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21:13
幕末京都
KYOTO of the EDO period last stage 21:13 PM
ところ代わって、時は幕末京の町。
先ほどまでひっそりと静まっていた闇夜を騒がすような複数の足音が、ピタ
リと収まる。
「……伊東さん……」
わたし達が駆けつけると、そこには伊東さんの死体があったわけで……
「うおぉっ、伊東先生!」
「おのれ、新選組めぇ! 卑怯ものどもがぁ!」
「死体を駕籠に! 先生の死体をこのまま野晒しにするわけにはいかん!」
何となくこうなるんじゃないかと思っていたわけで……
「そこまでだ!」
「……あ……!」
「脱走隊士ども! この場で全員、腹を切れ!」
土方さんが、アラタさんが出てきた。
「おとなしく従わないのなら……、容赦なく斬り捨てる!」
「やっぱり……」
「おのれ! 伊東先生を暗殺した上、待ち伏せとは! どこまでも汚い犬ども
がぁ!」
「汚くて結構。やれ!」
「うおおっ!」
刀を抜いた隊士達が向かってくる。
「おおっ! 脱出じゃぁ!」
「囲め! 一人も逃がすな!」
「……こうなっちゃったんだなぁ……。はは……」
剣戟の音がやけに遠い。
やっぱりこうなるんじゃないかと思っていたわけで……
「へー!」
「へー!」
「あ、アラタさん、沙乃さん……」
ただぼんやりと斬り合う皆を見ていたわたしの前にアラタさんと沙乃さんが
出てきた。それぞれの得物を持って。
叩き潰されるのかな。
刺し貫かれるのかな。
彼女達の顔じゃなくて得物を見ながらそんなことを思っていたわけで……
「……どうするの、あんた」
「ちょっと逃げられないよねぇ。いっぱい、斬っちゃったし……」
手にしていた血刀を掲げて見せて厳しい表情の沙乃さんの問いに答える。
ぼんやりと見ていたつもりで、他人事のように思っていたつもりで随分と動
いていた自分に今更気付いたわけで……
「……くっ! へぇーっ!」
「……くっ……!」
辛そうな顔をしてハンマーを掲げるアラタさんを見ると、胸が痛い。
「……あっ……!」
大振りのハンマーをかわしたことよりも、かわせるような振り下ろし方をア
ラタさんがしたことに驚く。
「へー! 逃げたければ、沙乃を突破して行きなさい!」
驚くとすぐに沙乃さんがそう叫んで槍を構えて突進してくる。
「あっ……」
やっぱり。
沙乃さんもまた、本気の突きじゃない。
アラタさんの目も沙乃さんの目も同じことを言っていた。
逃げて、と。
「……っ……!」
憎まれていなかった。
二人は辛そうな顔から必死そうな顔になっていたのがわかった。
やっぱりと思ったり、どうしてと感じたり。
斬られるものと思っていただけにどうしていいかわからなくなって困ってし
まったわけで……
周りを見渡すと、味方の筈の斉藤くんが隊士に混ざって刀を振るっているの
が見える。何となく、それが当然のように感じた。
土方さんはかなり遠い場所で指揮を取っていた。どうしてかわざと離れてい
るように思えてしまった。
そして見渡していると一人、わたしに向かってやってくる隊士がいた。
「……あ……!」
「し……」
「「島田……!?」」
沙乃さんとアラタさんの声が被る。
「……誠……」
誠だ。
やっぱり誠だった。
「………………」
誠は無言で刀を構える。
わたしに向かって。
表情は真っ直ぐでひたむきだった。
「そっか……、しょうがないな……」
あの刀に斬られるのならそれでもいいな。
そんなことを思って付き合い程度に刀を構えた私に、彼が何か呟く。
「………………か」
「……え?」
それからちょっとイロイロあったわけで……
詳しい事はゲームでどうぞというわけで……
でもこれもかなりネタバレじゃないかという指摘には耳を塞ぎたいわけで……
15:15
すかいてんぷる 17番テーブル
The SKY TEMPLE 17th table 15:15 PM
ダンッ! ガタタッ!!
テーブルが激しく叩かれる音と、椅子が激しく引かれて脚が床に擦れる音。
喧騒の中の店内だったのにも関わらず、その音が立てられた一瞬は束の間の
静寂が訪れていた瞬間だったので、店内の人間の皆の耳に届いた。
そして喚かれるヒステリックな声が続く。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! もうっ! いい加減にしなさいよっ!!」
「ひかり、落ち着いてってば」
「ここは戦場かっつーのっ! 何が悲しくてアイスティー一杯飲むのにこんな
騒ぎの中を我慢しなくちゃいけないのよっ! 変じゃないのっ!!」
こだまの止める声を無視して吼えるひかり。
「あ、やっぱりこの状態って普通じゃなかったんだ」
「………」
ポツリと安堵の呟きを漏らす由女にひかりはギロリと睨みつける。
「え、あ、いえ……その、お構いなく」
その迫力に押されて萎縮する由女。
「ちょ……」
「あ、いいんです! 陽子さんっ!!」
その態度にカチンときて立ち上がりかける陽子を由女が制す。
「あの、お客様……」
「店員!」
「は、はいっ!!」
「ひかり、やめなよ〜」
同席のこだまはひかりの袖を引いて宥めにかかるがいかんせん、身長の差で
目にも入っていない始末。もちろん、その声もひかりには届かない。
「あんた達が騒ぐ客を確りさせないから……」
成り行き上ウエイトレスの瑞佳に怒鳴り散らしかけるひかりに、
「だったら、あんたが出て行けばいいじゃないかしら」
ポツリと陽子が呟く。
「なんですって!!」
「ああ、もうダメだったら〜」
飛び掛らんばかりの勢いのひかりを抱き止めるようにしてこだまが止める。
が、体格の差からして引き摺られていく。
「あうあう〜」
「寧々さん……ってあれ? いない……は、遙さん! 遙さん止めてください!」
陽子が隠し持っていた刀の柄に手をかけてひかりを迎撃しようとしているの
に気づいた由女が止めてくれる人を探すべく店内を見回すと、寧々の姿は何時
の間にかなく遙も奥で誰かと話しているようだった。
「あははー、そうなんだー」
「そうなんですよ!」
「それは滑稽だ」
「「「あっはっは」」」
「だから遙さん、見えない誰かと談笑してないでくださいっ!!」
志郎と柚の二人と共に話し込んでいた遙が振り返る。
すっかり熱中していたらしい。
「え、那古教さま? 只今っ!」
慌てて彼女も腰の刀を抜く。自分が霊体なことをすっかり忘れている。
15:21
すかいてんぷる 10番テーブル
The SKY TEMPLE 10th table 15:21 PM
「は、はるかっ!? いや、ごめんおれそんなつもりじゃなくてでももうどう
しようもなくてこのままじゃあおしつぶされそうでそれをみかねてたすけてく
れたのがあいつででもおまえのことわすれたわけじゃなくってでもしかたない
じゃんおれだってせいいっぱいやってきたんだからああそうだよおれがわるか
ったよでもしかたないじゃないかどうしていいかわからなかったんだから!」
一方、その由女の呼びかけに反応してひより達の席の側でへたり込んでいる
男が一人。
「……あの、店員さん? もしもーし」
「一人で頭抱えて落ち込んだり悶えたり逆切れしたりしてどうしたんですか?」
「ここは一発お姉さんにどーんと話してみてください」
ひよりが胸を叩いて見せるが、
「あかねちゃんだってそんないいかたじゃないかおれのきもちだってかんがえ
てくれよいっぽうてきにせめたててくれちゃってさあこのきもちなんかどうせ
だれにもわかんないよどうしたらよかったんだよいってみてくれよ」
トラウマに囚われたままの孝之の目には入らなかった。
「聞こえてないみたいです……」
「く、くしゅう〜」
「これは放置風味ですね」
デザートを頬張りながら子鹿が纏める。
15:25
すかいてんぷる 17番テーブル
The SKY TEMPLE 17th table 15:25 PM
「まあまあまあ落ち着きたまえ紳士淑女の皆々方」
「並々肩?」
カナ坊の呟きに、揚々と割って入った靖臣がつんのめる。
「違うっ! そうじゃなくてここはこの新沢靖臣に任せて引いては貰えないか?」
「誰よ、あんた」
「大体、お前も散々騒いでいた口だろうが」
説得失敗。
「凄い! さっすが男の子だね。格好良いよ」
唯一、保護者の腰にしがみつくお子様にはうけた模様。
「あー、何か失礼なこと考えている顔してる〜」
「いえいえ、そんな巨乳ロリの見本がここにいただなんて嬉しくも儚い不埒な
考えは起こしていませんですよ、はい」
「……え、え、ええ―――――っ!?」
真っ赤になって両手で自分の胸を抑えるこだま。
「因みに儚いと履かないに変換するとすれはそれでまた妙味が……」
「オミくんっ!!」
「うごぼっ!?」
後ろからお姉ちゃんエルボが脳天を直撃する。
「下品ねえ」
「無論初子の人外の大きさには誰も適うものは……ぐへっ!!」
初子の膝蹴りが今度は顔面をヒットする。
「相変わらずお下劣大魔王だね、靖臣」
痛さでのた打ち回る靖臣だったが、
「よくもまああそこまで堂々と」
「あいつ英雄だよ」
名無しの客の男たちには受けた模様。
何故か寺井さん家のお兄さんやら、沙里に抓られている慎一も混ざっていた
り。
「わたしももっと胸が欲しいなぁ…」
「でもあの身長はなかなか真似できないし…」
「羨ましいなぁ」
「あんたら羨ましいの!? 本当に!?」
真っ赤になって縮こまるこだまを他所に、同じく名無しの女性客達にひかり
がツッコミを入れる。
「わ、私もあれほどではなくてももう少し……」
「由女っ!?」
「ううう… わたしにはない未来……シクシク」
「遙も泣くなっ!」
由女と遙の貧乳コンビに陽子もツッコむ。
15:30
すかいてんぷる 上空
The skies where SKY TEMPLE 15:30 PM
突如として、すかいてんぷる上空に湧き出した暗雲。
まるで、墨で綿を染めたような漆黒の雲。
それは、明らかに異質な雲であった。
いきなり空に現れた出現方法もさることながら、すかいてんぷるの真上にだ
け何故か存在し、そこから先へは広がる素振りを見せない。
自然現象を無視した、ある超常的な力によって生み出された雲。
まさに、そんな印象の雲だった。
やがて乾いた音を立てながら、雲の内部で幾つかの放電現象が始まり、それ
らは徐々に数を増していく。
少しずつ、だが確実に、雲の内部へエネルギーが蓄えられていく。
そして蓄積された青白い煌めきは、ある時を境に放たれた。
直下のファミリーレストランへ。
遅れて、雲が吼えた。
獣のように、荒々しい落雷の雄叫びだった。
15:31
すかいてんぷる 17番テーブル
The SKY TEMPLE 17th table 15:31 PM
「なんだか急速に馬鹿らしくなってきた」
「私も……」
「めでたしめでたし、だね」
何故か疲れた顔をする陽子とひかりにニコニコと瑞佳が笑いかける。
「………」
「………」
何か言いた気な顔をそれぞれの二人共するが、笑顔で纏めにかかる瑞佳に負
けたようにため息を共につく。
「もういいわ」
「こっちも……」
そう言い掛けた瞬間、轟音が店内を襲う。
それが落雷による音だと気づくには随分と時間がかかった。
そして光の射出音が響き、王子に店の天井に光の渦が巻き上がって魔方陣の
ようなものが浮かび上がる。
「今度は一体何だぁ?」
「あ、あれば見て下さい!!」
真雪がほとほと疲れたような声を上げると、薫が店の隅を指差す。
「おー、おー、派手なアトラクションだなあ」
