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09:20 すかいてんぷる前 700m地点 Before the SKY TEMPLE 700m-spot 09:20 AM 「はぁ、はぁ、くそっ! こりゃどう考えても、間に合いそうもないぞ!」  鳴海考之は、まだ人の少ない朝の商店街をひたすらに走っていた。  彼が目指しているのは、勤務先であるファミリーレストラン『すかいてんぷ る』。  彼の仕事場に於ける拘束時間は、毎朝9時30分からスタートする。  そして、現在9時20分過ぎ。  あと約10分以内にタイムカードを押さないと、遅刻となる。  そのため、考之は息を切らしながらも必死に走っているのだが、目的地であ る店舗は、未だ彼の視界にすら入っていなかった。 「ちぃっ! このままじゃ確実に遅刻だ! まぁた大空寺のヤツにボロクソに 言われちまう! はぁ、はぁ…」 『糞虫のクセして、遅刻してくるとはいい根性してるさ! …ま、理由として は、昨日の夜に女と乳繰りあうのを頑張りすぎて、寝過ごしたってトコかしら ね。…あったく、色ボケすんのもあんたの勝手だけど、きちんと自己管理ぐら いはやってもらわないと、こっちがいい迷惑さ! …とは言え、虫風情に自己 管理なんて高等技術、望むのが無謀やね。なんてったって虫は虫。所詮、本能 の赴くままに生きてるんやから』 「…とかなんとか、あいつなら言いかねん! いや! 確実に言う! …ま、 確かに昨日の夜は頑張りすぎたけどよ…。けど…けど仕方ないだろ! 若いん だからよ! お前だって彼氏が出来りゃ判るよっ! …って、自分の中の大空 寺とやりあってる場合じゃねえっ! マジで時間ねえんだからよ!」  走りながら携帯を取りだし、時間を確認する孝之。  LCDには、『AM 9:26』とデジタルで表示されていた。  だが、すかいてんぷるはまだ見えない。 「くっ! こうなったら仕方ない! これだけは使いたくなかったが、そうも 言ってられなくなってきた! あれを使わせてもらうぜ! 脳内クロックを引 き上げ、同時にリミッターをカットして体の運動性能を一時的に引き上げる禁 断の秘技! 行くぜっ! 加速そ…」  がりっ!  考之が最後まで言い終わる前に、彼の口の中から、奥歯で肉を噛み切るよう な嫌な感じの音がした。 「ぎゃおぉぉぉぉぉっ!」  人目もはばからず、路上でのたうち回る考之。  周りの人々は思わず足を止め、一体何事かと興味津々の面持ちで転げ回る考 之を見る。 「ひ、ひたはんだぁぁぁぁぁっ! はうぅぅぅぅぅっ!」  どうやら禁断の秘技云々以前に、走りながら喋っていたせいで、舌を噛んだ 模様である。  走りながら喋っていると、痛い目を見るという良い見本だ。  そして、時間は無情にも流れていく。  人の身で、否、神や悪魔と呼ばれる者達ですらも、その奔流を止めることは 叶わないのだから。 09:27 すかいてんぷる 関係者通路 The SKY TEMPLE person concerned passage 09:27 AM 「いい天気ですねぇ…」  通路に備え付けられている窓から見える青空に、玉野まゆは視線を泳がす。  色鮮やかな晴天に、果たしてどんな思いを走らせているのか。  その表情は、いつにもまして緩んでいた。 「ほんと、こんな日はどっか遊びに行きたいさ…」  彼女の横で、大空寺あゆが同じように雲一つない蒼穹へ目を細めた。  普段、人当たりのきつい表情ばかりしている彼女も、今だけは透き通った青 空の持つ魔力か、不思議と穏やかな顔付きだった。  だがそれも僅かの間だけで、すぐにいつもの、『すかいてんぷるの猛獣』と 畏怖される顔に戻る。 「しっかし遅いわねー、ヘタレ虫」  壁に掛けられている時計を見ながら、あゆがぼやいた。  時計の針は、もう9時30分になるかならないかの辺りを指していた。 「考之さんですかぁ? そう言われれば…まだお見えになってませんねぇ…」  額に手を当て、キョロキョロと辺りを見回すまゆ。  しかし職場の同僚内で、『ヘタレ虫=考之』として認証されているとは、彼 も哀れである。 「他にも糞虫とか、ウジ虫野郎とか、スカタンとか、犬畜生以下とか、呼び名 は色々あるさ」 「ふぇ? 先輩、誰と話していらっしゃるんで?」 「まゆまゆは気にしないでいいのさ」 「はぁ…」 「そんなことより糞虫さ! この時間になっても現れないとなると…まさか、 サボりるつもりか!」 「ひぇーん! サボりは重罪ですぅー! 市中引き回しの上、打ち首獄門です ぅ!」 「いや、あのヘタレには死すら生ぬるいさ! 終生遠島を申し渡し、人のいな い孤島で、残りの人生を後悔で費やしながら生きていくのが相応しいさ!」  酷い言われようである。 「あら、一生地下牢で逆さ磔にされるよりマシだと思うけど」 「ふぇふぇ? 先輩、またまた誰と話していらっしゃるんで?」 「まゆまゆは気にしないでいいのさ」 「はぁ…」 「そんなことより糞虫さ! このあたしが思うに、きっと昨日の夜はコレと羽 目を外して楽しみすぎたわね…」 『コレ』のところで、小指をピンと立てて見せるあゆ。 「コレ…ですかぁ?」  まゆが、不思議な物でも見るような顔で、それを倣う。  表情から察するに、きっと彼女は小指を立てるという行為が、どんな意味を 持っているか判ってないだろう。  玉野まゆとは、そういう女の子だ。 「そうさ。大方、そのせいで寝坊でもしてるんちゃう」 「はぁ…」 「…あったく、乳繰りあうのは勝手やけど、翌朝起きられなくなるほど…そ、 その、や…やり過ぎんな…や…」  と、今はこの場にいない考之を窘めるあゆ。  しかし、言い出しこそ威勢が良かったが、語尾に行くに従って声量が段々と 小さくなっていき、最後の方には頬を赤らめながら言う始末。  さすがに、朝から小指を立てつつ『やり過ぎるな』と言うのは、『すかいて んぷるの核弾頭』ですら、口にするのは躊躇われるか。  しかし、恥じらう大空寺あゆとは、ある意味とても見物だ。  天然記念物との近接遭遇に匹敵するかもしれない。  普段は野獣のように吠える彼女にも、ピュアな心があったと言うところか。 「大きなお世話さ!」  きっと、ほんの一欠片だろうが。 「時に先輩」  ふと、まゆが真面目な顔で訊いてきた。 「なに、まゆまゆ」 「やり過ぎるって、なにをやり過ぎるんですかぁ?」  嗚呼、無知は罪なのか。  普通、年相応の人間なら、『昨晩、恋人とやり過ぎた』と聞けば、真っ先に 思い当たる行為があるものだが、まゆにはそれがない。  げに恐ろしきは天然系。 「な、なにって…そりゃ…」  これには、さしものあゆですら返答に困った。  どう答えれば良いのか?  オブラートに包んで、雄しべと雌しべの話でもすれば良いのか?  それとも、露骨に話せばいいのか? 「それは?」  あゆの心情など知る筈もないまゆは、ぐい、と一歩詰め寄る。 「そ…それは…その…」  一歩引くあゆ。 「はい、なんなのでしょう?」  更に歩を詰め、目を純粋な好奇心に輝かせて、訪ねるまゆ。  純粋なだけにタチが悪い。  あゆは、幼子に「どうして赤ちゃんは出来るの?」と訊かれて、返答に困る 親の気持ちが少しだけ判った気がした。 「…それは…ね…」 「はい」 「…その…セ…セ…セ…」 「セ?」 「セで始まる運動さ!」  そんな判ったような判らないようなヒントが、あゆの口に出来る限界だった。 「ふぇ? セで始まる運動?」  あゆから提示されたヒントを元に、まゆの脳はフル稼働を開始する。  今まで経験してきたこと、蓄えてきた知識をひっくり返してシンキングタイ ム。 「うーん、うーん、うーん…」  腕を組み合わせ、小首を傾げつつ唸りながら考え込むまゆ。  このまま放っておいたら、脳のオーバーワークで頭から煙が吹き出すんじゃ ないかと思わせる程の考え込みようだ。 「ちょ、ちょっとまゆまゆ、そんなに真剣に悩まなくても…」 「…うーん…うーん…あっ! 判りましたぁー!」  それまで難しい顔で答えを模索していたまゆだが 突然、ポンと手を叩いて、 満面の笑顔を浮かべた。  さながら、難解な公式を解く手立てを得た数学者のように。 「セタパクローですね!」  自身満々に答えるまゆ。 「違うさっ!」  あゆの絶妙とも言えるタイミングで出したツッコミの音が、陽光溢れる通路 に響き渡った。 「…それに、セタパクローじゃなくて、セパタクローさ!」 「まことかっ!」 09:35 すかいてんぷる 11番テーブル The SKY TEMPLE 11th table 09:35 AM 「うーん、どれも美味しそうで、迷っちゃう風味です」  メニューに印刷されている料理の写真を見ながら、姉倉子鹿が自分の嗜好と 格闘していた。 「くしゅふふふ、どれでも好きなの頼んでいいんですよ。今日は私の奢りです から」  子鹿の横で、オーダーを決めあぐねている彼女を、微笑ましく眺めているの は小泉ひより。 「えっと、じゃあボクは…」  そして二人の前に座りながら、子鹿と同じようにメニューを開いているのは、 ひよりの妹である小泉鞠音だった。  しかしファミレスでとはいえ、二人に食事をご馳走できるだけの余裕を持っ ているとは、ドジでもさすが大人。 『腐っても鯛』と言ったところか。 「…うん、決めた。ボクはこのレアチーズケーキの紅茶セット」  そう言って、見ていたメニューをテーブルの上に広げ、中の一点を指し示す 鞠音。  どれどれ、とひよりが身を乗り出し、妹の指が指し示す所を見てみる。  