衛宮邸の住人たち
このSSは『恋する桜は切なくて先輩どいてそいつ殺せない』の設定に基づいております。
 登場人物紹介

衛宮士郎   究極の正義とは自分が神として君臨する世界だと気づくまで後4年。
セイバー   昼は競馬場、夜はマンション麻雀と人生の目標を失った日々を送る。
美綴綾子   休日は新都に出向いて、衛宮綾子の名で路上占いに明け暮れる。
遠坂凛    最近手持ちの宝石の半分がガラスと知り、背中も存在も煤け気味。
イリヤ    圧倒的な経済力にモノを言わせて土地を買占め冬木市支配を目論む。
間桐桜    存在感チェックの為丸一日全裸で過ごすも誰一人気づかず心底凹む。
リーゼリット 実はユスティーツアの転生体。本人のみが知らない驚愕の事実。
アーチャー  この人物はフィクションであり、実在する人物とは関係ありません。


 間桐桜の乱も終焉を迎え、衛宮家一行は束の間の平和を得た。
 浴槽のガラス戸と土蔵の壁は修復が必要だったものの、一人の少女が負った心の傷
に比べれは、被害は最小限に抑えられたと言ってもいいかもしれない。
 その少女が誰であったかは深くは言及しない。
 ただその出来事が蛹が蝶になるように、ヒロインの割に陰の薄いチョイ役染みてい
たその少女に身も心も黒々として立派な悪役になるぐらいの変化がもたらされていた。
「桜」
「なんですか、遠坂先輩」
 衛宮家の居間。
 当たり前のように家にいる少女を、当たり前のように家にやってきている少女が呼
び止める。
 呼び止めたのは遠坂凛。
 彼女は何故か昼間っからサングラスをかけていた。
「その刺青みたいな文様はなに?」
「遠坂先輩ったら古いんですね。TATTOOって呼んで下さい」
 そう宣うのは間桐桜。
 決してtATuじゃありませんよと、姉であり他人である凛に対して彼女は微笑う。
「じゃ、じゃあ、その……髪が紫色なのは?」
「理由なき反抗です。もういいですか、遠坂先輩」
「嘘言うんじゃないわよっ! 何黒化してるのよアンタっ」
「はてさて、何のことだか桜にはさっぱり」
 ウキーと些か下品にいきり立つ凛に対して、桜は小馬鹿にしきったような表情で肩
を竦めて見せた。
 学園でのみ二人を知るものには信じられない光景だろう。
 それぞれ外では共に立派に猫を被っている。
 凛は隙の無い気品ある優等生であり、こんな間抜けな取り乱し方はしない。
 桜は人の視線を避けて生きる根暗少女であり、他人を見下したような目は向けない。
 衛宮家には人を正直にする場になるらしく、仮面浪人は受け入れられない清潔感漂
う空気が流れている。だからこそこの二人は地を出していた。
 凛はますます猿に、桜はいよいよ烏へとなっていく。
「全く……こないだ一体、何があったのよ」
「大丈夫ですよ、遠坂先輩。あの程度は日常茶飯事でしたから」
 フフフと桜は笑う。
 口元だけで笑っていて目は少しも笑っていなかった。
 そして彼女はそれを凛に対して隠そうともしていない。
「間桐家が苛烈? とんでもない。本当に酷いのは中学時代でした。人より発育して
いる少女へのクラスメートの女子生徒の辛辣なイジメに比べれば蟲に集られようが爺
に集られようが駄目男に集られようが随分と気楽なものしたよ。そうそうあれは夏で
したか体育の時間の後に制服の胸のところを丸く切り取ら―――」
「御免。もういいから」
 その少々イっちゃってる感じの目は相当危険な兆候のように凛には感じられ、発言
を止めた。