「本当にそう思って言ってます?」
15:32
すかいてんぷる 1番テーブル
The SKY TEMPLE 1st table 15:32 PM
「な、七瀬っ!」
浩平が思わず叫ぶ。
店の隅でまるで手品のように宙に浮かび上がっていた少女はまさしく彼の知
る乙女希望少女は秋物の服を着ていた。
「あれを見ろっ!」
「あっちもっ!!」
三方の隅それぞれに留美と同じように、晴姫とあゆが気を失っている状態で
空中に浮かんでいる。
15:33
すかいてんぷる 9番テーブル
The SKY TEMPLE 9th table 15:33 PM
「これだけの騒ぎの中、一度も先輩の怒鳴り声が聞こえなかったのはあんな状
態になっていたからんですね!」
「そこな店員。そんな納得でええんか?」
まゆの感心したような声を聞いた由宇が飽きれたように突っ込む。
15:34
すかいてんぷる 1番テーブル
The SKY TEMPLE 1st table 15:34 PM
「七瀬……」
「浩平……」
「あんなパンツ丸出しで……」
「あははー」
困ったような笑いを浮かべる瑞佳。
「しかし師匠の言うことが本当だったとは……」
「ねえ浩平、師匠って本当は誰なの?」
「ワッフルの悪魔だ」
『浩平、刺しますよ』
「い、いや、人違いだ!」
「?」
浩平の脳裏にピンクの傘を逆手に持って振り上げている少女の姿が浮かんだ
ので慌てて打ち消す。
やる気のないその目が逆に本気でやりそうで怖かった。
「魔王、召還かあ……」
何だかこんなもので呼び出される魔王が不憫に思えた。
15:35
すかいてんぷる 9番テーブル
The SKY TEMPLE 9th table 15:35 PM
「先輩の履いているあれって勝負パンツですかね」
「いや、まだまだやね。質は良いけど本命ってほどじゃない。ウチの見立て通
りなら彼女にとってあの程度の下着は特別なものというほどでもあらへんな」
「まことかっ!」
「ふみゅーんふみゅーん」
「大丈夫ですか、詠美さん?」
まゆと由宇が二人して目の上の高さに浮かんでいるあゆのスカートの中を覗
き込みながらパンツ談義に花を咲かせているのを詠美は顔を真っ赤にして頭を
抱える。
15:36
すかいてんぷる 12番テーブル
The SKY TEMPLE 12th table 15:36 PM
「今のうちに銃を回収しましょう」
「そうね。予備の武器だけじゃ不安だし…」
「じゃあ成り行きはこっちで見てるから、あんたたちお願い」
ズィーベンの提案に頷いたツァーレンシュヴェスタンの面々は二手に分かれ
て、皆の注目が天井に張り巡らされた謎の魔方陣と三人のツインテールに向け
られている隙をついてあゆに没収された銃器を奪還すべく厨房に消えた。
「でもあれは一体……」
ナイフを懐に隠して握ったままの姿勢で見守るゼクスの呟きは誰にも聞こえ
なかった。
15:37
すかいてんぷる 3番テーブル
The SKY TEMPLE 3rd table 15:37 PM
(あレは?)
弓華の目は、この騒ぎの中、天井に浮かんだ魔法陣には目もくれず、店の奥
へと走り去っていく幾人かの人影を捉えた。
(関係者さンでスか? ウうん、違いマすネ…)
奥へと繋がる通路の向こうへ消える間際、人影が女であることが判った。
最初は、この騒ぎをどうにかしようとしている店の従業員達かと思ったが、
その割には着ている衣装が違った。
この店のウェイトレスが着ている制服は、特徴的なデザインをしているため
非常に目立つ。
しかし、今し方走り去った連中は、その制服を着ていなかった。
弓華の直感が告げる。
あの連中は怪しいと。
「いづみ…」
彼女は、小声でいづみに話しかける。
「ああ…」と小さく頷くいづみ。
彼女も店の奥に消えた不審者達を、既に察知していたのだ。
「神咲先輩、ちょっと出てきます。いくぞ、弓華」
「はイ!」
「え? 御剣? 弓華? 二人とも、どげんしたとね? …あ、ちょっ、ちょ
っと!」
二人は薫の問いかけには答えず、席から立ち上がると、すぐさま店の奥に向
かって駆けていった。
15:38
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 15:38 PM
落雷。
轟音。
「あ、あ、うあぁ…………っ!!」
天井に描かれた魔方陣から共に叫び声が聞こえた。
そして降って来た。
血塗れのメアリーポピンズ。
もとい、額から血を流した少女が…
「う、うわぁ――――――っ!?」
孝之の背中に落ちてきた。
グゴァッ!!
ゴキッ♪
「……あ、なんか良い音で折れた音が」
鞠音の呟きは誰にも届かなかった。
「え? な、なに? なに!?」
額から血が飛び散ることも気付かず、浅黄色にだんだら模様の羽織を着たそ
の少女こと藤堂平は、突然の事態に周りを見渡していた。
「え? え? ええ? なにゆえわたしがこんなところに? しかも大勢の皆
から注目を浴びてるの?」
見渡す限り知らない顔顔顔。
その全てが彼女を見ている。
「ひ、人殺しっ!?」
客の誰かが叫ぶ。
「へ? へ? へ? なんで……ああっ!?」
血塗れの自分と手にしている血刀。
お尻の下には倒れ伏し昏睡している孝之。
周りの空気に緊張感が一気に走るのが判った。
二三の人間が何か身構えていたり、小刀を取り出しているのも目に入る。
「ふ、ふえええ!? な、なんか非常に危ない感じかも、感じかもっ!」
彼女が上からただ落ちてきたという事を頭で理解していても、彼女の全身の
血と昏睡している人の背中に座ったままの状態では、現状を是としてしまう。
いや、血刀振り回して血を撒き散らしている人間を見て、彼女を真っ当と思
う人は普通いないのだから当然とも言えよう。
「わ、私と科白のキャラ立てが被っているんじゃないカナ、ないカナ」
約一名、違う方で気にしている者もいたが。
15:40
すかいてんぷる 関係者通路
The SKY TEMPLE person concerned passage 15:40 PM
あゆに没収された銃を取り返しに来たのは、フィーア、アハト、ノインの三
名。
三人は、没収された銃が隠されている可能性が一番高いと思われる従業員控
え室の前に来ていた。
まず、フィーアがゆっくりとドアノブを回す。
鍵が掛かっていないことを確認すると、ドアを少しだけ開け、中の様子を窺
う。
室内に人の姿はなかった。
「従業員は、全員表の騒ぎで出払っているみたいね。…よし、じゃあ私とアハ
トで出入口を確保しておくから、ノインは中で私らの銃をして…いいわね?」
「うん、ノイン頑張る」
フィーアの指示にノインは大きく頷くと、ドアを開けて室内へ入っていった。
「あんた達、そこでなにしているの!」
とそのとき、フィーア達の背中へ鋭い声が掛けられた。
ゆっくりと、背後へ向き直るフィーアとアハト。
表の客席へと通じる曲がり角の所に、誰かが立っているのが見えた。
いづみと弓華だ。
二人は、こちらの動向を慎重に窺いながら、ゆっくりと距離を詰めて来てい
るのが判った。
「ちっ、感づかれた?」
「騒がれると面倒よ。黙らせる?」
近づいてくる望まれぬ者達の姿に舌打ちするフィーアへ、アハトがそっと、
耳元で囁くように提案する。
「ううん、ここは穏便に行きましょう。あの動き、恐らく向こうも素人じゃな
いわ」
静かに身構えようとするアハトを、フィーアが手で制す。
彼女は、いづみ達の動きの中にある、鍛えられた者のみが持つ雰囲気のよう
な物を、直感的に感じ取っていた。
「あ、えっと…」
にこやかな笑みを浮かべながら、いづみ達へ話しかけるフィーア。
「す、すいませーん、ちょっとおトイレ行こうと思ってたんですけど…」
害のない一般人を演じるのには慣れている。
かつて、そういう訓練を嫌と言うほど受けてきたから。
大抵の人間なら、この笑顔だけで騙せる自身がフィーアにはあった。
確かに近づいてくる者が普通の人間なら、今し方彼女の見せた笑顔で警戒を
解いたであろう。
だが、相手が悪かった。
いづみと弓華。
忍者と元暗殺者。
そんな上辺だけの笑みで、誤魔化されるような彼女らではない。
「トイレはこっちじゃないぞ。それにそこの部屋は、見た限り従業員控え室の
ようだな」
ますます警戒を強めるいづみ。
「まさかお前達、表の騒ぎに乗じて、火事場泥棒をするつもりか?」
二人は、フィーア達にある一定の距離まで近づくと、静かに身構えた。
「くっ…」
フィーアの顔から、偽りの笑顔が消えた。
「……」
アハトが無言のままフィーアの横に立ち、いづみ達を迎え撃つように身構え
る。
「図星…みたいだな…。しかも…その構え、あんたら素人じゃないな?」
いづみが、構えを更なる実戦向けな物に変える。
両者の間を隔てる空気が、殺意を帯びた物へと変貌していく。
「…ん? あんたら…」
そのとき、いづみは目の前で対峙している二人の顔に、どこか見覚えがある
気がした。
「…どっかで見た気が…。あれ? んーと…どこだったっけかな? えー…確
か…」
「あ…」
彼女の言葉で、弓華がなにか思い出したような声を上げる。
「こレです、いずみ。コれに載っテいた写真…」
そう言って弓華は、服のポケットから四つ折にされた紙を取り出し、いづみ
に中を広げて見せた。
「どれ?」と、その紙に目を落とすいづみ。
彼女が差し出したのは、幾人かの顔写真が印刷されたA4サイズの紙だった。
ファミレスで、料理の取り合いなどというコントじみたことを繰り広げてい
た二人だが、今回この街に出向いてきた本来の仕事は、日本国内に密かに潜伏
中の米国犯罪組織――インフェルノの調査。
そして今、二人が見ているのは任務前に上役から手渡された、インフェルノ
のメンバーの顔写真が載った、言うなれば手配書。
「あ、そうか手配書だ! これで見たんだ」
「はイ!」
「いやー、スッキリしたよ。なんか、喉の辺りまで答が出てたんだけどさー…
って、あんたら! インフェルノかっ!」
インフェルノ。
日本では、まだ馴染みのない筈の名前。
その名を知っている目の前の二人は、恐らくこの国の非合法な組織の構成員
であることを、フィーアとアハトは瞬時に理解した。
しかも手配書と言っていたから、治安関係の仕事に就いている者だろう。
つまり、自分達と敵対する組織だ。
四人を包む緊迫感が、さらに色を増し始めた。
「ねぇねぇ、フィーアちゃん、アハトちゃん、見つけたよ、ノイン達の銃」
場を包み込む剣呑な雰囲気がピークに達しようとしていた頃、両手に一杯の
拳銃を持ったノインが、部屋の中から出てきた。
それがフィーア達といづみ達の間、両者に張り詰めていた緊張を、一気に爆
発させる起爆剤となった。
フィーアとアハトは、ノインが抱えている拳銃の山から、それぞれ一つずつ
素早く抜き取ると、手慣れた仕草でセーフティを解除し、いづみと弓華に照準
を合わす。
まさに、瞬くほどの速さで。
常人なら、今し方彼女らがみせた動きに付いていけず、一瞬のうちに頭を撃
ち抜かれていたことだろう。
だが、いづみ達は違った。
フィーアとアハトが僅かな動きを見せた瞬間に、自分らの懐に手を入れ、隠
し持っていた刃物を取り出そうとした。
「あっ!」
「アっ!」
が、隠し持っていた武器は、先程店内で騒いでいたとき、この店の凶暴なオー
ラを纏ったウェイトレス――あゆによって没収されていたことを思いだし、顔
面蒼白になるいづみと弓華。
そこへ、黒光りする銃口が向けられる。
ほぼ反射的に横へと飛び退くいづみ達と、フィーア達の拳銃が火を吹くのが
同時だった。
パンッ! パンッ!
