「ぁ、ああ……」  目蓋が重い。  酷く疲労しているのがわかった。  目覚めているのに、体が覚醒することを善しとしていない感覚。  人に似たホムンクスの体であっても、寧ろだからこそ体調の不良には敏感で、慣れ ていた。  イリヤは自分の体調がかなり良くないということを、ぼんやりとした頭の中で理解 していた。  微熱がある。  身体の節々が痛む。  喉にじんわりとした痛み。  風邪、だろうか。  こんな時はリーゼに頼んでハチミツを落とした紅茶を淹れて貰おう。  いつもは甘いものに厳しいセラも、こんな時だけは何も言わない。  ふう。  そう思ったら、早く目を覚まそう。  汗をかいていて服が張り付いていて気分が悪い。  喉が痛い。  唾を飲み込もうとして、痺れるような痛みが走る。  全身も鈍く痺れるような痛みが疼く。  特に、手の甲からは火傷でもしたような鈍い痛みが不快なほどだった。  どうしてこんなに躰が痛いんだろう。  そこまで考えた時、 「―――え」  何か、良くないことを思い出していた。  起きようとして、失敗した。  体の痛みがそれを許してくれなかったのだ。 「痛っ」  力を入れた箇所が痛み、否応無く再び横たわる。  視界に入るのは見慣れた天井。 「……あ、え?」  イリヤは一瞬、戸惑って、すぐに納得した。  ここはアインツベルンの城の自分の部屋。  寝ているのは自分のベッドだ。 「どうし、て……」  わけが判らない。  城に戻った記憶が無い。  何故なら昨日、自分は――― 「あ……」  自然に、手を自分の首に当てた。  かさついた感触。  更に撫で回す。 「―――――――っっ!」  声にならない激痛。  そこに傷口が確かにあった。  痛みが走る首を無理矢理曲げて、自分の体を見下ろす。  ベッドに横たわっている自分は、昨晩着ていた服装のままだった。  帽子こそ脱げていたが、黒ずんだ染みに砂や埃が付着したままのコートは羽織った ままにされている。  どういうことだろうか。  リーゼリットやセラが自分をこんなままにしておくというのはおかしい。  彼女達ならば少なくても傷の手当てと着替えぐらいはしてくれていただろう。  それがないというのは、今はそれすらもできないような事態になっているからだろ うか。  それよりもどうして自分はここに寝ているのだろう。  昨日のアレは。  バーサーカーは。  疑問ばかりが浮かび上がる。 「あ、ぐ……」  不意に気配を感じて、顔を動かそうとした瞬間、 「 Huomenta !」 「――――っ!」  どこに潜んでいたのか、イリヤの髪を根本から鷲掴みににした手と共に、愉悦の籠 もった声が彼女の耳に飛び込んできた。 「おはよう、お嬢ちゃん。いい夢見れたかい?」 「な、あ、貴方は……き、昨日のっ!」  名前は間桐慎二。  マキリの血を引く少年だが、魔術師ではない。  それでも今回の聖杯戦争ではマスターとして参加していた。 「痛いっ は……は、放して!」  髪を背後から掴まれたその手を振り解こうと腕を伸ばすが、届かなかった。 「おいおい、折角家まで送ってあげたって言うのにあんまりじゃないかい」  慎二はイリヤに害意のない笑顔を向けるが、行動が伴っていない。 「僕は親切な人間だからね。路上で寝ている君を放っておけなかったんだよ。ほらこ の辺最近物騒じゃん。変な大人に遭って悪戯でもされたら可哀想とか思ったわけ。い やまあ、本当のことを言えばどうでも良かったんだけど。後味が悪いとか言う以前に 君と僕とは他人だし。いや僕は君とあのデカいのにちょっかいだされて迷惑を蒙った んだから、寧ろ被害者? どっちにしろ助ける義理なんか全くなかったんだから感謝 の気持ちぐらいは見せて欲しいんだ。それにしてもここまで来るのは本当に大変だっ たよ。郊外の森の奥なんて知った時にはこのまま放って帰ろうかと思ったぐらいにさ あ。でも待てよ折角だからそこまで行く方が後々のことを考えるといいかも知れない って、ホラ僕頭良いだろ? 君とかじゃ考え付かない手立てとかあるんだよ、あはは はは、ガキにはわからないか。しかし本当に参ったね。裸じゃ歩けないから適当に通 行人から服を拝借したんだけど、そいつのセンスが最悪。この僕が着る服にしては最 低なぐらいだったんだけど、仕方がないから我慢したさ。サイズが合うことを最優先 したからね。勿論、すぐに適当な店で、もう少しマシな服を調達したけど。ああ、お 金ならそいつが払ってくれたし。ほら、死人には金は要らないだろ? ああ、三途の 川の渡し賃が必要だったか。これは失敗したなぁ。でもあんなセンスの悪い服を着て いた奴だから、別にいいだろう?」 「放して! 放してってば!」  喋り続ける慎二の声も聞かずに、喚いて手から逃れようと暴れ続けるイリヤに彼は しかめると、 「あのさあ、うるさいよ、オマエ」  そう言って、片手で投げ飛ばした。 「あ、ぐぁっ」  彼女の口からは悲鳴のようなものが漏れる。  軽々と放り投げられたイリヤの体は、壁にぶつかって落ちた。  イリヤの体が幾ら軽くても、慎二のような体型の人間が片手で放り投げられる距離 ではない。 「僕が喋ってやってんだから黙って聞けってんだよ! これだからガキは嫌だって言 うんだ!」  