『SSパーティー』

〜Syumatuno Sugoshikata〜









《水曜日――Wednesday》




 …ヒューン…ザー…ザッ、ザザッ……ヒューン……。

「…桜井あさひのハートフルカフェ! …はぁい、そこの君、聞こえてますか
ー? お腹は空いてませんか? 落ち込んだりしてませんか? でもでも、大
丈夫! そんなあなたには、あたしの元気を分けちゃいます! …えっ? そ
れはカラ元気だって!? …あははははっ。カラ元気も元気のうちです! え
と…それじゃ今日の一曲目……」



 かり…かりかりかり……かりかり……かりかりかりかり……。
 しゃっ、しゃっ、しゃっ……しゃっ、しゃっ、しゃっ……。
 かりかりかり……しゃっ、しゃっ、しゃっ……。
 かりかり…しゃっ、しゃっ……かりかり…しゃっ、しゃっ……。
 かりしゃっかりしゃっかりしゃっ…かりしゃっかりしゃっかりしゃっ……。

「…………なあ」
 重苦しい雰囲気に耐え切れなくなった由宇が、口を開く。

「…………」
 彩が顔を上げる。『マングローブ林でつかまえて』というタイトルの表紙部
分にトーンを貼っていた手を止めて。

「――なによ〜、今いいとこなのに〜」
 詠美がうつむいたまま、答える。こちらはどうやら二冊めのネーム作業中ら
しい。

「なあ、経験したことある?」
「――けっ、経験ってなによ?」
「…………」
 いつもながら、言いにくいことをストレートに訊く由宇。
 律義に答える詠美。顔が赤い。
 すでに他人な彩の三者三様の視線が交錯する。
「そ、そりゃあ…あ…あの……敦煌、雲崗、竜門なんかの仏像が掘ってある…」

「――って、そりゃ、石窟(せっくつ)や!」

「「…………」」
 かりかりかり……しゃっ、しゃっ、しゃっ……。
 何事もなかったように、作業に戻る詠美と彩。ビシッと人差し指を突き立て
たポーズのまま固まっている由宇の姿は、もう誰の目にも映らなかった。たと
えその像が網膜に映り込んでいたとしても、色彩信号が受容体で処理されシナ
プス結合を行う前に、その情報はノイズとして処理されることだろう。

「……寒い」
 彩が呟いた。はたしてそれは、単なる吐息だったかもしれないが、ただ一つ
確かなことはそこに、あくいがあることよね…、と詠美は思ったが口に出すと
恐いので言わないでおいた。
 さらさらさら…。
 砂が舞う。
 かつて由宇とよばれたモノの残滓。風に吹かれ舞い飛ぶ砂は、何かひどく乾
いていて哀しげで、ハニワだった。
「つっこめやーーーーー」
 泣きながら、由宇は家を飛び出ていった。
「――ちょっと、待ちなさいよ、パンダぁ!」
 あわてて引き止める詠美の肩に、そっと手が添えられる。
「……お腹が空けば帰ってきます」
 そう言って、彩は微笑んだ。

「ウチは小学生かいっ!」
 遠くの方でつっこむ声がした。

 夕方になっても、由宇は帰ってこなかった。詠美と彩は、お互いに黙ったま
ま、何をするでもなくぼーっとしている。
「……オヤジギャグさえ言わなければ、パンダもチョーイイヤツなのに……」
「……ええ、寒いダジャレがなければ面倒見のよい、やさしい方です」
 詠美の呟きに、彩が応える。
「「はあ〜寒いギャグさえ…」」
 書きかけの由宇の原稿。それは、彼女が飛び出していったときのまま、机の
上に散乱している。
「「…………」」
 どちらともなく、二人は由宇の原稿を手にした。ペン入れの終わっていると
ころに消しゴムをかけたり、ベタを塗ったり……アシスタント的なことをこな
していく。
「ふふん、天才のあたしがパースを直してあげてよ。感謝しなさ〜い」
 直書き一発で、背景を直していく詠美。さすがにうまい。
「なにこれ〜、ずいぶん変な病院ねぇ……ふんふん……これでよしっと!」

「……素敵です」
 彩は富士山が好きだった。
「……へえ、富士山ねぇ……なかなかうまいじゃない」
「……小さいころ、おとうさんと登ったから……」
 彩もまけじと、水墨画のような富士山を背景に書いてみた。

 夕飯は、彩の提案でお好み焼きに決定した。関西にはお好み焼き定食という
もがあると、以前老師に聞いたことがあるという彩の呟きを、詠美は敢えてつ
っこみはしなかった。
「…紅しょうががありません」
 詠美の目の前五センチほどに顔を寄せ、彩が訴えかける。
「……ふみゅう。……ま、しょーがないわよ、ないものはないんだから〜」
 ちょっとドキドキしながら、詠美が言う。

 パタ。突然、ドアが開いた。
「――こんのっ! おーばか詠美!!」

 スパァァァァァン!!

