石段は、三人が思っていた以上に長かった。
 もう結構な段数を上がってきたつもりだったが、未だに終点は見えてこない。

「ふみゅーん、つーかーれーたー。もう歩けなーい」

 駄々っ子のように、その場へしゃがみ込む詠美。
 そんな彼女を見て、由宇は「お子ちゃまかい…」とあからさまな溜息をつく。
 しかし、由宇自身も疲労は確かに感じていた。

「しゃあない、少し休憩しよか」

 結局、由宇も詠美に同意し、その横に腰を落ち着けた。

「あー、もう喉カラカラ」

 詠美は背負っていたリュックを下ろし、中から水筒を取り出すと、おもむろ
に口へと運ぶ。
 冷たい水が、喉から滑り込むように体内へと染み入る。
 その心地よさに、一瞬、疲れが吹き飛んだ気がした。

「ふぅ、生き返ったぁ」

 水筒を唇から離し、口元に残った残滓を腕で拭い取る詠美。
 そのとき、彼女に向けて由宇が「ん」と手を差し出した。

「…なによ、その手は?」
「なにって…あんた、自分だけ水飲んでエエ気分になってるんやない。ウチに
もそれ、おくれゆぅとるんや」

 由宇の頼みを、「いやよ」と即時拒否する詠美。

「なんで、あたしがパンダに貴重な水を恵んでやらなきゃならないのよ! そ
もそも、あんただって水筒くらい持っているでしょ?」
「そら、持ってきてるけどな、このハリボテ着てるから荷物が取れないんよ」

 由宇は、彩から渡されたハリボテを装備中だ。
 そして彼女は、荷物を背負ったままハリボテを着けているので、そこから水
筒を取り出すには一旦、着ている物を脱がなければならない。
 が、水を取るためだけに一旦脱いで、また着るのも彼女にしてみれば面倒だ。
 そこで由宇は、詠美に水を分けて貰おうとしていた。

「せやから、一口、な」

 もう一度、由宇は詠美に向かって手を出す。
 すると詠美、「ふっふーん」と意地悪な笑みを浮かべた。

「跪いて涙を流しながら、『詠美ちゃん様、お願いですからこの哀れな温泉パ
ンダに、水を一口だけ恵んでくださいまし』って言うなら、考えてあげてもい
いわよ」

 ヒクッ、と由宇の頬が痙攣した。

「上等やないか、この大馬鹿詠美! ええ? どの口が、ウチに向かってそな
いな偉そうな台詞吐くんや? んんーっ? これか? この憎たらしい口か?」

 詠美の両頬を、抓るように左右へ引っ張る由宇。

「ふひゅーん…ひたい…ひたいよー、ファンダー…」

 結局は由宇の攻めに押し切られ、水筒を渡す詠美であった。

「ングング…ング…。ふう…ごっそうさん」

 詠美の水筒で水分補給をすると、やっと人心地ついたような、満ち足りた吐
息を漏らす由宇。

「サンキュ。ほれ、返すで」

 水筒を持ち主に返すと、由宇は座ったまま両腕を上方へ向かって「んーっ!」
と大きく伸ばした。
 その隣では詠美が、「一口だって言ったのに、ゴクゴクと…」と、涙目でブ
ツブツ言っていた。

「さて、と…ほなら先、行こか?」

 立ち上がって、再び石段を登り始めようとする由宇を、詠美が止めた。

「待って!」
「あん? なんやねん」

 煩わしそうに振り返る由宇に、詠美は必死の形相で「彩が居ない!」と叫ぶ。

「なんやてっ?」

 慌てて周囲を見回す由宇。
 確かに彩の姿がない。

 いつからだろうか。
 急いで記憶を巻き戻す由宇。
 小休止を取る前には、確かに居たはずだった。

「どっ! どどどどど、どうしよう! パンダぁ!」

 泣きそうな顔でしがみついてくる詠美を、「落ち着け」と宥めながら、もう
一度周囲を見回す。
 やはり、彩の姿はない。

(しかもこの天気じゃ…ちっ)

 由宇は心の中で舌打つ。
 空を覆う雲のせいで日の光は届かず、また立ち込める霧が視界を遮る。
 捜索には劣悪な環境だ。
 一旦はぐれでもしたら、再び合流するのは非常に困難かと思われた。

(あかん、洒落にならんで…こら…)

