思いをきみに


 来た道を戻る。
 そっちの方が近かったからで他意はない。
 あるのはすぐに休ませたいという一心だった。
 客間に蒲団を敷いて、美綴を寝かせた。
 ほんの少し前までこんなことになるとは思っていなかった。
 本当にいつもいきなりで、容赦がない。
「衛宮……」
「いい。寝てろ」
 目覚めたらしいが、喋りたくなかった。
 何も言いたくない。
 俺はやっぱり人並みの幸せを―――
「それは違うぞ。衛宮」
 起き上がるとする美綴を推し留める。
 外傷はないにしろ、キャスターが言うにはあんな真似をただの人間がやると体力が根こそぎ奪われるとのことだった。しかも今日は数時間も俺の稽古にも付き合ってもらったし、そもそも先日の怪我のこともある。どれをとっても休ませる以外の選択肢は思いあたらない。
「美綴、いいからおまえもう喋るな」
 右腕で俺の襟元を掴んで必死の形相を作っている。
 彼女には、そんな顔をして欲しくない。
 俺の記憶の中の彼女はいつも悠然として、忙しなくばたばた動き回ることしか出来ないでいた俺からすれば羨望の対象だった。
 それは俺にとって紛れもなく日常の一部分だった。
 侵されたくない世界だった。
 そんな俺の思いを無視するように、美綴は俺を捕まえて離さない。
「なあ、衛宮」
「美綴……」
「おまえは、絶対に一人になるな」
 午前中に話した切嗣 ( オヤジ ) との思い出話。
 俺があの人に救ってもらったことで救われたことを話した際、美綴は妙に塞ぎこむような顔をした。その際、この話のどこが悪かったのかと問うた。あまり人に話したことのない話だったから、人の反応がどうなのかということに自信が持てなかったからだ。美綴は話自体ではなく、その話をした際の俺の顔が気になったのだと言った。
「おまえは自分で自分を止められない。自分の考えに疑問を投げかける自分が内にいない。だから言い出したら決して引こうとはしないし、誰が何を言おうと聞き入れようとしない。それしかないから」
 暫くして言ったことはそんなことだった。
「桜が何とかその辺を補ってくれないかなって期待した部分もあったけど、駄目だったみたいだ。おまえはきっとただ言われても駄目なんだ。袖を引くだけじゃ聞いてくれない」
 その原因が俺の根底にある今の信念だという。
「本当に死んでいった人間に報いるのはおまえがそいつらの分まで生きることだ。陳腐な言葉だ? 生き延びた者の幻想だ? ざけるな馬鹿。それでおまえまで死んでしまったらおまえの影で死んでいったものがそれこそ馬鹿みたいじゃないか」
「いや、だから俺は死なない。死ぬことなんて……」
「黙れ」
 だからどうしてそんなに必死になって俺を責めるんだ、おまえは。
「人を救いたい。同じことを繰り返したくない。その考えはいいさ。一人生き延びて居心地が悪い。後ろめたい。そう考えるのは当たり前さ。抱えていくのに何の不都合がある。けれどそれこそが至上命題、自らの生存の条件に勝手に拵えてどうする? おまえが命を捨てて助けることがおまえの趣味か? 違うだろ。そんな責任感を持たれて生きられるのこそ、助けられるのこそ迷惑だ。知っとけ」
 美綴は襟首を掴んで離さない。
「おまえはただその嬉しかった気持ちのまま、憧れの気持ちのままでいればいい。背負い込むな。そしてそれが全てと思うな。一番大事なことだと決め付けるな。そしてそうおまえに常に言ってくれる奴を手放すな」
 極端すぎるんだよ、おまえは―――そう締めくくった言葉が俺にとって響いたのか響かなかったのかは微妙だ。
 それすら見越していただろう。
「懲りなければ、何度だって言ってやるからな。覚悟しておけよ」
 最後に美綴はまるで呪うように吐き捨てた。


 美綴の規則正しい寝息が聞こえてくる。
 相当疲れていたらしくあっという間だった。
 起こさないように気をつけながら布団に寝かしつける。
「美綴……」
 ふっくらとした頬。かすかに上下する胸。
 筋肉の付き過ぎを気にしたりして、女のらしくないと思っているようだけど見れば見るほど女の子をしている。
「ふぅ……」
 申し訳なさだけが残る。そして変な緊張が体を強張らせたていた。
「さて……」
 居間に戻って、時計を見る。
 頃合いだ。
「行くの?」
 身支度をして玄関に向かうと、下駄箱脇に魔女がいた。
 微かな舌打ちとともに掲げていた腕を下ろして、誤魔化すようにそんなことを聞いてくる。何かしようとしていたのかもしれないが、どうでもいい。鍵は掛けた筈だし、この家には不法侵入者を感知する結界が張られているのだが、彼女にとっては開け広げと変わりが無いらしい。
「ああ」
 当たり前のことのように頷く。
 実際、当たり前のことを聞かれたようにしか思えなかった。
「言うまでも無いけど相手は一流の魔術師とそのサーヴァントよ」
「知ってる」
 お陰で思い出した。それがどんなに物凄い存在で、半人前の自分などとは比べ物にならないことまでも。
「戦えば、いいえ。戦いになる前にあなた、死ぬわよ」
「そうなるつもりはないけどな」
 靴を履く。
 靴紐を念入りに締め直した。
 ちょっとやそっとじゃ脱げないように。
 詰まらない所から遅れを取らないように。
「どうしてあなたが戦うわけ?」
「それは―――」
 そんなことは決まっている。
 二人して外に出ると、玄関の鍵を締めた。
 忘れ物はない。
 ここには、ない。