ヒステリックに叫ぶが、背中を強く打って呼吸ができないイリヤは苦しげな目を伏 せるしかなかった。 「大体さあ、おまえらアインツベルンの連中はなんなんだよ。折角、送ってきてやっ たのに礼の一つも言えやしない。客を迎える礼儀がなっちゃいないんだよ!」 「ごほ、ごほごほっ……」 「あのメイドもなんなんだよ。使用人の分際で巫山戯た事言いやがって! わざわざ こんな山奥まで送ってやったんだぞ! 茶の一つも出さないで、あんな目を向けやが って!」  顔中に青筋を立てながら怒りの言葉を吐き捨てるが、直に笑顔に戻る。 「でも僕は寛大だからね。許してあげたさ。何より、死人を悪く言うのは良くないか らね。いつまでも過去に拘っちゃいけない。オマエもそう思うだろ?」  咳き込んでいるイリヤの前まで寄ると、慎二は腰を落として顔を覗き込むような姿 勢を取る。 「え、な、何を……言っているの?」 「ここは静かなところだな」 「貴方、何を……」 「喧騒がないいいところだなって誉めたのさ。山奥の誰も住んでない廃屋だから当然 か、あはは」  慎二の耳障りな笑い声も耳に入らず、イリヤは顔を強張らせた。  この男が何を言ったのか。  何を匂わせたのか、ようやくにして考えが至る。  それはイリヤにとって、良くないことだった。 「う、嘘……でしょう」  イリヤは顔を青褪め、動かない体を躍起になって起こした。  その様子を、ニヤニヤと笑ったまま見つめる慎二。  イリヤは慎二の体を押しのけるようにして、立ち上がって部屋の出入り口へ向かう。 「 Hei hei. 」  そんな軽口を無視して、イリヤはふらつく脚を必死になって堪えながら部屋の扉を 開けて廊下に出た。 「リーゼ! セラ!」  呼びかける。  この広い城の中で互いの気配を探るのは不可能のように思えるが、この敷地はアイ ツベルンの魔術によって加護されている。  だからこそ侵入者を捕捉することも出来れば、アインツベルンの者である互いの存 在を把握し、どこに存在するのか窺い知ることができる。  しかし、何の反応も無い。  町に下りて買い物をするリーゼリットはまだしも、セラはこの敷地から出ることは 無い。城を出ることは無い。そんな彼女の反応が城から感じ取れないことなど、あり えない。  イリヤは体の痛みも忘れて、壁に手を当てて体を支えながら城の中を歩く。  メイド二人の部屋。  稽古場。  遊技場。  食堂。  台所。  どこにも人の気配を感じ取ることは出来なかった。 「何処? 何処に行ったのよ!」  二人とも、どこに行ったのだ。  あの二人が自分を放っておく筈がない。  ましてやあんな蛆虫を城に入れる筈が無い。  先ほどの慎二の言葉を思うと、最悪のことばかりが思い浮かぶ。  が、まだ自分の目で見たわけではない。  確認したわけではない。  ならば、まだ諦めてはいけない。  その考えが、追い詰められた者にもつものとも気づかずに、必死になってイリヤは 城の中を歩き回った。  玄関。  悪臭がした。  冬の季節にも関わらず、真夏の生ゴミから漂うような腐臭。  広い絨毯の中央のところどころにシミが残っていた。  だが、それだけ。  異変と呼ぶほどのものではない。  ただ、少し汚れているだけだ。 「おやおや、これは失礼。連れが粗相をしたものでね」  その場に立ち尽くして染みを眺めていたイリヤの元に、慎二がやってきていた。 「……」  イリヤは顔を上げない。  ただ、足元の染みを眺めていた。 「大丈夫大丈夫。キチンと躾けておいたから、次はちゃんとしてたから」  慎二は頓着せずに、馴れ馴れしくイリヤの肩を叩く。 「ちゃあんと、キレイに零さず食べたから」 「……っ!」  それでも反応を見せないイリヤの耳元に口を寄せて囁いた慎二の言葉に、初めてイ リヤは表情を変えた。 「…………なに、それ」 「ん――? どうしたのかな、お嬢ちゃん?」  彼女の強く握り締められた小さな拳が小刻みに震える。 「あんたはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!!」  肌の露出した部分は勿論、服の上からも体に刻み込まれた魔術回路が浮き上がる。  同時に風船が破裂するように、一気に膨れ上がった魔力の塊が爆発した。 ―――轟音。  だが、自分の身さえも気遣わずに感情のままに炸裂させた魔力は、派手な音を立て ただけに終わった。  未精製の魔力で編みこんだ魔術でないこともあるが、そもそもその魔力自体が普段 のイリヤのものからすると信じられないぐらいに落ち込んでいた。 「くっ……」  魔力が発した光で瞬間的に目が焼け、イリヤの視界は真っ白になっていた。  足元から漂ってくる焦げた臭いは絨毯が焼けたものだろう。  キリリと音が鳴る。  イリヤは自分が歯噛みをしていることに気づかないでいた。  血と魔力を啜られ、体調が著しく低下していて判断力さえも鈍っていた。  視界が晴れる。  それを待ち構えていたかのように、掌が、彼女の視界に飛び込んできた。 「―――っ!」  右手の小指が右目に刺さっていた。  刺すつもりは無かった。  ただ掴もうと思っただけだ。  その小さい顔なら片手で掴めると思っただけだ。  だから、これは事故だった。 「あ……」  我ながら間抜けな声をあげていると、慎二は思った。 