ゲームセット


「――――」
 かすかに馬の嘶きだけが聞こえてくる間桐家の正面口で俺たちは互いに向かい合う。
 キャスターと臓硯。
 葛木とライダー。
 その優劣は判別がつかないが、一つ引っかかっているものがある。
 バゼットとアサシンだ。
 もし彼女らが臓硯の手駒であるというのなら、この場に使わない手はない。
 それにライダーというのはこちらには全く気づかれていない、いわば向こうにとって最大の奥の手である筈だった。こんなにあっさり晒していいものだろうか。
 それはキャスター達も気づいている筈だ。
 だからこそ安易に飛び掛らないのだろう。
 待ち受けた姿勢で動かない。
「来ぬのなら、こちらから行くぞ?」
 バゼットのような魔力特化の化け物でない臓硯は魔術ではキャスターに勝てない。彼女のような肉弾戦ができるとは思えない。
 それは葛木かライダーの仕事だ。
 だがライダーは、本当にライダーなのか。
 あんな鎧を着込んでいるだけで、騙されていないのか。
「参■―――」
 誰よりもまず、そのライダーが動く。
 手綱を強く握り、馬の首を仰け反らせ、大きな嘶きと共に俺たちの元へ突進する。
 魔術の存在ならキャスターが気がつかない筈はない。
 でも違う。
 何か大きな落とし穴が存在する。
 何か。何かある。

「――――――っ!」
「――――――っ!」
 一瞬にして飛び交った魔術。
 読み取れない程短く研ぎ澄まされた詠唱。
 同時に剣戟と打撃音。
 二つのそれはぶつかり、そして跳ね返るようにして離れた。
 葛木の気合のような声に、臓硯の口の端から漏れる笑い声。
「……」
 ゾクリと背筋に戦慄が走る。
 その感覚はさっき鎧武者が出現した時と同じ。
 奴は、どうやって現れた。
 どうして現れた。
「――――っ!」
 キャスターが葛木に約束した二撃目を振るうべく、ライダーが俺たちの前に迫るその瞬間、キャスターの詠唱の陰で臓硯が動いた。
 否、陽炎のように存在自体が揺らめいた。
「あ」
“不吉な気配”はそこで繋がった。
「……違う。はサーヴァントじゃないっ!」
 何故魔術に長けたキャスターを出し抜けたのかは分からない。
 が、これはサーヴァントではない。
 罠だ。
 膨大でもなんでもない、せこく矮小な。
「―――キャスター。飛び上がれっ!!」
 ライダーと呼ばれたはただ単純に、葛木と俺を無視してキャスターに飛んだ。
 それは予測できたフェイント。
 葛木にもキャスターにも、この俺にも。
 だからキャスターが用意していた魔術はそのライダーを潰すもの。
 けれども、それが間違いなのだ。
 キャスターはそこに居てはいけない。
 場所が、悪いのだ。
「躱せっ! 躱せぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――っ!」
 黒い業火のように毛を逆立てた馬を駆り、キャスターに迫るライダー。
 羽を生やして逃げようとも、その大薙刀は彼女の体を切り裂くだろう。
 逆に彼女の魔術ならば、寄るライダーを塵一つ無く消し去る魔術が打てるだろう。
 臓硯はキャスターから命を守ることもギリギリなのだ。邪魔すらできない。
 だからこそ、迎え討つことができる。
 いわば相手のこのフェイントも苦し紛れの攻撃に過ぎない。
 バゼットとアサシンが襲ってきた時とは違うのだ。
 そして彼女たちはここにはいない。
 どちらが上策かというのは迷うまでもない。
 だからこそ、違う。
 それがキャスターの勝利への確信であるようで、臓硯の勝機。
 そう。
 ライダーではなく、間桐臓硯只一人の。
「―――っ!?」
 不意に腕が伸びる。
 葛木の腕。
 それは俺を抱きかかえ、そのまま地面を転がった。
 同時に裂帛音がしたから何かが俺を襲っていたのだろう。
 全く気づかなかったし、気にもしない。
 問題は、キャスターだ。
 抱えられて共に転がりながら、俺は必死にキャスターの方に顔を向けた。
「―――Τροψα……!」
 切迫したキャスターの詠唱は、先ほどまでの攻撃の為の魔術ではなかった。
 ライダーの騎馬が、手にした大薙刀がキャスターを襲う。
 当たる。
 そう思った瞬間、それらは共に、捩れた。
 捩れ、揺れ、曲がって、霞む。
 空間ごと、捩れて―――

