駅を出てから、どれほど歩いただろうか。
足取りも軽く、鼻歌交じりで野道を往く二人の少女と、その後ろに続く、ど
んよりとした重苦しい雰囲気を纏った一体のハリボテ。
先頭を詠美が歩き、彩が続く。
そして、殿を務めているハリボテの中身が由宇である。
余りにも異様な空気を放出している一団。
だがそれを異様と感じる者は、彼女らの周囲には存在しなかった。
駅が無人駅だっただけあって、その周囲には人家が一戸も建ってはいなかっ
たのだ。
また、ハイキングなどに適している場所ではあるものの、行楽地として話題
に上るほどのスポットとも到底思えない。
今歩いている道も、獣道に比べれば幾らかまし、という程度の物だ。
当然、三人と行き交う人々の姿など、あろうはずがなかった。
しかし、彼女ら以外の第三者がいないというのは、由宇にとって幸運であっ
た。
もし、今の自分の姿を他人にでも見られようなものなら、それが例え見ず知
らずの一見さんであっても、彼女は当分立ち直れそうもない心理的外傷(トラ
ウマ)を負いそうな気がしていたからだ。
「曇ってきました…」
ふと天を仰いだ彩が呟く。
確かに彼女が口にした通り、先ほどまで晴れ渡っていた空が、俄に曇り始め
た。
「ん? ああ…」
ハリボテのバイザーを開けながら、由宇も空を見た。
なるほど、空模様が崩れつつあるのが判った。
「まあ、山の天気は変わりやすいからな。けど、取り敢えず雨具は用意してあ
るんやし、このまま行ける所まで行こうや。…んで、本気で振ってくるような
ら、そのとき考えよ」
「はい…」
由宇の言葉に頷きながらも、彩は妙な胸騒ぎを覚えていた。
(嫌な予感がします…)
それから暫くして。
駅からずっと平坦だった道が、徐々に上り傾斜の度合いが増し、山道の体裁
を成してきた頃、三人の前には『小林寺』と書かれた古い、苔むした石碑と、
その脇から遙か上方へ向かって伸びる、長い石段があった。
「ここ…ね?」
石段の先に目を凝らしながら詠美が言った。
山に沿って造られた感のある石段は、かなり上にまで伸びており、先の方は
良く見通せない。
「寒くなってきました…」
自分自身を抱きしめるようにして、彩が少し震えながら口にする。
彼女の言う通り、いつの間にか周囲の気温が下がってきているのが判った。
いや、正確には石段の上から冷たい風が流れてきているといったほうが的確
か。
まるで、死神に身体をゆっくりと撫でられているような錯覚すら覚える、鳥
肌立つ風だった。
「はは、ムードばっちりやな…」
ハリボテのバイザーを開け、周囲を窺う由宇。
いつしか空は完全な曇天とかし、鳥はそこから姿を消していた。
地では、獣の姿は疎か虫の音すらなく、生い茂る草木の間からは俄に妖しい
霧が滲み出て、視界に映る全てを白く覆いつつあった。
静寂と寂寥。
まるでこの空間が意志を持ち、三人を拒むかの如く、動いているかのようで
あった。
「さて、詠美、彩」
由宇が二人に向き直る。
「正直、ウチは聖ペンの存在を疑ってた。…元々、ネット上にあった胡散臭い
情報サイトで見つけたネタやったしな。…せやけどこの雰囲気、こらどうもモ
ノホンくさいで。…恐らく、この石段の先には、なにかがある。…それが聖ペ
ンなのかは、ウチも判らん。けどな、それが人智の及ばぬ力を秘めたなにかで
あることは、多分間違いない」
彼女の言葉に、二人は頷く。
「ここから先は、きっと危険と隣り合わせや。最悪、怪我だけじゃ済まなくな
るかもしれへん。…それでも、ええか?」
真面目な顔で尋ねる由宇。
詠美と彩は、互いに顔を見合わせたあと、頷いた。
「すいません、帰っていいですか?」と彩。
「同じくー」と詠美。
由宇はニッコリと笑ったあと、拳骨を作って「ハアー」っと息を吹きかけ、
ゴン、ゴンと二人の頭を笑顔のままで殴った。
「ふみゅ! なにすんのよ、パンダぁ…」
「痛いです…」
涙目で、殴られた所をさする詠美と彩。
「アホゥ! 台詞が違っとるやないか! ロープレだと、こういうときに仲間
が言う台詞は『はっ、水くさいこと言うなよ、勿論だぜ』とか『例えこの命を
落としても、全てを見極めてやる』とか、格好ええ言葉のはずやろ!」
「いや、あたしらそんなキャラじゃないし」
「由宇さん、ゲームのやりすぎです」
憤慨する由宇に、冷静なツッコミを入れる二人。
「ウダウダゆぅなや! ほれ、とっとと行くで」
ついてこいと言わんばかりに、先頭切って石段を登っていく由宇。
「たく、しょうがないわねぇ…」
やれやれと嘆息混じりに、彼女に続く詠美。
「……」
最後に残された彩は、暫し無言のまま考え込んだのち、「残飯っ」と謎の言
葉を口にしつつ、二人のあとに続いた。
彼女らは登り始める。
長い、長い石段を。