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11:21
すかいてんぷる前 51200m地点
Before the SKY TEMPLE 51200m-spot 11:21 AM
「あうーっ! 凄いっ! 凄いよ、祐一っ!」
「だーかーら、窓から身を乗り出すなっつってんだろ、真琴」
「あうーっ!」
「うふふ、真琴って電車に乗るの初めてだもんね。珍しくて仕方ないんだね」
「名雪も妙に納得してないで、お前からも注意しろ」
今日、俺達――即ち、秋子さん、名雪、俺、真琴の水瀬家御一行は、休日を
利用して列車の旅ってヤツを満喫していた。
列車の旅…。うーん、ちょっとブルジョア階級の気分だ。
今は丁度、長閑な田園風景の中を走る特急列車に乗っている。
俺はブルジョア気分ついでに、憂いのある面持ちで牧歌的な旅情を感じつつ、
外の景色に目を細めて…。
「あーっ! 凄い凄い! アレなんか凄すぎだよーっ!」
「だから、大人しくしてろっつうの!」
…いたいのだが、隣に座る真琴の奴が、外になにかある毎に騒ぎ立てるんで、
旅情もなにもあったもんじゃない。
まー、初めて乗った電車で浮かれる気持ちは、判らないでもないが…。
「真琴、電車に乗っているのは私達だけじゃないんだから、あんまりはしゃい
じゃ駄目よ」
「あうー」
さすがに秋子さんから注意されると、大人しくなる真琴ではあったが、それ
も束の間だけ。
喉元過ぎればなんとやらで、また外でなにかある度に、すぐはしゃぎ出す。
今の秋子さんの注意だって、もう何回目か判らないくらいだ。
「あっ!」
どうやら、真琴の奴がまたなにか見つけたみたいだな。
「祐一! 祐一! 見て見てっ! ほらアレっ!」
「お前なぁ、いい加減に…」
「いいから、ほらアレっ!」
「ったく、一体なんだっつうん…だぁっ?」
渋々と真琴の指さす方向へ視線を走らせた俺は、そこに存在している余りに
も信じられない物を見たせいで、思わず間抜けな声を上げた。
「わっ、凄いよ。人が特急電車と並んで走ってるよ」
名雪が、そんな感嘆の声を上げた。
それは、特急列車と併走している、一人の…女の子か? アレは。
そうだな、女の子だ。歳の頃は、俺や名雪と同じ…うーん違うな、やっぱち
ょい上かも。
舞や佐祐理さんくらいっぽい。
幻覚か?
目を擦ってから、再び外を見る。
幻覚なんかじゃない。現実だ。
車窓の向こうには、確かに一人の女の子が、夥しい土煙を巻き上げながら、
俺達の乗っている特急列車と併走していた。
「オミくんっっっ! お姉ちゃんは、オミくんを女の子と二人っきりでケーキ
を食べに行くような、破廉恥な子に育てた覚えはないぞっっっっっ! お姉ち
ゃんっっっっっっ、そんなこと絶対っ、絶対っ、ずぇぇぇったいに許さないぞ
っっっっっっっっっ!」
…いや待て。こっちよりも速い…と言うより、徐々に速度が上がっている感
じだ。
おいおい、特急だぞ? 新幹線程じゃないにしても、特別急行――略して特
急だぞ?
一体、何キロ出してんだ? あの子は…つうか、それ以前に人間業じゃねえ
だろ? どう考えても…。
すると秋子さん、その子の姿を見て、懐かしそうに目を細める。
「ふふ、若かりし日を思い出しますね…」
「は?」
「私も、あのくらいの頃は、良く特急列車に勝負を挑んでいました…」
「秋子さん、さりげなく怖いこと、言わないで下さいよ…」
「あれは…そう、フランスのTGVに勝った日のことかしら? ふふ、今もこ
うして目を閉じると瞼の裏側に…」
フランスのTGV? 確か時速300kmくらい出る車両じゃなかったっ
け?
……。
…聞かなかったことにする。
その方が、精神衛生上いいだろう。
「あーあ、行っちゃったー。足、早いねー、あの子」
窓際に張り付いていた真琴の言葉で、再度窓の向こうを見てみれば、既に女
の子の姿は俺達の座席よりも前方の方へと移動しており、視界に映る彼女の姿
は小さい物になっていた。
一体、あの女の子は何者だったのか?
今となっては、その疑問を解く事は不可能だ。
…ま、いいか。
色んな意味で人間離れしてる奴らに出会うのは、なにも今回が初めてじゃな
いしな…つうか、俺の周りって、いわゆる普通の人間の比率って少ない気がす
るんですが…。
「祐一? どうしたのよ、難しい顔しちゃって」
真琴が俺の顔を覗き込んで来た。
「別に、なんでもねぇよ」
俺は、そんな真琴の頭をワシワシと撫でてやった。
11:25
すかいてんぷる 5番テーブル
The SKY TEMPLE 5th table 11:25 AM
「慎一さん……」
「あ、沙里……」
席を案内しようとするウエイターと話している僕の姿に気づいたらしく、沙
里がわざわざ入り口の方までやってきた。
それで理解したらしいウエイターに謝りながら、二人で彼女が待っていたテー
ブルへと赴く。
「御免、待たせたかな?」
「いいえ、そんなことございませんわ」
相変わらず、落ち着いた「清楚」の言葉が似合いそうな仕草で首を横に振る。
「なら、いいけど……沙里は、いつも僕に気遣ってくれるから……」
「いいえ、ちょっとの時間を待つぐらいのこと……私にとっては……」
「何だ、やっぱり……」
そう言って意地悪く笑ってみせると、
「まぁ……」
と、沙里も微笑んでくれる。
相変わらず、綺麗な人だ。
「ご注文が決まりましたならベルでお知らせ下さい」
二人して席に着いてすぐにさっきのウエイターの青年が僕の分の水を運んで
きた。
一緒に差し出されたメニューを開いて、軽食に相応しいメニューを目で探す。
彼女に追加注文をするか尋ねるが、首を横に振ったので自分の分だけを決め
ると、ブザーを押して注文した。
彼女の前には湯気の立つ焙じ茶と小皿に乗ったみたらし団子が並べられてい
た。
小食の彼女は昼はいつもあまり食べないからこの位でいいのだろう。
敢えて触れなかった。
あの洋館ではいつも純白の着物を着ていた沙里だったが、こっちの世界に来
てからはこうして洋服を着ることも多くなった。
彼女はやはり着馴れた着物の方が好きらしく、家の中では着物姿でいる事の
方が多いが、こうして見ると洋服姿の沙里も素敵だと僕は思う。
…今の若い娘が着物の着付けが出来ていなくて、TV等でしっかり着ていな
いのを見て驚いたりしていたっけ。
何はともあれ、僕はあの洋館からこの世界へと戻る際、一緒に出ていくパー
トナーとして、沙里を選んだ。
彼女は魔の道へと既に足を踏み入れていたこともあって、それこそ、命がけ
の思いで僕は彼女を人間に戻すべく、かつて、血を分け与えたように、命を分
け与えた。
「でもやはり……」
「?」
「待つのは寂しゅうございます……」
その微笑みに彼女の遠い記憶が重なっているように思えた。
長い睫毛が僅かに揺れる。
待って、待って、待ち続けて……
己の身を魔に委ねてまで、永久に近い刻を待ち続けた沙里。
そんな彼女を思い出すと、僕は知らずに彼女の手を握り締めていた。
「慎一……さん……?」
驚いたように、僕を見る。
「どうかなさいましたか?」
「ううん……ちょっと考え事をしててね……」
沙里の銀色に輝く髪を見つめる。
彼女が、唯一、魔で有ったことの証……名残だが、黒髪の彼女を知らない僕
にはそれが自然に見える。
実際、彼女の美しい髪に見とれる人間も多い。
「沙里……」
「はい」
「もう、一人で待たせるようなことはさせないから……ずっと一緒に……いよ
うな」
「慎一さん……」
そんな彼女の微笑みを見て、僕は嬉しくなっていた。
「はい。嬉しゅうございます」
両手にしっかりと感じる、この温もりに幸せを感じながら……。
「ところで、慎一さん」
沙里の言葉で、僕はフト我にかえった。
「ふぁみれすと言う所は賑やかなんですね」
これは賑やかと言うよりも騒がしいの部類に入る。
いや、ファミレスが騒がしいところと言うよりもここが異常なだけだろう。
11:47
すかいてんぷる 9番テーブル
The SKY TEMPLE 9th table 11:47AM
「…せやからな、ウチ思うんよ。このままでエエんかなって。…確かに、読ま
せるゲームはエエ。しっかりとした文章書くシナリオライターなら、物語にグ
ングン引き込まれるしな。けど…けどな、ホンマにそれだけでエエんやろか?
確かに文章主体のノベルゲーやアドベンチャーゲーは、今のエロゲー界の主力
や。主力やから、考えてまうんよ。画面に表示されるテキストを読んで、時た
ま現れる選択肢で物語を進行させてゆく…。それは本当にゲームなのかって…
な。…作り易さで考えると、そうゆうインターフェイスのゲームは、シューテ
ィングやアクションみたいなヤツに比べて楽やろ。…やろうと思えば、それこ
そ少数の同人サークルでも出来る。そして、そうゆうゲームが業界を引っ張っ
てきたことも事実やろ。…けどな、もう読ませゲーだけじゃ限界な気がするん
や。考えてみぃ、今、どれだけの読ませゲーが世に出回ってるんや? そして、
今後リリースされる読ませゲーの数を…。そんなにたくさん出回ったら、やる
方だって、そりゃ飽きるやろ? …ウチな、ゲームをやらずに積んでいく、い
わゆる積みゲーって、好きやないんや。…買った以上、それをきっちり最後ま
でやり遂げることが、そのゲームを作った人達、そしてゲーム自身への礼儀や
思うとる。…まあ、中には酷いバグだらけで、とてもやないが最後まで出来ん
物もあるけどな…。それなのに、最近は積みゲーって言葉が、ある種のステー
タスになっとる気がする。そんなのおかしいやん! …そりゃ、買ったのは自
分やから、自分の所有物をどうしようと、その人の勝手やで。けど、せっかく
身銭切って買ったゲームなら、やらなあかんやろ? 損やろ? それなのに買
うだけ買って、あとはやらずに積んでいくなんて、どこをどう考えても理解出
来ん! でけへんのや! …な、ウチ、なんか間違ったことゆうとるか? …
けどな、これってエンドユーザーの倫理だけの問題やない思うとる。さっきも
ゆうたやろ? 出回ってるゲームが似たり寄ったりな感じやから、やり手に飽
きが出てきているんや。…現在、エロゲー業界はある種の閉塞感に囚われてる
気がする。袋小路ってヤツやな。…とにかく判っとることは、このままじゃイ
カンってことや! このまま行くと、遠からずこの業界は徐々に衰退していき、
やがては終焉を迎えてまう! …せやから、ウチは声を大にして関係者に言い
たい! この停滞感を吹き飛ばすようなゲームを! もっとゲーム性を持った
ゲームを! もっとクリエイティブなトコを、ウチらに見せたってぇな! …
てな。…とまあ、これがウチ個人の意見なんやけど、そこんとこ詠美、アンタ
はどない思うとるんや?」
選挙シーズン真っ最中な政治家ばりの演説を無事終わらし、ご満悦な由宇は、
お冷やで喉をクールダウンさせながら、同席の詠美に意見を求める。
「フンフンフーン、なっにを頼もうかなー。そろそろお昼だから、お腹にたま
る物がいいわよねー…っと、あは、これなんか美味しそう」
が、当の話を振られた詠美は、メニューを眺めながら追加オーダーに頭を悩
ませており、由宇の熱が籠もった渾身の演説など、微塵も聴いていなかった。
「すいませーん! 追加オーダーお願いしまーす!」
通路の方に身を乗り出し、力一杯手を振りながら店員を呼ぶ詠美。
ブチッ、と由宇の中で、『それを切っちゃぁ、あ、おしめぇよ』な糸が切れ
た。
「おんどりゃあぁぁぁっ! ウチがせっかく熱く語っとるのに、なんや! そ
の態度はぁぁぁっ! 何様のつもりやっ? ええっ?」
由宇は席から勢いよく立ち上がると、詠美の胸ぐらを掴み上げる。
「な、なにって、同人界のくいーん・おぶ・くいーんず、詠美ちゃん様に決ま
ってるじゃないのよっ! まったく温泉パンダのくせに、いきなりキレないで
よね!」
ブチブチッ、と由宇の中で、『もう、これを切っちまったら、どうなっちま
うか判らねぇぜ』な糸が切れた。
「こンのぉっ! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬
鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬
鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬
鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬
鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬鹿! 大馬
鹿! 大馬鹿! 大馬鹿詠美ぃぃぃぃぃっ! 人が真面目に話しているときく
らい、ちゃんと聞けぇぇぇぇぇぇぇっ」
由宇の手から繰り出される凄まじいビンタの嵐が、詠美の両頬に休む間もな
く炸裂する。
「あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ!
あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ!
あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ!
あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ!
あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ! あうっ!
あうっ! あうっ! あうぅぅぅぅぅっ!」
そんな二人のやり取りを、一人残された感のある同席の彩は、お冷やに口を
付けながら、「また始まった…」とばかりの冷めた眼差しで眺めていた。
12:03
すかいてんぷる 8番テーブル
The SKY TEMPLE 8th table 12:03 PM
再び、隣のテーブルに目を向けました。
活発そうなショートの渡辺さん、上品でおとなしそうなおさげの深山さん、
それにおでこの女の子の3人。1人減って3人になっても、彼女たちは何事も
なかったように食事をしていました。いつものことなのでしょうか? それと
も、本当に背の高い彼女のことを忘れてしまったのでしょうか? …あれ?
「う…」
そんなことを考えていると、金属製のフォークがテーブルの上で跳ねる音と
ともに、深山さんがお腹を押さえました。
「ど、どうしたの? 深山さん?」
「だいじょうぶぅ?」
渡辺さんとおでこの女の子が心配そうに覗き込みます。
「大…丈夫。お腹の仔が少し暴れただけ、だから」
遠目に見ても、深山さんの額に汗が浮かんでいるのがわかりました。それに
しても彼女妊娠してたなんて……近頃の学生さんはススんでいるのでしょうか?
もっとも、同人誌即売会の会場でイタシテしまう方もいるくらいですから、驚
くほどのことではないのかもしれません。
「わかります、わかります。わたしも比良坂さんに蜘蛛を躰に入れられて、授
業中にオナニーしたくてしかたがないことがありましたからぁ」
「なにぃ!?」
おでこの彼女の得意げな言葉に、近くを歩いていた男の店員さんが運んでい
た料理を取り落としてしまいました。
「うがあああぁぁぁ!! このクソ忙しいときに、何やらかしてるさっ!!