渇いた破裂音を伴って、フィーアとアハト、それぞれの拳銃から打ち出され
た二発の弾丸は、残念ながら目標とした二人を捉えることなく、通路の壁に命
中する。
一方、横へ飛び退いたいづみ達は、関係者通路に隣接していた厨房へと転が
り込んだ。
「逃がさない! アハト! 援護お願い!」
「了解」
「え? え? ええ? なに? なんなの? あーん、待ってよぉ、二人とも
ぉ!」
すかさずフィーアが、銃を構えながら厨房へと逃げ込んだいづみ達を追う。
その後に、アハトが同じように銃を構えながら続き、更にその後を、話の展
開から一人取り残された感のあるノインが、両手一杯の拳銃の山を持ちながら
続いた。
15:43
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 15:43 PM
へーは改めて店内を見渡す。
見たことのない場所だということぐらいはわかる。
そして周りの人間もどうも自分の知る人間達とは根本的に違うように感じる。
自分が落ちたと思われる頭上を見上げる。
帯状の金色の光で描かれた六線星形が天井に貼りついているのが見えた。
そしてその中央の位置が黒い靄で濁っていた。
自分はあそこから落ちたのだと、何となく理解できた。
「不条理部分が今、何の関連もない筈のこんなところで!?」
シナリオが短いからってこんなところで辻褄合わせにしなくてもいいのにと
ちょっとだけ思った。
取り敢えず周りに敵意がないことを示すべく、刀を手放そうとした瞬間、店
の奥で銃声と刃物がぶつかり合う音が響いてきた。
周りで張り詰めていたの緊張が爆発するのが判る。
「ま、人生こんなもんだね」
一気に決着をつけようと誰かが向かってくるのを見ながら、諦めた気持ちと
共に刀を構えて迎え撃つ事に決めた。
何となく、こんなところで朽ち果てたくはないという気持ちがあっただけ進
歩したなぁと自分で思いながら。
15:44
すかいてんぷる 12番テーブル
The SKY TEMPLE 12th table 15:44 PM
厨房の方から聞こえてきた銃声に、テーブルで待機していたフュンフ、ゼク
ス、ズィーベン達に緊張が走る。
三人は互いに目配せし、頷き合うと、人目に付かないように席から離れ、店
の奥へと小走りで急いだ。
15:45
すかいてんぷる 厨房内
The SKY TEMPLE in kitchen 15:45 PM
「うわっ! な、なんだんだっ! 一体っ!」
厨房内で働くキッチンスタッフは、突然頭から飛び込んできたいづみと弓華
に驚きの声を上げる。
「みんな! 頭を引っ込めて! 早くっ!」
「オ願いデす! 協力シて下さイ!」
大きな声で、スタッフに向かって頭を隠せと指示しつつ、二人はフィーア達
の突入に備えて素早く体勢を立て直す。
そのとき、フィーアが厨房の入口に立ったのを、いづみは視界の隅で捉えた。
すかさず彼女は、手近な調理机に並べられてあったナイフとフォークの幾つ
かを無造作に掴み取ると、厨房内に入ろうとしていたフィーアに向けて、その
中の数本を投げる。
「はっ!」
室内灯の明かりを受けて銀色に乱反射しながら、空気を斬り裂き、フィーア
に迫るナイフとフォーク。
「ちっ!」
が、フィーアも然る者で、いづみが自分に向かってなにかを投げたのを見た
瞬間、その正体を知ろうとするよりも速く、直感的に横へ大きく飛んでそれら
を躱す。
少し遅れて、今し方彼女の立っていた場所の背後に、幾つかのナイフとフォー
クが突き刺さった。
「……」
その後、フィーアに続いていたアハトが、彼女と入れ替わるように入口の前
に立ち、無言のまま手にした拳銃の引き金を何度も引き絞る。
続けざまに、厨房内で何度も木霊す銃声。
そこで初めてキッチンスタッフ達は、事の重大さに気付き、半狂乱な悲鳴を
上げながら、全員が調理机の下や棚の裏側などの遮蔽物に身を隠す。
「くそっ!」
隙を見て、先程と同じようにナイフやフォークで反撃に転じようとするいづ
みだったが、アハトの射撃は的確で付け入る隙を見出せない。
(こうなったら、リロードの隙を突くしか…)
仕方なく、いづみは手に持った数本のナイフとフォークをいつでも投擲出来
るような構えで持ち、アハトが拳銃に装填されている弾丸を撃ち尽くすときを
待った。
「……」
拳銃のトリガーを、何度も引き絞っていたアハトの指が止まった。
トリガーから返ってくる感触で、拳銃に最初から装填されていた弾を撃ち尽
くしたのが判ったからだ。
「フィーア」
弾の切れた拳銃を無造作に捨てると同時に、アハトはフィーアに目配せする。
フィーアもアハトの意を既に汲んでいたのか、彼女と目が合ったときには、
もう自分の拳銃をアハトに向かって放っていた。
(よしっ!)
いづみは銃撃が止んだのを確認すると、身を隠していた遮蔽物の影から体を
起こし、反撃に転じようとした。
けれども、そんな彼女が見たのは、既に弾の撃ち尽くした拳銃を捨て、新た
な拳銃を仲間から受け取ったアハトの姿だった。
(なっ、速いっ!)
敵の息の合った連携の前に、自分の姿を向こうの射撃線上へ晒す羽目になっ
てしまったいづみは、全身が恐怖で泡立つのを感じていた。
(まずったっ!)
体を流れる血が、一瞬にして凍り付いたかのような冷たさを感じながら、い
づみはアハトの指がトリガーを引き絞るのを見た。
彼女が、もう駄目だと直感的に悟った刹那、物陰から何者かが飛び出す。
「はァっ!」
弓華だった。
彼女は、そばの調理机に重ねられてあった皿の一枚を手に取ると、フリスビー
の要領でアハトに向かって投げる。
「くっ!」
いくら皿とはいえ、当たればそれなりのダメージを負う。
アハトは自分の身を守る為、咄嗟に銃口をいづみから飛んでくる皿に向けて、
引き金を引く。
渇いた銃声と甲高い破砕音が同時に聞こえ、弓華の投げた皿はアハトに命中
する前に空中で粉々になった。
「はっ! はっ! はぁっ!」
更に弓華は、アハトに休む間も与えず、次々と皿を投げてくる。
「ちっ!」
その度、自分目がけて飛んでくる皿を、撃ち落としていくアハト。
的確にアハトへと狙いを付けて、素早く皿を飛ばしていく弓華の技術には目
を見張るが、一方、飛んでいる皿を空中で撃ち落とすアハトの技量も驚くべき
物だ。
しかしこの勝負、アハトには分が悪かった。
恐らく彼女の腕を持ってすれば、飛来する全ての皿を撃ち砕くことは可能だ
ろう。
だが、このまま撃ち続けていたのでは、いずれ拳銃の弾が切れてしまう。
対して、向こうは厨房という地の利を考えると、投げる物は皿の他にも色々
あるのだ。
物量で考えれば、弓華の方が有利なのは目に見えて明らかだ。
「ちっ…」
アハトは舌打ちしながら、厨房の入口から離れた。
「いづみ、大丈夫でスか?」
アハトが身を引くのを確認すると、弓華は背を低くしながら、いづみのそば
まで小走りで近寄る。
「ああ、サンキュ弓華。助かったよ」
弓華がアハトの気を引いてくれたおかげで、いづみは彼女に撃たれることな
く、再び遮蔽物の影に身を隠していた。
「しっかし、随分と無茶苦茶なことしたな…」
隠れている遮蔽物から頭を少しだけ出し、入口の様子を窺う。
そこには、無惨にも粉微塵に砕かれた皿の残骸が無数に転がっていた。
(はは…こりゃやっぱり、弁償しないと…まずいよなぁ…)
割れた皿など、破壊された備品の弁償、銃撃で付いた壁の傷の修繕や清掃作
業費など、請求額はかなりな額になりそうな予感に、いづみは苦笑する。
(始末書、何枚くらい書く羽目になるのやら…ん?)
