Tutelary


 まずアサシンが迫り、葛木が応じた。
 もしくは葛木が仕掛けていたのかも知れない。
 接近戦を必要とするのはむしろ葛木。
 遠距離から不意を撃つ戦い方が基本のアサシンがわざわざ葛木の望む展開に持ち込むのは不自然だろう。
 俺と同じに、キャスターから奥の手でも貰ったのかもしれない。
 どちらにしろ、何にせよ、アサシンと葛木はこの場から姿を消した。
 残るは俺と―――あの女魔術師だ。
 いや、魔術師だったもの、だ。
 考えろ。
 マトモに戦ったところでキャスターの言う通り歯が立つ相手ではない。
 善戦もなにもない。
 ただ殺されて終わりだ。
 考えろ。
 俺に何ができるのか。
 何をすればいいのか。
 俺は何をすべきなのか。
「キャスターは柳洞寺だぞ」
「ああ、全く、余計な知恵をつけてくれる」
 距離を測る。
 一駆けで届かすには微妙な距離。
 もう少し詰めたい。
「俺になんか構っている余裕があるのか?」
「私は足止めをしろと命じられた。逃げられた者を追う命は下っていない」
 普通に会話を交わす相手は、普通の人間に見える。
 が、一番それを裏切っているのは外見だった。
「―――随分と持ってかれたようだな」
「全くだ。これでは坊や一人を殺すのも一苦労だ」
 青白さを通り越し、老人のようにかさついた肌。
 そのくせ目だけは赤く濁って血走っている。
 まるで臓硯だ。いやもうこれはあれと同じものでできている。
「……ただほど高いものはない」
 元凶になった左腕を擦る。そこだけは艶々と若々しい肌を保っている。無尽蔵の魔力がそこにはあるのだろうか。マキリの力の底知れなさを感じる。
「そんな状態じゃ……死ぬぞ」
「もう既に死んでいる。それに、私もアサシンももう不要だ。むしろ聖杯の力を増す為にもその魂は―――」
 最後までは言わなかった。言えなかったのかも知れないが。
「我ながら滑稽な傀儡だ。ならば最後まで踊ろうじゃないか」
 どうせもう逆らえん―――そう言って、バゼットはゆっくりと身構えた。
 同時に、表情が消える。
 言いたい事があった。聞きたいことがあった。知りたいことも伝えたいこともいっぱいあった。
 けれど、それは擲つ。
 今彼女に必要なのは、この言葉。
「いくぞバゼット・フラガ・マクレミッツ――――全てが朽ちた滅生の亡者」
 その言葉は相手には届かない。距離が遠い。
 相手の姿が目で見えた距離に近づいた瞬間、俺は駆け出した。
 大層な勝負じゃない。
 魔術師同士の勝負はより速くより強い者が勝つ。
 強ければ強いほど速い。
 大仰な魔術の詠唱もなければ、大地を震わす衝撃もない。
 小さく正確に、確実に葬れればそれで良い。
 ただ、キャスターに負けなかった魔術師に勝つには、仕掛けか裏技が必要だ。
「出でよ、――――竜牙兵ゴーレムッ!」
 キャスターから預かった竜の歯を周囲の地面に強く叩きつけた。
 それはアスファルトを抉り、地中深く土を求めて沈んでいく。
「――――は」
 この攻撃は相手にとって二度目。
 しかも奇襲にもならないやり方では、どうなるものでもない。
 身じろぎ一つせず、無駄な動作を一つも見せず竜牙兵ゴーレムが生み出されるのを待つ。
 その僅かな時間。
 俺が欲しいのはそれだけだ。
「――――っ」
 二歩。
 これで詰め寄った。
 迫った俺に対して、相手は構え一つとっていない。
 虚を突かれたからではない。
 必要が無いから。
 埋められない実力差。
 それは努力や才能で補うことのできない決定的な力の差。
 ただ、相手に対して俺が優位にある点と言えば。