この糞虫がっ!!」
すかさず、他の店員の罵声が飛びました。なんだかお気の毒です。
店の中はにわかに騒がしくなってきましたが、発端である隣のテーブルは沈
黙に包まれています。
「私……は……別に気持ちいいわけじゃ……」
深山さんは顔を真っ赤にしながらうつむいて呟き、席を立とうとしました。
「どこへ」
「行くつもりですかー?」
そんな深山さんの両肩を2つのちいさな手がガッシリと掴みます。渡辺さん
とおでこの女の子です。2人とも何かを吹っ切ったような半笑いの顔になって
いるのが印象的でした。
「あの……その………胎教によくないので」
「そんなー、恥ずかしがることなんてないですよー」とおでこの少女。
「そうそう、私なんて兄貴とシちゃったんだから」
渡辺さんの言葉に、深山さんは深いため息を吐きました。その表情は躰を売
ってまで惚れた男の借金を肩代わりしたら、返済が終わった途端男に逃げられ
たようなそんなあきらめの顔に見えました。
「深山さん…」
ふいに、おでこの少女が真剣な顔をします。
「わたしも…結果的に比良坂さんにトドメをさすようなカタチになってしまっ
て……哀しいの。だから、深山さんのお腹の中の仔にはちゃんと育ってほしい
…って思うの。なんて、ちょっと自分で言ってても恥ずかしいけれどねー……」
はっ、と顔を上げる深山さん。驚いたような、すがるような目が印象的です。
「そうだよ、深山さん」と渡辺さんも笑顔で深山さんに話しかけます。日向の
匂いのする笑顔で。
「私も……あの………えっと、その……そう! さち姉があんな風になってし
まったとき、結果的にそれをよろこんでた自分が居て……そんな自分が許せな
くて。深山さんもずっとツライ目にあってたのに、私……。だから、深山さん
には幸せになってほしくて…。あはっ。えっと……ところで、さち姉どうした
んだろ?」
深山さんは涙ぐんだ顔を隠すことなく、2人を見つめています。
「あり…がとう……私、自分のことしか考えてなくて」
「というわけで」とおでこの少女がニヤリとしました。
「いってみよう」と渡辺さんがニタリとしました。
「「胎教! でっきるかな?」」
「へ?」
でっきるかな? でっきるかな? ハテハテフムー♪
深山さんの顔が、瞬時に青ざめました。その表情は小屋の隅で震えるうさぎ
の姿を連想させます。いえ、むしろまな板の上の鯉かもしれません。
「ということでぇ、渡辺さん。丈夫な仔を作るには、まず何が必要ですかぁ?」
「はい、それは野菜です」
言うが早いか、渡辺さんはキュウリを懐から取り出しました。いったいどこ
から取り出したのかは、乙女の秘密のようです。
「では、深山さん。遠慮せずに食べちゃってください」
「それ…胎教じゃないです……ぐあっ!?」
がっちり肩をつかまれていた深山さんはなかば無理矢理キュウリを食わされ
てしまいました。
しゃくしゃくしゃくしゃく。瑞々しい咀嚼の音が聞こえてくるような気がし
ます。何もつけないで味はあるのでしょうか、とそんなことを考えて現実逃避
したいと思う自分がいました。
「渡辺さん、キュウリってどんな味がしますかー?」
「はい、それは『スズムシの味』です」
「――ブッ!!」思わず吹いてしまう深山さん。
「なっ、変なこと……言わないでください!!」
「だって本当だもんねー」「ねー」とおでこの少女と渡辺さんは悪びれた様子
はありません。もっとも、彼女たちに良心というものが存在するかどうかさえ、
疑わしい今日このごろですが。これからキュウリを食べるたびにこの光景を思
い出すような気がしてちょっぴり憂鬱になりました。
「続いて、朝食と言えばこれだっぺ?」
似非方言を使いながら、おでこの彼女が小皿の中身を箸でかき混ぜています。
どうやら納豆のようです。
「あの……せめて、醤油をかけさせて……ください」
懇願する深山さんに対して、ゆっくりと首を振る渡辺さん。
「うう……助けて、姉様……」
半泣きで納豆をすする深山さんに同情を禁じ得ませんが、同時に彼女が『い
じめて光線』を出しているのも感じます。なにか他人とは思えませんが、私に
は隣のテーブルから見守るしかできません。ごめんなさい、深山さん。
「問題です。納豆の味と言えばなに?」
おでこの女の子が問題を出す。
「はい、それは『お父さんの足の裏の味』でーす」
「――けほっ、けほっ、けほっ!」
むせる深山さんは、もう勘弁してください、と言わんばかりの目をしていま
す。
「じゃあ、最後はこれで締めたいと思いますぅ」
そう言っておでこの女の子が取り出したのは…シイタケのようです。生シイ
タケです。
「も、もうやめてくださいっ!」
堪りかねたのか深山さんは立ち上がって、右手でおでこの女の子のおでこを
おさえつけました。
「おでこにおでこに触らないで〜」
叫びながら両腕を勢いよくまわすおでこの女の子。それだけを見ていると彼
女の方がいじめられているようにも見えます。ですが、深山さんも小柄なので
振り回す拳が当たってしまいます。
「痛っ、痛っ、痛っ……もう勘弁し――くぁ!?」
何度、シイケタが深山さんを打ち付けたのでしょう? その何回目かにシイ
タケが深山さんの口がナイスインしました。
「……」
そこへ渡辺さんが駆け寄ってきて頭とアゴをつかみ、無理矢理に咀嚼させて
います。それは見ているだけでちょっとスえたシイタケの匂いが口の中に広が
ってくるような光景でした。無言で深山さんの口を動かす渡辺さんの目は、据
わっていました。
「問題です。シイタケはどんな味がするのでしょうかぁ?」
「…………それは」
おでこの女の子の質問に渡辺さんがゆっくりと口を開きました。
「比良坂さんの味」
白が。
その瞬間、隣のテーブルは一面の白に覆われました。
なにか糸のようなモノが、テーブルや床や天上にまで伸びています。
「私はそんなに匂いませんことよ……!」
「うわあああぁぁぁ」
「ごめんなさいぃぃぃ」
店の出入り口に向かって走っていくおでこの少女と渡辺さん。
「このまま……このままでは済まさないわ、燐……!」
深山さんも2人を追いかけて行きました。凄い形相でしたが、それでもきち
んと支払いを済ませていくあたりに彼女の律儀さを感じました。
「ありがとうございまし……――ってうわっ!?」
ところで、おでこの彼女の名前、なんていうんでしょうか?
12:18
すかいてんぷる 出入口前
The SKY TEMPLE entrance 12:18 PM
「さて…」
薫は、件のファミリーレストラン、すかいてんぷるの出入口前に立っていた。
実は、もっと早くに着いてはいたのだが、店内から感じる妖気が一つではな
いことが判り、万全を期すために、暫く別の場所にて、前の仕事で消費した霊
力の回復を行っていたのだ。
同じ霊剣である十六夜に比べて、今回持参した御架月は攻撃力が優れている
分、使い手の消耗も激しい。
事実、先程薫が『すかいてんぷる』内に妖気を感じたとき、彼女の体に残さ
れた霊力は、先に依頼された退魔の仕事を片付けたことにより、半分を切って
いた。
そんな状態で、しかも相手が一体の魔物ではないとすると、苦戦は免れない。
故に、一度店のそばを離れ、少し離れた所にある海の見える公園で、店内か
ら感じる妖気の動向を気に掛けつつ、力の回復を行っていた。
「ん…」
2、3回、拳を握ったり開いたりして、腕への力の入り具合を調べてみる。
「よし…」
若干の違和感はあるが、問題はない。
約2時間近く休んだおかげで、完全とはいかないまでも、それに近い状態に
まで回復しているのが判る。
「じゃあ行くよ、御架月」
「はい…」
御架月を納めている包みの口は既に開けており、いつでも抜刀が出来る状態
だった。
薫は一度大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと空いている方の手を、『すか
いてんぷる』のドアノブへと伸びていく。
と、そのとき、薫が開けるよりも早くドアが勢いよく開かれ、中から二人の
少女――つぐみと燐が躍り出て来た。
「うわあああぁぁぁ」
「ごめんなさいぃぃぃ」
二人は、まるでなにかに追い立てられているかのように、必死の形相で走っ
て来ていたため、入口に立っていた薫に気付かず、それどころか彼女を激しく
突き飛ばしてしまった。
「どわあぁぁぁぁっ?」
つぐみ達とのことが余りにも突然すぎたせいで、自分になにが起きたのか理
解する間もなく、坂道を転がる空き缶のように地面を転がっていく薫。
キキキィィィーッ! ドッカァァァンッ!
「ぎゃんっ!」
更に薫は、店の前へ偶々通りかかった軽トラックに運悪く跳ね飛ばされ、ビ
リヤードに於けるブレイクショット後の玉の一つのように、あらぬ方向へ吹き
飛ぶ。
「ぐはっ!」
続いて、吹き飛んだ先に立っている、街灯の一つにエビぞり状態で引っかか
り、その反動で更にとんでもない方向へ。
「ごふっ!」
次に薫を待っていたのは、通りに店を出していたアイスクリーム屋の移動屋
台の、カラフルな陽射しよけだった。
「きょえぇぇぇっ!」
錐揉みしながらそこに突っ込んだ薫は、再度大きく跳ね飛ばされ、今度は3
60度クルクルと回転しながら、なんとか当初の目的地である『すかいてんぷ
る』の中へ。
「なあぁぁぁぁっっ!」
但し正面の入口からではなく、脇の空いていた窓からだが。
尚、余談ではあるが、今し方薫が大道芸的手段で入ったそこが、男性用トイ
レであることを、このときの彼女には判るはずもなかった。
12:23
すかいてんぷる 男性用トイレ内
The SKY TEMPLE man rest rooms 12:23 PM
「あた…あいたたた…。なんね、一体…」
一体、うちになにが起きたのか。
確かファミリーレストランの入口で、二人組の女の子に吹き飛ばされたとこ
までは覚えているが、そこから先は記憶が曖昧だ。
車に轢かれた気もするが…あたた…。
「薫様、大丈夫ですか?」
手の中に収まっている御架月から、心配そうな声が上がった。
体のあちこちが痛みに軋んでいるけど、感じからして一時的なもので、あと
少しもすれば自然と消えてしまうだろう。
ふふ、日頃の鍛錬の賜物かな。
「ああ、少しばかり痛むけど、うちは問題なかね。御架月の方は?」
「はい、大丈夫です」
「そうか…良かった…あたた…」
しかし、ここは何処だろう。
うちは、痛む箇所をさすりながら辺りを見回してみる。
自分から見て右手には、1個を除いて開放されている、3個の個室があった。
開放してある扉の向こうには、洋式の便器が見える。
なるほど、ここはトイレか…。
そして左手には、おなごであるうちには、余り見慣れない形の殿方用の用足
しが…。
「……」
…殿方用の用足し?
「なっ! こ、これはっ!」
うちは、数歩後ずさり、目を丸くした。
どう見ても、ここは男性用トイレ。
どうやら、何処かの建物の中にある男性用トイレの中に飛び込んできてしま
ったらしい。
「ま、まずい! 早く出んと…」
中に誰もいなかったのは、不幸中の幸い。
こんな所を男の人に見られた日には、大変なことになる。
うちは、顔が真っ赤になるのを感じながら、トイレの出入口へと向かった。
だが、不意に感じた違和感に足を止める。
「薫様…これは…」
「ああ…」
御架月にも判ったらしい。
今このトイレ内が、妖気で満ちていることに。
うちは踵を返し、窓――うちが飛び込んできた窓から、外を窺う。
「やはり、ここは例のファミレスのトイレのようだな…」
先程まで見ていた周囲の建物群を、今見えるそれらと照らし合わせてみる。
間違いない。
ここは、件のファミリーレストランだ。
「では…」
「うん、やるぞ御架月!」
「はいっ!」
手の中にある包みから御架月の柄を引き出すと、そのまま鯉口を切り、一気
に抜刀する。
白刃が、蛍光灯の灯りを受けて煌めく。
抜刀した状態で、うちは改めてトイレの中を見回した。
一方の壁際に並ぶ3個の個室便所の中、1つだけ使用中の所が怪しい。
うちは御架月を下段に構えながら、ゆっくりとそこへと近づく。
「……」
中には、何者かの気配が一つ。
いるっ!
うちは、御架月を握る手に力を込めた。
…だが妙だ。
妖気は確かにこのトイレ内から感じられ、その中にある一つの個室便所に誰
かの潜んでいる気配もするのだが、感じるその妖気の質がおかしい。
薄い。
いや、徐々に薄くなっていると言った方が的確か。
残留物。
そんな言い方がしっくりくるような感じの妖気だ。
どういうことだ? 既に、魔物はこの場を離れたのだろうか?
(なんにせよ、このまま捨ててはおけんねっ!)