そのとき横にいる弓華が、なにやらうずくまりながら、ごそごそと手を動か
しているのに気付き、いづみは声を掛けた。
「弓華、なにしてんだ?」
「はイ、これデす」
いづみの問いに、弓華は笑顔で、とある物を掌に乗せて見せた。
「これ…って! 手榴弾じゃないか!」
それは、一個の手榴弾だった。
「ハい。こレで彼女らヲ炙り出しマす」
「ぶっ! そ、そんな物騒なもん、使えるわけないだろっ!」
しかし、弓華はいづみの制止も聞かずに手榴弾に刺さっている安全ピンを引
き抜き、「えイっ」と入口の方へ向かって放り投げた。
「うわあぁぁぁっ! ば、馬鹿っ! なに投げてんだよぉぉぉっ!」
両手で頭を押さえながら、青い顔で軽い錯乱状態に陥るいづみ。
そんな彼女に、弓華は「大丈夫でス」と人差し指を立てながら、得意げに言
った。
「あレは中からベアリングを抜いテ、火薬の量を調整しテありますカら、殺傷
能力はナいです」
「そ、そうなのか?」
「ハい、ただ…」
「ただ…なんだ?」
そこで弓華は、まるで悪戯好きの子供のような顔で、楽しそうに笑った。
「ベアリングの代ワりに催涙系の刺激物質を、たくさン、たクさん仕込デであ
りマすから、爆発しタら大変なことニなりマす…うふふ」
15:51
すかいてんぷる 関係者通路
The SKY TEMPLE person concerned passage 15:51 PM
フュンフら三人が関係者通路に入って間もなく、奥へと繋がっている曲がり
角の向こうが閃光で一瞬輝き、次いで小さな爆発音がした。
「うわっ!」
「くっ!」
「きゃあっ!」
そして聞こえるフィーア達の悲鳴。
「フィーア! アハト! ノイン!」
フュンフは、大きな声で三人の名を呼ぶ。
だが、返事は返ってこない。
その代わりに、「あははははっ!」と、何故か三人の大きな笑い声。
それも、腹の底から笑っているような。
フュンフ達は一旦その場に立ち止まり、怪訝な表情で顔を見合わせる。
すると、なにやら奥の曲がり角の向こうから、極彩色の煙が物凄い速さで溢
れ出て、彼女らをあっという間に包み込んだ。
反射的に口元を覆い、背を低くするフュンフ、ズィーベン、ゼクスの三人。
「ぷっ!」
不意にそのとき、ゼクスが吹きだした。
「ゼクス?」
「どうしたんですか?」
ゼクスはフュンフとズィーベンの問いには答えず、それどころか腹を抱えて
笑いながら、その場で転げ回る。
「あはっ! あははははっ!」
「ちょ、ちょっとゼクスぅ…ぷっ! きゃはははっ!」
今度はフュンフが、突然笑い出す。
まるで、ゼクスの笑いが伝染したかのように。
「フュンフ? っ! まさか、この煙が…」
突如、気が触れたかのように笑い出す二人の仲間。
その原因が、この極彩色の煙にあるのではとズィーベンが思った時、彼女の
心の奥底から、どうしようもなく笑いたい衝動が溢れてきた。
(いけない! 逃げないと!)
咄嗟に身の危険を感じたズィーベンは、素早く煙の充満している通路から逃
げ出そうとしたが、残念ながら遅かった。
「くっ…くっくっくっ…あははははっ!」
フュンフやゼクスと同じように、その場で激しく笑いながら、のたうち回る
ズィーベン。
一体、なにがそんなにおかしいのかも判らずに。
そして極彩色の煙は、更なる獲物を求めてか、通路から表の客席の方へと広
がっていった。
15:52
すかいてんぷる 厨房内
The SKY TEMPLE in kitchen 15:52 PM
厨房には例の極彩色した煙が溢れ、室内は笑い地獄と化していた。
「あはははっ!」
「ゲラゲラゲラっ!」
「ひーっ! わ、笑いが止まらないーっ!」
キッチンスタッフ達は、そこかしこで、文字通り腹が捩れるほどに笑い続け
ていた。
そして、笑い狂う人々の中には、いづみと弓華の姿もあった。
「あはははっ! 弓華、な、なんでこんなに可笑しいんだ? あはははっ!」
「ぷっ…くくくっ! す、すイませン、いづみ。ど、ドうやラ、さッきノ手榴
弾に仕込んデいたのハ、涙が止まラなくなるヤツじゃなクて、笑いガ止まラな
くなるヤツだっタみたいデす。あははははっ!」
「あはははっ! なんだって? そ、そいつは…ひーっ! わ、笑い過ぎてお
腹が痛いっ!」
「し、しカも…あははっ! 調合をミスったミたいデ、物凄い量の笑気物質ガ
溢れちゃっタみたいでス…あははははっ!」
「あはははっ! そ、それは大変だ…あはははっ!」
「あはははっ! た、大変デす…あはははっ!」
15:59
すかいてんぷる 3番テーブル
The SKY TEMPLE 3rd table 15:59 PM
ビールの入った大ジョッキを片手で持ち、豪快に中身を飲んでいく真雪。
「…グ…ング…ング…っぷはぁっ! くぅぅぅぅぅっ! やっぱり昼間っから
飲むビールは最高だな、オイ! …って、あれ? 神咲? どこ行った?」
飲む手を休め、口元に残ったビールの残滓を手の甲で拭いながら一呼吸入れ
たとき、つい先程まで同じ席に着いていた薫の姿がないことに気付いて、真雪
は辺りを見回す。
「…お、いたいた」
探していた相手は、すぐに見つかった。
薫は中央の通路で、霊剣――御架月を構えながら、例の血生臭い出で立ちを
した少女と対峙していた。
「は、相変わらず真面目な奴だなぁ、神咲は…。そういうとこ、ホント、変わ
ってないのな…」
真雪は何処か懐かしそうに、そして嬉しそうに笑った。
彼女が思うに事の運びは、突如出現した魔法陣と、そこから現れた尋常なら
ぬ格好の少女に、ただならぬなにかを感じた薫は、その性格上、居ても立って
もいられず、場を収めようと御架月を鞘から抜き放った、といった具合だろう
か。
「ふむ…」
ずれた眼鏡を掛け直して、改めて二人を値踏みするように見る真雪。
薫の腕前は知っている。
しかも、一緒にさざなみ寮で暮らしていたときよりも強くなっているのが、
今の構えから窺えた。
一方の少女だが、真雪の見積もる限り、これまたかなりの使い手のようだ。
彼女の唇が楽しげな形を取る。
「…つまり、なかなかの好カードってことだな。…酒の席で、まさかこんな余
興が楽しめるなんてな。ラッキー、ラッキー…ふふふ…。あ、ネタにも使える
な…メモっとこーっと」
懐から取り出した一冊の手帳に、なにやらペンをスラスラと走らせたあと、
真雪は豚キムチを一口つまみ、その程良い辛さを味わってから、ビールで胃の
中へ流し込む。
「くぁぁぁぁぁっ! どうして豚キムチってぇのは、こんなにビールに合うか
のねぇ」
16:00
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 16:00 PM
互いに刀を構え、相手の挙動に全神経を集中している薫と平。
薫は右半身で立ち、手にした霊剣の切っ先を相手に向けていた。
一方の平は、右半身で立っているのは薫と一緒だが、得物である斬馬刀を、
自分の斜め後ろへ流すように下段で構えていた。
(この娘…かなり出来る…)
と薫。
(この人…なんか強そうだよねぇ…。ちょっとヤバい?)
と平。
両者は、いつでも相手に斬りかかれる状態にいながらも、全く動けずにいた。
その緊迫した様子は空気中を伝播していき、二人を見守る周囲の人々にも、
息苦しさに似た、ある種の圧迫感を与えていた。
(…けど、このままじゃ埒が明かんね…。そろそろ仕掛けるか…)
薫が、凝り固まった筋肉をほぐすように、大きく呼吸する。
(来るっ!)
