『SSパーティー』

〜Syumatuno Sugoshikata〜









《金曜日――Friday》




 …ヒューン…ザー…ザッ、ザザッ……ヒューン……。

「…桜井あさひのハートフルるるるるるるるるるるるるる……

 …ふぅ、やぁ皆。デンパスター、月島拓也だよ。20世紀最後のヒーロー、デンパマンとは、何
を隠そう僕の事さ。今回はラジオ局を遠距離乍ら借り切って全世界に僕からのメッセージを――
「原稿」
――ん?
「原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿」
 や、止めるんだ!? 止めてくれ、太田さん!! 別に〆切から逃げた訳じゃ…んがっ!? 

 ……るー、あら? あ、そ、その……ルカフェ! …ご、御免なさい。ボー
っとしちゃいました、テヘ♪ えっと、今日は金曜日です。あさひは今日も最
後まで頑張っちゃいます。皆も最後まで楽しんで下さいね♪ …それじゃ、今
日の一曲目……」



 ――神は死に、正義は滅びた。


 日本一有名な小学生、野比○び太は事ある毎にそう口ずさんでいた。
 彼のいる世界と状況は違えど、事態は何も変わりが無い。
 平凡で、退屈な日常に包まれた一日。
 一つだけ違うのは、本当に神や正義が消失したことではなく……



 それをいつも聞いてくれる「未来」がないことだ。



 長い一日が始まろうとしていた。


「ああ、磯○波平の声をあててるってそりゃ、永井一…」

 ドカッ ゲシッ

 居間に鼻血の大輪の花を咲かせる由宇を背にしながら、黙々と詠美と彩は自
分の原稿をチェックしていた。
 昨日の夕方頃から彼女らの記憶が曖昧になっていたが、殆ど、それぞれ描き
終えていた。
 まるで彼女らの背後にマンガの神が降りてきたように。

「原稿、終わりましたか?」
「ああ。殆ど夢うつつやったけどな。小人さん達がいてくれた訳でも無し、ウ
チもなかなかやれるっつーことやな」
 頁数を数えていた由宇が顔を上げて、彩に笑いかける。
「う〜」
「あとは印刷所に持って行くだけですね」
「塚本印刷か? やめやめ。あそこは潰れたみたいやで」
 顔の前であかんあかんと大きく手を振る由宇。
「う”〜」
「じゃあ……」
「まぁ、今回限りは仕方がないやろ。最後に綺麗な表装でいけんっつーのは心
残りやけど魂は入っとる。中身で勝負や。コピー本でいくで、ええやろ、彩?」
「あう〜」
「私は元々そのつもりでしたから……」
「う〜 う〜」
「それなら、用紙のチェックしとこか。何部刷れるかわからんしな」
「う〜 う〜 う〜」
「……」
 バンとテーブルを手で叩いて、由宇が怒鳴る。
「えーい、鬱陶しいっ!! 何や、さっきから消防車のサイレンみたいに唸り
よって!!」
「…げんこー、おわらにゃひ」
 大きい水玉の涙を目から滴らしている詠美に、彩が聞く。
「後、どれ位残しているんですか?」
「…64ぺーじちゅう、あと8ぺーじ」
 鉛筆書きの原稿が8枚、彼女の目の前に並んでいる。
「やれやれ、困ったちゃんやなぁ。ホレ、ウチらも手伝ったる」
「あーうー」
 由宇が詠美にそう言って、彩と由宇はそれぞれ一枚ずつ詠美の原稿を取って
ペン入れを始める。
 黙々と手伝っている彩を脇に、由宇は詠美に話し掛けながら作業を続けてい
た。
「ホンマ、この大バカ詠美には、困ったもんやわ」
「ふにゅにゅ〜ん。しおしおぉ〜」
「欲張って三冊も出そうするからや。最後のこみパが「落ちました」じゃ、最
後の日をこみパで迎えようとする数億のおたくたちにどう詫びるつもりや、ア
ホ。昔なら打ち首獄門でも飽き足らんわ」
「数億ですか、すごいです…」
 ぽつりと顔も上げないで彩が感心したように呟く。
「むぎゅぅぅぅぅぅ、な、なによー、ただ終われば良いってもんじゃないじゃ
なじゃ……ない……」
「……」
「……」
「……」
 立とうとしてギックリ腰になった老婆の如く、中腰のまま固まってしまった
大庭詠美改めボラギノールA美。
 そして沈黙が続く中、彩と由宇のペンの音だけが居間に響く。

