告別 |
このSSは『訣別』の設定に基づいております。
四月も半ばを過ぎて、そろそろ話題はGWの予定のことになりだしてきていた。 学校でも何処かに行こうかとか、何かしようかという話題でクラスの中の仲の良い 者同士で話されたりしていたようだが、衛宮士郎にとっては縁のない話であった。 毎年殆どその時期はアルバイトに励んでいたし、俺の周囲の人間もそんな俺の行動 を知っているので特に強く誘うこともない。決まったバイトを持たない身とすれば、 こういう時期での短期の臨時アルバイトの高額報酬は魅力的で、今年もそのつもりで ある。 一日ぐらいは家でのんびり過ごすこともあるだろうが、大型連休だからといって何 も変わらないのが俺の日常であった。 あの聖杯戦争と呼ばれる出来事がまるで嘘のように、街も人も、俺も元に戻りつつ あった。あの時に重体に陥った者や行方不明という名前の死者、そしてその家族身内 などに対してはただ訳もわからずに災難に遭ったという事で片づけられ、事情を知る 当事者達は一様に口を噤むことを余儀なくされ、結局大多数の人の流れに埋没して「 何事もない」状況へと落ち着いてしまっていた。 それが悪いこととは言わない。 けれども関わってしまった者としては、せめて忘れぬように思うことぐらいは大事 だと今でも思うのだ。 全てが終わった後、呼び出されて行ったロンドンから帰ってきたのは数週間前の事 だった。 一言も告げずに置手紙一つでロンドンに行ったことで、帰国した時は藤ねえと桜に は相当絞られるものと覚悟していたのだが、そうはならなかった。 初めこそ凄い剣幕で二人に取り囲まれたけれども、俺の連れを見て何か察したらし い。二人とも俺の勝手を叱るとういうよりはネチネチと文句を言うだけに留まった。 藤ねえに至っては何故か褒め称えることまでしてくれた。 どうやら彼女の中では俺は結婚式場に乱入して意中の恋人である花嫁を攫って行く ような光景が浮かんでいるようだった。 「士郎も、いつの間にか立派な男になったんだねー。やるわねー」としみじみと呟き、 妙に寂しげに微笑んでいたのが相当に不気味だったので敢えて訂正はしなかった。 桜の方は最初は妙に暗く落ち込んだかと思えば、次には無理矢理というぐらいに明 るく振る舞ったりして挙動不審にも程があった。 それでも数日、家の用事とやらで顔を合わせなかった後に再び家に通うようになっ てからは今までの桜に戻っていたので、努めてこちらも気にしないように心がけた。 唯一、変わらなかったのはイリヤである。 彼女にだけは大まかに事情を告げていたこともあってか、俺の行って来た理由も察 していて、俺たちが戻ってきたことも十分想定していたようだった。 それでも「まあ、今回だけは譲ってあげるわ」とやや不機嫌な顔をしていたので、 彼女には彼女なりの考えもあるようだった。 紆余曲折とまではいかないまでも、聖杯戦争という一つの出来事があって、その後 の余禄を経て、俺の今という新しい日常が形成されつつあった。 それまでと左程変わらない、それでいて決定的に変わっていった俺と、そうさせた 彼女達との日常が。 その中でも一番大きく変わったのが俺、衛宮士郎と、セイバーと呼ばれたアルトリ アとの少女のこれからの日々である。 王として一度生き抜いたアルトリアにとって、今は目的を失い糸の切れた凧のよう な状態ではないかと思っていたのだが、それは俺の見くびりであったようだ。 無論、心から吹っ切れているという訳ではないだろうが、今の境遇に心から順応し ようとし、それまで共にいた時のような日々を送っているようだった。聖杯戦争後、 ずっとこっちで過ごすようになっているイリヤの存在も似た境遇同士ということで良 い効果になっているみたいだ。 イリヤも聖杯戦争の為だけの存在で、彼女は自身の選択で自分のこれからの生き方 を切り拓こうとしている。精神的には俺たちの誰よりも強靭で、誰に寄りかかること もなく自分自身で、これからを模索しようとしていた。