ゲーバーズを出た3人は、駅の方へ向かってのろのろと歩いていた。 容赦なく照りつける夏の日差しが体力を奪っていく。 いくらケーキやコケモモクッキーを食べたからとは言え、育ち盛りの3人に それで足りるわけもなく、そうは言っても今更どこかの店に入ろうという気も 起きず、陽炎揺らめくオタクの聖地を、ただ無言で歩いていた。 駅の近くまで来たとき、誰かが3人に声をかけてきた。 「あら、由宇ちゃんに詠美ちゃんに彩ちゃん、みなさんお揃いでどうしたんで すか?」 3人の目の前には、胸のところで指を軽く組み、にっこりと微笑む1人の女 性の姿があった。 歳の頃なら20代前半、セミロングの髪を後ろで軽くまとめ、上衣がピンク、 下が紺のタイトスカートと言う、どこかのOLさん風ないでたちである。 「ま、牧やん」 由宇が疲れ果てたような声を出す。 たれた目、ちょっとずり落ち気味の眼鏡、お姉さん口調なのにそこはかとな く漂う抜けさ加減。 牧村南――である。 「ふみゅーん、この温泉パンダがきちょーな土曜の昼にアキバで待ち合わせな んかしたせいでー」 「暑い…です…」 ここぞとばかりに詠美が非難の声あげた。 ”由宇がアキバでなんか待ち合わせるからこうなった”と言いたいのだろう。 「アホ、うちらオタクがアキバに行かんでどこ行くちゅーんや! 他んとこ行 ったらお天道様に顔向けできへんやないか!」 「パンダのくせに口答えするなんて、ちょ〜ぉむかつく〜 あたしみたいなち ょおかわいい女の子が来るような街じゃないんだから、ここはー」 「へん、ジョナスンでファンにちやほやされていい気になっとったんは、どこ の大場か詠美や」 「あ、あれはー」 「暑い…です…」 「あらあら、またですか? ケンカしても余計に暑いだけですよ」 いつものやり取りをいつものように受け流す南。 「だってだって、この温泉パンダのせいで大変な目にー」 「はん、アホ抜かせ、この大場か詠美。迷惑だったんはこっちのほうや」 「なぁんですってぇ。きー このパンダパンダ温泉パンダ、パンダは動物園に 帰えれーっ」 「あー それはもう聞き飽きたわ。耳にタコができてまう。詠美、あんたもク リエーターの端くれなら、もっと気の利いたこと言うたらどうや」 「うっさいわね。あたしは南さんと話してるの。パンダとなんか話してないん だから」 「おー よう言うた。今のは負けを認めたっちゅーことやな」 「なんでそうなるのよー」 「暑い…です…」 暑さと空腹でいらだっていた2人は、いつもの2倍増しで口げんかを始めた。 どこにそんな元気が残ってたのだろう? 不思議だ。 「はいはい、由宇ちゃんも詠美ちゃんもケンカしないの。ちゃんと聞いてます から、何があったのか順番に話して下さいね」 2人のやりとりをにこにこと見ていた南は、笑顔のままそう割って入った。 それを聞いた詠美が身振り手振りで南に説明を始め、由宇がその説明にツッ コミとチャチャを入れる。 南は2人のやり取りを「んー」とか「ははーん」とか「あらあら」とか「大 変でしたね」と、笑顔のまま聞いていた。 「……と言うわけなのー」 一気にまくし立てたせいか、詠美は肩でぜーはーと息をしていた。 「体力ないやっちゃなぁ。そんなんで明日のこみパ乗り切られるんか?」 由宇がツッコミを入れる。 「ほ、ほっといてよ」 そう返す詠美。 由宇は処置なしとばかりに首をすくめると南の方を向いた。 「ま、そう言うこっちゃ、牧やん」 「あらあら、それは大変でしたね」 あくまで笑顔を崩さず、南はさらっとそう返した。 その言葉に詠美はその場に崩れ落ち、由宇は頭を抱えた。 「そ、それだけかい、牧やん」 「ちょお大変だったんだからぁ」 「ええ、ですから”それは大変でしたね”と答えたんですが?」 小首を傾げながらそう答える南。 それを見て2人はへなへなと道路に座り込んだ。 徒労――である。 そんな2人の姿などアウトオブ眼中で南は話を続けた。 「そうそう、詠美ちゃんで思い出した。