 そう由宇が唇を噛みしめたとき、ふと彼女の耳は、「カタ」と微かな物音を
捉えた。

「ん?」

 幻聴ではない。
 その証拠に物音はもう一度、いや、「カタカタカタ」と何度も聞こえた。

「ふみゅっ! な、なんの音?」

 謎の物音は詠美にも聞こえていた。
 恐怖に駆られ、由宇に縋り付くように身を寄せる詠美。

 とそのとき、二人の眼前に、なにやら球状の物体が浮かび上がった。
 霧のせいで良くは見えないが、物音はそこから発せられているようであった。

 一体なんであろうかと、由宇と詠美が目を凝らしたとき、それは不意に霧の
ヴェールから全体を現した。

「ひぎゃあぁぁぁぁぁっ!」
「ふみゅうぅぅぅぅぅっ!」

 一瞬の間を置いたのち、絶叫を上げて互いの身体を抱きしめあう由宇と詠美。
 彼女らが目にしたのは、宙に浮かぶ一個の髑髏。
 抜けるような白い色したその髑髏は、怯えた二人を嘲笑うかのように、カタ
カタと剥き出しの歯を打ち鳴らしていた。

「……」

 そして、それを持っていたのは、姿が見えなくなっていた彩だった。

「…って、彩! 紛らわしいことすんなやっ!」
「ふみゅーん、腰が抜けたよぅ…」

 彩は、「うん?」と不思議そうに首を傾げると、手に持っている髑髏を、も
う一方の空いた手でカタカタと動かしてから、「驚かして、ゴメンなさい」と
謝る。

 カタカタ。

「実は、向こうで…」

 カタカタ。

「この髑髏を見つけまして…」

 彩は、何故か髑髏を動かしてから言葉を発する。
 まるで、髑髏が話しているかのような演出を狙っているように。

「…なあ、彩」

 彼女の言葉を遮るように、由宇が口を挟む。

 カタカタ。

「はい?」
「それって、ひょっとして『いっこく堂』の真似か?」

 ポッ、と彩の表情がはにかんだ。
 どうやら図星のようであった。

「ったく、アホなことせんと…」

 そう由宇が呆れたように言うと、今度はどこからともなくもう一つの髑髏を
取りだし、両方の手で髑髏を持つ彩。

「パペットマペット」
「すなっ!」

 由宇のツッコミが、「スパァン」と奇麗に入った。

「あ…」

 その拍子に、彩の手から一つの髑髏が滑り落ち、石段の下へと転がっていっ
た。

「落ちてしまいました…。さて問題です。今落ちたのはパペットの方でしょう
か? それともマペットの方でしょうか?」
「アホなことゆぅとらんと。…しっかしアンタ、んなもん、どこから拾って来
たんよ?」
「怖くない? 噛みつかない?」

 彩の手にある髑髏を、由宇は物珍しそうに、詠美はおっかなびっくりに見る。
 すると彩、空いた手でとある地点を指差し、「あそこです」と言った。
 由宇と詠美は、彼女の指が指し示す方を見遣る。

「なっ!」
「ふみゅっ!」

 そして、驚愕のあまり絶句した。
 見れば、そちらには無数の白骨死体が、無造作に遺棄されているではないか。
 十や二十といった数ではない。恐らく数百、否、数千の亡骸達が、石段脇の
斜面を埋め尽くしていた。

「こ、これは…一体」

 思わず息をするのも忘れ、目の前に広がる白い荒野に見入る由宇。
 詠美は、そんな由宇の腕に「ふみゅみゅーん、ふみゅみゅーん」と奇怪な鳴
き声を上げつつ、震えながらしがみついていた。

「そうか、そうゆぅことなんか…」

 なにか思い当たることでもあるのだろうか。
 そう、由宇が呟いた。

「幾ら信憑性の薄いとされるサイトの情報でも、聖ペンのある場所が特定され
ていれば、好奇心に駆られて出向く人間がおるはずや。…せやけど、ネットで
は『聖ペンを手に入れた』とか『あのネタはガセ』だったとかいう話はなかっ
た。…つまり、話の真偽を確かめた人間はおらんちゅうことや! …何故かっ
て? 簡単や。それはここに辿り着いた者全員が、こんな風になってもうたん
やからな!」
「ふみゅっ! ねぇ、もう帰ろうよぅ、こんな所、やだよぉ…」

 詠美は泣きそうになりながら、由宇の手を引っ張る。
 だが彼女は、まるで彫像のようにビクともしなかった。

「ううん、それだけやない。これだけの数や、恐らく相当昔から、こに聖ペン
があることが判ってたんや。…そして人々は、それを求めてここへ辿り着いた
が、途中で力尽きて…」
「嫌ーっ! 聞きたくないーっ! もう帰るーっ!」