アインツベルンとの訣別もそ の一つで、もしかしたら近い将来には藤村の爺さんか親父さんの養女として、藤村の 姓を頂くことになるかもしれない。二人ともそれぞれ藤ねえに何か見切りをつけてい るような言動からすると、イリヤが頷けば実現するだろう未来である。 冬も比較的過ごしやすいこの街でも、四月はまた格別の暖かさである。 まだ寒さが微かに残る花見の季節も終わり、月の後半にもなると春風の気紛れと、 それによって極僅かな地域のみもたらされる飛び散る花粉だけが厄介で、それさえク リアすればかなり過ごし易い時期である。 だからというわけではなかったのだけれども、俺はアルトリアをデートに誘うこと にした。 勿論俺がそうしたいというものがあったからだけれども、戻ってきたから殆ど一人 で出歩くことのない彼女に対して、街を繰り歩くいい機会になるのではないかと思っ たのだ。 サーヴァントとして戦うことしかなかった彼女にとって、落ち着いて周りを見回す ということはそうなかったことだろう。家の中にいても目に見えて肩の力が抜け、今 まで気づかなかった物事に気づいたりしているようだった。 だからこそ、彼女にもこの街ののんびりとした空気を少しでも浸ってもらいたいと いうお節介が、そんな誘いの言葉を自然に出していた。 いや、本当は言い出すまでにかなり苦労したり、取り乱したり、苦悩したり、自己 嫌悪したり、誘い終わった後は汗びっしょりだったとかはあったのだけれども。 そしてデート当日。 いつも以上に早起きをした俺は、今日のお弁当と皆の朝食を作り、意味もなくウロ ウロと落ち着きなく家中を歩き回ったりもしたのだけれども、概ね何事もなく、自然 にアルトリアと共に家を出た。一人でうろたえたり照れたり慌てたりするのが自然と いうものなのかとかは、人それぞれということで。 アルトリアの方はそんな俺の態度に慣れてきたのだろう。俺の背を撫でながら宥め たり、静かに微笑んで落ち着くのを待ってくれたりと余裕を見せるようになっていた。 どうやら俺たち二人の関係の慣れについては彼女の方に分があるようだ。 男として悔しいような情けないような気がして、努めてリードしようとするが、す ればするほどボロが出る。こんな俺の状態を遠坂が見ていたらきっとあの意地悪い目 で笑うことだろう。くそう。 それでも気候に感情が感化されたのだろう、歩いていくうちに大分落ち着いてきた。 今日のデートに目的はない。 ただ、街中を歩くだけだ。 これは昨晩に話していたので、アルトリアの方も納得していた。 「それで明日はどこへ行くつもりなのですか、シ……いえ。士郎」 アルトリアと共に帰ってきてから、最初に復活したのが道場での剣あわせの稽古だ った。この稽古自体で得られることよりも、こうして彼女と竹刀を合わせるというこ と自体に、俺は意義を感じていた。 だからこそ真っ先に願って、再開したことだった。 もしかしたら彼女もそうなのかも知れない。少なくても俺がそう思っていることぐ らいは感づいていることだろう。彼女も真剣に向き合ってくれながらも、終わった時 はいつも優しげな表情を俺に向けてくれている。 そんな日課の後に、彼女の方からタオルを俺に手渡しながら聞いてきた時に答えて いた。 「ん? 全く決めてないし、考えてもいない」 以前のデートは聖杯戦争の最中、腹に一物あったことや、不慣れで戸惑いと照れと 焦りばかりが先行したこともあって、デートというイベントを楽しむことはできても、 二人のデートを味わうということはできなかった。 「気の向くままに適当に歩き回ろうと思っている。あちこちぶらつくだけ」 「は、はあ」 俺の言葉にどう反応していいのか戸惑っている彼女に、予め考えていたことをその まま伝える。 「一緒にどこか行ったり何かしようっていうんじゃなくて、ただ一緒にいたいだけな んだけど……そういうのはどうかな?」 