恋する桜は切なくて先輩どいてそいつ殺せない
このSSは『メイド来たらば、春遠からじ』の続編に位置づいております。
 登場人物紹介

衛宮士郎   故伊東正義氏の味方として旧社会党と元反大平派を憎む時代遅れ。
セイバー   未練なんて無いと言われ、電柱の陰から出損ねて以来放浪の旅に。
美綴綾子   遠坂凛により同キャラは二人要らないと存在を抹消されかける。
遠坂凛    ドジっ子。士郎ちゃま、凛のこと見捨てないでと縋るも袖にされる。
イリヤ    型月幼女党三代目党首。庇護路線を捨て、小悪魔路線で打って出る。
間桐桜    担当者がいないので現在はコメントを差し控えさせていただきます。
セラ     イリヤのお目付け役なのかリズのツッコミ役なのか悩む美乳の日々。
リーゼリット 楽しければそれで幸せ。弄るの大好き。人とか人の尊厳とか。
藤村大河   その旺盛なる食欲で世界を三度救ったとされる今世紀最大の救世主。


 間桐桜は不遇な少女である。

「士郎。あたしさあ、家で煮物作ってみたんだけど……」
「へぇ、どれどれ……」
「ちょっと待ってて。うし、あーん」
「う、そ、それは……」
「あははは、照れるな照れるな」
「いや、お前の方が真っ赤だぞ」
「あははははは。いいから、食え食え」
「………」
 目の前で、思い人にいちゃつかれているぐらいには不遇だった。
「うん。美味い」
「そうか? 士郎ってお世辞とか言わないよな」
「ああ。これ、昨日から仕上げたんだろ。味がいい感じに出てるし」
「よーし。また一歩近づけたかな」
「む、綾子。それは俺に対する言葉か」
「勿論。見てろよ、この一年の間に必ず士郎の腕前に並んで見せるからな」
「ほほう、それは今朝のこの俺の料理を前にしても言えるかな?」
「うっ……こ、これは」
「ふふふ。綾子の好物を今日は揃えてみたぞ」
「だいどころであそんでないでくださいせんぱいとみつづりしゅしょう」
「あ、桜」
「桜か。おはよう」
 桜は美綴が台所にやってきた時からいたし、士郎に至ってはそれまでは桜と一緒に
料理をしていたというのにこの反応だった。

 美綴綾子と衛宮士郎。
 この二人がくっついたのはごく最近のことだった。
 本来くっつく筈のない二人がくっついたのは理由がある。

「ふふ、無欲の勝利の前に負けたってところね」
「策士策に溺れるとはまさにこのことだな、凛」
 部活の朝練もないくせに衛宮家に来ている遠坂凛を桜はその極限まで尖らせた目で
睨むが、彼女は平然として何故か左手に填めた人形と語り合っていた。
「何の役にも立たないどころか、とんでもない真似までしくさった遠坂先輩。今朝は
何の御用ですか?」
「ん? ああ、今日はちょっと早起きしちゃってね。することもないし、折角だから
と思って寄ってみたの」
「それにだな、どうやらその口ぶりから凛を責めているようだが君たちが凛に頼んだ
のはあの間抜け面の男からメイドを引き離すことだったのだろう? ならば頼み事は
果たされている。その後の展開に関してはこちらの知ったことではない」
「……」
 目で人が殺せたら、きっと今の桜は大量虐殺者になれただろう。
 だが、その瞳は凛一人もビクともさせない。小さな子なら泣いて逃げるが。
「それに冒頭の不人気の理由だが、君にも責任はある。君の出演するギャグストーリ
ーはその悉くが黒い性格をしている。もっと愛らしく振る舞ったらどうだね」
「余計なお世話です」
「あーっ! 何するのよっ」
「あら、御免なさい。遠坂先輩。手元が狂っちゃいまして」
 先ほど握り潰していたトマトをその赤い衣装を着た白髪の人形の頭に丁寧に擦りつ
ける。まるで頭から血を流しているかのように。
「―――フッ。凛、見ておけ。図星を突かれると人はこうも醜く変わり果てる」
「結構余裕あるじゃないですか」

