Story in Horizon



 みなさんこんにちは。浅上藤乃です。
 気さくにふじのん、と呼んでくれてかまわないですよ。
 あ。
 そういえば、ひょっとして本編では悪役でした私がこんなふれんどりーな挨拶を交わし
てしまっては、興行的に色々まずかったりするのでしょうか。"ふじのん浅上のみなさん
こんにちは事件"とか、後世の歴史に伝えられてしまったりするのでしょうか。
 まあ、どうでもいいですねそんなこと。
 さて、わたしは今、焼き肉屋さんに来ています。
 変なお姉さんにラチられて、協力を強要されました。
 暇だったので普通についてきてしまいましたが、もし断ってたらどうなったのでしょう
か。具体的には、どう脅されてたのでしょうか。
 きっと、背筋も凍るような恐ろしい行為を強制されたに違いありません。チョコレート
の銀紙を奥歯で噛ませられるとか。
 それやらされても、別に私は何も感じないわけですが。
 そんな感じで集められたのが、私と黄路先輩のぴちぴち女子高生ズと幽霊さん。
 始まりたるは、ヒンズー教徒も泣いて謝る仁義なき焼き肉バトル。いっぱい食べた方が
勝ち。
 負けた方に、牛5頭分の支払いが全て回ってくるらしい。
「とりあえず……そもそも牛って、幾らくらいなんですか?」
 先程妹さんと貧乏自慢合戦を張り合って苦戦の末辛くも判定勝ちを収めていたことから
推理するに、さほどに裕福なご家庭ではないものとおもんばかるわけですが。
「それは牛もピンキリで、3、40万から100万以上まで売値は色々だが、まず平均し
て一頭50万円というところじゃないか」
 50が5頭で……250まんえん?
「橙子さん、払えるんですかそんなの」
「実は、一昨日から事務所の電気を止められてしまっていてね」
 払えません。逆さに振っても鼻血もでません。クールで何げない表情のその顔に、そん
な言葉が書かれてます。
 さほどに裕福でない、などと婉曲的な表現ではなく、まっすぐ気持ち良く貧乏と形容す
るに相応しいご家庭環境のようです。
「それをまったく、250万なんてなあ……黒桐に払ってる給料の、何年分になることや
ら」
 0は何倍しても0だと思います、橙子さん。
「さて、私と私の可愛い社員たちの明るい明日のためにも、まずはコレの屠殺から始めな
ければならないわけだが」
 酪農農家の方々が愛情と丹精込めて育てた牛さんをコレ呼ばわりする橙子さん。流石は、
今年度バチ当たり部門なら世界ランカーを狙えると評判の器です。
「だが、心配するな。負けはせん。姉より優れた妹など、存在せんのだから」
 橙子さんの言葉にふと若貴兄弟を思い出しましたが、賢い私はもちろんお口にチャック
です。
 まして橙子さんに、仮面を被ってショットガンをもった北斗の三男坊の姿が重なったな
んてこと、口が裂けても言えましょうものか。
「今日こそはアレに姉の偉さ美しさカッコよさを、そして妹としての身の程を思い知らせ
てくれる。ついでに役場にひきずってって、『あおあお』を正式な名前として永久登録し
てくれる。プッ、『あおあお』て。田舎の農耕馬かよお前って感じ」
 いや橙子さん、すっごいオーラ出てます。真っ黒いのが。
 どっかちょん切ってポラロイドで撮ったら、みごとなキルリアン写真になりそうなのが。
 幽霊さん、変な電波の影響受けてお姿がブレ気味。ご本人、気づいてないようですけど。
「君。お前。藤乃」
 え、あたしですか。
 自分を指差すと、燈子さんは鷹揚に頷きました。
「じゃ、ちゃっちゃと殺ってくれたまえ」
「……え?」
 そんな。