そこには、白いクリームチーズのケーキと、紅色したお茶を注いだティーカ ップの写真が、見る物の味覚を擽るように印刷されていた。 「うん、美味しそうね。じゃあ、私もそれで…」 「じゃあ、アタシはこれ! これをお願い風味です!」  子鹿は、ひよりにメニューを見せるようにして持ち替えると、自分の希望す る一品を指し示しながら言った。  彼女の指は、大きなフルーツパフェの写真に添えられてあった。  細長いガラスの容器に、フレーク、バニラアイス、リンゴ、キュウイ、バナ ナ、オレンジ、チェリー、パパイヤなどが盛り合わせてある一品だ。 「はいはい。…えーと、子鹿ちゃんは…イクラとウニの海鮮丼ね」  しかし、全く見当違いな料理の名前を言うひより。 「えっ!」と子鹿が驚く。  あまつさせ、ひよりが「…随分と渋いのが好きなのね、子鹿ちゃんは…」な どと言う物だから、本当に自分が指さす場所を間違えたのかと思い、慌ててメ ニューを見直す。  だが、自分の指は間違いなくフルーツパフェを指している。  そこで初めて、ひよりにからかわれたのだということを子鹿は理解した。 「ひよりん先生! 酷い風味ですっ!」  子鹿は頬を膨らませ、ぷいっとむくれる。 「くしゅふふふ、ごめんなさい子鹿ちゃん。なんだか、ちょっとからかってみ たくなっちゃって…」  すまなそうに笑いながら、子鹿に謝るひより。 「お姉ちゃん、今の…ちょっとオミ先輩っぽかった…」  ふと、そんなことを言う鞠音。  ひよりは子鹿をなだめつつ、「そうかな?」と小首を傾げ、自分が知ってい る新沢靖臣という人間の行動を思い起こしてみる。 「…うーん、そう言われれば…」  全く持って妹の指摘通り、新沢靖臣という人間なら、間違いなく今の自分と 同じ行動で子鹿をからかうであろうことが、いとも簡単に予想された。 「…くしゅふふふ、そうですね…」 09:40 すかいてんぷる前 1500m地点 Before the SKY TEMPLE 1500m-spot 09:40 AM 「ぶえっくしょいっ!」  あー、なんだぁ? 急に鼻がムズムズしてきたぞ…。  これはアレだな? きっとどこかの可憐な美少女が、俺のことを噂している せいだな。 「新沢…」  横を歩く晴姫が、呆れ顔でポケットティッシュを差し出してきた。 「なんだよ、はるぴー」 「鼻のところ、みっともないから拭きなさいよね」 「なにっ?」  慌てて、俺は鼻の下を指で触れてみる。 「うあっ! ぬちゃぬちゃだー!」  そこには、鼻水がべっとりとこびり付いていた。  ちっ、くしゃみの時に飛び出たのか…。 「…ったく。だから、はい」 「ああ…」  俺は晴姫の手からティッシュを受け取ると、まずは一枚抜き取って鼻の下を 拭き、次の一枚でチーンと鼻をかんだ。 「うー、サンキュ、はるぴー」 「別に、そんなお礼を言われることじゃないわよ」 「いや助かったよ。あ、このティッシュはちゃんと洗って返すからな」 「いらんわっ!」  さて。  俺こと、新沢靖臣はつるぺた膝蹴り女…もとい、同級生の佐久間晴姫と一緒 に、地元を遠く離れたこの街に来ていた。  そもそも何故俺が、晴姫とこんなに良く晴れた休日に行動を共にしているの かと言うと…そう言えば、なんでだ?  うーん、俺らって別段恋人同士って訳でもないし…。けどこれじゃ、デート しているカップル…だよな? 「なあ、はるぴー。そう言えばさ、なんで俺達はこの街へ来たんだっけ?」 「はあ? あんた何言ってんのよ。こないだ、この街にあるファミレスのケー キが美味しいってあたしが言ったら、『是非連れていって下さい、晴姫様』っ てあんたがお願いしてきたのよ?」 「あれ? そうだっけ?」 「そうよっ! あんたが『どうしても食べてみたい』って言うから、このあた しが、せっかくの休日を利用してまで、連れてきてあげたんじゃないっ!」 「むー、そう言われれば、そんな気もしてきたな…」 「まったく、しっかりしてよね」  しかし、覚えてないなー。  時たま俺って、その場の勢いでなにか言う癖があるからなー。  …とは言え、そんな約束でも律儀に守ってくれる晴姫。  なにかあるとすぐ手が…いや、膝が出るような奴だけど、結構義理人情に厚 い、いい奴なのかも…。 「な、なによ、新沢…。急に、そんな感心したような目で見ないでよ…」  「別に…」 「もう、へんな奴…」 「あ、そういや、はるぴー」 「だからなによっ!」  キッ、ときつい表情になる晴姫。  そんなに睨まなくても…。  まあ、俺って意識するしないに関わらず、普段から晴姫に対してなにかしら のちょっかいを出してるからな…。  接し方が棘っぽくなるのは当たり前か…。 「今の俺達って、なんかデートしてるみたいじゃねぇか?」 「なっ!」  みるみるうちに、晴姫の顔が赤く染まっていく。  ん? 更に肩が「わなわな」と震えだしたぞ。  やばっ! なんか地雷踏んだか? 「な、なに言ってんのよーっ! もう、新沢ったらーっ!」 「ごふっ?」  晴姫に背中を、平手で思いっきり叩かれた。 「い、いきなり…お前なぁ…。人の背中を叩くときは、一礼二拍手のあとにや れって、小さい頃に躾られなかったのか? …って、普通そんな躾はしないだ ろ! …とセルフツッコミ」 「きゃーっ! デートだなんて…きゃーっ!」 「…聞いてねえし…。くそっ、俺様ちょっびっちセンチメンタル…」  それはともかく、晴姫の平手打ちは結構な痛さだったが どうやら地雷を踏 んだためではないようだぞ。  その証拠に晴姫は、どこかはにかんだ表情で俺の背中をバシバシ叩く。  な、なんだよ、このリアクション。  もしかして、晴姫の奴……。 「そんな困るわーっ! だってだってぇ、あたし達は…あーっ! もうもうも ぉぉぉっ!」  …で、当の晴姫は、まだ俺の背中を叩き続けてた。  しかし照れ隠しとは言え、そこまで叩かれると相当な肉体的ダメージが…。 「あ、あのよ、はるぴー…」 「ほら、馬鹿なこと言ってないで、さっさと行くわよ!」  俺が文句の一つでも言おうとするより早く、晴姫は俺の手を取って小走りで 走り出す。 「あ、おい!」 「えへへへぇ…」  ま、いいか…。  嬉しそうに笑いながら走る晴姫の横顔を見ていると、文句なんかどうでも良 くなってきたぜ。 09:42 すかいてんぷる前 1505m地点 Before the SKY TEMPLE 1503m-spot 09:42 AM  そんな晴姫と靖臣を、二人から少しだけ離れた所で後を付けている人影があ った。  影は二つ。  小さいのと中くらいのだ。 「ふーん…。全く二人して、随分楽しそうなことしてるじゃないのさ…」  うち一人、中くらいの方は尼子崎初子。 「佐久間さん、抜け駆けは駄目じゃないカナ? 駄目じゃないカナ?」  もう一人、小さい方は楠若菜だった。 「カナ!」 「ういちゃん!」  互いに見つめ合い、頷き合う二人。  その視線には、ジェラシーに燃える女の情念が籠もっていた。 「邪魔してやるぅぅぅぅぅっ!」 「邪魔するんですよ! 邪魔するんですよ!」  二人を包み、静かに燃え上がる青白き灯火。  揺らめく炎の様は、さながらセントエレモの火か、ウィル・オー・ウィプス の輝きか。  恋は人を狂わせる。  届かぬ想いを胸に秘めていれば尚更。  選ばれなかった女達の復讐劇が、今、ゆっくりと始まろうとしていた。 「えっと…」  若菜は、服のポケットからおもむろに携帯電話を取り出すと、慣れた手つき で番号をプッシュしていく。 「…あ、もしもし、楠と申しますが、涼香さんは…あ、涼香先輩ですか? そ うです、若菜です。…あの、実はですね、実はですね……」  嗚呼、楠若菜よ。汝は、なんと恐ろしいことを。  よりによって、桜橋涼香にチクるとは。 「くくく…靖臣が自分以外の女の子と二人っきりで出かけたと、あの超絶に嫉 妬深く、過保護でダダ甘な涼香先輩が知ったら…くくく……」  くい、ずれた眼鏡を指でかけ直す初子。  レンズが陽光を反射して、鈍く輝いた。 09:44 すかいてんぷる 11番テーブル The SKY TEMPLE 11th table 09:44 AM  ボク、小泉鞠音。  髪を頭の両側で、小さく二つにまとめたヘアスタイルがチャームポイントの 女の子です。  今日はお姉ちゃんと、ひょんなことから知り合った子鹿ちゃんと一緒に、ち ょっと遠くのファミリーレストランに来ています。 「じゃあ、私と鞠音はレアチーズのセットで、子鹿ちゃんはフルーツパフェで すね」 「はいっ!」  ボクのお姉ちゃん、小泉ひより。  ちょっとドジで抜けてるところがあるけど、やっぱり大事なお姉ちゃんです。 「それじゃあ、三人とも決まったから頼みましょうか?」 「賛成風味です!」  でもボク、そんなお姉ちゃんのことで、最近ちょっと悩んでます。 「じゃあ鞠音、ウェイトレスさんを呼んでちょうだい。最優先事項ですよ」 「わっ! ひよりん先生、なんかその言い方! 格好良い風味ですっ!」 「くしゅふふふ…」  どうも、某学園ラヴコメアニメにすっかり感化されちゃったみたいで、こと あるごとに、『鞠音、最優先事項ですよ』って言うんです。  確かに、ボクの名前と一字違いのキャラクターが出てくるけど…。  最初のうちは、結構新鮮だったんでボクも付き合ってたんですが、段々と苦 痛になってきてしまって…。  だってお姉ちゃん、顔を合わす度に言ってくるんだもの…。 「いいなー、いいなー。アタシも使ってみたい風味です! 最優先事項」 「駄目ですよ。子鹿ちゃんには、まだ少し早いです。