キャスターさんの平凡な一日
このSSは『鮒は生きろ。女狐も生きろ』の設定に基づいております。

『士郎、姉さん女房はいいぞ。痒いところに手が届く』


 夢を見ていた。
 今は亡き切嗣 ( オヤジ ) の夢。
 俺はまだ、あの人には近づけない。

 衛宮切嗣。
 十年前、俺を助けてくれた人で、俺をここまで育ててくれた人だった。
 その人は魔術師で、優男で、腐れ外道で、正義の味方という夢を俺に託して死んで
いった。
 いつかセイバーに改めて切嗣 ( オヤジ ) の事を聞いたことがある。
 その時は大変だった。
 寝る時でさえも実は貞操帯が手放せなかったのだと秘話を語るセイバーの目から今
までどんなことがあっても見ることのなかった筈の涙が。
 敵対するマスターの恋人を攫っては篭絡し、その様を当の相手に見せ付けたのだと
いう部分にまで話が及ぶと、俺の両目からとめどなく涙が。
 セイバーは不詳の父親を持っていたという真実を俺が知ったことによる涙だと勘違
いしたようなので、どうしてその場にいなかったのだろうと膝を叩いて悔しかった涙
だということは伏せておいた。
 外出から帰宅したキャスターには、俺たちが抱き合うようにして泣いていたことに
かなり驚かせてしまったが。
 切嗣 ( オヤジ ) も実は確り女泣かせなのではないかと思ったが、その際セイバーを女扱いして
いたのかどうか実のところかなり疑問なので、見解としては棚上げしておいた。
 何気に切嗣 ( オヤジ ) の趣味外っぽいし、本気で落とそうと思ったらセイバーなら落ちる気が
したからだ。
 まあ、火種を好んで抱える趣味は無い。
 それはキャスターとの寝物語程度に収めておいた。

 そんな切嗣 ( オヤジ ) の夢を見ることは最近珍しくない。
 やっぱり憧れであり目標として常日頃に意識していたからだろうか。
 それとも先日土蔵で見つけた女の名前だらけの住所録のせいだろうか。
 何か怨念だか淫欲だか漂っていて物神でも憑いてそうな程の代物だったし。
 危険そうなので、その時はとりあえずは懐に収めておいた。
 その後キャスターに見つかってビリビリに破られたが。


『優しい言葉は精液の一雫 腰より口を鍛えよう 笑顔は無料だし  きりつぐ』


 相田み○をっぽい筆文字が浮かぶというかなり微妙な夢見を残しながら、今日も目
を覚ます。
 時計を見るといつもよりも少し早いぐらいの時間だった。
「ん……」
 起き上がり、欠伸と共に背伸びをして、
「あ、痛たたた……」
 腰の辺りに鈍痛が走って、膝をついた。
「……」
 つい、主原因である横の布団の主を見る。
「すぴすぴすぴ」
 可愛らしいというには割と微妙な、それでも心地良さそうな寝息を立てて寝ている
その主は、青味掛かった髪と、透き通るように色の薄い肌に紫のネグリジェを身に纏
わせ、布団の中で体を丸めるようにしていた。
 昨晩はあれだけはっちゃけて下さった割には、そのまま惰眠を貪るのではなく着替
えて眠るのだから大したものだと思う。
 因みにその着ているネグリジェは、昨晩着ていた透け透けセクシー系のベビードー
ルとは違って普段着ているものだった。下着も替えているのだろう。昨日のは履いた
ままでもOKなパンティーだったので、流れ的にそのままだったし。
「う……」
 腰が鈍く痛んだ。
 馬鹿馬鹿馬鹿。俺の馬鹿。

 元コルキス王女メディア。
 聖杯戦争でキャスターとして敵対した彼女を、俺は父親から受けた薫陶通りに口八
丁で丸め込んだまでは良かったのだが、その後は何だか世話女房を持ったようになっ
てしまった。まあ美人だし、良妻賢母っぽいし、今のところはまあいいかなとか。
 そんな彼女が俺の部屋で布団を並べて寝ている理由はあまりない。
 ある日目覚めた時に初めてそうなっていた時はかなり驚いたものだ。セイバーが目
を釣り上げて抗議したのにも彼女は平然としたもので、自分がやったことではないか
ら多分「運命」だと言い切った時にはどうしようかと。
 竜牙兵を使って布団を運び込んだのだから確かに自身でやったことではないのかも
知れないが、その言い分はどうかと思う。
 案の定というかなんと言うか、セイバーは顔を真っ赤にして憤ったし。
 そこでじゃあ自分もと言い出せないところがセイバーの奥ゆかしさであり弱さなの
だろう。
 その言い争いの間はずっと布団を頭から被って、寝たふりを続けていた俺だったの
で結局どうなったのかは判らなかったが、キャスターが勝ったらしい。
 俺経由でセイバーに流す魔力を現界できるギリギリのところまで落としたのが勝因
のようだ。まるで重力を十倍にされたかのようにへたり込んだセイバーにはちょっと
気の毒だった。潰れたヒキガエルを想像して本当に御免。