 脱兎のように走り去ろうとする詠美の襟を、「まあ待ちや」と由宇は掴んで
押さえる。
 彼女の手足が、無情にも空回りを繰り返す。

「ここまで来たら、最後まで行くんや。そして聖ペンを手に入れる。それが、
こいつらへの供養やで」
「嫌よぉーっ! もう帰るのよーっ! こんなトコにいたら、あたし達だって
ガイコツのお仲間入りよーっ!」
「アホ、求める物が高ければ高いほど、それに払う代価も高ぅなるのは世の常
や。…ハガレンでもゆぅてるやろ? この世は等価交換で成り立っとるって。
…んで、仮にもうちらが求めているのは、人々の心に永遠の感動を刻むと言い
伝えられているマジックアイテムなんやで? なら百や二百の髑髏くらい、踏
み越えて行かんかい。根性みせたりや」
「そんなわけの判らない物より、自分の命の方が大事だもん! 死んじゃった
ら、元も子もないじゃないのよ!」
「あー、もううっさいのー!」

 人に懐かない子犬のように喚き散らす詠美に、もはやなにを言っても無駄と
感じたか、由宇は彼女の襟を強引に引っ張り、自分の方へ振り向かす。

「ふみゅっ?」

 そしてキョトンとしている詠美の顎に、掌打を一発浴びせる。
 鈍い音がして、顎を支点に揺すられる詠美の頭。
 瞬間、彼女は軽い脳震盪に陥り、そのまま意識を失った。

「これでよし」

 人事不省になった詠美の襟を掴み、そのまま引き吊りながら、「ほな、先行
こうか?」と再び石段を登ろうとした由宇を、彩が「待ってください」と止め
る。

「どないしたん?」
「彼らが、何故ここまで来て命を落としたのか、調べる必要があると思います。
もしかしたら、この先に物凄い罠なんかが仕掛けてあるとか…」

 彩の提案に、暫し考え込む由宇。

「そらまあ、もっともな話しやけど…どうやって調べるんや? ここにあるの
は、仏さんばっかやで?」

 周囲に累々と広がる白骨死体達を見渡しながら、由宇が尋ねる。
 すると彩、その肩の辺りで束ねた長い黒髪を一旦解き、今度はいつの間にか
取り出した髪留め用のゴムで、髪を頭の左右でそれぞれ一つに纏める、いわゆ
るツインテールにする。

「あ、彩?」

 わけが判らないといった顔付きの由宇に、彩は「なら仏さんに聞けばいいん
です」などと言いながら、今度はマジックで、左手の掌に五芒星を中心とした
魔法円を書いていく。

「ま、まさか…そのネタは…」

 こくり、と軽く彩は頷き、左手を白骨死体の海へ突き出すように向けた。

「魔王サタンよっ! 余の願い聞き入れ給えっ! この死せる者達に、一時の
息吹を与えられんことをっ!」

 声高らかに響き渡る、彩の呪文。
 だが。

 へんじがない…。
 ただのしかばねのようだ…。

 なにも起こらなかった。
 一陣の冷たい風が、彼女らの間を通りすぎて行った。

「なんも…起こらへん…ね…」
「変です…。わたしのゾンビ蘇生術が失敗するなんて、あり得ないです…」
「いや、そんなんで死んだ人間がゾンビとして生き返ったら変やろ…元ネタの
漫画やあるまいし…つうか『あり得ない』って、いつもは成功してるんか?」

「はい」と頷く彩。

「イベント前で〆切ギリギリのときとか、良く近所の墓地でゾンビを作って、ア
シスタントとして手伝ってもらってます」

 由宇は知ってはいけない彩の一面を、当の本人から無理矢理教えられた気が
した。

「ひょっとして…」

 なにか思い当たったのだろうか。
 彩が、不意に声を上げた。

「ん? 今度はなんや?」

 彼女はその場にしゃがみ込んで、足元に転がっていた骨の一つを手に取ると、
指で叩いたり、軽く振ってみた。
 やがて、「やっぱり…」と妙に納得した顔になる。

「せやから、なんやねんって」

 彩のしている動作の意味が見えない由宇は、やや苛立ちげな声を発する。
 そんな由宇の前に、彩は手にした骨を差し出し、こう言った。

「この骨、作り物です」
「はあ?」

 自分でも恐ろしく間抜けな声だと、由宇は思った。

  
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