「気ぃ済んだか? なら、さっさとしぃ。アンタの原稿やろ?」
 手を動かしたまま、由宇が詠美に言う。
「うにゅう〜…」
「ゆとりもって夕方までには終わらせよ言うたのはアンタやないか。言いだし
っぺがこの様とはホンマ、情けないなぁ」
「…ふみゅ〜ん」
「それでもあんた、一端のおたくかぃっ!! 最低限の仁義を見せぃっ!!」
「そ、そ、そこまで言うんだったら、パンダの原稿見せて見なさいよー」
「ほら、ウチはもう終わっとる。後は写植だけや」
 片手に原稿の束を持って真っ赤になっている詠美の鼻先に突き付ける由宇。
 フフンと鼻息を吐く由宇の横で、彩がポツリと呟く。
「塚本印刷所、倒産したんじゃないんですか…」
「……」
「……」
「さて、ウチもラストスパートや。詠美、電源借りるで」
「ちょ…ちょっとぉーっ!!」
 由宇は、自分の荷物からノートパソコンを取り出すと、慌ててワープロ打ち
を始める。


「何とか終わりましたね」
 いつの間にか暮れかかっている外を見ながら、彩が由宇に話しかける。
「そうやな、表紙も何とかなりそうやし、合同本は明日の夜作るとして…」
「うふ、うふふ、うふふふふ……」
「何や、そないにおもろいか。まぁ、自信作やしな…」
 文字を貼って糊を乾かした後の由宇の原稿を眺めながら、詠美がにやにや笑
っていた。
「この程度で満足してるなんて、まだまだアマアマちゃんねっ!」
「何やて?」
「特にこの4コマなんか、ちょおボツ!」
 詠美はそう言うといきなり、原稿に修正ペンを入れる。
「ああっ!?」
「こう! こう! こんなのもとっぱらって、こうっ!!」
 そのまま勢いよく、ペンで上から書き直して行く。
「ウ、ウチの魂に、な、何しよるねんっ!!」
 詠美の手から原稿を奪い取るようにして、睨み付ける。
「ちょーダサダサなつまらないマンガだけど、これですこーしはマシになるわ
よー、この詠美ちゃん様がかんしゅーしちゃったんだから」
「な、なんちゅーことをしくさるねん。このドアホ!! 大体、何が、「ちゃ
ん」様や。大五郎やあるまいしっ!! どないしてくれるねん!!」
「ヘボヘボのぴーなマンガを直してあげたんだからむちゃくちゃ感謝してよね」
「何が感謝せいやっ!! ウチの魂に傷ぅつけおって!!」
「何よ! 何よ! 何よ! たかが温泉パンダのぶんざいであたしにはむかお
ーっての。なまいきなまいき、ちょおなまいきー」
「物事にはなぁ、許せることと許せへんことがあるんやっ!」
「あんなものをへーぜんと出して恥かくのをソシしてあげたんじゃない。こう
いよ、こーい」
「何やて、この唐変木の根性曲がり!」
「とーぼんへ…何?」
「たまに気ぃ利かせて下手に出ればいくらでも舞い上がって今じゃもう、紐の
切れたアドバルーンや! 大体、お子様の泣き虫詠美ちゃんが寂しーだろ思う
てわざわざウチらが慰めに…うぐっ!?」
「ちょおーっ、むかつくーっ! 泣かす! 泣かす! 今回こそぜーったいに
泣かすぅっ…ぐはぁ!?」