 思えばセイバーにはいつも申し訳ないと思う。
 気高い王としての生き様を貫かせようとしながら、俺のものになって欲しいななん
て思ったりしたものだから、どうも半端なままの関係になってしまった。
 俺がセイバーに対して湧き出た感情の一つ一つはどれも真摯で真剣で本気で思った
ことだった。
 だからこそ誠実に向き合ったし、エゴがぶつかり合って衝突したこともあったけれ
ども、互いが互いを労わったりしながらも聖杯戦争と戦い続けられたのだ。
 思慕は遠坂。親愛は藤ねえ。慈愛は桜。
 でも情愛は彼女が初めてだった。
 俺の為にボロボロになってまで戦う彼女。
 国と人々の為に己を捨てた彼女。
 そんな彼女を強い憧れと、密かな妬みと、己の未熟からの後ろめたさに、驕った同
情とが綯い交ぜになって俺は彼女をいつしか特別にしてしまっていた。
 切嗣 ( オヤジ ) には、

『上手な妻帯の持ち方は、持った事すらすっかりと忘れてしまえる日々を送れるコト』

 と言われていたので一人の女性に執着するのはその教えに反していたのだが、仕方
がなかった。それだけ俺はセイバーに夢中になっていたのだ。
 だから初めて彼女を抱くことになった時は一緒にいた遠坂も慰めることなんか頭か
ら抜け落ちてしまったし、イリヤに唾つけとくのも忘れていた。元々桜は、誰かと同
時進行でないと思い込みの激しさから特別視される可能性があるのでその時までと手
控えていたのに、その時がきても何か機会を逸してしまった。
 とかなんとか言っても本当のところ、根が純朴一途な俺としてはそんなのは毎晩眠
る前にそんなことを思うだけで決して行動になんか移れなかったのだけれど。
 いいじゃん。健全な学生なんだから夢の中でだけ希望持ったってさあ。
 そんなそこらにありがちの青少年の情欲を満たすのは、化けの皮が剥がれた遠坂か
ら清らかな聖処女なセイバーに替わるのは当然だと思うんだけど、どうよ。

 初心と純情な二人の恋愛は、状況とか使命とか設定とかが立ちはだかって、どうも
上手く行きそうもなくなって困っていた時に現れたのがキャスターで、手解きとかう
けちゃったりしたらまあ、知識はあっても経験に乏しかった少年が溺れるのも無理は
ないと思う。セイバーへの思いとはまた別に。俺は間違ってなんかいない。

 そんなこんなで俺とセイバーとキャスターの三人で新生活を迎えていた。
 セイバーは不満を抱えながらも、生権与奪を当のキャスターに握られていて我慢と
忍従の日々を強いられている。
 キャスターは自分がセイバーの二番目である事を知りながらも、現在を幸せだと思
うことで、心の安らぎを得ようとしている。
 俺はそんな二人に対して、セイバーには心からの愛情と形ばかりの労りを、キャス
ターには流されるがままの欲情と真摯に向き合った営みを振りまいて、どっちにもそ
れなりに良い顔をし、時には優位な一方に荷担し、時には弱者に同情し、大体は知ら
ぬ気づかぬと空惚けて、上手い事生きることにしていた。伊達にこれまで桜のわたし
を抱いて先輩光線を回避し続けてはいない。
 ちょっと勿体無かったかなとも思うが切継の、