 中学時代の自分を思い出すようで嫌になったというのもある。無論逆の立場だ。
 御免なさい、名前も忘れたホルスタインさんとついでに一応心の中で詫びておく。
「えへへ。決して桜は希望とか持ってはいけなかったんですから、土蔵暮らしなんか
は当然の報いです」
 凛は桜と士郎達の間に何があったのかは知らなかった。
 気がついたのは、ただいつも通り招かざる客として眠い目を擦りつつ朝飯をタカり
にやってきたところ、鎖が巻かれ扉が固く閉じられた土蔵の方から、
「ここで読者からのお頼りです。冬木市深山町PN浮気は神の甲斐性さんから頂きま
した。『桜はいい。ライダーを出せ』……素敵なお便りありがとうございます。わた
しもそう思います、神の甲斐性さん。一体どこからそうなってしまったんでしょうね」
 などという声が延々と聞こえたことと、
「困りますな、ウチの桜に直接話しかけないで下され」
 今このようにして現れた事務所の者だと称する骸骨を模した仮面を被った黒ずくめ
が、常に桜の側に居ることぐらいだった。
「だからなんなのよ、アンタ」
「事務所のものです」
「じ、事務所って……」
「紹介しますね。アサシンさんです」
「ア、アサ……」
 凛は士郎とセイバーから聞いていた聖杯戦争でのサーヴァントのアサシンのことを
思い出す。
 彼女自身は会った事はないので何とも言えないが、二人の証言によると侍だと聞い
ていたのだが、目の前にいるそれは明らかに違った。
 むしろこっちの方が普通にアサシンに思えた。
「大分前でしたか、日課の柳洞寺に丑の刻参りに行った時に山門の隅に蠢いていたの
を拾ったんですよ」
「桜殿は命の恩人です」
 そんな凛の混乱を無視して二人は和気藹々と話を続ける。
「アサシンさんは好き嫌いがなくてイナゴや蜂の子なんか全て綺麗に平らげて見てい
て気持ちよかったです」
「あのマツケムシというのは非常に旨かった。舌ざわり良く、まろやかでしゃっきり
ぽんとまさに珍味」
「いや、その食べられる虫談義はいいから……」
 なにがしゃっきりぽんだという顔をして凛は無理矢理話を戻させる。
「偽りのアサシン分しか魔力がなくて困っていたのですが、桜殿はそれはもう凄い魔
力の持ち主で……」
「それで契約したってわけね」
「その頃にはもう邪魔も――もといライダーいませんでしたし」
 ニッコリと微笑む桜はかつての桜の笑顔だった。
 格好はかつてと大違いだが。
「そんなわけで、アイドルを目指すことにしたんです」
「どこがそんなわけよっ! 全然話が繋がってないじゃないっ!」
「えへへっ。アイドルになったら先輩も振り向いてくれるかなぁって」
「振り向かないっ! それ距離が更に離れるだけだって!」
「ふふふ、わたしが人気者になるのを妬んだってそうはいきませんよ」
「ウチの桜は国民的アイドルになるのです。ですからこそ胡散臭い親類縁者やら友人
知人などとの付き合いは避けなくてはなりません」
 アサシンとやらは、しっしっと手で凛を追い払う仕草をする。
「ウフフフフ、では遠坂先輩。そういうことですので」
 桜は笑って凛の前から去っていく。
 黒いローブの髑髏男もマネージャー宜しくその後をとたとたとついて行く。
「何なのよ、一体……」
 その後凛は桜が週刊蟲マガジンの表紙を飾ったということを風の噂で聞いたが、勿
論雑誌そのものを見ることはなかった。何でも淫虫 ( いんちゅう ) の間では人気雑誌なのだそうだ。
やだなあそんな雑誌と凛は思ったが口には出さなかった。