 この中では満場一致でマスコット要員と考えられるわたしに、いきなり何を要求してい
るんですか。
 どこからどうみても、このメンバーでぶっ殺し要員は橙子さんだと思われるのに。
 次点は黄路先輩。顔つきで。
「……その顔見るだけで何考えてるかわかるところがむかつくが……私は、あの破壊しか
能の無い愚妹と違って、造る方専門なものでね。破壊は、君が考えてるほどに得意じゃな
いんだ。……やれやれ、こんな時ばかりは、彼女を連れて来られれば良かったと思うが」
「彼女? ……橙子さん、そちらの人なんですか?」
「は?」
「いや、別に差別はしませんよ。ウチの学校にも多いですし」
「何を言っとるんだ、君は」
「それで、やっぱり橙子さんはタチのほうですか」
「……君から先に屠殺されたいかね」
 ほら、やっぱり出来るんじゃありませんか。
 でも、このままだと本当に三枚におろされかねないので、仕方なくわたしは牛さんの前
に出ます。ごめんなさいね、牛さん。恨みでクダンの子を産ませるなら、橙子さんに……
ああ、それじゃあ一生恨みを晴らす機会が訪れないかもしれませんね。どうしましょう。
「呆けてないで、さっさと捻りたまえ。コキュっと」
 嫌な擬音でわたしをせきたてる橙子さん。
「本当にわたしがやるんですか?」
「他に誰がやるんだね」
「例えば、巫条さんが牛さんにとり憑いて……」
「とり憑いて?」
 自分の名前を耳にして、巫条さんがふわふわと身を乗り出してきます。
「舌を噛む」
「……イヤー」
 目尻とかしかめて、本当に嫌そうです。
 口なんてもう、こんな(→д)感じ。
「牛さんを苦しませることもなくて、いい方法だと思ったんですが」
「そのかわり私が死ぬほど苦しいじゃないの」
 まあ、実際死にますしね。
「私だって怒るのよー」
 怒ってるどころか、起きてるのか寝てるのかさえ判別つき難い顔で巫条さんが言う。け
れど、眉がこころもち上がってるようだから、まあ怒ってるのかもしれません。
「プンプン」
 ああ、自分の口でプンプンて言っている。
 これはもう、間違いようもなく怒っている証と見ていいでしょう。
「ごめんなさい」
「わかってくれればいいの」
 ふにゃっと眉が下りたところからみて、どうやらお怒りを解いて下さったようです。
 続いてちらりと黄路先輩に視線を送ったら、逆にメンチ切られました。うう、怖いよぅ。
「しかたありません。やりますよ。やりますけど……お肉はハンバーグとして食べること
になりますけど、いいですか?」
 わたしの力では切り捌くなんて器用な真似が出来るはずもなく、ぐちょぐちょのミンチ
にする他ありません。
「別に無理して能力を使わなくとも、その辺に用意されたポールアックス(推定重量70
Kg)とかを使ってくれて全然かまわないのだが」
「あんな重そうなもの持たされたら、ふらふらしてしまって……微妙に牛肉以外の肉との
合い挽き肉が出来上がりそうなんですけど……いいですか?」
「いいわけないだろう……仕方ない、ほんの少しばかり、手伝ってやるとするか」
 キャスターマイルドの箱を取り出して一本を抜き取り、口に咥える橙子さん。
 続いて百円ライターで口の煙草に火を点けると、着火したままのそのライターを目線の
高さに掲げる。
「1、2、3の3にタイミングを合わせろ。いいな? ……1、2、」
 さん、で橙子さんのライターの火が、ぱっと弾けて光の玉になる。
 光の玉の後ろには、可哀想な牛さんたち。
 その瞬間、わたしは橙子さんの意図するところに気付いて「そこ」にこころを集める。
 細く。鋭く。光に「渦」を、叩きつけた。