ホームページの”詠美ちゃん様とその 下僕(したぼく)達日記”拝見しましたよ。みなさんで浅草に行かれたそうで すね。わたしも誘ってくれればいいのに」 その言葉にぎょっとしたように、詠美は南を見つめた。 「な、なんで南さんが−」 「ちょ、ちょい待ち、牧やん。なんやその”詠美ちゃん様とその下僕(したぼ く)達日記”ちゅーのは」 「あら知らないんですか?詠美ちゃんのホームページにある日記のことですよ」 「へ? えーみ。あんたのページに日記なんてあったっけ?」 「し、知らない。日記なんて知らないわよ」 詠美が慌てて否定する、が…… 「隠しページになってるんです。みんなで浅草に行ったときのお話が載ってま すよ」 一言で詠美の否定を打ち砕く南。 いつもの”手の平を前で組むポーズ”が悪意のなさを物語っている。 ”悪意がないがの一番始末に負えない”と言うが、詠美はそれを実感……し ないだろう。詠美だし。 「なにーーっ そんなんうちは聞いてへんでーーーっっ」 「に、日記なんてないもん。ないんだから。そ、それにあっても、温泉パンダ に教える義理なんかないわよ」 「なんやとー」 「私…見たこと…あります…」 ボソッとつぶやく彩。 固まる詠美。 タイミング満点、効果抜群、破壊力絶大。 「検索で”温泉パンダ”って入れたら見つかったんです」 さらっと追い打ちをかける南。 なんで南がそのキーワードを入れたかは、考えてはいけない。 「やっぱりあるんやないかーーっ」 「ふみゅーん、だって隠しページだもん。みんなから”わからないから大丈夫 ”って言われたもん。ばれないハズなんだもん」 詠美半泣き。 「しかも”温泉パンダ”で検索にひっかかかるっちゅーのはどういうことや」 「……そう言うこと」 「あ、ま、まあそうなんやけど……」 「……~eimi/nikki.html だったから簡単に見つかりました」 どうやら彩は自力で見つけたらしい。 恐るべし彩。 いや、単に暇だっただけかも知れないが…… 「こぉの大場か詠美!! んなファイルネームで隠しもクソもあるか。あほん だらぁ」 「だってだぁってぇ、難しかったらあたしがわかんなくなっちゃうじゃないー」 「なんのための”お気に入り”やと思うてるんや!」 そもそも見せたくない日記ならネット上にアップしなければいい訳なのだが、 頭に血の上った由宇にそこまで考える余裕はなく、怒られている詠美もまた、 そのことには全く気づいていなかった。 「ふみゅーん、ふみゅんふみゅんふみゅーん」 「えーか。隠しファイルっちゅうんはな、フォルダ7つも8つも階層にして、 その奥底に後生大事にしまっとくのが基本なんや。だいだいなぁ……」 「まあまあ、2人とも」 南が笑顔で割ってはいる。 「見つかってしまったものをとやかく言っても仕方ないでしょ? 詠美ちゃん も次からもっとうまく隠しましょうね。そしたら由宇ちゃんもこんなに怒った りしないから。ね」 「うん」 半べそで頷く詠美。 それを見てにこにこと微笑む南。 釈然としない顔の由宇。 何か言いたげな彩。 しかし、誰一人として南に反論するものはなかった。 触らぬ神に祟りなし――である。 「それで浅草なんですけどね」 南は強引に話を元に戻し、続けた。 「日記には書かれてなかったですけど、もちろん仲見世を冷やかして、舟和の 芋ようかんを買って帰ったんですよね?」 「なかみせ?」 「いもよーかん??」 「……――」 南の言葉が理解できないと言う感じで、オウム返しに答える由宇と詠美。 2人とも首をひねっている。 「あらあら、それじゃ長命寺の桜餅も言問(こととい)橋の言問団子も食べて ないんですか?」 念を押すように聞く南。 「……(なあ? 言問団子ってなんや?)」 「……(ふみゅーん、しらないわよー)」 「……(しらんって、あんたこっちの人間やろ)」 「……(ふみゅんふみゅーん、知らないものは知らないわよー)」 「行ってない…です…」 下を向いたままぼそぼそとつぶやきあう由宇と詠美を後目に、彩が答えた。 