うちは一度大きく深呼吸してから、閉まっているドアを力一杯蹴り飛ばした。
「はあっ!」
けたたましい破砕音と共に砕け散るドア。
「神咲一灯流正当伝承者、神咲薫、推参っ! 人に仇なす魔よ! うちがこの
手で…この手で…あれ?」
閉ざされたドアを蹴り破り、威風堂々と名乗りを上げたまでは良かったのだ
が、うちはドアを蹴り破った姿勢のまま、固まってしまった。
何故ならば…。
「日門草薙流、名取り予定だったけどバックレた仁村真雪。…久しぶりだな、
神咲ぃ。まさか、こんな場所で会うなんてな…。運命の赤い糸か?」
「に、ににに仁村さんっ?」
ドアの向こう側で便座に座っていたのは、海鳴のさざなみ寮にいる筈の、仁
村さんだったんだもの。
12:31
すかいてんぷる トイレ前
The SKY TEMPLE in front of a rest rooms 12:31 PM
「すいませーん、鳴海、ブレイク入りまーす」
考之は、他の従業員達に向かってそう声を掛けると、トイレへと向かう。
恐らく『ブレイク』とは、店内で使われる小休止の隠語だろう。
「ン〜♪」
鼻歌交じりで、男性用トイレのドアを開ける考之。
「な、なんで仁村さんがここにいるとねっ!」
「なんでって、そりゃ『出物腫れ物所構わず』って言うだろ?」
しかし、中に二人の女性――薫と真雪が言い争っているのが見えて、慌てて
「す、すいません」とドアを閉める。
「え? 待てよ…」
ドアを閉めてから、ふと気付く。
なにかおかしくないか、と。
今し方、トイレの中に女性の姿が見えたものだから、自分がてっきり女性用
トイレのドアを開けてしまったのかと思ったが、開ける前、壁に付いているプ
レートを確認した限りでは、間違いなく男性用トイレの筈だった。
「…間違い…ないよな?」
もう一度見てみる。
今度は、ちゃんと指差し確認もした。
間違いない。男性用トイレだ。
では、何故その男性用トイレの中に、女性の姿があるのか。
仕事疲れによる幻覚症状か。
「……」
考之は、そっとドアに耳を近づけた。
「そうじゃなくて、ここで一体なにをしてるかって訊いてるんですっ!」
「なにってよぉ、神咲ぃ。お前は、あたしがここでヨガでもやってるように見
えるのか?」
「見えませんっ!」
「だろ? …そりゃ、トイレでヨガなんかする奴は普通いないよなぁ…。トイ
レは用足す場所だしよ」
「…だから、その用を足すのが、なんで殿方用のトイレなんですか! おなご
用のトイレがちゃんとあるでしょうに!」
「だって、全部使用中だったんだもん、女用はさ」
幻覚ではない。
確かに今、男性用のトイレ内では、二人の女性が言い争っている。
何故? いや、この際理由は後回しだ。
取り敢えず二人には出てもらわないと、自分の用が足せないし、他の客に迷
惑も掛かる。
「あのー、お取り込み中の所、申し訳ございませんが…」
考之は扉を半分だけ開け、その隙間から顔を出して、薫達に恐る恐る声を掛
ける。
「今、立て込んでるっ!」
「うっ! す、すみません」
しかし、薫に厳しく一喝されて、すごすごと引き下がる考之。
(あー、駄目だなー。どうも、女同士が言い争っている場面って、苦手だぜ…)
頭をボリボリ掻きながら、自分の押しの弱さに溜息を吐きつつ、さてどうす
るかと思案していると、段々と尿意が込み上げてくるのが感じられた。
(う…。と、取り敢えずこっちの方は後回しにして、先に出すもん出してスッ
キリすっか…。けど…なぁ…)
けれど用を足そうにも、男性用トイレがこの有様では、それすらままならな
い。
(しゃあない…あんまり使いたくない手だが、背に腹は替えられねぇよな…)
そこで考之は仕方なく、緊急手段を取ることにした。
彼は周囲を見回し、付近に誰もいないのを確認すると、男性用トイレと並ん
である女性用トイレへと近づく。
男性用が使えないから、女性用を使う。
正に緊急手段。
(誰も…見てないな…)
ドアに手を掛ける前、もう一度辺りを確認。
(よしっ!)
完全に人影ないのを確認すると、考之は女性用トイレのドアを開けた。
「うっ!」
だが開けた直後、その瞳が驚愕に見開き、体が強張る。
「だ、大空寺っ!」
ドアの向こう側には、よりによって、こういう時に一番見つかって欲しくな
い、大空寺あゆの姿が。
「お前、なんで…うごっ?」
考之は、言葉を最後まで発することが出来なかった。
彼が言い終わるよりも早く、あゆの足刀が考之の腹にめり込んでいたから。
「ぐ…が…」
蹴られた所を押さえながら、腹を折り、まともな呻き声も出せぬ程に、激し
く苦しみ悶える考之。
「あったく…ヘタレの分際で女便所を覗こうなんて、いい度胸さ」
苦しむ考之を見下ろしながら、腰に手を当て、吐き捨てるように言うあゆ。
「な…ちが…」
弁明をせねばとは思うのだが、あゆの蹴りが相当良い具合に決まったらしく、
上手に声が出せない。
「けど、その度胸に敬意を払って、とっておきの技で沈めてあげるわ」
ゴキリ、とあゆの利き腕の指が鳴った。
ゆらり、とあゆの背中から闘気が立ち上った。
「っ!」
やばい、と考之のちょっ直感が警告を発する。
だが、痛みのせいで体は動かない。
「ひっさぁぁぁぁぁつっ! ドリルミルキーパァァァァァァァンチッ!」
あゆの、天を貫くようなアッパーカットが考之に襲いかかる。
強烈な打撃音が周囲に木霊する。
「ぎゃおぉぉぉぉぉっ!」
避けることも防ぐことも出来ずに直撃を受けた考之は、天井を突き破り、大
空へ。
「ぉぉぉぉぉ……」
彼は蒼穹の果てへ向かって飛んでいくと、キラリと輝く1つの星になった。
ドリルミルキーパンチ。
それは、かの○ガサス流○拳すら凌ぐ程の、スーパーブロゥだと言い伝えら
れているとか、いないとか。
12:39
すかいてんぷる 14番テーブル
The SKY TEMPLE 14th table 12:39 PM
「しろーくん、しろーくん」
「ほほう、それは面白そうですな、柚さん」
天井にたゆとう幽霊が2体。
「うー、まだ何も言ってないのだー」
「コレハ失敬失敬。それでは1番、ゆずゆずさんどうぞ〜」
「いちばぅん、近衛柚。夫婦漫才やるのだ」
志郎の首根っこを掴まえる柚。
「にゃん? ワタシモサンカケッテイデスカ?(ロボ風味)」
「ばぅぅん」
犬っぽく吠えて(とりあえず本人はそのつもり)肯定の意を示した柚は、志
郎を掴まえたまま空いているテーブルの上に降り立つ。
「今宵あなたとオルドビス紀ー」と唄いだす柚。
「そして互いをシルル紀で?」と志郎、ちょっと怯えながら。
「わたしー、デボン紀ですー(注:本気です)」
「せキターーーーーーん紀っ!! ぴんちの二畳紀!?」
「あなたの家に三畳紀ぃ…」
「ウチをジュラ紀にするつもり?」
「奥さんにぜんぶ白亜紀ぃ!!」
「カンブリア紀してください!!」
「うーうーうー、今日もいい天気ー♪」柚が唄う。
「ううぅぅ(自分は何をしているのだろうかと、ふと我に返って嗚咽)」
志郎は泣く。
12:47
すかいてんぷる 16番テーブル
The SKY TEMPLE 16th table 12:47 PM
「るなちゃん。あ、あの……大事な話って、何、かな……」
「そうですよ。メムはネジの散歩という一大アドベンチャー企業が待ち受けて
いたりして、割と忙しいような気がしている真っ最中なんです」
「いいから! 二人とも聞いて」
通称アホ毛と呼ばれるアンテナを頭に伸ばした少女の真剣な表情を同席の二
人が不思議そうに見守る。
「この際、二人にはっきり言っておきたいの」
「ほえ、何をデスか?」
「もしかしてるなちゃん、今月家計ピンチなんですか?」
「聞いて! あ、あたしはね…、誰よりも一番おにいちゃんのことがすき!」
「せんぱいが渡嘉敷?」
「ご主人サマ、ボクサーだったんですか!?」
「こう頭を振るウィービングウィービングでテンプシーロールを……」
「甘いですね。真実さんっ! テンプシーには重大な欠陥があります!」
「そうそう、あれって足腰に負担が掛かるし相当の運動量が必要なんだよね」
「相当の運動……せんぱいと運動……せ、せっ、せせせっ…ぱっぱっ!」
「ピンポンパン? 流菜さん、ネバーランドにでも行くんですか?」
「行くのはデジャヴューランドで……って、違ぁーう!!」
「い、行くって……るなちゃん。せんぱいといつの間に!!」
「そうです。ズルいですよ。ご主人サマとデート行くのはこのメムです。他人
以上、妹未満の流菜さんは指を挟んで痛がっていろってところです!!」
「だ、だから……何処に行く行かない以前にあたしはもっと大事な話を!」
「目、逸らしてる。誤魔化してる……るなちゃん、誤魔化してる」
立ちあがって喚く三人に、
「こぉらぁ! そこの糞客共、店内で騒ぐなや!! 吊るすぞ!!」
料理を運びながらあゆが吠える。
12:52
すかいてんぷる 18番テーブル
The SKY TEMPLE 18th table 12:52 PM
そんなアタマの悪い会話をしていた三人とあゆの姿を見ていた二人組の女性
客は、テーブルに視線を戻して一人が相手に向かって苦笑を浮かべる。
「……」
「な、夏姫ちゃん。随分と個性的な店員さんよね」
「全くバイトの教育がなってませんね」
夏姫と呼ばれた方の女性は冷たく切り払うように短く言い捨て、膝に抱えた
ハンドバッグに隠すようにして黒皮の手帳に何やらメモを取っていた。
「そ、そういう問題かな」
教育云々という次元ではない気がしたが、それ以上は言わなかった。
するとその沈黙をどう受け取ったのか夏姫は目元は冷たいままで、口元だけ
を歪めるようにして微笑んで見せた。
「これなら来年春予定のPiaキャロット7号店の敵ではありませんね」
ペンと手帳をバッグにしまう夏姫に対して、相手の女性は感心するようにた
め息をつく。
「夏姫ちゃんもいよいよ店長さんかー」
レモンスカッシュのグラスをわざわざ両手で持ちながら、ホヘッとした表情
で向かいの席に座っている連れを眺める。
「先輩。その話はまだ決まったわけじゃないですよ」
「でもー、わざわざオーナーが夏姫ちゃんにこうして下見を頼み込んだんだか
ら間違いないわよ」
「それはそうかも知れませんが……」
Piaキャロット4号店店長、羽瀬川朱美。
同店マネージャー、岩倉夏姫。
4号店を支配する彼女たちがわざわざ二人揃っての休暇をこのようなファミ
レスで過ごすには相応の理由があった。
コンビニエンスストアと、ファミリーレストラン。
この二つはこの不況の中、常連の利用者さえある程度の数を確保できれば安
泰という勝ち組ビジネスに入っている。
その為、それぞれ狭い地域で各店舗がしのぎを削る群雄割拠の戦国時代を迎
えている。
盛者必衰、えげつない制服戦略を梃子に他を圧倒してきた新進勢力こそ彼女
らの努めるPiaキャロットである。
彼女らの勤める4号店店舗は地理的に海岸沿いの行楽客狙いに絞った戦略と、
それにこじつけた一部水着を利用したトロピカルタイプという露出度の高い制
服によって成功し、その後も5号店、6号店と関東全域を埋め尽くすような勢
いであった。
そして今度の7号店は今来ているこのファミレスのすぐ近くに建設予定で、
彼女たちは下見に訪れていたのであった。
大空寺グループが資本のファミレスということで警戒感があったが、どうや
らその心配は杞憂だったようだ。
今まで周辺に目ぼしい店がなかったからこその繁盛だったらしい。グループ
の方もそれほど力を入れている部門でもないらしく、経営が傾けば傷が広がる
前に撤退するだろうというのがPiaキャロット対外担当調査部の報告である。
この調子でいけば8号店は関西進出、9号店は九州もしくは沖縄、そして1
0号店でアメリカ進出と共に一部上場を狙っているというのはPiaキャロッ
トの上層部に属する人間で知らないものはいなかった。既にアメリカには双葉
涼子という女性が派遣されている。
このまま順調にいけば、大手テェーン店をしのぐ存在にまで育つ。
「問題は木ノ下ファミリーよね」
「ええ」
だが、モノが大きくなれば必ず弊害が生まれる。
目の届かないところが増え、人が集まれば対立が起こる。
このPiaキャロットも例外ではなかった。
創業者木ノ下泰男の辣腕ぶりも店が小さい頃は頼もしい存在であっても、こ
れだけ大きくなると一から十まで彼の指示で動かすということは動きが鈍くな
り、滞りを生む下地になっていた。
そして一代で店を大きくしたもの特有の血族経営にも批判が集まってきてい
た。
そしてそんな彼を妬んだり足を引っ張るものも増えてきていて、彼の後継者
である木ノ下祐介が高卒という学歴から経営手腕を疑うという形で、反祐介派
の名を借りた反木ノ下一族派が育ってきていた。
そして朱美、夏姫もそのグループの一員に名を連ねていた。
表向きは、忠実な社員を装っていたが。
更に彼女たちには単なる派閥争いだけではない大きな理由があった。
「しっかりしてくださいよ、先輩。私達は木ノ下ファミリーを壊滅させる為に
この道を選んだんじゃないですか」
「うん」
「幸い、木ノ下泰男の懐刀とも呼ばれた神無月玲子への布石は済んでいること
ですし……そうですよね?」
「あ、う、うん」
夏姫は心の中だけで大きなため息をついた。
これが躓きはじめだったのだろう。
余計なことをせずに、ただ4号店を育ててその手腕を評価されれば良かった
のだ。
たまたまアルバイトで他店からあの神無月玲子の弟がやってくるという情報
を掴んで、それを利用できないかと考えたのが失敗の元だった。
彼を陣営に引き入れるのは朱美が、彼を使える人材に育てるのは夏姫が担当
した。
だが、狙いとは別に彼女はすっかり神無月明彦に参ってしまっていた。
一夏の経験が女を変える。
自分たちの側に引き入れるという大まかな目的は果たしたものの、手駒にし
たとは到底言えなかった。
朱美の言葉に明彦が従うよりも、これでは朱美が明彦の言いなりになりそう
な程の転びっぷりだった。
夏姫は自分の先輩の年下好きの趣向に頭を抱えることになる。
木ノ下昇が想像以上に使いものにならない存在だということも災いした。
同時に彼には貴子というこれまた木ノ下ファミリーが側についている。
下手な手出しはできない。
既に尻尾をつかまれているのかと思うような言動もあり、油断もできなかっ
た。
だが、彼女の対象が自分だと知ると夏姫は戦略を転換することにした。
マネージャーとして影で動くのではなく、自ら店長として一勢力を築くこと
で自分の地位を築く。
そして自分がやる筈だった役目を自分の店の店員の中から探し出せればいい。
既に彼女の中では朱美も明彦も切り捨てる可能性も考えていたのだが、その
事実はまだ朱美は知らない。
「料理はまずまずですね。この値段のファミリーレストランとすれば、ですが」
「でも和食は美味しいよね。食べ過ぎないようにしないと」
「ふふ、お腹の見える制服では太れませんからね」
「む〜」
「先輩ももう店長なんですし、ウェイトレスの格好をすることはないんじゃな
いですか」
「で、でもでもわたしはまだ可愛いし」
「は?」
「じゃ、じゃなくって! えっと神無月君がそう言ってくれて……わたわたわ
た、ち、違って」
「もういいです。先輩の色ボケぶりは重々判りました」
「むー」
今は楽しめばいい。
ただ、人の良い先輩とそれをたしなめる後輩の関係を努めていればいい。
店長の地位を得るために沢山のライバルを蹴落とした。
最大の脅威であった祐介の妻、森原さとみは妊娠中という運にも恵まれた。
妹の留美の無関心にも助けられている。
祐介兄妹に目をかけられているという前田耕治はスキャンダルで失脚した。
この機会を逃すほど、夏姫は甘い人生を送ってはいなかった。
もう冷たく寂しい町工場で借金取りに怯える日々は家族にはおくらせない。
自分達は、岩倉家は幸せになる権利がある。
岩倉具視の末裔として。
「それでね、神無月君ったらさぁ……」
わ、私にだって幸せになる権利がある!
