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橋はきっと架からない
「は、はぁ、はぁ、は――――!」  甲高い足音が闇に響く。  電灯の消えたフロアを、間桐慎二は逃げるように走っていく。 「くそ――――なんだよ、なんなんだよあの女、あんなデタラメあっていいのかよ… …! ライダーの宝具は一番強いんだろう、なのにどうして負けるんだよ……! セ イバーのクセにあんな宝具もちやがって、不公平だ、不公平だ、不公平だ……!」  階段を転がり落ち、壁に衝突し、地面を這いながら間桐慎二は地上を目指す。  彼の脳裏には、ライダーを両断した光が焼きついて離れない。  彼が罵倒するように、あの宝具は規格外の存在だ。  味方になら神々しく映るであろう聖剣は、敵対する者から見れば悪魔の産物に他な らない。 「ふ、ふあ、あ――――!」  故に、暗闇であろうと走る。  立ち止まればあの光がやってくる。  振り返ればライダーのように影も形もなく蒸発させられる。  立ち止まっている余裕などない。  サーヴァントを失った事より、令呪を失いマスターでなくなった事より、彼は自分 の命を優先する。 「はっ――――くそ、くそくそくそくそ……! 何が私の宝具は無敵です、だ……!  あの口だけ女、よくも僕を騙してくれたな……! 余裕ぶっていたぶってるから寝 首をかかれるんだよ間抜けがっ……!」  もっとも、それは間桐慎二が命じた事だ。  簡単には殺すな、と。  宝具を使用するからには一撃で仕留めるべきだ、というライダーの忠告を蹴りつけ て、彼はセイバーを追い詰めたのである。 「は――――あ、ひゃあ…………!?」  何度目かの転倒。 「あ」  その時、カシャンと名刺入れぐらいの大きさのケースを落としたのに気づく。 「くっ、ん、あ―――」  そんなものは無視してすぐに立ち上がろうとして、思い止まるとそのケースを拾い 上げた。 「こ……の、く、くそくそくそっ!」  落ち着かない手つきで何とか蓋をこじ開けると、中に仕舞われていた一錠のカプセ ルを取り出した。  この錠剤は彼の祖父と称する生物に貰ったものだった。  間桐慎二を失敗作と切り捨てて見放した父親とは別に、その祖父は慎二に対しても それなりには目を賭けてくれていて、今度の聖杯戦争でも参加したいと願った彼にい ざという時の為にと渡してくれたものだった。  サーヴァントを倒され、命の危険に晒された時にだけ用いろと言われていたものだ が、まさしく今がその時だった。  彼はそう判断するとその風邪薬のようなカプセルを口の放り込んで、そのまま飲み 干した。カラカラに乾いた喉が痛かったが、そんなことを気にしている余裕は無い。 「ん、ぐ、ぐぇっ……」  少し咽る。  だが、構わない。 「早く効け早く効け早く効け早く効け早く効け早く効け早く効け早く効け早く効け」  即効性と聞いてはいたが、僅かな時間も惜しんで慎二は呪詛のように唱え続ける。  逃げることも忘れ、考えることも怠り、ただただ焦燥感と苛立ちと死への恐怖心の みを胸に、必死になってろくに出もしない唾を飲み続ける。 「くそっ、早くしろっ! 早くしろってんだよ、このっ!」  逃げることを続ければいいのに、それすら忘れてその場で地団太を踏む。  自分がどんな相手を頼りにし、どんなものを飲んで、どんな効果を待っているのか も考えずに、ただ苛立つことだけを続けていた。  ずにゅる。 「――――は?」  回答が導かれようとしていた。  何の前触れも無く、唐突に、それは始まった。 「な、なんだ……」  ぶちぶちぶち、  どにゅる。  ヘンな音。  間抜けな音が、彼の耳に届く。  外からではなく、内側から。 「っ、こ、これ……は?」  有り得ない。  これまでの間桐慎二は、じゅぶりと自分の胸から何かが突き出したのを最後に、 「――――――――ぁ、え、ぁえ?」  これからの間桐慎二へと成り変わっていった。  重い足音。  逃げるのを止めていた彼を待ち続けることに痺れを切らしたのだろう。  