「アサシンがいた?」
「ええ」
 一応聖杯戦争の関係者としてその事だけは相談した方がいいかと思い、凛はイリヤ
の元に赴く。
「ふーん」
「いいの?」
「別にいいんじゃない」
 イリヤはそう言い捨ててアサシンから手渡されていた名刺を詰まらなそうに眺めた
後、放り捨てる。
「今更どうということもないでしょ。何か企んでいるわけじゃなし」
「あれはあれで企んでいるような気もするけど」
 あの桜をアイドルにしようというのは正気の沙汰じゃないが、それは一応企みと言
えなくもない。
「せいぜいインディーズビデオの女優あたりが関の山でしょ」
「イリヤ、桜がアイドル目指してるって知ってたの?」
「だってこの名刺に何か書いてあるじゃない」
 畳の上に捨てられた名刺の彼の肩書きを覗き込むと、『間桐桜アイドルプロジェク
ト代表』になっていたことに初めて気づいた。
「サクラが、どうしたらシロウの気が惹けるかって聞くから」
「アンタの差し金かっ!」
 イリヤも桜より凛の側の人間だった。ホムンクルスが人間か否かという論議はさて
おくが。
「リン、煩い」
「うるさって……まあいいわ。それより、何してるのよアンタ」
 部屋に入って来た時から気になっていたことを凛は尋ねた。
 イリヤは客間の一角を占拠し、可愛くないキノコに目と手足の付いたぬいぐるみを
大量に部屋の隅に山積みにしていた。
「たいしたことじゃないわ。ちょっと暇だから英霊の召還でもしてみようかなって」
「しょ、召還ってアンタ。もう聖杯戦争も終わったのにそんなことを出来る筈が……」
「んー、ほら、わたし聖杯だし。その力で復活の儀式を行なおうと思って」
「復活って……まさかバー

「そう! わたしのメインシナリオ!」

 サー…って。え?」
「二度も言わせないで」
「あー、えー」
 凛は設定的にどうかと思ったが今更設定だのなんだのと持ち出したところで、この
話の流れが変わるとも思えずに結局口をつぐむ。
「で……何を召還するつもりなの」
「ライターの英霊 ( 奈須○のこ ) を」
「ふーん」
 何でこんなぬいぐるみを山ほど用意しているのかわかった気がした。
「因みにこれはタイガから貰ったの」
「あそ」
「何でもゲームセンターの店員が泣いて貢いできたんだって」
「別に詳細は知りたくないわ」
「見てなさいよ。この英霊なら100%わたしが勝者になれるんだから」
 なんたって世界的に一番の力を持つ神なんだからと胸を張るイリヤに凛は、サング
ラスの奥で憐憫の籠った眼差しを向ける。まあせいぜい頑張りなさいな、仮に出来た
らこっちはソフ倫の神でも呼んであげるからとか思いながら。
「いけません、イリヤスフィール様」
「セラ、また邪魔しにきたの」
 セラを見るイリヤの眼は冷たい。
 隣に控えるリーゼリットはそんな二人の間で平然とお茶を啜っていた。
「たとえそのようなものが召還できたとしても、相手は邪神。あの『弓塚の悲劇』を
お忘れになったわけではないでしょう」
「あんな三下と私を一緒にしないで」
「ですが……」
「フン。どーせセラも士郎を狙ってるんでしょう。そんな貴女の言葉なんて聞けない
わ」
「お情けなきお言葉を。このセラ、いつだってお嬢様のことを……」
「昨日セラ、お腹を撫でて、産婦人科行ってた」
 リーゼリットは一言余計な口出しをすると、再びお茶を啜る。
「……」
「……」
「既成事実?」
 リーゼリットの声だけが乾いた空気の中、やけに響く。
「セラ?」
「何でございましょう、イリヤスフィール様」
 イリヤの凍った声の呼びかけにも、顔色一つ変えずにセラは応じる。
「そろそろ要らないものは処分してもいい頃だと思うの」
「はて、なんのことでしょう」
「いい度胸してるわね」
「お嬢様からお褒めに預か……
「えーいっ!」
 セラに最後まで言わせずに、イリヤは瞬時にして体中から組み込んでいた魔術回路
を浮き出させ、編み出した魔力の塊を彼女に叩き込む。
 直後、大音声と共に客間一体が閃光と爆風に包まれる。
「イリヤ! アンタ、直撃させたの!?」
 自分自身と客間をそれぞれ咄嗟にシールドした凛は、巻き上がる煙に顔をしかめな
がらも状況を確認しようとサングラスを少しずらして目を凝らす。
「ちが……違う……貴女、誰?」
 イリヤは表情を一変させて、自ら魔術をぶち当てた相手を呆然と見つめる。