 バチンと、全てが、消えた。

 空間転移。
「こ、これ――――これ、は――――」
 キャスターの声。
 それは遥か上空から聞こえてくる。
 あの場所からではない。

―――間に合った。

 葛木に抱きすくめられたまま、安堵の溜め息を漏らす。
 そして互いにゆっくりと起き上がる。
 もう慌てることはない。
 罠は発動し、失敗した。
「コレは―――」
 直後、ライダーの体は地面の底へと堕ちていった。
 ちゃぽんと水の底に沈むように。
 どろりと足から溶かされていったかのように―――底なし沼に飲み込まれる。
 黒い地面に黒い沼。
 闇夜の間桐邸に張り巡らされた真夜アルヤルの罠。
 それはキャスターを巻き込むことなく、消えていった。
「……どこへ行こうというのかしら」
「くっ」
 余韻に浸るのはまだ早い。
 仕掛け人が残っていた。
 仕掛けからは離れながら、結果を知る為に残った。
 油断からの失策である。
「うぬぬぬぬぬっ」
「あら、逃がすと思って?」
 キャスターは魔術を唱え、飛び退こうとする臓硯の前に回り込むとただ一言、
「―――Ατλασ―――」
 そう、聞き取れない言語で呪文を唱える。
「な――――!」
 ドン、という何か巨大なモノが目の前の老人目掛けて落下したかのような衝撃。
 地面が沈む程の振動によって、その老躯は水風船が破裂するかのように押し潰された。
 天から伸びた巨人の足にでも踏み潰されたかのような、あっという間の出来事。
 その圧倒的な魔術による攻撃力に、俺は言葉も無い。
 これがキャスターの本気の魔術。今までの彼女の魔術とは違う、手加減なく限度なく躊躇いもないそれは次元の違う世界だった。
「倒した……のか」
「仮初の肉体はね」
「え」
 なんだ、それ。
「母体は恐らく蟲にでも転移して、何処か安全な場所に逃げ込んでいるに違いないわ」
 こんなにしてもまだ倒せないというのか。
 無茶苦茶にも程がある。
 化け物だらけだ。
「く―――」
 だが、今はそれどころではなかった。
 力の差を今更実感する必要などない。
 ただ俺は俺が出来ることをやるだけだ。
「待ちなさい」
 さっきのことで聞いておかないといけないことがある。
 そう思って、キャスターに突っかかろうとしたら先に声をかけられる。
「坊や……何故わかったの?」
 表情はやや硬い。まるで問い詰めるように訊ねる。
 まあキャスターからすれば、この場で一番役に立たない筈の俺が見抜いたことが驚きなのだろう。そう言えば、学校の屋上で俺が叫んだ時は全く相手にもしなかったっけ。あの時に比べれば、俺は少しは信頼されていたのかも知れない。
「相手が俺を計算に入れていなかったからだ」
 でも今はそんな喜びに浸る暇も必要も無かったので、簡潔に答える。
「あれは、魔術に長けたおまえと、全く魔術を知らない葛木に対しての罠。中途半端な魔術の能力持ちの俺を考えていなかった」
 あれはサーヴァントではない。
 どれだけの年月抱えておいたのかは分からないが、ただの死骸。
 当時英雄と呼ばれるぐらいの活躍をした誰かのもの。
 それに法術を塗り固めて、動かす。魔術の塊ではないものの実体だけで魂もないただの操り人形。
 なまじサーヴァントを熟知しているからこそ、見えないことが能力だと警戒する。
 わからないことが、読み取れないことが、力だと考える。
 それはしばらくすれば露見することだが、すぐにバレなければそれでいい。
 罠にかけるまででいいのだ。
 キャスターには、アサシン達を探るという優先事項がある。
 葛木はサーヴァントの正体を読むことは出来ない。
 魔術師でありながら未熟者である俺だけがただ、目の前の違和感に対して追求していればよかった。
「俺もおまえに聞きたいことがある」
「さっきの話?」
 自分の知りたいことを先に知ったせいか、表情に少し余裕が感じられた。
「……ああ! おまえは何をしてきた。そして何をする気なんだ!」
