――あなたはなにをしてるの?    もう一人の私の声が聞こえる。    いいの、わたしは気持ちいいの…。    だから、誰も傷つかない。    ドドドドドドドドドドッ…。    規則正しい振動が快楽の波となり、わたしの膝をガクガクと揺らす。    全身の筋肉が強張るのを、理性で必死に抑えようとする。    でも、無駄。快楽の波はわたしの胎内で反響し、増幅し、やがて無限へと拡散する。    躯の底に沈殿した黒い憎悪も、母への想いを形取った白い純心も壊れていく。    わたしは…一つの………愚かな………             ホワイトアウト。頭が真っ白になる。   「監督さーん、また郁未さんが魂とばしてますぅ」   「まーったく、また暴走したのね…郁未」    ――あなたはなにをしてるの?    土木工事。    ほるほるほるほるほるほる掘るげっちゅ。ん〜掘るげっちゅ。    きもちいいのよ、こつばんにぃ。    わたしはどぼくさぎょういん。    黒いアスファルトだって白いコンクリだって、わたしに掘れないものはない。    ほー ほー 掘ったる来いっ♪    ひらすら掘る。    お母さんも、掘られる前に惚れ、といつも言っていたもの。    ――なにを言ってるのかしら? あなた、あたまパー?    パーじゃない。わたしパーなんかじゃない。おかあさんが言ってたもん…わたしパー   じゃないって。    ――そうやって溺れていくのね。    そう、わたしは、削掘に溺れていく。    ああ…さっくつ。さっくつ、さっくつ、さっくつ。    ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ…。              『斑気な日々の終わり』 〜 from MOON. 〜    秋葉原電波組――大手ゼネコンに名を連ねるほどは大きくないけど、まあそれなりの   総合建設会社――。    ここは、おかあさんが最後に働いていたところ。そして、その面影を求めて私はここ   までやって来た。    私の名は、天沢郁未(あまさわいくみ)。    自分で言うのもなんだが、美少女だ。    ちなみにデッサンはくるってない。くるってないったら、くるってない。   「ちょっと、郁未。手が空いてるならこっち手伝ってよっ」    頭上のあゆみ板――作業員用の足場ね――から晴香が『ひょっこりと』顔を出す。    いや、ぱっくりとだったかもしれないし、ぽっくりだったかもしれない。   「私の頭は割れてないっ!! 往生してもないっ!!」    天上からの文句。彼女の名は、巳間晴香(みまはるか)。ブラコンだ。   「誰が、ブラコンじゃ、われー」    しかも、自分の悪口は聞き逃さない<姑の耳(ヌイ・チヅラル)>を彼女の一族は備え   ているという。   「そなえてなーいっ!! はぁはぁ…っていうか、一族じゃなーい」    パコーン。    いつのまにか割れたアスファルトの上に降りてきた晴香が、安全靴でわたしをどつく。    ブラコーン。    これは晴香のこころの叫び。   「勝手に人の心の叫びを代弁しないっ!」   「ふたりとも、喧嘩はやめてくださ〜い」    そこへわたしたちと同じ黄色いヘルメットをかぶっているものの、明らかにどこから   か迷い込んだとしか考えられない、およそ工事現場にはふさわしくない小学生が来た。    ヘルメットが、低学年用の帽子を思わせる。    あれはそう……パタBという名の晴香のオモチャだ。たしか、由依という名で呼ばれ   ていたと記憶している。   「パタ坊だじょ〜」    由依と呼ばれるソレが、上着の袖口をわざと余らせてそう言うのを聞いた。   「――ってその前に、アンタは私の玩具じゃないでしょーがっ!! もちろん、霊気融   合もしないわっ!!」    ビシッ、というカンジでパタ坊を指さしながら糾弾する晴香。    ……もはや、何につっこんでいいのかわからない。   「アンタもねぇ、郁未…ボケてばっかりいないで、たまにはツッコミなさいよ」    怒れるブラコンの攻撃の火の粉が、私にも降りかかる。   「誰が……怒れる兄魂なのよっ!!」    なぜ、私の考えてることがわかるの? もしかして、晴香ってエスパー晴香? 父親   の裸婦像のモデルなんかになってるのっ!?   「ええっ!? じゃあもしかして」とパタ坊。「おとうさんのインスピレーションを閃   かせるために『晴香、晴香……こっちに来てくれ』『ああ…お父さん、痛い、痛いよ』   なんて秘められた関係の父と娘。でも、その関係は娘に彼氏ができたときから崩れ始め   るんです。自分の本当の気持ちに気づいた父……でも、そのときにはもう取り返しのつ   かないことになっているんですよね」   「………あのね、なんで私がエスパーになるわけよ」    晴香はとりあえず、他約一名の妄想は無視してそう答えた。   