「………」 「………」  原稿に食い入るようにして覗きこんだまま動かない由宇と彩。 「ふふーん、どうよ?」  その後ろでは詠美が自身満々な表情でオレンジジュースをストローで啜って いる。 「どお? 凄すぎてグウの音も出ないってカンジ?」  詠美は勝利を確信したように言うと、深々と背もたれに寄りかかる。 「なあ、詠美。ひとつ訊いてもええか?」 「なあに? 負け犬のオーボエなら聞いてあげなくもないわよ」  妙に真面目な顔つきで由宇が、そんな彼女に尋ねる。 「アンタ流行ものがどーとか言ってなかったか?」  その声色に察するものがあったのか、彩はビクッと首を竦ませるようにして 由宇から離れる。 「誰彼でしょ? あのLeafの最新作よ〜、流行じゃない」  詠美はそんな彩の様子にも気付かずに平然と答える。 「どこの世界の話や?」 「へ?」 「どこの世界で誰彼が流行っているんや?」 「へ? へ?」  由宇の言葉の意味が判らないらしく、キョトンとした表情を浮かべる。 「一遍でもゲームやればあれがどないなものやったかわかるやろうーが!」  思わず怒鳴りつける由宇。 「え? え? な、なんで……」 「なんだってアンタなぁ……」 「だ、だってだって、ホラ、リーフよ、リーフ…」 「詠美。アンタ、ひょっとしてゲームやってへんな?」  ギグとした顔をする詠美。 「そ、そ、そんなことあるわけないじゃない」  由宇の追及にジト顔になる。 「じゃあどんなゲームだか言ってみい?」 「そ、そのアレよ! 坂神蝉丸はある日目覚めると地下室で石造りの棺に閉じ こめられていたその上身体の自由がまるで利かないなぜそうなってしまったの か彼にはまったく状況がつかめないやがて仲間が棺の蓋を開けるのだが――」 「あらすじはええから内容の方!」 「ボーイズラブでしょ?」  キョトンと答えた詠美に、由宇は手にしたハリセンを大きく振りかぶって、 「この大バカ詠美!」  バシィ!! 「ふみゅう!!」  彼女の脳天に激しく叩きつけた。  その音に店内の注目を浴びていたが、それに気付いたのは我関せずの態度を 決めこんでいる彩だけだった。  中腰のまま、席の隅に身体を寄せるように移動する。 「……ゲームやっとらへんな?」  当の由宇は全く回りを気にせずに、涙目の詠美の胸倉を掴んで睨みつける。 「そ、そんなことはないわよ……ちょ、ちょっと楽に考えただけよ」  その表情に圧倒され、弱々しく反論する詠美。 「じゃあどうしてこんなク○ゲー本作る気になったんや?」 「由宇さん、それは流石に……」  そっと窘めるが由宇の一睨みで、引き下がる。 「ど・う・し・て・や?」 「うみゅう〜」 「泣いてないで答えんかぃ、コラァ」 「彩〜 って既に逃げてるし!!」  涙目で助けを求めるが、彩は既に自分の飲み物だけを持って別の席にそ知ら ぬ顔をして座っている。 「で、どうなんや?」 「や、やったわよ!」 「ホンマか?」 「ちょ…ちょっとだけ…」 「どれくらい?」 「オ、OP…」  ゲシッ! ベキッ! バカンッ! ゴキィッ!!  その光景はまるで一発クスリをキメて狂暴化したヒクソン・グレーシーがマ ウントポジションになって高田延彦ではなく高田順次が原形なくなるほどに殴 られている……つまりは目茶目茶に殴られ続けているということを彩は理解し 、記念にとその光景をスケッチし出す。  由宇の顔は梅図かずお調、店内の風景は永井豪調で詠美は藤子不二雄A調、 そして全体的な構成は奥瀬サキ調であったが、最近もっと萌え絵を描けと由宇 に言われていたので店の外を走っていた犬だけはあだち充調にしてみた。  彩は描きあげたものを一度腕を伸ばして遠目に確認。出来に満足したように 微かに頷いて見せた。  そのスケッチブックは後に由宇に見付かり、彼女自身の未来図へと差し変わ るのだがそれはまた別の話。  鼻息荒く、アメ○カの空爆を一手に引き受けたかのような惨状になった詠美 を見下ろして、 「おかしーと思ったんや。よりにもよってこんなクソ○ーの本作るなんて!」  と宣う由宇に、 「由宇さん、声が大きいです」  彩がそっと窘める。 「○ソゲーをク○ゲー言うて何が悪いねん!」 「あら、何の騒ぎ?」 「あ、編集長」  有り触れた喫茶店から一転、テロ直後の現場のように騒然とした状況の中、 相変わらずスーツに身を固めたやり手のキャリアーウーマン然とした女性が悠 然とやってくる。 「誰かと思ったら猪名川さんじゃないの、ええと……これは何?」  由宇の足元で詠美だったものを目で示すようにして尋ねる澤田真紀子。  人には見えなかったらしい。 「あー。何でもないわ」  手をブンブンと振って大した事ではないとアピールするが、 「ゆ、由宇さん……」  思わず出る彩のその言葉に、他のギャラリーも強く頷いて同意する。 「一体、どうしたの?」  その様子に真紀子は軽く、首を傾げた。  破壊された椅子やテーブルを無視して、元の場所に座って今までの経緯を説 明する由宇。  