巨大な壁がのしのしと、近寄ってくる。 「逃げるのは止めたの? でもダメよ、マキリの蛆虫さん。敗者には死以外の道なん てないんだから」  楽しげな笑い声がこぼれる。  張り詰めた闇の中、白い少女の銀髪が克明に浮かび上がる。 「は、え――――――」  間桐慎二が顔を上げる。  その認識。  目前に“在る”モノがなんであるかを視認した瞬間、その体は両断された。 「――――え?」  些か、間の抜けた少女の声。  彼女の目前で、まるで殻が破けたような、玩具箱をひっくり返してしまったような 光景が広がった。  両断された人間の体の中から臓器が飛び散る。  赤かったり黒かったり白かったり青黒かったりピンクっぽかったり赤茶けてたりす るものが沢山沢山散らばった。長かったり丸かったり水っぽかったりしながら一杯一 杯飛び散った。大量の血飛沫と一緒に一緒に広がった。  ありえないほどに。  あってはならないほどに。  それらは馬鹿みたいに広がった。  白い少女に、黒い巨人に、  その艶やかな髪に、黒光りする脚に、  降りかかるように、襲い掛かるように、避けて通るように、這い蹲るように、  何でも何でも何だか何だかおかしいぐらいに可笑しいぐらいに、  ぶち撒けられた。 「なによ、これ!」  不愉快。そして苛立たしいことが起きた。 「ちょっとバーサーカー!」  命を下した少女は命を受けた巨漢を睨みつける。  届かない視線。  けれどもその小さい少女が発するには不釣合いな程の強烈な殺気じみた気配は紛れ も無く相手に届いている筈だ。  共感する存在である。  だからこそ、彼女の思いはストレートに相手に届く。  その逆もまた然り。  が、その巨漢が感情を少女に伝えることは無い。  だからこその一方的な関わり。  また少女もそれを当然としている。  自分はマスターなのだ。  マスターは常に命を下すものであり、思いを受けるものではない。  だからこそ、伝え、それを実行させることさえ確実であればそれでいい。  汚らわしい。  汚らしい。  なんだ、これは。  血だ。  皮だ。  肉だ。  臓器だ。  欠片だ。  人だ。  脂だ。  毛だ。  体液だ。  それらが飛沫となって自分に降りかかった。  何故だ。  どうしてこんなものを被る。  臭い。  キモチガワルイ。  どうしてこんなことに。  何故。  どうして。  巫山戯ている。  馬鹿にしている。 「バーサーカー!」  叱責。  自分と共に穢れた下僕を見上げ、怒鳴る。  だが、高さの差だろう。  自分は全身に浴びた汚れも、その巨体では膝下に掛かるのが精々だった。  不公平だ。  なお一層腹立たしくなる。 「どうしてくれるのよっ!」  早くこの穢れを取り除きたい。  汚れを。  穢れを。  ケガレヲ。  コノケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレ ヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲケガレヲ。 「くっ」  顔を歪めた。  鼻を突く悪臭。  臭い。  臭過ぎる。  濃い血の臭い。  それだけだろうか。  たったそれだけでこんなにも臭いのだろうか。  臭い。  臭い。  早くこの臭いを、この臭さを取り除かなければ。 「帰るわよ! バーサーカー!」  着ている服を全部脱ぎ捨てて、体中の穢れを洗い流したい衝動に耐え切れず白い少 女は傍らの巨躯に命を下す。  汚い。  臭い。  気持ち悪い。  たかが返り血如きでどうしてこんなにも不快になるのか彼女は判らない。  ただ、生物として拒絶反応を示していた。  ホムンクルスである身でも、仮初の器に入っただけの魂でも、嫌悪の二文字しか現 れない。  寧ろ彼女だからこそ、一層に純粋にそう思えたのかもしれない。  現場を背にし、駆け出そうとするその足が、 「―――マテヨ」  その一言で、止まった。  声。  それは本当に声だったのだろうか。  聴こえた。  確かに鼓膜には届いた。  が、しかし、それは。  