これは、大人の女…しか も、私のように教師にならないとバッチリ決まらない単語ですからね…」  だから前に一度、『お姉ちゃん、もう最優先事項はやめようよ』って言った んです。  そしたらお姉ちゃん、目に見えてへこんじゃって…。 『くすん、どうせ私は、ドジでマヌケでノロマな人間ですよ。…判ってる、判 ってるの、私にはそんな言い回しが似合わないってことぐらい…。でも…でも ね鞠音、そんな私だからこそ、夢見ていたいんだもん…』とか言いながら、畳 をブチブチむしるし…。 「えー、残念風味ですーっ!」 「子鹿ちゃんは、もう少し我慢しましょうね」 「じゃあじゃあ、いつまで待ってればいいんですか?」 「そうね…」  結局、最後はボクの方が折れて、お姉ちゃんの好きにさせることで機嫌を直 させたんだけど、それ以来、前以上に言うようになって…。  やっぱりあのとき、きつく言ってやめさせるべきだったと、今は少し後悔し てます。 「子鹿ちゃんが、ルージュを自分で綺麗に塗れるようになった頃かな?」 「わっ! その言い方も格好良いです!」 「くしゅふふふ…」  はぁ、妹って大変…。  まあ、どうせ一過性のものだとは思うから、もう少しだけ我慢してみます。 「鞠音? 鞠音?」 「…え? あ、なに、お姉ちゃん…」 「どうしたの? なんか、ぼーっとしてるけど…」 「そ、そう? ううん、なんでもないよ。…えーと、ウェイトレスさん呼ぶん だよね?」 「そうそう、最優先事項ですよ」  はいはい…。 「すいませーん、オーダーお願いしまーす!」 09:46 すかいてんぷる 9番テーブル The SKY TEMPLE 9th table 09:46 AM 「ふぁー」 「ふはー」  机に伏す女が二人。 「………」  黙々とペン先を動かす女が一人。 「スランプ」 「どくたー」 「つまんなーい」 「せやなー」  だらけた女が二人。 「………」  黙々とペン先を動かす女が一人。 「あー、ねえちゃんねえちゃん。ミックスジュースもう一杯」 「御意!」  テーブルの上に倒れこんだままの姿勢で由宇が注文をすると、猫だかなんだ かの髪留めをつけた店員が小走りで厨房の方に消えていった。 「変な娘ー」 「そやなー」  その様子をへたり込んだままの由宇と詠美が見送る。 「でも、ああいうのって何処にでも一人はいるわよねー」 「やなー。つかちーとかスの字とか」 「二人いるじゃん」 「あははははは」 「あははははは」  力のない笑いは店内には響かなかった。 「……」 「……」 「すらんぷー」 「爆風ー」 「つまんなーい」 「せやなー」  エンドレスな女が二人。 「………」  黙々とペン先を動かす女が一人。 「彩ー」 「おーい」 「…?」  何度か呼びかけられてやっと気づいたかのように、彩は手を止めて二人の方 に振り向いた。 「なんか面白い事言ってみぃ」 「言え言えー」  前触れもなく、いきなり話を振られて彩は困惑する。  だが飲んだくれの中年の親戚に絡まれた時を思い出し、その時と違ってまだ 扱いは楽であると考え直した。 「……」  数秒の思考時間。  そして自分のバッグを膝の上に乗せると、おやつ用に買っておいた菓子の袋 を取り出す。  詠美と由宇はハナから返答を期待していなかっただけに、この彩の行動を不 思議に思って注意深く見つめていた。  暫くして彩が取り出したのは、一本の麩菓子棒だった。  彼女は展開が読めずにいる二人の目の前で手にした麩菓子の真ん中あたりを 片手で掴むと、そのまま強く握り締めた。  ミシという微かな音がして、その麩菓子は白い断面を見せながら握り潰され た。  手に余った両端も力無く床に落ちる。  意味が判らないまま一部始終を見つめていた二人の疑問に彩はボソッと囁く ように答えた。 「麩菓子の力」  紙ナプキンで黒砂糖で汚れた手を拭き出す彩の前で、詠美と由宇だったもの が白く崩れ始めていた。  彩も彩なりにテンパっていたらしい。  表情では全く判らないのだが。 10:08 すかいてんぷる 8番テーブル The SKY TEMPLE 8th table 10:08 AM  大笑いする2人から視線を外し、ふと入口の方へと目を向けました。 「はい4名さまですね。こちらへどうぞですぅ」  猫を模した髪飾りの少女が女性グループの客を案内しています。  ぞろぞろと一列に連なって歩く5人の女の子たち。  先頭は給仕をする店員さん(たしかネームプレートに玉野と書いてありまし た)で、あとの4人は持てなしを受ける側の客です。 「うふ、うふふふふふふふ……」  並んで歩く5人のうち一人だけ背が高い女性が、お腹の中から湧き出てくる ような笑い声をあげながら、そっと先頭の玉野さん(店員)の肩に手をかけま した。 「はぅ!?」  そしてそのまま何かを囁くように顔を下げていき、首筋をひと舐め。 「はにゃあうぅぅぅぅぅぅぅ!?」 「――あっ!? もうダメでしょ、さち姉。人様に手を出しちゃ」  ショートカットの活発そうな女の子――小柄ですが、そのフットワークの軽 さと足首の細さが運動神経のよさをうかがわせます――が『さち姉』と呼ばれ た彼女をあわてて玉野さんから引き離しました。 ――もう、さち姉ったらしょうがないんだから。  彼女の表情が、そんな内なる気持ちを物語っているようでした。まるで、母 親が子供をたしなめるような顔です。 「もう、さち姉ったらグルメなんだから」  少し違っていました。世の中には常識では推し量れないことがあるようです。 「あのー、わたしはメニューには入っておりませぬ故、なにとぞご容赦をー」  玉野さんは時代掛かった口調でそう言いました。おそらくは客の物言いに合 わせてそんな言い方をしたのでしょう。見た目よりも彼女はずっと大人なのか もしれません。 「ごはん〜ごはん〜」  さち姉さんはそれでも玉野さんを離そうとはしませんでした。 「あのー、くすぐったいですぅ……うぁん」 「わかった。しょうがないわね、買うわ!」  少し甘い声を出している玉野さんに、ショートカットの女の子がキッパリと 言いました。 「そんなご無体なぁ!? するとわたしは、妖しげな緊縛写真ばかりを撮る写 真館に連れていかれて、荒縄で縛られて、かゆみクリームで責められるのです かぁ?」 「誰がそんな団鬼六の小説のようなマネをするかっ!!」  ショートカットの女の子のツッコミが、玉野さんに入りました。  それにしても、かゆみクリームっていったい……。 「はい、みなさん、ちゃんと席に着きましょうねぇ。ほらほら、高野さんも渡 辺さんもぉ」  ちょっと広めのおでこが魅力的な、彼女たちの中でも玉野さんと並ぶほど小 柄な眼鏡の女の子が、案内されるより早く席に着きました。口調からするとメ ンバーの中のまとめ役のようです。でも、自分が一番先に座ってしまうのは、 少し頭の上から空気が抜けているカンジでかわいらしい印象を与えます。  おでこの彼女の言葉から『さち姉』と、彼女に付き添っていた『活発そうな 子』たちの名前が高野さんと渡辺さんだということがわかりました。どちらが どちらなのか、まではわからないです。 「あのー、こちらの席にどうぞぉー」  ワンテンポ遅れて玉野さんが、席をすすめる。その時点でテーブルに着いて いなかったのは、最後尾を歩いていたやわらかそうな髪をおさげにした女の子 だけでした。 「…………はい」  おさげの女の子は呟くようにそう言って、ゆっくりとした動作で座ります。 その座り方だけでも彼女の育ちのよさがうかがえました。物憂げな表情をした 上品な彼女と、かわいらしい制服に身を包んだお人形さんのような玉野さんの 取り合わせはどこか現実離れした光景に思えました。もしかしたら、この店に やってくる客はそんな幻想的なところを気に入っているのかもしれません。前 の店長さん……たしか猪口という方が来られてから、少しばかり変わった客が 増えたような気がします。 「それではご注文が決まったら、お呼び下さいませぇ……がっ!? ごっ!?」  玉野さんはそれだけ言うと、途中いろいろなものにぶつかりながら店の奥へ 戻っていきました。 「どうかしたの? 深山さん? 喉仏が出てきて男声にでもなったの?」  活発そうな女の子(高野さん、もしくは渡辺さん)がおさげの女の子に訊ね る。おさげの彼女の名前は、深山さんというようです。 「うん、ちょっと最近お金なくてホルモン注射打てなくて……」と深山さん。 「そうなんだ」納得した様子でうなずくショートカットの女の子。 「……なぜ素で返すんですか!?」 「いや、私もそうだし」 「…………ぅ」 「???」 「……あ、うん、渡辺さん。よくここで姉様を待ってたなって……思って……」  深山さんは言いながら、寂しそうに笑いました。なにかが彼女の中で欠落し たようでした。 「姉様って……比良坂…先輩のこと?」  活発そうな女の子改め渡辺さんが、笑顔を拭い去った真面目な表情で訊きま す。 「うん…そう…」 「比良坂……先輩〜〜。遊んでぇ。サチホと遊んでぇ」  深山さんが答えるのと同時に『さち姉』こと高野さんが立ち上がり、隣の渡 辺さんを押しのけるようにして通路に出て歩き出しました。 「えっ、ええっ!? さち姉、どうしたの? どこ行くの?」あわてて渡辺さ んが訊ねます。 「うふふふ……ごはん」 「ご飯なら待ってればでてきますよぉ?」おでこの女の子も上目遣いで言いま した。 「ごはん…ごはんだよー、ひろ君〜〜うふふふふ」  それでも高野さんは楽しげに笑いながら、通路を進んでいってしまいました。 その先にあるのは……化粧室。