 聖杯戦争が終わり、セイバーが帰還した後の士郎の心の隙間を埋めたのは、イリヤ
と呼ばれる少女に傅く二人のメイドだった。
 彼女達の手によっておっぱい星人にされた士郎を救うべく立ち向かった桜と藤ねえ
はそれぞれ返り討ちに合い、胸の勝負では勝てないと悟った二人は胸以外の勝負に持
ち込むべく凛に頼ったのだ。
 だがそれが大誤算だった。
 自分の魅力だけでは到底太刀打ちできないと悟った凛は、事もあろうか惚れ薬とい
う実にベタで尚且つ成功率の低い手段に訴え、ものの見事に失敗したのである。
 その結果が、薬によって美綴に惚れてしまった士郎であり、その士郎の口説きに陥
落した美綴であった。
 立場はそれぞれ違えど、彼女と彼以外の者の思いは一つだった。


 なんてこったい。


「それじゃあ士郎、また後でな」
「おう。気をつけて行ってこい」
「先輩、わたしもいるんですけど……」
「ああ。桜もまあ頑張れよ」
「……格段な扱い、桜はとても嬉しく思います」
 美綴と桜が揃って家を出る。
 藤ねえはそれよりも先に学校に向かっていたので、家に残ったのは士郎一人であっ
た。
「いや、わたし達もいるんだけど」
「……全くです」
「シロウ、おかわり」
「リズ。それキャラが被るわよ」
「じゃあ凛。お代わり」
「自分でよそえっ! というか、いつまで俺の家にいる気だお前等」
 もとい、同級生一人にお隣の居候一人にメイド二人もまだいたりする。
「何言ってるの、シロウと私は許婚じゃない」
「しれっと嘘を言うなイリヤ」
「キリツグが果たさなかったのだからシロウが果たすのが義務じゃない!」
 親の借金は子供が払うのが当然だという口ぶりでイリヤが咆える。
 親子関係であって許婚関係ではなかった筈だと士郎は心の中で反論する。
「それに、その為に手付け金代わりにセラとリズをつけたのよ」
「はあ?」
「全くです」
「です」
 平然とした顔を並べてイリヤの言葉に頷くメイドズ。
「この二人は私の財産の一部なんだから、それに手を付けた以上シロウは私のものな
んだよ」
「だからこそあんなことやこんなことができたのです」
「そっ……」
「そうだったのかー。あぅち」
 士郎より先にリーゼリットが抑揚のない声で驚いて見せ、ほぼ同時にセラにしばか
れる。
「いや、そんな勝手な言い分があるか。いいか、俺はだな」
「士郎」
 今の今まで黙っていた凛が口を開く。
「遠坂、ちょっと黙っていてくれ」
「いいから! 自分の胸に手を当ててみて」
「だから、ちょ―――」
「その誰かを好きって気持ちは本当に貴方の感情なの?」
「何を馬鹿なことを……」
 言っているんだと続けるつもりだったが、遠坂の表情が真剣だったので言いよどむ。
「大体、アイツのどこが好きになったの? 何時頃? どんなきっかけで? 何がそ
う好きって感情に結びつけたの?」
「う……そんなのは遠坂には……」
「よく考えてみて」
「う……」
 凛の剣幕に怯む士郎。
「い、い、いいんだよっ! 俺は美綴を好きにならなくちゃいけないっ……あれ?」
「ふふふ。いつも自分に都合の悪いことは考えたくない貴方の性格は、聖杯戦争中に
察知済みよ」
「……ってない」
 胸を張って勝ち誇る凛に対し、士郎は俯いて何かを堪えるように打ち震える。
「所詮は薬による盲動的な洗脳からの植えつけられただけの感情。自分の考えでもな
いことなんだから、そう……きゃっ!?」
 凛に向けて、急にテーブルを薙ぎ倒す士郎。
「ちょっ……」
「間違ってない!」
 そして逆切れ十代の迸る暴力行動の勢いそのままに、ヌイと凛の前に出る士郎。
「まっ……」
 そのまま彼女を壁際に追い詰めると、
「この思いは間違ってなんかいないんだからっ!」
 その両肩に手を当てて脅迫するように絶叫する。
 聞く耳持たず能力全開だった。
「はい、はい。そこまでー」
「失礼します」
「あぐっ!?」
 冷ややかに割って入ったイリヤの声と共に、音もなく側に控えていた二人のメイド
が士郎の頭をそれぞれ手にしたハンマーで叩きつける。
「はぁ……はぁ……全く、手間かけさせる」
 意識を失ってぐったりと沈んでいく士郎を見ながら、凛は額に浮かんだ汗を拭う。
「諸悪の根源であるリンがそれを言う資格はないと思うわ」
「全く、お嬢様の言う通りです」
「ふ、ふんっ。元はと言えばアンタ達がコイツを篭絡したのが始まりじゃない」
「自分の魅力では勝てないからって薬の力を借りといてよくもまあ」
「体足りない、仕方がない」
「仕方なくなんかないっ!」
「フン。まあ、胸も足りなきゃ知恵も足りないリンはどっか行ってなさい。シロウの
治療は私たちでやるから」
「そっちこそ待ちなさいよ! アンタ達に任せたりしたらそれこそ士郎は廃人か意思
のない人形になっちゃうじゃないのっ」
「そんなことはありません。知恵貧しい娘よ」
「無理矢理韻を踏むなぁぁぁぁぁぁ――――――っ」
「気にしない気にしない、一休み一休み」
「全く、大声ばっかりあげちゃって。はしたないにも程があるわね」
「彼女は淑女じゃありませんから」
「えろえろ」
「アンタ達……」
「で、最後は暴力に訴えようとするわけです」
「全くもう見てられない。セラ、シロウを運ぶの手伝って頂戴。リズ。貴女はリンを
宥めておいて」
「はい、わかりました」
「わかった」
「勝手に……」
「カルシウム不足。小魚、食べる」
「要らんわっ」


