《美綴綾子との昼休み》


 少しだけいつもより早めに学校に辿り着くと、そこは今までの穂群原学園だった。
 校庭では朝練の生徒たちが動き回り、優等生や混雑を嫌う生徒たちが各々のんびりと登校してくる。放課後の部活動に規制があるだけで、授業も平常授業に戻っているし、生徒たちの話題も他愛の無いことばかりという、違うのは休みの生徒の数が若干多いだけの嘗ての学園生活に戻っていた。
「少し授業が遅れているからな。予習復習はきちんとしておけよ」
 終業のチャイムが鳴っても、キリがいいところまでと教師が授業を進めた結果、ウチのクラスだけ昼休みが数分遅れることになった。
 教師が去ってから各々不満やら愚痴やらを漏らすクラスメートを尻目に、弁当の包みを抱えて素早く教室を出る。誰かに捕まると面倒だからだ。
 完全に出遅れたこともあって、廊下は既に生徒で溢れている。
 多くは購買に向かう者だろう。食堂もあるのだが、生徒数の割りに手狭なので、出遅れたらまず待たされることになるで、この時間に暢気に向かう生徒はよっぽど気の長い人か食堂に拘りをもった者だろう。そこまでして食べたいほど美味しいわけではないので、大概は弁当か購買でパンでも買って済ますことになる。
「お、衛宮じゃん」
「うあ」
 しまった。出遅れたということは、こういう事態があることを予測していなくちゃいけなかったのだ。教室の中だけ警戒すればいいというわけではなかった。
「なんだよー、まるでヤなヤツに会ったなって態度は」
「そんなことはない。ただいきなり声をかけられて驚いただけだ」
 別に衛宮士郎は目の前の彼女、蒔寺楓が嫌なわけではない。苦手なタイプだなと思っただけで。
「んー? んー、んー、んん〜?」
「な、なんだよ」
 わざとらしく俺の全身をくまなく嘗め回すような視線を向ける蒔寺に、思わず身を引いた。
「いやー、なーに。弁当の袋を抱えて何処に行くのかなと思ってさ。そういや美綴も教室にいないし」
「あのなあ……」
「みなまで言うな、青少年。あたしは別に他人の交友関係をとやかく言う趣味は無いのさ」
 あっはっはと笑う彼女。
 だったら最初から構うなよと思ったが、口には出さない。
「それよりおまえは手ぶらだけどいいのか? 購買だって混んでるだろ、もう」
「あたしは弁当だって。前教室来た時見てなかったのか」
「だったらなんで廊下にいるのさ?」
「あー、トイレトイレ。お不浄ってやつ」
「そんな大声で……」
「はあ? 衛宮もまさか女子学生に幻想持ってるタイプ? だったら今のうちに認識改めておかないと付き合う時に疲れるぞー。あ、でもあいつもあんなナリしてどこか少女趣味抜けてないところもあるし、結構お似合いかも」
 はぁ……。どうして俺は良く知らない相手にまで絡まれるんだろう。
 美綴の話だと、何でもある事柄に於いてライバル視されているのだそうだ。陸上部に所属しているらしく、同じ運動部系として何かあるのかと思っていたら全然違うことらしい。
「あ、やべ……あんまり待たせると氷室にまた嫌味言われるわ。じゃ、美綴に宜しくな」
 一方的に言いたい事を言って、その褐色の長身美人は自分の教室に戻っていった。
「宜しくも何も、同じクラスだろ、おまえ……」
 それに別に一緒に食べるとは一言も言っていない。
 いや、そうする日もあって今日がそうなのだが、少なくても相手が思っているような理由からではない。
「……と、俺も急がないと」
 待たせているという点では俺も蒔寺と一緒だった。
 慌てて階段に向かった。


「遅い」
「悪い」
 弓道部の休憩室に入ると案の定、美綴が待っていた。
「あたしは食事が遅れるだけだけど、アンタが困るんだろ」
「まあ」
「だったらとっとと座った座った。今、お茶煎れ直すから」
 立ち上がって急須と湯飲みを手早く用意する美綴の背中を見ながら、俺も弁当を袋から取り出して、机の上に並べる。
 先日から一成との昼食の代わりに、こうしてここで美綴と昼飯を一緒するようになっていた。蒔寺が勘繰っているような逢引をしているわけではなく、昼休みの時間を利用して放課後以外にも稽古をつけてもらうようになっていたからだ。
 キャスターとの一件以来あれからも変わることなく教師としての顔を続けている葛木が生徒会室にやって来ることで必要以上に緊張してしまうのを避けることと、部活動が本格的に再開される様になってからだと、それまでのように放課後に教わるわけにはいかないという理由から、頼んでそうしてもらっていた。お弁当はその時の引き受ける条件だった。もっとも美綴にとって割に合う話ではないので、つき合わせている俺が申し訳ないと思わさせないようにという彼女なりの配慮だろう。有難く甘えさせてもらっている。
 板張りの射場で出来ることは高が知れているが、俺一人でやるよりも随分と効率が良く捗る。記憶が無い頃に無茶苦茶に暴れていた頃とは雲泥の差だった。もっともあの頃のお陰で無茶をしても耐え切れる体力は増した気がするが。
「ああ、蒔寺のヤツはなんか知らないけど前からつっかかってくるんだよ。ありゃ惚れてたかな」
「はぁ!? 惚れてたって誰に?」
「あははは、内緒内緒」
 俺にとって美綴は部活動で一緒になってからの関係で気心の知れた知人という立場だったが、こうして二人きりになるような間柄ではなかったので、新鮮な付き合いという気はしていた。それに俺が弓道部を止めてからは疎遠になったということは決して無いが、距離が開いていたのは間違い無い。
「まあ実際、これ見られたら冷やかされるのも無理は無いと」
「うっ……」
 確かにこの光景だけを見ればそうだろう。だけど美綴にしたところで、俺にしたってそんなんじゃないのはわかるだろうに。あれは絶対からかっているのだと思う。
「ではでは、そろそろ食後の運動と参りますか」
「ああ、頼む」
 片づけを終えて立ち上がる。美綴には迷惑をかけるが、毒喰らわば皿までというところでとことん胸を借りるつもりだ。
「……ちょっと違うか?」
「ほら、行くぞっ」
「お、おうっ」



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