《親密度アップイベント》


 俺は気を失ったままの美綴を背負って、彼女の家へと向かっていた。
 実際に彼女の家に行った事は無いが、住所は知っていた。
 俺は上背は左程あるわけではないが、こういう時は男女の違いというものを実感する。どれだけ凛々しくて逞しかろうとも背中越しに感じる美綴の体は年相応の女の子の体だった。目で見る以上に体つきは確りしていて筋肉の付き方もいい。それでもバランスが取れた少女の体は、力強さよりもか弱さを残している。
「なあ、衛宮」
「あ、起きたか?」
「いや。さっき既に気が付いてた。何か声をかけるきっかけが掴めなくてさ」
「そ、そうか……」
 はっきりと答えられてうろたえてしまう。
「衛宮はわたしの家、知ってるのか?」
 負ぶされたままの彼女は、俺の歩く道が自分の家に向かっていることに気づいたのだろうか。最初にそんなことを聞いてきた。
「ああ。部にいた時に連絡網を見てたから場所だけは」
「ふうん」
 そこで暫く会話が止まる。
 俺からは言い出しにくいし、それは向こうも同様だろう。
 何せ、あんなことがあった後だ。
 彼女にとって見れば訳が分からないうちに、あっと言う間に事は起きて終わってしまった。
 わからないことだらけだろう。
「あたし、腕が吹き飛んだ気がするんだが……」
 そう言いながら左手の指を開いたり閉じたりして動きを確認している。
 それは俺の肩から前に回しての動きなので、俺にもよく見えた。
「ええと―――どこまで覚えてるんだ、おまえ」
「いいから全部言え」
 俺の姑息な牽制球はあっさりと看破された。
 できれば言わなくて済むことは言わずに済ませたいという都合の良い願望は適わないようだった。
「その……説明すると長くなる」
「いい。だから聞かせろ」
 無駄な抵抗も効力を発しない。
 でもこれは俺の都合だけでそう言っているわけではない。
 無関係な人間を巻き込むことに躊躇がある。
 ここで全てを知らせずに済めば、彼女はこれまでの日常を送り続けることが出来るのだ。だからこそ、できれば知らせたくなかった。
 しかしキャスターが彼女を治癒しただけで放置した以上、自分が話して聞かせない限りは向こうも納得しないだろう。キャスターが説明を自分に任せたのはどこまで伏せてどこまで話せるのかという線引きが、俺にしかわからないからという配慮だろうか。記憶を消去してなかったことにとして貰うのも手だったのかもしれないが、そんな選択肢は俺としても選びたくないところだ。
 結局、俺は聖杯戦争について大まかな説明と、今の状況をかいつまんで話すに留めた。勿論遠坂の事は伏せた。逆に美綴が以前襲われた際の話は可能性として話しておいた。もし彼女の中に変質者や薬物という可能性を抱えていたのであれば、安堵するかもしれないという考えでだ。
「死ななかったというだけでも御の字ってところか」
 俺からの話が終わった頃には、既に美綴の家のすぐ側まで来ていた。
 彼女は俺の背から降りると、
「悪かったな。重かっただろ」
 などと、笑いながら塀に寄りかかる。
 まださよならとはいかないらしい。まあ当然だ。
「それよりも体調の方は大丈夫か」
 腕は蘇生したといえども失った血は結構な量だった。現に電灯に照らされた彼女の顔は血の気が失せている。
「平気平気。こないだの時に比べりゃ全然だ」
 そんな状態なのに普段どおりの気丈さを見せる彼女が痛々しい。
「幾つか聞いていいか」
「ああ」
「冗談とかいうオチはないよな」
「ああ」
「そっか。じゃあ聞くが、行方不明になっている人たちは―――――そっか」
 俺の表情で察したのだろう。いや、それ以前に聞く前から察してはいたのだろう。最後まで聞くことはなかった。慎二もそうだが俺や美綴の知り合いもその数に入っている。重くならない筈はない。
「全員がそうなのか?」
「いや、それはわからない」
 現に昏倒した人たちは一様に回復してきている。度重なる町の異常事態を怖れて逃げ出したという人もいる。正確な情報は誰にもわからないだろう。
「桜の家もそうらしいしな」
 同じ思考を辿ったらしく、引っ越していった間桐の家のことを美綴も口にする。後とりでもあった慎二を失ったことで、残された家族はこの町を離れることを決心したのだろう。詳しい事情は何一つ知らないが、身内を失う悲しみを考えれば漠然とではあるが理解できた。
「何て言うか、巫山戯るな、だな」
 吐き出すようにして漏らしたその言葉は、驚くぐらいに尖っていた。けれども口調ほどは表情は険しくない。苛立っているようにも思えるが、落ち着いているようにも受け取れる。
「すまん」
