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『同じ道を歩きたい 〜Forget me not.〜』
 絵を描くことを止めてからの毎日は、オレの思っていた以上に退屈な日々だった。  朝は幼なじみという以上に腐れ縁の天音を起こして共に登校し、10年ぶりにこの 街に帰ってきた悠姉さんの授業を聞き、廊下ではギャアギャア騒ぐ義理の妹になるこ とになった恋とその隣でいつも楽しそうに微笑んでいる藍ちゃんと話し、時たま柚子 と教科書の貸し借りをしたりしつつ、学園での一日を過ごす。  その日常が楽しくないわけではなかったけれども、どこか満ち足りないで身体の奥 にポッカリと大きな穴が開いたような気持ちになっている。  あれだけ絵を描くのが嫌で止めたはずなのに、自分を見失うようで捨てた筈なのに ‥‥まだ、自分の中の何処かで絵を描いていた自分を懐かしみ、求めているような気 がする。  今まで他に取り組むものもなく、そのようなものが急に見つかるものでもなかった のだから仕方が無いのかもしれない。  オレが絵を描くことは、趣味や義務よりも生活の一部になっていたのだから。  それでも絵筆を握らないでいたのは、賞を取るための絵を描くことを強要する学園 長の顔が浮かんでしまうことと、絵を描く行為自体に自分の目指すものを見失ってし まっていたからだった。  絵を描く自分を拒絶してしまったせいで、今では描こうと思っても描くことができ ないでいた。  そんなオレが僅か一度とはいえ再び絵筆を取るようになったのは、君影百合奈先輩 がオレを訪ねてきたのがきっかけだった。  初めは全く取り合わないでいたのだけれども、彼女の思わせぶりな言動と、その形 の見えない何かを裏付けるように彼女を取り巻いている謎めいた空気が、彼女に対す るオレの関心をひいた。  その時はただ退屈になりつつある日常から変わるきっかけを、何でもいいから求め ていただけだったのかも知れない。  実際、何度かこちらから会いに行ったり、話を交わしたけれども彼女の絵を描こう とは思わなかったのだから。 「あ、そうそう‥‥キミ、彼女の絵を描いているんですって?」  ある時の放課後、屋上で百合奈先輩を待っていると、御薗瑠璃子先輩にいきなりそ う言われた。  彼女は百合奈先輩の従姉妹で、何故か百合奈先輩にキツイ口調で接していた人だっ た。元々物事をハッキリ言う感じに思えたが、それでも百合奈先輩に対しては特異の ように思えた。  元々、オレと関わることがなかった筈の彼女が時たま話し掛け、ちょっかいを出す ような言動を向けてくるのには戸惑いを感じた程であった。  その日もまた、そうだった。 「いや描いてはいないけど‥‥」  まだ絵に対する燻った気持ちがあり、百合奈先輩とはたびたびこうして会ってはい たものの、その気持ちには応えられていなかった。 「そうなの?」  意外そうな顔をして、そして何かを言いたそうな顔をする。  その表情が気になったので、一度だけ彼女を描いたことは伏せておいた。 「ああ。それはどこで聞いたんだ?」 「ちょっと小耳に挟んだんだけど。それで、私も描いてほしい‥‥って言ったら、ど うする?」  逆にこちらから聞くと、彼女はサラリと交わして違うことを言ってきた。  その態度はまるで彼女と張り合っているように見えた。 「どこまで本気で言っているんだ?」  当然、オレは困惑する。  彼女の言葉が、百合奈先輩のようなものとはハッキリと違うと感じたからだった。 「そんな困った顔しなくても‥‥全部冗談よ。描いてほしいのはやまやまだけど、頼 んでも無駄でしょう?」 「‥‥やまやまなのか?」  敢えて聞く。 「ええ。私だけじゃなくて、キミのモデルにならなりたいって人、学園に結構いると 思うけど」 「まさか」  今まで二年間、この学園にはお世話になったが男女を問わず、モデルを希望してき た生徒は百合奈先輩が初めてだったし、普通はそうだろうと思う。 「前も言ったけど、キミは自分の知名度を自覚した方がいいと思うわ」 「それほど人物画は描いた記憶無いけどな」 「飾ってあるのは風景画の方が多かったわよね」 「知ってるんだ?」 「だから言ったでしょう。キミの絵は展示してあったものは全部見てるって」  ちょっとその言葉は意外だった。 「‥‥」 「もう、そんな顔で見ないでよ」 「いや、別に‥‥」  こっちがちょっと表情を変えると、過敏に反応する。  彼女はどうやらオレと君影さんの仲を疑っているらしく、更に自分がオレに煙たが れていると信じているようだった。  