 一方その頃、美綴と桜は通学路を二人で歩いていた。
 並んで家を出たのにも関わらず美綴が前を、桜が少し離れた後ろを歩くような形に
なっていた。
 ここのところずっと浮かれっぱなしの美綴は上を、万年変わらず沈みっぱなしの桜
は下ばかり見ているのでお互いの距離に二人は気づいていない。
「桜、今日はいつになくご機嫌斜めだな」
「え、こ、この声は……兄さん!?」
 そんな桜に不意に慎二が声を掛けてきた。
「おう。兄さんだ」
「ど、どうして……」
 慌てるのも無理はない。
 彼女の兄である間桐慎二は行方不明になっていた。
 彼の死を知る士郎達はその事実を桜に伏せていたが、桜は桜で士郎達に慎二や自分
達のことを隠していて、事の顛末もおおよそのことは知っていた。
「どうしてもお前のことが心配になってな。ちょっと様子を見に来たんだ」
「そう……ですか……」
 いつにも増して明るい口調の慎二に対して、桜は沈んだ対応しか出来ない。
 それでも今日の慎二は癇癪を起こすでもなく、機嫌よく桜を励ましていた。
「そう萎れるな。状況はわかってる。だがまだ終わったわけではないぞ」
「え?」
「まず目障りな美綴は拉致っちゃえ☆」
「拉致っちゃ駄目ぇぇぇぇぇぇぇ――――――――っ!」
「そうか?」
「そうですっ」
 久々に大声を出したせいで、肩で息をする桜。
「ウチにはいい感じのじめじめした地下室あるじゃん」
「あれはその……」
「そうだな……僕は立ち入り禁止だものな……フッ。とんだ道化さ」
「そ、そんな……」
「いいんだよ、桜。もう気にしちゃいない」
「だったら自分から振らないで下さい」
「む。いつの間にか強くなったな、桜」
「ええ。兄さんの死を乗り越えたらそこはかとなく肩の荷が下りて」
「えーい、このおませさんめ」
「えへ♪」
「……ら! 桜!」
「あれ?」
 桜が気がつくと、彼女の目の前には美綴の顔があった。
「桜!」
「え、あ、はい?」
 彼女は自分が美綴に何度も呼びかけられていたことに漸く気づく。
 勿論、慎二の姿などどこにもない。
「今日は家に帰って休め」
「え、あ、あの……」
「何も言うな。藤村先生にはよく言っておくから」
「で、でも授業が……」
「今のお前に一番大事なのは精神を落ち着かせることだ」
「あの…」
 空を見上げながらブツブツ言い出したかと思えば、落ち込んだりはしゃいだりして
見せたりしだして、いきなり奇声を発したりしては美綴でなくても、かなり引く。
「お前はまだその……」
 兄貴が失踪したショックが癒えていないんだとまでは流石に言えず、口籠る。
「あたしじゃ残念だけど、こういう事に関しては力にはなれそうにない。けれど、無
理するのがいいとも思わない」
 精一杯、桜を思いやっての言葉だったが勿論彼女には通じていなかった。
『これって余裕? 余裕の発言ですか? もう自分と先輩は相思相愛だから諦めろっ
て遠回りに勧告しているんですか? 太眉の癖にっ』
「とにかく、今日は帰って寝ろ。いいな。主将命令」
「うっ……」
 強く出られると反発できない性格である自分を呪いながら、桜は大人しく引き下が
ることにした。
 美綴が心配そうに見守る中、桜は来た道を重い足取りでゆっくりと引き返し始めた。
「……兄さん、わたし、悔しいです」
 肩を震わせつつ、泣きべそをかく桜は青空に浮かび上がる兄に呼びかける。
「フ、この兄さんに任せとけ」
 今日の兄は桜にとって今までに一度も見せないぐらいの優しさに満ちていた。
「やっぱり蟲攻めがいいでしょうか?」
「え? ああ拉致監禁か? 止めとけ止めとけ」
「でも兄さんがっ」
 言い出したことではないかと、抗議しかけるがまあまあと慎二は余裕たっぷりに妹
を宥める。生前、二人がこんな状態だったことは一度たりともない。
「束の間の春を謳歌させておけって。喜ばせておいて凹ませる快感をまだ桜は知らな
いだろ」
「……え、あ、はい」
「あれはいいぞう、桜。散々浮かれさせておいて絶望のどん底に落とすというのは。
もう射精もんだ」
「に、兄さんっ」
 思わず赤面する桜。
「はは、言葉が悪かったな。すまんすまん。でだ、桜は衛宮を手篭め―――じゃなか
った。篭絡したいんだろ?」
「そういう言い方は……」
「だったらうってつけのがあるじゃないか」
「え?」
「知らないのか、間桐家の秘術を」
「そんなこと、初耳、です……」
「そうか。爺さんはオマエに伝えてなかったのか。まあ魔術師として必要な知識とか
じゃないしな」
「そ、それって……」
「簡単に言えば、別にあれは遠坂家だけのもんじゃないってことだ」

