《一宿一飯の恩》
「あー、まだ骨がギシギシいってるような気がする……」 日も暮れ始めた時刻、疲労とも痛みともつかない言葉には形容し難い感覚が体の節々に感じながら、商店街に足を向けていた。昼休みが終わってからはずっとこんな状態だったので、アルバイトが日雇いの肉体労働ではなくコペンハーゲンだったのは幸いだった。昼休みの短期間でこれといった具体的なものを習ったわけでもないのに、体の使い方が今までと変わったような奇妙な感覚に慣れず、ビールケースすら取り落としそうになってしまう始末。ネコさんにはまた無理してるんじゃないのと勘繰られたり、心配されたりもしたけど、何とか最後まで仕事を終えられて本当に良かった。 そんな不安定な感じではあったが、流石というような充実感はあった。勿論、こんな付け焼刃程度であの魔術師やアサシン、葛木やキャスターらに太刀打ちできるとは思えないが、やって置いて損は無い。それに今直ぐには無理でも将来的に得るものは少なくない筈だ。 「今日は藤ねえも早いって言ってたし、何を作ろうかな……」 見慣れた商店街の光景を前にして、今日の買い物ルートを頭の中で検索する。 このマウント深山商店街は大概のものは揃っているので、過去藤ねえのどんな理不尽な注文に対しても応じられるという懐の深さが魅力だ。だからこそ好き勝手なリクエストに泣かされる部分もあるが、実際は大変重宝する商店街である。 「―――さて。今夜は、と」 商店街の主とも言えるスーパートヨエツの生鮮品売り場を前にして、腕を組んで考え込む。周りは買い物籠を持った主婦だらけで、俺ぐらいの男性はいないのだが、別に今日に限ったことではない。気にせずに献立を頭の中で組み立てながら、買い物を済ませていった。 「そんなに買い込んだつもりはなかったんだけどなぁ……」 買い物で嵩張るものの上位にランキングされるであろうトイレットペーパーがある分、どうしても大荷物に見えてしまう。それでも買い物も済ませて後は家に帰るだけという段階で意気揚揚と帰還しかけた瞬間、 「あの―――」 そう、声をかけられた。 「?」 声のした方、つまる後ろを振り返った。 「え……?」 最初に目に入ったのは真っ黒な日傘。 夕方にも関わらずそんな日傘を差しているのは、何と表現したらいいんだろう。 全身がほぼ真っ黒でフリフリで、フランス人形か映画に出てくる貴婦人のような衣装を着ている少女だった。足元は膝位までの編み上げブーツを履いていて、スカートもひらひらしていて何重にもなってる感じがする。こういう衣装を指して何か適切な単語があった気がするのだが、生憎女の子の服装には詳しく無いので思い出せない。 どちらにしろ、こんな商店街のど真ん中にいるには目立つ以上に、違和感バリバリの格好だった。買い物帰りの主婦達も変な目で見てるし。今までこの格好でここまで来たのだろうか、というかどこから来たんだこの子。 「俺に、何か用?」 「聞きたいことがあるんだけど、いい?」 「あ、ああ。いいけど……」 周囲から浮きまくりの衣装を纏っている割りに、その顔は何となく控えめな大人しそうな雰囲気をしている。彼女のショートボブというかおかっぱ頭のように短く切り揃えられた黒髪は艶やかで綺麗だった。 「この辺に宿かホテルって、ある?」 「……え?」 「旅館でも何でも構わないけど……」 「ええと……」 困ったな。初めて気づいたが、彼女の背後にはこれまたご丁寧に真っ黒い鞄が置いてあった。旅行者なのだろうか。その格好で? 「ちょっとこの町にはそういうものはないんじゃないかな」 もしかしたらあるのかも知れないが、俺は知らない。 「隣町……新都の方ならビジネスホテルやらカプセルホテルやらいくらか見つかると思うけど……こっちじゃなぁ……」 こんな普通の町に観光で訪れる者なんかいやしないし、旅行者がこの町で一泊する理由など普通はない。 「そう……じゃあ良いや。ありがと」 「ちょっと待った」 そのまま分かれるつもりだったがならさっきの公園でいいや、と不穏なことを漏らしたのを聞いてしまい、立ち去っていこうとする少女をつい呼び止めていた。 