――ジョナスンには二度と行くまい。


 これが詠美と由宇の共通認識だった。
 無論、店としてもそれは同じ思いだっただろう。
 何はともあれ、彼女達は憤然と店を出ていた。
 後日、あの座席待ちのノートに書かれた名前によって詠美の家に請求書が届
き、詠美の両親から詠美だけがこってりと絞られることをこの時の詠美達は知
る由もなかった。
 肩を怒らせて黙々と歩く二人を彩は後ろから哀しそうな目で呟く。

「美味しいのに……」
「じゃかあしぃっ!」
 由宇が振り返って怒鳴ると、それが合図のように彼女の、そして詠美の中か
ら独特の擬音が聞こえてくる。


 グーキュルルル……
 ギュルギュルル……


「ふみゅー、おなかすいたー」
 多少、ボロボロになっている服のお腹の部分を手で撫でながら呟く詠美。
 あれだけ暴れればお腹が空くのも無理はなかった。
「誰のせいや」
 そう言いながらも、ボサボサになった髪の毛を手で直す由宇の顔も優れなか
った。
 そんな二人に彩は親切心から声をかける。
「あの、わたし…」


 親切が踏みにじられる瞬間。


 由宇の冷たく赤い瞳が彩を突き刺した時、彼女はそんなことを思っていた。
 彼女には先ほどの混乱の中、両手に手つかずの二人前の大盛りもずくの器を
持ったままでいた。
 二人の乱闘に巻き込まれないようにと席を離れた時に、なぜか両手で持って
きてしまっていたのだ。


「そや、いーこと思いついたで!」

 由宇はいかにも妙案といった風に両手をパチンと合わせて鳴らす。
 同時に爽やかに微笑んでみせることで、密かに南のモノマネとして彼女のい
ないところで披露しているのだが、伝え聞いた南に絞られて以来、そこまでは
やらないようにしている。
 だが、その後ろでは
「もー、いい。もずくでも」
「美味しいです……」
 ずるずるとその場にしゃがみ込みながら、もずくを二人で啜っていたりする。


「こら、そこ! 聞いたりっ!」
 しゃがみ込んでいる二人の前に仁王立ちになって見下ろす由宇。
「うにゅー?」
「?」
「ゲーバーズや ゲーバーズ! ウチ、一度こっちのゲーバーズに行ってみた
かったんや!!」
「えぇ〜、ゲーバーズ〜?」
 由宇がそう言うと、詠美は不平そうな浮かない顔をする。
 彩は詠美の食べ終えたもずくの器を自分のものと重ねていた。


 ゲーバーズ秋葉原店。
 ゲーバーズとは最近調子コイ――盛況著しいゲーム関連商品の専門店のこと
である。
「どーしてお腹が空いているのとゲーバーズが関係あんのよ」
「なんや、詠美知らんのか? 今、ゲーバーズの最上階でBiaギャロップ出
張店っちゅー喫茶店モドキのイベントやっとんのを!」
 Biaギャロップとは某大手ゲームメーカーが発売した恋愛SLGゲームで
、ファミレスでバイトをしながら三種類選べる可愛らしい制服を着たウェイト
レスらをつまみ食いするゲームである。
「その舞台であるファミレスを再現した喫茶店を、ゲーバーズが期間限定でや
っとるちゅーワケや」
「……知りませんでした」
「細めに雑誌とか情報チェックしとき」
 彩が素直にそう言うと、由宇が腕を組んだまま鼻を鳴らす。
 だから由宇は自分の荷物の中に、もずくの容器を彩の手によって入れられて
いる事には気付かなかった。


 ――ポイ捨てのない街作りに☆


 そのポスターを見て以来、彼女はそれを忠実に守っている。
「んじゃ、話もまとまったところで……さっそく行こか?」
「ちょ、ちょっとぉ、勝手に決めないでよ。リーダーはこのあたしなんだから
ぁ!」
「誰がリーダーや。アンタみたいなへっぽこ、頭に擁いたら知能指数悪くなる
わ」
「むきーっ!」
 彩は悔しそうに地団太を踏む詠美をそっと見て、
「………」
 軽く自分の頭を撫でておいた。



 ゲーバーズのビルに辿り着いた一行は一階で一通り陳列されている商品を眺
めてから、そのまま奥にあるエレベーターに乗り込んだ。
「ねー、本当に行くの〜」
「何、今更ビビってんねん」
「でもー」
 由宇がBiaギャロップのある最上階のボタンを押し、扉が閉まると詠美は
不安そうな表情をする。
「きっとイガかしい変なお店だったりして、汗だくなオタクがいっぱいいっぱ
いいたりして……」
「いかがわしい、やろ。それをゆうなら。そんな大層なもんやないって。どー
せ大方、学園祭の飲食店に毛が生えたような代物に決まっとるで。そないに入
れ込まんでも大丈夫。話のネタにでもする気でおればええねん。それにあまり
に変なところだったら入らならええやろ?」
「でもでもー」
「ホンマに心配性やな、詠美ちゃん様は」
 そう言い合っていると、到着したらしくチーンという音と共に、エレベータ
ーのドアが開いた。