「あ、悪ぃ。わざとじゃ――― 「あ、あ、あ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――っ!」  言い訳の声は、悲鳴にかき消された。 「って、うるさいってんだよっ!」  顔面を鷲掴みにする予定を変更して、横っ腹を蹴り飛ばした。 「あぐぁっ――――!」  くの字に折れ曲がった体を床に転がらせて、イリヤは吹き飛んだ。 「全く躾がなってないな。人の耳元で大声あげやがって! 鼓膜が破れるだろうが!」  鼓膜も何も必要の無い身になっているということは思い出さなかった。  苛立ちながら前髪を手で掻き上げようとして、その小指に血とゼラチン質の潰れた 眼球の欠片が付着しているのに気づく。 「まあ、そういうことだ。わざとじゃない」  蹴り飛ばされたまま動かないイリヤを見ながら、もう一度言い訳をしてから指にこ びり付いたそれを舐め取った。 「あんまり傷つけたら拙いんだっけ? いや、ああ、でもいいのか」  ブツブツ言いながら、蹴り飛ばしたイリヤの元に歩み寄ると、髪の毛を掴んで引き 上げた。 「おいガキ」 「やだ……やだ、やだ、やだやだやだ……」  潰れた右目から血を流しながら、イリヤは呆然とうわ言を繰り返していた。 「……いない……いつの間に……わからない……気づかなかった……何で……どうし て……何故……わからない……どうして……おかしいよ……いない……知らない…… 感じない……何で……いつから……何なのよ……答えてよ……わからないよ」 「はぁ? あのな糞餓鬼」  イリヤは残った左目を目一杯見開きつつも、その目は慎二を捉えていなかった。 「消えちゃった。みんな、消えちゃった。どうして。なんで。答えてよ。そうじゃな くて。飲み込んじゃったの。やだ。そんなのやだ。だって、わたし、まだ――― 「聞けってんだよっ!」  イリヤの呟きは、慎二の平手によって中断された。  右、左と往復でビンタを入れる。ピシンピシンと小気味良い音が頬を鳴らす。 「いた、痛い……」 「叩かないとわからないだなんて、本当にどうしようもないガキだな。動物の方がま だ聞き分けがいいぞ。犬なんか特にいい。昔、犬を飼っていたことがあってね。勿論 親になんか言えないからこっそりね。可愛かったなぁ……無邪気に尻尾なんか振って さあ……ん?」 「シンジ……貴方……」  さっきまで呆けていたのが嘘のように、覚醒したイリヤが一つしかない目で慎二を 睨みつける。 「ようやく、気づいたか。マヌケ」  随分と手間をかけさせてくれると言いながらも、嬉しそうに笑った。 「どうだい、今の気分は?」 「……殺せば」 「はあ?」 「……」 「あはははは、あははははははははははははははははははははははは。面白いよ、面 白いよオマエ。何でそういう笑える台詞をもっと早く言ってくれないんだ!」  イリヤの髪を掴んだまま、ゲラゲラを仰け反るようにして笑い転げる。 「ほら、まだ判らないぞ。あのデカブツが助けに来るかもしれないし、メイドが隙を 窺っているかもしれない。諦めるのはちょっと早くないか?」 「フン。それで嬲っているつもり? マキリの蛆虫さん。バーサーカーは知らないけ ど敗退したし、リーゼリットもセラも貴方のお腹の中でしょう。気づかないと思って いるのなら、随分と魔術師にもこの聖杯戦争にも貴方が無知だということを曝け出す わよ。馬鹿が馬鹿であるのは馬鹿である馬鹿の勝手だけれども、馬鹿の相手をするほ どわたしは馬鹿じゃないから、馬鹿は馬鹿らしく馬鹿なこと考えてないで馬鹿をただ やってればいいんじゃないかしら?」 「ははは、手厳しいなあ。口先ばかり達者なガキだと嫌われるぞ」 「それは結構。貴方のような害虫に好かれるかと思うとゾッとするし。それよりもい い加減離してくれない。穢れた指に触れられるのも嫌だし、全身から漂わせているむ さい気配も嫌いだし、何よりその息が堪らなく臭いの。何をどう醗酵させたらそんな 臭いになるのかしら?」  イリヤの挑発にすぐさま激高するかと思えば、慎二は笑顔を崩さなかった。  作り物の様な張り付いた笑顔のまま、慎二が口を開く。 「なぁに。オマエと、同じものだよ。腐れ人形が……二体ばかしだ!」  その声と共に、  慎二の腹が膨れ上がったかと思うと、服を突き破るようにして人体標本で見るよう な筋肉と血管だけの腕が飛び出してくる。 「くっ……」  髪をつかまれたまま吊り上げられているイリヤは抵抗できない。  慎二の体の血だか体液だかわからない赤黒い粘液を迸らせたその腕は、イリヤのコ ートの襟首を掴んだ。 「痛いっ!」  首の傷口に手が触れたのだろう。  弾けるように、悲鳴をあげる。 「あはは。メイドが呼んでるぞ。一緒に行こうってさ」 「馬鹿……言わないでよ……これもただの蟲じゃない!」 「チェッ。バレたか」  慎二は大して悔しそうも無い顔で、肩を竦めた。  この飛び出している腕はメイドのものではない。  慎二自身の体を作っているのと同じ蟲で、一つ一つ小さなその蟲が互いに繋がりあ うことで、人間の体を模す能力を持っていた。 「な……何よ、これ」  掴んでいた指先が服に癒着する。  それまでは何とか腕らしく見えていたそれは、いつしかただの腐肉の塊になってい た。