「あらあら」 ちょっと眉をひそめ勝ちにリアクションを返す南。 「ちょ、ちょい待ち、彩。あんた、答えられるっちゅーことは、しっとんのかい」 由宇が驚いたようにツッコむ。 「舟和の芋ようかん… 長命寺の桜餅… 言問橋の言問団子… それに神谷バ ーのデンキブラン… どれも浅草ではよく知られた定番です。これに雷門横の ジェラートが入れば完璧に近いです」 彩がすらすらと答える。 未成年には余計なものが入っているが、気にしてはいけない。 「なら、なんでみんなで浅草行ったときにそれを言わんのや!」 由宇の脳裏にあの浅草での出来事が蘇っていた。 前もって知っていれば、あのとき路頭に迷わずにすんだのではないか、そう 思うと怒りが沸々とわき上がってくる。 「言えるような雰囲気じゃ…なかったから…」 「せやかてなぁ!」 「まあまあ、2人とも。そんなに気になるんなら、実際に食べてみればいいじ ゃないですか」 南は、彩に詰め寄る由宇の肩をポンポンと叩きながらそう言った。 そして…… 「そうだ」 と言うと、あごに手を当て、なにやらポーズを取った。 先ほど由宇が披露したアレである。 そんな南を何事かと見る詠美と彩。 由宇だけは、じと目気味な怪訝な顔をしている。 「これから浅草に、実際に食べに行きましょう。ここからならすぐ近くだし」 南は3人の視線を意にも介さず、我ながら名案とばかりに微笑んだ。 そして、引率役の先生かはたまたはとバスのガイドさんよろしく、先頭を切 って駅に向かって歩き始めた。 それを見て、がっくりとうなだれる由宇。 事態が見えず、きょとんとしたまま固まる詠美。 そそくさと南の後ろを駅に向かって歩き始める彩。 こうしてお話の舞台は、オタク達にとってあまりに場違いな場所へ移ってい くのだった。 浅草。 浅草寺や花やしきを有する、アキバに程近い、昔ながらの観光名所である。 その浅草寺の参道の入り口には、提灯でお馴染みの雷門がそびえている。 4人は観光客ひしめくそこに立っていた。 ”なんでうちらはここにおるんやろ?” 由宇はそう思った。 夏こみ参加のために前日に上京してきた彼女は、せっかくだからと詠美や彩 を誘い出して”オタクの聖地”アキバに繰り出したはずだった。 ハズだったのに…… 「あら、みなさん元気がないですね」 3人を浅草に連れてきた張本人の南が、にこやかにそう言った。 言い出したのが南でなければ、とっくのとうに由宇が切れているだろう。 そもそも、浅草に来ようなどと思わなかったに違いない。 言い出しっぺが南だからこそ、誰も文句を言わない、もとい言えないのだ。 由宇はアキバで南に見つかってしまったおのれの不幸を呪った。 「それじゃあ、仲見世を冷やかしながら、芋ようかんを食べに行きましょう」 そう言うと南は先頭切ってすたすたと歩き出した。 追うように、のろのろと歩き出す3人。 既に彼女たちの空腹は頂点に達していた。 とりあえず何か食べれそうだ、と言う意識だけが彼女たちの足を前に進めて いた。 雷門をくぐり、みやげ物屋ひしめく仲見世を進む4人。 「大和魂」とか「必勝」とか「切腹」とか「士道不覚悟」とか「猫まっぷた つ」とか「やんきーごーほーむ」とかと書かれたTシャツやらはちまきやらが 並ぶ店を横目に、一行はただひたすら前へ歩いていた。 いつもなら由宇があれやこれや騒ぎ立て、寒いギャグの2つ3つ飛ばすとこ ろなのだが、空腹には勝てないのかひたすら無反応である。 仲見世の中程で左に曲がり、アーケードの中へ入ると、お目当ての芋ようか んやが少し歩いた左側にあった。 舟和の芋ようかん。 浅草名物として知らぬものはないとまで言われる逸品である。 南は小振りの芋ようかんが6本入った箱を一つ買ってくると、取りあえず 1本ずつみんなに配って回った。 「さあ、召し上がれ。おいしいですよ」 そう言う南の言葉に、 「なんで芋ようかんが浅草名物なんや」 と由宇がぶつくさ文句を言い。 