《再起動》


 人が死んでいた。
 あちらこちらで死んでいた。
 まだ死んでいない人もいたが、彼らもすぐに死んでしまった。

 形を留めているものも、そうでないものも一様に死んでいた。
 呻き声をあげていたものも、痙攣していたものも変わらずに死んでいた。
 見渡す限り、死、死、死。
 生きている自分の方がそこでは異質の存在に思えるような、死の世界だった。

 それは、十年前の出来事。
 大火災の日のことだった。

 人が死ぬ。
 そんなのは、実はどうでも良かった。
 人が死ぬことは悲しいことだった。
 それは痛ましいことだった。
 苦しいことだった。
 やりきれない思い。
 痛ましい気持ち。
 理不尽な死に憤りを覚える感情。
 それでも、その時の俺にとってはどうでもいいことだった。

 ただ自分ひとりが助かりたくて、必死になって歩き続けた。
 生き延びた者の手は全て振り払った。
 それらは彼らが救いを求める手であって、俺を助けるための手ではなかったから。
 どうせ助かりっこない。
 それに助けられっこない。
 塞がなくても耳は閉じ、遮らなくても目は覆われた。
 ただ、自分の歩く道だけを進んでいた。
 生き残るために。
 生きるために。


 人の救いを悉く擲った俺が、人から救われた。
 望み通り、ただ一人生き延びた。


―――これはそれだけの話。


 憧れがあった。
 後ろめたさからの憧れだった。
 申し訳なさからの憧れだった。

 それを求めたのは真摯な気持ちでも、純粋な気持ちでもなかった。
 ただの贖罪。
 辻褄合わせの打算だった。

 あの時は申し訳なかった。
 今度はそうしません。
 それはそう言いたいが為に用意されたうってつけの道だった。

 俺は空っぽになんかなっていない。
 なったふりをすることで、嘗ての自分を切り離そうとしているだけだ。
 あの頃の自分は死んだ。だから今の自分はあんなんじゃない―――そう言いたいが為の信念だった。

 死に追いやった人を悔やんだことは一度も無い。
 見捨てたことを後悔したことは殆ど無い。

 悲しかったのは、そうしないと生き続けることのできなかった自分の弱さ。
 病室で見た多くの孤児。
 葬儀で見た沢山の遺族。
 彼らの苦しみと悲しみを受け止めることなんかできるはずもなく、俺は目を逸らすことで辛うじて保っていられた。
 一人救われた俺は、救われなかった者たちを忘れた。
 見捨てて歩いた記憶は、助けられなかったと悔やむ気持ちに切り替えた。
 救おうとしなかった俺が自分だけ救われたという申し訳なさは、全てを救う存在の不在への不満へと摩り替えた。
 生き汚い俺を救ってくれた切嗣 ( オヤジ ) への嬉しさと後ろめたさは、彼を正義の味方と持ち上げることで、誰もが救われるという夢へと結びつけた。

 俺は望む。
 誰もが救われる世界を。
 どんな状況でも何とかしてくれる存在を。
 いないのなら、俺がなればいい。
 俺がなることで、それはゼロではなくなるのだから。
 今は無理でも、先のいつかは、いつかが無理でも、ずっと後なら、後が駄目でも、もっともっと先に―――そう続けていけば、夢は叶ったことになる。
 俺が、諦めない限り。挫けない限り。

 俺の行動一つで助けられた命があったかも知れない。
 生き延びた人の苦しみを少しでも和らげる手段があったかも知れない。
 それは、今ではもう、意味を成さないIFだ。
 そんなのはもう衛宮士郎にとっては重要ではない。
 IFではないのだ。
 だからあの日をなかったことにできたとして、それをすることは俺には出来ない。
 俺が正義の味方を目指すのは、あの時に助けられなかったものを助けたいわけではないのだから。