ただの冗談なのでしょうか? 「お客さま、そちらではありませんよ」  店員さんが注意したにもかかわらず、高野さんは『男の人』用の化粧室に入 っていってしまいました。ジェントルメンで殿方でブラザーな『男の人』用で す。年輩の店員さん(たぶん店長さん)があわてて連れ戻しに行ったようです が、その後しばらくしても2人が出てくることはありませんでした。 『おほっ、おほっ』 『出発しそうです』 『ですが、ここが我慢のしどころです』  などという声が聞こえてきましが、きっと気のせいだと思います。なぜなら、 どのテーブルの人も喋らず、物音を立てないようにしながら食事をしていまし たから。決してみんなが聞き耳をたてていたのではないと思います。 10:16 すかいてんぷる前 100m地点 Before the SKY TEMPLE 100m-spot 10:06 AM  すかいてんぷるのある商店街のそばを通る、片側三車線の大きな車道。  時間帯的にやや混み始めた通りを、一台のセダンが走っていた。  陽光を浴びて黒光りする車体には、運転席に一人と後部座席に一人、合わせ て二人の人間が乗っているのが判った。  やがてそのセダンは、すかいてんぷるの裏手付近でハザードランプを点ける と、車道脇に車体を寄せた。 「それじゃ、うちはこの辺で…」  歩道側の後部ドアが開き、言葉に少しばかり独特のイントネーションを持っ た若い女性が車から降り立った。  手に濃紺の細長い包みを持ったその女性の名は、神咲薫。  遙か遠く、九州は鹿児島県に居を置く退魔師一門、神咲一灯流の次期頭首だ。  見た目の歳こそ若いが、その立ち振る舞いからは、どこか凛とした物を纏っ ているのが伺えるのは、そのせいだろう。  既に彼女は、次期頭首としての自覚と、風格のような物を身に付けているよ うであった。  今回、薫はこの付近で依頼された退魔の仕事を終え、今はその帰りであった。  恐らく、クライアントの計らいによって、最寄り駅まで送られる途中なのだ ろう。 「まだ駅は先ですが、本当にここでよろしいのですか?」  運転席に座っている男が、シート越しから薫に尋ねる。  薫は、「ええ、ここでよかです」と柔らかく答えた。 「まだ帰りの電車には時間ばあるんで、少しここら辺を散歩ばしていきます」  薫の言葉に、男は「判りました」と納得したように頷く。 「では…」  薫は、シートから自分の手荷物を取って肩に担ぐと、空いている手でドアを 閉めた。  男は、ハンドルを握ったままの姿勢で薫に軽く会釈すると、ハザードランプ を消して車を発進させる。  大きくも小さくもないエンジン音を響かせながら、セダンは車道の流れの中 へ消えていった。 「さて…」  セダンのテールを見送ったあと、薫は荷物を持ち直し、辺りを散策しながら、 歩道を宛てもなく歩いていく。 「っ!」  と、不意その表情が強張った。 (…まさか、この気配は…妖気?)  退魔師としての薫の感覚が、常人には察知できない、人ならざる者達が発す る気配――即ち、妖気を感じ取っていた。 「薫様…」  同時に、彼女の手に収まっている濃紺の細長い包みが、小さな声を発した。  まだ若い、少年の声だった。  薫は人の目を避けるようにして脇道にそれると、包みを胸元へ抱き寄せ、そ れに向かって囁きかける。 「御架月、お前も感じたか…」 「はい…」  薫は周囲に視線を走らせ、同時に感覚の網を広げていく。  妖気の出所を探るためだ。 「あそこか…」  やがて、彼女の目は一つのファミリーレストランを捉えた。 「…このまま捨てては…おけないな…」 「では、薫様…」 「ああ、疲れているところ悪いが、もう一仕事頼むよ、御架月」 「判りました。でも、薫様」 「うん?」 「無理はなさらずに。疲れているのは、薫様も一緒ですから…」 「うん、判ってる。…じゃあ、行こうか」 「はい」  まなじりを決した薫は、その足を妖気の発生源であるファミリーレストラン、 すかいてんぷるへ向けた。 10:26 すかいてんぷる 3番テーブル The SKY TEMPLE 3rd table 10:26 AM  アメリカの犯罪組織『インフェルノ』の人間が、密かに日本入りしている。  御剣いづみ、菟弓華の両名に今回与えられた任務は、とある筋から日本の治 安当局にもたらされた、その情報の真偽を確認すること。  事前調査により、潜伏場所と思われる箇所を半径5km圏内に狭めることに 成功したものの、特定するまでには至らなかった。  更なる調査を大人数で続行すれば、一両日中に場所の特定は可能であったが、 そのせいで相手にこちらの動きを気取られる可能性が出てくる。  無駄足になることを嫌った当局は、隠密行動に優れた彼女らを使い、グレイ ゾーン圏内の実地調査にシフトした。  そして今、二人は…。 「んぐ…。へぇ、ファミレスの割には、なかなか…んぐんぐ…」 「いイ味だしテますネ…ングング」  件のグレイゾーン内にあるファミリーレストラン『すかいてんぷる』にて、 テーブルの上に並べられた様々な点心をつまみつつ、お茶を飲んでいた。 「小休止だよ、しょ・う・きゅ・う・し。…な、弓華?」 「ハい!」 「だって半径5キロ圏内って、地図上ではコンパスで丸書いて終わりだけど、 実際はかなり広いぞ」 「とってモ、トっテも…大変でス…」 「だから少しくらい休憩しないと、身が持たないってわけさ…。あー、この胡 麻の舌触りが最高だ」  胡麻団子を食べながら、いづみが言う。 「こノ、小龍包も美味シいですヨ」  小龍包を食べながら、弓華が言う。  しかしテーブルに並べらた料理の数々は、小休止と呼ぶには量が多かった。  二人が頼んだのは、フルコース飲茶セット。  文字通り考えられうる点心の数々と、お代わり自由の烏龍茶がセットになっ たコース料理だ。  ちなみに、プライスの方も他の料理に比べて幾分高く設定されていたりする。 「あ、その辺は大丈夫。ここでの費用は全て経費で落ちるから」 「でス」  どうやら我々の血税は、彼女らの胃の中へ消えていくようだ。 「そうじゃなきゃ、二人しかいないのに、こんなコース料理なんて頼まないっ て。な、弓華?」 「はイ! 宛先ハ、『日の本商事株式会社』デ書きマす」  と、そのとき偶然、二人の手が同じ桃まんに伸びて止まった。 「……」 「……」  見れば、いつしか点心の数々はすっかり平らげられ、今や二人の手が触れて いる桃まんだけが最後の一品となっていた。 「んふふ、弓華ぁ…」 「えへへ、なンでス? いづみ…」 「最後の一個になっちゃったな」 「デすネ…」  ニコニコと笑顔で語り合う二人だが、その表情はどこかぎこちない。 「弓華、こないだ体重気にしてたろ? これ以上食べると、また体重計に乗る のが怖くなるから、私が食べてあげるよ」 「いづみも、そウ言えばズボンが少しきツくなっタっテ言ってマした。キっと これを食べルと、またファスナーが閉マり辛くナりまスよ。だカら、こレは私 ガ…」  と言うか、二人とも実にわざとらしい笑顔だった。 「ふ、ことは穏便に済ませたかったが…」 「そウならナいみたイですネ。残念でス…」  作り笑いのまま懐に手を伸ばし、隠し持っている苦無をゆっくりと取り出す いづみと、同じく笑顔のままで懐から、こちらは匕首を取り出す弓華。  しかし二人とも、桃まんに置いてある手は離さない。 「はあっ!」  苦無を、弓華めがけて突き出すいづみ。 「ヤあっ!」  それを、匕首で受け止める弓華。  店内に響く、刃物と刃物がぶつかり合う鈍い金属音。  およそ、ファミリーレストランには似つかわしくない音だ。 「ふっ! やっ! てやあぁぁぁっ!」 「はっ! シっ! やアぁぁぁっ!」  テーブルに座りながら、時代劇さながらのチャンバラシーンを繰り広げる忍 者と元暗殺者。  二人とも、かなり本気モードっぽい。目が真剣そのものだ。  だが、それでも桃まんに触れた手は離さなかった。  そう。  離したら最後、それは相手の物になってしまうのだから。 10:31 すかいてんぷる 12番テーブル The SKY TEMPLE 12th table 10:31 AM  えと、ノインです。  この間から玲二兄やとノイン達6人は、アメリカを離れ、兄やの故郷である 日本にお忍びで観光に来てます。  あ、玲二兄やにとってはお里帰りになるのかな?  でも、せっかく生まれ故郷の日本に帰って来たって言うのに、兄やは元気が ありません。  ノインが、「兄やは、どうしてそんなに悲しいお顔をしているの?」って訊 くと、兄やは、「なんでもないよ」って寂しそうに笑いながら、ノインの頭を 撫でてくれました。  兄やの悲しいお顔は見たくないから、昨日…あ、昨日はノインが兄やと一緒 におやすみする夜だったので、ベッドの中で思いっきり慰めてあげました。 「兄や…。今夜は、ノインが兄やの悲しみを忘れさせてあげる…」 「ノイン…おいで…」 「うん……」  でも、ちょっと張り切りすぎて…てへ…。 「うっ!」 「きゃっ! …あは、また一杯出たね…」 「はー、はー…ノイン、も、もうそろそろ終わりにしないか?」 「駄目よ、兄や。『まだ』3回目よ」 「い、いや、『もう』3回目だと思うのだが…」 「そんなこと言っても、ここは…ほら」 「はうっ! ノ、ノイン…。お前、いつの間にそんな…あっ!」 「うふふ、これでまだ出来るわよね、兄や…」  その後ハーフタイムを挟んで、延長戦を2回程…。  ちょっと頑張り過ぎちゃったみたい。  おかけで、玲二兄やは今朝からダウン。  いけない、いけない。