「えー あたしみたいな、ちょぉ〜いけてる女の子がいもくさい芋ようかんな んて〜 そこのパンダ見たく芋臭くなっちゃう〜」 と詠美が不満たらたらに答えた。 「……おいしいから、食べて下さいね。残さず」 にこやかな笑顔のまま、こめかみをちょっとだけひくひくさせ、明らかにト ーンの下がった声で南がそう返す。 その声に、由宇と詠美の表情が凍り付いた。 「は、ははは、はいー」 なぜか標準語で答える由宇。 こくこくこくこく、と首が折れんばかりに頷く詠美。 (寒い…です…) 彩は周囲の気温が下がったように感じた。 南から、人にあらざるものの気配と共に冷気が漂って来るような、そんな気 がする。 でも、怖いから黙っていることにした。 ”君子危うきに近寄らず、石橋はたたいて誰かに渡らせよう” それが彼女のモットーである。 「ほら、彩ちゃんはおいしそうに食べてますよ」 南が追い打ちをかける。 固まる2人の横で、彩はおいしそうに芋ようかんをパクついていた。 「う、うらぎりものぉ」 「本当に美味しい…です…」 「ほんと?」 「はい……」 彩の言葉に詠美がたまらずようかんを頬ばる。 ぱく、もぐもぐもぐもぐ。 「ひょぉー ほいひー」 口の中をようかんでいっぱいにしながら、詠美がびっくりしたように叫んだ。 「わ、ばっちい。お里が知れるでまったく。なあ、ほんまにそんなおいしいん か?」 こくこくこく、と無言で頷く彩と詠美。 にこやかに由宇を見る南。 「しゃーないな、うちも食うたるわ」 内心は腹ぺこで仕方のない由宇が、最後の虚勢を張る。 パクッ パクパク パクパクパク 「ふぅ〜 なんや、美味しいやないか。牧やんもう1本分けてえな」 「うふふ、お気に召したみたいですね。それじゃ、はい、もう1つ」 南は箱から芋ようかんを一つ出すと、由宇に渡した。 「おーきに」 パクパクパク 「んー 美味しいなぁ あんたらももっと食べなあかんで。こんなうまいもん そう食べられへんわ」 「一番渋ってたのはどこのパンダよー」 手のひらを返した由宇の言葉に、詠美が非難の声を挙げる。 「なーんも、聞こえへんなぁ。誰やろそんなもったいないこと言うんは」 詠美の非難を意にも介さずパクつく由宇。 「やっぱあれやな、ようかんだけにようかんで食べなアカンな」 胃袋が膨れたせいかいつもの調子で由宇がギャグを飛ばす。 それを聞いた南と彩が示し合わせたように音もなく動いた。 2人で左右から由宇の両脇を抱えると、裏の路地へと消えていく。 ドカ、バキ、ベシ、ドン…… グチャ ……しばらくして、何事もなかったかのように路地の奥から出てきた彩と南 は、何事もなかったようにようかんをつついていた。 固まる詠美。 その視線は、路地の方からよろよろと歩いてくる、ボロボロになった由宇の 姿に釘付けになっていた。 背中をつつーっと冷や汗が流れる。 逆らうと命が危ない。 詠美は足りない頭でそう堅く心に誓うのだった。 ひとしきりお腹が落ち着いたところで、今度は長命寺の桜餅を食べに行くこ とになった。 今いる場所からしばらく歩いた場所、隅田川の向こう側にあるという。 腹ごなしに歩くには手頃な距離だ。 「んで、次はどこやっけ? 牧やん」 腹が膨れて上機嫌なのか隅田川に架かる橋の上で、鼻歌混じりに由宇が南に 尋ねた。 「長命寺と言うお寺の横の桜餅です」 にこやかに答える南。 こちらも上機嫌のようだ。 「そっか〜 ぽんぽこたぬきさんがおるんか〜」 由宇の言葉に、詠美が”え?”と言う顔をした。 無言で歩く彩。なぜか拳を握りしめている。 ぴくん、と一瞬ふるえる南。 そんな周りの様子に気づかずに、由宇が続けた。 「ちょ、ちょ、ちょ〜みょ〜じ〜 ちょ〜みょ〜じ〜のにわは〜♪」 つ、つ、つきよだみんなでてこいこいこい♪と続くはずだったのだろうが、 そうは問屋がおろさなかった。 由宇が歌い出すと同時に彩が詠美の視界から消えた。 驚いて南の方を見ると、南の姿もなかった。 そして次の刹那、由宇の姿が消えたかと思うと、隅田川に水柱が上がった。 