぅゅ……」
強い調子で由宇に言われて、詠美はびっくりしたように震え、それから子供
のように怒りながら涙目の顔になる。べそをかく、という表現が一番近いだろ
う。由宇はそんな彼女を見て、しまったなぁという表情を見せるが、気持ちを
振り切るように前に顔を向ける。
重たい沈黙が辺りに充満していた。
――いや、重たいのはウチらの気持ちや、と由宇は思った。
「話はついたの? それじゃあ、そろそろ行こっか、彩」
「はい、お姉様」
瑞希と彩は連れだって去っていこうとする。
「ちょっと、待ちや。まだ話は終わってへん」
感情を押し殺した低い声で、由宇は言った。
その声に彩が立ち止まる。
「もう、話すことはありません。私は裏切り者ですから」
「裏切り者やて? 裏切り者? うらぎりもの!?」
「自分の望みを叶えるために友人を売った、ということです」
背中を向けたまま彩は答える。由宇は震えている。その震えが、怒りのため
か、それとも哀しみのためかは彼女自身にもよくわからなかった。
「ウチらをわざとここに誘い込んだってわけか? 聖ペンの噂を流して? そ
れでこんなアイテムまで用意して……か、彩?」
「……そうです」
「なんやそれ……アホちゃうか? なあ、彩。そりゃウチらはジャンルも違う、
スタイルも違う、目指すところも違うんかもしれへん。でもな、一緒にやって
きた仲間とちゃうんか? 今までの関係は全部嘘やったん? こんな簡単に切
ってしまえるもんなんか……そないに、そないに――プロがええんかっ?」
「プロ? なんのことですか?」
ハリボテから湯気を発しながら訴えかける由宇の言葉に、彩が振り向いた。
小首を傾げて不思議そうな顔をしている。
「何て、プロになるためにウチらを売ったんやないんか……?」
彩は首を振った。
「そんなちっぽけなことのために、私は仲間を売ったりしません」
彼女はそう言い切った。
「ちっぽけて……彩、アンタの野望はいったいどんなことなんや!」
「もちろん、BBCに入って“ブラジリアン水着フィギュア”を発売すること
です」
「ハア? BBC?」
由宇と彩の間に桃色の影が飛来する。
「よくぞ聞いてくれました! BBCとは『ブラジリアン・バスト・クラブ』
の略称なのです!」
瑞希だった。瑞希が、ドキドキする感情を闘うエネルギーに変換して闘う某
エロゲヒロインのコスプレをしていた。ヘソの透けた服に、これでもかという
くらい短いフレアスカート……見ている方が恥ずかしくなるような恰好だ。そ
れでいて、隙間からのぞくパンツが純白なところがまたマニア受けを助長して
いる。
「み、瑞希っちゃん!?」
「あ、エス○レイヤーね。詠美ちゃんものしりー」
由宇や詠美の言葉にも、ポーズを崩すことのない瑞希。なりきり度はかなり
の線までいっているようだ。もう、一般人には戻れないくらいに――。
「そしてっ! BBC入会特典として制作されるのが、この“ブラジリアン水
着フィギュア”なのですっ!」
滑舌のよい声で説明しながら、瑞希は彩の取り出した一体のフィギュアを由
宇たちに示す。
それは、もう紐としか思えない細さの水着を付けた瑞希のフィギュアだった。
「エローい」
「こらまた……すごいな。お腹の部分の水着が浮いとるで?」
「確かに、パンダが着たら“ぐれころーまんすたいる”にしかなんないわねー」
「うるさいわっ! 言葉の意味が間違っとんのに、いいたいことが判るから余
計腹立つー」
「いたいっ、なにすんのよー」
「やるか、このオオバカ詠美!」
ポーズを付けたまま固まっている瑞希や、口論している由宇と詠美たちを気
にもせずに彩は瑞希のフィギュアに見惚れている。
「うっとり……」
そんな彩の姿が、由宇にあることを気づかせた。
「なあ、瑞希っちゃん……」
「あのー、エス○レイヤーなんですけどー?」
「ああ、せやな。DDD付けとるんやったな」
「ええ、そうなのですっ!」
「ダイヤモンド・ダスト・ドロップスな」
「北へジャンプ、ジャンプ♪ キグナス先生お願いしますっ!」
「師匠の師匠は師匠も同じ。マーマのマーマはマーマも同じ。スールのスール
はスールも同じ……って、何言わせるねん! っていうか、別モンやろっ!」
由宇はハリボテの腕で、瑞希にツッコミを入れる。といっても、いつもの具
現化したハリセンではないので威力は半減している。
「うああああぁぁぁああぁぁぁ――――!!」
やたら派手な声をあげて、瑞希は倒れ込む。
「恭ちゃんゴメン、倒されちゃったよ……」
