《そこにセイバーが居た》


 火照った体のまま眠ったからだろうか、その日の夢はまたちょっと今までとは違う夢だった。聖杯戦争の頃に見たものでもなく、記憶を失っていた頃に見たものでもなく、ここ数日に見ているものでもなかった。
 一振りの剣。そしてその剣と一対の鞘。
 そのイメージが強く浮かび上がったまま、離れようとしなかった。
 そして夢は次第にかつての出来事になり、見えない剣を操り戦い続けるセイバーの姿を捉えていた。初めの頃は相手はランサーやバーサーカーなどの俺が目にしていた戦いで、いつしか場面が二転三転するうちに記憶にない戦闘シーンを見るようになっていた。どんな戦いでも彼女は凛々しく、逞しく、そして必ず勝利していた。傷つくこともあり、斃れることもあった。それでも最後には毅然とした姿で立っているのは彼女だった。その手に握られた剣は常に勝つ為にあり、そうだからこそ彼女と共にあった。何故か漠然とそんなことを思っていた。
 その次に見た時の彼女は剣を持っていなかった。
 場所も分かる。家の道場だ。美綴と練習するようになった後も、ここで魔術師として体を鍛えるの程度の日課は続けている。
 バーサーカーとの戦いの翌朝、目覚めた後にセイバーを見つけたのがこの場所だった。初めて鎧以外の服装になっていたとか、正座をして目を閉じていた彼女が綺麗だったとか色々とそれまでの認識を改めさせられた瞬間だった。彼女を異性として意識したのも実際はこの時だったような気がする。
 何かが、ブレる。背中が、背骨のあたりから疼くようなむず痒さを覚えると共に、目の前の光景が薄れ、記憶も掠れていく。見ていたことも、通して見ていたものも一緒くたに遠く去っていくような感覚に沈んでいった。
 ただ最後に、やっぱり遠坂から貰ったという服を着ていたセイバーが出てきて、

『私にはうまく言えないのですが、それではシロウは後悔する。……きっと、後悔する事になる』

 その時の、彼女の遠くを見るような瞳は今でもはっきりと覚えていた。
 その言葉の意味は、あの時も今も分からない。
 分かる前に終わってしまったから。


「ああ、セイバーに似てるんだ」
 今朝見た夢のお陰で、昨日の違和感がはっきりした。
 彼女なんかよりもずっと無愛想で、受け答えも良くなかったけど、自分の事に関して冷淡な物言いは同じに思えた。心の奥で似ていたと思っていたからからこそセイバーの夢を見たのかも知れない。
「――――――――」
 そんな事を考えて朝食の準備をしていると、和田ニギタと名乗る彼女に苛立ちを覚えた。
「……自分のコトをなんだと思ってんだろうな」
 自分なんてどうでもいい―――そんな態度を取る彼女に対して、同様の態度を取っていたセイバーを重ねながら不満が吹き出る。
 なんか、違うだろ。そういうのは、ヘンだ。
 俺は自分のことは大事にして欲しいのだ。女の子には。
「昨日はどうだった? ね? ね?」
「……どうって?」
「だーかーらー、士郎と二人きりだったでしょ?」
 居間では藤ねえが彼女を質問攻めにしているようだったが、反応は捗々しくないようだ。何もなかったわけだし、当然なわけだが。
「何を期待しているの?」
 彼女は既に着替えていて、昨日のとはまた少し違うもののやっぱり真っ黒な洋服を着込んでいた。もしかしてこういう服しか持ってきていないのだろうか。普段着ているという着物姿とは全然違った雰囲気を感じさせる。
「期待ってそりゃあ……ねえ」
「藤ねえ、今日も朝からテンション高いな」
「そんなことはないよー。これがわたしのいつも通り、なのだ」
 出来上がった料理を運ぶついでに口を挟むと、何故か藤ねえは胸を反らすようにしてふふんと鼻息を荒げる。
「そんな威張られても……」
「でさ、昨日も士郎には言ったけど……こっちの用事が片付くまではずっとここにいて構わないから、好きにしていいわよ」
 何故か藤ねえは親切だ。
 何でだろうと思うが、まあ親切に悪いことは無い。別に今知りたいわけでもない。
「それはお節介? それとも打算?」
「んもー、この目が打算があるように見える?」
「見える」
 あっさり言われて、ガクリと藤ねえは項垂れた。
「まあまあ、取りあえず朝食にしよう。あと、藤ねえの言葉じゃないけど、好きにしていいから。無理にとは言わないけど、この町に暫くいるのならウチにいるといい」
 彼女の分の御飯をお茶碗に盛りながら、藤ねえをフォローする。
「いい。もうお礼はできないから」
「いや、お礼って……あのなあ、そういうので俺は言ってる……」
 それにお礼ってこの体中が暖まったままの状態を指すのか? あまり感謝するような状態じゃないぞ、正直。
「何? お礼って何かしたの?」
 ピョコと猫耳と猫髭を生やした藤ねえが過敏に反応する。
「そう……でも、いい。何とかなるから」
「うわーん、ニギたんに無視されたぁ!」
 興味津々の表情で覗き込んでいた藤ねえだったが、当の相手にいないもののように無視されたことで、嘘泣きをする。
「そっか、でも無理するなよ、いつでも来ていいから」
「ガーン。士郎まで構ってくれない!」
 構って欲しかったのか。藤村大河二十ン歳。

