共に、過ごす


 美綴の家で昼食をとってから、そのまま俺の家に向かうことにした。
 ここ数日休んでいたということで、美綴に稽古をつけて貰うことなったわけだが、それ以上の理由として、
「あんたがあたしん家知ってるのに、あたしがあんたん家を知らないのは不公平だろう?」
 なんて当然のような顔で言われたのには参った。まあ、着替えなどを考えるとどっちにしろ一度家に戻った方がいいので構わないのだが。
「しかし、悪かったな」
「ああ、弟さんのことか?」
 悪かったと思うのはむしろこっちの方だ。あそこまで警戒されてしまっては、なかなか申し訳がないように思ってしまう。昼飯も話しかければ答えるものの、終始無言でしかもじっと観察でもするような目で眺められていて、美綴が苦笑するぐらいに落ち着かなかった。
「ちょっと人見知りが激しくてな。家族の中なんかだと全然違うんだが……」
 なんとかならないものかねと呟く彼女に、
「オマエの図太さを少しは分けてやれればいいのにな」
「お、いうねえ。衛宮」
 悪口を言ったのに妙に喜ばれた。
「衛宮も似たようなもんだろ。懐かなさは」
「そうか? でもだからってそんなに嬉しがるかね、おまえ」
「そりゃあそうさ。あんたがそんなずけずけとした口を利くのは本当に殆ど居ない。自分で気づいてないだろ。くだけた口は利くくせに、本当に無遠慮な言い方をすることは滅多にない。その貴重が自分に向けられるってのは悪い気がしないからな」
 オマエにとって気を回すことが普通なんだ。従者属性だな、とまで言われる。
 くそ、散々だ。
「あ」
「え」
「げ」
 マズイ奴に会った。それは美綴も同様だったのだろうが、げはないだろ、げは。
「よう、美綴に衛宮じゃん。休日も二人揃っていいねぇ。デートですか」
 ニヤリと意地の悪い笑みを作りながら蒔寺楓が、そこにいた。
「こちとら期末勉強で汲々としているってのに、ラブなお二人は違いますなあ」
「おい。だからおまえな―――
「そうね。年中無休で相手無しの穂群の黒豚殿にはわからないかも知れないわね」
「は?」
 美綴が反撃に出たのは良く分かったが、いきなりでついて来られない。
「黒豹だ。黒豹! あたしゃ、鹿児島産に見せかけて実はカナダ産かっつーの」
「それはごめん遊ばせ。私、マキジさんを見ているとキロあたり幾らっていつも考えてしまうの」
「―――うげ、目が怖いぞ。冗談に聞こえねえ」
「ふふふ。さてどうなんでしょうねえ。つーことで、あたしは衛宮君は彼の家でくんずほぐれつの密着した時間が待っているの。折角の休日に誘う人もなく、一人寂しく商店街の裏通りの骨董屋に入り浸るぐらいしかすることがない蒔寺さんのお相手はしてあげられなくってよ」
「な、ちょ……」
「へ。え? え? あ、な、なんだよそれ―――くっ。くそぅ、覚えていやがれ」
「御機嫌よう。あ、こないだちょっぱった人のゲーム早く返せよ」
