マキリの魔術師


「…………あれ? なんか、いま聞こえなかったか?」
 キイキイという、ブランコが軋む音。
 それが虫の鳴き声だと気付くのに、わりと時間がかかったと思う。
「ふうん。そういうことなのね」
 キャスターは一人で納得していた。葛木は相変わらず無反応。
「何だよ、なんかこれ……」
 シンと凍りつく夜空に、季節外れの虫の声。
 そして、
「もし。なにか、この家に用があるのかね」
「……!?」
 いつからそこにいたのか、門を潜ったすぐ先の庭先に、その人物は立っていた。
 これまでに一度も、見たこともない老人。
 どう歳をとったらこんな老け方をするのかと思うぐらいに異質な雰囲気を漂わせている。皺だらけの小柄な体に似つかわしくない凛とした鋭い瞳。
 人ではない、化け物だと本能が告げていた。
「貴方の放った玩具の始末について話があって来たの」
 身動き一つとれないでいる俺に代わって、キャスターが話しかける。
「玩具……? はて、ワシはとうにそんなもので遊ぶような歳では――」
「魔術師の死体を弄ぶような趣味は貴方ぐらいしかなくてよ」
 被せるように老人の言葉を遮った。
「し、死体……?」
「あの女魔術師はとうの昔に死んでいたのよ」
「――――! そうか、そこまで気付いておったかキャスターよ! 流石は稀有の魔女。魔術のことなら全てを見通すか」
 耳障りな声で笑う。
 老人特有の痰が喉に絡まったかのような篭った声。
 不愉快にさせるためだけにそんな声を出しているかのように。
 そして実際、声もその内容も不快極まるものでしかなかった。
「あの魔術師は既に内から食い破られていたわ。原因はあの義手ね」
「別に隠すことではないのう。油断ならぬ手駒は隷奴にするが最上じゃ。生きたまま我が蟲どもに食わせてやったわ」
 酷く残酷なことをあっさりと肯定する。
「ふん……マキリの蟲は私の想像を超えていたわ。脳を残し、それすらを操るなど―――陵辱も極めれば芸ということかしら」
「カカカ。どうせ既に鬼籍に入った生きた死人。死人は死人らしくワシに使われるが良かろうて」
「一つだけ気になるのだけれど、死体はもう魔力を生み出すことはない。どうしてアサシンと繋がったままでいられたのかしら」
「何故、何故、何故と聞くか。心当たりがあれば聞こう」
「魔術の塊を既に蓄えていたから、かしら。でもそれにしてもそんな手段は―――」
「自分にしかできない―――か。おうよ。生き血を啜るように生気を絞り取る真似はお主ぐらいしかできまい」
「じゃあ」
「今回、格好な魔術の塊が沢山あっただろう。サーヴァントこそ聖杯に奪われるが、もう一つ、それに叶わぬが相応の魔術の塊――――負け死んだ魔術師共の死骸が」
「――――っ」
「なっ―――」
 キャスターがやはりという顔で息を呑む横で、俺も絶句する。
「強力な力を持つ魔術刻印の刻まれたそれは、亡骸であっても膨大な魔力を蓄えておったということだ」
「おまえ……じゃあ……遠坂も……」
「おう。遠坂の娘か? あれもせいぜい有効利用させてもらったわ」
 事も無げにその老人は哄笑わらう。
「て、手前……」
 俺の前に手が伸びた。俺の肩にその硬い指が乗せられる。
「葛木……」
「衛宮、今は乗るな。明らかな誘いだ」
「はな―――」
 暴れて振りほどこうとするが、びくともしなかった。

