「なんや、いきなり大きな声だして? 『あたしは同人界の女王さまよ』て」
「う、うみゅ? ここは?」
詠美は誰かに背負われているのに気が付いた。いや、でも詠美は椅子に座っ
ている。背中側に倒れるように座っている椅子から身を起こして下を覗く。
延々と下に続いている石段が見えた。
「あたしってば、クララになってる! これから山のちょうじょうにあるお花
畑へ連れってってくれるのね、ペーター」
「誰がペーターやねん! 気が付いたんなら、さっさと降りんかい!」
「にょほっ!」
投げ出される詠美。なんとか着地した、と思った途端に滑って転んでしまう。
上下逆さまになった彼女が見たものは、ダンボールでできたハリボテの背中部
分を椅子に変形させた由宇の姿だった。
なんだか女性型のハリボテと背中の椅子がミスマッチである。
でも、温泉とかごくらくどじょうまで連れていってくれそう、と詠美は思っ
た。
ちなみに、ごくらくどじょうは極楽浄土の間違いで、さらにそれではあの世
になってしまう。
「お、温泉ペーター!?」
「そりゃなんや? 湯治場までジジババを連れていくんか?」
由宇の暴走気味なノリツッコミに詠美があぜんとしていると、彩が石段を降
りてきてハリボテの椅子を仕舞い始めた。
「しっかし、ようこんな便利な仕掛けが付いてるもんやな」
由宇が驚き半分、呆れ半分といった口調で呟く。
「こんなこともあろうかと、用意しておきました」
「へ、へえ、そうなんか。そらすごいな」
「こんなこともあろうかと……」
「ああ、聞いとるで。そない顔を近づけんでも、聞こえとるで」
「こんなこともあろうかとぉ!」
「わかった! わかったから! 言う、言うたるから! さすが、整備班班長
や! めちゃすごい、ごっつすんばらすぃ! エンジョイ&エキノコックス!」
由宇の称賛する声に満足げな笑みを浮かべる彩。そんな彼女を見て、野生動
物には気を付けろと由宇は言いたくなった。
「ちょっと、あんたたち、あたしのことを忘れてるっていうか、その態度ちょ
ームカツク!」
放っておかれたのが悔しいのか、立ち上がった詠美は開口一番文句を言い始
める。
「主役のあたしを差し置いて、勝手にはなしをすすめないでよねー」
股を大きく開いて腰を落とし背中を丸めた詠美の姿はまるで、ロープレの中
に出てくるバーバリアン(未開人:野蛮)のようだと彩は思ったが、もちろん
そんな余計なことは言わない。
「なにが主役や。詠美は……せやな、ムーミンで言えば“スニフ”やな。ちな
みにムーミンつーても、とんでも科学やオカルトが載ってる本を愛読している
人らのことやないで!」
由宇の言葉に、彩は『ムー民』と呟くと腰の前に広げた手のひらをくっつけ
て左右にうねうねと身体を揺らし始めた。
“ニョロニョロ”だ!
由宇は気が付いたが、見て見ぬフリをした。詠美は気が付いていない。
「うるさい、うるさい! どーしてあたしがあんな弱っちいヘタレなのよ!
むしろ温泉パンダのほうがお似合いよ。ううん、ちがうわ。あんたなんていぢ
わるなタマネギ頭の小さいのがせいぜいよね!」
「なんや小さいのて? フローレンのことか? まあ、せやろな、ウチに似合
うのはヒロインだけやわな」
彩は立てた人差し指を顔の前で振りながら、『ノンノン』と言っている。聞
こえるか聞こえないかの音量で。
由宇は気が付いたが、またしてもシカトすることにした。詠美は何と言い返
そうかと必死に考えていて、それどころではない。
「う、うるさいうるさい! カバのくせに! カバのくせにぃ〜!」
「カバちゃうわ!」
中腰になって両手を左右に広げ、行ったり来たりしている彩の姿があった。
「カバディカバディカバディカバディ……」
「うっさいわっ!」
由宇はとうとうキレた。二人が本来の目的をすっかり忘れているから、では
ない。こんな山奥でハリボテを着込み、それでもキッチリとツッコミをしてし
まう自分の姿がやるせなくなったからでもない。ただ、そう……『カバディカ
バディ』という声が『カバでいい? カバでいい?』と聞こえたからだ。
そら、トーベ・ヤンソンも泣くて。
補足しておくと、カバディは古い歴史を持つれっきとしたスポーツやな。日
本ではセパタクローと同じくらいの人気を誇っている……らしいで。
「微妙……か」
由宇は自分で自分にゆるツッコミをした。
「あたしもう、こんなうす気味わるいとこ、やだーっ! もう帰ろうよ」
「アホか、ウチらの目的忘れたんか? 聖ペンや、聖ペン! 佐藤ペンでも、
ショーン・ペンでもないで」
「うぬー? ション――」
「口ごたえすなーっ! ……と言ってる間に着いたようやな」
三人が見上げる先に石段の終わりがあった。左右に伸びるしっくいの壁には
瓦で覆われた小さな屋根が載っかっている。ただ、それらのどの部分を見ても
ひび割れ、欠けていて長い間手入れされていないことを示していた。壁に手を
触れるとひんやりと冷たい表面が、ぼろぼろとこぼれてくる。
そして――彼女たちの目の前には大きな山門が立ちふさがっていた。観音開
きのその門は閉じられており、左の扉には『あ』、右の扉には『ん』と書かれ
ている。
「てらばやししょー……だって、ヘンな名前ぇー」
「アホか、右から読むんや。『小林寺』って読めるやろ……ん、やけに“小”
が小さいな。シャレのつもりかいな。“林”もやけに間が空いとるし……」
石段の下で見た石碑にははっきりと『小林寺』と刻まれていたが、この山門
に掲げられた表札は、まるで子どもが書いたようにいびつな形をしている。右
上に書き殴ったような“小”の文字。その横の直線だけで書かれたような“林”
は、木と木の間が大きく空いている。左端の“寺”が一番マシに書かれている
が、これも上手いとはとてもいえない程度だ。
「これ、“小”の下に“女”って書いてあったようです」
「はあ、そうか? まあ、確かにうっすらとそう読めんこともないわな」
彩の指摘に由宇が目を凝らすと、確かに文字が消されているような跡がある。
「どういうことや? 彩の言う通り“女”が消されとるなら、つまりそれは…
…女人禁制ってことやろか?」
「ニャッキのせいってなに?」
「誰がミントグリーンの小さなイモ虫の話をしとるんや。女人禁制っってのは
女はこっから入っちゃいかんってことや」
「だったら、あたしたちって入れないってこと?」
「さあ、わからへん。わからへんけど、かもしれんなぁ……」
二人がどうしていいか迷っている中、彩はそうするのが当然とばかりに門の
前に立つ。左手に『あ』、右手に『ん』の文字。
「あんぱんっ!」
彼女にしては精一杯と思われる大きな声で、彩は叫んだ。
「あんぱん好きなんか? なんてなー。いくらなんでもそないな言葉で開いた
りせんやろ」
由宇の言葉が聞こえていないかのように、彩は門の方を向いたまま身じろぎ
一つしない。
「ふみゅう、見て見て! 門があいてくよー!」
「んな、アホなっ!」