「俺は、正義の味方になるんだ」

 まだ未熟者だけど。
 半人前だけど。
 出来ることなんかたかが知れてるかも知れないけど。


 それが―――何もしないことへの言い訳にはならない。


「馬鹿ね。犬死ならまだしも、邪魔になるだけなのに」
「だとしてもだ」
「自分の身勝手を人に押し付けようってわけ?」
「かも知れない」
「他人を巻き込んで、好き勝手に冒涜しても尚、自分の理想を大事に抱えようというの、あなたは」
「うるさい。俺はもう後悔したくないだけなんだ。何も出来なかったということは嫌なんだ」
 文句を言いながらついてくるキャスターの方を振り向くこともせず、歩き続ける。
 人気の無い夜の町並みを踏みしめるように。
「どうして今回に限って構うんだよ、おまえは」
 関係ないとばかりに切り捨てる癖に。
 だから俺こそ、おまえなんか関係ないと言い捨てたい。
「私はね、勇者や英雄が大嫌いなの」
 キャスターは言う。
 どういう表情で言っているのかは前を歩く俺にはわからない。
「出来る出来ないに関わらず自分が仕出かした事から他者に与える影響を考えないから。自分の目に見える範囲の話しかしないから。都合の良い想像しかしないから。責任をとろうとしないから。その行動だけで物事を解決できると思っているから」
 俺の耳は都合の悪いことは聞こえない。
 だからこそキャスターの声も耳から耳へと聞き流すだけ。
 歩みを止めることは無い。
「だからって勇者や英雄に憧れる奴も嫌いかというと―――そうでもないわ。まだ彼らには倣岸さはないから。謙虚さが残っているから」
 何が言いたい。
 そう問うべきなのだろうが、声には出さなかった。
 耳をそばだててると思われたくなかったから。
「一つ根本的なことを聞くけど貴方、どこへ向かってるの?」
「あてはない」
 ないけど、向こうから来る。
 さっきは罠だと警戒していたと言っていた。
 だとするのならもう罠でもなんでもないと知っている今ならもう、躊躇はしないだろう。ただそれにはこのキャスターが邪魔になる。
「どっか行けよ」
「あら、どうして?」
 揶揄するような声。
 くそっ。わかってて言ってやがる。
「ただ来るかどうかわからない相手を待つなんて酔狂ね」
「放っとけ」
「なら私が居場所を教えてあげる。さっき付けておいた目が、潰されたところを」
 バゼットに何か仕掛けていたらしい。
 つい足を止めてしまった。
 しまったと思ったがもう遅い。
 その俺の反応に満足したような笑みを浮かべるが、何も言ってこなかった。
 それもまた馬鹿にされているようで悔しかったが、黙っていた。
「そうそう、まずは地図がいるわね」
 そう言って、キャスターはその掌からいきなり模型を出現させた。
「あ」
 縮小されたこの町全体の立体模型だった。
 TV局が災害や事故が起きた時などにニュースで使う小道具のような大きさで、その精巧さは比べ物にならない。
 もしこれがこの土地をそのまま縮小したものだと言われても納得できるぐらいに。
「あの魔術師を最後に確認できたのはここ」
 そう言って指差した先は、俺の知っている場所だった。
「ちょっと待て、ここは……」
 確信を込めて語るキャスターの指し示した先は、俺を驚かせずにいられなかった。
「嘘、だろ?」
「アインツベルン、遠坂と並んでこの聖杯戦争の仕組みを作ったマキリの根城。まさか今更何もないなんてことは無い筈よ。そうでなくても調べてみる価値は十分あるわ」
「ちょっと待てよ。何言ってるんだか……わからない」
 聖杯戦争の仕組みを作った?
「だってそこは、その家は……」
「まあ、だったら好きなところで立ちんぼしていればいいわ。私はそこにいく。ついていくかどうかは貴方の勝手よ」
 そう言って、キャスターは俺を追い越して歩いていった。
 その気になれば瞬時に移動できるくせに、わざとらしい。
「………」
「来るのね」
「うるさい。たまたま行き先が一緒なだけだ」
「そうね。本当に偶然ね」
 可笑しそうに笑う。
 その笑顔を見て、ふと思い出す。
 何故俺はこいつと馴れ合っているのだ?
 いつから、そうなってる?
 何度か出た筈なのに消えていた疑問がまた浮かび、そしてこの時もまた消えていった。
 二人して坂道を上っていく。
 うちの方とは正反対の住宅地だが、その在り方は変わらない。坂道は上って行けば行くほど建物が少なくなり、人の手が入っていない雑木林が多くなる。
 町としての機能は坂の下に集まっているのだから、上に行けば行くほど家が少なくなるのは自明の理だ。
 その中で、頂上に近い位置にある数少ない建物が目的地だった。
「来たか、衛宮」
「く、葛木……」
 そして、そこには葛木が居た。
「そ、宗一郎様……」
 キャスターも動転しているようだった。彼がここにいるのは彼女にとって予想外のことだったらしい。
「すまんな。会おうと思えば逃げられる。結局、捕まらず仕舞だ」
 葛木は手短に、老人を探していたこと、見当たらないのでキャスターと合流することにしたのだと俺に伝えた。キャスターにはあらかじめ話していたのだろう。
 しかし何故単独行動をしていたのか、狙われる可能性を考えなかったのか。実際狙われなかったのか、幾つかの疑問が浮かんだがすぐに忘れた。実際、今の俺にはどうでもいいことだった。
 そして俺たちは目的地の前に立つ。
「本当にここなんだな」
「ええ、間違いないわ」
 もう一度キャスターに確認する。
 葛木は俺たちのやり取りに対して口を挟むどころか、この場所に対して反応すら示さなかった。この寡黙な教師は知っているのか、ここが誰の家なのかを。
 間桐邸。
 そこはかつて桜と慎二が住んでいた家だった。



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