 鋭いツッコミが、本場仕込みのツッコミが詠美の後頭部を襲った。
「紅しょうがの入っとらんお好み焼きなんか、モアイのないイースター島、長
ズボンの男子小学生、おもらしのない鬼畜ものとおんなじや!」
「うみゅう…なによそれ〜」
 叩かれたにもかかわらず、詠美の顔は笑っていた。笑っていたけど、涙ぐん
でいた。
「……おかえりなさい、由宇さん」
 ホットプレートにスイッチを入れながら、彩も笑う。
「ま、せやけど、今回は大目に見たるわ。しょうががないだけに――」
 ドゴッ。
 二発同時のジャブが鳩尾と肝臓にキマリ、由宇は音もなく崩れ落ちた。
 その日のお好み焼きは薄味やったけど、えらい暖かかったわ、と由宇は思っ
た。そして…いまというこの時間を、この二人を過ごせてよかったと。
「あほらし…」
 そう言って、センチになっている自分に苦笑する。
 由宇もまた、笑っていた。

 夕食後。
「なんやの、これはぁ!?」
 自分の原稿を手に、わなわなと震える由宇の姿がそこにあった。
「なんで、教会が病院になっとるねん、しかも赤十字? っておいっ! そん
でもってこの富士山書いたのは誰やあああぁぁぁ!!」
 踊れるバーバリー。暴れるバーバリアン。
 般若となりて、破壊の限りを尽くす由宇に対して、彩が答える。
「病院は詠美さんが、そして、富士山は――」
 ゴンッ。
 彩が言い終わる前に、詠美はフランケンシュタイナーによって轟沈していた。
「うみゅ〜んがぁぁぁ〜」
「…………ぁぅ」
 バーサーカーには逆らうまいと心に誓う彩であった。

 その後、詠美と彩が、深夜まで由宇の原稿の手伝いをさせられたのは――


 ――しょうがないこと……です。(by 彩)





《木曜日――Thursday》




 …ヒューン…ザー…ザッ、ザザッ……ヒューン……。

「…桜井あさひのハートフルカフェ! あ〜た〜らしい朝がきた〜。…皆さん
元気にラジオ体操してますかぁ? ……あー、ごめんなさい冗談ですぅ。モノ
を投げないでくださ〜い! …えと、街の中もだいぶ落ち着いてきたみたいで
すね。あたしも、少し散歩してこよかな〜と思ってます。もし、逢えたら…声
をかけてくださいね〜、約束ですよ〜!! ……それじゃ、今日の一曲目……」



 その日は、とくになにもない日だった。


「詠美さん、紙が切れました…」
 それまで、けなげに複写を繰り返していた家庭用コピー機が止まったのを見
て、彩が声をかけた。
「え〜、まだ紙あるわよ。ちょっと、どーしたの、動きなさいよぅ!」
 ガンッ、ガンッ…。
 コピー機を叩いてみる詠美。
『いたい、いたい…やめてーな』
 ひぃぃぃぃっ!! 詠美の顔がみるみる蒼白になっていく。
「――しゃっ、しゃっ、しゃべったああああぁぁぁ!!」
『もう泣き虫詠美ちゃんの下で働くのはイヤなんや。もう休ませてーな』
「……ふええええぇぇぇぇぇ。コピー機が、コピー機がぁぁぁ…」
 泣きべそをかいた詠美は、訳のわからぬままうろたえている。

 ぷっ。
「あははははははっ!!! く、苦し〜」
 堪らず笑いだす、由宇。お腹を押さえて、苦しそうに身をよじっている。
「?????」
 対する詠美は、はにゃ? といった感じの顔をしていた。
「あははははははっ……コピー機が、喋るわけないやろ」
「!!」
 はっ、とした顔の詠美の顔が、こんどはみるみる赤く膨れていく。
「キィィィ――――!! だましたわね、このだましパンダ!!」
「やーい、騙される方が悪いんや。このおーばか詠美ぃ〜」

 ずごっ!! ずごっ!!

 言い合う二人の頬骨に、ストレートが炸裂する。
「「うごっ!!」」
「……そんなことを言っている場合ではないです」
 彩が二人をたしなめる。事実、ここでコピー機が壊れてしまっては予定部数
の半分にも満たないだろう。
「せやな…」
「そ、そうね…」
 詠美は鼻血を流しながら、由宇は眼球をビクビクさせながら頷いた。

