『風呂場はいつだって戦場だ』〜from TRIANGLE HEART3〜   「セイッ! ハアァァァッ…ハッ!」   「フッ! ハッ! セイヤァァァッ!」    降り注ぐ日差しも、めっきり秋らしく柔らかくなった、とある休日の午後。    ここ高町家の庭先では居候の鳳蓮飛、即ちレンと、同じく城島晶が食後の運   動を兼ねてか、限りなく実戦形式に近い組み手で汗を流していた。   「……」    その二人を、縁側に腰掛けながら真剣な面持ちで見ているのは、休日という   ことで、たまたま遊びに来ていた月村忍だ。   「ふっ!」   「はっ!」    暫くは近接戦闘で打ち合っていたレンと晶だが、両者共ある時を境に大きく   後ろへ飛び退き、互いに腰を落としてスタンスを広めに取る。    決めにいくつもりだ。    自身に武道の心得はない忍だが、直感的に悟った。    二人から放たれる剣呑な雰囲気に、お気楽な性格した彼女も、思わず唾を飲   み込む。    落ち葉を纏った秋風が、どこからともなく高町家の庭に迷い込み、闘気を拮   抗させていた両者の間を緩やかに流れた。   「ハアァァァッ!」   「オリャァァァッ!」    同時に大地を蹴って跳躍するレンと晶。    二つの影は忍の真正面でぶつかり合い、そしてそのまま動きを止めた。   「ふふーん、なかなかやるようになったやないか、おさるのクセに」   「へへーん、この程度で驚くな。俺はこれからどんどん強くなっていくぜ、ど   んがめ」    二人の拳は、お互いの腹に添えられた状態、いわゆる『寸止め』状態で止ま   っていた。    辺りを包んでいた張りつめた空気が、少しずつ解けていく   「二人とも、凄い凄い」    縁側から立ち上がり、レンと晶に惜しみない拍手を送る忍。   「えへへ…」   「そ、そないに褒められることじゃ…たはは」   「ううん、私なんて見ているだけだったのに、手に汗かいちゃったもの。…あ、   はい、タオル」    忍は、自分の座っていた脇に置いてあった二枚の真白いタオルを取って、二   人に手渡す。   「あ、どうも」   「おおきにですー」    晶もレンも、忍から渡されたタオルを頭に被り、流れ出る汗を拭っていく。   「なんや、お天道様の匂いがするなー」   「ああ、いい匂いだ」   「あはは」    タオルからこぼれる日差しの匂いに、二人の顔が綻んでいく。    そんな様子を、忍は楽しそうに目を細めて見ていた。    とその時、玄関の方から「ただいまー」と声がして、綺麗なブロンドヘアを   ポニーテールに纏めた美しい女性が庭へ姿を見せた。フィアッセだ。    本名、フィアッセ・クリステラ。    彼女も、レン、晶、忍と同じく、この高町家に縁もゆかりもある人物の一人   だ。   「フィアッセさん、お帰りなさい」   「お帰りなさいー」    頭に被っていたタオルを首に下げ、フィアッセを出迎える晶とレン。   「ただいま、晶、レン」    フィアッセは、そんな二人に笑顔を返した。   「お邪魔してます」    二人のあとに忍が続き、フィアッセに対して軽く会釈する。   「あ、忍も来てたのね。いらっしゃい」    そう言って忍にも微笑みかけたフィアッセは、ふとなにかを思い出したよう   に、「そうだ!」と手を叩く。   「んー! Nice Timing! 丁度いいわ」   「あのー、フィアッセさん? 一体なにがナイスタイミングなんです?」    と忍が訪ねたが、フィアッセは答える代わりに衣服のポケットから三枚のチ   ケットを取り出した。   「はい、はい、はい」    その三枚のチケットを、それぞれ三人に手渡すフィアッセ。   「これは…」   「んー、なになに…」    忍と晶が手渡されたチケットに目を通していると、突然レンが「あっ!」っ   と大きな声を上た。   「これはあれや! ほら! 今度、商店街の外れにオープンする銭湯!」    レンの言葉で、残りの二人も「ああ!」と手を叩く。    フィアッセが三人に手渡したチケットは、海鳴商店街の外れにオープン予定   である銭湯の無料招待券だった。    銭湯とはいっても昔ながらの大衆浴場ではなく、サウナや露天風呂、マッサ   ージサービスまで取りそろえた、いわば近代的総合浴場。    しかもメインの風呂は普通の湯だけではなく、美容効果のあるハーブ湯や電   気風呂、ジェット・バスなど、クアハウスさながらの色々な物が取り揃えてあ   るとの謳い文句だ。    打たせ湯なんかもあるらしい。   