肉から赤黒い汁が滴り落ちる。 「くっ……」  漂ってくる腐臭に顔を背けようとするが、逆にズルズルと腹から更に這い出るよう にして伸びてきた腕の出来損ないはイリヤのコート一面に張り付いていって腐臭を撒 き散らす。未成熟のまま腐敗していくそれはドロドロに溶けながらイリヤに張り付い ていく。そんな慎二の腹からゆっくりと伸びていく腐肉の腕が、イリヤを取り込むよ うにもう一本、更に一本と増えていく。 「嫌よ、嫌、イヤ、イヤ……嫌ぁぁぁぁぁ!」  じゅうじゅうと音を立てながら腐り、そして悪臭と共に服に染み込んでくるヘドロ のような肉蟲の死骸に思わず悲鳴をあげる。 「それ、臭いっ! 汚いから剥がしてっ! 剥がしてよっ!」 「何を騒いでいるんだ。いい匂いじゃないか」 「離して! 離してよぅっ! 離して!」  騒ぎながら彼女の全身に何度か魔術回路が浮かび上がるが、魔力が尽きていて、何 も起きなかった。 「止めて! 止めてよっ! 頭がおかしくなるっ!」  既にイリヤのコートの胸の部分一帯を覆うぐらいまで、赤黒い腐肉が纏わりついて いた。 「うるさいっ!」 「痛いっ! 痛たい痛い痛い痛い痛いっ 痛いっ! 痛いよぅ!」  髪の毛を掴んでいた手を更に高く上げると、イリヤの部屋でしたように彼女の体を 放り投げた。  ブチン、と筋が切れる音と共に、イリヤと繋がっていた腹からの腕が中ほどで千切 れるが、勢いは左程死なずにイリヤの体は更に遠くへと転げ回った。  途中で破けたのか、上手く袖から抜けたのか腐肉のこびり付いたコートが彼女の上 着と共に遠く転がっていった彼女の体の手前に落ちる。 「喚くしか芸がないのか、オマエ」  上半身だけが裸という格好で倒れているイリヤを見てまた笑う。  笑うか怒るかしていない。  だが、それは慎二にとって日常でもそうなので特に変わったことではない。 「あぐ、ぐ、ぐ、げほっ。げほほっ」  勢いは衰えなかったとはいえ、それでも上着が引っ掛かった分だけ先ほどよりはダ メージは低かったらしい。咳き込んだことと左腕が脱臼でもしたのかだらんと力なく 垂れ下がった程度で済んでいた。 「間抜けな格好だな、おい」  背中を丸めて咳き込んでいるイリヤの頭を軽く蹴ってうつ伏せにさせると、所々赤 く腫れあがったり、切り傷がついていたりする白いその背中を踏みつけた。 「げほっ、げほっ……あ、貴方がしたんじゃない!」 「こういうのを不幸な事故って言うんじゃないかな? 意図してやったわけじゃない しさあ」  踏みつけられた足の下から、非難の声を上げるイリヤに慎二は肩を竦めて見せる。 「何よ変態。そんな触手みたいなので、人を嬲っておいて!」  イリヤからは見えなかったが、コートに纏わりついていた腕は既に原型を止めない ほどにドロドロに溶けてしまっている。作りかけのままということもあってか、母体 である慎二と離れてまで活動は出来ないようだった。  ただ、腹から突き出た肉の腕の先は千切れた先をぐじゅぐじゅと形を崩しつつも、 まだ蠢いていた。  それは浮腫んだ蛸の足のようでもあり、蚯蚓の皮を剥いだ剥き出しの中身のようで もある。 「あはははは、そっかそっか。触手でレイプ! 笑える! 凄ぇ馬鹿っぽくていいな ぁ! それ採用!」  表面に本来の人間からするとありえないような血管を浮き上がらせつつ、赤黒く染 まった顔を歪ませると、 「触手ってこうか? 蚯蚓とは違うんだよな」  まるで自分の体の一部とは別の生き物を眺めるような口調で、腹から突き出させた ままのそれを変質させていく。  太い幹から枝分かれするように、肉の中からまた別のピンク色をした肉が這い出て くる。それらはイソギンチャクのように蠢きながら、何十本もの触手となる。その触 手の表面はピンク色から艶やかな赤みがかった色に変わり、次第に他と変わらないぐ らいの赤黒く、イボイボのような凹凸を浮き上がらせる。  その一本一本は太かったり細かったりと、それぞれ太さを異ならせつつ、獲物を求 めて彷徨うゾンビの手のようにふらふらと動く。 「エロアニメなんかでよくある奴だよな。雑誌の広告の通販ビデオとかで見たことあ るけどって、聴いても無駄か。今度衛宮の奴にでも聞いてみるか。アイツん家、親が くたばってからは一人暮らしだろ。そういうのありそうだし」  ムッツリそうだからなと締めくくる。 「嫌……いや、イヤイヤイヤイヤ! 来ないでよっ」 「んー? ああ、残念残念。何とかしてあげたいけど、どうもお腹が減って堪らない みたいだ。制御できそうに無い」  やれやれ難儀なことだねと、少しもそう思わない顔をして首を振る。 「……嘘吐き! や……止めてっ」  とうとうその中の一本が這うようにして後ずさっていたイリヤの手足に触れ、瞬く 間に巻き付いて彼女を逆に引き寄せた。 「魔力はまだあるんだろう? ご馳走してくれよ」  先ほどの未発動に終わった魔術のことを知ってなお、そんな事を言う。 「まあ、なくても搾り取るまでのことだけど」 「そんなのっ、無―――きゃぁぁっ!」  更に余っていた触手達が、次々と彼女の体に迫り、絡みついてくる。 「やれやれ、またシャツ破いちゃったよ。でも、そこだけだから今度は何とかなるか 」  腹から突き出た有象無象の触手でイリヤの体を吊り上げながら、慎二はボタンが弾 けとんだ服の心配をしていた。 