《家庭訪問》


 美綴が物凄い勢いで消えてから、入れ替わるようにしておずおずとした態度の少年が降りてくる。
「すみません。もう少しかかるようですので上がって待っててください」
「あ、どうも」
 俺が一言言うと、びくっと反応するのはどうかと思う。
 何か物凄く悪いことをしているような気になってしまう。
 どうも上から聞こえてきたやり取りを察するに美綴の弟のようだが、果たして訊ねていいのだろうか。居間に案内する間ずっとがちがちになっている姿を見ていると、迂闊に声をかけたり質問するのを躊躇ってしまう気持ちになる。
「そ、それじゃあ……ごゆっくりっ」
 居間のソファーを勧めると、そのまま逃げるようにして去っていった。
 もしかして何か勘違いされている、俺?
 いやでも、最初からだったし。
 仕方なく、宛がわれたソファーに腰を落とす。うわぁ、ふかふかだよ、これ。体が小さかったら上手く座れずに何か転んでしまういそうなぐらいだ。
 確かに先日言っていたようにご両親は今はいないようだ。休日だというのに大変なことだ。会社勤めの人間が身近に一人も居なかったせいもあってTVなどのメディアでしか知ることはないが、こうして休みの日も家を離れて働き続けなくてはいけないのは大変なことだと思う。折角こんな立派な家を建てたところで―――て、何を考えているんだ俺は。
「ああ、悪い。待たせたな」
 着替え終わったらしく美綴が降りてきた。丁度良いタイミングだった。
「こっちこそ悪かったな、急に訪ねてきて」
「全くだ―――て、あいつお茶の一つも出してなかったのか。気が利かないな」
「あ、いいって」
 その足でキッチンに向かう美綴を呼び止めるが、
「座ってろって。たまには衛宮もお客さん気分というのを味わえ」
「味わえっておまえな……」
 仕方なく、そのまま腰を下ろした。
 美綴はノースリーブのニットにローライズのスリムジーンズというこの季節にどうよと思えるぐらいの格好で手際よくお湯を沸かし、ティーセット一式をお盆に載せてやってくる。まあ室内着だし、ウチの座敷のように隙間風を心配する家でもない。これが普通なのだろう。
 特にお茶に煩いとか拘りがあるというわけでもないらしいが、どうせ淹れるなら美味しく淹れないと損という考えらしく、セットには予備のカップに砂時計まで完備してあった。まあその美綴の考え方には俺も結構賛同することが多い。
「いや、どっちかっていったらあんたに影響された部分だな、この辺は」
「そうか? そうでもないだろ」
「気づいてなければいいさ。それで、用件は何だ?」
「いや、そう改められるとちょっと困るというか、何と言うか」
「ん?」
 あれ以来、ここ数日学校行事のお陰で会う機会が全くなかったので大丈夫なのかどうか不安になって見に来たというのが真相だったりする。
「腕の方、支障はないか?」
「ああ、これね」
 そう言って左腕を差し出す。
「変なこと散々言われたから最初は気になってはいたけど、そのうち忘れちゃってたぐらいだから特にはないな」
 カップを置いて右手と互いの掌を重ね合わせる。
 確かに鏡合わせのようにそれぞれに違いは全くない。もっとも普通の人も左右の手が目に見えて違うなんて人はそういないわけだから、細かく調べなければ気づかないぐらいのことだろう。
「そっか……良かった」
 詳しいことは分からないが、問題がないのならいいと思う。
「おい」
「ん?」
 自分がしたことでもないのに気分が軽くなっていた俺に、美綴が少し眉を寄せて聞いてくる。
「もしかして、それだけの為に来たのか?」
「あ、ああ。その……悪かったか?」
「悪かったとかじゃなくて……はぁぁ」
 何か最近、こんな溜め息ばかりつかれてますよ、俺。
「とことん、おまえってアレだな」
「なんだよ、アレって。何か救いのない人間を見るみたいに」
「救いがないと言えば見事にないぞ」
「うわ」
 言われたよ、言われましたよ。躊躇いもなくあっさりと。
「なんだよ、友人の心配をしに来ちゃいけなかったっていうのかおまえは」
 本当の一番の理由は今朝起きてからずっと妙に美綴の事が気になってしまったというのがあった。そんなことは恥ずかしくて言えないが。
「まあ、ここ数日はお互いに忙しかったからな」
 俺は一成に拝み倒されて生徒会の手伝いが続き、美綴は美綴で運動部全体の今後の部活動の方針についての対策とかで集まりが週末まであったらしい。昼休みは俺の都合で、放課後は向こうの都合で、普段はクラスも違ったせいもあって会えずじまいだった。
「いや、心配してくれたことには感謝するよ。ありがとな」
