バトンタッチ


 そんなに遅い時間ではなかったけれど、送っていくことにした。
 美綴は不要だと笑っていたが、二度も被害に遇えば説得力はない。
 いや、一度は俺のせいなんだけれども。
 あの日の襲撃以来、いつ来るかいつ来るかと夜な夜な身構えながら外出を繰り返していたのだが、今日の日までバゼット達が襲ってくることはなかった。
 そう今日の日までは。
「衛宮、あたしは思うんだが……」
「なんだ、何でも言ってみろ」
「もしかしてあたし、狙われてる?」
「どうだろうな」
 結界でも張られていたのか、こんな時間なのに人気がない。


 そして道の先、路上の真ん中には、アサシンが所在無げに立っていた。


「―――罠だと思っていたからだ」
 そして少し離れた場所にいるのは、バゼット・フラガ・マクレミッツ。
「あんなことがあった次の日からも何も変わらずのこのこと一人で無防備に出歩くなんて、そこまで見下げ果てた馬鹿者だとは普通、思わなかったということでしょう」
 そのバゼットを挟むようにしてキャスター。最弱のサーヴァントと揶揄されながらも、アサシン相手であるなら裏でまどろっこしく画策するよりも直接動いた方がてっとりばやいということなのか。
 葛木はいないようだったが、役者はあっさりと揃ったようだった。
「衛宮、おまえ―――」
「美綴。悪いけど、少し下がっててくれ」
 美綴を手で制しながら、俺はずっと持ち歩いている強化済みの木刀を背中から取り出した。
 キャスターがバゼットと対峙している以上、俺の相手はあのアサシンだろう。
 戦闘モードに入っているようにはとても見えないが、姿の見えない葛木を警戒しているのかも知れない。
 どちらにしろ、このまま黙って通り過ぎることができるとは思えないし、俺もそのつもりはなかった。


「殺す前に一つ聞いておきたいのだけれど―――その令呪はどうやって手に入れたのかしら。貴方は奪ったのではなく奪われた側だったのでしょう?」
 アサシンのマスターの証である令呪はバゼットの左腕の甲に刻まれていた。
「フン。綺礼如きが奪えたのだ。私が出来ないはずがあるまい。貴様とて破戒すべき全ての符ルールブレイカーがあるではないか」
「ふん……それで私のアサシンも盗んだわけね」
「貴様のサーヴァントはあれの餌に過ぎん」
 彼女の親指の先はアサシン。既に先手を打つようにして襲い掛かっていた士郎を迎え撃っている。
「その腹から産まれたくせに言うわね」
 それを合図として、二人はそれぞれ呪文の詠唱に入った。
 バゼットの腕から、キャスターの全身から魔力がそれぞれ膨れ上がった。


「負けられない。今度こそ、負けられない」
 まるで自己暗示にかけるように呟き続ける。
 事実、暗示を必死にかけていたのだろう。
 ただ、自分にさえも効かないだけで。
「チィッ!!」
 大きく舌打ちをしたのは、相手を倒せないでいる苛立ちか、呟きが耳障りなのか。
 どちらにしろ、俺は黒いローブをはためかせるアサシンに向かってその木刀を幾度もふるい続けた。
「負けられない……っ 負けられない……っ」
 瞬時に飛んできたのは、三本の短刀ダーク。どれもが俺の命を一撃で奪う為の疾さを持っていた。
「くっ」
 必死に顔面と急所に迫るそれを手にした木刀で叩き落しながら、俺は猛攻に耐え続けていた。
 アサシンはまるで本気を出していない。
 彼にとって衛宮士郎は本気を振るうまでの相手ではなかった。
 ならばさっさと片をつければいい。
 なのにそうしないのは深い意味があるのか、単に嬲っているだけなのか。
 その白い髑髏の仮面からは表情を窺うことは出来ない。
「だぁぁっ!! しつこいっ!!」
 俺はアサシンの短刀ダークに痺れを切らしたように、そう叫ぶ。
 そしてわざと隙を見せる。
 大きく木刀を振り上げて、大きく飛び込んで見せたのだ。
 自殺行為。
 逸るには理由がある。
 けれどその理由に俺は自分で気づいていなかった。
「負けられないっ! 俺は負けられないんだっ!」
 無防備な胸にアサシンは躊躇いなく短刀ダークを三本、立て続けに投げ込んだ。
「うりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!」
 絶叫。
 咄嗟の判断からの賭け。
 それは、アサシンの正確な投擲だった。
 狙われる場所を作ることで、相手の攻撃を完全に読みきる。
 予想通りの相手のリアクションに対して俺は、振り上げていた木刀を思い切り投げつけた。そして、
「――――投影、開始トレース オン
 投影する剣を―――
「莫迦! 衛宮、避けろっ!!」
 美綴の絶叫は、自分の奥の手に気づかない故にと過信した。
 が、それが間違いだと即座に気づく。
「な―――」
 ザクリと、左腕に突き刺さった短刀ダーク
 そして残りの二本も確実にそれぞれ、両太股に突き刺さった。
「が、がぁぁっ!?」
 バランスが保てない。
 集中力が途切れる。
「―――っ」
「くぅぅ――――っっっ!!」
 が、無理をした。
 たじろいだのも一瞬。崩れかけたのも一瞬。
 痩せ我慢は俺の特権。
 太股に根元まで刃を埋め込まれた両足を奮い、消えた剣を改めて出現させると、つめきれていなかった残りの距離を一歩で埋めた。
「ぐがぁぁぁっ!」
 眉間目掛けて放たれた短刀ダークは右腕を犠牲にして食い止めた。