「や、えっ……嬲らないでよっ バカぁっ!」 「はは。嬲れるほど凹凸のある体でもないだろう?」  イリヤの白く細い体のラインがわからなくなるほど幾重にも絡みついた触手立ちは、 その腕や太ももの表面を滑らせるように這い上っていく。  赤黒く脈打つ肉塊の先端は蛇のように体をくねらせつつ、その体を鈍く光らせるよ うに包んだ年英気を蠢きながら、白い肌に塗りつける。 「いやっ! やめてって言ってるでしょう!」 「どうも動きが悪いな。イメージが固定しきっていない弊害か……うーん」  彼女はその粘液の感触の悪さから激しく抵抗するが、その華奢な腕では巻きつく触 手にどうすることもできない。むしろ、その動きで更に体液を体になすりつけるよう に蹂躙され、拘束も強まっていく。脇腹、背中、首筋とイリヤはその体を触手の塊に よってのし掛かられ、覆われていった。 「あ、ぐぁ……っ、あ……」  イリヤの体を埋め尽くし過ぎて、大蛇が獲物を締め上げるようになる。 「ちょっと量が多過ぎたか。なかなか上手くいかないなあ」  太かった一本一本の体を細くして、締め付けを緩める。  そして複数の触手を絡め合って一本の触手に融合させ、覆いを少なくする。 「げほっ、げほげほっ」  自在に好き勝手に生きる生命体でなく、完全に意のままに動けるものでもないせい で、なかなかしっくりと決まらない。  それでも次第にコツがつかめてきたのか、段々動きが滑らかになっていく。  触手に変貌したビクンビクンと脈打つその肉塊群は、元々が変貌する蟲の集合体で あるせいか、まるでそういう生物のような動きをする。 「や、やだ……やだぁぁぁぁっ!!」  肌の上をにゅるにゅると這い回る感触。  改めてイリヤの腕の太さぐらいの長い紐状のものがいっぱい巻きついていく。  それらは彼女の膨らみの無い胸を絞るように体を巻きつけつつ、まるで胸を押し上 げるような刺激を与える。  薄い脂肪を搾られている胸の先端、本当に小さくて目立たない乳首を先で転がすよ うに刺激する触手。撫でるように動いていた先端が薄皮が剥けるように割れ、粘液で 濡れそぼった舌先のような腺毛が乳首に絡みつき、ころころと転がすように動く。 「痛い! 痛いってばぁ! いやぁぁぁっ!」 「ガキがいっぱしに感じてやがるの、あはははは」 「そんなっ、ことっ……嫌ぁぁぁぁっ」  先ほどよりは露出した部分こそ増えたものの、イリヤが幾ら動こうともせいぜい顔 を左右に振ったり、体を捩ろうとしたりする程度でしか抵抗はできない。軟体生物の ように蠢く触手の拘束は緩むことは無かった。 「気持ち悪いから離して! 離してってばっ!!」  まるで爬虫類の舌に執拗に舐められているような、ねっとりとした生暖かい気味の 悪い感触がイリヤを見舞う。それは仲間を集めるように纏わりつく数を増やしつつ、 舐るように僅かに脈動し、一本一本彼女の体のありとあらゆる場所を処狭しと這いず り回る。そしてその矛先は乳首は勿論、抉り取られた目や、喚き続ける口、そして剥 ぎ取られた下腹部にも向けられて、取り付いていた。  それぞれに粘液を撒き散らしつつ、肌に吸い付くような感覚を与えながら触手の先 でそれぞれの箇所を舐めまわす。  乳首を、臍を、肛門を、眼窩を―――大きく開かれた口には埋められるだけの触手 が突っ込まれていた。 「……ん、む、むぐっ、うぐぅぅぅぅっ!」  顎を使えないほどに頬張らされて、声が出せなくなっている。  一つしかない瞳からは、苦しいのか涙が零れていた。  もう一方の眼窩に張り付いた触手はその乾ききった血を舐め取るだけで、浅い穴に 体を擦り合わせるだけだったが、流れ出る涙に反応したのか、鎌首を突っ込んだまま 体を振るわせた。  その振動に呼応するように他の触手もそれぞれ体を震わせていった。 「ごばっ! げほっ! げほほっ、はぁっ……はぁっ……やぁぁっ!?」  口に突っ込まれていた触手群は、力を失くしたように弛緩し、ズルリとイリヤの口 から抜けた。口からは白い液体と唾液が混ざったものが吐き出される。 「げほほっ! げほっ!」  噎せ返る彼女の口から流れ落ちる液体は量が多かったのか、鼻からも流れ出してい た。その異臭を放つ粘つく液体は彼女の口内だけなではなく、所狭しと彼女の体に降 り注いでいた。触手の己の体を濡らすドロリとした粘液とは別に、一つ一つの触手の 先から白い液体が零れ落ちていた。紙パックの牛乳を零したような光景だったが、よ く見るとその白い液体の中には粒々の黄色い球体が混ざっていた。 「げほっ、げほっ……な、何よ……え? ひ、ひぃぃぃぃっ!」  背筋に寒気を覚えるような妖しい感触が彼女の全身を襲う。  触手に嬲られていびつに歪んだままだった乳房が押し上げられるように次第に内側 から張っていく。 「モノはソコか……」 「ぁっ! ぁ、はぁっ……はぁっ……はぁっ……もう、やぁ……」  荒い息を吐くイリヤを観察しながら、顎に手を当てながら何か納得するように一人 頷く慎二。 「だとすると……食うか? いやただそれじゃあ面白くないな」  考える慎二の意識とは別に、触手はそれ自体の別な生き物のように白いイリヤの肌 を、我が物顔に蹂躙していく。 