Nothing Epilogue



 新しい朝が来た。
 希望の朝だ。
 個人的にはりぴーとあげいんが出て何もかにもがレンが見せた夢だったよちゃん♪ちゃ
ん♪と言いたいぐらいに見事に朝を迎えていた。
 そんなわけで、喧騒の日々を忘れたかのように三咲町に清々しい朝日がのぼっていた。
 そこいらの吸血鬼なら、その眩い光の前にソーラ・レイによるレビル将軍のように焼か
れ死ぬこと確実な晴天だった。


『―――志貴さま』
 ……そんな朝の光に交じって、翡翠の呼び声が聞こえてくる。

『―――志貴さま、お時間です。お目覚めください』
 抑揚のない翡翠の声に、意識がはっきりと覚めていく。


「―――ん、あ」
 目蓋を開くとそこは見慣れない天井だった。
「ひ、すい?」
 まだはっきりしない頭で周囲を見回す。
 翡翠はいない。
 その代わりに、片腕に素肌同士が触れ合っている温かみが伝わってくる。
 見ると、見慣れた金髪が毛布の先から覗いている。
「ああ」
 思い出した。
 昨日は結局、そのままアルクェイドの部屋に泊まってしまったんだった。
 幾ら土日休みとは言え、無断外泊とは流石だな兄者。
 誰だよ、兄者って。
「やれやれ、参ったな……」
 屋敷に戻った時、秋葉にどれだけ怒られるかと思うと気が滅入る。
 このまま帰るの止めようかな。
 でもそうすると翡翠が悲しむ。
 翡翠の顔を思い出すと帰らないわけには行かない。
 しかし、なんだか不倫でもしているみたいだな、俺。
 いざとなったら琥珀さんを蜘蛛扱いして解決することにしよう。


 腕にしがみついて寝ていたアルクェイドも、俺がシャワーを浴びて冷蔵庫から紙パック
の牛乳を飲んでいた頃に起き出した。本来生活習慣が逆のコイツにとっては俺に合わせる
のは辛いだろうに、そういうことで文句を言ったことはない。まあ単に平気なだけなんだ
ろうが。
 昨日せがまれるがままに俺が泊まったからなのだろう、カーテンの隙間から漏れる朝日
も気にせずアルクェイドは大層ご機嫌で、着替えもせずにベタベタと俺にまとわりついて
きた。俺も腰が少し痛いことと、秋葉の存在を意識的に忘れれば概ね問題ないので、姫様
のご機嫌宜しく俺も気だるい午前中を過ごすことにした。
 結局、シオンから頼まれたことはできなかったが――というか興奮しててすっかり忘れ
ていた――この笑顔さえ見られたら俺はもう何かいいやって気分になってしまった。

 学校に行くぐらいの時間に起きたから、暫くゴロゴロしていても時間はまだまだ午前中
だった。
 腹が減ったので何か作ろうかと冷蔵庫を開けると、見事に何もなかったので外に食べに
行くことになった。
 アルクェイドの提案で、何故か焼肉になった。
 朝から焼肉とは随分と無茶苦茶な。
 だが、コイツの搾り取った精を手っ取り早く補給するには精のつく食べ物がいいんじゃ
ないかという好意(だと信じる)を無にするわけにもいかず、俺の知っている焼肉店に連れ
て行くことにした。
 奢ってくれるという流れになって、折角だからと隣町まで足を伸ばすことにする。
 朝から開店している店はそうそうないし、電車で一駅程度移動した頃なら開業時間に丁
度いいだろうという考えだった。