人間の喉から通って口から発せられた繊細な騒音であっただろうか。 「……くっ」  イリヤは歯噛みをして振り返る。  そこには見たくもない光景が広がっている。  別に死体があるからではない。  自分たちが手を掛けた相手が死んでいるからではない。  その空気が穢れていたから。  汚染されているものを目に入れるのが甚だ不愉快なだけだった。  ずるり、と。  何かが―――動いた。 「バーサーカーッ!」  イリヤの声。  それが何かを示すのか、何を表すのか、どういうことなのか、どういうものなのか 何ひとつ考えず、確認せず、確かめようともせずに彼女は命じた。  忠実かつ愚直な彼女のサーヴァントが彼女の前に出て、再び刃を振るった。  ずばしゃんざん  がしゃぎんがん  がこんぼこごご  間抜けな音を立てて、バーサーカーは斧を振るう。  中華包丁で肉の塊を挽肉にするように、床を砕きながら、血潮を撒き散らしながら、 肉片を飛び散らしながら、先ほどの死体を塵屑に変えていく。  念入りに、出鱈目に、強く強く潰していく。  ばちゃん、ばちゃん、ばちゃん  音が単調になる。  潰すものもなくなり、壊れるものも壊れ、ただ義務的に作業としてペースト状にな った何かを叩き続ける。 「もういいわ」  その声がなければ、いつまでも続ける気だったのだろうか。  ともあれ、バーサーカーの動きが止まる。  屠殺場でもこんなものはあるまい。  それほどに、念入りに叩き潰した。  イリヤは暗いのを幸いに、その光景を確りと見物しようとはしなかった。  漂ってくる悪臭に顔をしかめながらも、改めて撤退の意を伝える。 「帰るわよ、一刻も早く」  先ほど聞こえたのは空耳だったかも知れない。  蠢いて見えたのは目の錯覚だったのかも知れない。  寧ろ共にそう考えるのが自然だ。  それなのに、イリヤは何故かバーサーカーに指示を出したことを間違っていたとは 思えなかった。  そしてそれを肯定するようにバーサーカーもまた、躊躇うことなく従った。  何かを感じたのだ。  嫌な、何かが。  それは言葉にするにはあやふやで、よくわからないものだった。  魔術師としての勘か、生き物が持つ本能的な恐怖か。  どちらにせよ、イリヤはどこか収まりのつかない決まりの悪い気分を抱えるだけで 終わった。  大袈裟に舌打ちをし、早く忘れようと不快感を無理矢理追い払った。  だから、先を急ごうと彼女が再び正面に向き直った時に、 「―――っ!?」  目の前に生首が飛び掛ったことに対して、反応は激しく遅れたのは仕方がないこと だった。 「がっ! あ、あ、ああっ、あ……」  獲物が五月蝿い悲鳴をあげているが、構うことなく作業に没頭していた。  首筋の血管に突きたてた歯は、肉を破っていた。  熱い血がドクドクと、留まることなく口の中に注ぎ込まれていく。  その味は決して美味いものではない。  当たり前だ、血など美味いわけはない。それも他人の血だ。  そして喉を通り抜けながら、胃に収まることもなかった。  けれども体は血を欲していた。 「吸血鬼かよ、僕は」  笑ったが、美味く笑えていたかどうかは判らない。  また、どうでも良かった。  口の中に溢れる血を舌を使いながらなるべく零さないように啜る。  口の周りが真っ赤に染まっていたが、今更だ。 「動くなよ、デカブツ」  一部始終を目にしながら、手を出せないでいるバーサーカーを目で牽制する。  相手も判っている。  動けば、喉を噛み付かれた少女の命はないと。  今少し、顎に力を入れれば、致命傷になる。  目的は口にしている少女の命を奪うことではない。  差し当たって大事なのは一つ。血と血に含まれる魔力を奪い取ることだった。 「ちっ……面倒だな。どうしてこんな面倒なんだよ! くそっ」  何せ今、首から下が存在しない。  ご丁寧にミンチどころかペーストにまでされてしまった。  肉も骨も手も足も指も服も爪も内臓も所持品も何もかにもが、等しく叩き潰されて 血と体液が混ざり合った液体状の気味悪いものにされていた。 