「なに?」 「いや、確かにもう暗くなるけど交通機関がなくなるような時間じゃないし―――いやそうじゃなくて、公園ってまさか野宿するつもりなのか?」 「うん」 「うんって、おまえ―――」 そう言い掛けた時、 「あー、士郎だー」 そんな明るい声と共に、藤ねえがこっちに向かってくるのが見えた。何か厄介なことになりそうな予感。 「何、悪さしてるの?」 「してないって」 俺と黒ずくめの少女を交互に見て、藤ねえが首を炊げる。 「あはは、嘘。嘘。士郎はそんな子じゃないって、ちゃあんとわかってるって」 信用できない。が、そう言うと面倒なので黙っておく。代わりに藤ねえにもこの辺の宿泊施設について尋ねた。 「うーん……郊外の森にそんなのがあるって聞いたことがあるけど」 「郊外の森? 何でそんなとこに」 「知らないわよ。でも、何か豪奢な西洋のお城がどーんと立ってて凄いらしいわよ」 「森の中で? そりゃ変だろ。誰がそんなところに泊まるんだよ」 「あ、そうか。おかしいなー。じゃあ何なんだろ、あれ?」 「見たことあるのか?」 「ううん。ただそんな噂を聞いただけ。森に迷い込んだ人が偶然にも辿り着いた先でそのお城を……」 それは多分怪談の類だ。聞いて損した。 「ああ、はいはい。それはもういいから」 「あの……」 「ん? あ、ごめん。放っておいちゃって」 俺と藤ねえのやりとりを黙って聞いていた少女が俺に顔を向けた。 厚底靴のせいか目の高さが同じぐらいで真正面から見据えられる格好になる。 「別にいいけど。じゃあ、これで」 クルリと背中を向けて、地面に置いていた鞄を掴んだ。 「え……あなた、どうするの?」 「野宿。毛布はあるし、それほど寒い土地でもないみたいだから」 「ちょっと待って!」 結局、そのまま立ち去ろうとする少女を二人して止めることになった。 「……別にいいのに」 「駄目よ、年頃の子がそんな野宿だなんて。それにどうせ空き部屋だらけの屋敷なんだから」 俺の後ろでは、藤ねえとその少女が並んで後をついて来ていた。 「まあ、こんなことになるんじゃないかと思ったし」 結局、一晩だけという約束でウチに泊めることになった。見知らぬ少女を泊めるというのはどうかと思ったが、藤ねえが言い出したことだから仕方が無い。ただ俺はてっきり藤村の家に泊めることになるのかなと予想していたのだが、何故か俺の家だった。後で聞いたら、今日は客人が来ていてちょっと外部の人は立ち入りはご遠慮願いたい日なのだそうだ。だからって、と思わなくも無いが、 「士郎を信じてるから」 そう言いきられたら何も言えない。ただ本当は一緒に泊り込みたかったらしいができない事情があるらしく、その言葉の割には何度も何度も念を押していたが。どっちなんだよと思ったが、口には出さなかった。 「そう言えば藤ねえはなんで商店街なんかにいたんだ?」 学校からは反対側だろうに。 「んー、ちょっと生徒の家にね」 「ああ」 それだけで理解できたので、話を打ち切った。あまり引っ張る話ではない。 病院に入院する生徒はもう殆どいないらしいが、事件の影響で不登校の生徒が増えている。そんな生徒の家に行っていたのだろう。卒業間近の三年生は問題は無いが、他の学年はずっとこのままというわけにはいかない。それぞれの担任よりも毎日見舞いに行っていたことで生徒や保護者との面識がある藤ねえが行くというのは納得できる話だ。 「それにしても凄い格好よね、あなた」 「変? こういう服が外では流行だからって用意されてたんだけど……」 「うーん。変というか、あんまり普段お目にかかることは無いわね」 「……そう」 「自分ではどう思うの?」 「そういうのは良く分からない。どうでもいいし」 藤ねえの問いに対して、淡々と自分のことなのに他人事のように喋る少女。 聞いてて何か胸に引っかかるものを覚えたが、それが何かは分からなかった。 「可愛いからいいんじゃない?」 「可愛い?」 ニコニコとあまり深く考えていないような藤ねえの反応に、少女は表情を崩さずに聞き返す。 