「…プロか」

 8等分に切り分けられたピッツァの1ピースを口に運びながら、ふと、譫言
のように詠美は呟いた。

「…あたしにも、できるかな」

 すると、同じようにピッツァを食べていた由宇が詠美を見る。

「あん? なんや、あんたプロデビューしたいんか?」

 詠美にしてみれば、今の言葉は全く口にするつもりはなかったのであろう。
 不意を衝いて出た本音と言うわけだ。
 そのことを由宇の口から問われて、慌てて顔を真っ赤にしながら否定する詠
美。

「ちっ、ちちち違うわよ! あ、あたしは同人界の女王様なのよっ? 既に富
と名声を欲しいままにしている詠美ちゃん様なのよっ? 今更、そんな商業行
かなくたって…」
「せやかて、さっきだって自分でゆぅてたやん。自分より先に彩が商業行くの
が納得行かへんって」
「そ、それは、その…なんて言うか、つまり…うー」

 必死に弁明する詠美を、由宇は「まあまあ」となだめつつ、手にした1ピー
スの残りを口の中へ放り込む。
 十分咀嚼し、嚥下したのち、彼女は「ふっ」と遠い笑みを浮かべた。

「同人やってるもんなら、誰だって一度は商業デビューを夢見るもんや。それ
こそ、有名無名は関係なしにな…。詠美、アンタだけやないで、ウチかてそう
や…。せやけど、そこに通じる門は狭い。とてつもなく狭いんや。誰もが通れ
るって都合のエエ代物やない。…才能を持ち、運に恵まれ、努力を怠らず、た
くさんの経験を積んだ者だけが通れる、特別な門なんや」

 語るように、諭すように話す由宇。

「パンダ…」
「由宇さん…」

 彼女の発した言葉に、少なからずも感動を覚える二人。
 それだけの重さが、今の台詞にはあった。

「…とまあ、建前はさておき」

 が、余韻に浸る間もなく、由宇の表情が変わった。
 唇の端を、なにやら心中に含みがあるような感じで吊り上げたかと思うと、
その眼鏡のフレームを指で軽く持ち上げる。

「実はな、そんな狭き門を強引にこじ開ける魔法のアイテム、見つけたんよ」

 そう言ってから、由宇は手持ちの荷物の袋を開け、一台のノートパソコンを
取りだした。

「あんたら、聖ペン伝説って知っとる?」

 膝の上に乗せてキーボードに手を走らせていくと、彼女の動きを追うように
ノートパソコンが駆動を開始し、LCD画面へ明かりが灯る。

「聖ペン伝説ぅ?」
「聞いたことありません…。聖剣とか、聖杯とかなら、ありますけど…」

 詠美と彩は首を傾げながら由宇を見る。
 由宇は意味深な笑みを浮かべながら、ノートパソコンのキーを叩いていく。

「実はこないだネットを覗いていたら、なかなかおもろい情報を見つけてな、
いつかあんたら二人に教えたろって思うとったんや」

 彼女のかけている眼鏡のレンズが、画面から発せられる光を反射して妖しく
輝いていた。

「古い伝承や、古い神話…」

 由宇は静かに、まるで眠る前に寝物語をせがむ幼子へ聞かせるような口調で、
ゆっくりと話し始める。

「他にも大昔に書かれた物語とかって、この世界にたくさんあるやろ? あれ
らって、長い年月を経た今でも未だに語り継がれているのは、何故やと思う?」
「さあ?」
「判りません」

 首を傾げる詠美と彩に、「ふふん」と笑ってみせる由宇。

「それはな、その物語を記したペンの力や。…そのペンは『聖なるペン』とさ
れ、そのペンで書かれた文章は、読む人の心に物語として深く染み渡って感動
を呼び起こし、そしてその感動は親から子、子から孫へと子々孫々、未来永劫
受け継がれていく…」

 故に、太古の昔に記されたとされる幾つもの物語が、現在まで語り継がれて
いるのだと由宇は言った。

「そ、そんなアンビリーバボーな物が…」と素直に驚く詠美。
「猛烈に眉唾です」と最初から疑ってかかる彩。
 実に対照的な二人であった。

「古来より、時の権力者や哲学者や作家達は、こぞってこのペンを求めたそう
や。…考えてもみぃ? 永遠に語り継がれる文章を作れるペンやで? それ即
ち、自分の偉業や思想や作品を、不変の物として後世に残すことができるんや、
そりゃ喉から手が出るほど欲しいやろ」

「うんうん! 判る判る!」と純粋に同意する詠美。
「激烈に胡散臭いです」とあからさまに疑ってかかる彩。

「そんなペンで漫画を書いてみぃや、メジャーデビューどころか全世界規模な
作家になれること請け合いやで、ホンマ」

『全世界規模な作家』という言葉に、詠美の顔が「ほわーん」とだらしなく弛
緩する。
 恐らく、どこかの城で床一面を埋め尽くしてもなお溢れているファン達に
「ビバ! 詠美ちゃん様!」と恭しく傅かれ、声高らかに笑っている自分の姿
でも妄想しているのであろう。
 一方の彩は、別段興味なしといった感じに、チルチルともずくを啜っていた。

「…で、ここからが本題や。なんとそのペンが今、この日本にあるそうなんや」

 テーブルの空きスペースにノートパソコンを置き、画面を二人の方へ向ける
由宇。

「……」
「……」

 詠美と彩は、無言のまま画面を見た。
 そこに表示されていたのは、やれUFOだのUMAだのと、まことしやかな
超常事件を取り扱っている不思議系情報サイトの一ページ。

 ページの一部に、なるほど、由宇が言ったような情報が書かれている箇所が
ある。
 しかもご丁寧に、その聖ペンとやらが現在あるとされている場所まで克明に
記されていた。
 悠久のときを流浪し続け、数奇な運命を持って現代へ辿り着いた一本のペン。
 それが眠る場所、それは。

「少林寺ぃ?」

 詠美が素っ頓狂な声を上げた。

「中国は河南省にある名刹。少林拳発祥の地」

 すかさず、彩がトリビアを披露する。

「ちょっとちょっと! 聖ペンは今、日本にあるって言ってたじゃない! ぬ
ぁんで中国のお寺の名前が出てくるのよっ!」

 詠美の指摘を、椅子にふんぞり返った格好で由宇は、「チッチッチッ」と人
差し指を振りながらいなす。

「少林寺やない。もう一回、目ン玉開いてよぅ見てみ」

 由宇から自信たっぷりに言い返され、詠美と彩はもう一度ノートパソコンの
液晶画面へ視線を落とし、書かれている情報の一字一句、食い入るように見た。

「あっ…」

 最初に気付いたのは彩だった。

「え? な、なになに? なんなのよ!」

 まだ判らない詠美に、彩は画面の一角を指し示す。

「え? …あっ! ああっ! なにこれっ! 字が違う! 『少』じゃなくて、
『小』じゃないっ!」

 その指を追っていた詠美が声を上げた。
「せや」と頷く由宇。

「聖ペンが眠るとされている場所、それは日本の小林寺(こばやしでら)や!」

  
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