 無事に肉を解体したあと、食える部分とそれ以外をより分ける。
 黄路が光子力ビームがどうとか言って藤乃に絡んだ挙句、車田風に錐揉みで吹っ飛ばさ
れるのを横目で眺めつつ、屠殺用に用意されたグルカ・ククリ(ブリテン島グルカ族の伝
統武具)でロース部ブロックを焼ける厚さに適当に捌いた。
 骨と皮と脳みそと、食えない臓物以外は全て食らい尽くさねばならないルールだ。
 一頭まるごと食い尽くしたら、次の牛の屠殺権が与えられる。最後の一匹を食らい尽く
した方が勝ちだが、もちろん最後の一頭の屠殺権を相手に取られたからといっておとなし
く降参する法はない。肉がなければ、奪えばいいのである。
 しかし肉を食うのなんて、何カ月ぶりだろうか。
 いや。
 そもそも食物を摂取するのが、二日振りだ。
 丸一日絶食した昨晩など、思わず「やめだーっ! もう減量はやめだーっ!」と叫びな
がら蛇口を捻って(冷蔵庫に何も入ってないのは熟知しているから)しまったほどだ。針
金で縛られてたわけではないから蛇口は簡単に回ったが、肝心の水が出てこない。もちろ
ん元栓を閉めたのは菊ねぇではなく、横暴なる水道局だ。
 限界まで待ってくれるという水道さえ止まるのだから、わたしもなかなかどうして大し
たものである。
 ボクサーはまだ幸せだと思った。「夢を諦めて食う」という選択肢が残されている分。
 そうこうしてると心持ち頬のこけた黒桐がやってきて、でもここに白湯がありますとば
かりに茶碗を差し出してきた。
「ポットに残った、最後のお湯ですが」
 もちろん、気持ちだけでなくありがたく飲んだ。むしろどちらかを選ばせられるという
なら、気持ちの方が不要。
「せめて、色のついてるものはないの」
 飲むだけ飲んでおいてから、そんなことを言ってみる。
「最後のお茶っ葉が、昨日切れました」
「昨日のお茶っ葉は、まだ3回しか煎れなおしてないでしょ。駄目よ黒桐君、色のつく限
りは使わなきゃあ。もったいない」
「昨晩橙子さんに、この世の名残にどうしても天ぷらそばが食べたいとか言われたので」
「ああ、あの備蓄最後のカップそばに乗ってた……なんの葉っぱかと思ったら……」
 この男も、プライドを捨てて妹にでもすがれば幾らかは都合つけてもらえようものを、
それだけは嫌だと言って譲らない。
 鮮花の方も鮮花の方で、社会人にもなって実家に無心するような兄でいて欲しくないの
か、それとも直接兄から自分に頭を下げさせ精神的支配下に置きたいのかしらないが、イ
ライラと気遣わしげな視線を黒桐と私に向けるばかりである。
 先週突発的に購入したレアもの(コナン・ドイルが使用したと言われるコックリさんシ
ート・春日権現のお祓い済:200万円)のためにはまったく仕方のないことであったと
はいえ、社員たちには苦労をかけている。ここで、決して敗北を喫するにはいかないだろ
う。
 ……というか。今気付いたんだが。
 黒桐たちを、ここに連れてきてやれば良かったんだろうか。
 ……。
 まあ、いい。過ぎたことだ。我々は勝利のため、未来を向いて生きてゆかねばならない
のだから。
「というわけでマイ幽波紋巫条霧絵(自律思考自動追尾型)、君にミッションを与える」
「アイサー」
 敬礼で応える、霧絵。
「あちら陣営のタレを醤油ダレ味噌ダレ、タン塩用のレモン汁にいたるまで奪取。接収が
不可能なら、破壊」
「性格の程が窺える、地味且つ陰険なイヤガラセですね」
「霧絵君。幽霊が実在するなら、地獄とかだって必要とは思わないかい」
「最小の動きで最大の効果。さすが天才魔術師です」
「よろしい。じゃあいってきたまえ、君の冥福のために」
「冥福って、自助努力で獲得するものだったんですね……えうれかです……」
 とぼとぼふわふわと、青子らのテーブルに向かう霧絵。
 さて、彼女が妨害工作をしている間も、こちらも休んでいるわけにはいかない。
 黄路の方は、まだ煙を吹いて倒れたままである。初っ端から、手痛い遅れだ。
 その分、責任を持ってこちらのエースに頑張ってもらわねばならないわけだが。
「藤乃は……おお、ちゃんと食べてるな――って」
 肉も焼かずに一心不乱に藤乃が口に詰め込んでいるものをみて、私はとりあえず彼女の
後頭部をはたく。
 痛みは無かろうが、振動で口のものを噴出す藤乃。
「なにするんですかぁ」
 涙目をして、藤乃が恨めしげに見上げてくる。
「何してるかはこっちの台詞だ! さっきからボリボリとキムチばかり貪ってるんじゃな
ーいっ! 肉以外のもので腹を膨らませるなっ! ……ってうわ! なんだ君は、キムチ
に大量に七味かけて!?」
「わたしは痛覚がないので、辛味を感じることなく純粋にとうがらしの旨味を味わえるん
です。痛みの無い人間の特権ですね」
「血圧上がって死ぬぞ。そんな、いくら感じないからって辛いものばかり」
「失礼ですね。クッパもありますよ」
「そんなこと聞いとらん」
「つまり、わたしとてキムチばかりに心を奪われ視野狭窄に陥っているわけではないとい
うことです」
「じゃなくて、肉を食え言うとるんじゃあ!」
「おねーさーん。大ジョッキひとつー」
「無視の上未成年飲酒!?」
「わたしの体は体温調節が苦手なので、水分をとって体を冷やす必要があるんですよ」
「ビールである必要はないだろうが」
「焼き肉にビールは必須です。コーヒーにクレープです」
「コーヒーにそんなもん入れるかっ」
「……グレープだったですか?」
 ビールひげをつけたまま小首を傾げる、藤乃。
「……も、いいから。肉を食いたまえ」
 エースもイマイチ、頼りない。
 こうなれば。
 この私が、やるしかあるまい。
「……そういえばだいたい君、味は感じるのかね?」
「重ねて失敬な。触覚が無いだけで、味覚や嗅覚はちゃんとありますよーだ」