「「「「「いらっしゃいませ☆ Biaギャロップへよーこそ☆」」」」」




 エレベーターの両脇にズラリと従業員一同が整列して、エレベーター内の由
宇達一向に頭を下げていた。
 ウエイターは白、黒、赤、青、黄、緑、橙、桃と8枠揃いの帽子に身体にフ
ィットした色とりどりの模様のエアロフォームの勝負服を着た騎手姿達。
 ウエイトレスは可愛らしいフリフリの制服の背中にゼッケンを貼って全員口
にハミを付けた女の子達。メンコやシャドーロール、ボンボリにブリンカーに
リボン、バンテージなどは各々個性が分かれている。
 それらは皆ゲーム中そのままの格好であって特に驚く事ではない。
 困るのはこうして18頭フルゲートで待ち構えられていたという状況だ。

「………」
「………」
「………」

 詠美はエレベータのボタンを押してこのまま降りたい衝撃にかられた。
 流石の由宇も呆気に取られた。
 彩はこうした時、どうしたらいいのか考えた。
 そして一歩前に出ると、丁寧にお辞儀をして言った。


「出迎えご苦労様です…」



 詠美と由宇が同時にコケた。



「何になさいますか?」
 気を取り直した一同(店側含む)はそれぞれ持ち場についた。
 窓一つ無い殺風景な小部屋に、無理矢理設えた白木のままの仕切りのカウン
ター席が寒々しい。
 席も小さな丸テーブルに椅子があり、舞台の大道具をそのまま借りてきたよ
うな頼りなさが目立つ。
 無論、元のゲーム中を忠実に再現しているわけではない。
 一番目立っているのがレジ横の売り場も兼ねているグッズを展示してある場
所だった。若手騎手見習いのような格好の青年が所在なげに立っている。


「ウチはこのケーキセットな」
 由宇が淡々とケーキセットを注文する。
「はい。1000円になります」
 由宇が財布を取り出しながら横にずれる。
「お次の方、ご注文をどうぞ」
「へ? え、ええと……」
 由宇があっさりと決めて支払いを終えてしまった為に慌て出す詠美。
 頭にこないだ読んだ漫画のヒロインの注文が頭に浮かんだ。
「ア、アールグレイとシフォンケーキ!」
 詠美の頭の中では既にここは上品なカフェテラスになっていたが、現実はそ
んな彼女に冷淡だった。
「あの、申し訳有りませんがウチでは取り扱っておりません」
「へ? じゃ、じゃあロイヤルミルクティーと」
 今度はヒロインと話をしていた友人の注文を言いかけるが、顔にシャドロー
ルをつけたウエイトレスは困った顔をしてメニューを詠美に指し出す。
「あの、メニューはこちらにありますのでここからお選びになって下さい」
「へ?」
 差し出されたメニューを見る詠美。



   ほっとこーひー               五百円
   あいすこーひー               五百円
   おれんじじゅーす              五百円
   あっぷるじゅーす              五百円

   ひがわりけーき(二種)           六百円
   けーきせっと                 千円

   こけももくっきー               時価

   こるくこーすたーせっと           五百円
   はいざら(2000枚限定)         八百円
   かっぷ&そーさーせっと(2000個限定) 千八百円
   すてんれすとれい(500枚限定)    三千五百円
   ついんべるくろっく(1000個限定)  三千五百円
   ぺあぐらすせっと             千五百円
   けーきさら(2000枚限定)        八百円



「………」
「ご注文は?」
「……ケーキセット」
「何や、結局ウチと同じかい」
 詠美は隣で支払いを済ませてからこう茶々を入れる由宇にキッとなって睨も
うとするが、その顔に生気がないのを見て止めた。
 生気を吸い取られたのは自分だけではなかったらしいと納得した。
 由宇はただた商魂たくましいもしくは、単に意地汚いだけの店への皮肉のつ
もりだったが、相手に届いたかどうかは疑問だった。
 力無く案内された席に戻る由宇と詠美。
「わたしはその、これをお願いします」
 カウンターの下に貼られたメニューの真ん中に書かれた「コケモモクッキー
」という代物を彩は指差す。
「あ、はい。コケモモクッキーですね」
 レジのウエイトレスは見えなかったらしく、身を乗り出すようにして彩の指
先を確認してそう聞き返す。
「はい。あと、オレンジジュース…」
「コケモモクッキーがおひとつ。オレンジジュースがおひとつ。ご注文は以上
で宜しいですね」
「はい……」
 彩も注文と支払いを終え、他に客が一人しかいない店の中央席にいる由宇達
の元に戻った。