「うん。士郎もそう思うわよね」 俺にふるなよと思ったが、 「うん。確かに可愛いとは思うよ」 そう当たり障りの無い返事を返しておいた。確かに可愛いとは思うし。 「へえ、この服は可愛いんだ」 服を褒められたと勘違いしていて、しかもそれが別にそれほど嬉しそうでもないその少女は、 下の名前は、と当然のように聞いてきた藤ねえには「言えない」の一言で終わってしまった。何か事情があるようだが、その言い方はどうかと思う。いや、恩着せがましくなるから口には出さないけど。まあ色々と訳ありなのだろう。藤ねえもそれ以上は詮索はしなかった。 「何だかあの子、大変そうだから気を使ってあげてね」 「ああ、わかった」 夕飯をたらふく食べた後一人で帰っていった藤ねえにそう返事をしてみたものの、もし見つからないようだったら暫く泊まってって構わないからということとぐらいしか今は言うことがなかった。もし長引くようだったら手伝うことも厭わないが、今の段階では迷惑に思われるかもしれない。 彼女は言動も少なく、表情にも起伏が少ない。食事中に彼女と藤ねえとの会話を聞きながら感じた感想は、そんなところだった。警戒されているのか素なのかはよくわからない。 「てっきりあの人の家かと思ったけど、違ったんだ」 「ああ。でもまあそんな部分もあるかな」 藤ねえも家族の一員だから。そんな理由を口に出して言うのは恥ずかしかったから言わなかったけれど。 お風呂上りの彼女の服装はさっきまでの格好から一変して和服だった。釣鐘草の色だと言うそのうっすらと灰色がかった青紫色の着物は上品であるだけでなく、落ち着いた彼女の印象を一層際立てるものだった。 「やっぱり普段着の方が落ち着く」 「そっか」 「?」 初めて、彼女の心を感じ取れるような言葉を聞いて少し嬉しくなってしまった。それに確かにあの真っ黒な格好よりもずっと彼女らしいような気がした。切り揃えられた髪が今は濡れていて艶やかさがあった。 「士郎、ありがとう」 「いいってば、そんな改まらなくたって」 彼女の分のお茶を用意しながら、慌てて手を横に振った。 「お礼を言うべきところは言うべきだから」 「気にするなって。困った時はお互い様だ」 「―――そう」 俺のいい加減な言葉に何か考えるものがあったらしく、少し考え込むような素振りを見せた。 「どうした?」 何か言い出しそうな予感がして、先に聞いてみた。 「士郎」 「ん?」 彼女は顔を上げると、真剣な目を俺に向けてきていた。 「士郎は最近何か、災厄に見舞われたとか、物の怪に憑かれたようだとか、理由なく気分が優れないとかしてる?」 「いや、それは――――」 なくもない、かな。でも、なんだ、いきなり。 「してるんだ」 「いや、だから……」 「この町全体が何かそんな感じだから。でも、それとは別に士郎の体からは士郎じゃないものが混ざってる気がする。心当たり、ある?」 「ない。俺はそんなのは全然」 少し狼狽してしまったのは我ながら情け無い。 「そう……別にいいけど」 それは見透かされたということか? まあ狼狽してしまったし。 ただ、彼女の表情からは何も読み取れない。 「声をかけたのは偶然。別に士郎を気にしたわけじゃない」 俺の次に考えることを先回りしたように軽く言われてしまった。 「外で何かを聞く時は警察官か人畜無害そうな顔をした若い男にしろと言われたから」 いや、そんなことまで知りたくないし。 彼女はお札のような紙の束を着物の袖から取り出し、反対側の袖から取り出した文房具屋で売っているような筆ペンで何か達筆過ぎて読めない文字やら、象形文字のような記号やらを一番上の紙に一気に書くと、その一枚だけを千切って、俺に翳して見せた。 「それは?」 「―――おまじない」 少し、間があった。 「おまじない?」 「何か士郎が普段から拠り所にしてるものの力を強化する……そんなおまじないだと思っていい」 「ええ……と……」 「抵抗力を作り出すことで体の中の異物を排除する為のもの」 いや、そう言われても、わけわからないのだけど。 