「くっ……」
 あー、私どうしたんだっけ?
 そうそう。藤乃が怪光線で牛を惨殺するのを見て、いつもの如くからかって、そしたら
たまたま今日は藤乃の虫の居所が悪かったかしてネビュラ・ストームをくらったアフロデ
ィーテ風に吹っ飛ばされて……。
 思い返しているうちに、だんだん心と肉体の意識が覚醒してくる。
 覚醒が鼻孔の神経に至ったとき、そこに最初に侵入した信号は、タレの焦げる甘く香し
い匂いだった。
 そうだ。私は食べねばならない。
 徹底的に、遍く、食べ尽くさねばならない。幻の珍味、焼き肉を。
 でなければ――地球の平和はいったいどうなってしまうのか?

 ……まだちょっと、意識がマズい気がする。

 しかし、だが、でも。
「や、焼肉を食べるまでは……そうよ! 肉が呼ぶ、タレが呼ぶ、匂いが呼ぶ。――焼肉
喰えと私を呼ぶ! とうっ!」
 勢いをつけて、立ち上がる。
 やや立ちくらみ。
 そして、血が脳に行き届き、視界のホワイトノイズが晴れたその先に、一人のちびっ子
の姿があった。
 闘志に満ちた視線を上げて、なにかの構えをとっている。
「……な?」
「あくの女かんぶ! かくごーっ!!」
 大地を揺らすほどの震脚から、螺旋状に肉体を伝わる勁をもって相手の肉体を巻き込み、
そして肩から背部にかけてでもって打ち放つ。
「げほうっ!?」
 ああ、これはたしか。
 呉氏開門八極拳が絶招の一、鉄山靠。でも少々自己流気味。
 自己流であっても威力の程は十分であったようで、私の身体は再び華麗な螺旋を描いて
宙に舞った。

 …………。
 
 ……さま、おかーさま。

 おかーさま。”やきにく”ってどんなたべもの?

 まあまあ、なんですか出し抜けに。

 くらすのおともだちがねー。みんなでたべてきたんだってー。わたしたべたことないっ
ていったら、おいしいんだよーって。

 美沙ちゃん。焼き肉というのはね、えらい人しか食べられないものなの。御大尽のいく
ところなのよ。

 のーぱんしゃぶしゃぶみたいなの?

 あらあら、そんな言葉どこで覚えてきたんだか、あとでお父様をシめあげないといけな
いわね。でも、まあ8割がた正解よ。草野仁なら「ん〜……まあ、いいでしょう!」とな
るところね。

 あー。それじゃあスーパーヒトシくん乗せとけばよかったよう。

 ふふ、今回も優勝は徹子さんに譲ってしまったわね野々村君。

 みさや、ののむらくんじゃないよう! じつのははおやとして、それはあんまりにもひ
どすぎるたとえだよう!

 あなたの方がずっと酷いこと言ってる気がするけど、そんなことより焼き肉よね。これ
は、かつて秦の始皇帝が自分の寿命を延ばすために考え出した料理と言われる、珍味中の
珍味なの。日本では、味わった人は100人にも満たないと言われるわ。

 ……でも、くらすのおともだちが。

 美沙ちゃんのお友達は、お金持ちなのね。

 うちのおとーさまみたいに、しゃちょーさんでもだめなの?

 そうよ。うちみたいに、せいぜい日本の一財閥を担う会長クラスではとても手に届かな
いわ。芸能人とか政治家とかじゃないと。

 そうかー。せいじかのひとなら、おかねもちだよね!

 そうそう。士農工商といって、うちみたいな商人は江戸時代には一番身分が低かったん
ですから。身分が低い=貧乏。当然のことよね。

 それじゃあ、おうちはびんぼーでもしょうがないよね。でも、やきにくっておいしいの
かな? マルダイのハンバーグよりおいしい?