『他人の女に手を出す時は、社会的強者か脅迫者にならないと火傷するよ』

 との言葉を思い出す限り、今の自分ならまだしも当時の俺ならやはり自重したのは
正解だったのだろう。正義の味方は誰かの飼い犬になるわけにはいかないのだ。
 俺が鈍感少年として上手く立ち回るのでセイバーの目はキャスターに、キャスター
の目はセイバーに向かうことになる。
 セイバーがいつも通り飯を食べれば、キャスターは「働かざるもの……なんでした
っけ?」とか俺に向けてセイバーに聞こえるように言ってみたり、セイバーが働くア
テも無く途方にくれていると、キャスターは「生活費の足しに」とこれ見よがしに大
金を俺に手渡したり、セイバーがせめて家の事だけでもと掃除をすれば、障子の桟を
指でなぞって指先の汚れを「あら、これは何?」とか姑ごっこをやったりと、なかな
か大変な事になっていた。
 最初は悉く凹んでいたセイバーだったが最近では、付け入る隙をなくすぐらいに頑
張ってきている。キャスターも本気で追い詰めると俺に嫌われると恐れているのと、
好きな子を虐めるという部分があったこともあってか、セイバーが気づかないように
陰で彼女を支援していたりもしていた。今では食事以外の家事はセイバーが担当して
いる。
 俺が学校に行っている間のキャスターは、竜牙兵を動員して増築した俺の家の地下
室に工房を作って引き篭もっている。そこで研究をしたり、売り物を作ったりしてい
るらしい。因みに売り物は遠坂経由で行われていて、現在では手に入り難いものを魔
術師に二人で売りさばいているのだそうだ。遠坂が未だにウチに来るのはそのせいだ
ろう。どれだけ吹っかけているのかは生活費の足しにと称して毎月家に収める金額の
多さが物語っている。遠坂の手持ちの宝石の量が倍増しているのも裏付けていた。
 そんなキャスターの趣味は模型作りらしく、先日は姫路城を作っていた。その前は
彦根城で、当面の目標は全シリーズ制覇なのだそうだ。でもシンナー臭は少々困る。
 セイバーは剣を振り回すしか趣味が無いのかとからかわれて以来、アクチュアルウ
ォーゲームとかいうシミュレーションゲームに嵌った。TVゲームではなくマップの
上に駒や模型を置いて戦略をぶつけ合うウォーゲームなのだそうだ。俺には良くわか
らないし興味も無いので聞かなかったが。
 俺は一緒に安土城を作らないかという誘いも、スエズ運河を守ろうという誘いも今
のところは遠慮している。この辺はちょっと遠慮したい世界だ。
 ともあれ、この生活がいつまで続くかわからない。今は今だけ味わえることを精一
杯満喫しようと思う。広くなったお風呂は三人で入れるし。

 目覚めきっていない頭を振り、あくびをかみ殺す。
「くぅー」
 寝不足を追い払うべくこめかみと腰をコンコンと叩きつつも、何とか気を取り直し
て階下に下りた。
 中腰なのはみっともないが、幸い咎めるべき相手は居ない。
 日課通りに朝食の用意をするべく台所へと向かおうとして、足が止まった。
 誰かが引き戸を叩いている。
 がしゃがしゃと叩いている。
 耳を澄ませばどうやら何か言っているようにも聞こえる。
 というかアレだ。
 誰か来たらしい。

「あ、すみません」
 謝りながら慌てて玄関に向かいかけて、蹲る。
「こ、腰が……」
 そんな事情を知らないらしく、相変わらず戸を叩く音は収まらない。
 本当ならもっと煩いのだろうが、キャスターの結界により彼女の就寝中は外部から
の音は極力家内に入らないようになっている。その間は鍵も開かないらしい。安眠第
一ということらしいが、本当の理由は多分もっと違うところだと思う。俺には興味が
無いので聞いていないが。聞くと後で困りそうというわけでは多分、ない。
「はい、はーい」
 深夜早朝の大概の招かざる客はこの結果によって引き返すのだが、今日の相手は些
かしつこいらしく、いつからやっていたのか知らないが俺が這うようにして玄関まで
辿り着くその時まで戸を叩き続けていた。
「はい。あ……」
 やっとのことで、戸を開けると見覚えのある顔が飛び込んできた。
「先輩、やっと会え……

 その声は最後まで続かない。
 黒いものに包まれたかと思うと、既にそこには誰も居なかった。
 嗚呼、なるほど。
 そういうことだったのか。

 振り返るとネグリジェの上にカーディガンを羽織ったキャスターがいた。
「士郎様、おはようございます」
 その横にあった古ぼけた鞄の蓋が、自然に閉じる。
 何か黒いモノが中に詰め込まれた気がするが、気のせいだろう。
 鞄にはメイドインアオザキとか書かれていたのも、気のせいだろう。
 誰も家に尋ねてなんか来ていない。

「ところでキャスター」
「はい?」
「体の調子はどう?」
「すこぶる良好です」
「そっか」
「ええ」
「じゃあセイバーもそろそろ起きてくるだろうから朝食の支度でもするよ」
「はい、わかりました」

 キャスターとセイバー。
 この二人を留める為の膨大な魔力はどこから取っているのだろう。
 かつては町中の人間から吸い取っていたようだが、それを止めている今、どうなっ
ているのか気にはなっていたのだ。

「せーんーぱーいーっ」
 ひとりでにカタカタ動く鞄から目を背ける。
 見ていない人は救えない。
 知らない場所のことなどわからない。
 目の前のキャスターとセイバーを守る。
 これがまさしく正義の味方。
 でも切継ほど割り切れない俺は、甘ちゃんらしい。
 独り言をもらす事にした。
「えっと、美綴と藤ねえには遅刻するらしいってちゃんと言っておくから」
 何でも無尽蔵に近い魔力を持つらしい何かに向けて、そう一言。



 今日もまた、何事もなく俺たちの幸せな一日が始まろうとしていた。




                          <おしまい>