「ひどいですぅ。無視しないでください〜」    晴香がエスパーではないとすると、じゃあもしかして私が…サトラレだったり?   「それは郁未さんがブツブツ口に出して喋っているからだと思いますぅ」    えっ!? 口に…出してる?    パタ坊の言葉に身体が硬直する。    私、口に出してるの? そんな…そんな…それじゃあまるで……まるで――    ――ちょっとヤバめな電波系美少女みたいじゃないっ!!   「…はいはい、加えてマザコンだしね」    ぐはぁ。   「あの郁未さん、あたしパタ坊じゃなくて由依…名倉由依ですぅ」    そうだった。この幼児体型の子は名倉由依(なくらゆい)。シスコンだ。以上。   「それだけですかぁ〜」   「おまえ達、ちゃんと昼飯は食ったのか〜?」    いけないっ! 監視員が来たわっ!   「郁未、監視員じゃなくて作業員だってば…でも、見たことないヤツね」   「俺は折原。ちなみに現場監督だ」    目の前の妖しい目つきの幼なじみにハァハァしてみてよって言われてそうな監視員は、   晴香の言葉がきこえていたのかそう言った。   「――ちょっと、良祐……じゃない巳間監督はどうしたのよっ!」   「巳間良祐は………寄生虫だ」    折原と名乗る、いかにも雨の日だけ早起きしてジャブジャブと音を立てながら、靴が   濡れるのも気にせず水たまりを歩きそうなその男は、やや俯きかげんに顔を伏せ、目を   逸らしながらも…そうはっきりと口にした。   「ええ〜、そうだったんですかぁ? じゃあ…」と由依。「自分の身に宿っているとも   知らずにそれを実の兄だと信じ恋心を抱く晴香さん。だけど二人が愛し合えば合うほど   晴香さんの命を削っていくんです。それを案じた『お兄さん』は、自分が消えるのも厭   わずに何も言わないで晴香さんから離れていくんですね。そして、晴香さんが真実を知   ったときにはもう……。悲しいです、悲しすぎます!!」   「なんで兄さんが寄生虫なのよ」    晴香の怒りが炸裂する。当然、約一名は無視している。   「ちゃんと聞いてくださ〜い」   「あ〜、土産はちゃんと頼んでおいたから大丈夫だ」   「…………」   「…………」    …………。   「…そう、ならいいわ」    なにかひどく疲れたような気がする。見ると、晴香もげんなりしていた。由依は…と   くに変わりがないようだ。    そう言えばお母さんが言っていた。ここの人達はみんなパーだって…。    虚ろな目で沈黙する私たちに観念したのか、歩き去ろうとする監視員。   「あ、そうそう」    しかし、彼は足を止め、首だけでこちらへ振り向いた。   「簡易トイレが一個壊れたから、おまえ達の中の誰か一人、トイレの使用禁止な」    な、って?   「な、なに言ってんのよアンタ! ホントにパーなんじゃないの?」   「それはおーぼーです。人類のてきですぅ」    晴香も由依も思わず抗議の声をあげる。   「俺はパーじゃない。グー、だ。ちなみにあゆコスでもないぞ」    折原と名乗る監視員は、そんな意味不明のことばを残して去っていった。   「……ったく、なんなのかしらねあの折原ってやつ。やっぱ頭おかしいんじゃない?」    グー、ってどんな意味なのかしら?   「そんなの意味なんてあるはずないでしょ?」   「大丈夫ですぅ!」    晴香の言葉にかぶさるように、由依の大きな声があたりに響いた。   「なにが大丈夫なのよ?」    いぶかしげな目をして由依に詰め寄る晴香。もしかして…兄魂vs.姉魂の激突!?    真・シスタープリンセス:12人の妹たちとの壮絶な闘いの幕開け。金色の双眸で髪   を不自然にふわっとさせながら襲い来る妹や、夜中寝室に忍び込んでリストカットしよ   うとする妹たちとの1ヶ月の死闘を生き抜けっ!!   『おねえちゃん(おにいちゃん:変更可)だ〜いすき!!』    …こわいかんがえになってしまった。   「あのね……郁未、茶々入れないで。それで、由依。何が大丈夫なわけ?」   「つまり…あたしはBクラスだから大丈夫なんですぅ」    そうなのだ。この秋葉原電波組では、なぜか作業員はAからCにクラス分けされてい   る。ちなみに私はAクラスで、晴香はCクラスだ。   「だ〜か〜ら〜」といらいらしながら晴香。「なんでBクラスならいいわけよ」   「えっとですねぇ、アルファベットは何から始まりますかぁ?」   「Aからよ」   「そうです。だから、Aから始まってB、Cとなるから、誰かが抜けるとしたらCさん   になるわけなんです」   「あのね〜、なんでアルファベット順にしなきゃなんないのかって私は訊いてるのよ。   