 空に向かって一人語り続けていた桜だったが、幾度か頷いてニンマリと笑うと駆け
足で家に戻っていった。
 勿論、その足が向かう先は衛宮家ではなく間桐家である。

「おお、桜、今の今までどこに―――ふがっ!?」
 家に戻るや否や腐った何かを踏み潰しつつ、桜は書斎に向かう。
 歪んだ性格に半端な容姿であった慎二がもてた理由が、そこにある。
「兄さん! 桜は今、兄さんと本当の兄妹になれたような気がしますっ」
 感涙を流す場面かどうかはわからなかったが、腐肉を靴にこびり付かせながら何故
か十字を切る彼女は既にもう立派なマキリの娘になっていた。


「オッパイサイコー」
「……失敗しました」
「セラ。あんた、わざとやってない?」
 乳児の如くセラの乳房に吸い付く士郎と、聖母の様に抱きかかえるセラを交互に見
ながら、若干の怒りを込めて呟くイリヤ。
「下克上。いえーい」
「「リズッ!」」
 士郎の部屋でそんなことをやっている間、居間では、
「こ、これが桜と藤村先生を屠った……く、くぅぅ……」
 凛が四つんばいになって震えていた。
 頼みのアーチャー君は庭の物干し竿に他の洗濯物と一緒に吊るされているので、屈
辱に打ち震える彼女の言葉に反応するものはいなかった。


