《美綴家の朝休日編》


 とんでもない出来事があったとしても、数日と日常に浸っているとその出来事が薄のように遠く感じられてしまうのは何故だろう。
 後遺症というか、引き摺るものがなければないだけ稀薄になっていくのは早い。
 結構ショックなことでもあったのに。
 でもそれはそれでいいのだろう。忘れた方がいいから忘れるに違いない。
 本当に忘れられないことは、忘れたふりをして流されればいいのだ。
 前向きなのか後ろ向きなのかはわからないが、流れに逆らってまでの目的がない。
 なら、このまま平穏を満喫するのもいいのではないか。
 何かあれば否応なく面倒事は向こうからやってくるものなのだから。

「ん、んぁ……」
 ゆさゆさゆさ。
「……ちゃん、……ちゃんってば―――」
 肩を揺するのは何処のどいつだ名を名乗れ。
 あたしが明け方まで英雄無双をやっていたと知っての狼藉か。
 ゆさゆさゆさ。
「姉ちゃん、姉ちゃんってば」
 この声は十数年聞き続けてきた聞き覚えの有り過ぎる声。
 更に言うならこういう状況の時によく聞く声だ。
「ほら、みっともない顔してないでさあ」
 なんだと、こいつ。
 そう思ったが、だるさと眠さが凛とした感情をあっさりと覆いつくす。
「ん、ふぁ……」
 薄目を開ける。
 大あくび。
 軽く指で瞼を抑える。
 一秒二秒。
 切り替えろ切り替えろと指令を送る。
 そうしてから再び目を開いた。
 ベッドの脇には弟がいた。
「あんた、いつの間に?」
 あれ? なんでだ?
「寝惚けてないで、起きた起きた」
 弟はそんなあたしの疑問に「またか」という表情を作ってから―――生意気にもわざわざ見せ付けるようにする―――あたしの部屋のカーテンと窓を開けた。普通そっちを先にしないか。人を起こす時は。
 勝手に部屋に入るなと言いたい所だが、部屋の外で大声を出してもあたしは起きないというのは最早家族全員が知っているらしいので、不本意ながらこうして起こされる時は入室を許す羽目になっていた。
 あたしの寝起きが良くないのは隠しているわけではないが家族以外の者は知らない秘密だ。部活などの合宿など家の外では大丈夫なので気の緩みあたりが原因なのだろう。こうして一度目覚めてしまえば平気なのだが。
 まあ、別段見られて恥ずかしい部屋でも無い。脱ぎ捨てた服をそのままにしていたり、ゴミを散らかしたりするような真似はしていない。自分ではこの程度は当然だと思っていたが世間一般ではそうでもないらしい。
「ゲーム機ぐらいちゃんと片付けておきなよ、みっともない」
 弟はあたし以上に綺麗好きだ。しっかりと片付けられているところを見ると、部屋に入って最初にやったのはそれらしい。順番おかしいぞ、あんた。
「今日は休日でしょうが、何なのよ一体」
 堪え切れていなかった眠気の名残で、欠伸をかみ殺す。普段から朝が早いあたしだが、昨晩はかなり遅くまで起きていたのでかなり眠い。
 隠しキャラのエクトル・ド・マリスでガウェイン軍を迎え撃つステージに嵌って気がついたらカーテンの隙間から日差しが漏れるぐらいになってやっと眠ったのだ。まだそれほど時間が経っていない話である。当然寝入りばなで気分は良くない。
「姉ちゃん、友達が着てるよ」
「友達ぃ?」
 さっきも見たばかりの時計をもう一度見る。
 こんな休日の午前中にアポなしで訪ねて来る友達に心当たりは……まあ、それなりにいなくもない。どいつもこいつも遠慮なしの悪友ばかりだ。
 そう言えば前回休んだ時は何か三枝達が見舞いに来たっけ。彼女ならわかるが、氷室と蒔寺も一緒だったのは少し驚いた。まあ三者三様見事なまでにバラバラな反応をしていたけど、純粋に見舞いに来てくれたのは嬉しかった。あんまり心配された経験がなかったからかも知れないが。ああでも蒔寺の奴はパスだ。あんにゃろ、人のゲームソフト無断で持って行きやがった。まだ返して貰ってない。というか返せ。
「いいから、玄関前で待たせてるから急いだ急いだ」
「……ったく、こんな朝っぱらから一体誰だってんだ」
 人の部屋の片づけを最優先した奴が何を言うとも思ったが、待たせることには後ろめたさのない連中相手でも、そういう相手だからこそ待たせると何を言われるかわかったもんじゃない。
 鏡を覗いて寝癖などが無いかを確認すると、寝巻きの上にカーディガンを羽織ったままの似非病人モードで部屋を出る。人の安眠を妨害する輩に気を使うことは無い。
 どうせ向こうもある程度気心の知れた―――
「え、衛宮!?」
「よ、よお……」
 困ったような照れたようなそんな顔。
 あたしの部屋のある二階の階段の先、玄関前には何故か衛宮士郎が所在無げに立っていた。
「――――な」
「……あ、寝てたか?」
 あ。
「ちょ、ちょっと待ってろ。すぐ着替えてくるから」
「あ、ああ」
 即座に踵を返す。
 似非病人モードも、眠気も吹き飛ばす勢いで部屋に飛び込んだ。
 中にはまだ弟が残っていたので蹴って、追い出す。
「おい! 野郎なら野郎ってちゃんと言え!」
「姉ちゃんがだらしがないのが悪いんだろ。それに誰が相手だってそんな格好で出る方が間違ってる」
 くっ、最近は言うようになった。
 外では全然大人しいくせに。借りてきた猫のくせに。人の背中に隠れてたくせに。
 この内弁慶が。



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