反省反省。  そんなわけで、今日の『兄やとみんなで一緒に市街見物』ってスケジュール が駄目になっちゃいました。 「えーっ! そんなーっ!」 「すまんな、フュンフ」 「玲二アニキ、大丈夫? 顔色悪いよ…」 「大丈夫さ、フィーア。今日一日寝ていれば、良くなるから…。それより、み んなの面倒、頼むな」 「うん…」 「ボク、ちゃんと玲二あにぃの分もお土産買ってくるね」 「ワタクシも…。元気が出る物を…」 「はは、ありがとう。ゼクス、ズィーベン」 「元気が出る物…か…。ふふ、とびっきりの漢方薬でも見繕おうか? ヤモリ の唐揚げとかガラガラ蛇の焼酎漬けとか…。あ、やっぱりここはスッポンの生 き血だね、ふふ…」 「ア、アハト…あんましぶっ飛んだ物は買ってこないでいいからな…」  兄やと一緒におでかけ出来ないのは残念だけど、昨日の夜、可愛がってもら ったからいいんだぁ。  そんなわけで、私達は玲二兄やと別れたあと、一通り繁華街を見回ってから、 途中で見つけたレストランに来ています。 「なんか、向こうの方が騒がしいわね…」  フィーアちゃんが、シート越しに遠くの座席の方を見ながら言いました。 「ふぇ? どれどれ?」  フュンフちゃんがストローを加えたまま、フィーアちゃんの視線を追います。  お行儀が悪いですよ、フュンフちゃん。 「あ、本当だ! なんかナイフで斬り合いやってるわ! なになに? ジャパ ニーズマフィアの血みどろ抗争? 仁義なき戦い? きゃー! フュンフ、一 度でいいからジャパニーズマフィア達の戦いって見てみたかったんだ! チェ キよチェキ! ちょっと行って来るね」  興奮状態で席から立ち上がるフュンフちゃんを、ピザを食べていたアハトち ゃんが、「…フュンフ」と冷ややかな口調で呼び止めます。 「なによ、アハト」  アハトちゃんは、備え付けの紙ナプキンで口元を拭ってから、フュンフちゃ んを諫めるような眼差しで射抜きます。 「アメリカを立つ前に玲二兄くんに言われたでしょ? 今回はお忍び旅行なん だから、あんまり揉め事に顔を出すなって」 「う…」 「特にあなたは、人一倍落ち着きがないんだから…」  アハトちゃんの静かな物言いに、フュンフちゃんが図星とばかりに言葉を失 いました。 「そ、それは判ってるけどぉ…」 「兄くんに迷惑をかけたいの?」 「うっ…わ、判ったわよ…ったく、ブツブツ…」  小声で文句を言いながら、渋々と席に戻るフュンフちゃん。  それでも、まだ向こうの刃傷沙汰が気になるのか、チラチラと名残惜しそう に視線を飛ばしてます。  けど、ほんとアハトちゃんは凄いです。  説得や言いくるめなど、口では誰もアハトちゃんには勝てません。 「それにしても…」  アイスティーをストローでカラカラと掻き混ぜながら、ズィーベンちゃんが 口を開きました。 「玲二兄君さま…お一人で大丈夫でしょうか?」  頬に手を当て、ほぅ、と切なげな溜息をつくズィーベンちゃん。  ズィーベンちゃん…色っぽい…。  同じ女の子であるノインから見ても、ズィーベンちゃんの仕草は艶っぽくて、 ドキドキしちゃいます。 「うん、ボクもそう思ってたんだ。やっぱり、今日は出かけないで玲二あにぃ のそばにいた方がいいんじゃないかって…」  バジリコのパスタにフォークを刺してクルクル回し、それを遠い眼差しで見 つめながらゼクスちゃんが言いました。  玲二兄や…。今頃どうなさっていらっしゃるのでしょうか?  ちゃんとご飯食べているのでしょうか?  ダウンしたのはノインのせいだから、ちょっと責任を感じています…。 「ほらほら、あんまり暗い話しないしない」  フィーアちゃんが、少し沈みかけた雰囲気を変えようと、わざと明るい声で 言いました。 「アニキは大人なんだから、本当に看病して欲しいときは私達に言うわよ。そ れを言わなかったってことは、きっと大したことじゃないのよ。多分、旅行疲 れが出たんじゃないかな」 「フィーア…。うん、そうだね。きっとそう」  フィーアちゃんの言葉に、フュンフちゃんが笑顔で大きく頷きました。 「玲二兄チャマは、仮にもファントムと呼ばれた人間だもん。ちょっとやそっ とじゃビクともしないもんね」  ゼクスちゃんとズィーベンちゃんも、顔を見合わせながら「うん」と頷き合 いました。  フィーアちゃんの一言で、すっかり雰囲気が変わりました。  やっぱり、ノイン達6人のリーダー格であるフィーアちゃんは、こういうと きにとっても頼りになりますね、うん。 「…でも、変な話よね…」  ポツリと、呟くように言うアハトちゃん。 「昨日まで…いいえ、夜、寝る前までは元気そのもので、疲れた素振りを感じ させなかった玲二兄くんなのに、突然今日になって体調を崩すなんて…。仮に もファントムと恐れられた人間にしては、体調管理がお粗末過ぎるわ…」  う、アハトちゃん…。す、鋭い…。 「うーん、それもそうね…」  フィーアちゃんが、顎に手を当てて考え始めました。 「ねえ、そう言えば、昨日の夜伽は誰の番だったっけ?」  はぅあっ! ま、まずいです!  このままでは、玲二兄やの体調不良が、ノインのせいだとみんなにバレてし まいます! 「えーと、確か私は…アメリカに居るときだったし…」 「フュンフは、フィーアの次の日ね…。こっちに来る前の晩だったよ」 「ボクは、その次。日本に来てからだね」 「ワタクシは…ゼクスちゃんの次です…ぽっ」 「そして、私が玲二兄くんと寝たのがズィーベンの次…つまり、おとといだか ら…」  みんなの視線が、ゆっくりとノインの方に集まってきました。  その眼差しがとっても棘々しいのは、きっと気のせいじゃないです…ね。 「ノイン」 「な、なにかな? フィーアちゃん」 「あなた昨日、玲二アニキと何回したの?」  な、何回したのって、また随分と露骨な言い方だよぅ…。 「えとえと…こ、こんだけ…てへ」  右手をテーブルの下から出し、ゆっくりと開いていくと、みんなの顔色が一 気に怒りへと傾いていきました。 「ちょっと! ノイン! 一晩に5回って、そんな!」  ひゃっ! フュンフちゃん、お声が大きいよぅ…。 「これで、謎は解けたわね…」  うう、さすがだよ、アハトちゃん…。 「ノインちゃん、ずるい! ボク達この前、玲二あにぃとするときは、一人2 回までって決めたよね!」 「うう、ゴメンなさい…」 「なのに、一人だけ5回も…。ワタクシだって、3回で我慢しましたのに…」 「ズィーベン! ちょっと待つ!」 「なんですか、フィーアさん」 「アンタもさり気なく約束破ってるじゃない! 私はアニキとするときは、ち ゃんと2回で止めてるわよ」 「あら…そう言われれば…うふふ、そうですね」 「実は、フュンフも守ってなかったりして…。4回やっちゃいました…きゃは」 「きゃは…じゃない! フュンフ! あなたもなの?」 「更に付け加えるなら、私もだね、フィーア。…えーと、口で1回、前に2回、 後で1回の合計4回だよ」  アハトちゃん…。そんなに、事細かに言わなくても…。 「はあぁぁぁ…」  フィーアちゃんは、疲れたような呆れたような大きな溜息を吐きました。 「じゃあなに? 律儀に約束を守っていたのって、私とゼクスだけ?」  フィーアちゃんとゼクスちゃんを除く、他の4人はコクンと頷きました。 「所詮、この世は欺瞞に満ちているからね。真面目に生きている人間程、馬鹿 を見るようになっているんだよ」  ア、アハトちゃん。  そんな火に油を注ぐようなことを、さらりと…。 「良く言った!」  フィーアちゃんの方から、なにかが切れる音がしました。  きっと、フィーアちゃんの理性が吹き飛ぶ音だと思います。 「こうなったら、白黒ハッキリさせようじゃない? 一体、玲二アニキは誰の 物なのかってことをさ!」  吐き捨てるように言うと同時に、フィーアちゃんは懐に隠し持っていた二丁 拳銃を取り出し、その銃口を私達に向けました。  ううん、フィーアちゃんだけじゃありません。  フュンフちゃんも、ゼクスちゃんも、ズィーベンちゃんも、アハトちゃんも 素早い動作で同じように二丁拳銃を抜いて構え、互いに互いを牽制しあいます。  あ、勿論ノインもですけど…。  けど、本当はみんなと闘いたくありません。  ノイン達はツァーレンシュヴェスタン。  同じ境遇を持った仲間達…。  …でも、ここで他の娘達を消しておけば、玲二兄やはノインだけを見てくれ るから、頑張っちゃおうかなぁ…なぁんて考えちゃうノインは、いけない娘で すか? 兄や。 10:40 すかいてんぷる 関係者通路 The SKY TEMPLE person concerned passage 10:40 AM  うー、朝に噛んだベロがヒリヒリするー。  ちょっと鏡で見て来るかなっと…。  店内は…まあ忙しいけど、大空寺もいるし、いざとなったら健さんだって…。  じゃあ、ちょっくら失礼して…鏡、鏡っと…。  どれどれぇ…うわっ! 見事にザックリと歯形が…とほほ…。  えーと、血は…止まってるみたいだな…。  しかし、いくら自分のとはいえ、傷口がめくれ上がってる舌って結構気持ち 悪いぜ…。 「おい! そこの鏡で自分のヘタレ顔を見ながら悦入ってるアホタレ」 「あん? なんだ、大空寺か…。なんの用だ?」 「あら、あんた。自分がアホタレだって認めたわね?」 「あのな…そんなことを言うために来たのか? お前は…」 「仕事よ」 「仕事? なんの…つうか、今も仕事中だろ、俺ら」 「いいから、こっち来るさ」  大空寺はオレの腕を掴んで、グイグイと引っ張っていく。  おいおい、どこ連れていくつもりだ? 