 最後だけいつもの口調に戻って美綴が言い放つ。目を白黒させた蒔寺は本当に悔しそうな表情を作ると、脱兎の如く駆け出していった。流石は陸上部、早い早い。
「じゃなくて!」
「あはははははは。やりぃ!」
 何か大笑いですよ、この人。
「ん? ああ、少し誇張したかな」
「思いっきり誤解されたぞ! あれ!」
「どうせどう言ったってからかってくるのは間違いないんだからいいじゃん」
「いいじゃんって……わ、わからねぇ……」
 こういうので噂とか立てられると困るのは女の子の方じゃないのか?
「あいつもまあ、どっか歪んでるからな。根っこは照れ屋なんだろ、多分」
「はあ……」
 何かもう疲れてしまった。
「……そうだ。折角だから腕でも組むか?」
「な、お、おいっ」
「ははは、止めとくか。藤村先生あたりに見つかると後が怖い」
「確かに」
 想像すらしたくないところだ。
 いや、そうじゃなくてそんな気安く腕を組むだなんて言うな。
 恥ずかしいだろうが。
「いいんじゃないの、別に。あたし美綴さんなら反対しないわよ」
「「っ!?」」
 いきなり背中から聞こえる筈のない藤ねえの声が聞こえてきて、揃って飛び上がる。
「な、な、な……藤ねえ!?」
「ど、ど、どうして―――」
「あら、声も揃って随分と仲が良い」
「いや、そうじゃなくて」
「何言ってるのよ士郎。家の前じゃない」
「あ―――」
 迂闊。
 確かに後は坂を通ったあたりで俺の家だった。
「で、二人はどこまで?」
「いってません!」
「む! お姉ちゃんにまで隠し事? じゃあ、美綴さんに聞こうかしら」
「あー、衛宮の言う通りです。ちょっと彼の家の道場を借りようと思いまして」
 美綴は持参した胴着やタオルの入った手提げ袋を広げて中身を藤ねえに見せた。
「色気のないデートねえ」
「だからデートじゃありませんってば」
 覗きこんでのその一言に、美綴も苦戦しているようだ。流石に蒔寺とは勝手が違うらしい。
「まあいいわ。士郎もそろそろ家に女の子を引き込んでもいい年頃だと思っていたのよ」
「はあ? おい、藤ねえ……」
「うんうん。ちょっとここのところ色々とあって落ち込んでたみたいだし、今日は久々の休日だから士郎で遊ぼうと思ってたんだけど美綴さんに譲るわ」
「え、ええと……」
「知っての通り、相当の唐変木だけど確り頼むわよ。こんな時だからこそ、そういうのって大事だと思うの」
「あの、そういうのって……?」
「最後まで言わせない。じゃあ今晩は夕飯も遠慮しておくから確りね、じゃ」
「あー、その、えー」
 俺たちにろくに何も言わせぬまま、勢い良く藤ねえはしゅたっと片手を挙げて健闘を祈るとばかりに去っていってしまった。何なんだ、あの人は。
「美綴。何か物凄い勢いでとんでもないことになってないか、俺たち」
「すまん衛宮。あたしもかなり軽率なことをしたかも知れないと反省している」
 佇む二人。
 何か揃って背中は煤け気味だった。