 既にキャスターから聞いていたこともあって、今更遠坂が生きているとは思わなかった。
 けれども、死んでもなおそんな扱いを受けているとは思いもよらなかった。
 悔しい。
 悔しかった。
 憎い。
 憎かった。
 目の前の化け物が許せない。
「衛宮。殺意に飲まれるか」
「―――っ!」
 何故か、葛木の声が胸に響く。
「人を殺すことは大したことではない。が、感情に任せた殺意は人を壊す」
「なに、言って……」
 わからない。
 だから、理解しない。
「離せっ 離せよっ」
 俺は、こいつを、目の前のこいつを……
「カカカ。元気がいいのう。若い者は結構結構」
「くそっ」
 が、まるで俺の体は万力で固定されたように動かない。
 なんだよ、こいつキャスターの傀儡っぽかったくせに!
 ふざけるな!
 離せ!
 お前程度がっ!
 膨らむ怒り。憎しみ。
 悔悟と自責の奥で長い間忘れかけていた感情が、
 具え持っていなかった筈の感情が、
 掘り起こされて歪められた感情が、
 彩られ作られ表され……

 沸点に達すると思った瞬間、自分の中でピシリとヒビが入る音がした。

「え?」
 俺、今なんて思ってた。
 なんでそんなこと考えてた。
「あ、俺――――」
 急に、覚めた。
 まるで悪魔が躰から抜けたように、悪感情が引いて行く。
 同時に、肩を捕まれていた手が離れる。
「自分の暗部に向き合わない人ほど、気づきにくいものよ」
 キャスターは俺の方を見向きもせずに、そんなことを言う。
「ほう。魔術師としては未熟と思うたが……」
 そして老人が俺を見て首を傾げた。
「―――っ」
 もしかして今、俺は何かされていたのか。
 いや、待て。
 おかしい。
 何かおかしい。
「私も迂闊でした」
 キャスターのその一言は俺に謝っているように聞こえたが、本当のところは謝っているのは葛木にだろう。言葉遣いがはっきり違うからだ。
 何でだ? キャスターはこんな奴だったか?
 いや、違う。さっきのアレは目の前の老人の仕業じゃない。
 もっと遠く遠く、遥か昔から受けていたものだ。
 それが今、断ち切られようとしている。
 彼女自身の手によって。
 今、俺は誰に何をされた?
 何をされていた?
 誰がそうしていた?
 ずっと前から、少し前から?

 この術を解いたのは……誰だ?