どぉおおーーーん、と。 そう、まさにそんな感じの擬音が似合うような派手な水柱である。 そして、今さっきまで由宇が居たところに彩と南の姿が現れた。 2人とも同じような、天に向かって拳を突き上げるポーズをしていた。 数分後、一行は何事もなかったように歩いていた。 一番後ろを歩く由宇がなぜかびしょ濡れだが、詠美は気にかけなかった― いや、気にかけるとまずい気がして気にしないようにしていた。 その後、桜餅を食べるときに由宇が ”こんなん桜餅やない! 桜餅っちゅーのはなあ、こうふわふわの葛で包ん であって……” と、西の桜餅、道明寺ではないことに不満を唱えてボコボコにされたり、 言問団子を食べるときに由宇が ”寝言はこととい言わんかい!” と言うもはやなんだかわからないことを言ってボコボコにされたり、雷門に 戻ってくる間に由宇が詠美に時間を聞き、止まっていた詠美の時計を ”そんな時計ほっとけい” と言ってボコボコにされたりした。 なにげに端折ってるように感じるかも知れないが、気にしてはいけない。 大人の事情というヤツである。 同じようなことを何回も書いても飽きるだけだし。 ちなみにボコったのは南と彩である。 再び雷門前。 一行は最後の品、雷門横のジェラートを食べていた。 「あー もう食べられへんわー」 由宇がお腹をタヌキよろしくポンポコとたたくと、 「ちょぉ お腹いっぱーい」 と、詠美が同意し 「食べ過ぎかも…知れないです…」 と彩が応えた。 南はにこにことそんな3人を見ている。 「にしても、あれやな。こんなに甘いもんばっか食べたらデブってまうな」 「ふみゅーん、太るのやだー」 「別腹…と言いますし…」 「みなさん若いから大丈夫ですよ」 南がそんなフォローを入れる。 「せやな、うちらは新陳代謝の激しい、育ち盛りの乙女やさかい、ちょっとや そっと食べ過ぎても問題ないな」 「そうよそうよー」 「だから…別腹…」 あっと言う間に立ち直る由宇と詠美。 さすがは南――である。 「そう言えば、南さんは大丈夫ー? あたし達と同じだけ食べてたよね?」 「そりゃあ年上やさかい、新陳代謝は落ちてるわ運動はせんくなってるわで、 やばいやろなあ。こう腹の辺りにぷくぷくと付いてしまうんやないか?」 「ちょ、ちょぉっと、しーーーー」 慌てて口に人差し指をやる詠美。 無言で目をそらす彩。 しまった、とばかりに固まり、恐る恐る顔を上げる由宇。 その時、確かに修羅を見た、と後に彼女たちは証言している。 戦々恐々とした彼女たちに、南はいつものように微笑みながら提案した。 「それじゃ腹ごなしにちょっと動きましょうか?」 にこやかに、でも嫌とは言わせない雰囲気。 反射的にこくんとうなずく3人。 南は満足げに微笑むと、携帯をとりだしてどこかに電話をかけた。 「あ、南です。お世話になってます」 「ええ、今雷門の前で」 「はい、そうです。お願いできますか?」 「はい、はい、それじゃココで待ってますから」 南は携帯をしまうと、3人にこの辺で待つように告げた。 程なく1台の車がやってきて、一行の前に止まった。 白ベースに赤いライン、どこかで見たようなデザインの車である。 その車から、白ベースに赤いラインの入った宅配便のつなぎを着て、同じ配 色の帽子をかぶった元気な印象を与える若い女性が降りてきた。 知る人ぞ知るペンギン便のおねーさん、風見鈴香――である。 「ちはー 真心運ぶペンギン便、受け取りに参りましたー」 いつものようにはつらつとした健康的な笑顔を見せる鈴香。 南は彼女に近づくと、なにやらごそごそやり始めた。 由宇の背中にいやーな感じの冷や汗が流れた。 悪い予感がする。 横にいる詠美は状況が理解できないのかきょとんとしており、その横にいる はずの彩は既に姿が見えなくなっていた。 船の沈没を察知したネズミのようにさっさとバッくれた――らしい。 そうこうしているうちに、南が近づいてきて由宇と詠美の背中をポンポンと たたいた。 