「もう、離して……離してよぅ……やだ、やだぁ」  体を這いずる触手の生暖かな感触をおぞましく思いながらも叫び続けたせいか、イ リヤの声は低く呻き声に変わっていく。  イリヤの下腹部を刺激しつつ、それまで敢えてなのか触手に突っ込まれることの無 かった彼女の秘所を刺激する。 「ひ、ひぃぃぃぃっ」 「ははっ」  その声が面白かったのか、その表情が楽しかったのか、慎二は思考を中断させる。 「児童ポルノってやつだ。もっとよく見せてやれよ」  そう言って、イリヤの小さな足を大きく開かせる。 「や、やぁぁぁぁぁ!」  金切り声があがる。 「ははっ。ガキがそう恥ずかしがるなよ」  慎二には幼児に欲情する趣味はない。  けれども生意気な相手を屈服させ、とことん虐げるという加虐趣味は持ち合わせて いた。  わざわざ、近寄ってしげしげと眺める素振りを見せる。  その全身の白い肌からは考えにくいぐらいに鮮やかな桃色をしたその秘所は、まさ しく未成熟の果実を連想させる。 「み、見ないで……見ないでってば……」 「作り物の癖に、あるものはあるんだな」 「変態! スケベ! あっち行ってよ!」 「ふん」  自分の腹から伸びている触手の一本を掴むと、彼女の秘所に這わせる。 「やあ! やあぁぁぁぁぁっ」 「汚いところには直接触りたくなし、お前にはこれで十分だろ?」  握った触手を使って縦の筋に合わせてなぞるように、その秘所を刺激する。上下に 動く度に、イリヤの口からは涙混じりの悲鳴が漏れる。  触れられたことのない箇所を触れられるという恐怖と、触手に弄られているという 嫌悪感に加え、触手の舌先から分泌されたヌルヌルの粘液を擦り付けられるという不 快感が彼女を襲う。  他の箇所を這っていた触手の一本の先端が、脇から伸びて殆ど目立たない彼女の肉 芽に頭を擦りつけるように触れる。 「やぁぁぁぁぁぁっ!」  堪らずに、声を高く上げてしまうイリヤ。 「うるせいよっ!」 「んがほっ!」  触手によって吊り上げられていたイリヤの腹を蹴り上げる。  吊っていた触手が振動で撓るが、戒めは揺るがなかった。  間近で悲鳴を聞いたことで顔を顰めていた慎二は、 「もっと悲鳴にバリエーションとかつけろよ。飽きたぞ」  そう文句を言って握っていた触手を手放し、再び距離をとる。  そして後ろ手を付きながら、その場に座り込んだ。 「………っ! ………っ!」  呼吸困難に陥ったのか、苦しげな声を漏らすだけになるイリヤ。  そんなイリヤの様子を詰まらなさ気に見てから、 「続けろよ」  触手達に命令を下す。  慎二の行動で動きが止まっていた触手達が再び活動を再開する。  それまで体を這いずり回っていた触手と、体の下に溜まっていた様々な液体から生 まれ出たばかりのか細い体躯をした蟲がイリヤの小さな体に集る。  卵から孵ったばかりの幼虫だった。  それらは親である触手に付着し、その肉片へと変質していく。 「げほっ……いた、痛い……え……なっ? や、やぁぁぁぁぁぁっ」  仮借ない責めに変わる。  ありとあらゆる場所に這い、嬲られ、粘液を擦り付けられていく。  銀色の髪もベトベトに汚され、涙を流し続けた瞳も真っ赤に腫れ上がっていた。 「うあぁぁ、うぁぁぁっ」  触手が彼女の秘所を捏ね回す度、触手の体から大量の粘液が撒き散らされる。  イリヤ自身が全身を汚す液体が触手から溢れ出た分泌液なのか、自分が出した体液 なのかわからなくなるほどに塗らされていった。 「ションベンは漏らすなよ。一際臭くなるからな」 「……。うぁ、うぁぁぁ……」  感情や意思とは別にイリヤはこの状況下に沈んでいこうとしていた。  自我を崩すことで、何かを守ろうとしているかのようでもあった。  無論、慎二はそんなイリヤの立場などは、頓着しない。 「そろそろお終いか? まあいい加減飽きてきたしね」  秘所が擦り付けられた粘液に塗れて濡れているのを確認しつつ彼女の秘所を複数の 触手に左右に広げさせて、準備を整える。  ぱっくりと口を開ける秘所が晒される。  だが、それを見ても慎二は鼻を鳴らすだけだった。 「や……嫌ぁ……広げないで……ダメだってば……」 「色気づくなよ、糞餓鬼」  冷たい一言。  その一言を合図に、一際太いまま触手が二本、彼女の膣と肛門に勢い良くほぼ同時 に差し込まれた。  ぶちゅ、ぶちゅり、べちゃりっ、と裂けるような破けるような音がした。 「あ、あ、あああ、あああああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」  絶叫。  喉が破けるぐらいの大声で叫ぶ。  残った触手も動きを休めない。  絞り上げた乳房に吸いつきつつ粘液で濡れそぼった腺毛で乳首を転がしたり、絡み ついたりと弄るのに余念がない。  それまで彼女に仮借ない責めを続けていた触手達も勢いづいて無理矢理イリヤの穴 を塞ぎにかかる。二本三本と詰め込まれ、血を流し裂け続ける穴を更に引き裂いてい く。  突き破っていった触手達は幼い膣を激しく蹂躙し、子宮の入り口までも思うが侭に 乱暴に責め続ける。入りきれなかった触手は尿道を責めて膀胱の内壁へと潜り込んだ り、肛門から侵入した触手は、膣に詰め込まれた触手と呼応するように互いに内壁を 抉った。他にも突起のような肉芽に絡み、弄繰り回す。  