 数時間後。
 各々がそんな多様な日中を過ごしていたが、結局今日も昨日とさして変わらない夕
飯時を迎えていた。
「それで、士郎はあれからずっと寝てたってわけだ」
「……全く、申し訳ない」
 士郎に残っていた今日の記憶は何故か部屋でずっと熟睡していたものだった。
 部屋の時計を見て、下校時間になっていたのを知って愕然としたのだが、イリヤ達
も凛もいなかったので、どうすることもできなかった。夕食を見越して帰って来た彼
女達に聞いたところ、少し気分が悪いといって士郎が自ら横になったことになってい
た。
「まあ、いいけどさー。でも電話にも出ないから心配したぞ」
「すまん」
 文句を言いながらも、どこかホッとしたような表情を浮かべる美綴。
 二時間目からやってきた凛に士郎のことを問い質した時の形相は、凛にとって初め
て見るものであったが勿論彼女はそのことを口にしない。悔しいから。
「結局、元に戻すのが精一杯だったってわけ? あれだけ啖呵きっておきながらアイ
ンツベルンも大したことないわね」
 その代わりに存分な皮肉を込めてイリヤを揶揄する。
「煩いわね、リン。私は未来があるから焦らないことにしたのよ」
「胸の話か?」
「ムキ――――――ッ!」
「まあ落ち着け、おチビちゃん。幾ら食べた所で一朝一夕にはそう変わらんぞ」
「遠坂。食事中ぐらいはそれ外せよ。というか、いつまでいる気だ、お前等」
 凛の左手にはめ込まれた人形を相手にいきり立つイリヤと、わざとらしく肩を竦め
る凛に士郎が声をかける。
「なによ、まるで邪魔者みたいな言い方ね」
「いいえ、リン。貴女は邪魔そのものよ」
「……全くです」
「しつこい女、ダメ」
「俺はお前達にも言っているんだが」
 手馴れた手つきで箸を使うメイドに冷たい視線を向ける士郎だったが、当然の如く
無視された。揃ってマイ茶碗とマイ箸を持参しているところなど、居つく気満々のよ
うに誰の目にも思える。
 そんな一通りの光景を箸を口に咥えつつ見ていた美綴が軽く咳払いをすると、
「なあ、士郎」
「ん、どうした」
 顔を赤くして隣に座る士郎の方に体を寄せる。
「今日さ、その……」
 そのまま耳打ちをすると、士郎も赤くなって頷く。
「ああ、うん」
「内緒話は厳禁っ!」
 憤懣を全て目の前の食事にぶつけていた藤ねえが目敏く気づいて噛み付く。
「タイガ。ご飯粒飛ばさないで」
「きぃぃぃぃ―――っ! いつからここはひ■た荘になったのよ―――っ!」
「で、今のは何の話かしら」
「ば、莫迦っ。言ったら内緒話にならないだろうがっ」
「そ、そうだぞ。遠坂!」
「二人揃ってそんなに狼狽するような話なんだ。ふーん」
「くっ」
「意地でも聞きたくなっちゃったわね、リン」
「本当ね」
「だぁぁぁぁもう、何でもないったらないっ。人のこと詮索するなんて良くないぞ!」
「シロウのそれ、ちょっとワンパターン」
「咄嗟のリアクションが取れない人なのです。可愛いではありませんか」
「え? セラ?」
「母性本能に、目覚めたっぽい」
「申し訳ありません、お嬢様。セラは女である前に、母親であったようです」
 頬を赤らめて俯くセラ。
「いや、ばっちりアンタ他人」
 代わりに思い切り無表情にツッコム凛。
「し、士郎のお姉ちゃんの座は渡さないんだからっ!」
「だからご飯粒を飛ばさないでって」
「賑やかな食卓、いいですね」
「え? あ、あー、うん」
 いつの間にか背後に回っていたリーゼリットに同意を求められ、圧倒されながらも
頷く美綴。
 彼女の言う通り、その日は本当に賑やかな夕餉だった。
 騒ぎの中の誰一人として桜の不在を気づかないぐらいには。