オレは彼女が思うほど、彼女のことを嫌がってはいないつもりだ。  だけれども、彼女がそう感じるのは何故だろうか。 「‥‥」  彼女自身が、自分の言動に何か引け目のものを持っているのではないかと考えてし まう。  その仮説に自信は持てなかったし普段の御薗先輩を知るわけではなけれども、いつ もはもっと堂々と自分に自信を持っている人のように感じるのに、オレと百合奈先輩 の話題をするときは何か刺々しくて、そして臆病だ。  彼女の過敏な反応を臆病からと見るのであれば。  その辺に、彼女と百合奈先輩の溝が隠されているのかもしれない。  そうまで考えていた。 「でも、そうなんだ。君影さんの絵は描いていないんだ」 「‥‥一度だけ、彼女を前にちょっと絵筆を握ってみたことはある」  今度は正直に答えることにした。  学園祭の日に倒れた彼女を保健室で発見し、その時に約束して翌日一度だけ家に呼 んで描いた。いや、描こうとした。 「へえ‥‥それで?」  やはり気になるらしく、表情では隠していたけれど声色までは惚けきれなかった。 「それだけさ。結局、何にも描けなかった。先輩には予め描けないかもと断っていた から一応はそれきり」  情けない話だが、オレにとって絵と呼べるようなものは描けなかった。  彼女は再び描けるようになるだろうと言ってくれてはいたけれども、オレはその日 以来絵を描こうとは思っていない。やはり拒絶感の方が強かった。 「本当に?」 「ああ。だから噂の主が何を見たのかは知らないけど、それはデマだよ」 「そうなんだ」 「そ」  オレが落ちつきすましてそう応えると、瑠璃子先輩は困ったような表情を一瞬だけ 見せた。その心中は全くわからない。 「私はそれほど絵には詳しくないけど、キミの‥‥‥‥あ、私、そろそろ時間だから いかないといけないみたい。御免なさいね、付き合ってもらっちゃって」  何か言いかけてから、急に時間に気がついたらしい。  そんな仕草がどことなく彼女らしくないように思えた。 「いや、オレは別に構わないよ」  今日は君影さんは来なかったみたいだ。  オレもそろそろ冷えが強くなるこの屋上から降りた方がいいようだ。 「もし良かったらまたこの続きの話、してもいいかしら?」 「ああ。オレも先輩とはもう少し話してみたいし」  正直に言ってみる。  その言葉が意外だったらしい、皮肉とでも思ったのだろうか眉を顰める。 「あら? 私のこと嫌ってるんじゃないの」 「それだったら最初から話に付き合ったりはしないさ」 「‥‥そ、そう?」  驚いたような、憑物が落ちたような納得顔。  その表情が可愛かったので、ちょっと意地悪を言う。 「突っかかった方が良かったか?」 「‥‥キミ、ちょっと意地悪いわね」 「意地悪いことばかり言われてるからな。つられたのさ」 「‥‥でもね、キミに描いて欲しいっていうのは冗談じゃないのよ」  そう言って、微笑む。  信じて貰えないかも知れないけどね、と付け加えながら。 「私もキミの絵、好きだから。初めて飾られた絵を見た時にね、この絵を描いた人と ちょっと話してみたいなって思ってたのよ」  実現するのは一年以上かかったけどねと笑う。  今までよりも随分と砕けた微笑みだった。  思わず、ドキリとする。 「それじゃあ、私は行くわね。一緒に降りる?」 「いや、オレはもう少しここにいるよ」  やや俯き加減にして、努めてすました顔をする。  意味もなく足元を見つめる。 「そう? ‥‥あ、君影さんね、一度こっちのこと覗いていたから私と入れ替わりに やってくると思うわよ」 「なっ」 「ごめんなさいね」 「‥‥」  最後の言葉は、口調こそ悪戯っぽい感じだったが今までと違って素直に聞こえた。  そして彼女の言葉を裏付けるように、彼女が降りていってから少しして百合奈先輩 がやってきた。  その時、何を話したのかあまり憶えていない。  百合奈先輩は御薗先輩とオレが話していたことを気にかけていたようだったし、オ レも御薗先輩の最後の言葉が心に引っかかってしまっていた。  その日は結局、百合奈先輩とはあまり話さずそのまますぐに別れる事にした。  御薗先輩と話したのを目撃したせいか、百合奈先輩の方がオレを気にし過ぎている のも気になったのだが。  その日から、御薗先輩と話す機会が増えた。  と言っても特に機会を設けているわけではなく、たまに廊下で会って会話を交わす ぐらいのものだったのだが。  今日は百合奈先輩が保健室で休んでいると聞き、彼女から誘われたこともあって中 庭で一緒に昼食をとっていた。  誰かと予定はないのかと聞いたが、「私の方から誘っているのにそんなことを気に するの?」