直感的に、平は薫が斬りかかってくるのを察知した。
斬馬刀の柄を握る手に、自然と力が籠もる。
「いやあぁぁぁっ!」
その刹那、薫の足は床を蹴り、彼女は疾風の如き速さで平に向かっていった。
16:01
すかいてんぷる 7番テーブル
The SKY TEMPLE 7th table 16:01 PM
店の中で始まった薫と平との、まるで時代劇の1シーンを彷彿とさせる剣劇
を、奈々坂学園の関係者達は、シートに身を隠しながら眺めていた。
背を低くし、隠れるように見ているのは、勿論とばっちりを受けないためだ。
「な、なんだか、凄いことになってるわねぇ…。けど、ふふ…」
口では驚いていながらも、その瞳は突然沸き起こった非日常的な出来事に、
喜々と輝いている初子。
「ういちゃん、ここは逃げた方がいいんじゃないカナ?」
彼女の隣で、若菜が顔を不安に曇らせながら、初子の袖をクイクイと引く。
「あん? なに言ってんのよカナ! これはチャンスなのよ! こんな迫力満
点のチャンバラシーンなんて、京都の太秦撮影所か日光江戸村でも行かないと
見られないんだから!」
「ういちゃん…目が燃えてるんじゃないカナ」
「あったり前でしょ! やっぱチャンバラは時代劇の華! 日本が世界に誇る
エンターテインメントよ!」
拳を握りしめて、興奮気味に力説する初子。
若菜は親友の背後に、燃え立つ真紅の炎を見た気がした。
「でも、命あっての物種だと思いますし、ボクもここは逃げた方が…」
若菜とは初子を挟んで逆の位置にいた鞠音が、苦笑を浮かべながら言う。
「私も、そう思うぞっっっ!」
「ああ、俺も同感だな。ここは『三十六禽鳥獣占い』ってヤツだ」
「オミくん、それを言うなら『三十六計逃げるに如かず』だぞっっっっっ!」
更に鞠音の向こうで、涼香と靖臣が、漫才さながらのボケツッコミを演じて
いた。
「くしゅっ! み、みなさんっ! なにボーっと突っ立ってるんですっ! 一
刻も早くここから逃げ出さないと!」
そのとき、一同の背後から聞こえたひよりの声に、全員が後を振り返る。
皆の視線の先では、やや錯乱したひよりが、店内に備え付けてある観賞用の
植物に向かって必死に話しかけていた。
どうやら、その植物を生徒達と勘違いしている様子だ。
「ひよりん先生…それ、ただの木です…」
「くしゅっ!」
ひよりの横にいた子鹿の冷ややかな指摘で、彼女は我を取り戻す。
「くっ…ボケっぷりで負けた…。さすがだよ先生。やっぱ天然系は強いな…」
床に両膝を付き、項垂れる靖臣。
ひよりの天然ボケ攻撃で、クリティカルなダメージを被ったのだろう。
「そんなことないぞっっっ! オミくんのボケっぷりも、全然負けてなかった
ぞっっっっっ!」
落ち込む靖臣の傍らにしゃがみ込み、肩に手を置きつつ、励ますようにして
顔を覗き込む涼香。
「すずねえ…俺…」
「なんにも言わなくていいぞっっっ! おねえちゃんは、いつだってオミくん
の味方だぞっっっっ!」
「すずねえっ!」
「オミくんっ!」
がっぷり抱き合う靖臣と涼香。
ああ、美しきかな姉弟愛。
「ま、それはそれとして…」
靖臣達の横にいた忠介が、いつもの口調で話を流れを変える。
「この場から逃げ出すとしても、彼女のことはどうするんだい?」
そう言って、忠介は空中を指さす。
彼の指が指し示す先には、空中に浮いた状態になっている晴姫の姿が。
「確かに佐久間のことを、このまま捨てておくってわけにはいかないわよねぇ」
顎に手を当て、困ったように「うーん」と唸る初子。
「けど佐久間先輩を助けようにも、あのチャンバラ劇をどうにかしないと駄目
なんじゃ…」
「止めるのは難しいんじゃないカナ?」
鞠音、若菜の言う通り、位置関係上、晴姫を助けようにも薫と平の斬り合い
が邪魔となり、迂闊には手が出せない。
いや、手が出せないどころか、下手に手を出そうものなら命すら危うい。
それ程、二人の斬り合いは凄まじい物だった。
「ふふ、その辺は心配ご無用だ、皆の衆」
我に策ありと、自慢げに胸を反らす忠介。
「こんなこともあろうかと、実は今日、密かに開発しておいた荷電粒子ビーム
砲を持ってきてあるのだよ!」
忠介は愛用の白衣を翻すと、何処からともなく、その荷電粒子ビーム砲とや
らを取り出して、一同に披露する。
「おおっ!」とざわめく初子達。
しかしそれも束の間、すぐさま「おおっ?」と疑問混じりのイントネーショ
ンに変わった。
「…これがぁ?」
「…これが…ですか?」
「…本当なのカナ?」
三人が首を傾げるのも無理はない。
忠介が取り出した虎の子である荷電粒子ビーム砲とやらは、何処からどう見
ても、脇に縦笛が突き刺さった、真っ赤な色のランドセルにしか見えなかった
からだ。
「うむ、このランドセル部分が粒子加速器となっていて、この縦笛が砲身だ。
制作上苦労した点は、やはり粒子加速器の大きさだったよ。それを、なんとか
このサイズまで…」
作っている時を思い出してか、瞼を閉じ、しみじみと語り始める忠介。
ちなみに、語りの内容は専門過ぎて、初子達には半分以上理解できなかった
が。
「とにかくこれを使えば、あのチャンバラしている二人と、攻撃力の面で互角
に渡りあえるってことだよな? 忠介」
いつの間にか忠介の横に来ていた靖臣が、話をまとめる方向へ持っていく。
どうやら、ダメージは涼香の励ましによって癒されたようだ。
「ああ、その通りだ」
靖臣の方へ僅かに向き直り、頷く忠介。
「じゃあ話は早い、早速使おうぜ。はい、カナ坊」
「え?」
そう言うが早いか、靖臣は若菜の背後に回り込むと、彼女にランドセルを担
がせる。
真っ赤なランドセルは、なんの違和感もなく、そこが最初から収まるべき場
所のように、彼女の背へフィットした。
「ぷっ!」
実は勢いで担がせては見たものの、その恐ろしいほど似合うランドセル姿に、
思わず吹き出す靖臣。
「な、なんでわたしが担ぐのカナ? 担ぐのカナ?」
「いや、なんとなく…つうか、この面子でランドセルが似合うのって、お前だ
けだし…。とは言え、ま、まさか、ここまで似合うとは…ぷっ…くくく…」
「あ、笑ってる! …うう、酷いんじゃないカナ? あんまりなんじゃないカ
ナ?」
「す、すまん…。けど、これは…くっ…くくく…」
「うわーん! 靖臣くんの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿マンドリン!」
涙目で、靖臣をポカポカ殴って抗議する若菜。
「うわっ、いてっ! ば、馬鹿、やめろって…ぷっ…くくくくく…」
「うわーん! また笑ってるーっ! ういちゃん達も、なんか言ってよ、言っ
てよ」
靖臣を責める手を休めずに、初子達へ救いを求めるような視線を投げかける
若菜だったが、悲しいかな、大親友も可愛い後輩も、笑いを堪えるのに必死だ
った。
「ぷっ、ゴ、ゴメン、カナ…くくく…。な、なんだか妙に可笑しくて…ぷっく
くく…」
「ボ、ボクも…ぷっくくく…。な、なんだか…笑いが止まらなくて…くくく…」
「うわーん、みんな酷すぎるんじゃないカナ!」
更に追い打ちを掛けるように、忠介も、涼香も、ひよりも、果ては、実際に
ランドセルを背負っている年齢の子鹿までもが大笑いしていた。
「はっはっはっ、信じられないくらい似合っているねぇ、楠君は…」
「こ、こら、駄目でしょ江ノ尾くん! そんなこと言っちゃ…ぷっ…ご、ゴメ
ンね、若菜ちゃん…なんだか急に…あは…あはははははっっっ!」
「くしゅふふふっ! ご、ごめんなさい、楠さん…くしゅふふふ」
「あはははっ! 物凄く似合ってる風味ですっ! カナ坊さん!」
この世に神も仏もあったものか。
高校生にもなって、ランドセルが似合うと言われて嬉しいはずもなし。
しかも、小学生にまで「似合う」と褒められてしまうとは。
『嗚呼、悲しきカナ坊』と、思わず韻を踏んでみたくなるほどに哀れすぎる楠
若菜。
「よし、今日からお前はカナ坊改め『カナ坊キャノン』だ! ぷっくくく…カ
ナ坊キャノン…あはははっ! わ、我ながら良くできたネーミングだ! あは
ははっ!」
「そんな名前、ちっとも嬉しくないんじゃないカナ!」
「ちなみに、この縦笛部分がキャノンたる所以だぞ。あっははははっ!」
「うわーん! そんなの聞いてないんじゃないカナ!」
その場にへたり込み、若菜はわんわん泣く。
「馬鹿馬鹿馬鹿ぁっ! あはははっ! みんなみんな大っ嫌いっ! あははは
っ! うわーんっ! あはははっ! うわーんっ! あはははっ…」
そして、いつしか彼女は大泣きしながら、何故だか理由も判らずに大笑いし
ていた。
泣いたり笑ったり、泣いたり笑ったりを延々繰り返す若菜。
関係者通路から溢れ出た、弓華特製の『笑いが止まらなくなる煙』の影響が、
徐々に店内へ広がり始めていた。
16:12
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 16:12 PM
「はあっ!」
平は、手にした斬馬刀を右から左へ薙ぐ。
それを薫は、身を沈めて躱した。
「たあっ!」
次に返す刀で、左から右へと滑らせる平。
が、これも薫は後へ飛び退いて躱す。
「いやあっ!」
今度は刀を大きく振りかぶり、斬馬刀の重さを活かしつつ、平は上段から一
気に振り下ろした。
しかし、刃は平が振り下ろす直前に体を左へスライドさせた薫を捉えること
は出来ずに、重い破砕音を立てながら床へとめり込む。
「あっ、まずった!」
自分の得物が床にめり込み、自由を奪われてしまったことに、平の表情が強
張る。
そこを薫が突いた。
「はあああっ!」
薫は平に向かって、左斜め下から掬い上げるように、手に持った霊剣で斬り
上げる。
「なんのっ!」
しかし平も然る者。
薫の繰り出した斬撃を、やや大げさとも言える動きで横へ躱し、その反動で
床にめり込んだ斬馬刀を無理矢理引き抜いた。
脱走隊士とは言え、さすがに幕末の京都を震撼させた新撰組の一員。
実に闘い慣れしている。
「よっと…」
得物の自由を取り戻した平は、薫との接近戦を嫌い、一旦間合いを取る。
長い刀身を持つ斬馬刀は、近接戦闘に向かないためだ。
「逃がさんねっ! はあっ!」
だが、薫が相手の有利な間合いを、そう易々とは取らせる筈もなく、彼女は
すぐさま平との距離を詰め、牽制の小振りを繰り出す。
「くっ!」
それを、なんとか刀身の、柄に近い部分で受け止める平。
鋼と鋼のぶつかり合う音がした。
「ぐ…」
「んぎ…」
そのまま、鍔迫り合いの形で固まる二人。
けれども、膠着状態はいとも簡単に崩れた。
鎬を削り合う刀越しに睨み合っていた薫と平だが、両者は突然、「ぷっ!」
と吹き出し合う。
「ぷっ…くっ…くくく…あははははっ!」
「く…くはは…きゃははははっ!」
互いに手にしていた得物を落とし、その場に屈み込んで、腹を押さえながら
大笑いしだす二人。
「え? え? か、薫様?」
主が突然見せた狂気じみた行動に、御架月が刀から実体化してきた。
「あはははっ! み、御架月! な、何故だか知らんけど、む、無性に可笑し
くて…あはははっ! わ、笑いが止まらんね! あはははっ!」
そんな御架月の肩をバンバン叩きながら、涙を流しつつ大笑いを続ける薫。
ここにも、例の『笑いが止まらなくなる煙』の影響が出てきていた。
しかし霊体である御架月が、そんな煙の影響を受けるはずもなく、彼は薫に
肩を叩かれながら、どうして良いか判らずに、また、何故薫が笑い続けている
のか判らずに、困惑の表情を浮かべるだけだった。
「わーん! 薫様が…薫様が壊れたーっ!」
16:17
すかいてんぷる 14番テーブル
The SKY TEMPLE 14th table 16:17 PM