 煙から最初に突き出されたのは、翳された手。
 そして徐々に全身が浮き上がってくる。
 そこにいたのはイリヤの教育係のセラではなく、左目の下の黒子が似合う小柄では
あるが無駄の無い体躯の女性だった。
「ふむ。偽装もこれまでか」
「貴女、誰よ!」
 真っ先にイリヤが咆えたが、その女性は平然とした表情を作って首を横に向けた。
「アインツベルンの者に名乗る名前などない」
「き―――っ!」
「で、誰?」
「遠坂も一緒だ!」
「彼女はバゼット」
「「え?」」
 答えたのは、板を突き破った天井に首だけでぶら下がっているリーゼリットだった。
 無論彼女はそんな趣味があるわけではなく、さっきのイリヤの攻撃の爆風で吹き飛
ばされた結果だった。声はすれど、顔は見えずの状態なのに誰よりも自体を把握して
いるように見える。
「リーゼリット、貴様」
「バレたら、約束無効」
「くっ……」
 首から下だけ見せてだらんと垂れ下がっているリーゼリットの姿は大層不気味だっ
たが、誰もそこには突っ込みは入れなかった。首一つでぶら下がっているので、首吊
りと変わらない状態であるのにだ。
「ちょっとどういうことよ!」
 苛立った凛が咆えるが、そのパゼットと呼ばれた女は肩を竦めただけだった。
「なに、一杯食わされた綺礼に一矢報いる為に仮装法術を駆使しただけだ」
 何でも、彼女はランサーのマスターとして聖杯戦争に参加する筈だったのが、呼び
出された綺礼に「UFOだ」と指差した先を見た瞬間にバッサリと斬りかかられ、片
腕を失って逃げ延びたのだそうだ。
「うわ、アンタ馬鹿でしょ?」
 凛の一言にこの場にいる全員が同意する。
「む。同じ手に引っ掛かったお前に言われたくないぞ」
「なっ……」
 絶句する。
 士郎とセイバーが教会に足止めされていた時、彼らの不在中に綺礼によってイリヤ
を奪われた凛だったが、彼女もまたやってきた綺礼の「見ろ、飛行機だ」と指差した
先を見た瞬間に襲われたのだった。
「あ、あの瞬間は誰にも見られなかった筈よっ!」
 連れ去られる時のイリヤは寝ていたし、駆けつけた士郎達には精一杯格好つけて見
せたのでそんなドジは知られる事はなかった筈だったが、見られていたらしい。
「聞けばお前の父親もそうだったと聞く。父娘二代で同じ相手に同じ手で引っ掛かっ
た遠坂家に比べれば、私なぞそんなそんな……」
「ムキー!」
 彼女の父も前回の聖杯戦争で綺礼の「鳥だ」の一言でやられたらしい。
「まあ、魔術師が総じて馬鹿だということは別にいいとして……」
 真っ赤になって肩を怒らせる凛を無視してイリヤはパゼットの前に出る。
「本物のセラはどうしたの?」
「ああ、アイツか。アイツは今も……」
「今も?」
「城の物置小屋で簀巻きになってるんじゃないか」
「そんな……ひ、酷いことを!」
「いや、問答無用で攻撃魔術ぶつけたアンタが言う資格ないし」
 凛のツッコミをイリヤは黙殺して、天井のリーゼリットを睨みつける。