 今度こそはっきりと聞かせてもらわなくてはならない。
「あら、過去を見ないように生きてきた貴方が、人の過去を詮索するの?」
「………」
 怯まず、睨み付ける。
 無論、一度たりともその視線に怯んでくれる相手ではない。
「何をしてきたと言われれば、聖杯戦争を勝ち抜く為に精一杯頑張っただけよ」
「誤魔化すな。葛木は魔術師じゃない。おまえの魔力はどこから手に入れた?」
 聖杯すら頼らずに、現界し続けられるには相当の魔力を仕入れなくてはいけない。
 それはこの町で起きていた事件と関係があるのではないか。
「ふふ、自分の巣で栄養を補給するのは当然のことでしょう」
 キャスターのその返事は俺の予想を肯定する。
「貴様っ」
 掴みかかろうとするが、無論それを許すキャスターじゃない。
 俺の手は空を切った。
「でもいいじゃない。私はまだ誰も無関係な人間は殺していないわよ。坊やにとっては幸いなことにね」
「ふざけるな。そんなのが言い訳になるとでも思うのか?」
 距離を置いたキャスターに対して、怒りを噛み締めるように堪えて訊ねる。
「言い訳? 何か勘違いしているようだから言わせて貰うけど……この町はもう私の町なのよ」
「なっ」
 まるで当然のような顔でこの魔女はとんでもないことを言う。
「私の支配下だからこそ、邪魔なものを排他するの。もし連中が他エリアにでも逃げ込めば追うつもりも無いし、興味も無いわ」
「そんな、場合によってはあいつを見逃すというのか」
「私は正義の味方じゃない。ただ自分の権益を守るだけ」
 貴方と違ってねと、わざわざ付け加える相手が憎らしい。
「……それがこの町というのか」
「ええ」
「……この町を支配して、どうするつもりなんだ?」
「今この町を治めている連中と似たようなものよ」
「はあ?」
 思わず、キャスターが政治家になるとか、いやその裏で操るとかそんなのを想像してしまう。我ながら発想が貧困だ。
「おまえ、何言って……」
「別にこの町を支配して、戦争を起こすわけでも、私服を肥やすわけでもないわ」
「……何が言いたい?」
「税金を貰うだけよ、私が存在できるだけの魔力を。この町全ての人から少しずつ、もうその為の魔方陣は組んである。だからこそ個別に吸い上げる必要がなくなったというわけ」
「っ! じゃあ、あの集団昏倒事件は!」
「だから言ったでしょう? 死者は出していないと。それに、もう被害者たちは床上げしたでしょう?」
 広く浅く吸い上げることにしたからだと、付け加えた。
 自分でやっておいて、自分で助けたかのような言い方が気に食わない。しかも助けてもいない。それどころか永遠にこの市にいる限り僅かながらとは言え魔力を精気という形で吸われ続けるのだ。
「魔力を貰う代わりに護ってあげるわ。この町を。あんな邪悪な魔術師の手から」
 酷い冗談だ。少しも笑えない。
 本気で言っているのか、この魔女は。
「そう言えば、教会に行ったそうだな」
「ええ」
 取り引きとはこのことだったのだろう。
「操る必要がなかったのは良かったわ」
 この町に魔力を吸い取りながら居つくことを黙認する代わりに、あの神父は何かをキャスターから得たのだ。
「食えない神父だったわね」
 でもああいう愉快なのは嫌いじゃないわとキャスターは言う。
 また、頭越しに行動を進められた。
 俺の元には何も届かない。
「くっ……」
 睨み付ける。
 が、キャスターは冷たく笑うだけだった。
「貴方の正義感とやらは目に見える部分しかないということね」
「話を摩り替えるなっ……」
 そんな俺は大局観を持てるわけじゃないし、そんな規模で語るようなものは持っていない。目先のことしか考えが及ばないと言われても知ったことではない。
「いいこと、貴方がその正義感とやらを振り回して得るのは何?」
「それは……」
「貴方の自己満足なだけでしょう。正義を果たしたと喜ぶことだけでしょう」
「違うっ」