 ん〜〜、マルダイのハンバーグにはちょっと負けるかもしれないわね。ほら、よく言う
でしょう。香りマツタケ味シメジって。高いだけでありがたがられてるものより、安くて
も味が深い物があるってことよ。

 そうかー。あの「マツタケのおすいもの」って、ぐがほとんど入ってないしね。

 ほう。美沙夜……焼き肉を知る年齢(とし)か!

 あ、おとーさま! おかえりなさい!

 そんなことよりイワシを食べたまえ、美沙夜! 魚は健康に良い!

 はーい。

 じゃあお父様が帰ってこられたところで、お夕飯にしましょうか。

 おかーさま、今日のおかずはなーに? めざし? おから?

 ふふ、今日は奮発して、なんと焼き鳥よ。スーパーで、閉店前のタイムサービスを狙っ
たの。一人三本ね。

 うわーい、おにくだー!

 ……。

――ふふ、眠ってしまったか。
――ええ。ごちそうだったんで、はしゃいじゃったみたい。
――すまんな、美沙夜。父さんがほんのちょっと……ケチなばかりに。
――あなた……。
――父さんな、お金が大好きなんだ……貯金通帳の数字を上げるためには、一銭だって無
駄にしたくないんだ。会社の社員の人達にも、色々理由をつけて残業代を払ってない。出
来るなら、お給料だって出したくないくらいなんだよ。
――大丈夫ですよ、あなた。美沙夜はそんなあなたの気持ち、いつかきっとわかってくれ
ますわ。
――そうだな。いつか美沙夜が大人になったら、謝る日もくるかもしれんな……。

 お年玉って、お餅の揚げ玉のことだっていうの、あれウソだということを――

「……許すかーーーーっ!」

 二度目の失神から、私は私自身の怒声とともに覚醒した。
「……って、あれ?」
 今のは、なんだろう。
 なんだかとっても、懐かしくて物悲しい夢を見ていたような。
 曇った視界を晴らそうと瞼をこすると、手の平に水滴がつく。
 これは……涙? 私、泣いてるの?
 理由のわからない涙をぬぐっていると、誰かがぽん、と肩を叩いてきた。
 短髪の妙齢の女性。
 なお、この場合の妙齢の妙は、微妙の妙だ。
「黄路」
 女性は、私に小皿と割り箸を差し出すと、力強い声で命じた。
「何も考えずに食え」
 女性――蒼崎橙子に、私は無言で肯きを返す。
 割り箸も砕けんほどに力強く橙子さんの手のものを受け取ると、私は立ち上がった。
 もう、振り返らない。
「そうだ。食え、黄路!」
 橙子さんの手に背中を押されるようにして、私は子供の背程もある肉の山へと走ってゆ
く。



 はい、こちらレポーターの巫条霧絵です。お茶の間の皆様、こんばんは。
 ただいまこちら焼き肉屋大帝都地下特設会場より、今夜は生放送にて、別に誰にもお伝
えしていません。
 うふふふふ、だってカメラもマイクもないんですもの。ふふふふ。
 あっても持てないけどね。幽霊だし。
 映る方なら、頑張ればなんとかいくかもしれないけれど。
 恐怖! あの人気ドラマの一シーンに、女の浮遊霊の姿が!
 これはですね、今このスタジオがある土地に昔建っていた、武家屋敷のお女中さんの霊
です。
 いや違いますよ。私ですってば。むっちゃ現代人ですよ。
 あとはあれ。人気歌手のアルバムに、いたずらして小さく「たすけてー」なんて声入れ
てみるとか。
 ネタが古い? いいの、私幽霊だもの。
 さて、蒼崎家対抗牛殺炭火地獄(うしごろしすみびのじごく)デスマッチはいよいよ佳
境を迎えている感じです。
 双方ともに、序盤は相手サイドに対して細かな嫌がらせをしかけたりしていたものの、
相手の邪魔をしている間は自分らの方の食も進まないという当然のことにやっと気付いた
のか、今は誰もがもくもくと肉を口に運んでいる様子。
 やってた私が言うのもなんですけれど。でももう飽きちゃったもの。あのミニスカート
の外人さんは、私の趣味を理解してくれないし。きっと変態さんなのね。外人さんには多
いって言うわ。
 さて傍観者の立場から戦況を伺うに、地力は青さんチームが上のように窺えます。
 特にちびっこさんと、リーダーの青子さん。
 ちびっこさん、明らかに自分の体重より多く食べてます。ていうか牛一頭配当。物理的
にどうなんでしょう、この現象。
 食べる姿もなんというか恩讐というか妄執というか、そういうもの入ってます。最近私、
そういうのに鋭いんです。最近てどのあたりかというと、具体的には死んでから。
 青子さんの方なんか、もう焼いてません。生。ほぼ生。
 序盤はちゃんと焼いていたようなんですが、そのうち面倒になってきたらしく魔法で丸
焼き。で、マンガ肉みたいなのをかぶりつき。もう文明人じゃないです。すごいゴンぽい。
はじめ人間ぽい。
 そうこうするうちもう、それすらまだるっこしくなってきたらしく、堰月刀(屠殺用)
で巨大ハムの如く牛さんを輪切りにしたかと思ったら皮付きのそのまま鉄板に乗せて、し
かもまだ焼けてないのに口に運んでます。もはや人間以前。超ドテチン。震えるほどのバ
ーバリアンっぷりです。
 なんでも青子さんは、魔術師の間ではガチ最強と言われてるんだそうです。どのくらい
ガチでどのくらい最強かって言えば、ノアで三沢さんくらい。
 けれど、対する姉の方も負けてはいません。
 かたや力の青さんチームに対して、技のオレンジさんチーム。
 エースと目された藤乃さん、ようやくキムチにクッパにワカメスープにも満足したか、
本番のお肉に入っています。
 両面を奇麗に焼いて、一枚ずつ口に運ぶマイペース走法。
 けれども着実なペースで、まもなく牛さん一頭分を消費――