「リーゼ、どうしてわたしに今の今まで黙ってたっていうの!」
「ごめん」
 その一言で済ますリーゼリット。
 突き破った衝撃によって彼女は未だに首を支点にブラブラ左右に体を揺らしていた。
「ちょっとイリヤ。アンタだって気付かなかったんでしょう? 人のこと言える……」
「元々はそっちの女と入れ替わるつもりだったのだ」
「え?」
 親指で天井を指差すパゼット。
「だが、そいつが「入れ替わるならセラの方がいい」と言う。確かにそのボケ属性は
なかなか真似できん。下手にやればすぐボロが出るしな」
「リーゼリット」
「不幸な事故」
 天井板ごしに答えるリーゼリット。
「いやそれ事故じゃない」
「まあ落ち着け。茶でも飲もう」
 イリヤがツッコムと、パゼットが取り成す。
「あんたが言うな!」
「わたし、羊羹、お願い」
 凛が怒鳴ると、リーゼリットがボケた。
「アンタが準備しなさい!」
「おーい、シロウ」
「リーゼリット」
「直ちに」
 苛立ったイリヤが光球を作ると、彼女は漸く両手を使って首を天井板から抜いて飛
び降り、そのまま出て行った。
「で、そのシロウはどうしたの? 今朝から見てないけど」
「〜♪」
「凛?」
 あからさまに顔を横に向けて、口笛を吹く凛に疑惑の目を向ける。
「彼は部屋で引篭もり中だ」
 代わってバゼットが答えた。
「リン、一体何をしたのよ」
「わたし? わたしは別に士郎には何もしてないわよ」
 わたしは潔白ですという顔をして平然と答えた。
「嘘!」
「嘘じゃないわよ」
「嘘じゃない」
「え?」
 顔を上げるとリーゼリットが人数分のお茶とお茶菓子を乗せた盆を持って戻ってき
ていた。
「それってどういう……」
「リンは、彼に、何もしていない」
「ぐっ……」
「どういうこと?」
「ただミツヅリの髪型、変えさせただけ。後ろにこう、リボンで」
「何でも士郎が一番好きだった髪型を教えてやるとか」
 二人の証言を元に、イリヤは頭の中で絵を作ってみる。
 ポニーにして編んでぐるりと巻きつけるその髪型をしていたのは確か、綺麗な金髪
をしていた筈だった。
「……リン」
「う、嘘は言ってないわよ!」
「俺は裏切り者だ、そう泣き叫んで部屋に籠もり今に至っている」
「さすがは、あかいあくま」
「ち、違うのよ。あくまであれは好意で!」
 そんな女じゃないのよーと訴えるが、勿論誰一人信じない。
「それで、その頬になったわけね」
「ちょっ……」
 イリヤが凛のサングラスを奪う。彼女の右目には青あざがくっきりと残っていた。
 運動部のパンチは重い。
「それとあれもそのせいね」
 イリヤが庭を指差す。
 ここから直接は見えないが、何のことかは全員知っているようだった。
 庭の一際大きい樹木に括り付けられた小さな人形。
 その人形は弓矢の的として、針鼠状態になっていた。
 ここぞという時の集中力は流石は武道を嗜む者らしい。