「おい、大空寺」 「黙って来るさ」  やがて俺達は、客席全体が見渡せる開けた場所に出た。 「あれ」  そこで大空寺が、ある地点を指す。 「あれ?」  指先を目で追っていくと、3番テーブルの客がなにやら騒いでいるのが見え た…って、なんだぁ? ナイフで斬り合ってるのか? 「おいおい、危ねぇなぁ。一体、なに考えてんだよ!」 「あったく、いるのよねぇ、人の迷惑考えずに暴れる馬鹿者共って」 「ああ、全くだぜ。喧嘩なら外でやってくれよな」 「そこで、あんたの仕事さ」 「は?」 「あの馬鹿共、どうにかしてくるさ」 「は、はい? おいおい、本気か大空寺? 向こうは刃物持ってんだぞ? そ れをどうにかしろと?」 「そうさ」  そ、そうさって、お前ね…。そんなあっさりと…。 「つうか大空寺よ。そういうのは警察の仕事じゃねぇの? ここはさっさと電 話して来てもらおうぜ」  こういうときの為の警察だろ?  しかし大空寺のヤツは、目一杯呆れたって感じの大きな溜息を吐いた。 「アンタ、本当に物事を考えない男ね。その首の上に乗っかってる、でっかい 頭は飾り?」 「な、なんだよ。オレ、なんか間違ったこと言ってるか?」 「言ってるさ。いいか? 良く聞けや、この糞虫。ウチは客商売の店さ」 「ああ、それくらいオレも判ってるが…」 「判ってないさ。客商売ってことは、評判が大事さ。ここで公僕の手を借りる のは簡単だけど、それだと話がでかくなって、いらぬ風評が立つさ」  評判? 評判だって?  評判云々をお前が口にするかぁ?  この店の評判を、一番どうにかしているお前がぁ? 「…あにさ、なにか言いたそうね…」 「別に…続けてくれ」 「続けるもなにも、もう判ったでしょ? 公僕の手を借りずに、アンタが止め にいく理由が」  ふむ…。  なるほど、コイツの言い分にも一理あるな…。  確かに警察沙汰になると色々と面倒なことになるし、マスコミに取り上げら れたりした日には更に厄介だ。  まあ、彼らが好意的に書いてくれればこれ以上ない宣伝効果だが、得てして そうならない時の方が多いからな。マスメディアってヤツはさ。  しかしだ、それでも腑に落ちない点が一つある。 「大空寺よ…」 「あにさ? まだなにかあるんか?」 「お前の言いたいことは判った。…判ったが、こういう仕事はオレよりも健さ ん向きの仕事じゃないのか? 一介のアルバイトが出張るより、店の責任者た る店長が行くべきだろ?」  まあ、普通のトラブルならオレが行ってもいいが、なにせ相手は刃物持ちだ からなぁ…。  すると大空寺は、顎でオレの後ろを指し示した。 「後ろ?」  オレは後ろを振り返る。 「け、健さん?」  そこには、変わり果てた姿の健さんが床に横たわっていた。  まるで、精気をバキュームかなんかで吸い取られたような、凄まじい消耗っ ぷりの健さん。  しかし、その表情はどこか恍惚としていて、とても満ち足りている。  不思議だ…つうか、一体健さんになにがあったんだ? 「店長さぁーん、お気を確かにぃー」  玉野さんが、脇から健さんのことを、団扇でパタパタ仰いでいた。  …で当の健さんはと言うと、「ダイヤよりも早く出発進行してしまいまた」 とか、「ATSが作動しませんでした」とか、意味の判らない言葉を譫言のよ うに呟いていた。 「これで判ったでしょ?」 「あ、ああ…」  確かに。  健さんがこんな状態では、オレが行くしかないか…。  いや、でも待て。  オレよりも適役が、この店には居るじゃん。  血に飢えた野獣が、心に棲んでいるヤツがさ。 「大空寺…」 「あたしなら駄目さ」  オレの言葉を遮る形で、大空寺が言った。 「あたしは、12番テーブルの客を静かにさせる仕事があるから」  え? マジ?  12番テーブルも荒れてるの?  うわっ、こっちはピストルを向け合ってるよ、おい。  かーっ! あんたら、最近のアクション映画じゃねぇんだからよ。  勘弁してくれよ、全く…。 「それじゃ、あたしはあっち行くから、アンタはそっち頼んだわよ」 「え? あ、おい、大空寺! …くそっ、行っちまいやがった…しゃあねえな ぁ…」  こうなった以上、覚悟決めるしかねぇのか? 「孝之さん…」 「玉野さん、はは…無事を祈っていてくれ…」 「はいっ! 死して屍、拾う者なしですぅ!」 「いや、それちょっと違う…」 「ふぇ? ではでは、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ…ですかぁ?」 「…そ、それもちょっと……」 10:42 すかいてんぷる 12番テーブル The SKY TEMPLE 12th table 10:42 AM  互いに拳銃を向け、牽制し合うフィーア、フュンフ、ゼクス、ズィーベン、 アハト、ノインの六人。  まさに一触即発のピリピリと張りつめた空気が、このテーブルを支配してい た。 「あの、お客様。店内でそのような物騒な代物をお出しにされると、他のお客 様のご迷惑となりますので、ご遠慮いただきたいのですが…」  そこへやって来たのは、接客モードの仮面を被った、大人しい大空寺あゆ。 「お客様?」  しかしフィーア達6人は、あゆの言葉になど耳を貸さず、牽制状態のままだ。  ひくっ、とあゆの片繭が釣り上がった。 「このあたしが優しく言ってやっているのに、シカトかましてくれるとは、い い度胸さ…」  笑顔のまま、大空寺は自分の胸元に手を突っ込む。 「口で言って判らない馬鹿共には、お仕置きが必要ね」  そして彼女の手は、そこからトンプソン短機関銃を引っ張り出してきた。  無骨なドラム式のマガジンが特徴的なアレだ。 「ならず者達を黙らせるのには、やっぱこれよね」  気分は、もうすっかりアンタッチャブル。  やがて6人のうちの一人、フィーアがあゆに気づき、同時にその手に持って いるトンプソンを見て、短い悲鳴を上げつつ驚愕に目を見開いた。 「ヒッ!」 「え? どうしたのよ、フィーア…ってっ! きゃっ!」  続いてフュンフが気づき、あとは芋蔓式に残りの全員が、あゆの存在を認識 する。 「くっ!」 「遅いさっ!」  咄嗟にゼクスが、持ってる拳銃をあゆへ向けるけれども、それより早く、あ ゆはゼクスにトンプソンの黒光りする銃口を覗かせた。 「なっ! 早いっ!」 「変な気は起こさないことね。ちなみにあたしが本気を出せば、アンタらは1 0回くらい軽く死んでるわよ」  そう言いつつ、あゆは空いている手を再び自分の胸元へ潜らせ、そこから今 度はウィンチェスターのライフルを取り出した。  ワン・アクションで、弾丸の装填と排莢、ハンマーのコッキングまで出来る 実用的なレバーアクション銃である。  ようは、ターミネーター2の前半でシュワちゃんがブっぱなしていたアレだ。  最近だと、キリエが傘の中に仕込んでいる銃がコレっぽい。  しかし、先程のトンプソンといい今のウィンチェスターといい、一体、彼女 の胸元はどうなっているのだろうか?  未来から来た猫型ロボットの腹に付いてる摩訶不思議なポケットと、同じ構 造だとでも言うのだろうか? 「ちょっ、ちょっとあなた! どこから出してるのよ!」  その非常識っぷりにフュンフが抗議したが、当のあゆは、「二つの胸の膨ら みは、なんでも出来る証拠さ」と挑発気味に、さらりと言ってのける。  細かいツッコミはするなということだろう。 「よっと…」  そして、ウィンチェスターのフィンガーレバーに手を絡ませるようにして銃 身を器用に回転させ、ライフルに弾丸を装填させるあゆ。  この銃だからこそ出来る、非常に効率的な、且つ見栄えもいいやり方だ。 「お客様、店内でそのような物騒な物を出されると、他のお客様のご迷惑とな りますので、ご遠慮願えませんでしょうか?」  ニッコリと、再び営業スマイルで言うあゆ。  片手にサブマシンガン、片手にライフルを持って、臨戦態勢で言う台詞じゃ ないが。 「アンタが一番物騒だけどね」  小声で言ったつもりのフュンフだったが、しっかりと相手の耳に入ったらし い。 「……」  笑顔のまま、照準をフュンフへ合わせるあゆ。 「わっ、わわっ! 待った待った! 今のナシナシ!」  慌てて首を左右に振って、先の自分の発言を取り消すフュンフ。 「判ったわ…。私達もちょっとはしゃぎ過ぎたみたいね…。ごめんなさい」  二人の間に割り込むように、フィーアが詫びを入れながら、手にした拳銃を 床に置き、あゆの方に向かって滑らす。  彼女の脳が、このリーサルウェポンみたいなウェイトレスに逆らうのは得策 ではないと、判断した結果だ。  次いで他の5人達が互いに顔を見合わせたあと、フィーアに倣う。 「ご理解していただいて、助かりましたわ」  かつて、サイス=マスターの手によって作られた殺人人形ツァーレン・シュ ヴェスタン。  一人一人が、恐ろしい程の戦闘力を持っている少女達。  だが、その少女達を、たった一人で止めてみせた大空寺あゆ。  果たして、彼女は一体何者であろうか? 「そう言えば…」  ポツリと、なにかを思い出したように呟くアハト。 「昔、マスターに聞いたことがある…。日本には、東洋の魔女と恐れられる、 物凄い人達が棲んでいると…」  それ、バレーボール。 10:45 すかいてんぷる 3番テーブル The SKY TEMPLE 3rd table 10:45 AM 「あ、あの…お客様…」  引きつった笑顔で、いづみ達のテーブルの前に立つ考之。  無論、いづみと弓華の『桃まん争奪斬撃戦』は続行中だ。 「はっ、なかなかやるな、弓華!」 