「千紗ちぃ、どないしたんや……?」

 塚本千紗が詠美の足首をつかんでいた。『塚本印刷』で働くドジっ娘といえ
ば、こみパで知らぬ者はいないほどの有名人である。いろんな意味で。さらに
彼女には、印刷する機械の調子でその同人誌の優劣を見抜けるという、高橋涼
介もぴっくりの一面もある。

「千紗……千紗……わざとじゃないんですぅ……」

 千紗の身体が小刻みに震えている。境内を通り抜けていく肌寒い風のせいで
はない。それは彼女の表情から明らかだった。
 彼女の目はどこも見ていない。瞳孔が閉じたり開いたりしなくても、人間っ
ちゅーのはちゃんと狂気を表現できるもんなんやな。
 地球のななめ裏側を覗きこんでいるような千紗を間近で見ながら、由宇は思
った。

「ちょっと、このコなんかヤバいんじゃない?」

 さすがに詠美も心配になったのか、千紗の顔を覗き込む。
 その途端、千紗の目が妖しく光った。

「どちらが真のドジっ娘か、勝負です! 詠美のお姉さん!」
「ふみゅ〜!?」

 地面が揺れはじめる。いや、石畳がせり上がり始めていた。

「な、なんや地震か? いや、あれは……」
「リング……ですね」

 いち早く待避していた由宇と彩が他人事のように解説する。
 突然隆起した石畳は、まさにドジっ娘を賭けた戦いの場と化していた。地面
から10センチ程盛り上がったリングだ。ドジっ娘が転げ落ちても大丈夫なよ
うに、低く設定されているらしい。

「なんや、しょぼいリングやな。詠美にはぴったりかもしれへんが」
「なんですってー。覚えときなさいよ、ハリボテマン!」
「誰がハリボテマンや。どっかの超人レスラーみたいな名前で呼ぶなや。オオ
バカマン」
「うっきー! うっさいうっさい!」
「ほら、オオバカマン。よそ見してるとやられてしまうでー!」

 千紗はすでにファイティングポーズをとっている。

「千紗、いかせてもらいますです!」
「ふん、この詠美ちゃん様に勝とうだなんて、2テラ年早いのよっ!」
「「デュエルッ!!」」

(えいみHP:119 ちさHP:79)
 ちさのこうげき。

「千紗は視力検査のとき、ランドルト環を見るといつも“横”って言ってしま
います」
「らんどせる? ふん、あたしだって、さかなの絵を指されて“アジ”って答
えてるもーん」
「うぅ……」

 えいみのかうんたー。
 ちさに10のポイントダメージ。
(えいみHP:119 ちさHP:69)

「ふふん、まだまだ甘いわねー」

「にゃー、千紗がんばりますっ」

 えいみのこうげき。

「あたしは一日一回は先生のことを“おかあさん”って呼ぶわね」
「ち、千紗だってクラスの人のことを“一般参加者”って呼んだことがありま
す」

 ちさはこうげきをふせいだ。
(えいみHP:119 ちさHP:69)

「なかなかやるわね、あんた」
「詠美のお姉さんも、すごいです」

 詠美と千紗は互いの健闘を称え合った。リングサイドから観戦している由宇
たちは、無表情でその光景を眺めている。

「なんや、しょーもなーい戦いやな……」
「由宇さん、ちゃんと解説しないと……」
「ああ、せやな。アホが二人、恥ずバナを披露しとるな」
「恥ずバナって恥ずかしい話の略ですね」

 やる気の感じられない解説チームだった。

 ちさのこうげき。

「千紗はステーキ屋さんで、焼き加減を訊かれたときに『一生懸命焼いてくだ
さい』って言いましたです。そしたら、シェフの人が『一生懸命に焼きました』
って運んできてくれたです」
「な、なかなかやるわね、あたしはいつも『ミレニアムで』って普通に頼んで
るけど……」

 えいみのかうんたー。
 ちさに30ポイントのダメージ。
(えいみHP:119 ちさHP:39)

「にゃ、にゃー……てんねんですー。詠美のお姉さん、すごいですー……」
「へ? なんであんたがダメージ受けるの? ま、いいや、やっぱり詠美ちゃ
んてばすごーい!」
「千紗、千紗……もう、必殺技しかないです。日本貧乳協会(NHK)奥義、
『寅午濃拭(とらうまこくふく)』ですー」

 ちさはひっさつわざをつかった。
 とらうまこくふく!!(ちさHP:1)

「由宇さん、解説解説……」
「ん、ああ、忘れとったわ。なっ! なんやっ!? 千紗ちぃのヒットポイン
トが1になってまったで?」
「恐らく、全エネルギーを攻撃力に変換したのでしょう」
「な、なんつー恐ろしいワザや……ごくり」
「由宇さん、その“ごくり”は口に出さなくてもいいのでは?」
「さよか。んじゃ改めて…………な、なんつー恐ろしいワザや……」

 由宇は千紗の放つ悲壮ともいうべき雰囲気に圧倒され、息を飲んだ。
 一枚の木の葉が、千紗の足下に落ちてくる。その木の葉は見えない渦に飲ま
れるかのように吸い寄せられていき、螺旋を描きながら上空へと舞い上がる。

 風が、彼女の周りに渦巻いていた!