悲鳴さえも、殺された。  顎が外れたのか、一度押し込まれた以上の数の触手がイリヤの喉を埋め尽くしてい た。  呼吸ができないのか、苦しげな唸り声だけが僅かに漏れるだけだった。 「ふん……」  いかにも詰らないという顔をして、慎二はその光景を見つめていた。 「思ったより興奮しなかったな。もういいや」  気づく。  これはただの食事だ。  ただ、腹が減ったから貪っているだけに過ぎない。  快楽とも悦楽とも違う、ただの行為だ。  目の前に餌がいるから食べているだけ。  その食べ方が、こんなだからこうしているだけだ。  しかもその餌は彼の望むものではない。  彼女の体にある膨大な魔力が必要だからそうしているに過ぎない。  栄養補助食品 ( サプリメント ) を採っているだけで、特に目の前の幼女に惹かれているわけではない。  彼の興味は、彼の好みは、彼の好物は別に、ある。 「ああ、そうだ」  思い出す。  こんなものとは違う、彼の好物を。  這いずり回る蟲達と共有した感覚で味わう獲物。  人を見下した目。  度重なる侮蔑の言葉。  そして無視。  完全無視。  こちらのことなど眼中にないという態度。  近寄れば大仰に溜息をついて追い払ってきたあの態度。  あの女。  あれは何と言う名前だったか。  あの女。  新鮮な魔力と芳醇な香りを漂わせていたあの女。  あれは、きっと美味いに違いない。  心も体を満たされる。  満足できる。  きっと。  きっと間違いない。  きっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっとき っときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっと きっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっ ときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっとき っときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっときっと きっときっときっときっときっときっときっときっときっと―――――― 「きっと美味いに違いない。きっと素晴らしいに違いない。きっと最高に違いない。 きっと違いない。きっと違いない。きっと違いない――――きっときっときっと」  体中が熱くなる。  火照っていた。  発汗していた。  自分の体が、自分の臓器が、自分の心が、ありとあらゆるジブンが肯定する。  一体となって欲している。  早く、早く食べたい。  欲求。  その一つが全てを急かす。  今すぐにでも、向かいたい。  狩場へ。  あの熱いものをしゃぶる、啜り尽くしたい。  ジブンが、そうしたい。  そうすることが、ジブン故に。 「ないないないないないないないないないないないないないないないないないない」  繰り返す。  違いない。  ジブンに、違いない。  ただその為には栄養を蓄えねばならない。  早く、食べ終わらなくてはいけない。  直に、動けるようにならなくてはならない。 「フィ……フィニッシュだ」  指をパチンと鳴らす。  人差し指が根本から千切れかかった。  焦るな。  そう念じて千切れた指を修復する。  ほぼ同時に、それまで好き勝手に蹂躙していた触手達は、一斉に体を震わせた。  ゴブ…ッ、そんな音と共に、一斉に弾ける。  噴出したのは、白い液体。  そして、  続けて起きたバチチチチンッという大きな破裂音と共に、赤い飛沫が降り注いだ。 「ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"ん"っっっっ!!」  それまでとは違う悲鳴。  顎を外され、口いっぱいに触手を頬張っていたイリヤから漏れたくぐもった絶叫だ った。 「はやくはやくはやく……」  その光景を慎二は見ていない。  その恍惚とした表情は目の前の血飛沫でも、射精もなく、そこにはない何かを見て こそ浮かんでいる。 「……さか……う……さか……」  うわ言のように、繰り返す。  その彼の意識とは別に、秘部に差し込まれた触手がうねうねと蠢く。  破瓜どころか、脾臓すら突き破ったその触手は更に奥へ奥へと体を、潜り込ませて いく。  抉られた穴からはぶちゅるぶちゅると触手が蠢く度に、血が吹き出ている。  それは他の箇所も同様で、顎を外して喉に滑り込んだ触手に、肛門を皺一つ残さず 引き裂いた触手も同様に、己が身をその小さな体の中へと侵食していく。  既にイリヤは糸が切れた人形のように脱力していた。  意識があるのかどうか、生きているのかどうかもわからない。  ただ、漁られるがままに体を犯されていた。  嬲る動きもなく、全ての触手が目標へと向かっていった。 「―――イコウ、ソコヘ」  慎二の声。  赤い目を縦に見開いた彼の声だけが、この場所で聞こえる擬音以外の音だった。  探るように、探すように触手がある場所で止まる。  肉も、臓器も、骨も、何もかも無視して突き進んだ触手の先。  小さな胸の膨らみの下。  その心臓へと到達する。 「遠坂―――凛」  その異形の化物と化した彼は、人の名前を呟く。  