「何かエライ疲れたな〜」
「あ、この曲…」
「……」
「なんや?」
「……「同好会」のテーマソングだ」
「ふーん」
「……」
「……」
「……」
 因みに「同好会」とはBiaキャロと同じ会社が出しているマッ○ル北村監
修のゲームのことで、部員数が規定以上達しているのにも関わらず学校側の部
に昇格できなかったボディービルダー同好会の男女達が夏合宿先のリゾート高
原で繰り広げる悲喜こもごもの愛憎劇から起こる連続殺人ペンション経営恋愛
シミュレーションである。
 瞬時に聴き分けてしまう詠美の濃さを垣間見た瞬間である。
 けれども、日常生活に置いてはこれっぽっちも役に立たないものでもある。
「って少しは驚きなさいよ。この詠美ちゃん様のえいめーさを!」
「あー、スゴイスゴイ」
「きーっ! おざ、おざ……おざわまりーっ!」
「お待たせしました」
 詠美が立ち上がりかけたところで、ウエイトレスがやって来る。
「……ケーキセットのお客様」
「ウチウチ〜」
「あたしあたしー」
 別に張り合う必要もないのに、由宇の言葉を遮るようにして手を上げてアピ
ールする詠美。
「………」
 ウエイトレスは一瞬躊躇した後、詠美の方から先にケーキ皿を置く。
「へへ〜ん。勝った〜」
「アホらし……」
 勝ち誇る詠美の脇で苦笑する由宇の前にも同じケーキセットが置かれる。
 そして、
「コケモモクッキーのお客様…」
「はい…、わたし……です」
 おずおずと手を上げる彩。
「今、これがオマケについています」
 そう言って一枚のシールを彩の前に置いた。
「ほぅ、何や何や」
「何、何〜?」
「………」
 ウエイトレスが立ち去るのと同時に両脇から覗き込む二人。
 彩が手にしていたのはこのファミレスの制服を着たスモウレスラーばりの巨
体でお決まりのポーズをとっている某ゲームキャラのシールだった。
 メーカーの垣根を越えている以前に人として見ては行けないものを見てしま
ったような衝撃を彩、そして両脇から覗き込んだ由宇達は受ける。


「………」
「………」
「………」


 真のコミュニケーションに言葉は要らない。
 そんなものを感じた三人であった。


「や、やっぱり女の子にはケーキよね〜☆」
「何や、女王様にしてはえらい貧相な発想やな」
「ぶー! この詠美ちゃんさまはね、普段は間食なんてしないんだから」
「買い食いは不良の始まりでちゅからね〜 お子ちゃまの詠美ちゃんには遠い
世界でちゅねー」
 何か半ばヤケ気味にはしゃぎ出す二人に、彩も微笑みながら呟く。
「パンが無ければクッキーを食べればいいんです…」
「へ?」
「え?」
「いえ…」
「ま、まぁとにかく………いっただま〜す♪」
「んじゃ、ま……ウチも」
 気を取り直した詠美がケーキの角にフォークを入れるのを見て、由宇も自分
のケーキのフォークを手に取る。
「んー」
「………」
「……どうですか?」
 一口食べたまま、動かない二人に彩が聞く。
「え、えーとね……やっぱりこんなちっぽけな店じゃ多寡が知れてるって言う
か〜」
「アホ。ここで作ってる訳あらへんやろが。どっかの店のを委託して用意して
あるだけの話や」
「あ、あたしだってそ、その位知ってたもーん!」
「嘘コケ」
「………(モソッ モソ、モソ、モソ…)」
「ホントったらホントなんだからーっ!!」
「はいはい、詠美ちゃん様は大変な物知りでんなー」
「へへ〜ん。あたしってばちょお天才なんだからこれくらい当たり前なんだか
ら」
「なんや、詠美。イチゴは嫌いなんか どれウチが〜」
「ダメェッ! ダメダメダメッ!! ダメったらダメなんだから!」
「冗談冗談。そないにうろたえんでもえーやん」
「………(モソッ モソ、モソ、モソ…)」
「全く温泉パンダは育ちが悪いから……いじきたないったら……」
「ちょっと待ち。育ちが悪いのはウチやのうてアンタの方や」
「なんですってーっ!」
「いちいち騒がんで食べられへんのか?」
「温泉パンダのぶんざいで〜!」
「………(モソッ モソ、モソ、モソ…)」


  パタ


 騒いだせいか、詠美の食べかたが片寄っていたせいか、バランスが悪くなっ
ていた詠美のショートケーキが倒れ、上に乗っていたイチゴがテーブルに転が
り、そのまま勢いよく床に落ちた。


「ああ〜〜!!」
「ぷっ、ご愁傷様やな」
 悲鳴を上げる詠美に、思わず吹き出す由宇。
「………(モソッ モソ、モソ、モソ…)」
 詠美は暫く立ち尽くしていたが徐々に怒りが膨れ上がってきて騒ぎ出した。
「なっ……なによなによなによ。たかがイチゴショートのくせしてあたしに逆
らおうだなんてちょおちょおなまいきー!!」


 ゲシ! ゲシ! ゲシ!