郁未からもなんか言ってやってよ」    私はAだから…。だから、わたしは傷つかない。   「うわっ、裏切り者ぉ〜。いいわよ、いいわ。じゃあこうしましょう。一番、働きの悪   い者が簡易トイレを使えないってことにしましょう」    まあ……合理的な解決案ね。私はかまわないけど。   「ええ〜、そんなぁ〜」    由依はなにか渋い顔だ。   「ふふん、多数決でもう決まりよ」         ・         ・         ・    私たちは、それぞれの持ち場に戻り作業を再開した。    もしかしたら、3人で抗議に行ったほうがよかったのかもしれない。と後から思った   が、あの折原という、いかにもネーミングセンスの無さげで拾ったパソコンにさっちぃ   と名付けていそうな男と話すのは疲れそうなので、やはり思い直した。    さあ、今日もどんどん掘りましょう。   「――あの、郁未さん」    ほるほるほるほる…って、由依?    振り向くと、名倉由依が立っていた。   「あの…郁未さん。あたし……あたし……あの失敗を…」    見ると、いまにも泣き出しそうな由依の顔がそこにあった。    ……失敗?    そうでも、心配ないわ、由依。ちゃんとカンパしてあげるから、いっしょに病院行き   ましょう、ね?   「そういう失敗じゃないですぅ」    ちっ。   「あっ! いま郁未さん舌打ち…」    してない。   「えぐえぐ…」    手を引っぱられるままに由依が作業していた場所に来てみると、ぶちまけられ山盛り   になったモルタルの山があった。    これは…運んでる途中に転んだって感じかしら?   「そうなんですぅ」    そう……晴香には相談したのかしら?   「はい、晴香さんに言ったら…『それくらい自分でなんとかしなさいよっ、子供じゃな   いんだからっ!』って追い返されました」    ふうん、私より先に晴香に相談したんだ……なんか妬けるな。   「郁未さん、あたしそんな趣味はありませんからー」    …………。    あのね…。   「はい?」    まあ、いいわ。それよりこれを片付けるのは面倒だから、いっそのことこのまま固め   てしまうのはどうかしら?   「――駄目です。そんなことできません!」    驚いた。由依がこんなにはっきりと否定するなんて…。   「この老人ホームが完成したとき、木や花が植えられるはずの庭がこんなになってたら   イヤじゃないですか。お年寄りの皆さんもきっと哀しいです。花や木だって、きっと悲   しいです」    私はみぞおちになにか…衝撃を受けたような気がした。    ここが老人ホームになることさえ知らなかったというのもあるけど、私が適当に答え   てしまったことに彼女が真剣に抗議したのが心苦しかった。    私はあまりにも真っ直ぐで純粋な心に触れてしまったのかもしれない。    私の中の黒い沈殿物を、由依の明るさが剥き出しにしていくような気がした。    なんかお腹のあたりが痛い。   「あたし、やっぱりパーなんでしょーか? こんなことにムキになっちゃって」    ううん、由依のそういうところ、いいと思う。   「あはははっ、パーはパーでも、ぱぁーっといきたいですよね」    …………もしかして、洒落? まさかね。   「うぐ…」    それから私と由依は、あちこちにこびり付いたモルタルを懸命に取りのぞいた。   「ありがとうございました、郁未さん。おかげで助かりましたぁ」    高いわよ。   「そんなぁ〜。無償の行為ってすばらしいと思いませんか?」    思わない。マタ開いて稼げ。   「…またまたぁ〜」    …………寒っ。   「うぐ…」    じゃあまたね。今度店長に紹介するわ。   「――って、本気ですかぁ!?」    ふふ。    顔中を土まみれにして礼を言う由依の笑顔に送られて、私は自分の作業場所へと戻る。    ……ずいぶんと時間が経ってしまった。    今日の簡易トイレ使用権被剥奪者は、私かしら?    そう思うとなんだかお腹が、ぐるぐる言ってるような気がしてくる。   「まったく、いつまでかかってるんだオマエはっ!!」    その帰り道、大きな声につられて思わず目を向けると、そこには怒られている晴香の   姿があった。   「なんだその態度は! ちっとは反省してんのか?」    彼女は目を背けたまま、ふてくされたように黙っている。    あれでは、由依を手伝う余裕なんてないか。    私は軽い優越感に背中を押されながら、自分の居場所へと戻った。    こ、これは…?    さっきまで自分が作業していた場所を見て、私は息を飲んだ。    全部、終わってる…。    いったい、誰が?    