「でも、なんでそこの無料招待券が…」    チケットの裏表を交互に見返しながら呟いていた晶が、ポツリと呟く。   「それって、どうやら正規オープン前に関係者に配られたチケット…いうなれ   ば、施設のお披露目用のチケットらしいの」    フィアッセが、券を入手した経緯を話し始めた。    それによると、彼女の舞台関係の知り合いが、余所の仕事繋がりで券をもら   ったそうなのだが、いかせん仕事の都合が付かずに行けそうもないということ   になり、フィアッセに回ってきたらしいのだ。   「…それでね、利用可能な日付が今日までなのよ」    フィアッセに言われて、三人はチケットの注意書きの箇所に目を落とす。    確かに、利用可能な日付は今日までだ。   「わたしも貰ったのはいいんだけど、今日はこれからちょっと用事があって行   けそうもないの。それで、家の誰かに上げようかなーって思って来たら…」   「丁度、俺達がいた…ってわけですね」   「Yes!」   「フィアッセさん、おおきにです。うちらも今し方稽古してまして、ちょう汗   かいてしもうたもんやから、これからシャワーでもって思ってたんです」   「棚からボタモチ…だな」   「アホ、それをゆうなら濡れ手に粟や」    晶が首を「うんうん」と縦に振りながら言うと、レンがすかさずツッコミを   入れた。   「…この場合、渡りに船ってのが、もっとも正しいと思うんだけど……」    最後に忍が苦笑混じりに締めると、四人を笑い声が包み込んだ。   「それじゃあ、三人とも楽しんできてね」    やがて、フィアッセが手を振りながら家の中へ入っていくのを、三人は「あ   りがとうございました」と感謝の言葉で見送った。   「さて…」と忍。   「それじゃ、早速行ってみようか?」   「そですね、せっかくの好意やし、無にしたらあかんとゆうことで…」   「じゃあ俺、準備してきます!」   「あ、うちもー」    そう言って、慌ただしく家の中へ入っていく晶とレン。   「あ、晶、私の分のタオルとか貸してもらえる?」   「はーい」    一人庭に残された忍は、晶の背中に言葉を投げかけたあと、大きく伸びをし   ながら空を仰ぐ。   「うーん…っと」    見上げた秋の空は、色鮮やかなスカイブルーだった。   「今日もいい天気だわ」                  ・・・   「ひゃーっ! ひっろいなぁーっ!」    脱衣場と浴場を隔てている磨りガラスの引き戸をガラガラと開けて、湯煙け   ぶる浴場内に足を踏み入れたレンの、開口一番がそれだった。   「うっわー、こりゃ確かに広いや…」    レンに続いて中に入ってきた晶も、その広さに呆気にとられる。    特に正規オープン前で、利用客が少ないから室内の広さがより際だっている   感じがした。    女湯だけでもこれだけの広さであるから、男湯部分を含めるとかなりな物だ   ろう。   「でっかい建物や思うとったけど、まさかこれほどやなんて…」   「ああ、洒落にならない広さだな…」    レンと晶の二人が広さに驚く室内は、大まかに分けると二つに分けられてい   た。    入り口から見て左手が洗い場部分、右手が浴槽部分だ。    洗い場は全てシャワー完備なのに加え、ボディーソープやシャンプー&リン   スなど、おおよそ体を洗うのに必要な代物は全部取り揃えてあった。    これだけでも、普通の人間が持っている銭湯のイメージと懸け離れているが、   浴槽の方は更にその上を行っていた。    入り口から近い順に、ハーブ湯、電気風呂、ジェットバスと並んでおり、そ   の向こうに、普通の湯を張った風呂があった。    どの風呂も、軽く泳げそうなほどの広さだ。    更に入口の丁度反対側、同じようなガラス戸を隔てた向こう側に、露天風呂   が設えてあるのが朧気ながら判った。    露天風呂の横には、打たせ湯のコーナーとサウナ室らしきものも見える。   「ほらほら、二人ともあんまりキョロキョロしないの」    晶の後、髪をアップに結い上げた忍が、手の掛かる生徒を連れ歩く引率の先   生のような苦笑いを浮かべながら、中に入ってきた。    ――とは言うものの、こりゃ確かに広いわね…。    豪邸が自宅である忍は、やはり浴場もそれなりに大きな代物であったが、そ   の彼女を持ってしても、ここは広いと感じさせる造りだった。    ――でも、なかなかいい所じゃない。    全体の色合いや各部の造りは、やはり女湯ということで、女性受けするよう   な洒落たデザインで纏まっており好感が持てる。    