なにかが貼り付けられるような感覚。 え?と思うまもなく、鈴香が2人の背中を押して車―宅配便の車の荷台へ 載せ、ドアを閉めた。 扉の向こうから、南の声が聞こえてくる。 「それじゃ鈴香さん、お願いしますね」 「任せて下さい」 そう答える鈴香の声が聞こえたかと思うと、車は音を立てて走り出した。 「ど、どないなっとんやー」 「ふみゅーん 暗いのやだー」 「うるさい、ちっとはだまっとき。まったく詠美ちゃん様はお子様なんやから」 「パンダにお子様なんて言われたくないわよー」 「あー はいはい、じゃれるのはあとや。えっと、確かココに……」 由宇は自分のオーバーオールのポケットを探った。 「あった、あった」 由宇はポケットから円筒形のものを取り出すと先っぽをひねった。 それまで真っ暗闇だった周囲が急に明るくなる。 「ぱらぱぱっぱぱーん まーぐーらーいーとー」 由宇が取り出したのは小型のマグライトだった。 「なにしようって言うのよ」 詠美が尋ねる。 「積み荷調べれば、この車がどこに行こうとしてるかくらいわかるやろ」 「パンダにしちゃ上出来じゃないー ほめたげるわ」 「大場かな詠美ちゃん様にほめてもろうても、うれしいないなあ」 「なぁんですってー このあたしがほめてあげるって言ってるのよ。少しはあ りがたがりなさいよー」 「はいはいはい、っと」 絡んでくる詠美を意にも介さず由宇は積み荷を探る。 「なんやこの積み荷は! ぜーんぶ夏こみに搬入する荷物やないか。これも、 これも、これもこれもこれも、みーーーんなそうや」 「あー うちのサークルの名前が書いてあるー」 「つーことは……」 「行き先は……」 「しもたーー 牧やんに、はめられたー」 「ふみゅーん、ふみゅんふみゅんふみゅーーん」 背中に荷札を貼られた2人は、荷物よろしくその場にひっくり返った。 その頃運転席では…… 「南さん、それにしてもなんで浅草なんかにいたんですか?」 「ええ、ちょっとお使いで秋葉まで行ったら彼女たちに会っちゃって、浅草で 甘いもの巡りすることになったんです」 「でも、今日って……」 「そうなんですけど、あの2人を連れて帰るから大丈夫」 「なるほど、手ぶらじゃないから……って訳ですか」 「ええ、前日設営は人手不足ですから。由宇ちゃんに詠美ちゃんの問題児二人 と言えど人手が増えるのは助かりますし」 「それじゃ、超特急で行きますか」 「ええ」 どうやら由宇と詠美は夏こみの前日設営に連れていかれるらしい。 本人達がどう思うかは知らないが、確かにいい腹ごなしだ。 消えた彩はお台場に来ていた。 チラッと腕時計を見る。 約束の時間まであと20分。 どうやら遅刻せずにすんだようだ。 彩はホッと息をついた。 しばらくすると、前日設営を途中で抜けだした和樹がやってくるはずだ。 ここで待ち合わせの約束なのだ。 あの様子だと、由宇や詠美は前日設営に連れていかれたんだろう。 正直、由宇に誘われたときはどうしようかと思ったけど、南さんのお陰でう まくまけてよかった、と彩は思った。 これで誰にも邪魔されず、和樹とデートを楽しむことができるのだから。 ”まず最初にどこかで軽くお茶をして、明日の夏こみの打ち合わせ。 それから、ウインドウショッピングに付き合ってもらって。前から行こうと思 ってたギャラリーに行って、お夕飯を雰囲気のいいお店で食べて、えっと、そ れから、それから、それから……” 彩はお話のヒロインになったかのように、自分の世界へと浸りこんでいった。 BGM『こみっくパ〜ティ〜』 照りつける夏の太陽に、これから着陸しようと旋回する飛行機の翼がきらめ く。 飛行機の向こうには、もくもくと白い入道雲。 そしてそれらをすべて包み込む、抜けるような青空。 南風がスカートの裾を、髪の毛を揺らしていく。 彩は髪をおさえると、果てしなく青く広がる夏の空を見上げた。 ほう、と切なげな溜息が彼女の可燐な唇から漏れる。 「暑い…です…」 ――オタクの夏は、始まったばかりだ。 Fin