俺の独り善がりになることは、それこそ前回のデートで懲りていたので正直聞き方 に臆病なものが混ざっていなかったとは言わない。無理にでも連れて行くという程の ものはなかった。 だからこそ彼女が少し考えた後で、頷いた時はホッとした。 「そうですね、この家はいつも賑やかで楽しいです。ですが、そういう時間も過ごす というのもまた、魅力的です」 そしてこういう時の、何かを噛み締めるように穏やかに微笑む彼女が俺はかなり好 きだったりする。 「まずは商店街に行こうか、アルトリア」 「はい、士郎」 俺が彼女を取り戻した時に最初に変えたのが名前の呼び方だった。 聖杯戦争が終わってマスターとサーヴァントという関係でなくなったという以上に、 俺が彼女をどう見ているのかということを、はっきりとさせたかったからだ。 一方でアルトリアも、俺を「士郎」と以前よりも正確な発音で呼ぼうと努力し始め ていた。前の呼び方はそれはそれでかなり気に入っていたので名残惜しい気もしたが、 一度拘ろうと決めた彼女を翻すのは難しい。それに、 「これからもずっと呼び続ける名前ですから」 そう言って、何度も口の中で練習している姿には実はかなりクラクラして何も言え なくなってしまった。 俺たちは二人並んで、歩いた。 途中、肉屋で揚げたてのコロッケを買い食いしたりしながらも、その位置は変わる ことはなかった。 後ろに下がったり、前に庇ったりすることもない、今の俺たちのお互いの位置。 肩を抱こうと思えば抱けて、手を繋ごうと思えば思えて、顔を寄せようと思えば寄 せられる位置。 意識しなくても二人だけの会話が成立する位置。 それは意識するとかなりむず痒いものだった。 「疲れたりしてないか?」 「それは私が士郎に聞くことですよ」 「そっか」 「ええ」 ただ、街中を歩く。 その間、俺たちは特に何かを話すでもなく、殆ど歩くことと休むこと以外に何もし なかった。 話す内容も家でするような話ばかりで、俺の学校であった事とその俺の留守中にあ った事をそれぞれ話したり、今この場にいない人間について噂したり、頭を使うこと も心を動かすことも何もない、口の端から出ては消えていくような話が主で、ちょっ とした思い出話に花を咲かせたりすることもなかった。 一方で、努めて会話をすることもなく無言で歩いたりすることも多かった。 わざわざ顔を見ること、手を重ね合わせることもなく、並んでただ歩くだけ。 近くにいるだけで、特に触れることを必要としていない。 そこに彼女がいて、ここに俺がいればいい。 それは彼女もきっと同じだと思う。 だからこそ、嬉しげで楽しげで誇らしげで満足げな顔をしていられるのだろう。 一緒にいる空気を確かな証として、その温かさを感じ取ることで意味があった。 「ここは……」 「ああ」 あっちこっちに行ったり来たりして、来た道を戻ったり、同じ道を進んだりしなが ら新都と深山町、郊外の森までは流石に遠かったので見渡せる場所ぐらいにまで足を 運んで、市内を十分に歩き回った。 考えないで歩いてきた癖に、今まで立ち寄った先の中に俺たちの思い出の場所が全 て含まれていた。 森の奥にあるアインツベルンの城と例のファンシーショップには流石に足を運べな かったものの、柳洞寺、駅前パーク、穂群原学園、オフィス街、深山商店街、海浜公 園、冬木教会、そして冬木大橋と、時には共に戦い、時には喧嘩し、時には間抜けな 問答を繰り広げた場所を意図せずに通っていた。 いや、正直に言えば途中からは意図していた。 別にそこで何かあるわけじゃないし、何か話したいわけじゃない。 目的のない歩みとはいえ、何となくは目的地を考える。 その先が観光名所や行楽地でない以上、何処か立ち止まる場所を考えると自然とそ うなっていた。 だからという訳ではないが、陽もすっかり落ち始め、夕焼けが見え始める頃になっ て辿り着いたのは、やはりここだった。 冬木中央公園。 十年前、 |