「さて、問題はどこでコピーするかっちゅうことやけど…はふー」
 夕食のキムチチャーハンを食べながら、由宇が会議の開始を告げる。
「……コンビニは……あふぅ……全滅です……あふぅ…」
 彩の言うように、食料のある場所は軒並み閉鎖されてしまっていた。
「うふふふふふ……はふー……この詠美ちゃん様に任せなさい! …あふー」
 真っ赤になった口唇を、誇らしげに結びながら詠美が言う。
「なんや…はふー、なんか良い考えでもあるんか、詠美? …はふー?」
「ふふん、学校よ! はふー!!」
「……キムチくさいです……」
 確かにそれは、名案に思えた。学校ならば、紙とコピー機両方が揃っている
可能性が高いだろう。
「なるほどな…はふー、詠美にしては、よー思いついたやないか…あふー」
「詠美ちゃんってば、ちょーてんさーい。やっぱ、女王のかんろくってやつ?」
「――サラダ国のたらこ(くちびる)姫やな!」
 腰に手をやり、ポージングする詠美に化石ゲームネタでつっこむ由宇。
「……キムチくさいです……」
「キィィィィ―― あたしはわかんないわよ、そんな古いアドベンチャーゲー
ム!!」
「ほおぉぉぉぉ!! よくADVやってわかったなあ。ウチはアドベンチャー
なんて一言も言ってないで!!」
「…ふみゅ〜ん」
 涙目でうろたえる詠美につめよる由宇…。『ぐふふふふ、詠美ちゃんもう逃
がさへんで――っ!?』 おいつめられた詠美は、突然由宇の肩をつかんだか
と思うと、有無を言わせず彼女のくちびるをうばった。『――ぅ…なにを!?』
鼻と鼻をすりあわせながら、強引にシケイを舐めるそのミョウワザに由宇のか
らだからはいつのまにか抵抗力というものが失われていた――。
「――もう、あかん……って、何読んどるねんっ、詠美ぃ〜!!」
 由宇はあわてて、詠美から自分が過去に作った百合同人誌を奪い取る。
「ふみゅみゅみゅ〜だって〜」
「……キムチくさいです……」


 三人が詠美の学校に辿り着いたときには既に辺りは暗くなっていた。
 ひとけのない闇が三人を不安にさせる。
「ちょっと、詠美。アンタの学校なんやから、先行って案内しぃ!」
 背中を押しながら、詠美を前に出そうとする由宇。
「ふえ〜ん、こわいこわいこわい、こういうときは下僕がとーぜん先にいくも
んでしょ!」
 真っ直ぐに伸ばした足を、つっかえ棒のようにして前に行くのを拒む詠美。
「…………」
 そんな二人のやりとりを見つめる彩。闇にまぎれていて、よく目視できない。

 ぽっ。
「「あっ!!」」
 そんなことをしているうちに、校舎の一角に明かりが灯った。
「……ウチらのほかにも、誰かおるんかいな?」
「………行ってみましょう」
 姿なき声に誘われるように、明かりのついた部屋を覗きこむ詠美と由宇。

 ♪ あたまは冴えてるかい?(まいはに〜)
 ♪ コンテはばっちりかい?(まいはに〜)
 ♪ ほっしいよ ほっしいよ 壁配置
 ♪ ぜったいもらうと決めちゃった〜
 ♪ 月島 吉田由紀 桂木美和子ぉ〜
 ♪ ヤられても ホられても なんともな〜いな〜い
 ♪ ボクらは一般人 へいへへ〜い せっ せっ 生徒会ぃ〜

「「…………」」
「なんではだかなのぉぉぉぉ!!!???」
 部屋の中では、糸目の男と一糸まとわぬ二人の女がマンガを書いている。
「……こんなところに、同じ志をもつ方々がいらっしゃったのですね……」
 嬉しそうに中をのぞき込む彩。
「……ウチらもうかうかしてられへんな!」
 ぐっ、と拳をにぎりしめ、瞳に炎を宿らせる由宇。
「うみゅう…それより、はだかだよぅ……へんだよ、ゼッタイ変だよぉ〜!!」

 ちりちりちりちり…。

 詠美は頭の中になにかの粒が降り注いでいるのに気が付いた。
 にへら〜。
 詠美は、何だか楽しくなってきた。
 にへら〜。
 彩も楽しそうだ。
「えへへ…やっぱあれやな……寂しい女が使うペンは――」

 どかっ、どかっ、どかどかどかどかどかどかどかどかどかどかどか…。
 ばきっ、ばきっ、ばきばきばきばきばきばきばきばきばきばきばき…。

 詠美と彩は、手の甲の骨が見えるまで由宇を殴り続けた。

「――Gペン! GペンGペンGペンGペンGペン……ほしいわ………Gペン
GペンGペンGペンGペンGペンじーぺんじーぺんじーぺんじーぺんじーぺん
じーぺんじーぺんじーぺんじーぺんじーぺんじーぺんじーぺんじーぺん……」

 どかっ、どかっ、どかどかどかどかどかどかどかどかどかどかどか…。
 ばきっ、ばきっ、ばきばきばきばきばきばきばきばきばきばきばき…。

 その日は――――とくになにもない日だった。





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