夏姫は心の中でそう絶叫した。
13:19
すかいてんぷる 3番テーブル
The SKY TEMPLE 3rd table 13:19 PM
「すいませーん、オーダーお願いしまーす!」
「はーい! ただいまーですぅ!」
真雪に呼ばれ、一人のウェイトレス――玉野まゆが彼女の元へ行く。
「ご注文は、お決まりですかぁ?」
「ああ。えっとねぇ、まずは生ビールを大ジョッキで一つ。それと唐揚げとポ
テトフライと豚キムチ…」
「はい、大ジョッキの生ビールと、若鶏の唐揚げとポテトフライと豚キムチ単
品ですね」
真雪の注文を、次々とハンディーターミナルへと打ち込んでいくまゆ。
「…あと、このサーロインステーキのライスセットを…」
「仁村さん」
更に注文を追加しようとする真雪を、隣に座っている薫が小声ながらも、や
や強めの口調で止めた。
「あん? なんだよ、神咲ぃ」
薫の方へ向き直る真雪。
「いくらなんでも頼みすぎです。一体、どれだけ食べる気ですか」
「いいじゃんよー、べっつにぃ。第一、お前の奢りなんだからさ」
ヒソヒソと、他人には聞こえぬレベルの小声で会話する二人。
「そりゃ、確かに昼食代をうちが持つ言いましたが、それにだって限度が…」
「おろっ? そんなこと言っちゃっていいわけ? ふふーん、言っちゃおうか
なぁー。神咲薫は、人様がトイレで用を足している最中に…」
「わぁーっ!」
慌てて真雪の口を塞ごうとする薫。
「へへーん。さ、どうするよ? ん?」
真雪は、そんな薫の手をひらりと躱し、不敵に微笑む。
精神的優位に立っている者が浮かべる笑みだ。
「く…」
どうやら、先の男性用トイレでのやり取りの結果、薫が真雪に食事をご馳走
することになったらしい。
確かに結果だけ見たら、真雪が用を足してる最中に、薫が力ずくで中へ押し
入ったということになるだろう。
きっとそこの部分を、真雪の口の巧さで付け込まれたに違いない。
「…わ、判りました。好きな物ば頼んで下さい」
苦い表情を浮かべながら、引き下がる薫。
「…けど、あんまり調子に乗って食べたり飲んだりしてると…」
「…してると…なんだよ」
「太りますよ」
「うぐっ!」
しかし、ただでは下がらず、手痛い忠告の一手を残しておく辺りが、非常に
彼女らしい。
「あのぉー、ステーキセットは…どうされますか?」
真雪のオーダーが途中でストップしているため、まゆがハンディーターミナ
ルを手に、おずおずと訊いてきた。
「え? あ、ごめんごめん、それなし。キャンセルにしておいて。豚キムチま
ででいいや」
真雪は、まゆに向かって引き吊った愛想笑いを浮かべながら、オーダーの一
部をキャンセルする。
かつて風芽丘の黒い風と恐れられた女でも、おなかの贅肉は怖いらしい。
「わっかりましたぁ! では、ご注文を繰り返させていただきますね…」
まゆは元気良くオーダー内容を確認し、それが間違いないと判ると、いつも
ながらに、あちこちぶつかりながら厨房の方へと走り去っていった。
「さて…」
まゆの危なげな後ろ姿を見送ったあと、真雪は居住まいを正す。
「しっかし、奇遇ですよねー。まさか、こっちに神咲先輩や、仁村さんが来て
いたなんて…」
「でス」
彼女の前に座っている、いづみと弓華が言ってきた。
実は真雪と薫の二人だが、今はいづみと弓華の席に相席させてもらっていた。
先程のトイレでのやり取りのあと、真雪の座席に向かおうとした二人だった
が、店内にていづみ達と偶然会ったために、従業員へ頼んで彼女らと同じ席に
変えてもらったのだった。
「ホントだ。うちも、まさか仁村さんだけじゃなく、御剣や弓華に会うなんて、
思ってもみなかったよ」
「あんた達、ひょっとして風芽丘を卒業して以来じゃねぇの? こうして顔合
わすのってさ…」
いづみ達のテーブルは、久しぶりに会った旧知の友人同士の会話で賑わいを
見せていた。
お互いの近況や、懐かしい想い出話などに華が咲く。
「そう言えばさ、こないだ…」
「へぇ…」
「すごイでス」
やがて、話が真雪を中心とした他愛のない世間話に変わった頃、薫は他の三
人に気付かれないように、店内の様子を探ってみる。
(…怪しい箇所は…)
店の中で、人の物ではない、なんらかの気配が漂っている所を密かにマーク
していく薫。
(…あそこと…あそこと…あそこか…)
一つは、柚と志郎の席。
霊体である彼らの姿は常人では見ることが出来ず、一般人からしてみれば、
空席としか認識されないのだが、退魔師である薫の目には、二人の姿がしっか
りと捉えられていた。
けれども二人の幽霊は、特になにか悪さをするでもなく、ただほのぼのとし
た会話を楽しんでいるように見えた。
(ここは、特に問題なかね…次は…)
もう一つは、慎一と沙里の席。
慎一は普通の人間の気配だが、沙里の方からは微かな妖気の感じる。
だが妖気とはいえ、沙里のそれは非常に微々たるもので、魔物の類が常に発
する物とは違う。
まるで夏の日の陽炎のように儚く、今にも揺らいで消えてしまいそうな曖昧
な感じだった。
(あそこも、この程度なら…。結局どちらも、今のところは放っておいても大
丈夫か…)
薫は結論として、店内の妖気は確かに気にはなるが、それほど心配をするレ
ベルでもないだろうという答えに辿り着き、先の2箇所に気を配りつつも、暫
くは温故知新を堪能することに決めた。
13:29
すかいてんぷる 6番テーブル
The SKY TEMPLE 6th table 13:29 PM
「では、こちらの席をどうぞ」
営業スマイルのあゆは高校生ぐらいの冴えない服装の男に黒いフリルやレー
スであしらったデザインが綺麗な、でも生地も厚くて暑苦しそうなドレスを着
た無表情な少女の二人組を、
『この忙しい時に幼女趣味の変態まで来んなや』
そう内心で罵りながらも、空いたばかりの席に案内する。
「今メニューをお持ちしますので、少々お待ちください」
「………?」
遠野志貴は、何故か立ち去る前の彼女の笑顔に悪寒を感じて身震いをした。
「風邪、かな?」
鼻の下を指でさするが、特に変わった様子はない。
水とメニューが運ばれてくるのを目の前の少女――レンと大人しく二人で待
つ。
志貴が久々の休日を過ごす相手にレンを選んだのには深い意味はない。
強いて言えば「騒がしくない一時」を共有する相手に一番合う相手だったか
らだろう。
別に騒がしいのが嫌いなわけではないが、年がら年中ではたまらない。
アルクェイドといれば、どこからでもシエル先輩が襲ってきて気が休まらな
い。
翡翠といれば、琥珀さんがハンカチを食いしばって遠目で見ていて落ち着か
ない。
晶ちゃんといれば、秋葉がその後で小姑のごとくグチグチ言ってきてたまら
ない。
羽居ちゃんと過ごすのも安らげていいのだけども、のんびりし過ぎて彼女の
門限に間に合わなくなって彼女に申し訳ない。
一子さんだと、有彦にバレると後々厄介だ。
朱鷺恵さんだと泊まりになる危険性もあるし、都古ちゃんといると体が持た
ない。
蒼香ちゃん――こう呼ぶと彼女は怒るが――彼女とはまた、これから縁もあ
るだろうし焦ることはない。
先生は行方不明のまんまだし。
「そうなるとどうしても選択肢は……って、あれ、どうしたの?」
気のせいか、目の前のレンが哀しそうな瞳で志貴を見つめていた。
「え、ええと……レンはケーキセットでいいかな?」
「……」
コクコクと頷く。
その仕草にちょっと安堵する。
これで機嫌が直るものなら安いものだと思いながら、店員が来るのを待って
いた。
「……しかし、騒がしい店だなぁ」
待ちながら志貴は、ここが穏やかなひとときを過ごすには向かないような予
感が膨らんできていた。
13:31
すかいてんぷる 1番テーブル
The SKY TEMPLE 1st table 13:31 PM
冬…住井の机に蟷螂の卵を仕掛けておく季節。秋の間、猛威をふるった七瀬
が冬眠する季節。人類に与えられた束の間の安息日。
「誰が冬眠するかっ!! あたしは人類に仇なす地球外生命体かっ!!」
「……いや、悪気はないんだ。すまん」
「折原にしてはヤケにあっさり謝るわねー。疑わしさを通り越して怪しいわよ」
この、ちょっとだけ無意味なことに一所懸命なごく普通の高……おっと奥さ
んそれは言いっこなしだぜなオレを掴まえて『怪しい』などとは失礼なヤツだ。
「もっと素直になれ、七瀬。先生悲しいぞ」
「やっぱり、ぜんっぜん反省してないわね。疑わしさから怪しさを通り越して
さらに一回りして、あきらかに疑わしいに戻ってきたわよ」
「さりげなくパワーアップしよってからに……繭、お前からも何か言ってやれ」
今だにハンバーガーと格闘している繭に声をかけると、食べ疲れているよう
に見えながらもしっかりと両手で獲物を捕らえたままその小動物は顔を上げた。
「みゅー?」
「ほら見ろ七瀬。繭も『折原君を疑うなんて身の程知らずにも程があるわね、
このドサンピン』って言ってるぞ」
「どこをどう解釈したら、そうなるのよっ!! ていうか繭がそんな喋り方し
たら気持ち悪いわっ!! あと、ドサンピンも余計よっ!!」
「……――くっ! 怪しいだの気持ち悪いだの好き勝手に言いやがって。おい
長森、お前からも叱咤してやれ」
「ん」と小さく頷いた長森は、まるで話を振られるのを待っていたかのように
すぐに口を開いた。「住井君の机にカマキリの卵を置くのはよくないと思うよ」
「……ふむん、確かに住井ならさらに手の込んだ仕返しをしてきそうだからな」
「あれは部屋中凄いことになるからやめた方がいいよ」
長森が心底困った顔をしながら言う。といっても、こいつの場合大抵は笑っ
ているか困っているかのどちらかなのだが。
「長森、お前が部屋の中でカマキリを放し飼いにする趣味を持っているとはな、
ちょっぴり見直したぞ」
「浩平がやったんだよ」
「……そうか? そんなことをした気がしないでもなきにしもあらずだな」
「ちょっとちょっとっ!! あたしの話はどうなったのよ」
記憶の扉を必死で開けようとしていると、七瀬が話に割り込んできた。
「お前の話ってなんだ、七瀬? そろそろ更年期だっていう話だったっけか?」
「そんなんじゃないわよ。あたしの……」
「あたしの?」
「みゅー…」
「あたしのみゅー!?」
「変なふうに会話を繋げないでよっ!!」
何らかの物理的法則によって引っ張られた先を見ると、ハンバーガーを持っ
た繭がオレの手元をじっと見ていた。そこにはさっき長森が勝手に注文したチ
ョコレートケーキが鎮座している。ははん、さすがに2時間以上もハンバーガ
ーを食べ続けて飽きてきたんだな。もっとも、それでもハンバーガーを手放さ
ない根性には素直に感心するぞ、繭。
「審査員特別賞だ、繭」
オレはチョコレートケーキを小動物サイズに切り取り、繭用の皿に取り分け
てやる。
「みゅーっ」
「よかったね繭、特別賞だって」
「よくないわよ。いったいなんの賞よ!」
「どうした七瀬、怒りっぽいな。やっぱり、更年期障害か?」
「誰が更年期障害なのよっ。この乙女まっただなかのあたしがそんなわけない
でしょーがっ!!」
「それじゃあ、七瀬さんにも『ねこねこ賞』だよっ」
長森がそう言いながら、オレのチョコレートケーキを七瀬の空いている皿に
移送する。にしてもコイツのネーミングセンスはよくわからんな。
「――って、なぜオレのケーキを奪う!?」
「えっ? ……わたしの七瀬さんと同じ苺ショートケーキだから、ね?」
「そりゃしかたないな。苺ショートケーキばかり増えても、森野苺ショートケ
ーキにはならないからな」
「…………?」
……………………待てよ、オレ。そういう問題か?