まさか……!? だって……   「天沢郁未は驚いているようだ」    いきなり声をかけられたが、そちらへ顔を向けることはしないでおいた。いまの自分   の顔を見られたくないような気がしたし、声だけでその人物が誰なのかわかったから。    監視員の折原だ。いかにも、たい焼き屋の場所も憶えられないような感じの男だ。   「その顔は、誰がやったか判っているって顔だな」    …………。   「グー。それは管理された愚行を行う者の名だ。ちなみに火者とは、新造人間の名前で   はない」    …………。    私は駆けだしていた。これ以上、折原と話していると莫迦がうつりそうだったから。    そう、そうよ…それ以外の理由なんてないもの。    そこに着くと、彼女は足場を作るための鉄骨を運んでいるところだった。    晴香!    私が声をかけると、晴香は一瞬『あっ』という顔をしたがすぐにいつもの表情に戻っ   た。もしかしたら『うぐぅ』だとか『あうー』とかいう顔だったかもしれない。   「ノーコメント、よ」    晴香はそれだけ言って、仕事に戻ろうとする。    晴香! …ごめん。私、さっき怒られてる晴香見て、ちょっと気分がよかった。   「郁未…」    いえ、かなり気分がよかったの。これでヒロインの座は安泰だなって…   「郁未……アンタ最低ね」    晴香はそう呟いたあと、初めてニタリと笑った。   「人のいじわるをそんな申し訳なさそうな態度で返すなんてさ。私は一度、掘削をして   みたかったからしただけ、別に感謝される謂われなんてないわ」    私は、彼女の後ろに駆け寄り鉄骨をささえ持った。    もちろん、私は一度こうして鉄骨を運んでみたかっただけだ。   「まったく、ときどきあんたが利口なのか莫迦なのかわからなくなるわ」    その後、私たちは無言で鉄骨を運び続けた。    私は晴香のそんな不器用な優しさが好きだった。         ・         ・         ・   「ねえ、なんか私お腹の調子が悪いんだけど…」    そう晴香が告げたとき、私のお腹はすでにドリフト全開限界バトルに突入していた。    キュルキュルキュルキュル!!   「やっぱりね、あの昼の弁当ちょっとヤバそうだったのよね」    ダメ! 私…すこしでも気を抜くと、ガードレールに接触…谷底にまっさかさまよ。   「行きましょう、トイレ」    ラーサ!!    簡易トイレに辿り着くと、ちょうど由依が中から出てきたところだった。   「あっ、お二人さん、任務ご苦労さまですぅ」    なんだか、先ほどの気持ちはどこへやら、今はその脳天気な明るさが恨めしい。   「ふふふふ、由依ぃぃぃぃ〜」   「あ、あの……お二人とも、凄く怒ってらっしゃいませんかぁ?」    ええーいっ! そこを…   「どけ――――いっ!!」    私と晴香の手が、ドアの前で交錯する。    どうしよう? 彼女にはさっき助けられたし……でも、これ以上我慢は……   「じゃあ、次は郁未さんですね。今日、一番働きがよかったから」    えっ? でもそれは晴香が――   「――そういう約束だったわね。郁未、先に入りなさい」    晴香……あなたって人は……ホントに……。    友情に感謝しながらも、それに甘んじてしまう自分を少し恥ずかしく思いながら私は   そこに入った。    ぬおおおおぉぉぉぉ。    ボルテッカ―――――――――ッ!!!    …ふう。    ふと、壁を見るとたくさんの落書きが張り付いている。    その中の一つが私の目を釘付けにした。   『あなたたちみんな、パーよ』    とそこには書いてあった。見覚えのある文字。今なら、これを書いた人がどんな気持   ちだったのかわかるような気がする。    さらに、その下には…   『俺は、グーだぜ!!』    と書き足してある。なんとなく、書いた人間がわかるような気がした。    私はポケットからマジックを取り出し、その下へさらに付け足した。   『わたしは、チョキよ』    私は私。他の誰でもない。    まっすぐに生きることも、他人の為に自分を犠牲にすることもうまくできないけれど、   私なりの良さを見つけられたら、と思う。    この扉を開けた向こうに、きっと私の未来が――   『い、郁未ぃ〜、は、は、早くぅ。プリーズ!! ぐああああぁぁ!!』   『ああっ!? 晴香さんが、晴香さんが……そんなことぉ!?』    …………。    ――未来があるといいな……。      あなたたちみんな、パーよ      俺は、グーだぜ!!      わたしは、チョキよ                                       了

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