目の前のものを通して、何かを見ていた。  彼が、間桐慎二であった唯一の部分が、その名前を呟かせていた。  今、彼が残っているのはその執着のみ。  それだけが、肉片すら失われ魂さえもが蟲に穢された彼の唯一の拠りどころだった。  幾度と無く意識を根こそぎ奪われそうになりながらも、危うく取り戻しているのは その想いだけだ。  だからこそ、もう一度呟く。 「遠坂、凛」  忘れない。  もう二度と忘れない。  この名前が、自分を保つ。  さあ、早く喰らおう。  貪ろう。  そうすることで、自分は存在できる。  自分の感情なのか、蟲の食欲なのかわからない。  ただ内なる衝動が、己が身を揺り動かす。 「だから―――」  これは予行演習だ。  そう言い聞かせて、食事を全うさせた。  逸る気持ちそのままに、獲物の心臓にむしゃぶりついた。 「―――――うむ。それは実に虫けららしい」  それまで、誰もいなかった筈のこの場所で、初めて彼以外の声がした。  だが、その声が彼に届いたのかどうかはわからない。  既に、始まり。  既に、終わっていたから。 「キキキキキ―――キ、キ?」  ごぼごぼと泡立った粘液。  血管が、破裂する勢いで膨れあがる。  ズブブブブブブ、と体の中に何かが突き刺さり、溶け込み、混じり合う。 「ギ――――ギギ、ベ?」  体が焼けるような感覚と、体の全てを吐き出したくなるような不快感。  ボムッ。  ガスが溜まって、破裂する。  一つではなく、あちらこちらでそれは始まっていた。  腐る。  腐る。  腐っていく。  体中が少しずつ徐々に、しかし確実に腐っていく。  肌は土気色に変わり、表面がぐじゃぐじゃに崩れていく。  体の中から零れ落ちるようなドブ色のものが絶え間なく零れ落ちていく。  白い膿のような生き物が体中を這い回り、蝿と言う蝿がびっしりと身体を覆わんば かりに群がっていく。必死に肉に喰らいつくそれらが自分の分身であるとはとても思 えない。  ただ腐敗するものに集るものでしかない。  そして体中が蝕まれ、意識が朽ちていく。  ああ―――。  混濁する意識の中、虫は集るものだと思い出した。  朦朧とした頭は、最後に理性というものを与えてくれた。  自分は、集られていただけなのだと。 「ひゃ――――ひゃははははっ! ははははははははは、は、は、はははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははは…………………!!!!」  急激に腐り落ちながら、膨れ上がっていく。  命と死が鬩ぎあう様に、絡み合うように繰り返されていく。  この時点で間桐慎二という意識が残っていたとするならば、これは二度目の侵食。  彼と融合せんと寄生した蟲とは違い、ソレは排他だった。  彼の中に入り込みながら、彼の排斥を図っていた。  体がビクビクと痙攣する。  カタチなどない。  見る見るうちに肉が、創り出されていった。  ソレは際限のない増殖と死滅を繰り返し、彼の体を腐らせ、蟲を剥がしにかかる。  集合体であった体は既に腐臭だけを残して消滅していた。  今あるのは、新たに紡ぎだされていく肉塊だけだった。  それは膨張と腐敗を繰り返し、彼の痕跡を一つ残らず駆逐していく。 「―――予想以上だな。まあ、これはこれで問題は無い。後は……」  そう言いながら、片腕を空に掲げると、何処からか鎖が伸びてくる。  中空より現れたその鎖は、蠢くソレを易々と拘束した。  あとは待てばいい。  残りのサーヴァントを飲み込んでいけば、いずれ彼の望む聖杯は完成する。 「虫けらにしては上出来だ。褒めてやろう」  彼がそう声をかけた肉塊は、彼を依り代にした聖杯としてその器の役目を果たすべ く、排斥と膨張、増幅と腐敗を繰り返していた。  それは結果として蟲に食われ、蟲に憑かれた間桐慎二の魂の解放に繋がっている。  貪り尽くした寄生虫を剥がされた彼は、聖杯によって癒され、そして今は更に昇華 しようとしていた。だが、壊死した魂はその僥倖を知るよしも無い。  ただ、彼の心の残滓が、 ―――トオサカ  と、唯一自分に残ったものを愛しむように、そう呟くことだけを繰り返していた。  増殖されていく聖杯の奇跡の中、  終わることもなく、  尽きることもなく、  果てることすらないその想いは、  彼に叶えられたたった一つのものであった。                  He had a longing to her.                  She had the thing which he does not have.                  It is only it.                  He had a longing very much to her.                  Even if it falls into ruin.                  Nothing completely changes.                            <完>

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