「じゃあ、また明日ね」
「イリヤも気をつけて」
「浮気しちゃ駄目よ、シロウ」
「誰がだっ!」
「怖れながら、浮気は男の甲斐性です。イリヤスフィール様」
「……セラ、今晩はじっくり話しましょう」
「嫁姑戦争?」
「「違う」」
 すっかり暗くなった頃、最後まで家にいた藤ねえとイリヤとメイド二人を見送ると、
「さーて、寝る前に風呂にでも入るか」
 わざとらしく声をあげて、ゆっくりと浴室に向かった。


「あ……ああ……っ、あんっ」
 そこは左程広いとはいえない浴室。
 その特殊な閉鎖空間は、少女の声、息遣い、そして彼女の体から立てるあらゆる音
を増幅し、幾層にも重ねあって協奏する。
「んあ……っ、あっ! あぅ、ひぁぁっ……」
 小声でさえも浴室内に響き渡り、ぎちゃぢゃぷっと結合部分から掻き立てる音でさ
えも否応なく二人の耳に届かせる。
「はっ、あっ……はぁ……あっ あんっ んああっ」
 ぱしんぱしんと尻と腰がぶつかり合い、あうぅあうぅと苦しげな呻き声が木霊する。
 紅潮した汗塗れの肉塊が蠢いている。
 一度皆と家を出た後に戻ってきた美綴と、玄関の鍵をかけずに待ち続けた士郎。
 二人の関係は人目を気にしながらも、順調に伸展をし続けていく。
 士郎士郎と、彼女は自分の男を求め、綾子綾子と、彼は女の求めに応じる。
「あ、綾子……お、俺、もう……この、まま……」
「あ、え……ダメ、そ、外に……」
 揃って上り詰める最中に、齟齬が生じる。
 牡としての本能を忠実に推し進めようとする男と、世間と自分という存在を冷静に
捉えている女。
 その誤差が、妥協という形を押し破って破綻しようとしていた。
「ごめっ、も、止まらな……」
 留めようとするも、止まらない。
 女の熱さによって。
 自分自身の我侭によって。
 腰を掴んだ手は動かず、自由になる腰だけを振り続けながら、埋め尽くされる快楽
の渦に男は逃げ続ける。
「あっ、やっ、ダメっダメっ」
 逃れようとするも、止まらない。
 男の弱気によって。
 自分自身の本能によって。
 壁についた手は動かず、自由になる首から上だけを振り続けながら、押し流される
情欲の海に女は抗い続ける。
「くぁっ……」
「ダ……もう……」


「駄目ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――――っ!」


 浴室全体を震わす大音声。
 ガシャ――――ンと割れるドアガラス。
 飛び散るガラス片。
 そして転がり込んでくる桜。


「そんなの絶対に駄目です、先輩! 生来の不器用で調合が遅れましたが、わたしに
も作れたんです! あの薬!」
 ガラス片で傷つけた顔と体から血を流しながらも、桜は満面の笑みを浮かべて試験
管を掲げてみせる。
 そんな桜を待っていたのは、

 ど……ぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅぴゅ。

 本来聞こえる筈のない体内の奥に響く擬音と、粉々に砕けていた試験管と、
「……」
「……」
 とてもとても複雑な目をした士郎と美綴の視線だった。

「え、ええと……」
「……」
「……」
 とてもとても細く冷たくなっていく士郎と美綴の視線。
「ええと、外に出せばいいというのはエロゲの都合に合わせただけの間違った知識で
して……」
「桜。いいたいことは」
「それだけか?」
「ええと、なんでしたら第二ラウンドは3Pというのは?」
「……」
「……」
「てへ♪」



 ドン! ドン! ドン!



「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」



 凛達が、その日付けで鍵の掛かった土蔵が桜の家になったことを知ったのはその翌
朝のことであった。





                          <おしまい>