《好感度アップイベント》


「あら、せっかく来てあげたのにかくれんぼ?」
 彼女は俺に目もくれず、ゆっくりと腰を上げながらさっき姿を消したばかりの相手にそう嘲った。
「はぁ……ふぅぅ……」
 息も整い、汗も引いた。そうして理解する。
 奴が姿を消したのは何のことは無い、この魔女が現れたからなのだろう。
 俺は全く気づくことさえできなかった。
「お互い、正々堂々とは程遠いサーヴァントではあるけれど、非力なもの同士最後ぐらいは……ねえ?」
 そう言って、手にした杖を振るう。その先端から発せられた明らかに魔術と分かる光が、俺の横を通り過ぎて電信柱へと突き刺さった。
 落雷のような音を立てつつ、コンクリートで出来た柱に大穴が開く。
 その影から出てきた相手は先ほどのものではなく、黒い動きやすそうな衣服を着た女性だった。全身から殺気に似た妙な気を漂わせている。目は自分を攻撃した者に向いていて、俺達の存在などないような素振りだった。
「あら、貴女だったの?」
 俺も意外だったがキャスターも意外そうだった。
 女魔術師、バゼット・フラガ・マクレミッツがそこにいた。
 だが、先ほどぶつかったのがアサシンだとするのなら、そのマスターである彼女が側にいることは少しもおかしいことではない。
 それなのに、違和感を覚える。確かにさっきまでそこに人なんかいなかったが、その辺は魔術師に問うこと事態馬鹿げている。それにそのぐらいで俺はともかく、キャスターが怪訝がる理由にはならない。
 何かがおかしいのだ。
 何かはわからないが。
「貴女が今更こそこそと何をしようと知ったことではないけれども、人の物を盗むのは感心しないわね」
 近寄ってきて改めて厚手のフードから覗く魔女の表情が覗える。
 その素顔は造形が整い過ぎていて却って胡散臭い。
「……キャスター」
 バゼットが初めて喋った。己の敵の名を。
 それはどこか歯切れの悪いくぐもった声。
 先日俺の前に現れた時とは雰囲気が違う。
 やはり俺如き半人前の魔術師と超一流の魔術師とでは態度が違うということか。
 しかしそれなら初めてぶつかった時の態度はどうだっただろう。
 不意打ちとはいえ、キャスターを出し抜いたのは彼女自身ではなかったか。
「そう言えば貴女、魔術協会から派遣された魔術師ですってね」
 俺同様に彼女も神父からそのことを聞いたのだろう。
 だがそんなキャスターの言葉にも全く顔色一つ変えずに黙ったまま睨んでいた。
「今日はだんまりの日? 自信過剰の方がまだ可愛げがあったわよ、貴女」
 するとその瞬間、肩を竦めたキャスター目掛けてバゼットは耳につけていたルーン石のピアスを外すと、短い詠唱と共に投げつけた。
「聞きたいのだけど、令呪とサーヴァントを奪われて脱落したのではなくて?」
 その程度でダメージを喰らうことはないらしく、爆発の後も平然とその場に立ち尽くしたままのキャスターが、バゼットに尋ねる。
「確かに一度は敗退した。だが、まだ私は戦える」
 そうしてから、漸くバゼットが二言目を喋った。
「貴女が、私と?」
 さも可笑しいことのようにキャスターはくっくと笑う。
「で、それは? ……ふうん、そういうこと」
 バゼットの背後にアサシンが控えていた。さっきの一瞬で召還したのだろうか。そんな無駄なことをしなくてもマスターがサーヴァントを呼びたければ一瞬だろうに。ただアサシンを従えた事で余裕が出来たのか、パゼットは淡々としたままながらキャスターの舌鋒に応じる構えを見せていた。
「しかし貴女、この国の言葉が本当に上手いわね」
 自動的に言葉の壁が取り外されるサーヴァントとは違い、彼女は生身の人間で異国人だ。確かにその揶揄は間違っていない。
「この国ほど自国語以外が通用しないところはないからな。協会の選抜には喋れるということも加味されたそうだ。別に生活の為に来たわけではないにしろ、喋れないようなヤツがこの国に居るのは大変だからな」
「それで、居残り補習の理由は何かしら?」
「このままでは協会になど帰れない。せめて元マスターの首なりなんなり」
 そして視線を俺に向けた。俺か? 目的は俺なのか?