しかもデザインだけでなく、しっかりとバリアフリーな箇所も作られていて、   高齢者の利用をも考えられた構造に、忍の好感度は益々上昇した。    ――これなら、多少高くても、常連になろうかなぁ…なんて…。    人知れず笑みをこぼしながら忍がそんなことを考えていると、突如、「ばっ   しゃぁぁぁん」と多量の水が弾ける音がして、その音に被さるようにレンの絶   叫が浴場内に木霊した。   「どわあぁぁぁっ!」   「えっ? な、なになに? どうしたのっ!」    慌てて彼女の方を見る忍の目に、頭からびしょ濡れになったレンの姿が飛び   込んできた。    同時に聞こえる、晶の笑い声。   「あははー、見事に食らいやがって。隙だらけだぜ、レン!」    二人から少し行った所で、湯を掬い取る手桶を持ちながら、晶が腹を抱えて   笑ってた。    この浴場は入ってすぐの所に、湯の湧き出ている大きな壺があり、その脇に   は晶が持っているような小さな手桶が並べてある。    恐らく正しい使い方としては、ここでまず軽く湯を浴びて体の汗を流すので   あろうが、それを晶は悪戯に使った。    彼女は密かに壺の中から湯を汲み取ると、中の広さに見入っていたレンに向   かって浴びせたのだった。   「あーきぃーらぁー…」    レンの体が怒りに震える。    彼女の怒りを煽るように、晶はレンに背を向けて、「へへーん」と自分の尻   をペシペシ叩いた。    レンの頭の中で、限界まで伸ばした太いゴム紐を鋏で切った時に鳴るような   音がした。   「こンの山ざるぅぅぅっ! もう勘弁ならぁぁぁんっ!」   「あはははーっ」    例によって例の如く、いつもの追っかけっこをする二人。    だが次の瞬間、それは意外にも早く終結した。   「おぅわっ!」    たまたま晶が踏み出した先に、たまたま石鹸が転がっており、それに足を乗   せた彼女は見事に尻から転んだ。   「あはははーっ! お、お約束過ぎるで、晶ーっ」   「あたー…。っつぅー、な、なんでこんなトコに石鹸が…」    大笑いするレンと、涙目で尻を撫でる晶を遠目に見ながら、「なにやってん   だか…」と額を押さえながら嘆息を漏らす忍であった。                  ・・・    取り敢えず三人は体を洗うことにし、洗い場の前に並んで座った。    晶、忍、レンといった位置関係だ。    晶とレンの間に忍が入ったのは、二人を並べると、また一騒動起こすであろ   うからと、忍が判断したからだ。    鼻歌交じりにボディーソープを手に取り、良く泡立てていた忍は、ふと横に   いるレンの視線を感じ、彼女の方を見る。    彼女は羨望のような嫉妬のような複雑な視線を、忍の胸に投げかけていた。   「ん? どうしたの? レン」   「え? あ…いや…その…忍さんは、胸…大きい上に綺麗な形でええなぁ…っ   て」   「そ、そうかな?」    これには、忍は苦笑いを浮かべるしかなかった。    忍の体は、一見無駄な肉は付いてなさそうで、その実、女性らしいふくよか   さがあった。    つまり、出るトコは出ているタイプだ。    対してレンは、胸の膨らみも控えめで腰のくびれも少なかった。    一般に幼児体型と呼ばれるタイプだ。   「うちも…もちっと、この辺にお肉が欲しいわ…」    自分の胸を押さえながら、ポツリと呟くレンの姿に、忍の中の性的加虐心が   ムクムクと鎌首をもたげてきた。   「やーん、レンってば可愛いっ!」   「ひゃんっ!」    不意に忍に抱き付かれ、レンは上擦った声を上げた。   「そんなに胸を大きくしたいなら、この忍ちゃんが協力してあげるわよ…うふ   ふ…」   「えっ? し、忍さん?」    忍はレンの耳元で囁くように言うと、するりと体を移動し、レンを背後から   抱きすくめる形を取る。    そして、十分に泡だったボディーソープが付いている両手で、レンの胸を優   しく揉み始める。   「やっ…し、忍さん! なにを…」   「おーっと、動かないの」    反射的に忍から逃れようとするレンだったが、胸の先にある桃色の慎ましや   かな突起を軽くつままれ、動きを封じられる。   「あっ…」    再び妖しく動く忍の両手。   「んふふ…感度いい子だねー、レンは」   「や…忍…さん…どうして…」   「どうしてって、昔っから言うじゃない。胸を揉むと大きくなるって。あれよ、   あ・れ」   「せ、せやけど…こんな…女同士で…あんっ!」   「だって、ここ女湯だもん」    緩急を付けて、レンの胸を優しく揉みほぐしていく忍。    見る見るうちに、レンの胸はボディソープの泡で包まれていく。    ――や…こんなん…でも、うち…うちぃ…。    段々とレンの呼気が荒くなる。    体の奥から沸き上がるむず痒さに頭の芯が痺れていき、彼女はなにも考えら   れなくなってきていた。   「あれ?」    ふと、レンの胸を楽しんでいた忍は、彼女の肌の一部から返ってくる感触に、   違和感を覚えた。    丁度体の中心、左右のバストの間の手触りだけ、他と違う。   「そこ…手術の…」   「あ…そか…」    レンは幼いときから心臓病を患っており、過日、その病気の根治手術を行っ   ていた。    忍の手が違和感を感じたのは、その手術痕だった。   「……」    なんとはなしに、その傷跡を指でなぞってみる。    ビクン、と今まで以上の反応を返すレンの体。   「レン…ここ、痛い?」    ふるふると首を横に振るレン。   「じゃあ、気持ち…いい?」   「よく…判らへん…」    自分の体を走る未知の感覚に、震える声で息も絶え絶えに答えるレン。    そんな彼女の姿に、忍の欲望は加速した。    片手でレンの胸を揉みながら、空いたもう一方の手の指を使い、手術痕を撫   で回す。   「やっ! あっ! ああっ!」    大きな声を上げながらレンの体が何度も震え、忍の腕の中から逃れようと暴   れる。    それはまるで、手に捕まえた若鮎が、身を悶えさせながら逃れようとするさ   まに似ていた。    ――やだ、私もなんだか変な気分になってきた。    レンの体の中に燻る火が、自分の体をも熱くさせ始めていたことに忍が気付   いたとき、「あのー」と晶が忍に声をかけてきた。    レンとの行為に没頭していた忍は、晶の存在をすっかり忘れていた。   「へっ?」    思わず、間抜けな顔で訊き返す忍。    晶は小さくうずくまり、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにポツリポツリと言   ってきた。   「皆さん…見てらっしゃいますよ…」   「はい?」    慌てて周囲を見回す忍。    今の今まで彼女は、ここが大型の銭湯であることを失念していた。    いつの間にか、レンと忍の周りには人が集まっており、皆、好奇心溢れる眼   差しを二人に投げかけていた。   「あ…あはっ! あはははーっ!」    忍は乾いた笑いで、場をごまかすしか出来なかった。                  ・・・    体を洗い終わった後、三人は満々と湯をたたえた浴槽の中へ身を沈めた。    彼女らが選んだのは、特別調合したハーブを溶かし込んだハーブ風呂。    この赤く澄んだ湯が、美容や健康にいいらしい。   「ふー、極楽極楽…」   「あー、なんか身も心もリフレッシュされますねー」    忍と晶、二人は肩まで赤ワインのような湯に浸かり、脱力しきっていた。   「しかし、結構いいトコだね。…今度は、みんなと一緒に来ようよ」   「そうですねー、きっと皆さん気に入りますよ」    と、そんな世間話をしているとき、ふと晶はレンの姿が見えないことに気付   いた。   「あれ? そういえば、レンの姿が見えないんですけど…」    晶に言われて、忍も気付いた。    ついさっきまで、同じ湯に浸かっていたはずのレンが忽然と消えていた。   「本当だ…」    辺りを見回してみるが、レンらしき姿は見受けられない。   「どこ行ったんだろ? 露天風呂の方かな?」   「意外と、お湯の中に潜っていたりして…。あいつ、かめだし」   「あははー、まさかー」    などと笑い合う二人だったが、晶の推測は当たらずとも遠からずであった。    ――ふっふっふっ…気付いてない、気付いてないで…。    レンは気配を殺しつつ、顔を半分潜らせた状態で二人の後方に潜んでいた。    ――おさるの奴には、さっきの借りを返さんと…くくく。    目を悪巧みに細めた彼女は、大きく息を吸い込むと湯の中に潜った。    ――さて…。    赤い湯の中は、澄んでいるとはいえ色のせいもあり、あまり視界が良好では   なかった。    それでも、晶のいる場所は朧気ながら判る。    ――くっくっくっ…見事なまでに隙だらけや、笑いが止まらへんわ。    レンは笑いを噛み殺しながら、浴槽の床を這うように泳いでいき、静かに目   標へと近づいていく。    幸いにも、今は浴槽内には自分と晶と忍の三人しかいない。    特に障害らしい障害に遭遇せずに、レンは晶の背後にジョーズさながらに近   づいていった。    ――もろたでっ! 晶っ!    