 燦々と照らされる朝日をものともせず、白い吸血鬼は笑顔で俺の横を歩く。
 話すことなんか大して面白いことでもないのに、コイツは本当に楽しそうに笑ったりは
しゃいだりと忙しい。
 公園を横切ると、まだ活動時間ではないらしく浮浪者と見られる人影が木陰に見えた。
 失礼にならないように……というよりもアルクェイドに気づかれて指差して質問されな
いように、視線をすぐにそらした。
 殺人鬼騒ぎの頃は何処に姿を潜めていたのか知らないが、たまに見かける。
 ただ最近の浮浪者は洒落っ気があるらしい。
 そんな『生後2X年位の人形師。金遣いのしつけ等が済んでおりませんが、引き取って
くれる方募集中。名前はとうこです』なんてプラカードをさげて寝てなくてもいいだろう
に。余白には『素寒貧 元金も払えぬ 生命保険』なんて書いてあるし。
『マグロ漁船にすらブラックリストされてて乗れなかったらしいです』
「へ?」
 耳元で誰かが囁いたような気がして、背筋が震えた。
 見回すが、勿論誰もいない。
 アルクェイドに「どうしたの?」と聞かれたが、笑って誤魔化した。
 俺には霊感はない。化物や化物じみた人間を引き寄せる体質ではあるけれど。


 隣町の駅を出るとちょっとした騒ぎになっていた。
 救急車が出動する騒ぎだったらしく、野次馬に混ざって覗いて見ると歩道脇で自動車が
大破していた。
 ざわめきに耳を澄まして聞くと、どうやら女子学生が事故にあったらしい。
 アルクェイドはどうでも良さそうだったが、俺が知りたがっていると思ったのかアイツ
なりの方法で情報を聞いてきてくれた。現場検証をしている警察官を魔眼で捕まえてきて
洗いざらい喋らしたという方法はこの際横においておく。俺のためにアイツが何かしてく
れるということだけを喜びとしておくことにしよう。深く考えるとヤバいし。
 その話だと、二人組の女子学生のうちの一人が駅のトイレに行っててもう一人が待って
いるとそこに自動車が突っ込んできたのだそうだ。
 運良く自動車はその女子学生を逸れ―――目撃者の話だと勝手に自動車が捻じ曲がって
いったということだがそんな馬鹿な話は無いので警察としては無視の方向らしい――ガー
ドレールにぶつかったのだそうだ。運転手もエアバックのお陰で打撲とムチウチで済んだ
とのことだ。
 だがその直後、物凄い勢いでその女子学生が未消化の牛肉をリバースして倒れた為に、
救急車で運ばれていったのだそうだ。トイレに行っていた女子生徒は戻ってきてその光景
を見て、連鎖的に以下同文な状態になってやっぱり救急車で運ばれたのだという。
 全く、聞くんじゃなかった。
 これから食べに行こうとする身としては、そういう話は聞きたくなかった。
 しかしアルクェイドの誘いだし、向こうはそんなことを知っても平気だし、何か悔しい
ので首を振って無理矢理忘れることにした。




「ちぇ」
 何百度目かの舌打ち。
 つまらない。
 一人でいることがこんなにも退屈に思えるようになってしまった。
 いや、一人で過ごすこと自体は今でも嫌いじゃない。
 四六時中誰かと一緒だと思うとぞっとするぐらいだ。
 だけれども、昔よりも人恋しい気分に対してずっと素直になってしまっていた。
「ちぇ」
 自分に素直になるのは織の担当だ。
 私じゃない。
 でも、彼はもういない。
 織の分まで私は、両儀式というのも背負って立つしかないんだ。
 まあつまるところ、