「―――投影トレース開始オン





「ああ、来たんですね」
 喜色さえ浮かべながら、それは柳洞寺に帰還したキャスターを出迎えた。
「貴女に用はないんですけれどね」
 キャスターは笑う。
 少女も笑った。
「待っていたんですよ、わたしは」
「私を飲み込む為に?」
 気にするのは間桐邸の再現。
 それだけを警戒して、キャスターは目の前の少女と対峙した。
 間桐桜。
 彼女は血塗れの笑顔をキャスターに向けて笑っていた。
「そんなコト―――聖杯の元に最後のサーヴァントが集う。これは正しい聖杯戦争の終わり方じゃありませんか」
「あら、そう。貴女が聖杯の欠片であり聖杯そのものというわけね」
 冬木の町で行われる聖杯戦争は今回で五度目。
 聖杯を呼び出す四方の門は遠坂邸、冬木教会、冬木中央公園、そしてここ柳洞寺。
 四度で成功しなかった儀式の五度目は一度目と同じ場所で行われた。
 そして五度目も失敗に終わる。
 いや、成功することなどもうないのだ。
 七人の英霊を一人、また一人とその魂で満たしていく聖杯。
 その中身を以って奇跡を望む魔術師達の悲願は達せられることはない。
 あるのは聖杯の無色の力を容易く黒く染め上げた粘泥の呪い。
「けれども―――」
 それも、力だ。
 とても乱暴で、酷く単純な。
 全ての事柄をただ一つのモノに置き換えた簡素で明確な呪いだからこそ、強い。
 人の手には余るものだが、ある種の望みは叶う。
 人の手には余るものの望みであれば。
「―――その胸に棲んでた寄生虫はどうしたのかしら?」
「さあ? わからないですけど、静かになったのだから消えちゃったんじゃないでしょうか、ふふふ」
 その一言で五百余年、変貌しながら生き続けたモノの最期が片付けられる。
 人の手に余るモノが目指した奇跡を閉ざしたソレはまた、
「ふ、ふふ――――ふふ、あはははははは――――」
 人の手に余るモノに成り果てていた。
「聖杯に飲み込まれた……?」
 哄笑するソレを前に、キャスターは冷静に判断する。
 目の前にいるのは正気を失った哀れな小娘ではない。
「あなた、まだ自分は残っている?」
「あはははは――――は? なんですか、それ?」
 童のような穢れのない笑顔を浮かべたまま、小首を傾げる。
 キャスターの言葉の意味がわからないとでも言うように。
「今なんか、体がふわふわしてて気持ちいいんです」
「………」
「ここのところずっとずぅぅぅぅっと、苦しかったんです。辛かったんです。悲しかったんです。痛くて、すごく痛くて、もう痛くて痛くてたまらなかったんです」
 軽くスキップを踏みながら、踊るようにその場で横に一回転して見せた。
「―――あ、は。でも、楽しかったんですよ」
 目の前のキャスターを無視して、桜は虚空を見つめた。
「楽しかった。ええ、とても。駄目なんですよね、それじゃあ、きっと」
 桜はキャスターと喋っていない。
 ここにはいない誰かに語りかけている。
「―――ふ―――ふふ、あ」
 そして可憐に笑う。
「よくわからないんです。でも、こんな事ならもっと早くやっていれば良かったと思うんです。だって―――本当に何も……何も感じない」
 もう一度、くるり、と回る。
 無為に流れた手が、力なくはためく。
「地脈を動かしただけ……ふうん。這入ってきたからもう主は要らぬと」
 キャスター自身が施した柳洞寺の施術の殆どは手付かずのままだった。それどころか聖杯召還の儀式さえも先日一度やりかけたものをなぞっただけの、表向きのものしかしていない。数百の刻を生きたマキリの魔術師が望んだ展開に何一つ進むことなく、ただ門を開放し力を得て舞い上がった飼犬に噛み殺されたのだとキャスターは状況を確認する。
「……躾け方がなってなかったわね」
 舞う桜を見ながらキャスターが向けた言葉は目の前の桜ではなく、この世から姿を消した魔術師に対するものだった。
 桜はキャスターを見ていない。キャスターもまた桜を相手にしていない。
 が、この場には彼女達しか存在しない。
「―――わたしを、殺すんですね」
「そうなるかしら」
 キャスターはおどけたように肩を竦める。
 話で片がつく相手ではない。
 そして、彼女の魔術程度で軽々と屠れる相手ではない。
「じゃあ……」
「……」
「わたしが殺してあげます」
 そうすることが、わたしですから―――そう呟く。
「――――――――っ」
 噴出すように一気に充満した重圧に圧倒され、キャスターは僅かに後退する。
「こ、これは……"この世全ての悪アンリマユ"……」
 そんな筈はないと思いながらも、どこか有り得ると思っていた。
 過去の聖杯戦争によって聖杯に棲み込んだ純粋なる黒。
 アンリマユとは実体を持たないサーヴァント。
 それは人間の空想がカタチどり、人の願いをもって受肉する"影"にすぎない。
 故に、その力は影を生み出す寄り代に委ねられる。
「ああ、そうなの。聖杯はとっくの昔に貴女に……っ」
 アインツベルンの娘が死んだ時から既に聖杯の受け皿は彼女になっていたのだと今この瞬間になって、気づいた。聖杯を壊したアーチャーも最後に残った自分も、彼女を擁したマキリの老魔術師でも気づかなかった。
 こんなことをする前、とっくの昔に、彼女はマスターになっていたのだ。
「まだ、何も終わってなかったというわけね」
 聖杯戦争はキャスターの勝利で終わり、その後の物語は外伝になる筈だった。
 だが、一番初めの事態に対しても幕は引かれていない。
 けれど、
「関係ないわね」
 この場所は自分の拠点だ。
 ろくな知識も技術も無く、自分の持つ力に振り回されるだけの小娘一人相手にするには十分過ぎるほどのハンデだ。
 先手を打って、瞬時に蓄えた魔力を目いっぱい叩き込む。
 遠慮も牽制も必要ない。
 自重もいらない。
 この場所にいる以上、彼女は何も恐れずに力を揮える。
 常に抱えていた心のしこりすら全く残ってないのだ。
 負ける理由がない。
「ふふ――――ふふ、あはははははは、あなたも消えてください」
「誰が―――っ」