「死ぬところだったじゃねえかよ」  咥えながら喋り続ける。  改めて、その惨状を目にすると腹が立つ。  立てる腹も無いので、せいぜい目を吊り上げるだけだったが。 「足りねぇ……足りねえよ! 馬鹿! なんだよ、これはっ!」  咥え込んだ喉に対して、更に顎の力を入れる。  まだどこかを噛み破ったのか、注ぎ込まれる血の勢いが少し増した。  相手がこのまま失血死するかどうかまでは知ったことではない。  首筋の血管が、膨れあがる。  ジジジジジ、と。  彼の血の中で息を潜め、何億という数に増殖していた蟲が蠢く。  栄養を貰って活発に血管の中を駆け巡っていく。 「ひ、ひひ、ひひひひひひ、ひひひひひひひひひひひひひひひ」  何かが活性化していくのがわかる。  気持ちが良い。  とても、気持ちが良い。  首から下を失ったというのに、寧ろ失ったからなのか体の隅々までが自分の意のま まになっているような感覚になっていた。  今なら髪の毛の一本一本までが、思い通りに動かせるような気がする。  血が美味しい、そう感じるようになっていた。  その注ぎ込まれるべたべたするだけの赤い液体は、自分を更に活発にし、明瞭にし、 覚醒させていた。  大量の血を啜りつつ、首からはそれ以上の量の白い液体を垂れ流していた。  悪臭を放ちながら滴り落ちるそれは、湯気を立てて水溜りを作っていく。  この場で正常な人間がいたならばそれをどう表現しただろうか。  幸か不幸か、喉に食いつかれ蒼白になっている少女と、喉からの血を啜ることに忙 しい首だけの少年、そして正常と相反するバーサーカーの称号を持つサーヴァントし か存在しなかったせいで、その光景は人から騒がれることはなかった。  白い液体がずるずると蠢いていく。腐った生クリームの塊のようなそれは、イリヤ 達の元を離れ、バーサーカーの横を通り、赤黒い粘液となって放置されていたものの 元へと這っていく。  止めるものは無い。  バーサーカーはその感情の読めない瞳を、己の主人と主人の首に食い付く首にだけ 向けていた。 「ひひひひ、あ、あれ? まだか? まだ、足りない、か?」  脳味噌の中、思考がぐるぐると回っていく。  血を飲み干す作業は止めていた。  既に視線は一瞬の隙を、必殺の一撃に変えようとしている巨漢に向けられていた。  失血で気を失い、膝から折れるようにして斃れ伏しながらも今も尚、食いついて離 さないでいる当の少女のことなど気にも留めない。  蛆のような蟲の塊が新たな餌に食いつき、その餌の中に住み込んでいた新たな蟲と 結びついていく。  嘗て自分の体だったものは、ただの蟲の塊になっていた。  問題は全く無い。  今の自分は蟲だからだ。 「は、はは、ははははははははははははははははははははははっ」  血塗れになった顔で哄笑する。 「■■■■■■■■■■■■――――!!」  その瞬間、バーサーカーは遂に動いた。  俊敏とは言い難かったが、鈍重とは程遠い動きで距離を詰める。  唯一のチャンス。  彼が出来ることは、その口が少女の細い首筋から離れるその一瞬を待つことだけだ った。  そしてその瞬間―――巫山戯た首が哄笑した瞬間に、手にした斧剣を一閃させて慎 二の顔の半分を吹き飛ばした。 「……ひ、ひ、ひひゃははははははははははっ」  主人の窮地を救った英雄に向けられたのはまたしても哄笑だった。  バーサーカーは倒れ伏していた主人を抱き抱えつつ、声の方を振り返った。  失策。  そんな声など放っておくべきだったのだ。  大事なのはマスターの身柄。  直感を信じてそのまままとわりついた残骸を引っ剥がし、イリヤを抱えて、一目散 にこの場を離脱するのが正しかった。  ただ、それが先ほどのものとあまりに変わりないもので、あまりに不自然だったか らこそ振り返ってしまった。  背中を襲われる心配をしたのか、英霊としての敵意を放っておけなかったのか、単 に声に反応してしまっただけなのか、否。  哄笑の敵はイリヤに危害を加えることが出来るものかどうかわからず、確認を求め たが故だった。  恐らくは彼自身の身だけであれば、退避に関して迷うことは無かっただろう。  