「やあー、エッチな風さんですぅ!」

 スカートを押さえながら千紗が言った。ドジっ娘とはつまり、そういうもの
なのだ。いざ、がんばろうとすると必ずコケる。そういうものなのだ。だとす
ると、ユーザーの選択通りに行動しない鬱ゲーの主人公もドジっ娘になりそう
だが、それはまた別の話である。

「ちょっとー、さっさとしなさいよねー。いくら詠美ちゃんがじじぶかいマリ
アさまの心を持っているとしても、もう待てないわよっ」

「…………」
「(すーすー)」

『どんなマリアさまやねん』と由宇は思ったが、そりゃまあそれなら処女受胎
ってみんなが驚くのも無理ないわなと一人納得する。
 その横で彩はすでに、スリープモードに入っていた。

 ちさのこうげき。

「千紗が小学生のとき、校庭に丸太を埋め込んだ遊具がありました。千紗は友
達のなつみちゃんとその上で相手を落とす遊びをやりましたです。そして、帰
りの会で今日どんなことをして遊んだか、千紗が発表することになったです。
千紗、言いました。『きょうは、なつみちゃんとまるたの上でおしっこをしま
した』って。そこまで言って自分の言ったことの意味に気づいて訂正しました。
でも出てきた言葉は『ちがいます、おしっこじゃないです。おしっこをしただ
けです……えっと、だからおしっこ……』でした」

 いつの間にか、詠美も由宇も彩も千紗の言葉に聞き入っていた。三人はその
ときの教室の空気を想像してみる。

 ――それは“押し合いっこ”の言い間違いなのか?
 ――それとも、本当に“おしっこ”をしたのか?
 ――どっちなんだ? どっちなんだよー!!

 笑うに笑えない空気、衝撃の告白に小学生たちは硬直しただろう。からかっ
てくれる男の子が居たのならまだいい。もし、先生に『それはよかったですね
ー』などと流された日には一生忘れられない思い出になるだろう。

 えいみに119ポイントのダメージ。

「ふみゅ〜、最低すぎる〜!」
「やりましたです。千紗、千紗勝ちましたで……あれ?」

 倒れたのは千紗の方だった。
 糸が切れた操り人形のように、膝、胸、頭の順番で地面に転がる。

(えいみHP:1 ちさHP:0)

「ど、どうしてですかー? 千紗、どうして負けたですかー?」
「それはたぶん――詠美の付けとるブローチのせいやろな」

 詠美の付けていた『Meたんのブローチ』は、先程の彩の髪飾りと同じよう
に砂となり崩れていた。境内を風が吹き抜けるのと同時に、砂はキラキラと日
の光を反射して舞う。

「きれいです、うっとり……」

 その幻想的な光景に彩が感想を漏らすと、由宇も同意するかのように頷いた。

「せやな、まるで千紗ちぃの魂が天に召されていくようや……」
「――千紗、死んでないですぅ!」
「けど、千紗ちぃの尊い犠牲でわかったことがある」

 千紗の叫びは無視された。

「詠美を倒したハズの攻撃が何故か千紗ちぃにも影響したんは、そのブローチ
がダメージを受けたからやな。つまり、あのブローチは千紗ちぃの一部だった
ってことや。恐らく、コンプレックスか、その裏返しの優越感が形になったも
のなんやろう。瑞希っちゃんの件も考えるとな」
「ということは、つまり……」
「せやせや、このハリボテも誰かしらのコンプレックスが形になったものの可
能性が高いっちゅうことや。何か聞いてへんか、彩?」
「いいえ。私が聞いたのは『ぶきや ぼうぐは かならず そうびしてくださ
い!  もっているだけじゃダメですよ!』ってことだけです」
「なんか、えらい不自然なセリフやなー。ま、とにかく奥へ進むしかないって
ことか。しゃーないな、ほらっ! 行くで、詠美!」

 体力を使い果たしヘロヘロの詠美は、由宇の呼びかけにふらふらしながら歩
き出す。

「詠美ちゃん、お腹すいた――――!!」

 そう叫んだまま、詠美はフリーズした。
 Meたんじゃなくなっても、彼女の落ちやすさは相変わらずのようだった。

  
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