 幹也がいないとつまんない。


 状態に私は陥っていた。
 本当は今日はアイツと一緒に刀剣店を見に行く筈だったのだ。
 トウコからはいい歳した男女のデート先にしては随分と渋いなとからかわれるが、良い
物を視るには直接見るのが一番だ。トウコのようにヤフオクで適当に競り落とすと、実物
が届いた時に後悔する事になりかねない。それにああいうものに無知な幹也にそれぞれの
時代の刀の話をするのは愉快なことだった。アイツときたら模造刀と現在刀の区別もつか
なければ模擬刀の見分けもできないのだから困ったものだ。挙句の果てに自分の物の見る
目の無さを「いや、そんなのどうでもいいじゃん」とか言って逃げようとする。普段から
人を駄目人間のように言う癖に、自分が責められると逃げようとするズルイ癖は端正しな
いといけないだろう。せめて室町後期と江戸中期の刀の違いぐらいは遠目でも気づく位に
なって貰わないと困る。それでも付き合いが良いのが救いだ。
 それがトウコがまた大きな借金を作ったらしく、自分の生活の為にと急遽金策をしなく
てはいけなくなったと言って、齟齬にされたのだ。アイツもそろそろ本気で将来を考えた
方がいいだろう。それとも両儀の家で養ってもらうことを考えているのだろうか。有り得
なくなさそうなだけにやや不安だ。プーは私一人で十分だ。
 そんなわけで私は一人で見に行く気にもなれず、部屋に食べるものがなにもないことも
あって適当に目的も無く外をぶらついていた。
 こんな話を鮮花が聞いたらきっと心の底から祝福してくれるのだろうが、生憎私は自虐
趣味は無い。
「ちぇ」
 普通にムカついていた。


「大体、最近のアイツは私に優しくない」
 昔は何だかんだ言いながら、迷惑なぐらいに構っていたくせに今は気を抜くとすぐにほ
ったらかしだ。
 まるで釣った獲物にはもう用がないとばかりの薄情さだと思う。
 まさかとは思うが、アレは私が手間のかかる人間だから好きになったんじゃないだろう
かと不安になる。
 言うとおりに学校に通いだして、それなりに社会に適応しようとする私の努力はアイツ
の為なのに、アイツはそれだと逆に満足できないのではないだろうか。
「おっと」
 考え事をしていたら、人とぶつかってしまった。
 背の低い女の子だったから、視界に入らなかったのだ。私の胸の辺りに相手の頭があっ
た。痛みは無い。
 向こうも前を良く見ていなかったのか、先に謝ってきたのでいい加減な返事をかえした
だけで、すぐに別れる。背中で勢い良く駆けていく足音が遠ざかっていくのを聞くと、そ
の悩みも大して無さそうなその子の元気の良さが少し羨ましかった。
 しかし、あんな子供でもプロレタリアートなんて言葉、自然に使うんだな。でも何で私
に向けて呟いたんだ?
 気にはなったが、今更走り去った相手を追いかけることはできない。
「ちぇ」
 舌打ちするしかない。


 早朝の散歩を趣味にする奴は口を揃えて気持ちが良いというが、私にはわからない。月
も無い真夜中を夜風に当たりながら気侭に歩く方がよっぽど心地が良い。
 そして日が昇った日中歩き回る奴は気が知れない。


 まるで、気が触れてしまった、かのように。


「あ、そうだ」
 今頃、思い出した。
 あの未来視の女、確か瀬尾静音とかいった女が言っていた言葉。
 あれは今日の日を指しているんじゃないだろうか。
 ムシャクシャしながら、何も得られない午前中。
 まさしく、今の自分がそうだ。
 午後からは違うらしいが、その物言いが気に入らなかったので聞かないで別れてしまっ
た。どうせなら最後まで聞いても良かったかもしれない。
「未来視なんて大層な能力もいざコトが起こってみないと気付かないんじゃ、大した役に
立たないじゃないか」
 具体的にああだこうだと説明されたわけではなく、抽象的な曖昧さと、もったいぶった
口吻で言われたことなど律儀に記憶なんかしてられない。
 昔から預言者は偉そうだというのが相場なのは何故なんだ。
 その能力自体が偉そうなせいなのか。
「ちぇ」
 どうも今日は気分がよくない。
 注意力も散漫で、集中力も皆無に等しい。
 そのせいか、ちょっと目に付いた人間が皆、イシツなものに見えて仕方がない。
 さっき横切った喫茶店のガラスごしに見えた大口開けて爆睡している旅行帰りらしい女
や、交番でパスポートがどうとか職務質問されている奇抜な格好をした三つ編みの外国人
の女など、気にすることも無い筈なのに妙に心に引っ掛かった。
「ちぇ」
 意味もないそんなことを全て記憶からこそぎ落として、前方に視界を戻す。
 腹が減った。
 悔しいから何か一人で豪華なものでも食べてやろうか。
 何か目立つ看板が見える。
 焼肉屋の看板だ。
「焼肉か……」
 一人で食べるものじゃないだろうが、ヤケ食いには似合っていそうだ。
 ヤケ?
 別に私はヤケになんかなっていない。
 不機嫌なだけだ。
 この鬱陶しい太陽に。