そして、目標である晶に手が届く場所へ着くなりレンは、素早く彼女を背中   から抱きしめて持ち上げると、そのまま投げっぱなしジャーマンで、自分ごと   後ろへと放り投げる。    ざっぱぁぁぁんっ!    晶にしてみれば、これはかなり驚いたに違いない。    いきなり何者かに背中から持ち上げられ、しかもプロレス技で投げられたの   だ。    赤い湯の中で、思考が明解な答えを求めて激しく混乱する中、それでも体は   本能に従って酸素を求め、藻掻きながら起きあがる晶。   「ぶあっ!」   「まだまだっ!」    そこへ、いつの間にか彼女の背後に回っていたレンに、再びジャーマンで後   ろへと投げられる。    ざっぱぁぁぁんっ!   「ぶあっ!」   「も一丁っ!」    ざっぱぁぁぁんっ!   「くはっ!」   「どしたどしたーっ!」    ざっぱぁぁぁんっ!    レンが投げる、晶が起きあがる、レンが投げる、晶が起きあがる。    そんな作業が四、五回ほど繰り返された頃、ようやく浴槽が静かになった。   「ふぅー、ウチのワンダフルな投げコンボはどやった晶? ごっつぅ効いたや   ろ? …まあ、これでさっきのお湯を引っかけた一件はチャラにしたるさかい   な、あはは…」    などと、湯に向かってレンが勝利宣言していると、背後から「俺はこっちだ」   と聞き慣れた声がした。   「…え?」    慌てて振り向くレン。    その視線の先には、今し方投げ飛ばしたはずの晶の姿があった。   「えっ? えっ? えっ? なんでっ? なんでやのっ?」    鳩が豆鉄砲食らったような表情で、自分と湯を交互に見ているレンに、晶は   溜息を漏らし、頭をボリボリと掻きながらこう言った。   「お前がさんざん投げていたのは、忍さんだ」   「えっ!」    嗚呼、勘違い。    今の今まで晶だと思っていたのは、なんと忍。    恐る恐る、湯の中に視線を凝らすレン。    そこには確かに、俯せ状態で沈んでいる忍の姿があった。    彼女の長い髪が、湯の中でユラユラとたゆたっている。    断続的に気泡がブクブクと彼女の口から出ている所から、死んではないよう   だが。   「ひっ! し、忍さんっ! アカン! ど、どないしよっ!」    情けない声を上げながらオロオロするレン。    やがて、彼女の前の水面が盛り上がり、ザバァーっと湯の中から忍が起きあ   がってきた。    その両目に、復讐の輝きを携えながら。   「うーふーふー…」   「ひぃぃぃっ!」    髪を顔には張り付かせ、薄ら笑いを浮かべる忍の顔は、真正面から目を合わ   せるのを躊躇わせるほど、とてつもなく怖かった。   「この私を、月村忍と知っての狼藉かしら? レンちゃん」   「いや、その…えーと…あは…あはは…」    笑ってごまかそうとするレン。   「あ、俺、先に上がってるから…」    我関せずとばかりに、とっとと浴槽から出ていく晶。   「あ、晶っ! ちょう待ってや! あんたからも言ってぇな! 間違いやった   ってっ!」   「晶は関係ないでしょ、晶は! おおーっ!」   「ひぃぃぃっ!」    レンが晶に求めた助け船は、忍に却下された。   「そりゃ、私もさっきはやりすぎたかなーって思ったけど、それの報復にした   ってやりすぎじゃないかしら?」   「そ、それはですね…あの…その…」    なんとか必死に自己弁護を行おうとするレンだったが、忍から放たれる圧倒   的な気勢に呑まれ、言葉が出てこない。   「レン、受けた恩は倍返し、受けた恨みは三倍返しって言葉…知ってる?」    乱れた髪を掻き上げながら、ニッコリと美しく爽やかに微笑む忍。   「あうあうあうぅぅ…」    しかし、レンの目には恐ろしく残忍な微笑として写った。   「そうね、目には目を、歯には歯を、プロレス技にはプロレス技を…かしら?」   「し、忍さん、お手柔らかに…」   「あん、そんなに遠慮しなくていいわよ。こんなこともあろうかと、密かにノ   エルと練習していた私の48の必殺技、たぁっぷりとフルコースで味わってね、   しかも『夜の一族』パワー全開で、うふふ…」   「ひぃぃぃっ!」    忍の目が深紅の輝きを放つのを見ながら、もしこの場から生きて帰れたら、   次からは銭湯での戦闘は控えようと、切れ味の悪い駄洒落を織り込んだ決心を   するレンであった。                                   おわり

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