「癇の虫まで使うなんて随分と洒落が利いているわね。間桐マトウ臓硯ゾウケン。マキリの最後の魔術師よ」
 遠坂のことや今の膨らみ過ぎた感情と今突然に湧き上がってくる疑問だけでいっぱいいっぱいになっている俺に対してまだ仕打ちがあるらしい。
「ま、間桐!? え、マキリって、え?」
「アインツベルンなく、遠坂なければ、残るはマキリというわけね」
「ちょっと待て。じゃあこいつは」
「マキリ臓硯ゾウケン。間桐の名はこの土地に居ついた時にでもつけたのでしょうよ。とっくの昔の絶滅したかと思っていたらまだ残っていたとはね」
「いや、そうじゃなくて」
 じゃあ、桜は? 慎二は?
「うむ。間桐と名を被せこの国に根を下ろしたのだが、どうもそれが間違いだったようじゃ。この国の土は我らには合わん。この二百年で血は薄れ、末も魔術の才など欠片も得ることなくあのようなザマじゃった。無様も無様。せいぜい笑ってくれい」
 そんな事はどうでもいい。
 大事なのは、訊かなければいけない事は一つだけだ。
「――――じゃあ。慎二は……」
 この聖杯戦争でマスターとして戦って、死んだと言うのか。
「痴れ者も痴れ者。出来そこないであることは承知しておったが、あそこまで無能ととは思わなんだ」
「おまえっ」
 慎二がこの聖杯戦争でどう戦ったのかは全く知らない。それでも、命を賭けて戦い、そして敗れたのであればその死を侮辱することなど許していい筈がない。
「ふふっ」
 キャスターが何故か意味ありげに笑ったのが聞こえたが、頓着はしなかった。
「慎二はおまえの身内だろう! そんな言い草があるものかっ」
「あれの父も相当の無能であったが、その子は輪をかけて更に救いのない不良品であったわ。勘違いしているようだが、ワシはあれに聖杯戦争に参加しろとも言わなんだし、出たところで勝てとも言わなんだ。ただ、一門の名に泥を塗りたくる為だけにしゃしゃり出て挙句に死なれたのでな。これでも憤っておるのだよ、おぬしよりもな」
「じゃあ桜は―――桜も、慎二と同じように魔術師だったのか」
「言うたであろう。才を得ることはなかったと。慎二も桜も最早魔術師でもなんでもなかったわ。そのくせ慎二が参加したものだからな、他の者は避難することになったというわけだ」
「ああ。だから―――」
 桜はこの町を離れたのか。納得した。
「――――――――」
 ほう、と胸を撫で下ろす。
 ……良かった。
 間桐が魔術師の家系だった事には驚いたし、慎二がマスターとして死んだ事は問題だ。それでも、桜が避難してくれてもう関わりあいになることはないのだと思うと、今は素直に安堵できる。
「茶番はいいわ。それよりも、聖杯の破片は今どこにあるのかしら?」
「さてのう」
 キャスターが一歩前に出る。
 同時に、老人は一歩後ずさった。
「キャスター」
「わかっております、宗一郎様」
 初めて葛木が喋った。
 頷くキャスター。
「ふむ。感づかれたか。流石はただの人間の分際でマスターになっているだけはある」
 そう言って、手にした奇怪な杖をカツン、との地面を打ち付ける。
 すると、臓硯の背後から蹄の音と共に、練の甲胃に重籐の弓をたばさみ、黒鹿毛馬に騎乗している鎧武者が姿を現した。
「な―――」
 大仰な姿をしたそれは、絵巻で見る戦う武者そのものだった。詳しくはないが、その格好からして、時代は戦国とかじゃなくてもっと昔、源平合戦に出てくるような派手な鎧兜だった。
「―――ぬしに問■■。彼奴■■我ら■敵たる■■か」
「おうよ。庭を荒らす野鼠に畑を荒らす土竜、果ては獲物を横取りせんとする烏まで揃うておるわ」
「―――サーヴァント!? まさかっ!?」
 まだ存在するものがいたのか?
「これは……ライ、ダー?」
 眉を歪めて、キャスターが呟く。
「マキリが呼び出したのはライダーだと聞いていますが、確かこんな存在ではなかった筈……」
 それにそのライダーも敗れて退場している筈。
 だが、現実に敵はそこにいる。
「大体、この島国で聖杯戦争をしておるのだ」
 その言葉と共に老人の全身が暗く翳っていく。
「だったらこの島国の英雄を召還した方が、より大きな力を得ると考えるのが普通だろうに。この島国は驚異的に宗教色が薄いのだから尚更だ」
 突如出現したかのように、奴の傍らに馬に跨ったままのそれが控える。小脇に抱えている大薙刀の刃がすっかり暗くなった夜空に煌く。
「だからそんな端武者を拵えたというのですか」
 嘲りの言葉を投げかけるキャスター。
 侮蔑の表情を隠そうともしていない。
「いくらこの島国で力を得ていようとも、英雄と呼ぶには少々役者が不足しているのではなくて」
「正体も知らぬ癖に言いよるわ」
 余裕綽々に見える老人は、キャスターの挑発にも全く動じない。