狂気じみた笑いに包まれている店内の様子を、柚と志郎はボンヤリと眺めて
いた。
「なにやら、凄いことになってるのだー」
「店内は、言うなれば笑いのメイルシュトローム状態ですな、柚さん」
「今ならきっと、どんな些細なことでも大受けするのが鉄板状態なのだー」
「鉄板…いわゆる、確定の意ですな」
「それでは近衛柚! いっちょ行かせてもらうのだー」
「どんと行っちゃってください」
「ゆずゆずの、本当にあった怖い話コーナー…ヒュードロドロドロ…」
いきなり、声のテンションを落とす柚。
「か、怪談ですか?」
なまじ霊体であるだけに、醸し出される雰囲気は某芸能人をも上回っている
んじゃないかと、そんな考えが志郎の頭をよぎる。
「あの世の話を…してあげるのだ…」
ゴクリ、と志郎の喉が鳴った。
「あのよー…」
「ぐあ…ベッタベタ過ぎて、僕の気分が滅入るシュトローム…」
しかし、店内は大笑い。
「あっははははっ!」
「ひーっ! お、可笑しいよぅ!」
「きゃはははっ! お腹が…お腹が捩れるぅぅぅっ!」
「だはははっ! ひーっ! 苦しいぃぃぃっ!」
「もう…もう助けてくれぇぇぇっ! ぎゃはははっ!」
無論、それは柚の小ネタが面白いわけではなく、例の煙が原因なのだが。
更に付け加えるなら、そもそも霊体である柚の声が常人に届くはずもないの
だが、当の彼女はご満悦だった。
「予想通り、大受けなのだー」
「まあ、それはそうなんだけど…。い、いいのか? こんなんで…」
「これで、いいのだー。うーうーうー♪」
16:21
すかいてんぷる 関係者通路
The SKY TEMPLE person concerned passage 16:21 PM
ブラウン運動により極彩色の煙が客席に向かっている中、一人その中を悠然
と逆行する影があった。
月瀬寧々だった。
怪しげな粉によって死の淵から生還した彼女にとって、この程度の笑気物質
など食後のコーヒー程度の刺激物でしかない。
「あははははっ!」
「きゃははははっ!」
「ぷっ……うぷっ……あは……」
通路で笑い転げていたフュンフ、ゼクス、ズィーベンの3人は揺らめく煙の
向こうから現れた人物を見て驚いた。彼女が日本でもあまり見かけられないキ
モノを着ていたからでも、何か…いや誰かを引き摺っていたからでもない。
「あら…こんにちは。おいしそうな子たち」
寧々の敵意も害意もない満足そうな笑みがズィーベン達を凍りつかせた。も
っともそれでも彼女達は笑い続けていたのだが。
獰猛な虎が狩った獲物に食べ飽きて、今日はまだ狩らない小動物を見ている
ようだ、とゼクスは思った。ワタクシたちも薬物耐性を鍛えているというのに
この有様。それを全然平気だなんて…とズィーベンは驚愕した。フュンフは寧
々の土色の肌を見て、舐めたらショコラーデの味がするのかとチェキした。
『姉チャマの肌って、とっても甘いですっ!』
『ふふふ、いいのよ。心ゆくまでお舐めなさい』
『姉チャマッ! 姉チャマー!』
「あははふゅんふふふ、ひゅひゅひゅ、フュンフッ!!」
フュンフが気が付くとズィーベンが笑いながら自分の身体を揺さぶっていた。
「「「あはっ、あはっ、あははははははっ!! 撤収ぅはははははっ!!」」」
本能的に危険を感じ取った3人は笑いの呼吸に合わせて寧々から跳びずさり
ダッシュで奥へと逃げた。それほど、フュンフたちは寧々を危険だと判断して
いた。ゼクスは、ドライの歯止めのなさよりも恐ろしいと感じた。ズィーベン
は、クロウディアのF40よりも近づきたくないと思った。フュンフは、リズ
ィの角刈りよりも威圧感を受けていた。
「あらら…」
寧々は逃げる彼女達を見ながら、それだけ呟き、自分も彼女たちと同じ方向
へ歩みを進める。目指しているのは関係者用出入り口。獲物を捕らえた以上、
もう寧々にはココにいる意味がなかった。由女や陽子、それに使役怪人のこと
もいまはいい。
「餌をあげなくても、もう死ぬことはないでしょうし」
「うう…」
寧々の腕の先で意識を失っていたへーが短く唸った。そう、彼女が引き摺っ
ているのは先程召還儀式によってすかいてんぷるに転送された藤堂平であった。
「……こ、此処は?」
「あら気が付いたの?」
「此処はどこだったかなぁ? くぷぷっ…」
へーが思わず笑い声をあげる。もちろん、何が面白いわけでもなく弓華特製
ガスのためである。ただ、瀕死状態のため笑うのさえ彼女にとっては命賭けの
行為だった。
「貴女はこれから私の愛玩(哀願)動物になるのよ」
「う〜ん、やっぱりこうなっちゃうのかなぁ…あはは」
「よく考えてごらんなさい。何故、私が貴女を選んだのかを。貴方、この世界
の人間ではないでしょう? つまり、貴女には戸籍もなければ、人権もないの
よ」
「其れはつまり…」
「つまり、一生私のフィギィアを作り続けるのよ。見てらっしゃい、陽子!!」
「不毛なわけで」
「うるさい、うるさい、うるさい、お黙りっ!! いいわ、そういうワカラン
チンには私の最高ギャグを聞かせてあげるわ。わかるわね、この状態で大笑い
したらどうなるかわからないわけではないでしょう?」
ごくり。
へーの喉が鳴った。それでも、笑いながら最後を迎えられるのは、かつての
仲間に斬られるよりもいくらか気が楽だと他人事のように彼女は思った。
寧々の顔が真剣味、というか額に縦線が何本も入っているかのような暗い…
そう、生まれながらにして不幸のオーラを背負い込んでいるようなそんな顔に
変化していくのをへーは見た。それは例えば、そんな人が婚礼の祝辞を述べよ
うものなら親族一同いたたまれない気持ちになるようなそんな顔だった。
「梶芽依子のビューティクリニック」
「…………あはは」
マイナーすぎてわからなかった。
というか、幕末剣士が知るはずがなかった。
ちなみに『梶芽依子のビューティクリニック』は極普通の化粧品宣伝番組な
のだが、女囚さそりの梶芽依子が抑揚のない暗いトーンで紹介するため、ある
意味『あなたの知らない世界』よりも怖い番組だ。
「いいのよ、いいのよ、私なんて…」
「あの…あはははは、あははははははははははははははっ――ごふぅ!」
へーは笑った。それがあたりに漂う極彩色の煙のせいか、隊を抜けても生き
ている自分の悪運に対してなのか、目の前の異世界の女性に対しての同情なの
かはわからなかったが。そんでもって笑いすぎて、吐血した。
「あはは…ごふっ、あはははははははは…ごふぅ!」
「ふふ、面白かった? そうそれはよかったわ」
言いながら、へーの口元を自分の着物の裾で拭ってやる寧々。
そして満足したように再び、へーを引き摺って歩きだす。
「心配しなくてもいいわ。私は動物にはやさしいの。…ただし、実験動物だけ
どね……」
「実験って言葉が付いているのが、不憫だなぁ」
「うふふふふふ…」
寧々は笑った。
久しぶりに心の底から。そして、武闘派宗教団体を作るのも悪くはないと思
った。しかし、それが実現するのはこれよりずっと先の話である。
16:32
すかいてんぷる 16番テーブル
The SKY TEMPLE 16th table 16:32 PM
「お兄ちゃん、お財布とってきたよ〜」
「いひゃひゃひゃひゃひゃ…ご、っくろうぉははははっ!!」
すかいてんぷるに流菜が戻ってきたとき、店内はいまだ笑いの渦がとぐろを
巻いていた。
「どうしたの? お兄ちゃん!?」
「はい、ご主人サマは食べ過ぎです」
メムの言葉をアムネジアの風で吹き飛ばし、流菜は天井に浮かぶ奇妙な図形
に目を向けた。
16:34
すかいてんぷる 3番テーブル
The SKY TEMPLE 3rd table 16:34 PM
真雪はニヤニヤ笑いながら、やはり天井の魔法陣を見つめていた。その図形
の両端には『いらっしゃーい!!』とポーズをとっている志郎と柚の姿があっ
たが、それは本筋とは関係ないので省略する。
放置という名のオキシジェンが、僕の原動力さ。
そう、僕は愛のミトコンドリア。
北倉志郎全集 『こころのヨードチンキ』より
「うーうーうー(哀愁の歌)」
「まっ、それはさて置いてだ」
煙草を吹かしながら、真雪は店内に立ちこめていた笑いの元凶であると思わ
れるサイケデリックな色をした煙が徐々に薄くなっているのに気が付いていた。
「アレが吸い込んでいるっぽいよなあ」
「召還儀式にはやはり、生贄が必要ですな、はーっはっはっは!!」
真雪の隣にはいつの間にか、白衣を着た怪しげな学生……もとい、江ノ尾忠
介が居た。
「生贄かあ、つーことは未通の淑女ってわけか? ははん」
十年来の友人に話すように気軽に答える真雪。
「それは問題ですね。みんながみんな3クリックで悶えるような人達ですから
…ふははははははははっ!!」
「ん? なんだそりゃ? つーか、そういうボウズは誰だ?」
吸い殻を灰皿に押しつけながら、真雪はやっぱりニヤケながら訊く。
「フフフ、申し遅れました。正しきマッドサイエンティスト学生こと、江ノ尾
忠介です。忠介とお呼び下さい、草薙まゆこさん」
真雪の眼鏡のレンズが不自然にキラリと光った。
「それとも……草薙まゆこさんとお呼びした方がよろしいですかな?」
「いっしょだ!!」
「「はーっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!」」
「僕は反逆とか謀反とかいう言葉が大好きです、ふははははっ!!」
「あたしはセクハラと酒と煙草が好きだね。それにしても……只者じゃないな、
ボウズ。くっくっくっくっく…」
「まゆさんも……フフフ」
本筋とはやっぱり関係ないところで奇妙な友情が生まれつつあった。
16:36
すかいてんぷる 壁際
The SKY TEMPLE outer wall 16:36 PM
「ふっ!! ふっ!! ふっ!! ふっ!! ふっ!!」
笑いの呼吸に合わせて腹筋をする崎山健三の姿があった。
「みゅー〜…」
眠い目を擦りながら、椎名繭がその側に歩み寄る。
「はは…これですか? いえ、来るべきリベンジの日に備えて体力増強をと思
いまして」
「みゅー?」
「はははは……こうしていると娘が帰ってきたみたいですねぇ……ははは、こ
んなに可笑しいのにどうして涙が出るんでしょうか…ふふふ」
やっぱりこれも本筋とは関係ないので省略する。
「そんなっ!?」
「みゅー!!」
16:40
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 16:40 PM
すかいてんぷるの天井に描かれた魔法陣は、今や誰の目に明らかな変貌を遂
げていた。
その図形が一段と輝き、真ん中の暗雲が大きくなっていた。しかし、もっとも
大きな変化はそれが辺りの空気を吸い込みはじめていたことだった。
「んあ? あたしはどうしてたさっ? ……あっ」
「孝之さんがっ!! 孝之さんがっ!!」
召還儀式の呪縛から解放された大空寺あゆが見たものは、ゆっくりと天井の
魔法陣に吸い寄せられている鳴海孝之の姿だった。
「天に召されて行きますぅ!!」
「まだ、死んでないさ、まゆまゆ」
「先輩っ!! 素敵なパンツでしたっ!!」
「…………。とりあえずあの男を助けるさっ」
「御意っ!!」
「ぐああああぁぁ、お姉ちゃ―――――――――――――――――ん!!」
「オミくん、今助けるぞっっっっっっっっっ!!」
目を覚ました佐久間晴姫が最初に目にしたのは、天井へと吸い寄せられてい
く新沢靖臣と、植木と相撲をとっている涼香の姿だった。
「あ、投げ飛ばしたわ」
「うっちゃりじゃないカナ? うっちゃりじゃないカナ?」
初子と若菜の言葉を聞いて、晴姫はダッシュした。
――あたしが新沢を助けるわっ!!