ただ、その一つの行動が、バーサーカーの失策だった。  彼が目にした光景は実に、詰らないものだった。  念入りに潰しきった肉は、卵や幼虫の苗床として使われた後、その悉くを蟲の養分 として這い出した蟲に咀嚼され、這い寄った蟲に吸収され、小さな蟲を大きな蟲が喰 らい、大きな蟲は小さな蟲に喰い破られるという多くの蟲の塊になっていた。  哄笑は、蟲の小山の上に圧し掛かった動物の臓器に似たピンク色のテカテカとした 蟲から聞こえたものだった。  既に予測できたことだろう。  その蟲はマキリの魔術によって魂を植え替えた間桐慎二であったものだ。  幼虫体として白濁色の蛆のスープの中に紛れて、首から抜け出していた。  だから、残っていたものは、ただの彼に使役される蟲の集合体でしかない。  抜け出てからの声も、言葉も、先の哄笑でさえもそうするように命じられてのただ の反応でしかなく、今の哄笑こそが意思の籠もった代物であった。  そして抜け殻だからこそ、どうなろうとも意のままに動く。 「■■■■■■■■■■■■――――!?」  抱き抱えられたイリヤの喉に舌と下の歯だけでくっ付いたままだった顔の下半分、 石器のような斧剣で斬り飛ばされたとは思えないその綺麗な切断面から、もぞもぞと 這い出してきた蚯蚓のような生物が、バーサーカーの顔目掛けて飛び掛っていた。  目を離した一瞬。  その隙をついてその蚯蚓モドキは。バーサーカーの鼻と耳の穴に飛び込んでいく。  即座に伸びきった胴を掴んで引き千切るが、間に合わない。 「■■■■■■■■■■■■――――!?」  穴に飛び込んだ蟲はそのバーサーカーの太い指で掻き出される前に、体に溜め込ん でいた卵を全て注ぎ込む。  僅かな湿気で孵化するその蟲は、異常な程の繁殖力を備え持つ。  慎二自身がそうなったように、最初の十数匹が数百匹に、数百匹が数万匹にと加速 するように蟲が増殖していく。細胞分裂にも追いつかない速さでバーサーカーの体を 苗床にして蟲が産まれていく。  だが、バーサーカーも英雄である。  勇者である証はその躊躇いのなさが証明している。  既に間に合わないと判断した彼は、即座に己が首を刎ねた。 「なっ……」  絶句したのは、今度は慎二である。  あっという間の出来事だった。  隙を突いてバーサーカーの体の中に卵を植えつけた筈が、進入路の首を飛ばすとい う相手の行為によって妨げられた。  まるで手足を捨てるが如く、思い切りよく首を切るという行動に面食らわされる。  臓器から顔だけ浮き出させたような醜悪な格好の慎二は、目を凝らしてバーサーカ ーの惨状を確認する。  見せ掛けの顔に、作り物の瞳、形だけを真似た口、格好だけの鼻をそれぞれヒクヒ クと動かしながらも慎二はその場から動かなかった。この場にいる蟲と彼とは全て繋 がっているので、その蟲の目を通せば、別に彼自身が確認する必要はない。それでも 人間だった名残なのか、彼は自分で確かめずにはいられなかった。  バーサーカーは首を失っても揺らぐことなく彫像のように立ったままだった。  切り落とされた首からは噴水のように血が吹き出ていた。  その手によって叩きつけられた首からは寄生し始めた蟲達が虚しく蠢いていた。 「馬鹿め、自殺し―――」  相手の死を確信すると共に衝撃から立ち直り、改めて嘲笑しようとしたその口が止 まる。 「手前ぇ……それは、何の真似だよ」  落とされた筈の首が、何事もなかったように胴についていた。  慌てて、飛ばされた筈の首に視線を向ける。  蟲の餌として食い荒らされた頭の残骸が見て取れた。  何故。  そう思うと同時に、大量の蟲が這い出ていたかつてのバーサーカーの頭の残骸が蟲 諸共が踏み潰された。 「―――っ!?」  続けて、慎二に向けて斧剣が振るわれる。 「ずるいぞ、手前ぇ! 卑怯だ!」  体の一部を切り裂かれながらも、退避する。  避けたというよりも、転げまわったという方が近い。  バーサーカーはさらに踏み込もうとして、立ち止まった。 