「ありがとねー折原、うんうん、チョコレートの方もなかなかイケルわね」
「なんだかオレ、酷い目に遭ってないか?」
「気のせいね」
「きのせいだよ」
「みゅー♪」
ひとかけらになつてしまったちよこれえとけえきをほおばる。
ちよつとしよつぱいなみだのあじがした。
「待て、やっぱりおかしいぞお前ら。それが人の楽しみを奪った者の態度か?」
「あたしは奪ってないわよ」
「ちきしょー、その頭から生えているツインテールに恥ずかしくないのかっ!」
「そりゃあたしだってちょっとは……――って、生えてないわっ!!」
「そう言えば以前師匠に聞いたことがある。『ツインテールを結った娘が3人
集まるとだよ、浩平君。何かよくないことが起こるってもんだよ』とな」
「……その師匠って誰よ」
「長森のとこの母親だ」
「うちのお母さんはそんな喋り方しないよ」
「いいんだ、オレ的にはそう喋っているんだから」
「で」と挑みかかるような目つきをしながら七瀬が言う。「いったい何が言い
たいわけよ、折原は」
「そうだな……今日どんな服を買ったのか見せてくれ」
「それのどこがよくないことなのよ」
そうか、七瀬のヤツも気づいていたか。店員のちみっちゃい金髪の子。さっ
き入ってきた七瀬に似た娘。そして、七瀬……3人のツインテール。魔王召還
の条件は揃ったというわけだ。
「いいから、ちょっと着替えてきてくれ」
「はぁ!? 着替えるぅ? なんであたしがアンタのためにファッションショ
ーをしなきゃなんないのよっ!!」
「長森も繭も乙女にふさわしいファッショナブルな服を着こなした七瀬の姿を
見たいと言ってるぞ」
「う〜ん、ちょっと見てみたいかな?」
「(はむはむ)みゅ?」
「…………そうね、そこまで言うんならわかったわ。混んでてまともに試着で
きなかったからちょっとサイズが心配なのよね。で、どこで着替えるわけ?」
「そりゃトイレだろ」
「トイレぇ? まあ、しょーがないわね。あっ、そうそう豆腐プリン追加で注
文しておいてね。じゃ、ちょっと行ってくるわ」
それだけ言うと七瀬は自分の分の着替えを持ち、トイレへと向かっていった。
「……さて、オレ達も着替えるぞ。長森、繭」
「え〜!? でも、浩平の着替え持ってないよ」
「大丈夫だ。事前にここの店長に頼んで用意してもらってある。 な、繭」
「みゅ?」
「もしかして、ものすごく不安な気がするよ〜」
13:35
すかいてんぷる 7番テーブル
The SKY TEMPLE 7th table 13:35 PM
「ねぇねぇ、ホントおいしいわね、ここのケーキ」
佐久間晴姫が今日幾つかめになるかわからないケーキを頬張りながら言うと、
んあーっと同席している新沢靖臣は気の抜けた声で応えた。
「ちょっと新沢、どうかしたの?」
「はるぴーは好きだな」
「ぶっ!!」
「うわっ、戻すな。そんなことじゃ立派な相撲取りになれないぞ」
口元にカスタードクリームを付けたまま、キッ、と晴姫が靖臣を睨みつける。
「新沢が変なこと言うからよ。それに戻してないっ! 相撲取りにもならない
わよっ!!」
「…う、いっぱいツッコまれた」
ちょっと泣きそうになる靖臣、というか思いっきり泣いていた。長年の甘や
かされ人生の賜物だった。
「うぅぅ、そんなに怒ることないじゃないかぁ、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「ちょ、ちょっと泣かないでよ。ほら、ケーキあげるから、ね?」
晴姫が自分のケーキの大きな欠片を靖臣の口の中にねじりこむ。
「ぅ……ぐ!!??」
突然、苦しそうに手足をバタつかせる靖臣。指で喉仏のあたりを示し、それ
からコップで何かを飲むようなジェスチャーをする。
「えーっと……」晴姫はジェスチャーの意味を必死に考える。
「ごっくりごっくりこんと…ボアジュース?」
靖臣が晴姫の空いている方の手を取って、手のひらを指でなぞる。
「なになに? 『十』『口』…『っ』……ああ、『古っ!!』ね」
晴姫がそこまで言ったところで、靖臣はテーブルの上の水の入ったコップを
掴み一気に喉に流し込んだ。
「ぷはーっ、危うく甘やかされ死にするところだったぞ」
「――って、そうなる前に水飲みなさいよっ!!」
「いや、自分でもときどき何をやっているのかわからないときがあるからな」
ようやく事態を把握したのか、こんどは晴姫の方が涙目になっている。
「まったく、イヤだからね、もう…」
とりあえずギャグを完遂した満足感に浸る靖臣とは対照的に、晴姫は目に見
えて落ち込みかけている。いかん、このままでは…ここは一つ密かに特訓して
きた成果を見せてやるかと靖臣は彼女を立ち直らせる決意をした。
心持ち首を傾げ、照れたように頬を紅く染める靖臣。
「くすすすすすすすすすすすすすす、はるぴー先輩元気出してください」
「気持ち悪いわっ!!」
靖臣渾身のモノマネ(小泉鞠音ばーじょん)は速攻で否定された。どこかで、
くすんっ、と誰かがくしゃみがしたようだった。
「…それよりもさっきの……その…好きだなんとかっていうのは……」
女心と入道雲だな、とムクムクと元気を取り戻した晴姫を見て靖臣は口にし
たのだがあっさりと聞き流されてしまった。
「それはケーキを――」
どごぉぉぉぉぉぉん。
ケーキを食べてる晴姫を見ている自分が好きだ、と自分でもよくわからない
ことを靖臣が言おうとした矢先に、天井にいつの間にか空いていた穴から何か
が落ちてきた。
「痛(つ)ぅぅぅぅぅぅぅぅ」
それは先程、大空寺あゆのD.M.Pによって遙か衛生軌道上まで飛ばされ
たはずの鳴海孝之、その人であった。
「ふぅ、あのカプリコかカプリコーンだとかいう人が居なかったら今頃俺も人
工のお星さまになっていたかもしれないな」
「て、店員さん!?」
「ご、ご注文でしょうか?」
思わず驚きの声をあげる靖臣の声に反応したのか、別な店員が靖臣たちの席
にやってくる。
わたし、なんで働いてるんだろう? と疑問を感じつつも持ち前の器用さと
面倒見のよさを発揮してそつなく働いている長森瑞佳の姿がそこにあった。
「こ、これは!?」
「何? 何が起こってるの?」
靖臣と晴姫は鳴海孝之の目がランランと輝き、すかいてんぷるの制服に身を
包んだ長森瑞佳を見据えているのを見た。それはあたかも、網膜に映る視覚的
な情報を処理するために他の身体機能を犠牲にしているのではないかと思える
ほどだった。
「クーペのようなグラマラスなシャーシに2.3リッターのDOHCエンジン
を積み込んだスポーティワゴン。新機構の可動ステアリングギアレシオ構造に
よって生み出される自然で軽快な操舵感はまさにグレイスフル。乗り手を選ば
ない安定したドライビングと世界初のアクティブノイズコントロールによるク
リアなオーディオサウンドが理想的なドライビングスペースを演出する」
「ねえ靖臣、この店員さん…ちょっとおかし――」
「――スバラシイ」
「はぁ!?」
某栗好き少女が栗を見つめるときの陶酔したような目で孝之を見る靖臣。晴
姫は本能的に距離をとる。
「俺にも…俺にも出来ますか? 今の」
「いけねぇ、また声に出してたか。……もちろん、男なら誰にだって出来るさ。
対象の内側まで舐め回す気持ちでじっくりと見つめる。ただそれだけだ」
「よし、いくぞはるぴー」
靖臣は手近な目標を設定する。当然、目標は晴姫だ。
「なっなによ!? ちょっと、お願いだからその目はやめなさいよ、や、やめ
てーっ! その目はっ!!」
「MM思想(マン・マキシマム、メカ・ミニマム)を継承したスマートでコン
パクトなボディにリッター100psオーバーの2リッター+6段MTを搭載
したその走りは、市街地ではスパルタンを地でいくじゃじゃ馬なもの。まさに
峠のために生まれた――」
「そーーーーーのーーーーー目はいやーーーーーーーーーーっっっ!!」
靖臣の下心全開の視線についに耐え切らなくなり、晴姫の攻撃本能がレッド
ゾーンに達した。
「ライトニング・真空飛び膝蹴りぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
靖臣の身体に電流が走った。と思ったが、名前はハデだがいつもの膝蹴りだ
ったのでほんの数分気絶するだけで新沢靖臣は復活することができた。
「……新沢、新沢大丈夫? 自分でやっておいてなんだけど」
「ふっ、大丈夫だ。すずねえのお姉ちゃんパンチに比べればな……」
「そ、そんなに凄いの? 桜橋先輩の…胸じゃなくて……」
「ああ。いいか晴郎、すずねえに怒られたらどんな理不尽な理由にしろ、とり
あえず謝るんだ……それがこのフロンティアで生き残る術……だ……ごふぅ!」
「ああっ!! 靖臣、靖臣ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
13:40
すかいてんぷる 15番テーブル
The SKY TEMPLE 15th table 13:40 PM
「……」
「……」
「はぁ……」
「これから、どうしましょうか」
「どうしようかしらねぇ……」
「……」
「はぁ……」
「ふぅ……」
陰気と憂鬱と足して二で割らないような女性客二人が窓際の席でため息ばか
りついいた。
思わず、「う…、陰気」と注文を取りにきた孝之が小声で漏らし、隣の席で
騒いでいた客の一人が聞き止めて「インキン? 瑠奈さん、インキンってなん
ですか? 食べられますか?」とか反応して、その発言に食べ物を吹き出した
客もいたりしてちょっとした騒ぎに発展したりもしたのだが、それに当の二人
は全く気づかずに周りの騒ぎっぷりとは対照的に落ち込んでいた。
「やっぱり世間は厳しかったんですよね」
「それよりも時間軸の納得のいく説明がほしいわ」
それぞれ注文したオレンジジュースのストローに口をつける二人。
「ここ、ニホンよねぇ?」
身体のスタイルがはっきりとわかるオレンジ色の毛糸の手編みのサマーセー
ターにジーンズという動きやすい格好をしたポニーテールの女性の方が、まだ
表情にあどけなさの残る、こっちはTシャツに巻きスカートを履いた十代とわ
かる幼い少女に話し掛ける。
「幾ら確認をされても……」
彼女たちは以前、オオサカと呼ばれる土地で新興宗教の教祖と幹部をやって
いた女性だった。
だが、地元の管理組合によって教団は解体され、一時はその支配下に組み入
れられたのだが信者達の支援で逃走し、その時の資金を元手に地方に逃れて温
泉旅館を営んでいた。
それも過去の話。
元々、経営手腕があるわけでもなく地元の人間ですらなかった二人が上手く
いくわけもなく、経営不振で夜逃げ同然で東の土地へと移ってきたのが先日の
ことだった。
彼女たちがこの街で見たものは、今まで見たこともない世界であった。
この世界にウィミィは存在しなかった。
そしてニホンという国も存在しなかった。
列車に乗るまでは確かに、二人はウィミィ占領下のニホンにいた筈である。
が、見ず知らずの土地に入ってからはいつしかウィミィもニホンもなくなっ
て、民主主義国家という日本しかなくなっていた。
そんな戸惑いが続いて、ようやく最低限の知識を経た二人だったが、差し当
たって自分たちの身の上が問題だった。
ニホンでは身元不詳な人間など幾らでも存在したのだが、この国ではそうは
いかないらしい。野宿でさえも易々と許される所ではないのだ。
まだ自分たちの衣食住が何一つまだ定まっていなかった。
自分たちを追うものがいないところに来たとはいえ、憂鬱である。
こんな時に彼女がいてくれたら、二人はそう思ったが口には出さなかった。
彼女達の同志であり、仲間であり、頼り甲斐のある参謀であり、組織の実権
を握る影の支配者でもあった女性。
彼女なくして、小さくは自分たちの日々の糧から大きくは巨大宗教組織の設
立運営まで何一つ成り立つことはなかった。
彼女がいない自分たちは実験中の事故で海に漂流した実験体とただの元不良
少女のミソッカスコンビでしかない。彼女が後ろで支えてくれたからこそ、教
祖様と幹部でいられたのだ。
改めて彼女の頼もしさを思い出すと同時に、自分たちの不甲斐なさを実感し
ていた。
世捨て人でさえも満足に出来ないとは情けない。
戦争の人体兵器としての怪しげな研究の実験体、あるいはその血で数々の病
気を癒す奇跡の力を持った元教祖、汚濁と有毒性物質に塗れた海から生まれた
天女を守ると誓った古宮陽子は苦悶していた。
観世那古真燈教。
その名前を知るものはこの街には誰もいない。
それだけではない。
オオサカも、スミヨシも、ウィミィも、悪司組も、ここには何も無い。
今まで恐れていたものが無くなった代わりに、今まで頼れたものも失ってい
た。
そして恐れるものはいくらでも増えていき、頼れるものが生み出されること
は無い。
孤独。
目の前の少女と手を取り合って生きていくしかない身の上が、尚更実感され
る。
だが、それが何だというのだ。
自分はあの地獄のような子供時代からずっと弱者として更なる弱者を虐げ生
きてきたのだ。
これ位、大した事は無い。
そう強がっていたが、勇気はあっても知恵はなく、力はあっても金はないと
いう立場ではこうして僅かにあまり人前では言えない方法でせしめた小銭で飲
食店には入れてもこれからの暮らしの目処を立てることができないでいた。
それは、彼女に護られている小柄な少女も同感らしい。陽子以上に世間知ら
ずで僅かに覚えた世間の常識を呆気なく霧散してしまう異世界に放り込まれた
状況では、ただただ混乱して流されるしかなかった。元々自分は何一つできな
い程の有様だったのでますます陽子に頼るようになってしまい、そんな自分を
情けなく思いながらもどうしていいのか分からないでいた。
二人は追い込まれていたのだ。
溜息ばかりが重なるのも仕方がないだろう。
そしていつにも増してあの人がいてくれたらという繰言に身を委ねるのも当
然と言えた。
だから、
「楽しそうね」
という彼女の声を聴いても空耳としか聞こえなかった。
いや、楽しくなんかないし。
陽子は空耳にすら背を向けるようにして首を逸らした。
従ってその声と同時に見覚えのある衣装を来た女性が自分達のすぐ脇に立っ
たのに気づくことが出来なかった。
「え……えええっ!? よ、陽子さん!」
「なによ、由女?」
ストローを噛むようにしてオレンジジュースを啜りながら振り向いた先には、
「お久しぶりね、陽子」
「ブッ!?」
寧々が笑っていた。
「ゲホッ、ゲホゲホゲホッ!」
由女が差し出した紙ナプキンで口元を拭いながら器官に入ったオレンジジュー
スを咳をして吐き出しつつ、陽子は彼女を眺めた。
白い着物の上に羽織った那古教の聖女の着る紫色の法衣。
嘗て自分たちがそれを纏い、過ごしていた日々を脳裏に蘇らせる。
あの時は自分がいて、由女がいて、そして寧々がいた。
月宮寧々。
あれほど恋しがっていた自分の大親友であったが、ここでこうして会うこと
など想像の一片にもなかった。
生きて、彼女に会うことなど有り得ない筈だから。
そう、有り得ないのだ。
何故なら、
彼女は死んだ筈なのだから。
「そ、それがどうしてそんなベトベトに!?」
「それはアンタのせいでしょーが」
再会した彼女は冷たい目をしていた。
「ま、まあまあ寧々さん。とにかく座ってください」
由女が身体を浮かせて自分の隣に寧々を誘う。
「生きていたんですね! 嬉しいです!!」
泣く機会は逸したものの、再会の感動は由女の高潮した顔一面に現れていた。
「で、でもどうして? 悪司からはもう死んだって……」
半信半疑の陽子に、テーブルから紙ナプキンを取って顔についたジュースを
拭っていた寧々が微笑む。あの頃と変わりの無い笑顔がそこにあった。
「あのシコクの腐れミイラ? あれから貰ってたこの魔法の粉が役に立ったの
よ」
ただ、その会話内容はぶっとんでいたが。
「こ、粉? 麻酔薬か何かです……か?」
当時からずっと色々と騙されたまんまの由女はちんぷんかんぷんという顔で
首を傾げた。
「……寧々、それもしかしてゾンビパウダー?」
戦争中、二人で南の方に行っていた時に現地住民の土着信仰の呪いでみたよ
うな怪しげな青い粉を思い出し、胡散臭げに聞く陽子。
「失敬ね。この艶やかな肌とこの血色の良さの何処がゾンビだというのよ」
誇らしげに胸をそらす寧々。
「確かに良いわね。ただ、貴方が黒人だったらという仮定が付くけどね」
「見事に土色ですねー」
再会した寧々はちょっと肌が変色していた。
「くっ! ちょ、ちょっとした副作用じゃないのよ。だって仕方がないでしょ!