「―――フンだ! ずっと二人だけの世界でいればいーんだーっ」
「だぁ、人聞きの悪いこと叫びながら、出て行くなって!」
 一足先に学校に向かった藤ねえを玄関まで見送ると、すぐに居間に戻った。
 TVもつけず、和田ニギタは食後のお茶を啜っていた。あ、それで思い出した。
「聞きたいんだが、この状態はずっとなのか?」
 夜中から茹ったような熱さに悩まされていることを訴える。
「士郎がどのような具合になっているのかはわからない。人それぞれだから。でも、それは悪いものじゃない」
 確かに慣れてはきている。
 けれど、魔術に失敗した状態が延々とというのは良い事にはあまり思えない。
 信用していないわけではないのだが。
「私の問題じゃなくて、多分士郎の問題」
 本当かよ。
「じゃあ、私は行く」
 すっくと立ち上がって鞄を持って玄関に向かう。昨日もそう思ったが突然だな。
「あ、ええと、もうか?」
 もしかしたら単に今までいたのは、藤ねえと一緒に出るのを避けたのかも。
「じゃあ、ばいばい」
「また良かったら来いよ」
「……」
 慌てて玄関まで見送った俺に一度だけ振り返ったものの、すぐに前を向いて歩き出した。何処へ行くのかあてがあるのか何一つ聞けなかったけれど、これで良かったのかも知れない。必要以上に干渉した所で、できることはそうないのだろうから。
「あ、一つ忘れてた」
「うおっ」
 さて、洗い物でもするかと思った瞬間、目の前まで戻って来ていた。
「な、なんだよ……」
 ブーツを履いた彼女は丁度俺と同じ高さの視線になるので、間近で真正面から見つめられるとちょっと恥ずかしい。
「お世話になりました」
 ペコリ、とすぐ目の前で深々と頭を下げた。
 きっと、こうするものだと教えられたからやっているのだろうなぁと思ったが、口には出さなかった。
「ホント、いつでも来いよ。何でもご馳走するから」
「ん」
 頷いて彼女は、今度こそ振り返らずに去っていった。
「やれやれ……」
 僅か一晩だけの滞在で殆ど接点も無かったのに妙に疲れた。
 ただ、久しぶりに楽しかったという部分も否めない。
「あ……」
 そう言えば、セイバーがウチにいたのも一晩だった。
 正確には二晩だが、最初の夜は俺は気を失っていたし彼女も道場で待機していたっぽいのでちょっと例外っぽい。だから学校にセイバーがついていって、そのまま帰宅途中に藤ねえ達にセイバーのことを話した日が強く印象に残っている。
 あの日は、藤ねえと桜も家に泊まったっけ。
 翌朝セイバーは藤ねえ達と和解したとか言っていたけど、何の話をしたんだか。
 懐かしくて笑みが零れる。

 そう、あの日が俺の聖杯戦争の最後の日だった。

 藤ねえと桜、そしてセイバーの四人で食べた一日だけの朝食。
 桜はセイバーが和食に慣れていないだろうって気を使って、味噌汁を薄めにしてたっけ。ああ、セイバーどころかあの頃は当たり前のように桜が家に来ていた。藤ねえと二人で食べる機会も最近やっと増えてきたぐらいだし、今になって昨日藤ねえが彼女を宿泊させることに積極的だった理由がどことなくわかった気がする。
 あんな日はもう、二度とない。