と笑われてしまった。  そして「それとも、私と一緒だと嫌?」とまで言われては、断る理由など元々なか ったオレは承諾した。 「君影さんともこうしてお昼してるの?」 「ああ。たまにだけどな」  昼は男友達とだったり、天音とだったり、悠姉さんとだったり、一人きりだったり と特に特定の誰かと一緒にしているわけではない。  そう言いながら、学食で買ってきたパンの袋を開けると、御薗先輩は含んだような 笑みを浮かべる。 「それにしても、ちょっと意外だったわ」 「何が?」 「私、少し前までキミのこと、人づき合いの悪い堅物だと思ってたんだけど‥‥」 「今は違うのか」 「だって今、私と一緒にいるじゃない」  その言い方が、ちょっと可愛い。  初めは落ち着き払った人特有の冷たさを感じた彼女だったけれども、間近で接して みるとその印象が崩れていくのを感じる。 「‥‥」 「何よ?」 「いや、別に‥‥今日は先輩のほうから誘ってくれたからさ」  オレが笑いかけていたのを察したのだろう、ちょっとムッとしたような顔になる。  その顔がまた可愛くて、楽しい。 「ふ〜ん‥‥じゃあ君影さんは? キミのほうから熱心に誘ってるみたいだけど?」 「熱心にっていうことはないと思うんだが」  毎日ではなく、気が向いた時だけだからそんな程度だと思うのだが、御薗先輩は納 得していないようだ。 「じゃあ、綺麗な子に弱い?」  確かに百合奈先輩は綺麗だが、その言葉はこうしてオレを誘ってきた彼女自身にも 当て嵌まるような気がした。 「それだと、自分が綺麗だって言ってるようにも聞こえるぜ?」 「自信がないわけじゃないけど、私みたいにキツイのは、キミの好みじゃないのよね、 きっと」  そう断言するように言ってきた。  やはりオレが百合奈先輩のことを好きだと思っているようだ。  嫌いではないが、特に好きというほどでもない。彼女があまりにも謎めいていたか ら気になっていたわけだし、彼女のことを知るにつれ何とかしてあげたいとも思って いる。だけれども、そこまでだ。自分でもお節介だとは思うが、天音との付き合い一 つとってもオレはそういう性分らしい。その辺は自分で納得していた。  だが、周りからはそうは見られなかったらしい。誰もが避ける存在の百合奈先輩に 構わず話しかけ、昼食に誘うのはやはり奇異に見られるだけじゃ済まずそういう憶測 を呼ぶことになる。毎日ではなくしたのも、そういう気を使ったからなのだが、通じ ていないらしい。もしかしたらここまで思っているのは御薗先輩だけかも知れないの だが、今度からは少し控えた方が賢明だろうか。  思わず「やれやれ」と苦笑したくなるが、フト悪戯を思いついて、 「いや、オレは結構物事をハッキリ言う先輩みたいな人、好きだぜ」  そう答えてみる。 「ふぅん」  信じていないという顔をする。  流石に唐突過ぎたか。 「過剰の謙遜は嫌味になるって自分で気付いているだけでも、先輩は凄いと思うし素 直に憧れるしな。それに今までオレの知り合いにいないタイプだから新鮮な感じもす る」 「それ、誉められてるのかしら?」 「そのつもりだ。大いに誇ってくれ」 「‥‥なによ、それ」  わざとらしく胸を張って見せると、御薗先輩は箸を持った手で口元を抑えて笑う。  かなりウケてくれたらしい。  目つきは厳しいし、それに似合った雰囲気を持ち合わせている先輩だからこそ、こ こまで柔らかい姿を見ているとオレも嬉しくなってくる。  もっとこんな先輩の顔を見たい、百合奈先輩の時も思ったような気分がオレの中で 沸いてくる。  いや、その気持ちは何故か御薗先輩への方が強かった。  どこか全て諦めきっていて厭世的な百合奈先輩よりも、表面は張り詰めていても常 にもどかしげでいる御薗先輩の方が、より誰かに救いを求めている雰囲気がする。  オレの身勝手な解釈かもしれないし、百合奈先輩の方が辛い業を背負っている気は するのだけれどもこういう気持ちは理屈じゃない。  だからこそこうして二人で昼食をとれていることは楽しかった。 「こうしていると、私たちカップルに見られたりするかしら?」  パンとお弁当という差もあってか、先に食べ終えたオレに水筒からお茶を煎れて渡 してくれた先輩がそう聞いてくる。 「だとしたらオレはとっかえひっかえのだらしのない野郎になるな」 「あら、違うの?」 「別にこうして一緒にお昼食べるだけでそれはあんまりだろ?」 「‥‥それもそうね」  意外にもあっさりと引いて、ご飯を口に運ぶ。 「でも少しは態度にも気を使った方が良いわよ」 「そうかな?」 