「―――鶴翼しんぎ欠落ヲ不ラズむけつにしてばんじゃく
 必死になり、傷だらけにされながら浮かんだのはあの背中だった。
「―――心技ちから泰山ニ至リやまをぬき
 見た覚えがない筈の背中なのに、その背中を俺は良く知っていた。
「―――心技つるぎ黄河ヲ渡ルみずをわかつ
 そしてその背中の持ち主も。

 短刀ダークを握る余裕もなかったのか、アサシンはその腕を振るってきた。見た目よりも幾分長い腕は腕と腕との間を突き抜けて、指先は俺の顔面を抉っていた。
 ただ、強引な分、爪先が皮を破いた程度だ。
 同時にその腕を両腕で挟み込む。絡め取った。
「――――っ!」
 安易に引き抜こうとする危険を避け、反対側の腕で俺の顔面を横殴りにフックを打つ。化け物じみたその腕は絡め取った腕よりも段違いに長くて、危険だった。
「かぁっ!! かはぁっ!! あがはぁっ!!」
 が、その腕は殴るものではない。
 側頭部を延々と殴られ続けるが、捕まえられたままということもあってか、威力が弱い。
 酷く、無様。
 殴るアサシンも殴られる俺も同時に感じていた。

 ―――唯名せいめい 別天ニ納メりきゅうにとどき

 ―――両雄われら共ニ命ヲ別ツともにてんをいだかず……!

 ランサーと真っ向から向かい合い、相手の一方的な猛攻を悉く凌ぎ切ったその姿。
 俺は之を両手に持っていた。

「……くううっ」
 幾度となく殴られながらもその信念は途切れない。信仰は終わらない。
 しかもその呪文は既に、目の前のアサシンではない誰かへと向けられていた。
「俺は―――がってなんかいないっ」
 可能にしたのは魔術のスイッチが入ったから?
 投影の仕組みを理解できたから?
 否。
 あの背中に既視感デジャヴを覚えるのも当然だ。
 俺は識っている。
 ありもしない未来を知っている。


―――あれは、俺の辿ってはいけない道BAD END


 あれを衛宮士郎が憎むのも、当然のことなんだ。


「―――行っっっっっっっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――――っっ!!」


 両手の刃をアサシンの胸に突き立てる。
 代償は自身の命。
 全ての防備を擲ってこの一撃に全てを捧げる。
 が―――


『―――予想通りね。簡単な逃げ道を用意しておけば、まずそこを通ると思ったわ』


 その瞬間、酷く遠く、まるで月あたりから交信しているような頼りなさで、遠坂の声が聞こえた気がした。
「――――え?」
 同時に、襟首を掴まれる。
 強い、物凄く強い力で、それは―――俺を一気に後方へ転がり倒した。
「――――――――、?」
 なに、が、起きた、のか。
「……これで貸し……二つ目、だな……」
「―――なっ」
 耳元からは美綴の声。
 見ると、俺とこいつは絡み合うようにして倒れていた。
 アサシンは呆然としているように動かない。
 さっきの場所から動いていないのなら、動いたのは俺だ。
「あ―――」
 そこで漸く俺は美綴によって後ろから引き摺り倒されたのだと知る。
 同時に、さっきまで俺のいた場所がまるで圧縮でもかけられたかのように地面がへこんでいた。
「おまえ……」
 俺を助けた、のか。また。
 また、俺は助けられた、のか。
 助けようとしたのに。
 助けたかったのに。
 俺が、おまえを助けたかったのに。
「馬鹿! なんて無茶を……」
 見ると美綴の左手が手首の先から気味が悪いぐらいに伸びていた。
 手首の先は見えないが恐らく俺の襟首を掴んでいるのだろう。
「いくら傷つけても平気とかいう以上、普通のものじゃないのぐらいはわかってたが……こういうのは流石に驚くな」
 顔から汗を物凄く流しながら、美綴は笑った。
「必死になって手を伸ばしただけなんだが―――酷く、疲れる」
 そう言って、目を閉じた。
「美綴っ!」
 慌てたが、どうやら気を失っただけらしい。
 そして掃除機の電源コードをしまうように、左手首が元に戻っていく。
 何だか、こういうのは嫌だ。
「おい、キャスターっ!」
「なあに」
「え? あれ?」
 我を忘れて遠く離れて戦っているキャスターを怒鳴ろうとした俺の意表をつくようにして、キャスターはすぐそこに居た。
「また逃げられたわ。そろそろ向こうもこっちの力に追いつかなくなってきているのだから当然かしら。でも……もう逃がすつもりもないけれど」
 見ると、バゼットもアサシンもいない。
 また俺たちだけが残っていた。
 出来の悪いコントだ。
「それより……ふぅ」
 困った者を見る目で見られることはもう数え切れない。
 キャスターは俺の腕と太股に刺さったままの短刀ダークを無造作に引き抜くと、短い詠唱をを始める。見る見るうちに傷が塞がっていった。
「……? これだけよね」
 何故かキャスターは術をかけながら首をかしげる。何か気になったことがあるらしいが些事として忘れるように二度首を振っただけだった。
「いや、俺なんかどうでもいいから美綴を―――」
「気を失ってるだけよ。貴方もわかってるでしょう?」
「そ、そうか……」
 ホッとする。
 が、すぐに腕への仕打ちを思い出してカッとなる。
「――――」
 言いかけて、止めた。
「吼えないの?」
「ああ。何か、気が抜けた」
「―――そう」
 本当は違う。
 怒る筋合いではないことに気づいただけだ。
 けれど、素直にそれを認めるのが悔しいから嘘をついた。
 ただ、それだけ。



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