「―――名をばき■つらんものを、■■は目に■見よ」
 ライダーが雑音だらけの声で、名乗りを上げる。
「■■頭義■が嫡■■倉悪■■■平、■■■■歳。十五■年、■■国■■■■■合戦に伯■帯刀■■■賢を手にかけて討■■■しこのかた、度々の■に一度の■■せず」
 体の中の骨同士が鳴るような音を立て、やっと理解できるか出来ないかぐらいの言葉を出している。聞くことは途中で諦めた。
 そんなライダーに対して、葛木は立ったまま動かない。それはいつでも戦えるということなのか。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
 まだ争うところではない。
 ことここに至ってはという段階であろうが、向こうがやる気満々だろうが、粘れるだけ粘らなければ。
「さっきから破片破片って……聖杯を作るのに必要なのは七人分のサーヴァントの魂と、それを受け止める器なんだろう? 聖杯よりも中身が大事なんじゃないのか? どうしてそんなもので争う?」
「―――小僧」
 哀れむ臓硯の声。
「そこまでおまえさんに話す必要があるというのかね?」
「な、お、俺は……参加者だ。知る権利はあるだろう?」
 無関係ではない。
 その事を訴えるつもりが、随分と泣き言を漏らしているような気分になる。実際、そうなのだ。
「ワシは別に解説者ではない。その権利とやらを振りかざす相手を間違っておるわ。それに己がやろうとすることをわざわざ小僧に知らせる義理も無いし、そのつもりもないわ」
「うっ」
 身も蓋もない。確かにそれはその通りではあるが。
「教えてやろう、実はこれこれこういう訳なのよという答えを期待したか? ならそこの女狐に聞くが良かろうよ。まあ、答えがあるかどうかまでは知らぬが」
 そして、もう今となっては遅いがなとも言った。
 でも、今までの話とどこが違う。どうしてそこまで言ってくれない。
 だって、俺は―――
「魔術師の本質は秘匿にある。本来、技能者というのは己が創りあげた成果に関しては誰にも明かさぬものだ。後継者にのみ伝えられる。古来で言えば医者、今で言えば料理人などもそうだろう。秘伝や、門外不出などと言うではないが。魔術師はのう、己の行動、目的、そしてそれによって出た結果、その全てを隠し通す。自分さえわかっていればいいのだ。必要とあらば公開するが、それは公開することによって得る目的があるからだ。必要も無いのに逐一これこれこういうわけでこういうことなんだと喋る奴がどこにおる」
「だ、だけどっ……」
 その目的とやらにこんなにも人が、人が―――
「うっ―――」
 手で口元を押さえる。
 吐き気がする。
 頭の奥隅でチリチリとした痛みが走る。
 人が沢山沢山死んでいる光景。
 どうして、脳裏に重なる。
 罪の意識なのか。
 常に向き合うべき原点なのか。
 だが遠い。
 何故か遠い。
 俺が遠ざかってしまったのか、目の前で突きつけられるような脅迫感はない。
 変わりに粘泥のようにこびりついた様な不快感が沸き立つ。
「この子は正義の味方になりたいらしいわ」
 こみ上げる嘔吐感を堪えている俺の横にキャスターが立つ。
「ほう」
「だからこそ悪行を繰り返す貴方が許せないし、その行動理念が理解できない。できることならその行為の悪いという部分を突きつけて貴方に反省、謝罪、そして贖罪を行って欲しいということなんでしょう」
 からかうような声。
 実際、からかっているのだろう。
「ほっほっほ、それは参ったのう」
「いいじゃない。その真っ直ぐさは好感が持てるわ」
「随分と虐殺を繰り返した魔女が何を言うことやら」
「――――その名を呼ぶのは許さないわ、蛆蟲如きが」
「おう、蟲よ。しかし今の貴様が存在していられるのは、その小僧にとっては悪行なのではないか? それについては話は済んでいるのか?」
「なっ……」
 それはどういうこと、だ。
「ほほほ、愛でるのと自らを省みるのはまた別でしょうに。それに……自分の持ち得ないものだからこそ、愛でて楽しむのではなくて?」
「ならば、亡くしたものを追い求めるのも自然な行為じゃろうて」
「この期に及んで正当化?」
「まさか。付き合っただけよ、汝の戯言にな」
 そう言い終わると、
「やれ、ライダーよ」
「―――承■」
 そう言って傍らに控えていた鎧武者の後ろに回る。
「宗一郎様。あのサーヴァントの攻撃を二太刀、抑えてください。魔術師は私が――」
「―――うむ」
 役割分担は一瞬。
 そこに俺の割り当てはない。好きにしろということらしい。
「来るならば、応えよう」
 臓硯はキャスターを前に怯むことなく杖を構えた。



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