「だったらなんであの時っ」
 俺を殺そうとしなかったんだと聞こうとするが、被せるようにキャスターが口を挟む。むしろ口を挟んだのは俺の方か。
「そんな無差別な真似を今の魔術師協会は許すの? そんな時代は終わったかと思っていたのだけれども」
「面子の問題だ。こればかりは今も昔も無い」
「まあそうね。でも、何故私たちを狙わなかったのかしら」
「貴様のマスターは魔術師ではない」
「ふうん。それでこの坊やに目をつけたわけね」
「……」
「別に私はこの坊やに何の縁も縁もないけれど、私を無視してそんな騒ぎを起こそうとするのは許せないわ。この町はもう私のものなのだから」
「ふっ。聖杯も取れなかったサーヴァントの分際で」
「聖杯の正体も気づかないお猿さんが、何を吼えているのかしら」
 屋上での戦闘の再現。
 そう思ったのは俺だけだったのだろう。
 その後直ぐに、急に空気が落ち込んだかと思うと、

「また、次の機会に」
「ええ。次の機会に」

 申し合わせたかのように、互いに言い合った。
 ここまでだと、こいつらは分かっていたのだろう。分からなかったのは俺だけだ。
 そして俺達が見守る中、これまた屋上でやった時と同じくアサシンに包まれるようにしてバゼットは姿を消した。
 呆気なくいなくなった。
 中盤を省略されたような感慨を俺に残したまま。
「ひとまず、引いたみたいね」
「……」
 その言葉は俺に向けられていたにしては少々小さく、独り言にしてはやや大きめの声だった。きっとどっちでもいいのだろう。
 暫く眺めているのかと思ったら、去っていったバゼットには左程執着を持たなかったらしい。キャスターはあっさりと視線を外した。そして別の何かを見た。
 その視線の先は、
「あっ」
 しまった。
 すっかりそのままにしていた。
「美綴っ!」
 今の今まで忘れていたことを隠すように殊更大慌てで、駆け寄った。
 が、美綴は気を失っているらしく俺の足音にも大声にも反応せず、身じろぎ一つしなかった。
「さっき血だけは止めておいたわ。でも随分とあなた、薄情ね。命の恩人を放ったらかしにするのだから」
 忘れていたことは見透かされている。
 くそっ。
 忘れたくて忘れていたんじゃない。
 あれが俺の精一杯だった。
 俺があいつを食い止めなければ、二人ともやられていた。
 確かに躍起になってたし、蛮勇と言われて仕方の無い戦いぶりだった。
 けれども、あれは間違っていない。
 いないんだ。
「それとも女は男の盾になって当然だとでも思っているのかしら」
「なっ……おまえ、何言っていやがるっ!」
 ふざけるな。
 そんなわけがないだろう。逆だ。
 男だからこそ女の子を守ってあげないといけないんだ。
 そう、本当は逆でなければいけなかったんだ。
 俺がもっと強ければ、確りしていればこうならなかったのかも知れないのに。
 悔やむ。
 悲しむ。
 が、それも直ぐに流れた。
 さっきからずっと憤りが抜け切らない。
 収まってなど居なかった。
 火種さえあればいつでも燻っていたそれは、再点火する。
「それよりおまえ、俺を張ってたな」
 キャスターは今頃気づいたのかと唇の端を歪める。
「俺を囮にして、俺が襲われるのを待ってたんだな」
 だとすると今までの幾つかの疑問がそれなりに筋が通るのだ。
 俺を囮にしたいのならすればいい。
 それは全然構わないし、むしろ望むところだという部分もある。
 けれども、それは俺一人に限ったことだ。
 周りを巻き込む危険性を考えているどころか、気にも留めていなかったであろうこいつが俺は許せない。
 現に美綴はこうして―――
「どきなさい、坊や」
 手で、胸を突かれた。強い力ではなかったものの、虚を突かれて数歩後退る。
「な……」
 俺を押しのけると、既に大量の出血で顔が青白くなっている美綴の前にキャスターが屈みこんだ。最初に見つけた時のように。
「な、おまえ……」
「両手を出しなさい」
 俺を無視して、キャスターは美綴の両腕を掴んだ。
 既に力は入らないようで、真っ赤に塗れた右腕と、肘から先がない左腕がキャスターの前に差し出される格好になる。
「ちょっとだけそのままにしていて」
「おい、一体何を……」
 病院が先だろうと思ったが、相手が魔術師であることを今更ながらに思い出す。
「坊や、彼女の腕をちょっと持ってて」
 確かに誰か支えてないとぶらりと垂れ下がる。