「いづみも、とっテも強くナりまシたネ」  今、二人の全神経は、相手の挙動全てと、テーブルの上に残された一個の桃 まんに集中しており、考之のことなど、全くと言っていいほど眼中になかった。 「そ、そのような物を振り回されますと、他のお客様方のご迷惑となりますの で…」  それでも忠実に職務を果たそうとしている考之の姿は、ある意味健気だ。 「ヤあっ!」 「っ!」  何度目かの攻撃の際、弓華の切れの良い鋭い刺突が、いづみを襲った。  だが、いづみも然る者。すかさず苦無を巧みに使い、突き出された弓華の匕 首を横に払う。 「あの、お客…」  払った先に誰が立って居るかなど、考えずに。 「…ぎゃんっ! ぐふっ!」  いづみ達に聞く耳を持ってもらおうと、丁度身を屈めて話しかけようとして いた考之は、不運にもいづみによって弾かれた弓華の手を顔面に裏拳気味で食 らい、同時に弓華の攻撃を横に払ったいづみの手を鳩尾に受ける。 「あっ!」 「キゃっ!」  そこで初めて、考之の存在に気付く二人。  彼にとって幸運だったのは、二人に殴られたものの、持っていた刃物が刺さ らなかったことだろうか。  しかし、それでも不意の一撃は、考之に確かなダメージを与えていた。 「きゅー…」  血の混じった鼻水と涎を撒き散らしながら、残像を残しつつスローモーショ ンで後へ倒れていく考之。 「うわっ! だ、大丈夫ですか!」 「ごメんなサい! ゴめンなさイ!」  闘いの手を休め、必死に謝る二人。 「ゆ、弓華が悪いんだからな! さっさと私に桃まんを譲らないから!」 「私のセいでスか? そレを言うナら、いづみダって、私ニ桃まんヲ譲ってい レば…」 「なにぃ?」 「私、ナにカ間違っタこと言っテまスか?」  だが、すぐに口論が始まり、再び闘いの火蓋が切って落とされようとしてい た。 (うう、今日は朝から災難だ…。なんで、オレばっかがこんな目に…)  一方、仕事だとはいえ、とんだとばっちりを受けて床へダウンしている考之 は、自分の身に降りかかった不運を嘆いていた。 (神様、オレがなんか悪いことしましたか? やっぱり、遙と水月のことで、 態度をハッキリさせないからですか? …うう、畜生…。オレだって悩んでる のに…)  と、そのとき、どこからか考之に語りかける声。 『考之君…』 (え? は、遙?) 『考之君…。私、考之君のこと…信じていいんだよね?』 (う…そ、それは…) 『考之…』 (え? み、水月?) 『考之…。私達、大丈夫…だよね?』 (う…そ、それは…) 『鳴海さん!』 (茜ちゃん?) 『鳴海さん、今度こそちゃんと、姉さんを選んでくれるんですよね?』 (いや、だから、ことはそう簡単では…) 『考之!』 (慎二?) 『お前、本当に速瀬の気持ちを考えたこと、あるのか? ええ?」 (ぐっ…)  それは、彼の良心の呵責が生み出した幻聴なのかもしれない。 『考之君』 『考之』 『鳴海さん!』 『考之!』 (うう…)  だが、自身の内から生じた声故に、考之自身をジワジワと追いつめていく。 (うう…やめてくれ…。もう、許してくれよ…。オレだって…オレだって色々 と苦しんだんだ。だから、もうこれ以上責めないでくれよ…) 『そんな…そんな言い方ってないよ…。考之君』 『私が悪いって言うの? 考之』 『鳴海さん! 最っ低っ!』 『考之! お前なぁっ!』 (畜生…どうしてみんな判ってくれないんだ…。オレはただ…。くそ…くそ… くそ…くそ、くそ、くそっ、くそくそくそぉぉぉぉぉっ!)  そして、遂に考之の心の叫びが、彼の理性の阻止限界点を突破した。 「うおぉぉぉぉぉっ!」  彼は、いきなり叫びながら飛び起きると、いづみ達の座るテーブルを激しく 叩きつけた。 それは上に乗ってる皿などが、反動で一瞬宙に浮く程の勢いだった。  これには、さすがのいづみと弓華も口論を止め、驚きに目を見開き、たじろ ぐ。 「オレだって…オレだってなぁっ! 好きでこんなんになった訳じゃねぇんだ よっ! なのにっ! なのにさっ! みんなでよってたかって、ちくしょおぉ ぉぉっ! くそくそくそぉぉぉっ! そんなにオレが悪いのか? そんなにオ レが悪いのかよ? ええっ?」  決壊した堤防から吹き出す怒濤のように、いづみ達へ捲し立てる考之。 「ま、まぁまぁ…」 「少シ落ち着かレた方ガ…」  彼の置かれている事情など知らない二人には、全く以て判らない話だが、取 り敢えず下手に逆らって刺激させない方がいいだろうと、曖昧な愛想笑いを浮 かべつつなだめる。 「あんたらもあんたらだ! 客だと思って、こっちが下手に出てりゃ付け上が りやがって! 大体なぁっ!」  さあ、これから逆ギレ説教地獄が始まろうかとしていた正にそのとき、考之 の背後に立つ大空寺あゆ。  けれども、頭に血が上った彼は気付いていない。  あゆが、逆に持ったウィンチェスターライフルで、バッターボックスに立っ た4番バッターよろしく、フルスイングの構えを取りながら自分のことを狙っ ているなどとは。 「あんたらみたいなっ! ぎゃんっ!」  唸るような風切り音と共に、あゆのウィンチェスターが、なにか言いかけた 考之の側頭部に直撃する。  ガッ! と鈍い打撃音。 「ぎゃおぉぉぉぉぉっ!」  次いで、カキーンと甲高い打球音を響かせながら、厨房の方へ吹き飛ぶ考之。 「…あったく、逆ギレしてんじゃないわよ。みっともないったらありゃしない さ…。けど、やっぱ頭ん中が軽い分、アホは良く飛ぶわね。音のキレもいいし」  額の上に手をかざしながら、考之の飛んでいった方向に目を細めるあゆ。  考之が厨房の方へ消えてから暫くして、なにかが砕け散るような破砕音が立 て続けに聞こえた。  恐らく厨房内は、凄まじい世界と化しているに違いない。 「さて…」  しかし、惨事を引き起こした張本人たるあゆは、罪悪感どころか取り立て気 にした風もなく、涼しい顔でいづみ達の方へ向き直ると、手にしたライフルを、 ドンと床に強めに叩きつけた。  その大きく重い音に、まるで大型の肉食獣の足音に驚く小動物のように、思 わずビクッと身を竦めるいづみと弓華。  あゆは、そんな二人を一瞥したあと、接客スマイルを浮かべながらこう言っ た。 「お客様、大変お見苦しい所をお見せしました。それと、当店ではお客様同士 の刃傷沙汰はご遠慮いただいていますので、ご協力お願い致しますわ」  いづみと弓華は互いに見つめ合ったあと、まるで神仏に供えるかのように、 両手で恐る恐る、自分達の武器をあゆへ差し出す。 「ご理解いただけて、幸いですわ」  彼女らの、数々の修羅場で鍛えられた本能が、最大級の危険信号を発してい た。  このウェイトレスに逆らうことは、死を意味すると。 11:01 すかいてんぷる 1番テーブル The SKY TEMPLE 1st table 11:01 AM 「みゅー」  繭が、大きなハンバーガーにかぶりついていた。  このファミリーレストラン、『すかいてんぷる』のメニューにあるハンバー ガーは、いわゆる街中のファーストフード店で売っている物に比べて、格段に 大きいサイズだった。  軽く見た感じ両者の質量には、ダブルスコア近い開きがあると推測される。  恐らく大きさの違いは、パンズの中に挟む具の量の違いだろう。 『すかいてんぷる』のハンバーガーのパンズの中には、主軸となるハンバーグ の他に、たっぷりの野菜とソースが詰め込まれていた。  そのサイズゆえ、繭のような小さな女の子には手に余る代物だが、それでも 彼女は幸せそうな顔で、大きなハンバーガーを口に運んでいた。  だが、やはり繭の口には大きすぎるのか、ハンバーガーを一口食べる度、彼 女の口の周りには、パンズからこぼれだしたソースが付く。  もっとも彼女の場合、ファーストフード店サイズの小さな物でも、口の周り を汚すのではあるが。 「ほらほら繭、お口にソースが付いてるよ」  繭の隣に座っていた長森が、テーブルの端に置いてある紙ナプキンを取り、 繭の口元を拭ってやる。  その表情は困ったように見えても、とても楽しそうだ。  まるで、手の掛かる子供の面倒を見る母親のように。 「うー」  暫し食べる手を休め、長森のされるがままになっている繭。 「そうやってるのを見ると、ホント親子みたいね、アンタ達って…」  二人の対面に座っている七瀬が、アイスココアの入ったグラスをストローで 掻き混ぜながら、そんなことを言った。 「え? そうかなぁ?」  照れたように笑う長森。  まんざらでもなさそうだ。 「みゅー?」  繭は、多分良く判っていないうだろう。  少しだけ小首を傾げると、再びハンバーガーを食べ始めた。 「…で、折原」  不意に、七瀬が隣に座っているオレを呼ぶ。 「アンタ、さっきからなに堅っ苦しい情景描写ばっかしてんのよ」 「なんでって、たまにはいいだろ? こういうのも」 「全っ然っ。それどころか、アンタらしくなくてむず痒くなるわよ」 「そこまで言わんでも…」 「うん、浩平らしくないね」 「ぐ…長森もかよ…。わーったよ。ここから先は、いつものオレ文体だ」  ちぇっ、せっかく普段と違うところを見せつけて、オレ様の新たなファン層 を獲得しようと目論んでいたのに…。  えーっとだな、今日、オレと長森、そして七瀬と繭の4人は、休日というこ とで少し遠出していた。  元々は長森と七瀬が一緒に出かける予定だったらしいのだが、それにオレと 繭が半ば強引に誘われたのだ。 「繭、今度の休みにわたし達と一緒にお出かけしようっか?」 「行くーっ!」 「折原も行くでしょ? …つうか、来ることについさっき、あたしと瑞佳で決 めたから。