 大帝都自慢の凝った大扉のノブには『臨時休業』の札が掛かっていた。
 全くツイてない。
 しかもわざわざ隣町まで足を伸ばして案内した身としては、こういうオチを用意してく
れるなと言いたいところだ。
 案の定、アルクェイドも―――なんか険しい顔をして考え込んでいるように見えた。
 倣って見て見ると、何故か建物全体が傾いているように見えた。
 いや、まさか。
 もう一度建物全体を眺めてみる。
 良く判らないが、気のせいだろう。
 アルクェイドも表情を元に戻し肩を竦めて「どうする?」と聞いてきた。
 その前に「まさか、ね」と呟いていたように聞こえたが。
 さて、本当にどうしようか。



 行き着いた先は何故か休みだった。
 なんだ、それ。
 特に食べたかったわけではないが、臨時といわれるとまるでこちらの意図を見透かして
かわされた様な悔しさがある。
 勿論、八つ当たりだ。
「ちぇ」
 その一言で、苛立ちをまた一つ捨てた。
 何をやってもツイてない日はえてしてこういうものだ。
 そろそろ本格的に諦めて、一人を堪能することにしよう。
 折角ここまで足を運んだんだし、どこか適当なところで飯でも食って買い物でも―――
そう思った時、携帯が鳴った。
 全く、今日はとことん私は邪魔される。
 ため息をついて、以前から持たされていた携帯電話を突っ込んでいた上着のポケットか
ら取り出した。


「―――え?」
 名前を呼ばれた気がして振り返る。
 が、誰もいない。
 少し離れたところで営業のサラリーマンらしき若い男が携帯で話をしていたが、もしか
してそれだろうか。
 あ、俺ってば恥ずかしい奴。
 久々にやってしまった。
 幸い相手は電話の相手との話に意識が向いていて、声をかけられたと誤解して振り向い
た遠野志貴には気付いていないようなので、再び先を急ぐ。他の誰よりもアルクェイドを
待たせると後が怖い。例えそれがトイレ一つでも。
 だからこそ、小走りで道を急いだ。


「―――ん? いや、今、オマエに似た奴が振り向いたからさ」
 間抜け面までそっくりだと言いかけたが、流石にさっきのボーイッシュな少女に悪いの
でそこまでは言わなかった。でも彼女が怪我をして髪を伸ばす前の幹也にどことなく似て
いたのは間違いない。
 まだお互い学生だった頃、両儀式に声をかけてきたオマエに。
 気付かないふりをしたので向こうも気付かずにいってしまったが、何故か彼女からも普
通じゃない存在の気がした。
 今日は―――本当にどうかしている。
「まあ、幹也に似ているというだけでも十分変だしな」
 金策の目処がたったので午後からは合流できるというアイツの話を聞き流すと、携帯を
さっさと切った。
 そしてさっきの毛糸の帽子に温かそうなコートを羽織った少女とは逆方向に向けて、ゆ
っくりと歩き出す。



「悪い、アルクェイド。ちょっと待たせた」
「今頃、ノコノコ来てどうするつもりだ、幹也」



 それぞれ交わることの決して無い、



 なんでもない一日が、今日もまた―――





                             Fin.




焼肉戦争。 最高級の国産牛。松阪牛を食する為の大儀式。 儀式への参加条件は二つ。 暇人である事と、焼肉屋に通う常連であること。 (ただし財政事情があるのなら、焼肉の回数は問わないものとする) 選ばれる暇人は七人。与えられる肉片も七箇所。 ロース カルビ タン ミノ ホルモン レバー シロモツ 黒毛和牛は五頭きり。 美食を欲するなら汝。 自らの火力を以って、牛肉を調理せよ。

おあとがよろしいようで。


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