 自分だけが助かりたかった十年前の俺は、今の衛宮士郎ではないことを証明したいだけなのだから。


 死んだ人たちに申し訳が無いんじゃない。
 全ては、俺一人の満足の為に、独りよがりを続けていただけに過ぎなかった。
 助かりたいという一心で、人を見捨てて俺は生き残った。
 そして生き残ったために、見捨てたことを一生背負わなくていけなくなった。
 彼らが責めているからではない。
 生き残った自分が、見捨てた自分を責めていた。

 生き残ったからこそ、芽生えた後悔だというのに。
 生き続けていたからこそ、遺族や孤児を目の当たりにしたというのに。
 救わなかったからこそ、俺は生き残れたというのに。
 酷い―――矛盾。

 その鬩ぎ合いが、俺に見捨てた時の自分と生き残った自分を切り離させた。
 見捨てた自分はもういない。
 見捨てたことでがらんどうになってしまった。
 生き残った自分は、そんな見捨てた自分の骨を拾おう。
 見捨てない。救ってみせる。
 かつて自分が救われたように、救ってみせる。
 俺が救われたのだから、全ての人間も救われる。
 犠牲者なんて存在しない。
 全員を救ってみせる。


 無茶苦茶でよかった。
 出来ないことで構わなかった。
 大変で難しいことであればあるほど、不可能であればあるほど、それを行おうとする自分は尊い。
 そんな自分が、人々を見捨てた自分である筈はなかった。

 かつての自分との再起動。

 これを示すことで、俺は生きていられた。正常でいられた。
 だからこそ、正論など意味を成さない。
 可能な限りの妥協案など邪魔でしかない。
 全員が救われる為に、俺は生きる。
 何を言われても、どう諭されても、聞き分けることはできない。
 報われなくても、救いがなくても、途中で止めることはできない。

 俺は、救いたいから人を救うのではないから。
 俺を救う為に、そうするしかないのだから。

 かつての俺を救えるのは、今の俺しかない。
 罪を償うかのように。

 そんなことをし続けない限り、俺は生きられない。
 御免なさいと彼らに謝ることを選べなかった自分だから。
 それはどんなに卑怯で身勝手で、自分だけに都合のいいもでしかないと実はわかっている。けれども、気づいてはいけない。
 俺は、誰もが認める正義の味方になるのだから。
 どっちか片一方だけの正義の味方ではなく、誰もが認める正義の味方。
 俺はそんな仮面を被り続ける。
 自分の為に。
 それに自分が気づかないでいる間は、俺は正義の味方でいられる。
 だから―――俺は考えない。


―――これもそれだけの話。



「……それは違うっ! 俺はそんなんじゃ……ないっ……」

 何かを意味の分からないことを叫んで、俺は目覚めた。
 見開いた目に入ってきたのは見飽きた天井ではなく、真っ白い布団の表面だった。
 どうやら、寝相が悪かったらしくて今の今までうつ伏せのような形で眠っていたらしかった。不自然な格好で体を捩っていたこともあって、体が微かに痛む。
「……ふぅ」
 全身から寝汗を噴出していたらしく、身体を起こすとそれが滴り落ちてくるのがわかった。
 夢を見ていた。
 それがどんな夢なのかは覚えていないが、自分にとって都合の悪い夢のようだった。
 覚えていないくせに、そんなことはわかってしまっていた。
「はぁ……」
 時計で時間を確認した後、体を転がして仰向けに寝転がる。
 キャスターの宝具は、俺の心をも砕いたかのようだった。
 遠坂の記憶封鎖の魔術と共に、俺が自分で封印した記憶の閂をも壊してしまったらしかった。
 あの日から毎晩のように、魘される日々だった。
 覚えているのは、全てを否定する自分だけ。
 何に対して否定しているのかはわからない。
 ただ、その否定は怯えながら逃げ惑うような否定だったように思う。
 自分に都合が悪い。だから拒絶する。
 そんなところだろう。