「何で衛宮が謝るんだ? おまえは進んで参加したわけじゃないんだろ?」
 きっかけはどうあれ、参加すると決めたのは自分だ。
 無関係な人を巻き込ませないのは当然で、参加者たちもできれば殺し合いにならないで済むような道をと思っていたというのに、結局は一人知らないままに終わってしまっていた。
 無関係な人が傷ついたり死んだりする中、関係者だった俺はのうのうと日常を過ごしていたのだ。
「あのな、衛宮」
 俺がそんなことを言うと、大仰に溜め息をつく美綴。
 なんだよ、その馬鹿にしきった態度は。憎まれたり恨まれたりするのならわかるが、そんな足りない人を見るような目は止めろ。
「自分を責めるのは気が楽かも知れないけど、あんまりやり過ぎると癖になるぞ」
「な――――楽っておまえ」
 なにをいきなりこいつはトンデモないことを言いやがる。
「その聖杯戦争とやらを始めたのはおまえか?」
「は? ……いや、違うが」
「今回の冬木市でバタバタ人が昏倒してったのはおまえの仕業か?」
「違う、けど……」
「行方不明者のうち一人でもおまえがやったのか?」
「そんなことはない。何が言いたい」
「あたしの腕を奪ったのかおまえがやったのか?」
「だからっ」
「わかんないか? やってもいない人間が謝るなって言ってる。参加者だろうがなんだろうが実行犯でもなければ共犯というわけでもない。そんなおまえが背負ってどうする」
「なんでさ。大体―――」
「いいか、衛宮。謝っているのは本当にそれが原因か?」
「え―――」
「自分が思うように、願うようにいかなかったから謝っているんじゃないのか?」
「はあ?」
「いやね、あたしはさあ―――その、なんて言うか」
 言葉が見つからないのか、苛立たしげに指で髪を掻き毟るように掴む。
「ああ、苛立つなあ。あたしゃ、こういう役回りなのか? ええ?」
「な、何いきなり怒ってるんだよ」
「いいか、衛宮。あたしはアンタがこないだ泣いてへこたれてただろ」
「うっ……」
 そのことは今触れて欲しくないというか、今後もあまり触れて欲しくない。
「結構、いやかなり嬉しかったんだ。おまえには悪いけど」
「嬉しいって、性格悪いな。そりゃあ―――」
「違う。泣き言を漏らしたってことは単純に言って悔しがってたってことだろ。それは単純に自分の力不足でもいいし、次元の違う手に負えないことでもいい。どちらにしても、重いものに圧し掛かられてウンウン呻いてたわけだ」
 その例えはなんか引っかかる。
「それはいいことだと思う。衛宮は自分の境地作っちゃって、その境地に到達さえしていればいいんだみたいなところがあるんだと思ってたからさ。若いのに達観し過ぎているとでも言えばわかりやすいか? そんな風に見えたわけ」
「はあ」
 そんな風に見えてたのか。参ったな。
「達観ってのはいわば停滞。悩むのは人間として成長しているから。だから少し悔しくもあった。あたしがこいつに勝てるものはなくなるかも知れないってね」
「勝つってそういう問題なのか」
「勿論。あたしはおまえがどれだけ凄いヤツか知らないし、どれだけできてどれだけできないのか分からない。けど歳は同じだし、男女の違い以外にはそう人間として違っているとは思わない。だから大抵の事では負けたくない、そう思うのはおかしなことじゃないだろ」
 言っていることはわからなくもないが、そこに勝ち負けを繋げるのは美綴だからではないかと思う部分もなくもない。
「まあさ。これは誤解だとわかったけど、あんたはもしかしたらあたし達と同じ立ち位置に立っていないのかも知れないって思っちゃってたわけ。心当たり無い? 自分では普通にやっているつもりなのに相手からはそう受け取って貰えなかったとか」
「いや……そういうのは」
 どうだろう。いきなり聞かれても困るところだ。
「間桐とあんたの関係があんなんだったのも、その辺があるんじゃないかと睨んでたんだけどね。まあ、いいや。あたしとしては掴み所がなかったあんたが、人並みに悔やんだり嘆いたりするのを見て、嬉しかったわけさ。衛宮って執着心が薄くて無欲だろ。だから我が儘になったりするところを見ると正直ホッとする」
「うーん」
 言葉が無い。
「なのにこのザマだ。アンタは仙人か? 違うだろ。自分がやったことなら悔やめばいい。けれど、そうじゃない。それをさも自分のせいにして背負い込むのは、何なんだ一体と思うわけさ。やっとわかったよ、衛宮。あんたはずっと自分の人生で世界に贖罪を果たすつもりでいるんじゃないのか。そりゃあ、手段でしかない弓道なんかに拘らないさ、あたしたちなんかに見向きもしないさ。自分の幸せなんかに目もくれないだろうさ。あんたは結局、自分ひとりでこの世に受けた借りを返し続ける気なんかじゃないのか」