「みなさん、ピンチ風味です!!」
「ボクがすず先輩の代わりにオミ先輩を助けます!!」
「くしゅ……みんなが一つになって先生なんか感激ですー」
その他、脇役も靖臣救出に燃えていた。
「くしゅぅぅぅぅ〜〜」
「フェードイン〜 フェードイン〜 たちまち あふれる神秘の力ぁ〜♪ ゆ
け ゆけ勇者ラ○ディーン ラ○ディーン♪」
「折原? なにしてるのかしら?」
七瀬留美は自分の見たものを理解するのに、少々時間を要した。それはまる
でスカイダイビングをしているように手足をひろげた浩平が、ゆっくりと天井
に吸い寄せられていたからだ。
「七瀬さん、大変だよ。浩平が、吸い込まれていくよ」
「えっ、そうなの? 本人に危機感ないみたいだけど…」
すかいてんぷるの店員…もとい、制服を着た瑞佳の言葉にも留美は浩平のピ
ンチを実感できずにいた。
「そんなことないよ。七瀬さんの知ってる浩平のことを思い出して。どんなだ
った?」
「そうね……人をおちょくるのが大好きで、その為には自分も周りの人も顧み
ないヤツね」
「ほら!! そんな感じだよね?」
「そうそう、そんなヤツよね。まったく、本心がわかりにくくて――」
「オマエら、談笑してないでさっさとオレを助けてくれっ!!」
瑞佳と留美が話に夢中になり始めたのを見て、堪らなくなったのか当の浩平
が叫んだ。
「「あ…」」
16:42
すかいてんぷる 天井
The SKY TEMPLE ceiling 16:42 PM
ふと周りを見渡すとオレだけじゃなく、すかいてんぷるのウェイターの人や
ら、恐らくオレと同い年くらいの”美人系”青年も同じように天井の図形に吸
い寄せられているようだった。不思議なことに風はまったくと言っていいほど
吹いていないし、さらに――
「風もないのに、ぶーらぶら♪ なのだー」
などといういかにも恐ろしげな唄……いや、呪詛まで聴こえてくる有様だ。
「浩平〜、ほら手をのばして」
「折原! ほら、つかまりなさいよ」
呼ばれて下を見ると、心配げな顔をした長森と何かを堪えているような顔を
した七瀬がオレの方へ手を伸ばしている。
「七瀬!!」
オレは迷わず七瀬の方へ手を伸ばした。やはりここは七瀬だろう。長森だと
インパクトが弱いからな。
「折原、もうちょっと…」
アーマードという名がよく似合いそうなやたらと飾りのついた服を着た七瀬
が、つま先立ちでもしているのか震えながら手を伸ばしてくる。……あと10
cm……5cm……オレはちらりと長森を見る。自分がやっているわけでもな
いのに、握りこぶしを作って『もうすこしだよー』などと応援していた。よし、
そろそろ頃合か。オレは息を大きく吸い込んで、力の限りに叫んだ。
「七瀬、ジュテーム!!」
「えっ!!!?」
固まる七瀬にもかまわず、言葉を続ける。
「結婚しよう、七瀬。もしOKなら、この手をとってくれっ!!」
「あ、あたしは……だって、まだ○校生だし……でもなんであたしなの?」
「そ、それはだな、初めて鳩尾に一発くれてやったときの七瀬の反応が可愛か
ったからだ」
「……あのときはしばらく起きあがれなくて大変だったんだから」
ううむ。予想してなかった反応だ。だいぶ乙女が板についてようだな。
「――って、おいっ!! さっさと手をとれ、七瀬」
「……それに何ていうの? そういうことはもっと雰囲気のあるところで言っ
てほしいな」
「道場なんかでか?」
「果たし合いかいっ!!」
「この日の為に開発した必殺技『ごはんと一緒に牛乳を飲む』を破れるかな?」
「――そんな何時の間に……って!! いまどきそんな食べ方する人なんてい
ないわよっ!!」
そう強く主張する七瀬の隣で長森が苦笑いをしている。
「ご飯を食べながら牛乳飲むのは健康にいいんだよ。おいしいし」
「…………ホント?」
「…………信じるな」
などと言っている間にも、オレの身体はどんどん上昇していた。…このファ
ミレスの天井ってこんなに高かったか?
「確かに小学校の給食のとき、ご飯でも牛乳ついてたけど……」
聞いちゃいねぇ……。
「長森、頼む!!」
こうなったら仕方がない。幼なじみ1号の出番だ。ちなみに2号は、最先端
のテクノロジーにより極小化された『なの』マシーンだったりするが、それは
また別の機会にするとしよう。
「えっ、わたし? ライスとミルクを注文すればいいのかな?」
「お前までボケてどうする!! ……お前ら、わざとやってないか?」
「そんなことないよ。浩平がふざけてばかりだからだよ、きっと」
「オレはいつだって真面目だ」
長森はそんなオレの言葉に心底困ったような笑顔をするだけで答えず、懸命
に跳び上がる。が。既にオレの身体は本来天井にぶつかっているはずの高さま
で上がっていた。
「歪んでいる…」
無論、オレの性格がではない。景色が歪んでいた。目に映るすべてのものが
床に落とした粘土のように輪郭が膨らんで見える。真下のあたりはそれほどで
もないが、周辺部に近づくにつれ酷くなっているようだ。
「浩平、浩平〜。届かないよー」
「なんとかしなさいよ、折原〜」
為す術もなくひたすら昇っていくオレの身体。ここは正義のヒーローチック
に仲間に言付けるのが主人公のあり方というものだろう。
「長森」
「浩平…」
「オレの飼っているシーモンキーの世話を頼む」
「しー…もんきー? おさるさん?」
「七瀬」
「な、なによ…」
「お前を勝手に土佐一本釣り部に『ナナちゃん』として登録したのはオレだ。
すまん、七瀬」
とりあえず、このまま吸い込まれてもいいように心のわだかまりを吐き出し
ておいた。下の方で七瀬が何か叫んだような気がしたが、よくわからなかった。
16:45
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 16:45 PM
「オマエくわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
七瀬留美は朝4時頃に見知らぬ男子生徒たちに家に押し掛けられ(全員ベス
ト着用)さらに気安く『ちゃん』付けで呼ばれたあげくに漁船に乗せられ、吐
き気と闘いながらつぶらな目をした魚を釣り上げた日々のことを思い出してい
た。授業には出られないわ、髪はボサボサになるわで大変だった日々を。
『大物を釣るでゴザルよ、ナナちゃん』
『海は男のロマンなんだな、ナナちゃん』
『どうしてっ! あたしがっ! こんなっ!?』
「瑞佳、ヤツを捕まえるわよ、手伝ってっ!!」
「ん、うん。でも、どうするの? 七瀬さん」
「あたしが踏み台になるから、瑞佳はわたしの肩を蹴って跳び上がって。同時
にあたしも立ち上がるからアレくらいの高さなら届くはずよ」
「う〜ん、わたしちょっと自信ないかも」
確かに、よほど運動神経にすぐれた者でなければ無理な話だろう。しかし、
だからと言って簡単に諦める留美ではない。
「このままじゃ折原にまんまと逃げられるわ、悔しくないの?」
「あはは……たぶん、逃げてるわけじゃないと思うけど……うん、でもわたし
やってみるよ」
「そうこなくっちゃ」
早速しゃがみ込む留美。長いスカートのおかげで下着を覗いてしまう心配が
ないのが周囲の者には幸いだった。七瀬留美の下着を見たヤツはもう朝日を拝
めない、と噂されていたので。
「いくよー」
のたのた、という感じで走ってくる瑞佳を留美は真剣な表情で見ていた。見
ながらタイミングを計る。ふくらはぎが微かに震えた気がした。
「あっ…」
「なにっ!?」
目の前で突然立ち止まる瑞佳に、留美は思わず自分でも驚くほどの大きな声
を出した。自分がイライラしているのを留美は感じ取っていたが、それが何故
かはわからなかった。
「やっぱり靴のままじゃまずいよね? 服が汚れちゃうし」
「……なんか」
「なに?」
「瑞佳がずっと折原の世話を続けられた理由がわかったような気がするわ」
「うーん、浩平は誰かがついていないと心配だからねー」
「はあ…」
「なんね、やっぱり七瀬さん、七瀬さんじゃなかっ!!」
呼ばれた七瀬が振り返ると、髪を後ろで結わえ日本刀を携えた少女が立って
いた。
「ん、あたしに日本刀を持った知り合いなんて……いたっけ?」
「ほら、うちようち、神咲薫。覚えとらんかな?」
「ご、ごめん」
留美は必死で思い出そうとしたが、転校してきてからいろいろなことがあり
すぎた為か思い出せなかった。今は乙女街道ばく進中だし。
「よかよか。それよりつい話が聞こえてしまったんだけど、うちに手伝わせて
もらえんかな?」
「え、あ、そりゃ願ってもないけど…」
「それじゃあ、わたしからもお願いします」
留美と瑞佳の返事に頷いて、薫は少し離れたところにしゃがみ込んだ。
「ちょ、ちょっと何してるの!?」
「うちが下になるよ。こう見えてもこの神咲薫はそんなひ弱やなか」
「いや…パンツ…」
が見えてるわよ、と言おうとした留美だったが薫のあまりにも真剣な目をを
見て何も言えなくなってしまった。
「じゃあ行くわよー」
客の誰かが手拍子をはじめた。
違う誰かが手拍子を重ねる。それは瞬く間に留美の周囲を埋め尽くした。
「がんばるるー」
「おっ、こっちでも見せ物やってんのか? おーい、神咲パンツ見えてっぞー」
「怪我をなさらないように」
すかいてんぷるの客たちは肺の中の空気を入れ換えたからだろうか? 不思
議に活力に満ちた表情をしていた。(強制的とはいえ)共に笑い合ったという
一体感がそこにあった。…一部無責任な発言があったが。
「うりゃああああああああ!!」
全力疾走する留美は薫の3メートル程手前で床を蹴り、彼女の両肩に足を載
せるような形になる。薫はその重さに全身が砕けるような錯覚を覚えたが、鍛
えられた足腰は見事にその任をこなしてみせた。
「くっ!!」
「お〜〜〜〜〜〜り〜〜〜〜〜〜〜は〜〜〜〜〜〜〜〜ら〜〜〜〜〜〜〜〜」
薫は肩からすっと重みが消えていくのを感じながら、そっと呟いた。
「またいつか竹刀を交えてみたいもんやね、七瀬さん…」
折原浩平は何かが叫びながら自分の方に向かってくるのを見た。それが七瀬
留美だと気が付いたのは、彼女との相対速度が0に近づいて顔が見えたからだ。
「折原ああああぁぁぁぁぁ、手をおおおおぉぉぉぉぉ!!」
「七瀬!!」
互いに精一杯腕を伸ばすが、あと一歩のところで届かなかった。
「そんな……」