常人じゃぶっ壊れるようなクスリ打たれたのよ! そっから生還するにはそれ
相当の努力と準備が要るのよ!」
体に残った紫色の斑点を消すのにどれだけ苦労しただとか、逆ギレ気味に当
り散らすように叫ぶが、
「寧々さん、そのぅ……努力も準備も普通しませんよ」
「往生際が悪いわね」
と冷たく二人に突っ込まれる。
「な、何よ! 陽子ったら人が拷問受けて死んだ上でのほほんと生き延びちゃ
って!」
「うっ」
「私より由女を取るわけよね。女の友情の底の浅さを今更乍再確認させて戴い
たわ」
「あ、あのそれは……」
「あの苛烈な状況下で二人して生き延びてニホンを変えようと誓い合った私た
ちだったのに……」
「だ、だってそれは……」
「私は決して嫉妬とかジェラシーとか恨みつらみとかで化けて出てきたわけじ
ゃないのよ!」
「そ、そうなんですか?」
「嘘つけ」
目いっぱい恨めしそうな寧々に冷ややかな目。
「仮にアンタが逆の立場だったらどうなのよ? 私や由女が死んでも生きたん
じゃなくて?」
「……そ、そんなことないわよ」
「あ、あはは、こっち向いてくれませんね」
二人の間にどう入っていいのかわからない由女は、視線を外す寧々を見て寂
しげに笑うことしかできなかった。
「そういう女よ、あんたは」
「くっ、そんな逆キレのような開き直りなんか聞きたくないわ!」
「どっちが!?」
「寧々、あんた脳味噌大分悪くなってない?」
「言わないで! 気にしてるんだから!!」
「気にしてたんだ……」
由女は飲み残しのオレンジジュースを口に含むが、氷が大分溶けていて水の
味が強かった。
「大体、二人して先行でフィギィア作られたからっていい気になっちゃって…」
「それは私たちのせいじゃ……」
「聞きたくないわ」
大仰に首を振る寧々。
どうやらこれが一番の恨みらしい。
「こうなったら復讐の一つでもしないと勿体無いじゃない」
「勿体ないって……」
「問答無用! さあ、ゴースト遙。やっちゃいなさいっ!」
寧々が懐から細い竹で出来た筒を取り出し栓を抜く。
「那古神様ーっ!」
するとその中から見覚えのある人魂が飛び出てくる。
「きゃぁぁぁっ―――――――――――――――!?」
騒ぎの中でも一際大きい声で絶叫した由女に周囲の客は怪訝そうな顔を向け
るが、何も見えないのかそれ以上のことは起きなかった。
「ど、どうして!?」
「私も全然わからなんですよ」
気付いたら霊体になって寧々の使役をすることに、と涙ながらに訴える。
そう見えるだけで、涙は落ちなかったが。
「ふふふ、ウチの信者の食事には全てこの魔法の粉を混ぜていたから」
「なっ!?」
「生きている人間には何の影響も及ぼさないけど、死ぬと良い具合に……」
「やっぱりゾンビパウダーかぃ!」
「遙は最後絶食してから死んじゃったからねぇ。毒素抜けちゃってゾンビにな
れなくなっちゃって困ったこと困ったこと」
「困るのっ!? 困る事なの!?」
「腐臭とかしないで良いと言えば良いんだけど……まあ白蝋化とかすると身体
脆くなるし」
「そういう心配なんですかーっ!!」
遙やっぱり涙目。
ただ、その目から零れる涙が床に落ちる事は無かったが。
「でも遙さんは聖女になってからは私達と一緒に食事していたじゃないですか」
「じゃ、じゃあ私たちも!?」
警戒する陽子に寧々はあっけらかんとした表情で遥の頭を指差す。
「違うわ、遙はその頭の花が実は……」
「びぇぇぇぇぇんっ! 酷いですぅ」
騒がしいながらも、かつての仲間達の再会は楽しいものだった。
そう思っていたのは由女一人ではあったが
13:43
すかいてんぷる 女子トイレ内
The SKY TEMPLE woman rest rooms 13:43 PM
「ふんっ!」
買ってきたばかりの服についていた値札を力任せに引きちぎると、七瀬留美
はいそいそといままで着ていたものを脱ぎ始めた。
「なんか変な気分ね」
トイレで下着姿になっているところを誰かにみられたら、と思いつつもなに
か懐かしい感じがして彼女はそのまましばらくじっとしていた。懐かしい日々、
剣道に明け暮れた毎日。
盛り上がった背中の筋肉は来る日も来る日も竹刀を振り続けた証だ。
足首の細さと対照的な力強い膨らみを備えたふくらはぎは走り込みとすり足
によって鍛え上げられた。
運動を志す者なら誰もがほれぼれするような後ろ姿を持つ少女、七瀬留美。
彼女は今…少女から乙女へと華麗な変身を遂げようとしていた。
とりあえず外見だけ。
「日本人はまずカタチからよ。見てなさい、折原。乙女のなんたるかを骨身に
染みさせてあげるわ!」
宮廷ドレスの華麗さと子供服のかわいらしさを兼ね備えた服に着替えながら、
七瀬は気合いを入れる。もちろん、乙女のなんたるかは骨身に染みさせる類の
ものではないが、体育会系一筋の彼女には知るよしもなかった。
『大将、前へっ!』
審判の声が聞こえたような気がした。
一瞬の静寂、そして――
割れんばかりの歓声が七瀬を迎えた。…ような気がした。
13:45
すかいてんぷる トイレ前
The SKY TEMPLE in front of a rest rooms 13:45 PM
「ねえ、陽子さん……あの子の服、すごいねっ!」
「しっ! あんまりジロジロ見ちゃわるいでしょ」
うっ……なにか変なのかしら? いいえっ、そんなことあるはずがないわっ。
今月号の『乙女道(ティーンズロード)』にだって『今秋流行る乙女チックな
服はコレ!』って書いてあったんだから、と内心の焦りを隠しつつ七瀬留美は
自席に向かってあくまで優雅に歩みをすすめる。
舎那利 舎那利。(しゃなり しゃなり)
「んっ、どうした神咲ぃ? 食わねえんだったらあたしが食わしてやろうか?」
「な、なんでそうなるとですか!? どうぞ差し上げますから……それよりあ
のドレスの女の子……」
「ん、どうかしたのか?」
七瀬の耳に自分のことを噂しているらしい会話が飛び込んできた。そうよ、
今こそあたしの乙女としての評価が下されるときだと彼女は身を引き締めた。
「あの動き、彼女…かなりの手練れだと思いませんか?」
「んなことより…」薫が目で示す方を見た真雪は、それまでとは打って変わっ
た厳しい表情になる。
「この真夏にあんなクソ暑そうな服着てるなんて馬鹿だろ、ありゃ?」
『一本! そこまでっ!!』
「なっ!?」
その瞬間七瀬留美の瞳は、全日本演劇コンクールで1時間45分間一人芝居
を演じきった天才演劇少女か、火を吹いたり手足を伸ばしたり空中に浮遊した
りするインド出身の路上喧嘩者のような白目を剥いた。
「だ、ダマされた……」
七瀬はそのときになって初めて、今日自分の買った服が秋物であることを思
い出した。
「ただ、見てもらいたかっただけなのに……。ちょっと、褒めてもらいたかっ
ただけなのに……。お、折原ぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!!」
彼女の怒りの矛先は、当然自分をそそのかした折原浩平へと向いた。
「呼んだか?」
「なっ!?」思いもかけない返答に、反射的に七瀬は振り返った。
「折原、なんで――ってなんで店員の服着てるのよっ!! それになんで瑞佳
まで!?」
そこには、すかいてんぷるの制服に身を包んだ折原浩平と長森瑞佳が立って
いた。
「『なんで』が多いヤツだな。お前は留美・ナンデルセンか?」
「誰がそんなインチキ童話作家みたいな名前よ!! それよりその格好はいっ
たいなんなのよ!?」
「いやなに、長森のヤツが七瀬の乙女チックエボリューションに対抗するため
には、ここの制服を着るしかないんだよもんって言い出してな」
「ホントなのっ!?」
「そんなこと言ってないよー。七瀬さん、浩平の言うこと素直に信じちゃだめ
だよ」
「嘘なのね……」
「七瀬、人の言うことを素直に聞けるってのはすばらしいことだと思わんか?
…思いませんか?」
拳を固め、にじりよる七瀬。そんな彼女を前にして瑞佳があたふたと手足を
バタつかせる。
「あ、あのね、浩平が七瀬さんに言いたいことがあるんだよ、ね? 浩平」
「別に――」
ないぞ、と言おうとするのを制して瑞佳が浩平に耳打ちする。
うわっ、くすぐってーと微妙に仰け反りながら浩平はなんとか瑞佳の言葉を
理解した。
(七瀬さんの服、ちゃんと褒めてあげないとだめだよ)
「な、七瀬?」
ふざけたい気持ちを抑えつつも、命には代えられないと折原浩平は自制心を
フル稼働させて七瀬に話しかけた。
「なによ? 言い訳なんか聞きたくないわよ」
「その服………か、か、か……」
「か……か、何よ?」
淡い希望が七瀬の頬をほんのり紅くさせる。その調子だよ、浩平…と瑞佳も
心の中で応援する。
「か………カバいい」
「もうっ! 折原のアホーッ!! ゴッド・ハンド・クラッシャー!!」
七瀬が少し前屈みになったかと思われた瞬間、浩平の鳩尾に怒りの鉄拳がメ
リ込んでいた。
ぐわぁぁん。ぁぁぁん。ぁぁぁぁぁん。
衝撃波がすかいてんぷるに行き届く頃には、浩平の身体はすでに天井のあた
りまで吹き飛ばされていた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「もう、知らないっ!!」
七瀬の勝利のポーズは当然、腕組みだった。
13:47
すかいてんぷる 10番テーブル
The SKY TEMPLE 10th table 13:47 PM
「楽しそうね…」
身を隠すように座っているシートから、頭一つ分だけ出し、少し離れた座席
にいる靖臣と晴姫の二人を、羨望とも嫉妬とも取れる眼差しで見ている初子。
「うんうん、モグモグ…楽しそうだね、楽しそうだね…モグモグ…」
その隣で、若菜も同じような目で靖臣達を見ていた。
モンブランで、その口の周りを汚しながら。
「抜け駆け風味は、ずるいですっ!」
「佐久間先輩! いくら先輩でも、これは許されない行為ですっ!」
「くしゅっ! 新沢くん達、不純異性交遊は駄目ですよっ!」
更に若菜の横から、この場にいるはずのない人間達の声が聞こえ、二人は
「はぁ?」と同時にそちらを見遣る。
すると、いつの間にか若菜の隣に、子鹿、鞠音、ひよりの三人が座っており、
彼女らも初子達と同じような姿勢を取りながら、燃える女の視線で靖臣と晴姫
を見ていた。
いや、睨め付けていたと言った方が的確か。
「え? な、なんで先生達がいるの?」
「モグモグ…いるのカナ?」
いきなり自分達の隣に現れた顔見知りの三人に、目を丸くする初子と若菜。
けれど、そんな状況でもモンブランを離さない若菜は、さすがと言うべきか。
ちなみに手に持ったモンブランは、既に二個目であることを付け加えておく。
「くしゅふふふ…。今日は、ちょっと三人でお出かけなんですよ」
「あ、そうなんだ…」
「そうしたら、偶然に尼子崎先輩達と会ったんです…と言うか、見かけたって
感じですけど…」
「なるほどカナ…モグモグ」
「で、靖臣サン達の逢い引き現場に遭遇した風味ですっ!」
子鹿の一言で、5人は再び刃物のように鋭利な視線を、キッと靖臣達に向け
る。
その背後から湯気の如く立ち上るのは、女の情念とも言うべきオーラ。
嗚呼、恐るべきは恋の恨みか。
「ふふっ」
不意に、初子が笑った。
まるで正義の味方を罠にはめた、悪の組織の女幹部のように。
「でも、そうやって楽しんでいられるのも、今のうちよ、二人とも…」
初子の冷笑に答えるかの如く、突如、店内が細かに震動し始める。
「え、地震?」
辺りをキョロキョロと窺う鞠音。
確かに、細かな地響きは地震の初期微動――いわゆるP波を連想させる。
だが、地震のそれとは少し感じが違っていた。
地面の底から地震の揺れが迫り上がってくるというよりは、まるで高速移動
中の物体が接近して来ているような、そんな印象を受ける震動だった。
「来たわ…うふふ…」
初子の唇が、世論を得た独裁者のような感じに歪む。
震動は、いよいよその揺れ具合を増し始めていた。
「モグモグ…来たんじゃないカナ? 来たんじゃないカナ? モグモグ…」
若菜も邪悪な笑みを浮かべるが、モンブランを食べながらだと、いまいち決
まらない。
「ま、まさか…」
本能的な恐怖からか、子鹿が喉の渇きを覚え、唾液を飲み込む。
「ふふ、そうよ、そのまさかよ。対靖臣要員として、これ以上の存在はないっ
て人を呼んであるのよ…ふふふ」
「チクったんですよ、チクったんですよ…モグモグ」
突如、辺りに鳴り響く警告サイレン。
「くしゅっ?」
続いて警告文。
W A R N I N G
―――――――――――――――
ON MA RI SHI EI SOWA KA
The big sister is approaching
at full throttle.