 鋼鉄製のメリケンサックを填めた両腕を交差させたポーズで立っている彩。
 その姿は南斗な人のように凛々しく、神々しく、そして美しかった。

「…学習能力、付けて下さい」
「「ひゃい…」」
 そして倒れる、二つの肉隗。
 あべしとかひでぶとか言わなかったのは神の慈悲だろう。


 その夕食はキャベツとニラの炒めものと冷凍焼きおにぎりだった。

「なんや、えらい質素っちゅーか、寂しいっちゅーか、侘びしいなぁ……」
「文句言うんだったら食べなくてもいーのよ」
「芯が固いです……」

 冷蔵庫の奥にはまだひとつ、食べ物が残っている。
 それは全員が知っていた。
 だが、それは明日に取っておこうと誰もが思っていた。


 最後の、晩餐に。


「ねー、パンダぁ」
「何や、大庭カ詠美」
 川の字の一部になりながら布団に潜っていた詠美が、隣で寝ている由宇に話
し掛ける。
 彩は既に眠っているのか、由宇の隣で静かに丸まっている。
「もうすぐ、終わっちゃうんだよね…」
「そうやなー、何かドタバタしてたらあっちゅーまやったなー」
「……」
「何や? 言いたいことあるんやったら、言ってみぃ?」
「ねぇ…由宇…」
「ん?」
「皆、自分の分の原稿書いて、コピーで刷って…」
 詠美は両腕を額の上に重ねるように乗せる。その視線は天井にあるようでも
あり、瞳は何処も捉えていないように見える。
「まだ、合同本が残ってるけどなぁ」
 由宇は身体を横にして、肘を立てて、頬杖を突くようにしてそんな詠美を見
つめる。
「何かあたしたちがユニット組むのっていつ以来だろ…」
「そーやなー、ホンマ、懐かしいわ」
「一生懸命描いて、ただ描いて、そしてそれを読んで貰えることが、それだけ
でただ嬉しくて…」
「……」
「舞い上がるほど嬉しくて…」
「……」
「それでまた、そうなりたくて一生懸命描いて…」
 詠美は上へ投げ出すようにして両腕を伸ばす。
「今日のでね、あたし…ずっと描きたかったこと、一杯描けたよ」
「そうか、そら良かったなぁ。3つも描いとったからなぁ…」
 由宇は詠美の方を向いたまま、歯を見せるように笑いかける。眼鏡は外して
枕元に置いてあるので、顔を見ることは出来なかったが。
「でもね…」
「ん?」
「きっとまた、少し経ったら…何か、描きたいものが思いつくと思う…」
 詠美の声が震えているように聞こえたのは錯覚だっただろうか。
「だからまだ、満足なんて…出来ないよ…」
 ぼやけた由宇の視界は、詠美の身体が震えている様に見えた。そして仰向け
だった筈の詠美がうつ伏せで枕に顔を埋めているのに気づいた。
 いつからかは由宇には判らなかった。

「――今があります」
 由宇の奥から、彩の声が聞こえた。
「…彩、起きてたんか」
 身体を転がすようにして、彩の方を向く由宇。
「彩…」
 そして、詠美も枕から顔を上げていた。
「今、私は一番描きたかったマンガ、一番読んで欲しいと思っているマンガを
描きました。今、一番の……」
 顔だけ横を向いている彩が喋る。

「私、ここに来て今までで一番楽しくマンガが描けました。由宇さんと詠美さ
んと一緒だから、描けたんだと思います」
「そやな、ウチも楽しかった。久々に燃え滾ったマンガが描けた」
「……」
「私の今――こんな状況が迫った今だから、描けたマンガです」
 顔を戻して仰向けになる彩。まるで天井の、屋根の奥の星空でも見ているよ
うな眼差しだった。
「そんな私のマンガ――皆に読んでもらいたい。こんなにそう思ったのは初め
てです。希望を… ささやかでもせめてもの希望を見て欲しくて…」

「ウチ…今度のマンガで勇気を描いた。皆に、勇気を持って貰いたかったから
な…」
 普段の由宇からは想像も付かないほどのボソっとした声。しかし、語尾は確
りしていた。

「あたし…夢を描いた… あたしの夢… みんなの夢… これからの夢…」
 思い返すように、指折るように、呟く詠美。

「勇気に、夢に、希望…まるでヒーローの台詞やな」
「ふふ、そうですね」
 指でなぞるように呟く由宇に、可笑しそうに頷く彩。
「だったら愛も入れなくちゃねー」
「おっしゃ、合同本のテーマはそれでいこ!」
「ふふふ…」
「ははっ…」
「あはは…」


 異なる三種類の笑い声。
 暗い、光のない寝室にこだましていた。
 力強く、明るい声だった。





 長い一日が終わろうとしていた。







《土曜日――Saturday》




 …ヒューン…ザー…ザッ、ザザッ……ヒューン……。

「…桜井あさひのハートフルカフェ! …とうとう最後の日まであと一日!
あなたは今、何をしていますか。悔いが残らないように生きていますか? あ
たしはこれから最後の一日を精いっぱい過ごします。では、今日もガンガン張
り切っていきましょう。それじゃあ、今日の一曲目……」


 今まで一番短い一日が始まった。


「…じゃ、じゃあね」
「ああ、気張ってきぃ」
「頑張って下さいね」
「そんなに大した事じゃないってば」

 朝食のスパゲティを食べた後、家の前で詠美は、二人と分かれて、近所の公
園に向かう。


 由宇と彩の二人はそのまま、会場にまで足を運んだ。

「あら、由宇ちゃんに彩ちゃん」
 会場で仕切っている南が、やってきた由宇と彩に気付いて声をかける。
「牧村さん、おはようございます」
「牧やん、久しぶりやなー」
「彩ちゃんはいつも来てくれてたけど、由宇ちゃんが設営なんて珍しいわね」
 南はそう言うと頬に手を当てて、悠然と微笑む。
「随分とご挨拶やなー、きっついわ」
「うふふ。御免なさいね。二人一緒にいたの?」
 彩に聞くと、
「詠美さんと三人で、詠美さんの家に…」
 と、軍手を取り出して南に答える。
「詠美も用事済ませたら来る言うてたから…」
「そう。由宇ちゃんと詠美ちゃんには散々、荒らされちゃったから、少しは返
して貰わないとね」
「あぅー、堪忍や」
「うふふふふ」
「ふふふ、じゃあ、椅子と机の配置、お願いね」
 意外にも、スタッフやボランティアの数はいつもよりも多いほど、揃ってい
た。