 なんでだろう。
 そんなやり取りがあったせいなのか、その日一日は美綴と過ごした。
 どたんばたんと道場でいつも以上の稽古をこなした。
 体に関しては自己流で鍛えていたから、殆ど人から真っ当な教えを受けたことが無かった俺ではあったが、心構えは出来ているから問題ないと体の使い方を中心に教えてくれている。以前、初めに頼んだ際に、
「あたしができることはそうないぞ」
 の言葉通りではあったが、側で体の動きをチェックしてくれる人間がいるというのは全然違った。気づかないでばたばたやっているのと違って、おかしなところがあるとすぐに指摘してくれる。そしてすぐに手本を見せてくれるのも助かる。
 確かにこれらはどれほど役に立つかといえば、今回の出来事に限って言えば皆無に近いだろう。けれども、これからの自分のことを考えれば、これほど貴重なことはないし、やって得られる充実感は嫌いじゃなかった。
 自分では全く気づいていなかったけれど、俺は単純に体を動かすことがどうも好きらしい。美綴が俺に関することでズバズバ言うことで使命感とか義務とかで遮られて見えるものも見えなくなってしまっていたのかも知れない。
 やらなくてはいけないことに隠れて、本来やりたいことだったものも上から塗り潰されていたのかもしれない。
 何か今更こんなことに頭がいくなんてとても恥ずかしい気がして、感謝の言葉は述べずらかった。だからではないが、お礼として精一杯夕食をご馳走することにした。
 先日見ず知らずの少女を泊めたばかりなのに、妙に緊張してしまった。あの時は藤ねえが居たからだろうか。ただの行きずりの他人だったからだろうか。
 この家に女の子がいるというのはかつては珍しくなかった。
 桜が居たから。
 家族みたいに接してきたし、その絆はこれからもずっと続くものと根拠もなく思い続けてきた。それが違うと知らされたのは、こないだの桜との別れだ。
 身勝手な言い方をすれば裏切られた気分で、自分を省みれば随分と驕った考えをしていたと思う。
 彼女がいたからこそこの家は華やかだった。
 彼女自身は控えめで大人しかったけれども、藤ねえを加えて三人で過ごす食卓は間違いなく賑やかで楽しいものだった。
 セイバーとも結局、一日限りだった。あの朝、藤ねえ達と一緒に食事をした時は俺はこれからはこれがこの家の日常になってくるのではと思っていた気がする。聖杯戦争が終われば俺の前から居なくなることは知っていたのにだ。
 セイバーも桜もいなくなって、藤ねえさえもなかなか家に寄り付けなくなった頃に初めて、あれがとても贅沢でとても大切な時間だったと気づいたものだ。
 自分ひとりの為に作る食事は味気ないし、一人で食べる食事はとても寂しい。
 だからだろうか、こうして人と一緒に食事をすることが今はとても嬉しい。
 稽古に一区切りつけた後で、美綴にシャワーを貸している間に買い物に行って、自分以外の人の好みを考えてレシピを組み立てながら買い込んだ食材を前に、腕を振るう。人に料理を作ることが楽しいというよりも、自分一人じゃないことが楽しい。
 ビールはないのかビールは何て学生らしくない怪しからんことを言う美綴。
 桜が使っていたドライヤーを使わなかったのか、まだ生乾きの髪を靡かしながら、勝手に冷蔵庫を開ける彼女は、こないだ俺に楽しみを見つけろと言った。
 きっと俺は今みたいな時間を一番楽しいと感じているに違いない。
 誰かといる時間。
 他愛のない日常で、それが珍しくないからこそなかなか気づかないけれど。
 一人孤独になった時に思い知るのだ。
 朝も、昼も、夜も、深夜も、明日も、明後日も、一週間も、一ヶ月も、半年も、一年も、十年も、ずっとずっと一人で、一人きりで生きていく。
 そんな自分を考えると、凄く怖かった。
 俺が目指していたのは、そうなる道だったから。
 惟は人並みの幸せなど、味わってはいけないと思っていたから。
 正義の味方になると決めた、
 たとえ誰にも理解されず、受け入れられる事などなくとも、何度も裏切られようとも、幾度も絶望を味わおうとも、もう二度と―――あんな思いはしたくないから。
 その誓いは、覚悟として今もある。
 けれども芽生えたこの怖さに怯えているのはきっと、今抱えているものに対して甘く見ていたに違いない。
 恐怖を振り払うことで、信念に縋りつく。
 理想を追うことで、不安を置き去りにする。
 ただ黙々と人を救い、ただひたすらに命を護る。
 その結果が訪れるものは何なのか。
 考えたことがあるのか。
 幸せはそこにあるのか。
 人々は笑ってくれるのか。
 喜んでくれるのか。
 救ってくれたことを感謝なんかされなくてもいい。
 助けたことを評価してくれなくてもいい。
 その行為は、人を幸せにするのか。
 そしてそれで、

―――俺は満足なのか?

 何故か磨耗して草臥れた背中が脳裏に浮かんだ。
 その引き締まった肉体は、無数の傷痕を刻んでいる。
 体は傷に負けることはなかったが、内から染み出てきたものに心を侵されていた。
 あれは……
「おいっ。焦げるぞ、それ」
「わぁぁぁっ―――と!?」
 慌てて、フライパンの火を消した。



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