 言われるがままに美綴の背後に回って、両手を突き出させるような格好で支えた。
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 キャスターが何やら呟くと、美綴の右腕の肘から先が青白い光に包まれる。
「え、おい……そっちじゃ……」
「黙って」
 ピシャリと言われる。
 青白い光が徐々に輝きを増し、完全に腕の形をしたまま覆われるようになった時に、もう一声、キャスターが呟いた。
「あっ……」
 その瞬間、細胞分裂でもしたかのように、その右腕から左右対称になった腕が生え出てくる。合成映像でも見ているようだ。そして最後は鏡で照らし合わせたかのように、右腕の形をした光の隣に同じように光り輝く腕が出来上がっていた。
「左腕を」
「あ、ああ……」
 意味を理解して、突き出したままになっていた美綴の左腕を、その光の腕に重ね合わせる。近づけただけで、まるで引き合うようにして一つになった。今はもう突き出した両腕を光らせているようにしか見えなくなっていた。
「……」
 息を呑む。
 これがキャスターの魔術なのか。
 受けた傷を塞ぎ、癒す魔術はあるだろう。
 切り離され、分かれたものを繋ぎ合わせる魔術もあると思う。
 俺にはできないが、そういうことが出来る奴はいるだろうと思う。
 けれども粉々になってしかも失くしたものを、こうして元通りにする魔術を使いこなせる術者がいるとは。
 俺の“投影”も昇華すれば似たような―――いや、俺が出来るのは所詮無機物に過ぎない。複雑な人体の一部など複製できよう筈が無い。仮に出来たとすれば見た目が精巧な義手になるだけだろう。それもすぐ壊れてしまう程度の。
 似ているようで根本から仕組みの違う魔術なのだろう。
 いや、これは魔術なのか? 魔術の域で収まる奇跡なのか?
 魔術師の不足を補うべく召還されたサーヴァントでありながら、唯一魔術しか使うことの出来ないキャスター。だからこそその魔術は普通の魔術師では不可能な域の大魔術超魔術を行使できるのだろう。彼女はきっと魔法使いになれるだけの力がある。
「後は神経を切り離すだけ……」
 そう呟くと、キャスターは懐から装飾が目立つ儀礼用の小刀を取り出し、その銀色に光る刃で美綴の両腕、その間の何もない空間を大きく切り裂いた。
「手を離していいわよ」
「え、あ、ああ……」
 俺が離すと、支えを失った両腕がだらりと下に下がった。
 同時に、両腕からの光も消えていた。
 血で染まった全身と、肌白い左腕。
 そこだけ血に濡れていないので妙に嘘臭く見える。
「これはどういう……」
「見ての通りよ。彼女の右腕を左右対称にして複製したの。千切れたのならくっつければいいけど、粉砕されちゃうと再生は不可能だから」
 俺の疑問に答えながら、何故かキャスターは彼女の右腕を取って一本一本指を動かしていた。その視線は左腕に注がれている。
「複製と言っても貴方のさっき見せてくれた投影と違って、無から作ったわけじゃないわ。材料は彼女の右腕から出来ているの。神経とかは右腕のものだから、繋がったままにしていると右腕の動きに左腕が連動してしまうから切り離すのだけれども……どうやら大丈夫のようね」
 キャスターがここまで丁寧に向き合って説明してくれたのは、美綴のことだからなのだろう。
「すまない……」
 思わず俺は礼を言っていた。
 今でも美綴を巻き込んだことに怒りは収まっていなかったが、キャスターがいなければどうしようもなかったことも事実だ。
「女の子が隻腕じゃ可哀想だものね。それに―――ううん、なんでもないわ」
 どうしてこの女は踏み込まずに、一歩引くのだろう。
 もっと自分をぶつけてくれたらと思う。
 謀略を尽くし、非道すら躊躇わなさそうな目の前の魔女に対して思う感想ではない筈なのだが。
「起きてて、もし彼女が覚えていたら伝えておきなさい。その左腕は普通の腕としてこれまで通り何の支障も無い筈よ。そしてその複製した部分に関してはどんな怪我をしようとも直ぐに治癒するから問題ないわ。ただ、右腕を負傷した時、左腕の同じ箇所を損傷するから注意なさい。切り離したのは神経だけで、あとは繋がったままなのだから」
 結局、失ったものは戻らないのだ―――キャスターはそう言って去って行った。



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