 同時刻。
 詠美は公園に居た。
 前から熱心に、真剣にメールをくれていた人が居た。
 その人は遠慮がない程、口五月蝿くて、一時期は詠美の方から疎遠にしてい
たほどだ。
 だけども、詠美がどんなことになっても感想メールを出すことを続けてくれ
ていた。
 そして一度たりとも、それ以上、踏み込んで来ることもなかった。
 それが最後に詠美が繋いでチェックした時、彼が今日、この時間にここに来
るとだけ書かれたメールが届いていた。
 無性に詠美は会ってみたかった。
 喩え、相手が誰であっても。

「あ…」

 人の気配がした。
 詠美は振り返るが、日差しが眩しくて目を細める。
 逆光の関係で、シルエットでしか見ることが出来なかった。

 細身の長身。
 眼鏡はかけているかどうかは見えなかった。
 ただ、


 ただ――


 手に人形らしきものを持っていた。



「お待たせー」
「あ、詠美。早かったじゃないの」
「…その、会えましたか?」
「ううん。全然」
 そのあっさりした顔で首を横に振る詠美に、由宇も用意していたからかいの
言葉を投げかけることを止め、ダンボール箱を持ち上げる。
 彩は黙って、椅子を運んでいた。


 公園の砂場に、頭から血を流して倒れている男など、誰も気に留めない。


 帰りは夕方近かった。
 途中まで一緒だった南と別れた三人は、帰るなり最後の原稿の合同本に取り
掛かっていた。
 頭で考える必要などなかった。
 それぞれが、それぞれの想いを、気持ちを、描いただけでそれは済むことだ
ったから。
 彼女たちの、彼女たちの中にある「愛」。
 それをちょこっとばかり、表に現わすだけで済むことだったから。
 だから、それぞれが描きあがるのも早かった。

「製本、終わりました」
「彩、落丁とかは大丈夫なの?」
「はい。薄いですし、チェックもしましたから」
「詠美、こっちもOKやで」
 三人が確認し、合同コピー本を紙袋に詰める。

「終わったぁ!」
「おつかれさま〜」
「こんなに一気に集中して描いたのは初めてです」
「ふみゅー 疲れた〜」
「お腹空いたなー」
 由宇のその言葉が合図だったように、三人が顔を合せる。

「じゃあ、今日は最後だし〜!!」
 目を輝かせて、勿体付けたように言う詠美。
「いよいよアレを食べますか…」
「そうやな、とうとう最後のお待ちかねや」
「楽しみです…」
 三人で台所に行き、詠美が冷蔵庫を開ける。
 由宇が何も入っていない冷蔵庫の奥にある包みを取り出す。
 お中元で貰ったらしく郵パックのマークの付いてある箱に入ったそれは…

「山形牛しゃぶしゃぶセット」

 だった。
 由宇が蓋を開けると中には4人分の霜降りの上質の山形牛と、野菜のセット
が入っていた。
 詠美がキッチン下の戸棚からしゃぶしゃぶ用の鍋を取り出す。
 彩が箱に入っていた紙切れを拾い、見つめる。
 小皿を用意した由宇が何の気無しに、横から覗く。
 詠美も「何よ〜」と言いながら、後ろから彼女の手元を見つめる。
 彩が呟く。





「賞味期限…二ヶ月前…」





「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」


 気が付いたら三人で何故か玄関にあった業務用の大型コピー機の前で、頁数
を確認しながら部数の相談を始めていた。

「………」
「………」
「………」

 必要以上の会話を交わさない三人。

「………」
「………」
「………」

 俯きがちで、互いに目も合さない。

「………」
「………」
「………」

 口を開けば、きっと悲劇が起きる気がしていた。
 黙っていても、惨めだったが。

「………寝よ」
「………ああ」
「………はい」

 短い一日が終わろうとしていた。
 このまま消えてなくなりたい、そう思った三人だった。
 ただ、それを望むことが適切なのかは判らなかったが。




























   このまま、明日になっちまぇ…



















 今日という日を忘れる為に…
 後悔という未練を断ち切る為に…








 三人は眠った。









 明日を長い日にする為に…










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