奥に引っ込んでいたウェイトレスを呼び出し、自分の飲み物を注文する真紀 子。  散らばったものをかき集め、無理矢理取り繕った何かを残った席に座らせて から自分の席に戻る彩。 「あ、大庭さんだったのね。あとこの娘は?」  時折表面が剥離するので、修復作業に明け暮れていた彩を見て真紀子は由宇 に尋ねる。 「え? あ、ああ……彼女は長谷部彩ってゆーて最近、ウチらと合同誌描いた りしとるんやけど…」 「長谷部……彩?」 「はじめまして」  ペコっと頭を下げる彩。 「長谷部……長谷部……どこかで聞いたことが……」 「ウチらの本でゲスト原稿描い……」 「ああ!」  由宇が言い終わる前に真紀子が思い出したように手を叩く。 「行方不明になった友人を助けるために老人ホームを抜け出したお年寄り達が 集まって、夜の富士の樹海でそれぞれの人生を焚き火の元で語り合う『死屍累 々』を描いたあの長谷部さんね」 「は、はい! 読んで下さったんですね」  彩にしては珍しく弾んだ声で立ちあがる。  その瞬間、彼女が押えつけていた緑の欠片が床に落ちる。 「お年寄りが一人、また一人と倒れていくシーンなんかは凄く細かな描写で、 凄かったわよ」 「ありがとうございます……」 「何や、それ? ウチそないなの知らんで?」 「そ、その……」 「ウチの編集部に送ってきてくれたのよ。初め読んだ編集者が入院して、その 後も神の掲示を受けたから退社して処刑人になるんだって飛び出した人とか、 最後まで読んだら1週間後に死ぬとか噂されたり、社内不倫がいきなり暴かれ たりとか、担当の漫画家が逃げ出したりとかしてちょっとした騒ぎになったか ら……」 「え、ええと……?」 「大丈夫。ちゃんと神主さん呼んで供養してから焼却処分したから」 「………」 「………」  呆然とする二人の意味が判らず軽く首を傾げる真紀子。 「?」  ウエイトレスがオドオドと差し出すアイスコーヒーを受け取ると、ストロー で上品に飲み干す。 「自信作だったのに……」 「え?」 「な、何でもないんや! この娘、ちょっと変わったところあってなぁ…」 「そう? それで……大庭さん、どうしちゃったの?」 「それが話せば……」 「これです」  由宇が話し出す前に、彩は原稿の入った封筒を差し出す。 「あら、今度のこみパ原稿?」 「はい」 「ちょ、ちょい待ち! 今ウチが……」 「それで皆で……」 「彩」  全く無視して説明を始める彩の肩を由宇が掴むが、 「………」  彩が由宇の方に顔を向けると同時に由宇の顔が一瞬で青ざめる。 「――ひっ」 「何か?」  いつもと変わりない筈の彩の声だが妙に迫力を感じる。 「な、何でもあらへん。何でも……あはは……」 「え、ええと何だか立てこんでそうだから私は……」 「――座れ」 「あ、は、はい」  何故か命令。  それでも従わざるを得ない迫力があったと後々まで真紀子は語っている。  彩は真紀子に事の次第を順序だてて手際良く説明する。  だが端から見ると犯罪を犯した二人に対して取調べをしている警官のようで あったと目撃者は後に語った。 「そうだったの……」 「はい」 「そんなことにお互いのマンガの出来を競うなんて、とことんアマチュアの発 想ね」  ようやく彩が落ちついたのを確認すると、真紀子はいつもの調子に戻って腕 組みしながら余裕持って微笑む。 「そやな。でもな、マンガっちゅーのはプロになるだけが大事なワケやないで」  由宇の方も立ち直ったらしく、氷が溶けかかったお冷を一気にあおると、 「例えそれが自己満足でもエエ。ウチがしたいことをやる。それができないの ならプロになったから言うて意味はあらへん」  そう言いきる。 「考え方は色々だから、否定はしないわ」 「あの……そういう話題ではなくて……」 「ええ、判ってるわよ」 「そうよ。判る人にはきっと判るわよ!」  ドンっと、机を叩く第四の拳と声。 「大庭さん!?」 「詠美!?」 「詠美さん。お元気でしたか」  驚く二人を無視して詠美は彩を睨みつける。 「彩っ!」 「はい?」 「なんでこのあたしを放置してそんな植木鉢を椅子に乗せてるのよ!!」  子供の背丈ぐらいの植木の幹を撫でる彩。 「詠美さん……」 「違うわよっ!!」 「こんなにそっくり…」 「ちょっと待ちなさいよっ!!」  床に落ちていた葉を彼女の眉の上に重ねる彩の手を払う詠美。 「思わず間違えて……」 「ふみゅうぅぅぅぅぅぅぅっぅぅぅぅ!!」 「……じゃあ詠美も起きたところで、折角だから編集長に読んで貰おか」 「ねえ、ちょっとお! 素で通るわけ!? このあたしがこんな目に遭ったの も元はと言えば誰のせいだと……」 「秋だっちゅーのにセミがミンミンうるさいなあ」 「ねえってば、ねえっ!」 「これを読めばいいのね?」 「あと、これとこれ……です」  彩が由宇のと詠美の原稿を真紀子に手渡す。 「じゃあ順に言っていくわね……」

Go Epilogue.