 アサシンは既に姿を消している。
 葛木を誘って動いたのは個別に戦うのではなく、単に彼ら二人を引き離す為だけだったらしい。
 葛木はすぐにその意図に気づいたが、身動きが取れなくなっていた。
「待ち侘びたぞ。葛木」
 そう言って派手な開襟シャツを着込んだ、その老人は禿げた頭を撫でる。
 一方の葛木は間桐邸に来た時から変わらずそのまま教壇に出るかのようにいつものスーツ姿で、上着すら脱いでいない。
「見事に化けたものよの」
「……」
「だが、そんなことで我らが目を潜り抜けられるとでも思うておったのか」
 葛木は答えない。
 身動き一つせず老人の言葉を聴いている。
「わしもお主のことなんぞ、どうでも良かったのだが、アレが存外しつこくてのう。泣きつかれてはこの老人も骨を折らねばならん」
「……」
 葛木は答えない。
 目は老人を捕らえているが、ただ見ているだけにも見えた。
「端役の動静何ぞ物語には左程重要ではなかろうに、それはそれ。拘りというものじゃろうなぁ。一流の者ほどどうでもいいものまで自分の思うが侭でないと気が済まぬ。我侭というよりもそれこそが一流の証なのかも知れぬなあ。我らには分からぬものよ」
「……」
 葛木は答えない。
 まるで一人でそこに立っているかのように、無駄がない。
「どうじゃ。舞台外でごたごたやっても仕方があるまい。ここは一つ、大人しく戻ったらどうじゃ。なあに、他の者がどうあれアレが決めた事には誰も逆らえん。それこそお主ぐらいじゃろうて」
「……」
 葛木は答えない。
「どうかと聞いているのだがな、葛木よ」
 声の抑揚こそ変わらないものの、その禿げ上がった額からは血管が浮き出ていた。
「問うのであれば答えよう。行く気などない」
「ここが気に入ったか。それとも戻りたくない何かがあるのか」
「問うてどうする、御老人よ」
「なあに、お主の亡骸を持ち帰った際の言い訳を作っておきたくてな」
 杖を握った右腕を葛木に向けて突き出す。
「御老人。言葉を用いる技量がなくば最初から用いることはあるまい。いつものようにすればいい」
「何を悟ったかのようにほざくか、若造!」
 老人は突きつけていた杖を槍のようにそのまま突き出してきた。
 単純な攻撃。
 しかしその単純さの脅威は速さにあった。
 老人の突きは神速の域。
 迅きを特化した薬物強化者の反応すらも凌駕するそれは、かわすどころか目で捉えることすら覚束ない。
 が、それは彼を知らぬ者が思う程度のこと。
 葛木宗一郎。
 それは彼自身が認め、キャスターが認め、黒衣の少女が認め、衛宮士郎が認める異能の戦士。
 勝敗についてなど、最初から考えようが無かった。
「何ぃ」
「……」
 杖は砕け、代わりに老人の胸が拳の形をして凹んでいた。
「く……」
 距離を取ろうとするが、逃がすことがない。
 アサシンから逃れられたのは、相手が老人という存在を知らなかったからのことで、既に既知である葛木にとって躊躇や様子見の理由も必要も無かった。
 一発。
 二発三発と拳を突き入れていく。
「……あ、彪火あやかぁぁぁぁ――――――っ」
「わたしにとってその名前は過去の一つに過ぎん」
 最後に一言そう付け加えただけで、葛木はそれ以上喋ろうとはしなかった。
 不必要な無駄を避けるように。
 話す意義などないのばかりに。
「――――っ」
 彼はただ踏み込み、そして打った。



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