『……はい。どうか気を付けてください、シロウ。貴方の学校は異常です。行動には細心の注意を。特に凛には出会わないように』

 あの朝、セイバーはちゃんと忠告していたのに。
 日常の延長で、大丈夫大丈夫と聞き流していた俺のせいで、彼女は聖杯という望みを得る機会を失ったのだ。
 遠坂のことはわかってる―――なんて表面だけの知ったかぶりが、セイバーの本質を捉えていた判断を無視した結果に陥ったわけだ。
「ただ、どうあってもセイバーを学校に連れて行く選択肢はなかったけどな」
 でも、それは失態の言い訳にはならない。

『それなら学校なんて休みなさい。マスターがサーヴァント抜きでのこのこ歩いているなんて、殺してくださいって言っているようなものよ。 ……衛宮くん、自分がどれくらいお馬鹿かわかってる?』

 遠坂が言ったのは本当にその通りだった。
 確かにあいつがあそこで襲わなければ、あの日は何事もなく済んだかもしれない。
 けれど、俺の認識は改められることなく、同じような機会があれば、似たような判断をして、その時こそ令呪を奪われるだけでは済まなかったことだろう。
 俺は、馬鹿野郎だった。

 そしてそのツケを払ったのは、セイバーだった。
 俺は何も失っていない。
 セイバーだけが、俺のせいで消えることになったのだ。

「くっ……」
 自分の間抜けさ加減が、どうにも腹立たしくて仕方が無い。
 結局、俺はあいつに何もしてやることができなかった。
 それどころか、足を引っ張るどころか止めを刺したのだ。一方的に。
 信頼を裏切った形で。信用を踏み躙った格好で。
 彼女の為に戦うことなんか、一度も出来なかった。
 ただ、聖杯を巡る争いを仲裁するという目的は……まだ残っている。
 せめてそれぐらいはすべきではないのか。
 聖杯そのものはないにしても、その力を利用しようとしている者を阻止することはまだ出来る。
 セイバーには何もできなかったけれど、俺にはまだできることがある。
「そう、だよ……な……せめてそれだけは果たさないと」
 そうでないと衛宮士郎は何の為に聖杯戦争に参加すると決めたのか分からなくなる。
 だから、邪魔だといわれようとも引き下がれない。
 それがセイバーの為でもなんでもなく、自分の矜持の為だとわかっていても、それに縋るしかできなかった。
「しかし……」
 セイバーがいなくなったことに対して、どう話はついているのだろう。
 遠坂が俺にしたように二人にセイバーに対する記憶を消したのか? いや、いくら遠坂でもそんなことまで知っていたとは思えないし、かといって記憶を失っていた俺に二人があれこれ聞いてきた記憶も無い。
「あれ?」
 ヘンだな。幾らなんでもヘンだ。
 打ち解けたにしろ、そうでないにしろ一晩一緒だった人間が翌日からいなくなっていて、その事について何も俺に聞いてこないというのはありなのか?
「うーん」
 けど、もし話が上手くついているのだとしたら、俺が今更聞くことは却って厄介なことになる。じゃあ本当はどうして? と聞かれても答えられないからだ。
「あー、もう、参ったなぁ」
 行き場の無い感情に身悶えする。
 自分にもどかしい。
 記憶を取り戻す前は始終こんな感じで、最後には泣きが入るまでになっていた。
「う……」
 泣きを入れるとまで思考が向いた時点で、美綴のことを思い出していた。
「あ、ぅ……」
 恥ずかしい記憶は忘れたいのに、そういう記憶に限って残っていたりする。
「あ、そう言えば……」
 美綴も行方不明になりかけていたんだっけ。
 記憶のなかった頃は体調不良という話を信じていたが、生徒会室で一成から行方不明になったという話を思い出した今となっては、聖杯戦争に巻き込まれていたと考えるのが順当だろう。家に帰っていなかったとか言っていたが、その数日後には学校に戻ってきていたはずだった。下級生の間では路上で呆けていたところを発見されたとか噂があったが、戻ってきた後の美綴は俺が知る限りではいつもの彼女だった。
「ふう……」
 俺の弱さだけが、曝け出されたわけだ。
「あいつ、幻滅したかな?」
 そんな素振りには見えなかったが、どうなんだろう。
 あいつが俺のことをどう思っているのか、少し気になっていた。



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