「ふぅ……」

 遠坂の死。
 セイバーの消失。

 それは俺の知らないところで起きていた出来事で、それを知ることが出来なかったという自分を悔やんでいる。
 こないだまでは悔やむどころか、自分がどうしていたのかもわからなかったのだ。
 わからないくせに、どこか覚えていてもどかしくて苛立っていた。
 行き場の無い怒りを溜め込んでいるような状態だった。
 今のは、違う。
 酷く恐れている。
 忘れているのではなく、忘れたがっているのだ。
 見られないのではなく、見ようとしない。
 閂は壊され、中から漏れ出しているのに向き合うことが出来ない。
 衛宮士郎にとって都合の悪いものがそこには隠されているのだ。
 だったら見なければいい。忘れていればいい。
 それができないのは、それに向き合うべきだという自分も確かに存在するからなのかも知れない。
 いい加減。自分に嘘を吐くのは止めようぜ―――そんな風に言われている気がする。
「あ―――やめやめっ」
 今はそんなことよりも、差し迫った状況について考えるのが先決だった。
 自分に向き合うのは後でも出来る。そうずっと後でも。忘れてしまうぐらい後で全然問題が無いはずだ。うん、問題ない。
「さて……と……」
 キャスター達はきっとあの女魔術師とアサシン相手に決着をつけようとするだろう。
 あんなこと言われたけど、じっとなんかしてられない。
 結局あれ以上の話は聞けなかったが、あれこれと考えることは出来る。
 聖杯戦争が本来の形で終わらなかったことで、何かを企んでいるヤツらがいる。その中でも目下気になるのはアサシンのサーヴァントとバゼットと名乗ったそのマスター。
 あいつらだけではないかも知れないが、今のところはあのコンビが敵で今現在もこの町が脅威に晒されているのは間違いない。今は収まって回復している者が増えているとは言え昏倒事件は解決していないし、行方不明者も僅かながら存在する。もしバゼットという女がそれを全てしたのだとすればまた繰り返される可能性も有り、放っておけない。
 目的の為には被害が出るのも厭わないような連中を相手に、俺は立ち向かわなくてはいけない。名前を聞いてきたということは敵対の意思は向こうにもある筈だし。
 彼女らを追い払うことが、生き残った者の勤めだなんて言わない。ただ、俺は俺のできる限りのすべきことをやるだけだ。
 キャスターの都合なんか、知ったことか。
 第一、最初に接触を図ってきたキャスターと葛木が信用できる相手とは言えないし、その言い分もどこまで信用できるのか分からない。唯一の事実はあの場で俺を害することがなかったというだけだ。それに仮に害はなくても彼らがこの町の人々の為に戦うようには見えない。彼らは彼らの都合と利益だけで動くに違いない。だとすればやっぱり俺しかすべきものはいない。
 実力がどうとかじゃない。やらなくてはいけないんだ。
 それに勝算とは言わないが、チャンスはあると思う。あの屋上での戦いは確かに凄かったが、セイバーが戦っている時に比べれば魔術勝負だったせいか遥か及ばないようなものには見えなかった。キャスターと呼ばれる以上、サーヴァントの武器に匹敵する魔術を行使できるものと思っていたが、今思えばマスターである葛木を護りながらとは言え、単純な威力自体は大したものを出せていなかったように思える。でなければあんなゴーレムなどという細工などすまい。俺がセイバーの実力を出し切れなかったように、葛木との間で制約があるのかも知れない。
「よしっ」
 希望気観測かも知れないが、元気は出た。
 覚悟も決めて腹を括ったところで、勢い良く立ち上がった。
 具体的な行動は思いつかなくても、明確な方向が定まったせいか気分が良い。
 どうせ活動は夜になるし、今からあれこれ考えても仕方が無い。
 丁度良く時間も過ぎた事だし、朝食の準備をしよう。
 お弁当の用意もしないといけないし。
 俺と、藤ねえの分。そして美綴のと合わせて三人分。
 あいつにはここ最近はずっと世話になりっぱなしだから、後でまた改めて御礼をするつもりだが、今は向こうが望んできたこれだけでいいだろう。先日、蒔寺とかいうクラスメートに一度見つかって囃されて少し恥ずかしかったのだが、当の本人が平然としたものだったからそれを理由に止めるいうことも出来ないし。



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