According to the data. It is
identified as“Suzunee”
―――――――――――――――
NO REFUGE
これだけで、このパートを誰が書いたか、判る人にはバレバレである。
余談だが、その執筆者的には警告文のキモである『オン・マリシエイ・ソワ
カ』の部分を、オリジナルと同じく梵字で表示させようと色々と試行錯誤して
みたものの、結局は駄目であったそうな。
ともかく、史上最強――否、宇宙開闢以来、最甘なお姉ちゃんキャラは、す
かいてんぷるのドアを、バンッと力任せに開けて出現した。
「オミくんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!」
その身に、激しく燃え立つ嫉妬の業火を宿しながら。
13:50
すかいてんぷる 9番テーブル
The SKY TEMPLE 9th table 13:50 PM
混沌の闇に突き落とされかかる自分を、現世に留めるには刺激が必要になる。
時には頭を殴打し、痛みの力を借りる。
時には芥子を目蓋に塗って、辛さの力を借りる。
時にはドリンク剤を服用し、薬の力を借りる。
そして意識を留め、既に寝るという事柄すら忘れてしまった同人作家達はた
だただ原稿を書き続けるマシーンとなる。
眠る事を忘れた彼女等のガソリンは水分である。
缶詰と称して立て篭もったこの店に入ってからずっと彼女達は飲み物を摂取
し続けている。
だからこそ、尿意がそんな彼女達に襲いかかってくるのは自然のことである。
彼女等がまだ人間である事の唯一の証でもあった。
「ということでウチらはちょっとトイレに行くで」
「…ふぇ?」
一人語りを虚空にして、軽く手を挙げるように宣言をソファーにして由宇は
立ちあがり、隣にいた詠美の襟を掴んでトイレへと歩き出した。
尿意は睡魔よりも手強く、決して我慢してはならない強敵である。
今の状態で我慢したら最後、
「漏らす、かも知れません」
由宇の頭の中とは別の物語を描いていたらしい彩は、二人を見送ることなく
由宇の紙オムツ着用のイラストを熱心に描き始めていた。ばぶーの台詞付き。
勿論、正気にかえった由宇に身に覚えのないまま死ぬほどドツかれることに
なるのだが、それは数日後のお話。
あたしは各国首脳の見守る中、会議の参加者にトイレに行ってくると宣言し
て、席を立った。
トイレならば、落ち着いて考えごとができそうだから。
会議はずっと煮えたまま動こーとしない。
大国のエゴとエゴ。
私利私よくだけがゆー先され、人類の未来など誰も考えてはくれなかった。
自分とこの国民だけが、その自国民に応援されている自分だけが別かくな存
在だし。
他のぱんぴーなんか知ったことじゃないわけ。
そんな連中がみんな、あたしのけつだんを求めていた。
お願いします、詠美さん。
あなたの決意こそが世界を救うのです。
そこまで頼まれちゃったら仕方がない。
あたしはじゅくこーを重ねて、じゅーだいはっぴょうを下さないとならない
のだ。
あたしのマンガが、世界のめーうんを決める。
だからトイレへと急ぐのだ。
ずんどこずんどこたんとんとん。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド
「ん? 闘いはまだこれからやで……」
「足音が近づいて……もしかしてあたしの命を狙うヒットエンドマン?」
トイレのある入り口付近の方までそれぞれ意識だけを別世界に転送していた
2人は、近づいてくる足音と振動によってその場に立ち止まってドアの方を向
いた。
砂埃が、
光が、
音が、
「「あ………」」
その時、彼女たちは紛れも無く――翔んだ。
13:51
すかいてんぷる 7番テーブル
The SKY TEMPLE 7th table 13:51 PM
気が付くと、目の前では髪の異様に長い女性がムッチャ怒っていた。
「オミくんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!」
「うわーんごめんようすずねえ!!」
「超早っ!?」
初子の驚いたような呆れたような声がしたが、幾ら驚かれようとも即座に謝
らないとそのタイムラグが命取りになる。
特にすずねえの場合。
「お姉ちゃんパンチ!」
「ぐぶぅっ!?」
しかし今日のすずねえはいつもの10/10倍怒っていたせいか、問答無用
の攻撃が俺の鳩尾を直撃する。
「ってことはいつも通りなのカナ」
「ケーキに関してはな。「パンは要らないからケーキを食べるんだぞっっっっ
っっっっっっっっっ!!」と古来中国の偉い人も言っていたし」
「中途半端に似ていて気持ち悪いぞっっっ」
あ、ちょっと勢いが弱まった。
「それを言ったのは中国の人でもないし、そんな風にも言っていなかったんじ
ゃないカナ。それにその言葉は「食糧難の際にはパンとブリオッシュを同じ値
段で売りなさい」という当時の法律から出た言葉とも、そもそも革命派のプロ
パガンダだったとも言われているそうなんだって。可哀想だね、アントワネッ
トさん」
「いや、そんな歴史の教科書の欄外に2行ぐらいで書かれていそうな豆知識は
どうでもいい」
その前にボディを強かに打たれて動けないオレの立場を見て欲しい。
「芋虫さんみたいで可愛いんじゃないカナ。可愛いんじゃないカナ」
「二回言うな」
「アンタも結構余裕あるじゃない」
うるさい。
「はぁ、オミくんの歴史知識って……」
すずねえの呆れたような溜息。
というか何故そこで溜息をつかれなくちゃならない。
「落ち着いたところで話を戻そう。それよりも君はさっきまで佐久間君とのデー
トを楽しんでいたのではないのかね?」
「うわっ!? 忠介!」
つうか、何話を戻しているんだこの男は! というかいつからそこにいた!?
「いや、桜橋先輩が来た時に衝撃で他の客諸共飛ばされて行った佐久間君の冥
福を祈ると、目頭が熱くなったもので」
「そう言いながらその手に持っているデジカメは何だ!」
「そうよ贅沢よ。あたしだってハンディカムで我慢しているんだから!」
「もっとタチが悪いわ!!」
全くコイツラと来たら、人の不幸を最大限に味わおうとしていやがる。
「カナ坊、こいつらに最低限の人としての常識を教えてやってくれ」
俺の視線が自分に向けられたことを知ったカナ坊は困ったような顔をする。
「でも、自業自得なんじゃないカナ」
「なんだとこの野郎!」
「痛いんじゃないカナ! 痛いんじゃないカナ!」
「オミ君、何弱いもの苛めしてるの!!」
「うわ―――――――――――――――――ん。お姉ちゃんが怒った!!」
号泣。
「え、そ、そんなことないぞ。お姉ちゃんはちっとも怒ってなんかいないぞ!!」
「ケーキセットとほうじ茶。以上でよろしいですね。ごゆっくりどうぞ」
上手く誤魔化せたと思った瞬間、近くの席で店員のそんな声が聞こえる。
同時にすずねえの耳がピクリと動く。
「あ……」
「そうよ。お姉ちゃんのケーキ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うわぁっ!?」
「―――――――――――――っ!?」
運び終わって帰りかける店員を身代わりにして飛び退く。
さっきがハリケーンミキサーだったら今度のはビック・タスク。
一瞬遅れていれば、あの瓦礫の下に俺は埋もれていただろう。
というかすずねえもう起き上がってこっち来るし。
「オミくんっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!! 待ちなさいっっっっ
っっっ!」
「す、すずねえ! ケーキケーキ」
すずねえの突進を避けるべく、目に付いたテーブルに置かれていたケーキセ
ットのケーキを贄として差し出す。
「!!」
「あ……」
呆然とする男性客と少女の声が聞こえたが時既に遅し。
ケーキは至福の表情を浮かべるすずねえの口に順次投下されていった。
「はむはむはむ……とっても美味しくてお姉ちゃん幸せだぞっっっ! って、
オミくんっっっっっっっっっ!? 何てことするのっっっっっっっっ!!」
「いや、つい防衛本能で」
「防衛本能だからって……はむはむ……人様のケーキを……はむはむ……勝手
に……ご馳走様」
言いながら食べきるのは流石俺のお姉ちゃん。
ケーキのことだと全ての倫理が変わるようだ。
「あのぅ……あ、あ、あ……」
「……へ? きゃっ!?」
眼鏡の客の声にすずねえが振り向くと、思いっきり滂沱している少女の顔が
目に入った。
「…………」
気まずい空気がその場に流れる。
「あ、その……」
「すずねえが悪い」
「オミくんが急に差し出すから!!」
「どっちもどっちじゃないカナ」
「全くこの姉弟は……」
何か他人事のように見守るカナ坊と初子。
俺達だけのせいっスか!?
「ごめんねごめんね。ほら、オミくんも謝りなさいっっっっっっっっっっっ」
「いたたたた、痛い痛いってば! 首がもげるっ!」
「ちょっと靖臣。何してるのよ!!」
ようやく気絶から目がさめたのか、放って置かれていた晴姫が俺たちの方に
やってくる。
波乱の予感。
「いつものことじゃないカナ」
冷静なやつめ。しかもちゃっかり席についてマロングラッセなんか注文して
いやがるし。
さっきの店員も目を回しながらも律儀に注文受けてるし。意外に打たれ強い?
「ねえ靖臣ったら!」
「大人になる為の階段を登っていたんだ」
「私には子供を泣かせて謝っているようにしか見えないけど」
「いや、これは将来取引先の部長に部下の失態を詫びている時を想定した練習
なんだ」
「あのねぇ……」
「御免なさい。全てオミくんのせいなので、お代は体で払います」
「すずねえ、なに口走ってる!」
気が付くと、すずねえがカウンターのレジの脇の障害者募金用の盲導犬の貯
金箱に謝っていた。
注目を浴びていることに気が付いてしまったらしい。
「じゃあオミくんの体で払います」
「払わねえ!」
「じゃあ、オミくんは一体誰の体で払うのよ!」
「体で払うな! というかそれは植木鉢だ!」
「ぐすん……靖臣はどうしていつもいつも桜橋先輩の方ばっかり……そ、そり
ゃああたしの体じゃ桜橋先輩に比べて魅力はないけど……」
その声に振り向くと無視されていた晴ぴーが泣いていた。
「あ、また泣かせたんじゃないカナ」
「二人も泣かすなんてひどい男ねー」
「鬼畜そのものだね」
「お前らも帰れ!!」
「オミくんっっっっっっ! お姉ちゃんはオミくんを女の子を泣かすような子
に育てた覚えはないぞっっっっっっっっっっっ!!」
もう、俺が泣きてぇ。
14:12
すかいてんぷる 6番テーブル
The SKY TEMPLE 6th table 14:12 PM
「レン……出ようか」
無言で泣きつづけるレンの頭を撫でて宥めながら、目の前の漫才軍団を避け
るように志貴は伝票を持って席を立った。
「……」
「……」
同時に最初の突進で天井に張り付いて気絶している女二人組に気を止めるも
のは誰も居なかった。
そんな余裕ないし。
14:23
すかいてんぷる 16番テーブル
The SKY TEMPLE 16th table 14:23 PM
「「「「ごちそーさまでした」」」」
「いやあ、食った食った」
「とてもおいしかったでするる」
「じゃ流菜、勘定済ませておいてくれ。オレ、トイレに行ってくるから」
尿意を催して立ちあがると、流菜が服の裾を掴んできた。
「え? おにいちゃん、お財布持ってないの?」
「ん? じゃあメム、頼んだぞ」
流菜はどうやら財布を持っていないらしいのでその横にいたメムに頼むこと
にする。
「わっかりましたー」
「うむ。いい返事だ」
頷くオレに彼女はスッと手を差し出す。
「じゃあご主人サマ、お財布を」
「……へ?」
「ですからお財布をお願いします。でないとお支払いが出来ません」
「じゃあ雛城は……」
嫌な予感を感じながら、それでも望みを託して最後の同席者の方を向く。
「先輩が持って」
「ないぞ」
「……」
「流菜」
「だ、だからおにいちゃんが」
「メム」
「ですからお財布をどうぞ」
「雛城」
「わ、わたしは……」
「流菜」
「だからないってば」
「……」
「……」
「食べ終わったお皿を、お下げして宜しいでしょうか」
誰も返事をしないのを了解と受け取ったのか、単に忙しいからなのか子供の
ような店員は手際よく食器を重ねると「よっ…、とっ…、はわわ〜」とよろめ
きながら運んでいった。
「……」
「……」
「……」
「……」
その間も固まり続ける我等四人。
正確には男一人に女二人にロボ一体。
「自慢すると今日の俺は財布なんぞ持ち歩いていないぞ」
腕を組んで胸を張る。
そこまでする必要があるかわからんが、ここは気合だ。
「どうしてそれが自慢なのよ!」
「お前らがオレを呼び出したんだろうがっ!!」
人が戻る前に揃ってこの店に来ていたのだからてっきり財布は持っていると
思っていた。
それが普通の判断だろう。
うん、オレは間違っていない。
更に胸を張ることにする。
「うっわー、ご主人サマえらそうですぅ」
ご主人サマとは元来エラそうなものなのだ。
今までオレは間違っていた。
これからはもっともっと威張らなくては。
「で、どうしてオレを呼び出したんだ?」
「え!? そ、それはそのおにいちゃんに決めてもらおうと……」
「決め…何を?」
オレの態度に不満そうな顔をしていた流菜がいきなり焦り出す。
「え、えとえとえと」
急に自分の指同士を突つきあって流菜が俯くと、脇にいたメムと目が合う。
「それはですねー、ご主人サ――
「……と、いうわけで本日1430時より、第一次ファミリーレストラン飲食
費精算作戦を開始します。総員整列っ! 番号ぉ」
「いっちでーす」
「に、でいいんですか?」
「さん」
「よん。……以上。これより作戦を説明します」
流菜によって無理矢理話題を差し替えるが、誰も気づかなかったようだ。
まあ、オレもそんなには気にしない。
記憶喪失のせいか元々の性格なのか、あまり物事に拘らない。
「まず特殊工作員が忘れてきたお財布を取りに、店員の目を潜り抜け、家まで
戻ります」
テーブルの上に地図があるかのように、指で指し示す。
「途中、道草、寄り道、買い食いなどのトラブルを起こさず、誘惑にも耐え、
速やかに現ポイントまで戻って本隊と合流するよーに」
全員が真面目な顔をして頷きながら見守る。
「従ってこの任務に付くものは使命感と責任感、そして何よりも大事なのは非
トラブルメーカーの称号を保有しているものを優先し厳選します」
言うなぁ、流菜。
まあそれにはオレも同感だ。
「そして本隊は囮として現ポイントに待機。出来る限り不審に思われない程度
に席を維持し、工作員がお財布を持って帰還するのを待ち続けます」
「隊長隊長」
「そこ、質問は挙手によってお願いします」
「はーい」
「はい。メム隊員」
「冷凍バナナはやっぱりおやつに入るんですか?」
「他に質問がなければ、作戦にかかります。時計の針を合わせたら総員、配置
について!」
「流、流菜さぁ〜ん」
メムの言葉をきっかり無視した流菜の言葉で、全員でそれぞれの腕時計を見
る。
店内の時計が二時半を告げた。
同時に流菜が号令をかける。
「第一次ファミリーレストラン飲食費精算作戦開始!」
ジャン!
「ということで、行ってくるね」
「おう」
「流菜ちゃん。気をつけてね」
「うぅぅ、流菜さぁ〜ん。生きて戻ってきてくださいねぇ〜」
「じゃ、オレはトイレに……」
再びソファーに腰を下ろして寛ぐ面々を余所に、流菜は小走りで店内を出て
いった。
しかしたったそれだけのことだが、面白いなオレたち。
「すみませーん! 追加注文いいですかー?」
「あ、わ、私も……」
果たして、寺井家の家計に希望はあるのか?
「あ、ついでにオレにはこのホットケーキと……」
目的地が銀行に代わる第二次作戦が行なわれるのは確実だった。
14:37
すかいてんぷる 出入口前
The SKY TEMPLE entrance 14:37 PM
「鳴海さん…」
私――穂村愛美は、鳴海さんの勤務先であるファミレスの前に立ち、切なげ
な溜息を漏らす。
店の評判は上々らしく、ランチタイムは過ぎたというのに、店内は人で溢れ
かえっていた。
ガラス戸越しに、従業員達が八面六臂な活躍で接客サービスをこなしている
のが窺える。
「あ…」
そんな中、私は彼の姿を見つけた。
目まぐるしい忙しさの中でも、爽やかな笑顔を忘れない鳴海さん。
ああ、愛しい。
例えそれが接客スマイルだとしても、私にも向けて欲しい。
ううん、私だけに向けて欲しい。
私だけに笑いかけて欲しい。
…でも、それは叶わない願い。
「……」
切なくなる。
だって、私達はそういう関係ではないもの…。
そう、彼にはちゃんと恋人がいるの…。
涼宮遙さん…。
私が務めている病院の入院患者。
そして私は、彼女の担当看護婦の一人。
だから鳴海さんにとって、私はその程度の認識でしかない…。
「……」
こんなの、残酷過ぎます!