「諦めるな!! 七瀬!! ファイトォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
「いっっっっっっっっっっっぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁつ!!!」
ガッチリと掴み合う手と手。
「――って、何言わせんのよ、折原」
「おお、凄いぞ七瀬。お前の重みで下に降りていくぞ」
「離すわっ、この手を離すっ!!」
「悪かった、すまん。お詫びにこんどキムチラーメンを奢ってやろう」
「いらんわっ!!」
こうして折原浩平は一人の乙女とうさんくさいCMによって救出されたので
あった。
16:50
すかいてんぷる 天井
The SKY TEMPLE ceiling 16:50 PM
「いやあ、いい上がりっぷりよねぇ」
「ニッポンの株価もこれくらい上がってくれれば申し分ないのだけれどね」
下の方で初子と忠介が無責任な発言をしている。コイツラがめげることがあ
るのか誰が教えてくれ。
「はあ、オミくんの成績もこのくらい上がってくれれば…」
俺の足を掴んでいるすずねえの溜息。そう、今俺はすずねえに足を掴まれて
なんとか上昇を免れている。そんでもって、すずねえの足を持っているのが初
子で、その初子の足で首を絞められているのが忠介で、忠介の足にしがみつい
ているのが鞠音で、鞠音の足を引っ張っているのがひより先生だ。ちなみに、
カナ坊キャノンと子鹿、出足が遅れた晴姫はそのまわりでたむろっている。
「くしゅ〜、私の指導がもっと備長炭なら」
「いや、成績の話はいいだろ? というか、すでに灰かよ」
「オミくんっっっっっ! 炭はまだ灰じゃないぞっっっっっ」
すずねえ……ツッコミどころが違う。
「なんだか、ブレーメンの音楽隊みたいじゃないカナ?」
「動物占い風味です」
「わたし、キリンさんがいいな」
「先生は、やっぱりパンダさんですかねぇ」
「ボ、ボクは……」
「靖臣だったら、ゴマフアザラシの赤ちゃんかしらね」
「はっはっは! つい、桜橋先輩の小脇に抱えられてる姿を想像してしまった
よ」
『オミくん、餌の時間だぞっっっっっっっっ』
『キュー!』
『オミくんがとっっっっっても可愛いから、もう一匹オマケするぞっっっっっ』
『キューーー!!』
今と変わりゃしねえ…。
「てーか、早くこの状況をなんとかしてくれ!!」
「靖臣〜、あたしの出番は〜?」
泣きそうな声のした方を見ると、晴ぴーが1人イジケていた。
「佐久間さん、それじゃ先生と一緒に持ちましょう」
そう言って、まりぽんの片方の足を差し出すひよ先生。当然、鞠音の脚は左
右に開かれることになっているっぽい。というか、ここからじゃよく見えない
ぞ。
「あ、ありがとう小泉先生…」
「くしゅふふふ、礼には及びませんよ」
「一件落着カナ、一件落着カナ」
「水戸黄門風味です」
「あの……ボク……ちょっと恥ずかしい………」
うおぉぉぉぉ、どうなっているのかちょっとだけ見てみたいぞ。
「と、懸案が1つ解消したところで、このブレーメン状態の解消方法について
提案したいと思うがいかがかな?」
「忠介、なんか手があるなら早くしてくれ。みんなそろそろ限界っぽいし」
「お姉ちゃんは、オミくんをずっと離さないぞっっっっっっっ!!」
「いやあ、相変わらず熱い姉弟愛よね〜」
「少し意味深じゃないカナ」
「ボ、ボクは……恥ずかしいけど……まだ大丈夫です」
「君たちはホントに面白いなあ。はっはっは」
「誰か、コイツラをどうにかしてくれ」
責任感がありそうだが、事態の混乱を愉しむのが優先している忠介にツッコ
む気力もなく、俺は事態を収拾してくれる第3者の登場を待った。
「ひよりん先生、立ちながら食べるのはお行儀が悪いです」
「くしゅ、ごめんなさい。お腹空いちゃって」
徒労だった。
「楠さんの食べてるケーキもおいしそうですねぇ」
ひより先生のそんな不用意な発言に、ビクッと反応する俺のすぐ下にいるム
ッチャ髪の長い女性。
「お姉ちゃんのケーキ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うわっ、すずねえ何処へ!?」
「ぎゃふ」
「うむ」
「すずせんぱ…きゃ」
「「「「「うわあああああああああ!!!!!」」」」」
すずねえが突然俺から手を離し、途中の者たちを足蹴にしながらケーキに向
かって突進したので下界は大混乱に陥った。
……というか、俺の立場は!?
「オミくんっっっっっ!! はぐはぐ………んぐ、お姉ちゃんが………あむっ
……もぐもぐ………今助けるぞっっっっっっっっっ!!!!」
食べながら言われても説得力ないぞ、すずねえ。
「うわああああ、吸い込まれるぅ!!!!」
「いけない、楠くん。今こそ荷電粒子ビーム砲の威力を世界に示すときだ。さ
あ、あの魔法陣に向けて発射するといい。発射キーは楠くんの声で『先生さよ
うなら、みなさんさようなら』で登録してある」
「どうしてわたしの声で登録してあるのカナ? あるのカナ?」
「カナ、この際そんなささいなことはいいじゃないの」
「それじゃあ、先生もお手伝いしますね。くしゅふふ、それではみなさん車に
気をつけて帰ってくださいね」
「せ、先生さようなら、みなさんさようなら」
ほとんど条件反射でカナ坊キャノンがそう言った途端、ランドセルがものす
ごい発光を始めた。
――おいおい、本当に大丈夫なのか忠介!?
「さあ、いまこそ、さようならの刻だ。はーはっはっはっは!!」
「ちょ、ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
直後、閃光が走ったと思ったら、上からの爆風に俺は吹き飛ばされていた。
「ぎゃあああああああああああああ!!!!!」
そんな声が聞こえたような気がしたが、次の瞬間には床に激突――はせずに
何か柔らかいものの上に落ちたようだった。
「オミくんっっっっっ、お姉ちゃんとっっっっっっっっっても心配したぞっっ
っっっっっっ!!!」
柔らかいのは、すずねえの……。
「うわああああああああぁぁぁん、おねえちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!」
「よしよし、もう泣かなくても平気だぞっっっ。怖いことなんかないぞっっっ
っっ!! お姉ちゃんがずっっっっっと一緒だぞっっっっっっ!!!!」
俺は泣きながら、どうして毎回命を落としかけるのかと考えた。
「新沢……まったく何かあったら絶対許さないんだから」
「くしゅう、よかったですね新沢くん」
「オミ先輩、無事でなによりです」
「大団円風味です」
「よかったのカナ? ほんとによかったのカナ?」
「まー、いいんじゃない、だだ甘って感じで」
「これにて、一件落着というわけだね、諸君」
オマエらのせいだ。オマエらの。
16:53
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 16:53 PM
「ぎゃあああああああああああああ!!!!!」
もはや手の施しようがないほど上へと弾き飛ばされていく孝之を見ながら、
玉野まゆが言う。
「先輩、お見事ですー」
「ま、ざっとこんなもんさ」
荷電粒子砲の発射をいち早く察した大空寺あゆは、咄嗟に近くにあった椅子
をハンマー投げの要領で投てきし孝之に当てたのだった。
「でも、孝之さんにビームは当たっていたのでしょうか?」
あゆの額に1粒の汗。確かに、孝之の位置が変わらなくても荷電粒子砲は当
たらなかったかもしれない。いや、まったくもってズレていましたです、はい。
「あたしらは出来る限りのことをやったさ。あの糞虫もまゆまゆのことを責め
たりはしないさ。それよりも今は一人前のウェイトレスになることがあの男へ
の一番の供養になるさ」
「御意! 玉野まゆ、日々精進です」
「その意気さ、さ〜〜て仕事仕事」
こうして再びすかいてんぷるに日常が――
「鳴海さんっっ!!!!!!!!!!」
16:55
異空間
The Different space 16:55 PM
ぐあ、何だか全身が痛ぇ。
今日は店に来るときから舌噛んだり、銃を突きつけられたり、地球外に殴り
飛ばされそうになったり大変だったな…。今は全身火傷に打撲ってところか…。
オレが何したっていうんだよ!! そろそろいい目をみてもいいんじゃない
のか!?
「んっ!?」
気が付くと両手両足にロープが絡んでいた。いや、縛られていた。…いった
い誰が? どうやって?
「ネビュラロープ!! この縄はたとえ十万八千里離れていても、私の大事な
人を捜して緊縛します!!」
「――穂村さん!?」
「どこまでも一緒です。鳴海さん!!」
穂村さんはとても人間業とは思えない身軽さでロープをつたい、オレの元へ
とやってきた。
「痛っ、痛いよ、穂村さん!!」
「あ、ごめんなさい。私がちゃんと治療してあげますからね」
「そ、それよりそれだけの技があるなら、ここから助けてほしいんだけど…。
ほら、ロープをみんなに引っ張ってもらうとかさ」
「うふふふふふふふふ、やっと2人きりになれますね…」
「えっ!?」
「こんなこともあろうかと盗聴器を仕掛けておいて正解でした」
「お〜〜〜〜た〜〜〜〜〜す〜〜〜〜〜け〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
17:00
すかいてんぷる 中央通路
The SKY TEMPLE central passages 17:00 PM
「まゆまゆ、どうしたさ」
「…先輩、いつの間にか天井が元に戻ってます」
「そんなことより、店内の片づけが先さ。まったく、この忙しいときにあのヘ
タレはどうしてるさ!!」
「そうですねぇ、孝之さん。なかなか戻ってきませんねぇ」
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! さっさと戻ってこいさっ!!!!!」
「孝之さ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
今、万感の想いを込めて野獣が吠える
今、万感の想いを込めて椅子を蹴り飛ばす
ひとつの客が帰り
また新しい客が帰途につく…
さらば孝之
さらばすかいてんぷる
さらば ヘタレがいた日よ…
NEXT