「こら、バカ詠美! 何すんねん!」
 立ち上がってテーブルを蹴り出した為に由宇も慌てて、詠美を止めに入る。
「むきーっ!! ちょおむかつく! むかつくっ! ちょおちょおちょーむか
つくーっ!」
「だからってなぁ、ちょっとは落ち着かんかぃ!」
「ふえええん!! ばかばかばかーっ!」



 幾度かの蹴りによりバランスを崩して横倒しになるテーブル。
 号泣する詠美。
 そそくさと支払いを済ませて立ち去る客。
 途方に暮れる由宇。
 唖然として見ているウエイトレス。
 隅の方に寄って見事に存在感を消した彩。
 そして、


「あの、お客様……」



 騎手と言うより、工事現場の監督をしていそうなガタイのアンチャンが由宇
の肩を叩いていた。



「あ……う……」
 由宇には呻くしかなかったわけで……




「ふみゅーん。怖かった…」
「あったり前やろうが! 大バカ詠美っ! 自業自得やっ!! 巻き込まれた
ウチの方が災難やっ!!」
 路上で萎れている詠美の頭に、由宇の怒りのハリセンが突き刺さる。
「大体何でたかがイチゴひとつ落したぐらいであないに騒がなあかんのや!」
「ふにゅにゅ〜ん。しおしおぉ〜」
「コケモモクッキー……」
 二人の後を追いながら、彩も内心で実に不満だった。
 あれはコケモモクッキーとは名ばかりの、砂糖の甘さしか残らない駄クッキ
ーでしかなかった。
 彩の脳裏には郷里の母の手作りクッキーを思い出していた。


 コケモモ
 双子葉植物合弁花類常緑矮小低木
 ツツジ科スノキ属スノキ亜科


 静かな農村。
 澄み渡る青空を白く塗りつぶすように高々と登る太陽。
 岩山に登って熱心に村唯一の名産品であるコケモモを収穫する村の女房達。
 男は舟でイソギンチャク漁で遠出をして月に数度しか村に戻れない。
 そこへ若い男が一人やってくる。
 彼は強引に村一番のコケモモ畑を襲撃すると、勝手に果実発泡酒缶にして女
友達の元に送るのだ。
 昔の言葉で言うところのミツグ君という奴だ。
 福岡ダイエーホークスの某投手の元の登録名でもあるがこれは関係ない。
 そして困窮した農村に追い討ちをかけるように海賊達が来襲し、抵抗空しく
荒くれ者達の慰み者にされ、そのまま連れて行かれて奴隷市場に……


 ――お母さん……


 因みに未だに同居している母は元気に仕事をしている。
 今日もいつもと変わらず帰りが遅いらしい。
 それは放っておいて、彩は強くショックを受けていた。


 『こんなのはコケモモクッキーじゃない』


 あの時、そう叫ぶ事が出来たらどんなに良かっただろう。



 ――由宇さんだったら。
 ――わたしが、由宇さんだったなら。
 ――きっと、そうきっと



 「責任者を……店長を呼べ! 店長をっ!」
 「あ、あのお客様……」
 「この店はいつから客にこないな紛いもんを食わすよーになったんや?」
 「紛いものなどと。これは北アルプスの岩山から取り寄せた最高級のコケ
 モモを……」
 「じゃかあしぃっ! そないな嘘、そこいらのオタクには通じてもこの猪
 名川由宇には通用せんへんでっ!」
 「で、ですが……」
 「お客さん。店の中で騒がれるのは困ります……今日のところはどーぞこ
 れでお引き取りを……」
 「このっ! ウチをどれだけナメれば気が済むんやっ! こうなったら仕
 方あらへん! この必殺のちちなしボンバーの出番のようやな」
 「ちち……なし……?」
 「そうやっ! この恐怖の自爆技。冥土の土産に見せたるわっ!」



「ちち……なし……」
 ちょっと気になった。
「ん? なんや、彩。ウチの事ジーっと見つめて? どないしたん?」
「いえ……」
「はっは〜ん。あたしには読めたわよ。由宇の胸の無さを哀れんでいるのよ」
「黙れ。そこの大庭カ詠美」



 彩は突然、『愚者の冠』という話を思い出した。
 彼女の頭の中で浮かんだ王冠を被った村一番の間抜けの顔は詠美だった。





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