――あ。

 えれえれえれ、と藤乃さんの口からモザイク映像が。
 どうやらご本人は苦痛を感じなくても、肉体の方に限界が来て拒否反応を示した様子で
す。

「ああ――私の身体。生きて、いる……」

 しかも、何だかよくわかりませんが感動しているご様子。
「そういうわけで、橙子さん。私ギブアップです」
「まだお前の割り当ては、ロース3キロホルモン700グラム残っている。それを食って
から逝きたまえ」
「女の子の秘密のポケットも、もういっぱいです。少女マンガ風に例えるなら、夢の時間
はもうおしまい」
「ならば私が、夢の道行きを手伝ってやろう」
 動けない藤乃さんの口にロースを詰め出す、橙子さん。
「あうあうあうあう」
 今急に思い出しましたが、北京ダックって生まれてすぐ首だけだして土に埋められ、食
物を口に詰め込まれて育てられるんだそうです。
 別に、関係ないですけどね?
「よーし、食えたじゃないか。だめだぞう、何事もあきらめちゃ」
 きゅう、と床につっぷした藤乃さんを置いて、からからと笑って立ち去って行く橙子さ
ん。
 藤乃さん、あなたは立派に戦って逝きました。
 あなた自身の人生という観点からすれば、まあ、ぶっちゃけ犬死にっぽいですけれどね。
「お客さん、もう入りません。出発します。次の電車をお待ちくださいー」
 なんか良い夢見てるみたいです。どこに出発するつもりなのか知らないけど、ともかく
白目むくほど楽しい夢なのね。
 見事藤乃さんが己の使命を全うしたところで、こちらに残る戦士はあと二名。
 リーダーの橙子さんは掟破りの分身の術で、次々肉を減らしていきます。
 黄路さんの方も、己の業を叩きつけるかのように食っています。流石に橙子さんや藤乃
さん程のスピードは無いものの、後半戦からの出場とあってハイペースの追い上げ。
 あちらの戦闘員はあと一名。先程のヘンタイ外人さんです。
 2対1。とはいえ向こう側は、すでにちびっことリーダーの人が丸まる二頭分食べきり、
外人さんが伝説の糸包丁の妙技で最後の一頭を屠殺。3頭目に入っています。青さんチー
ム、1馬身差つけてる感じ。
「その肉っ! よこせっ!!」
 箸を片手に、外人さんに飛びかかる黄路さん。
 ……ああ、しばかれてるしばかれてる。銃とかでも撃たれてる。
 その隙を縫って、暗躍する橙子さん。見事に肉を盗み出しては、ジャッジ用の計量台に
乗せていきます。さすがは頭脳派。
 味方をデコイにする頭脳派ってのも、どうかと思われますが。
 ともあれ、無事手に入れた肉を焼いては、とって食ってまた焼いて。
 炭の爆ぜる音以外は、極めて静かな終盤の戦いの末に。



 ――かたり、と。
 もはやダミーも尽きた私と、青子陣営の錬金術師が皿を置く小さな音が。

 この戦いの終わりを告げる、ゴングの音だった。




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