「チッ」  べちゃりと、赤く爛れた烏賊の足のような蟲が黄色い泡を吹きながら二人の間の地 面に落ちる。長い体のその先は、元々の慎二の体のあった混濁した蟲の塊からだ。 「■■■■■■■■■■■■――――」  イリヤが意識を失っているせいか、バーサーカーの瞳には狂気が弱まっている。  その口が、吼えること以外で開かれた。  同時に振るわれた斧剣で二人の阻むようにして長く伸びきっていた蟲を切り払い、 バーサーカーは虫けらを踏み潰すべく距離を詰めた。  重い音。  強く踏み締めた足の下には、慎二の体はない。  巨漢は顔を上げる。  蠅のような羽を背に生やして、敵対する臓器の塊のような蟲は飛び上がっていた。 「■■■■■■■■■■■■――――」 「地べたを這い回る地蟲が僕を蟲呼ばわりか! はっ、飛べもしないくせに吠えたも のだなっ!」  掴み掛るが、やすやすと回避する。 「デカブツ、五月蝿いよっ! 蟲じゃねえんだっ! 僕は―――」  左程早い動きではない。  が、人が飛んでいる蚊を片手で握り潰せないぐらいの行動は取れていた。 「―――はて。僕は何だ?」  皮を剥いだ鳥のような血色の化け物は、襲い掛かるバーサーカーの手をかわしなが ら一人ごちる。  襲い掛かる肉塊をバーサーカーは易々と、蹴り飛ばす。  蟲の集合体だったそれは、吹き飛ばされる間もなく粉々に飛び散った。  その蟲に包まれないように、バーサーカーは距離をとった。 「――――マ、マ、マ、マトウ……ソウダ! マトウシンジダ!」  口にあたる部分が極限まで開いた。  歯もなければ舌もない。  ただ、母体である彼の体に寄生する蟲が幾多数多と顔を覗かせていた。 「■■■■■■■■■■■■――――!?」  低く飛んでいた蟲は、死体に蠅がたかるようにしてイリヤの体の上に止まっていた。  喉こそ食い破られてはいなかったが、首から血を流して倒れている少女が生きてい るようにも見えない。バーサーカーが現界しているのだけが、この少女の生存の証だ った。  それもどこまで保つのかもわからないが。 「このお姫様が大事か?」  蠅だか鶏だか内臓だかわけのわからない、肉の塊が嘲る。  胴に張り付いた顔は、人間のようで、ただの亀裂のようでもある。  明瞭な発音はその口から発せられているのか、どこか違うところから出ているもの かはわからなかった。またわかる必要もなかった。 「来いよ、デカブツ」  挑発する。 「今日は機嫌がいいんだ。遊んでやるよ」  胴から生やした小さな手足は数十から数百。  その一本一本がわななきあがら、イリヤの顔を撫でる。  死んだように青ざめたその表情は変わらない。 「■■■■■■■■■■■■――――!」  怒りの篭った咆哮。  少女を侮辱するその行為に、彼女のサーヴァントであるバーサーカーは怒りを抑え きれない。彼はただ、彼女に従うのみ。彼女を守るのみ。ただ、彼女を救うのみなの にも関わらず吠え立てていた。  相手が見せた隙を突き、バーサーカーは先ほどのように主に集る蟲ケラを蹴り飛ば そうと踏み込んだ。  吼えながら。  左右から襲い掛かる蟲の塊を、手にした斧剣で切り飛ばした。  吼えながら。  イリヤの体からまるでゴキブリのように飛び跳ねてきた慎二に向けて、バーサーカ ーは拳を繰り出す。  吼えながら。  が、かわされる。  伸びた触手のような腕の一本が、その伸びきった腕にしがみつく。  木登りをするましらのように、瞬く間にバーサーカーの首元まで登っていった。  相手の目論見に気づいたバーサーカーは、吼えていた口を閉じる。 「――――!?」  飛び散る血、吹き出る体液。  喰い千切られて真っ二つにになった体の半分が、死骸のようにポロリと落ちた。  体の、半分だけが。 「■■■■■■■■■■■■――――!?」  躊躇うことなくバーサーカーは腹に両腕を突っ込むとそのまま内臓を掴み出す。  掴み出され、放り出される臓器と共に、半分に残った蟲が零れ落ちる。 「あはははは、また同じ手に引っかかってやがる。馬鹿じゃねーの!」  潰れたジャムパンのような顔をしながら、蟲が笑う。  