「これを燃やして」 「あっ」 どうやったのかわからないが、その言葉と同時に彼女の手にしたお札が発火する。 下から火が伝っていき、最後に指先で摘んでいた箇所を離すと、綺麗に燃え尽きるのがわかった。 「―――はい」 「……え?」 そう言って、彼女の為に用意したお茶の入った湯のみが俺の前に差し出された。 さっきの作業は全てこの上で行われていたので、あのお札の灰は粉々になってそのお茶の中に沈んでいた。 「これを……飲む、の?」 多分、そうだろうと思ったが一応聞いておく。 「飲み易いものじゃないけど、灰のままよりはマシだと思う」 「えーと……」 どうしていいのかわからない。 何故こんなことを彼女はしているのかというところから、飲んで大丈夫なのかというところまでだ。 「―――嫌ならいい」 「あ、待った!」 湯飲みに手を伸ばした彼女を押し留めて、 「気遣ってくれたんだろう? 有難う、飲むよ」 そう言って差し出された湯飲みを受け取った。そんな風に言われて無碍に断るのは気が引ける。それに怪しげではあったが、元は紙だ。体にそう害のあるものじゃないだろう。 元から少し温めに淹れたこともあって一気に飲める熱さだったので一気に飲み干した。喉に灰の欠片がへばりつく様な感触がする。上手く飲み込めない。 「ごほっ……」 「大丈夫?」 そう言って彼女は、元から俺が飲んでいた方のお茶を差し出してくれた。 「サンキュ……」 口の中に残る灰の感触を新しいお茶で洗い流すようにして飲み干す。 「士郎って馬鹿でしょう?」 二杯のお茶を飲み終えた俺を見て、彼女が静かに呟いた。 「なっ……いきなり何だよ」 「ちょっとそう思っただけ」 ええと、それは何だ。言われるままに灰を飲んだことか。だとして飲ませたヤツが言うことか? 「お、おい……」 俺の反応を待たずに、彼女は立ち上がった。 「もう寝るから」 「その、せめてどうして馬鹿なのか言ってからにしてくれ」 「怒った?」 「怒ってない」 「うん、士郎は怒ってない。怒った方がまだいいのに」 「え?」 変なことを言う。なんだよ、一体。 「お休み」 「あ、おいっ」 「困った時はお互い様、とはちょっと違うけど―――今の私に出来るのはこれぐらいだから」 「へ?」 何か気になることを最後に言い残して、彼女は蒲団が敷いてある客間へと入っていった。 色々と早まったかなとは思ったが、今更後悔しても仕方がなかった。 その不安は夜も更けた、土蔵の中で的中することになる。 「っ――――こ、これ、は」 いつも通り 「っ、ぐ、う――――!」 体が反発している。 手足の感覚が麻痺し、背中には痛みとしか思えないような熱さが固まっていく。 魔術回路を組み込もうとして失敗した時に起きる反応だ。 まだ組み込む前だったのに、こんな事になってしまって動転してしまった。 「あ、ああ、あぐっ――――」 意識を一点に集中することで、なんとか我慢していられる。 時間にして、一時間ぐらいだろうか。 体は茹ったような熱さを持ったままだったが、何とか落ち着くことが出来た。 酷く気分も悪く、集中も全然出来ない状態だったので、当然ながら全ての魔術に失敗した。だというのに、 「何か……引き摺りだされてる……?」 その表現が正しいとは思えない。が、そういう言い方しか当て嵌まりそうに無い。 熱を持った全身からは普段搾り出すようにして出していた魔力が、軽々と出るようになっていた。 「まさか……あの灰が関係あるのか?」 異物を排除するため為に体の抵抗力を上げるとか何とか言っていた。異物というのは会話の流れからして……俺の中の俺で無いもの。それが何なのかは全然わからないが、それを追い出す為に俺本来の力を強化したという理屈から考えると魔力がそれにあたるのだろうか。随分と変な話だが、推測するとそうなる。 「まあ、取りあえず詳しい話は明日聞くとするか―――」 ふらふらになりながらも、このままここで寝るわけにも行かずに立ち上がった。 酔っ払っているような、自分の実感の沸かない空気に包まれていた。 そしてその状態は落ち着くことなく、いつまでも続いていた。 |