「だって俺―――のせいとはもう言わないけど、怪我の度合いを知ってるから気になってな」
 危ない危ない。またこないだの繰り返しを演じるところだった。
「しっかし、変なことになったよな」
「なんだよいきなり」
「アンタとはもう二年の付き合いになるわけで、それほど親しいってほどじゃなかったけど、ここ最近の展開は何よ」
「いや、何よって」
 それには俺も同感だが。
「そりゃあ、衛宮は前からどっか掴みどころなかったし、裏で何かやってたって知ったって驚きはしないけど……まさかあたしが巻き込まれるとはねー。いやあ、何が起こるかわからないってのは真理だね。真理」
 あっはっはと腕組みして笑うコイツの方が何ていうか、アレっぽくないか。
 その、色々と。
 言うと怖いので思うだけにしておくが。
「……熱っ」
 無意識にカップを傾けていたので、紅茶の熱さがいきなり口の中に飛び込んできて動揺する。
「なにやってんだか。ほら」
「すまん」
 手渡された布巾で丁寧に拭った。
 そうしてから一時間あまり、俺と美綴で互いの思い出話を情報交換でもするようにちらほらと語り合う。物騒でも険呑でもない賑やかで益体もない会話が続く。
「衛宮は変人だからな」
「……なんでさ」
「前あるヤツとちょっとした賭けをしたことがあって、全校の男子生徒の品定めをしたことがあったんだ」
 何、壮大に変な真似してるんだコイツは。
「あれだけ生徒数がいるのに関わらず、衛宮と柳洞だけだったな。そこんじょそこらにいないヤツは」
「まあ一成は少し他の人とは違うが、どうして俺なんかがそうなる」
「そう聞ける神経が既に異常だよ」
 制服や胴着の時は気づかなかったけど、その腕を組む癖はちょっと目に困る。視線をさりげなく逸らしながらも反論する。
「何だよソレ、人を変人みたいに。他とは違うって他にも目立つヤツはいくらでもいただろうに……ほら、慎二とか」
 こんな時に親友を引っ張り出すのは悪いと思ったが、まあ許してくれ。
「間桐はそれこそ平凡の塊だろう」
「ちょっと待て、あいつをどう見たらそんな解釈が成り立つ」
 あっさり却下されて少し慌てる。
「他の人間があいつと同じ条件を得たら、全員が全員そうなるとは言わないけど、あんな風になるのはそう珍しくないさ。軽薄な容姿に、中途半端な自尊心、そして根底にあるのは劣等感とかか? まああたしなんかが他人を語るのはおこがましいけど、そんな間桐慎二を形成しているものを全て得たら、あんな風になることも十分想像がつく。けど、衛宮と柳洞は違うわね。他の人間がお前達みたいな条件を全て備えたとしても、誰一人衛宮士郎にも柳洞一成にもならないだろうね。だからお前たちだけが別なんだ」
「それは……単なる性格の問題であって……」
「まあ気にするな。あたしみたいな凡俗の塊の僻目だ」
 コイツこそ自分がどういう人間か少しもわかっていない気がする。あんなことがあって普通、こんな風に俺と接するなんてことはまずないぞ。まあ、それが俺にとってコイツの好きなところではある―――というよりも素直に嬉しい。
「時間の方は大丈夫なのか?」
「え、ああ。もう一時過ぎか」
「というか休日なのに衛宮は早いんだよ。普段からこうなのか?」
「そうだけど、オマエは違うのか? 合宿とかでも一番ぐらいに起きるしてっきりそうなのかと―――」
「昨日は寝るのが少し遅くてな。ちょっと朝方までゲームに嵌ってた」
「ゲームってTVゲームか」
 うわ、何か前世代の遺物を見るような目で俺を。
「何か親父世代の人間と話しているような気分に今なったぞ」
 思われたらしい。
「普通ゲームって言ったら……それにテレビゲームなんて言い方されると……」
 ブツブツ言っていたが、踏み込まないことにした。
「まあいいや。どうせ衛宮には漫画やゲームよりも、自己鍛錬だの花嫁修業だのそっちの方が向いてるんだろうからな」
「おい待て。後者のはなんだよ、それ」
「んー? ああ、花婿修行か。すまない」
「違うっ!」
 怒鳴るが、俺の抗議はあっさり無視された。
「……折角だし、あたしん家の稽古場寄ってくか?」
 地下駐車場を改造したものでかなり凄えんだぜと言いつつも、
「あ、衛宮ん家は道場があるんだったな。こりゃ、あたしの負けだ」
 肩を竦める。全く面白い奴。
 もうちょっと早くから、こいつとはこういう関係になっていれば良かったなと勿体無い気分になった。向こうに言わせれば俺がそうさせなかったのだろうということになるのだろうが。



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