バーサーカーの血で真っ赤に染まったその体からは白いあぶくを出していた。  詰め込んだ何かを吐き出したかのように。 「■■■■■■■■■■■■――――!?」  体中を掻き毟ろうとも、今度はもう間に合わない。  ウイルスに感染したかのように、一つ一つの卵が蟲になって、一匹一匹の蟲が多く の卵を産む。  爪で裂いた体の皮膚からは血と蟲と卵がポタポタと零れ落ちていく。  眼球が萎み、破れる。  眼窩からは血の一滴も飛び出さず、代わりに成虫となった蚯蚓状の蟲が機嫌よく飛 び出てくる。  それを契機としたように口からも、耳からも、鼻からも、赤黒い胴体の蟲が這い出 てくる。  出てくる蟲は外側からバーサーカーの体を包みこもうと躍起になる。  その一つ一つが頭か尾かわからない先っぽを割って、花粉でも飛び散らすようにし て卵を吐き散らす。  卵がまた幼虫となって、蟲の隙間に潜り込み、僅かな湿り気を求め、それを糧とし て体を太らせていく。  無論、取り付かれた生物が生きていられる筈も無い。  既に二死、三死……七度、バーサーカーは死んでいた。  幾ら死のうとも、幾ら蘇ろうとも、取り付いた蟲は離れない。  滅びた先から増えていく。 「あははは、あはははははははは」  嘲笑う蟲の鳴声だけが、場を支配していた。  異常な繁殖力は、蟲本来のものである以上に蟲の主である彼の命令に拠る物が大き い。だからこそ、身を削って卵を産む蟲は直に生命力を燃焼しきって死滅する。その 死骸はまた他の蟲の栄養になるのだから無駄もない。  九度目の死。  集る蟲の勢いは留まらない。  十度目の死。  再生するのももどかしげに、蟲は餌場を荒らしていった。  そして十一度目の死。  バーサーカーは再生した瞳で、己が主の姿を探す。  その眼球を蟲に突き破られ啜られるその直前に、集られた直後に巻き沿いを怖れた 彼によって放り出されたイリヤの背中を確認した。  思うことは、何も無く。  彼は、ただ、滅びるしかなかった。 「……これで、へっ! へっ、へっ、へっ」  鼓膜などとっくに食い破られ脳味噌すらも蟲の餌になっていたバーサーカーは、そ んな慎二の声を聞くこともなく、粛々と十二度目の死を迎えた。  ただ蟲の餌として。  蟲達の食宴は終わりを告げ、周囲に呑まれるようにここもまた静寂に帰っていた。 「擬態……いや、こういう生き物……いや、まあ、いいか……」  カプセルの中身として取り込んだ蟲は慎二と融合することによって、蟲の力と魔術 によって植えつけられた知識をそのまま慎二に供給する。  蝿を殺す神として信仰されながら、他教徒によって蝿の姿をした邪神として、魔神 の君主としてサタンに次ぐ地位を得た悪魔にされているかのベルゼブブの名を冠した その寄生虫は、慎二の血肉どころか魂以外の全てを賄っている。寧ろ慎二の方が集っ ている寄生虫のようでもあった。  十二度目の死を迎えたバーサーカーの肉を喰らった蟲はそれ以上の繁殖をすること なく慎二の元へと集まる。  喰らうのでも喰らわれるのでもなく、ただまとわり、張り付いていく。  時間にして一時間強。  外見だけは、元の人間の姿になっていた。  間桐慎二という生き物の仮初の姿として、それは不可欠なことであった。  偽りの肉体に、偽りの血肉、偽りの臓器、偽りの骨が詰まっていた。  自分で産み出したありとあらゆる蟲を支配し、操る魔術こそ、マキリの魔術である。  魔術回路がなく、遺伝子的にその才の無い慎二でも、己自身が支配する側の蟲とな れば、これ位のことはできた。 「あは、あはははは、あははははははははっ」  だが、それは同時に人であることを止めることである。  それは魔術師でもなく、人でもない。  ただの化物である。  その事に彼は気付くことも無く、考えることもなく、ただ笑っていた。  力は得た。  望んでいるものとは少し違うが、気になる程ではない。  あとは欲しいものを手に入れるだけだ。 「ひゃは、ひゃはははははははははっ」  もう一度、笑っていた。                            後編に続く