「ちょ、ちょっと待てよ。飛躍してなんてこと言ってるんだよ、オマエ」
「じゃあ聞くけど、これまで少しは自分でやってて楽しいコトってあったか?」
「――――――――」
 そんなコトはない、と言えない。
 彼女が言うような楽しいコトというのが、どうしても思い当たらなかったからだ。
「ほらね。そんなんだから周りの人間の気持ちなんか気づかないのよ。自分のことでいっぱいいっぱいになっちゃってて余裕が無い。遊びならいいけど、使命や義務になっているんだから救いも無い。一体何があったか知らないけどさ、あんたを責めたり赦さないでいるのはきっとこの世であんた一人だけよ。あんたが思うほど誰もあんたを気にして無いって。気にするのはあんたを心配したり気遣ったりする、あんたに好意を持つ人間だけなんだから、覚えておきなさい。藤村先生だっていつまでもあんたのお守りをするわけにはいかないでしょう」
 何か言い返したいのだが、言い返せない。
「いい加減に生きろなんて言っても衛宮には無駄だろうけどさ、折り合いやメリハリぐらいはつけるようにしておきなよ。行き詰まったら誰かに頼りなよ。痩せ我慢と思い込みだけじゃ限界はあるんだし、それで失敗して更にもっと背負い込むなんて連鎖は目も当てられないだろ。泣き言を漏らしたのはあんたは恥と思っているかもしれないけど、結局あたしに武術を習おうなんてあれがあったからだろ。前の衛宮ならそういうことはしなかったと思うし。いい傾向だって。それにさ―――」
 ニヤリと悪戯っぽく笑った。
 その表情はいつもの美綴だった。
「どんなことでも最後に勝つのはクールでニヒルな野郎よりも、仲間と一緒に楽しくわいわいの三枚目タイプだろ」
 いや、それはオマエの読む漫画が偏っているだけだと思う。
 話が上手いという感じではないが、美綴と喋っているとどこか安心する。彼女の心遣いの上手さなのか、元々持っているものが出ているのかはわからない。けれど、心地よく聞くことが出来た。人と話していてて、こんな気分になったのは何時以来だろうか。自然、頬が緩んでいた。
「あと、ひとつだけ聞いていいか」
「何だ」
 不意に美綴の口調が変わった。
「そのキャスターとかいうのは、いつ現れたんだ?」
「え? あー、俺も良く分からない。気がついたらお前の側に……」
「最初からいなかったか?」
「は?」
「今思うとあの凶器は、本当にお前が狙われていたのかなと思ってな」
「おまえ、何を言っているんだ」
「いや、もしかしたら何か勘違いをあたしはしていたんじゃないかって……」
「そんなわけないだろう。でなければあの後あんな戦闘になんかなるかよ」
 いや、その瞬間俺は何を考えていた?
「え?」
 自分の思考に吃驚した。
 思考。
「あ」
 俺はあいつの出現で何を考えるのを止めていた?
「え? え?」
「あ、混乱させてすまなかった」
 謝る美綴を前に、俺は大きく膨れ上がりそうな思考を一旦止めた。
 しかし……何か俺は、重大な間違いを犯していないだろうか?
「キツいこと言って悪かったな。本当なら優しい言葉でもかけるべきなんだろうが、それだと聞いてくれそうにないからな」
 結局、助けられた上にお説教というコンボまでついてから美綴と別れた。
 かなりの出血だったがあれだけ喋れれば大丈夫なのかも知れない。前回の際も早々と学校に復帰できたのも、人並み以上に体は強いのかもしれなかった。
 随分と遅くなったことを心配したが、何でも両親は出かけてて、弟は塾通いだからこの時間ならまだ大丈夫との事だったらしく、ホッとした。何せ腕こそ元通りでも制服は血塗れだ。あれを家族に見せて切り抜けるのは至難の業だ。
「―――はあ。まいったな、そこまで言われるほど深刻だったか」
 くそっ、悔しくなるほどあいついいヤツだ。
 ひたすら迷惑をかけないようにかけないようにとばかり考えていた俺が酷くちっぽけに思える。無論、彼女は俺の事情など知らない。俺にだって言い分はある。
 けれども、それを差し引いてもあいつの言葉は響いたし、考えさせられることが多かった。

「だって衛宮、笑わないでしょ」
「は――――?」
「だから、随分前の合宿の話。みんなで騒いでた時さ、衛宮だけ、あたしのとっておきのネタでも笑わなかった」
「……む。それは、つまり」
「そ。それをまだ根に持ってるってワケなのよ、これが」

 家に入る前、きっぱりとライバルに笑いかけるように言った彼女の姿を思い出しながら、俺は家へと急いだ。



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