それじゃあ、ばいばい


 俺はその道を選んだ。
 十年前、助けられた時に見つけた道。
 けれども今はまだ妥協や誤魔化しも通用する、曖昧な境地。
 これからだって俺はまだ、嘗ての道を歩むことが出来る。
 そんな半端な状態。
 覚悟を決めていない心境のままだ。
 ただ、もう意味もなくその道に戻ることは無い。

―――憧れを持ってしまったから。

 正義の味方になろうと思った時と同じように。
 俺なんかの為に必死になる人がいて、幸せになる資格の無い人が幸せになる。
 その裏で俺を助けた人は死に、大事な人は去って行ってしまった。
 あってはいけない世界なのに、そんな世界をいいなと思ってしまった。
 強迫観念もなく、使命感もない。
 ただ、ぼさっとしたままの状態で見たものが、単純に美しいと感じてしまったから。
 善悪に至る前の状態で、その境地を見つけてしまったから。
 もう俺は昔のように誰の味方にもなれない。
 俺は俺を愛し、俺が愛したものだけを愛するただの人だ。
 それに後悔も懺悔もない。
 十年前に失くしたつもりになっていたくせに、そっと隠し持っていたものを顕すだけだ。
 キャスターはどうやら俺に余計なものを植え付けてくれたらしい。
 我侭?
 ああ、我侭さ。
 開き直り?
 そうなのだろう。
 けれど俺は―――

「――――っ!」

 気がつくと、そこにアサシンはいた。
 葛木を倒してきたのだろうか。違う気がしたが、全く違うとも思えなかった。
「お、おまえ……」
 いつからそこにいたのだろう。
 少なくても俺はずっと呆けていたわけで、いくらでも隙はあった筈だ。
「そっか」
 やっぱり、そういうことだった。
「ありがとう、本当にお前には迷惑かけっぱなしだった」
 最後の最後まで面倒を見てもらった。
 助けられてばっかりだった。
 どうしてこいつがここまで俺の面倒を見てくれたのかはわからない。
 だからこそ、謝罪の言葉だけは出さなかった。
「本当に、ありがとう」
「………」
 アサシンのサーヴァント。
 魔術師を失い、その姿は今にも消えそうになっている。
 その髑髏の仮面からは表情が読み取れない。
 いつそんなことになって、どうしてそんなことができたのか。
 魔術によるものだと思うのが妥当なのだろうが、俺はあいつの執念ではないかと思うことにする。
「だって、その方はオマエらしいし」
 笑顔を向けた。
 自己完結して一人で勝手に喋る馬鹿がここにいる。
「………」
 喋る事ができないのか、ただその白い髑髏の仮面はこちらを見続けている。
 暫くすると、足音が聞こえてきた。
 葛木か?
「なっ……」
 違う。
 やってきたのは、
「待て、来る―――」
 制止しようとして、意味のないことに気づいた。
 もし向こうがその気なら、俺が気づくよりも速く動く。
「衛宮……これは……?」
「……美綴」
 大人しく寝ていなかったらしい。
 汗だくなり、息を切らせながらやってきたのは美綴だ。
 こうして彼女がやってきたということは、他者を入り込ませない結界の類は既に消失しているのだろう。でなければ彼女は俺たちを見つけられない。
「……」
 アサシンは僅かに顔を動かした。
 俺と、美綴を見る。
 奴にとって俺たちは因縁のある相手の筈だ。
「―――っ」
 万一を考え美綴を庇うように身構えるが、体はろくに反応してくれなかった。さっきの魔術の行使でガタがきているらしい。
「オマエ―――」
「美綴。下がれ」
 美綴もまた、アサシンを見ている。
 視線が重なる。
「……とお―――」
「……違う、あれはアサシンだ」
 俺は美綴の言葉を遮った。
「え」
 言わせてはいけない。
 知られてはいけない。
 そんな気がして、強く被せるように言った。
「―――」
 アサシンがまるで興味を失ったとでも言うように美綴から視線を外した。
 その視線の先、
「あ……」
 アサシンのマスターである筈の女魔術師の体が見る見る崩れていった。
 長いこと凍っていた時が一気に動き出したかのように、急速に腐敗していく。
「……」
 土塊のようになった体は溶け落ち、あっと言う間に塵になった。
 そうなるように仕掛けでも施されていたのか、それとも魔力を根こそぎ搾り取られた現象でそうなったのか何一つ分からない。
 ただ、これで本当に全てが終わったのだと実感した。
「―――あ」
「……」
 アサシンは何かを言いたそうに一度こちらを見ただけで、そうなることが決められていたかように消失した。
 逃げたのではない。
 今度こそ間違いなく、消滅した。


 そう、今度こそ終わった。
 俺の目の前で、片がついた。
 最後に無理して奮い立たせていた気力が抜け落ちる。
 倒れ掛かるのを掴む手。
 が、上手く行かない。
 下手につかまれたことで、頭から地面に落ちた。
 痛い。
 が、まあ平気だ。

「―――え、衛宮!?」

 うん、大丈夫。
 少し疲れただけだ。
 怪我なんかしてないから大丈夫。
 きっと葛木の方も、柳洞寺の方も大丈夫。
 全て終わった。
 だからちょっとぐらいは寝かせてくれ。
 きっと、あの日から数えて初めて、


―――気持ちよく眠れそうなんだから。



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