「仮に私を引かせたとすれば、貴方は一人で全てと立ち向かうつもり? 一人相手でも太刀打ちできないのに。頑張れば何とかなると? 失敗しても自分が精一杯やって満足したのだからそれでいいと? 違う手段をとっていれば多くの人が救われようとも、その正義感が認めない行為だったら駄目だというの? 幾人をそのエゴで殺そうとも!」
「違う! 違う違う違う! 俺が目指すのはそんなんじゃない!」
「自分は正しい行いをしました。だから貴方も正しく生きてください―――そう訴えかければ何とかなるとでも」
「ちょっと待てよ!」
 勝手に俺の気持ちを決め付けて、勝手に進めるな。
「大事なのは工程? それとも結果? それだけは聞いておきたいわね」
「キャスターっ」
 もう我慢の限界だ。
 そう思って魔術回路を開く。
 葛木は相変わらず距離を置いて我関せずの態度だ。
 例え適わなくても一気に踏み込んでさえしまえば。
「ふふっ、ふふふっ」
「――――っ」
 そんな甘っちょろい考えはあっと言う間に打ち破られた。
 既に振り上げた腕はピクリとも動かない。
 それどころか編み上げた筈の魔術も霧散していた。
「くっ……」
 動くのは口ぐらいか。
 ゆっくりとキャスターが俺に近づいてくる。
 何も出来ずに、何も出来ずに俺は―――
「ごめんなさいね、
「なっ」
 その手が、幾人もの命を損ねたその白く細い手が俺の頭に乗せられる。
「そうやって一所懸命な貴方を見ていると、つい怒らせたくなるのよ」
 もう、性というところねと言う。
 コイツ何をする気だ。何を言うつもりなんだ。
「大丈夫よ」
 撫でながら言う。
 まるで聞き分けのない子供をあやす様に。
 やめろ、その手を離せ。
 そう思ったのに何故か口が動かない。
 何で、どうして。
 口は封じられていないというのに。
「この町が私のものであるということは、一人一人の命もその財産。滅多なことでは損させたりしないし、守る義務もある。無責任な支配者にはならないつもりよ。これでも王女、または王妃として、上の者の行いというのはを沢山見てきた。他者を虐げる者ほど、愚者ばかりだった。貴方が憤るような真似は起きないでしょうね」
 頭に置かれた手が滑り落ちるようにして肩に降りていた。
 けれど、不快感は変わらない。
「そ、それを信じろって言うのか?」
 体が動かない悔しさ。
 相手にならないという悔しさ。
 どうしていいかわからないという悔しさ。
 悔しさばかりが積み重なって、どうしようもない悲しみが膨れ上がる。
 俺は悔し涙を流している。
 実際には流れていなくても、心の中で。胸の奥で。
 この詭弁を弄する魔女を相手に、言葉でも実力でも理屈でも暴力でも何一つ適わないという事実が俺を打ちのめす。
「この町の生物全てから貰う力は微々たるもの。疲れやすいということもないぐらいだし、私が言わなくちゃきっと誰も気づかない程度よ」
「だけど……」
 丸め込まれてはいない。けれど、反論できない。
 非難することはできる。けれど改めさせられない。
 怒ることはできる。けれど謝らせることができない。
 吼えることは出来る。けれど……それは何一つ意味がない。
 ここで諦めてしまえば、俺の中で何かが終わる。
 崩れてしまう。
 けれども、認めないだけでは何にもならない。
 俺は無力だ。
 どうしようもなく無力だ。
 だから考えろ。
 無力だから、どうするのかということを。
「お願い――――□□□□□」
 俺が考えを構築する前に、先にキャスターが口を開いた。
 くそっ、これ以上何を……

 バチン

 何か、俺の胸元で弾けた。
 熱い! そして痛い。
「え?」
「な、何……」
「あ……」
 その瞬間、俺の中の忘れ去られていた時間が動いた。


「――――――――小細工が過ぎたな、キャスター」



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