ちなみに拒否権なしね」 「じゃあ、せめて弁護士を呼ぶ権利を…」 「却下」 「ぐ…オーボエ…じゃない、横暴だーっ!」  いや、強引に誘われたのはオレだけか…。  繭の方は、誘われたとき楽しそうだったからな…。  ちなみにオーボエとは、フルートやクラリネットとかと同じ木管楽器の一つ だ。  んで、なにゆえ遠出しているのかというと、実は長森と七瀬が、洋服を買う ためなのだ。  なんでも、今日は年に一度の出血大安売り大バーゲンらしい。  チッ、まったく二人とも、モロに消費者を煽る文句に踊らされやがって…。  そしてオレは、その栄えある荷物持ちに任命されたってわけだ。 「はぁ? なんでオレが、お前らの荷物持ちに駆り出されなきゃならないんだ よ」 「いいじゃない、どうせ暇でしょ? 折原」 「馬鹿者! オレは一見暇そうに見えるが、その実、とても暇なのだ!」 「もしもーし、アンタ自分でなに言ってるか判ってる?」 「浩平、来てよー。来てくれたらお礼に…」 「お礼に…なんだ長森? お前ご自慢のヘソ踊りでも披露してくれるって言う のか?」 「そ、そんなことしないけど、お礼になんかご馳走するからさー」  ああ、そうさ。  オレは、その一言で長森達に尻尾を振った犬さ。  だから貴様は飼い犬なのさと、蔑んでくれよ。 「なにっ? なんでもか!」 「うん。お財布の許す範囲内なら、なんでも」 「ナンでも…だな?」 「だから、なんでもだって言ってるじゃない」 「違う、ナンでもか? と聞いてるんだ」 「はい?」  そんなわけで、俺達はデパートで長森達の買い物に付き合ったあと、休憩と 昼食を兼ねて、デパートの近くで見かけたファミリーレストラン、『すかいて んぷる』に来ているのであった。  ちなみにナンとは、インド料理の店とかで、カレーを頼むと一緒に出てくる パンみたいなヤツだ。 「しかし、今回はまた随分と買い込んだな…二人とも…」  オレは、席の1/3近くを占める紙袋の山を眺め辟易する。  今、オレ達が座っているのは、6人まで座れる大きな席だ。  そこにオレ、長森、七瀬、繭の4人が座り、残りの2人分の席は紙袋が占拠 していた。 「えへへぇ…やっぱり安いと、際限なく…ね」  頬をポリポリ掻きながら、苦笑する長森。 「あたしも、ちょっと買いすぎたかなー…」  七瀬も、紙袋の山を下からパンしながら呟く。 「まったくだ。特に七瀬、お前は買った服の殆どが、ヒラヒラのフリル付きじ ゃないか。こんなに同じような服買いまくって、どうすんだ?」 「いいじゃない。乙女たるものには、こういう服って必需品だもの。何枚あっ たって平気なの。それに、最近はこの手の服が密かなブームだしね」 「あ、それって聞いたことあるな…えーと、なんつったっけ…」  そうだ、あれは確か…カタカナ四文字の…えーと…あーっ! 喉仏の辺りま で答が出て来てんだけどなー。  もどかしいっ! もどかし過ぎっぞっ! オレ!  ほら、なんつったっけ? ああいうフリフリばっかの服って…。 「えーと、えーと…ほら…あっ! 思い出した!」 「なによ」 「ステゴロだ!」 「ゴスロリよっ!」 「ああ、そうそう、ゴスロリ、ゴスロリ。…でも、七瀬にはステゴロの方が似 合ってないか?」 「そう言われれば、そうね。…こう迫り来るドサンピン共を、己が二つの拳だ けで次々と血に染めて…って! あたしは喧嘩屋かい!」 11:10 すかいてんぷる 19番テーブル The SKY TEMPLE 19th table 11:10 AM 「あたしは遂に目覚めた!」 「ふーん」  右手を高々と掲げ、宣言するショートカットの女性を前に、ロングの女性は 半目で見詰める。 「もー、香澄ノりが悪い」 「まーねー」  肩肘をついたままぐったりとした表情のその女性、桜庭香澄はストローを口 に含んで、ブクブクブクと炭酸飲料に息を送り込む作業を続けている。 「ちゃんと寝てる? ちゃんと食べてる? ちゃんと出してる? 快眠快食快 便は健康の基本だ…んがっ!? あいたーっ!!」 「何、そんなこと口に出していってんの!! このお馬鹿!!」  バシンと目の前の女性もとい、男性であらせられる広場まひるの頭を平手で 叩く。 「あいたたたー もー、香澄ってば何するのさ!」  はたかれた頭を抑えながら、まひるは涙目で抗議する。 「それはこっちの科白よ」 「だって香澄元気ないんだもん。五月病?」 「誰のせいだと……」  そう言いかけて、何か香澄の内奥でプチンを切れたような音が立った。 「んー? んー?」  それに気付かず、のほほんとした顔で覗きこんだまひるの頬を両手で摘み上 げる。 「誰のせいだと思ってんのよ……どの面下げてどの口が言うかーっ!!」 「ふひぇ、まひゅみ〜っ、ふれいふふれいふ!!」 「はぁはぁはぁ……」 「ひたいー」  まひるは摘まれた頬を手で擦りながら抗議するが、香澄は冷やかな眼差しで 見下ろす。 「全く自覚がないわね、アンタは」 「そんないきなり香澄がヒステリー起こす原因なんて……あ、更年期障が…… 何でもありませんよ、うん」  香澄の目の前で握り固められた拳を見て、慌てて言い繕う。 「もう、五月蝿いわね。それでなんなのよ、一体」 「あ、聞いてくれる?」  大きな溜息と共に座り直した香澄に、嬉しげな表情を浮かべて身を乗り出し てくる。 「聞かなきゃ、また馬鹿なこと口走るだけでしょ?」 「えっとさあ、あたし遂に目覚めたんだよ、香澄」 「何が? これ以上の変態プレイはお断りよ」 「うわー、香澄ってば大胆な発言を」 「誰がした! 誰が! 誰に対して!!」 「あ、そうかー。香澄って昨日の夜のことを不貞腐れてたんだ」  今頃気付いたとばかりに、手を叩く。 「ア、ア、ア、アンタはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」 「わー、香澄がキレたぁ!!」 11:12 すかいてんぷる 20番テーブル The SKY TEMPLE 20th table 11:12 AM 「………」 「………」  今日は人の入りが尋常とは言い難くそんな赤裸々な会話が飛び交う席の周り の席も、埋まっていたりする。 「島の外って随分と進んでるんだな」  お冷をまるでお茶を啜るようにわざとらしく馬鹿丁寧に口に含んだ純一は苦 笑いをするに留めた。  別にこんなことで劣等感を感じる必要もない。  が、島を出て看護学校に通う音夢にとってはそうではなかったらしい。  「あははははは、ま、まさか兄さん。決して、そ、そんなことは……」  そんな震える彼女の声を被せるようにして、その脇の席の会話が飛びこんで くる。 11:14 すかいてんぷる 21番テーブル The SKY TEMPLE 21th table 11:14 AM 「……雪希」 「だ、駄目! お兄ちゃん!」  健二の言葉の続きを予期した、雪希が慌てて遮ろうとするが、上手くいかな かった。 「あの会話、昨晩観たハリウッド大作のラブロマンスもの(意訳:『エリコ○ 6才 〜お姉ちゃんを買い喰い〜』)のシチュを思い出すな」 「あ〜 言っちゃ駄目だってばぁ!」  顔を真っ赤にしながら、意味もなく手をバタバタと振る仕草に気を良くした 健二は調子に乗って続ける。 「ビデオじゃあんな会話の後、エリコの後輩設定のショートの娘の鞄の中から メガバスターランチャー(意訳:太い注射器)を取り出して店内にも関わらず ……」 「だめだめ〜っ! 思い出しちゃうよう!」  目を閉じて真っ赤になった耳を押える雪希だったが、 「あはははは。雪希ったら一晩中、感涙しまくってたもんなぁ」 「………あ、あああああああ、ちちちちちちち、ちがちがちが」  パニくってしまって言葉が出ないらしい。 11:16 すかいてんぷる 20番テーブル The SKY TEMPLE 20th table 11:16 AM 「うう、お前もいつしか都会の毒に汚れてしまうのか……」 「兄さん! この店の客達が特別なんです! 本当ですからね!!」  嘘泣きをしてみせる純一に、音夢は必死になって抗弁する。 「妹、妹だとばかり思っていたのに、いつしか大人になっていくものなんだな ぁ……」 「違います! こんなの大人とかじゃありません!!」 11:18 すかいてんぷる 19番テーブル The SKY TEMPLE 19th table 11:18 AM  そんな周りの影響にも気づかないまま、当の二人は話を続けていた。 「……で、何に目覚めたのよ」  顔を赤くしながらも無理矢理平静を装う香澄に、まひるは能天気な顔に真剣 そうな表情を乗せて訴えかける。右手に持ったポテトを刺したフォークが全て をぶち壊していたが。 「人を憎むってやつ? そりゃあもう、この沸きあがる嫉妬心。メラメラとき たよ、メラメラと」 「ふーん、で、誰に?」 「あの、ほら、ゲームキャラの」 「げーむきゃらぁ?」 「あー、今、香澄凄く馬鹿にしたような顔をしてる!」 「だって」 「わかってないなー、今やそこらのアイドルよりも萌えゲームキャラの方が指 示される時代だよ。抱き枕バンザイだよ」 「はいはい。で、誰?」 「鰤とかいうの? ほら、これ……」  まひるが取り出したのは雑誌の切り抜き。  雑誌の葉書投稿欄らしく、そこにはスパッツを履いたヨーヨー使いの少女が 色々な服装を着た姿で描かれていた。 「彼、男なのにスカート履いてても誰からも文句が出ないなんてズルイ!」 「アンタの悔しさはそんな程度かっ!!」
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