私は、こんなにも鳴海さんのことを想っているのに、こんなにも彼の近くに
いるのに、彼は決して振り向いてはくれない…。
どうしたらいいの? どうしたら彼は私の方を向いてくれるの? どうすれ
ば、彼は私だけの物になるの?
「う…」
「え?」
と、そのとき、脇の方から苦しげな呻き声が聞こえ、私は思考を打ち切った。
「ぐ…」
呻き声は、このファミレスと隣のビルとの間にある、狭い私道から聞こえて
くる。
まさか急患では?
私は自分の中に看護婦としての使命感が、沸々と沸き上がってくるのを感じ
た。
「うう…」
とにかく行ってみよう。
本当に急患だとしたら、今、この場で介抱できるのは私だけだ。
私はファミレスの入口を離れ、呻き声の聞こえる私道の方へと向かい、中を
覗き込んだ。
「あっ!」
私は声を上げた。
人気のない通路の上で、若い女の人が俯せに倒れていたからだ。
やはり急患だった。
「だ、大丈夫ですか?」
私は、すかさずそばへと駆け寄り、女の人を抱き起こす。
「あ…」
なんて綺麗な人…。
一瞬我を忘れ、思わずその女の人に見入ってしまう。
シックな色合いの赤いリボンで、後一つにまとめた金色に輝くセミロングの
ブロンド。
名人の手による陶器を思わせるような、きめ細やかで白い肌。傷は疎か、染
み一つない。
まるで、絵画に出てくる美女のように整った目鼻立ち。
すらりと伸びた手足に、見る者を惹き付けて止まない、美しいボディライン。
そして、それを隠すどころか強調するかのような、肌にフィットしたタイト
な衣服。
本当、同性の私から見ても、惚れ惚れするような美しさ…。
「うう…」
女の人の呻き声で、私は我に返る。
いけない! 見入っている場合ではない。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「く…」
私は必死に呼び掛けるが、女の人は、ただ苦しげに呻くだけだった。
眉間に縦皺を刻み、麗しの美貌が苦悶に歪む姿は、酷く扇情的だった。
思わず唾を飲み込む私。
ゴクリと喉から聞こえる音が、嫌に大きく聞こえた。
「あ…お…おなか…」
ふと、女の人の口から初めて、呻き声以外の言葉が聞き取れた。
おなか…と言っている。おなかが痛いのだろうか?
「おなか? おなかがどうしたんですか?」
「…お、おなかが…」
「おなかが?」
「…おなかが…減った…」
「はあ?」
私は、体中から一気に緊張が抜けていくのを感じた。
どうやらこの女の人は、空腹のあまり動けなくなってしまい、ここに倒れ込
んでしまったようだ。
でも、動けなくなる程の空腹だなんて、今の日本のご時世で珍しい。
ともかく原因は判った。
空腹なら、それを満たしてやればいい。
そして運のいいことに、今自分達のすぐ横にはファミレスがあるのだから、
食べ物には困らない。
もっとも、動けなくなる程の空腹状態だということは、もしかしたらこの人、
お金をそんなに持っていないのかもしれない。
けど、もしそうならそうで、一食分くらいのお金、私が貸してあげてもいい
だろう。
「あなたは、おなかが減ってるんですね?」
「あ…ああ…」
女の人は頷く。
「じゃあ、すぐそこにファミレスがありますから、そこへ…」
私は女の人の肩を担ぎ、彼女を起こそうとした。
が、彼女は逆に私のことを、ぐいっと自分の方へ引き寄せる。
「え? な、なにを…」
「ふふ、別にファミレスじゃなくてもいいさ…。アンタをいただくから…」
え? 私? え? え?
この人、なにを言ってるの…。
「よ…っと…」
「きゃっ!」
一瞬、女の人が言った言葉の意味が理解できずに、動きを止めて首を傾げた
私を、彼女は手足を巧みに使って仰向けの形で地面に寝かせると、その上に馬
乗りになった。
「ひっ!」
私は、全身の毛穴から冷たい汗が噴き出していくのを感じた。
同時に沸き起こる恐怖。
皮膚の下を虫が這いずり回る、あの感触。
怖い! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い!
「ああ、そんなに身を強張らせなくても大丈夫だって。別に取って喰おうって
わけじゃないからねぇ…。ただちょっと、精気を分けてもらうだけだって」
「え? せ、精気?」
「痛くないから、はい、力抜く抜く。…いや、むしろ気持ちいいかもねぇ…ふ
ふ」
この人、なに?
一体、なにを言っている…ひゃんっ!
「んふふ…可愛い声だねぇ…」
「あ…ああ…やめて…いや…」
「大丈夫、大丈夫…ほれほれ、お姉さんに任せなって…」
「…そ、そんな…あ…いや…ん…」
「んー、アンタ人間にしては、精力絶倫だねぇ…。なかなか美味しいよ」
「あっ! …そんな…駄目っ! 揉まない…うん…でぇ…。あ、そんなとこ、
噛んじゃ…あうっ!」
「だーめ…ふふ」
「い…や、舐めちゃ…舐めちゃ…いや…嫌ぁぁぁぁぁ…」
「本当に、嫌なのかい?」
「はぁはぁ…う…あ…あぁん…いい…」
「んふふ…だろ?」
「ああ、いいよぉ…気持ち…いいよぉ…もっと、もっとぉ…」
「言われなくても、そうするよ。じゃあ、いただきまーす」
「ああっ!」
それから一体どうなったのか、どれだけの時間が流れたのか。
気が付くと私は、放心状態で地面に寝かされていた。
呼吸が荒いのが、自分でも判る。
でも、そうやって次々と肺の中へ次々と入ってくる酸素のおかげで、次第に
頭が冴えていき、朧気ながら自分の置かれている状況が、理解出来つつあった。
「はっ!」
頭が冷静になるに従って、込み上げてくる羞恥心。
そうだ、私は綺麗な女の人が道端で倒れているのを見つけ、介抱しようとし
て、そのままその女の人と…。
「っ!」
私は慌てて飛び起きると、自分の体を見回しました。
体の芯が火照っていることを除けば、なんらおかしい箇所はない。
服も少し乱れてはいるけど、ちゃんと着ている。
「一体…今のは…」
夢?
あの出来事は夢だったの?
私の頭は、先程の出来事を夢と解釈することで、理性を保とうとした。
けど、そんな私に横から掛けられた声が、あれは現実だったと無情にも教え
てくれた。
「んふふ…ごちそうさま…」
声のした方へ、恐る恐る頭を動かしてみると、そこには、満足そうな笑みを
湛えた例の女の人が、しゃがみ込みながら私の顔を覗き込んでいた。
「ひっ!」
私は、たまらず胸元を押さえながら後ずさったけれど、すぐに壁に行き当た
って、進退窮まってしまう。
「あらあら、そんなに怯えなくても…。あはは、嫌われちゃったかしら? ま
あ、そうようねぇ…いきなり見ず知らずの女に、あんなことされちゃあねぇ…」
あんなこと…。
女の人の言葉で、私は先程のことを思い出し、顔が真っ赤になるのを感じた。
「お? もしかして照れてる? ひゅー、可愛いねぇ。そういう恥じらいを、
ウチの奴らに見習わせてやりたいよ。…まったくアレイは真面目過ぎるし、イ
ビルはやかましいし、エビルは無愛想だし、たまは…っとと、アタシばっか話
してゴメンねぇ…。アタシ、メイフィア。メイフィア・ピクチャー。…あんた
は?」
私は名前を問われたものの、答えることが出来なかった。
それ程まで、頭の中は混乱していた。
「うーん、口もきけない程怯えてるのか…。まあ、刺激が強すぎたかな? と
にかく謝っておくわ。アタシは食べ物からエネルギーを得るより、人から精気
を分けて貰った方が、効率いいのよねぇ…。でも食べ物が嫌いってわけじゃな
いからね…あ、煙草いいかな?」
私は、恐る恐る頷く。
「サンキュ」
女の人は、慣れた手付きで煙草をくわえて火を付けると、人懐っこい笑みを
浮かべながら私の隣に腰を下ろし、空を仰ぎつつ事の経緯を話し始めた。
「…でさぁ、ちょっと河岸を変えて一発稼ごうかと思ったんだけど、やっぱ慣
れてない土地のせいか上手く行かなくてねぇ…。2000円のカード一枚で確
変引いたのはラッキーだったけどさ、ついつい熱くなっちゃって、気が付いた
ら出したドル箱は疎か、種銭やメシ代すらもスっちゃってねぇ…」
どうやらこのメイフィアと名乗った女の人は、古くからある名家の従者のよ
うだ。
しかし時代の流れか、仕えている家には膨大な借金があり、その借金を返す
足しにしようとパチンコをやったのはいいけれど、食事代を注ぎ込む程大負け
してしまい、ここで行き倒れと化していたらしい。
そもそも借金額がいくらあるかは知らないが、ギャンブルで返そうという考
えは間違っている気がする。
けれども、そのことは本人も判っているらしく、「やっぱ、泡銭で借金を返
そうなんて、そう上手くは行かないよねぇ…世の中ってヤツはさ」と、あっけ
らかんと笑いながら話していた。
先程の笑みといい、もしかしたらこの人、そんなに悪い人じゃないのかもし
れない。
私は、自分の中の警告心が薄らいでいくのを感じていた。
「あ、さっきのアレイとかってのはね…」
他にも、その家に同じように仕えている従者仲間の話とか、自分の主人の話
とかの身の上話もされた。
「…で、ルミラ様はキレると怖いんだ。持ってる魔力が尋常じゃないからさ、
下手すると、街の一つや二つ、軽く吹き飛ばすような怒りっぷりを発揮してく
れちゃうのよ」
「は、はぁ…」
時折、魔族がどうとか、天使がどうとかの話が出てきたが、私にはサッパリ
判らない世界だった。
「さて…と…」
吸っている煙草が半分くらいになった頃、メイフィアはおもむろに立ち上が
り、大きく伸びをしながら「んじゃ、アタシは行くわ」と言ってきた。
「ホント、さっきは悪かったね。でも、おかげで助かったから、なんかお礼を
しないとねぇ…」
そう言いながら、衣服のポケットをゴソゴソと漁るメイフィア。
やがてなにか見つけたのか、「おっ?」と嬉しそうな顔になった。
ゆっくりとした仕草で、彼女はポケットの中から手を取り出す。
外に出された彼女の手の中には、紫色した小さな水晶があった。
「ふふん、魔法を込めたアメジストか…。こいつに込めた魔法は…えーと、た
しか召還系…だったっけ? うん、悪くないわね」
親指大程のアメジストを空に透かしながら、ブツブツと独り言を言っていた
メイフィアだったが、不意に私の方へと向き直り、微笑む。
「はい、お詫びとお礼の意味を込めて、コレ、アンタにあげるわ」
自分の前に差し出されたアメジストを、私は恐る恐る受け取る。
「それには魔法がかけてあってね。自分の心に描いた存在を、遠くから引き寄
せることが出来るんよ。一回こっきりだけどね。…けど、引き寄せるのは人で
も物でもなんでもOKだから、上手く使えば役に立つと思うよ」
「はあ…」
私はメイフィアの言葉を話半分で聞きながら、彼女がそうしたようにように、
アメジストを空へと透かしてみる。
天を覆う青い筈の蒼穹は、私の手の中でだけ紫に染まっていた。
「じゃあね、また縁があったら、今度酒でも飲もうや…」
そうメイフィアが言った直後、辺りに一陣のつむじ風が吹いた。
「きゃっ!」
私は反射的に目を閉じる。
肌が風を感じなくなってから再び目を開けると、今まで横にいたはずのメイ
フィアの姿が消えていた。
文字通り、つむじ風に乗って消えたかのように…。
「え? …あれ?」
夢?
やっぱり、あれは白昼夢だったのだろうか?
「……」
けれど、自分の手の中に視線を落とすと、確かに彼女からもらったアメジス
トが輝いている。
『それには魔法がかけてあってね。自分の心に描いた存在を、遠くから引き寄
せることが出来るんよ。一回こっきりだけどね。…けど、引き寄せるのは人で
も物でもなんでもOKだから、上手く使えば役に立つと思うよ』
そう、メイフィアは言っていた。
人でも物でも…。
あれが夢なら夢でいい。
夢ならば、ついでに試してみよう。
この手に残された、夢の欠片を…。
込められていると言う魔法を…。
私は、アメジストを天に掲げて叫んだ。
「カムッヒアァァァァァッ! 鳴海さぁぁぁぁぁんっ!」
叫びに呼応するかのように、私の中でアメジストが激しく輝き、そして澄ん
だ音を立てて砕け散った。
「……」
それだけだった。
他にはなにもなかったし、なにも起きなかった。
鳴海さんも、私の前には現れなかった。
私は手を天に掲げたままの姿勢で、呆然と固まっていた。
風が、とても悲しい音を立てて、そんな私の脇を通り過ぎていった。
「ふ…ふふ…うふふ…」
自然と笑みがこぼれてくる。
そうよね、そんなに上手い話はないわよね、この世の中。
あれは、やはり夢だったんだわ。
人に頼らず、自分の力で目的を達成しろっていう、いわば戒めの夢…。
うん、私決めたわ!
自分の力だけで、鳴海さんを私の物にしてみせる!
取り敢えず…そうね、クロロホルム辺りを使って、身柄を拘束しようかしら?
うふ、こういうとき、病院勤務だと色々と楽ね。
さぁ、思いついたら即行動あるのみよ、マナマナ!
ああ、楽しくなりそう…うふ…うふふふふふ……。
15:10
すかいてんぷる前 100m地点
Before the SKY TEMPLE 100m-spot 15:10 PM
「あ…」
道を行き交う人々の雑踏へ身を置いていたメイフィアは、突然、なにかを思
いだしたかのように、声を上げて立ち止まった。
「いっけね、アメジストに込めた魔法は、召還系は召還系でも、次元間レベル
のものだった」
どうやら、先程愛美にあげたアメジストのことを言ってるようだ。
「まずったなー。あれじゃ、あの子の役には立たないし、なによりも使われた
日にゃ、なにが飛び出してくるか判らないわね…」
困ったように頭を掻きながら、「戻って返してもらおうか?」と思い悩んで
いたメイフィアだったが、やがて「ま、いっか」と開き直る。
「どうせ使っても、『ツインテールを結った娘を、召還地点に三人揃える』っ
て発動条件を満たさないと意味ないし…。それに、あの宝石自体そこそこ価値
があるから、質に出せばなかなかの小銭は稼げるしね」
そう自分の中で納得し、メイフィアは再び足を動かす。
だが、彼女は気づいていない。
愛美が、自分のあげたアメジストを既に使っており、その地点から壁一つ離
れた場所に、ツインテールを結った娘達が三人いたことに。
NEXT