「以前のキミが言ってた話だけど、君影さんを家まで連れ込んだ、って、結構な噂に なってるみたいだし」 「一度きりなのにか」 「その一度を見られたらそれで十分よ」  そんなに目立つ行動だったとも思えないのだが。 「まあ、確かにな。でもそんなことで騒がれるほどか?」  それだったらオレの家の隣が悠姉さんで、たまに夕飯を一緒に食べたりする方は見 られたりしていないのだろうか。  いや、それよりも毎朝天音の家に寄っていることの方がどうかと思う。  全て見られて、全て噂になるようだとそれはそれで大変だが。  あと恋と義理の兄妹になるというニュースも、オレは兎も角恋の人気を考えれば、 ただ事では終わらない気がする。  そう考えると、よくオレはここまで無事に過ごせていたなと思わなくもない。 「キミはともかくとしても、彼女の場合、普段の態度が態度だから」 「‥‥」  そのまま百合奈先輩の素行を勝手に設えての悪い噂を二、三聞かされると、気分が 重くなる。  百合奈先輩だけがどうしてそこまで悪く言われなければならないのだろう。  人付き合いの悪さがきっかけだとしても、そこまで排他されることはないと思うの だけれども。 「‥‥」  オレはあまりに無言でいたせいだろうか、取り繕うように話題を変えてきた。 「ところでキミっているもパンなの?」 「え? ああ。学食のメニューはほとんど食べ尽くして飽きてるから、まだパンの方 がマシなんだ」 「キミの側によくいる娘とか、お弁当作ってくれないの?」 「側って天音のことか? あいつはただの幼なじみだって」 「幼なじみ‥‥」  反芻する御薗先輩の表情はちょっと苦しげだった。 「?」 「‥‥別に、幼なじみだから作っちゃいけないってことはないと思うけど。キミが頼 んだら作ってくれると思うけど」 「それはないな」  即座に言いきる。 「そうかしら? 可愛らしくて甲斐甲斐しそうな子に見えたけど」 「どういう基準で言っているのかは判らないけど物理的に無理だ」 「物理的?」  食べ終わったお弁当をしまう手を止めて、眉を顰めてこちらを見る。 「アイツ、無茶苦茶寝起きが悪いんだ。毎朝オレが起こしに行くまで起きない。そん な奴が朝早く起きて弁当なんて作れるわけがない」 「ふーん‥‥彼女、低血圧なの?」 「いや、そんなんじゃない」 「でも」  そう言いながら愉快そうに微笑む。 「な、なんだよ」  思わずたじろいでしまう。 「やっぱり仲良いんじゃない。毎朝起こしにいくぐらいなら」 「もう生活の一部みたいなもんだ。特に意識はしてない」 「まあ、そういうことにしておくわ」  お弁当を再びチーフで綺麗に包み直すと、立ちあがってこっちを見下ろした姿勢で そう話を締めくくった。 「あんまりからかわないでくれ‥‥」 「少なくても好きでもない相手に自分の寝顔なんか見せたくないと私は思うけどね」  オレの弱々しい抗議にそう言うと、「それじゃあ」と優雅に立ち去っていった。  中庭にいた他の生徒が彼女を目で追いかけるように、オレも彼女の姿を目で追いか けていた。  そして御薗先輩の背中を見ながら、天音のことを考えていた。 「‥‥」  オレと天音の関係は他人から見たら幼馴染という言葉だけでは済まない程なのかも 知れない。  天音はいつもオレに「大好き」という言葉を使う。  オレを信じきった無邪気な笑顔と共に。  けれど、天音にとってオレへの好きという気持ちは、親兄弟など身近な存在に対し て使う言葉とそれほど大差はない。そしてそのことにきっと天音自身は気がついてい ない。いつも側にいたオレという存在に対する情が好意へと発展しただけで、実体は オレに対する憧れの感情を恋と思っているだけに過ぎない。  今はまでそれでもいい。  けれども、オレや天音が大人になっていくにつれて、そんな曖昧なままでは済まさ れない時がいつか必ずやってくる。  きっと物心付いた時から側にオレがいるこの状態に慣れきっている天音には考えも しないだろうオレとの別れ、オレからの卒業を果さないといけない日がいつか来る。  その時に天音は自分の抱いている感情の正体に気づくだろうか。  そしてオレはそんな天音に対して、毅然とした態度を貫けるだろうか。 「‥‥」  これ以上考えても仕方がない。  今すぐ結論を出す気もなければ、出せるような状態でもない。  今のオレは将来の天音の心配をするほど、余裕があるわけじゃない。  胃の辺りを軽く拳で叩くようにして立ちあがると、オレも中庭を後にした。

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