「それで、どうするの?」
 凛が問いかける。
 重くなる空気。
 ほぼ同時に
「「「この隙に士―――

 ピシリ。
 割れるような音。
 空気がひび割れていく。

「リン。貴方にはアーチャー君がいるでしょ?」
 イリヤが凛に軽いジャブ。
「イリヤスフィール。生後間もないお前に色事は無理だ」
 そのイリヤにパゼットがローブロー。
「アンタも聖杯戦争でもさっさと退場したんだから今回もとっとと消えないさいよ」
 凛も負けじとパゼットにミドルキックをかましてくる。

「成り行きに流されただけで特に愛してもいないくせにっ」
「好きの一言で渡り合えると思ったら大間違いよっ」
「判るまい。出番すら与えられなかった者の立場を。関わりあうことの大事さをっ」
 空気が膨れ上がる。
 熱量が上がる。
 リーゼリットが手付かずの人数分の羊羹を頬張る。
 一気に戦場になった。


 その頃、
「間桐桜です! 新曲、聴いてください!」
 蓑虫をイメージしたというステージ衣装は富永一○画の鈴○義司の服装に似ていた
がもちろん淫虫にはわからないので大喜び。粘液を吐き出しつつうねうねと身を捻ら
せ、桜の一挙手一投足を追う。
 ステージの幕の陰ではアサシンがカクテル光線を浴びている桜を眩しげに見つめて
いた。
 ステージにいる彼女の笑顔はアイドルとしての媚を含んだものではなく、純粋な輝
きからきているとアサシンには確信できていた。
 死んだら楽園に行けると薬や暗示でキメられ、人を殺して死ぬことしかできないで
いたアサシンは、必要悪として存在を認められながらも、忌み嫌われてきた桜を自分
とどこか重ね合わせて見ることで、利害や怨讐抜きで接してきていた。
 地方へのドサ周り。寂れたデパート屋上での即席コンサート。お偉いさんへのおさ
わり接待と辛い日々だった。今日も海外からのスーパーアイドルの前座ではあったが
晴れの舞台には変わりが無い。
「頑張れ、桜!」
 アサシンは手に汗を握りながら声援を送る。
「あい 会い あい 愛 あい I あいの風〜♪」
 そのアサシンの思いを知ってて知らずか桜は顔を紅潮させながら歌い続ける。
 あの自分が今、こうしてここにいることがまるで嘘のようだった。
 どんな不細工にも集る淫虫たちもが自分には見向きもしなかった、あの間桐の頃の
自分を思うと目の前の光景が信じられなかった。
 これだけの観衆の目が自分に注がれている。
 興奮せずにはいられない。
 ミヤマクワガタへのご機嫌取りも、センチコガネのセクハラにも、オナガアゲハの
新人虐めにも耐え、苦労に苦労を重ねてここまで伸し上がって来た。この機会にメイ
ンのヘラクレスオオカブトムシのファンの心も射止めてみせると誓っていた。
「喧嘩を止めて〜 二人を止めて〜 わたしの為に〜 争わないで〜」
 紫色の泡を吹いて痙攣し出す色とりどりの虫達。
 コンサートは大盛況を迎えていた。


「その、ごめん……」
 襖一枚隔てただけの距離。
 声は勿論、中にいる相手の気配さえも感じ取れる距離なのに、その言葉は果てしな
く遠いと綾子は感じていた。
 開けたい。
 中に入って飛び込みたい。
 襟首捕まえて問いただしたい。
 そう思いながらできないでいる。
 こんなにも臆病だったのかと、自分でも驚くほどに足が竦んでいた。
「士郎……」
 泣き出したくなる。
 情けなくてたまらない。
 マウントでボコった凛の自白から事の次第は聞いている。
 死に別れた昔の彼女という存在は綾子にとって衝撃だった。
 取り乱したのも分からなくも無い。
 彼を責める気持ちになんかなれなかった。
 そんな今だからこそ助けたい。勇気付けたい。励ましたい。
 そう思っているのに、体が動かない。
 襖一枚開けられない自分の弱さに愕然とする。
「俺、混乱しちゃってて……」
 士郎の謝罪の言葉。
 謝らなくていい。
 聞きたいのはそんな言葉じゃない。
 違う。
 あたしが欲しいのはそんなのじゃない。
 叫びたいのに、声さえもろくに出ない。
「あたしは……」
 しわがれた声。
「あ……」

 泣いている。
 あたし、泣いている。
 情けない。
 弱い。
 どうしてこんなにも弱くなってしまったのだろう。

 失うことの怖さ……それはこんなにも人を弱くするのだと綾子は知った。
 抱きしめて欲しい。
 慰めて欲しい。
 何でもないって言って欲しい。
 笑っていて欲しい。
 傍に、ずっと傍にいて欲しい。

「あ、あぁ……」

 涙が止まらなくなる。
 助けたいのに、助けられたがってる。
 彼を労わることもできず、自分が慰められたがってる。

「あたし……なんか、駄目だ……」

 襖一枚の距離。
 三四歩しか離れていないだろうその距離が遠ざかっていく。
 捕まえたい。
 離したくない。
 そんな感情だけが頭の中を馬鹿みたいに繰り返されていく。