「弱っ!! ――って、恭ちゃんって誰やねん」
「はっ! その野獣のようなギラついた目、いったいどんなエロ調教をしよう
としているのですかっ!? いやっ! 信じられない……そんなHなこと、や
めてくださいっ!!」
「ウチはアンタの頭の中が信じられへんよ、瑞希っちゃん……」
足下でじたばたしている瑞希のことは放っておくことにして、由宇は彩の持
っているフィギュアを調べる。瞳の中に星を浮かべて見惚れている彩に遠慮す
ることもなく、そのフィギュアの頭を掴むと由宇は力を込めた。
めりっと何かが剥がれ落ちる音がした。
フィギュアは彩が持ったままだ。が、しかし、その頭部は由宇の手に握られ
ている。
「あ……由宇さん、ひどいです」
「やっぱりな、思った通りや。このフィギュア、頭部だけ付け替えてあったん
や」
「えっ?」
言われてみて、彩が切断された面を調べると確かに不自然な細工の跡がある。
「お姉様、これは……?」
「えっ……それはその……」
言いよどむ瑞希の代わりに、由宇が説明を始める。
「瑞希っちゃんのフィギュアは確かに胸はデカいが、ビキニのハズや。こんな
恰好のは発売されてへん。つまり、これは改造品ってことやな」
由宇のするどい視線が、瑞希に突き刺さる。
「……ええと、ごめんなさいっ! つい出来心で。ほら、流行りものに手を出
したくなるのはオタクのサガってものでしょ? それにあたしの自慢のバスト
が最大限に生かされると思わない?」
彩は無言でリュックから種のようなものを取り出す。必死に言い訳を繰り返
す瑞希を見つめるその目には、もはやなんの感情も見られない。
尊敬も思慕も、慈愛も……なにもない目だった。
「現れて囲め、イデアの壁よ!」
あやは『いであのたね』をつかった。
四方から出現した半透明の壁が彩と瑞希を取り囲むと、彼女らの姿は忽然と
消え失せた。
「消えちゃったよ?」
「せやな」
解説しよう。彩の使ったイデアの種とは、通常エロゲーの主人公が作ること
のできる“いつでもどこでもエロエロ空間”を人為的に発生させることのでき
る魔法のアイテムである。
約十分後、二人が再び姿を現したときには、瑞希は満足そうな顔でよだれを
垂らしながら倒れていた。ときおり、本人の意志とは関係なくひくひくと痙攣
している。
「心配ありません。気を失っているだけです」
彩は素知らぬ顔をしてそう言ったが、消えている間に何があったのかを訊く
勇気は詠美と由宇にはなかった。というか、訊かないほうがいいと本能が警告
していた。
「彩、その髪飾りはどないしたんや?」
「え……?」
由宇が指摘した彩のXPたんのかみどめは、茶色に変色してぼろぼろと砂の
ように崩れはじめていた。彩の胸も元の大きさに戻っている。
「どうやら、敵キャラを倒したことでマジックアイテムも消滅するようやな。
いいや、彩アンタも今は敵だったか?」
「そーよそーよ、この詠美ちゃん様を裏切っただいしょーは大きいわよ」
崩れ落ちる髪飾りを受け止めるようにしながら、彩は自分も膝をつく。
「バストの誘惑に負けてしまいました。……今更、友達に戻ってくれなんて言
えないですね」
「せやな、ウチらを裏切ったからにはもう友達でもなんでもあらへんな」
彩の言葉に同意するように、由宇は冷たく言い放つ。
「パンダ……」
詠美のその言葉のとげとげしさに、言葉を無くす。その口調から由宇が本気
で言っているのがわかったからだ。
「でもな、元々ウチらは友達でもなんでもあらへんかったんよ」
「え? ちょっとパンダ、あんたなに言ってんのよ!」
一呼吸おいて、由宇はニヤッと意地悪く笑った。
「ウチらは元々、腐れ縁で結ばれてるやないの。ま、切っても切れへん縁やな」
「由宇さん……」
「パンダ……なによ、ちょっとカッコつけすぎー」
「アホか、ウチは決めるときは決める女やで! さっ、ほら彩ぼーっとしとら
んとさっさと立ち。聖ペン探しに行くんやさかい」
由宇の差し出した手を彩が掴む。詠美もそれに加わろうとするが、二人の手
に自分の手を重ねたところでずっこける。傍目には邪魔しているようにしか見
えない。
「詠美、邪魔や」
「うみゅう。なんでー? あたしも感動の場面に参加したいのにー!」
「アホか、ほんまにアンタは三国一のドジっ娘やな!」
「三国一のドジっ娘? そんな……そんなのないです……一番のドジっ娘は千
紗のハズです!」
詠美の足下から、何者かの声がした。
いや、名乗ってるけど。