「士郎……、あたしっ! きゃっ―――!?」
「な―――っ」

 膨らみ過ぎた感情が爆発する瞬間、本当に爆発が起きた。

「くたばりなさい!」
 パゼットの鋼鉄の義手による手刀を掻い潜り、凛がゼリービーンズに魔力を込めて
イリヤに放る。
「ふざけないで!」
 イリヤはそれをかわそうともせず、全身から魔術回路を浮き出させてそれを防ぐと
パゼットに向けて編み上げていた魔術を放つ。
「はっ、アインツベルンの魔力はこの程度かい」
 既に回避行動に移っていたパゼットが嘲笑する。
「聖杯戦争前に退場した分際でっ」
「煩いっ。だからこそ主人公を手に入れて返り咲こうというのだ!」
「エゴよ、それはっ!」
「そんなチョイ役修正してやるっ」
「なにを猪口才なっ」
「二人とも出て行けーっ!」
 殺傷力こそ抑えているものの、三つの魔術が重なって周囲のものを悉く粉砕してい
く。
 崩れ落ちる天井。
 砕ける剣。
 ひび割れる壁。
 折れ曲がる槍。
 穴だらけになる床。
 吹き飛んでいく斧。
 火柱が上がる地平線。
 雨あられと降り注ぐ矢。
 抉られる地面。
 夕焼けの光を刃に反射させる野太刀。
「え?」
「あれ?」
「なに?」
 動きの止まる三人。
 衛宮家で戦っていた筈なのに、気が付けば見覚えの無い荒野に立っていた。
 見渡す限り、剣剣剣。
 さながら墓場のように、ありとあらゆる剣が地面に突き刺さっていた。
「こ、ここは……」

「「もういいのか?」」

 重なり合う二つの声。
 慌てて振り返ると、そこには悪鬼羅刹と化した士郎と綾子がいたりした。
「――――南無八幡大菩薩。願わくはあの女狐に射させてたばせ給へ」
 綾子の持つ、太陽の炎と光の篭った鏃と翼を持った矢をつがえた神弓サルンガは凛
の額に向けられ、
「――――投影 ( トレース ) 開始 ( オン ) 」
 士郎の両手の干将・莫耶の夫婦剣がそれぞれパゼットとイリヤに向けられていた。


「「いくぞ3馬鹿――――魔力の貯蔵は十分か」」


「ちょ……待ちなさいよ、士郎!」
「そうよ! 3馬鹿だなんて一緒にしないでっ」
「まあ待て! こちらに敵対する意思は無い。話し合おう」


「美綴、何か聞こえたかな?」
 小首を傾げる士郎。
「いいや、衛宮。あたしには何も」
 肩を竦める綾子。
 二人とも体中がボロボロになっていたが、疲弊しているようには見えなかった。
「じゃあやることは一つだな、綾子」
「そうね士郎」
 ニッコリと笑いあってから、改めて三人を見下ろした。


「「レスト・イン・ピース ( 安らかに眠れ ) 」」


 その後、冬木教会に三人の包帯で全身を巻かれた患者が運ばれたり、電話で桜から
コンサートの成功が伝えられたり、家の登記がリーゼリットのものになりかけていた
り、「貴様ら乱暴女共に衛宮を娶いし資格などないわ! 離れろ、俺の衛宮が穢れる
!」と盗聴器片手に一成が飛び込んできた一幕もあったが、無事に二人はこの難関を
乗り越えた。
「俺がだらしないヤツだったから……」
「あたしもその勇気が無くてごめん」
 家は半壊。
 リーゼリットは首だけ天井に突き刺さり、一成は二人の足元にボロ雑巾となって倒
れていたが、二人にはもう何も見えなかった。

「その、士郎はあたしのこと……」
「今の俺にはお前だけだ」
「……」
「泣くなよ」
「……うん」
 寄り添いあう二人。
 だが彼らは知らない。
 凛の薬の効果がそろそろ切れるということを。
 まだまだ愛する二人の前には難関が立ちはだかっているのだが、それはまた別の話。



「あの、そろそろ、死にそうなのですが……」
 一方、城の隅っこに今もなお転がされたままのセラは、ますます人間不信に磨きが
かかっていた。




                          <おしまい>