《決意の矢》


「詠唱だけは一人前のようね。でも構成が雑。具現した力も詰まらないと言わざるを得ない。千年も研鑽を積んだ割に進歩がないのね? それとも貴女が脆弱なだけかしら?」
 くつくつと笑いながら、キャスターは女を見据える。
「古いものほど立派に見えるが存外役には立たぬものだ。魔女は物語の中だけにしておけ。アンティーク風情がいきがるな」
 口調こそ落ち着いているが、少々苦しげな雰囲気に見て取れた。
 互角というよりも互いに小手調べのような魔術合戦に見えたが、どうもキャスターの方に分があるらしい。
「二度目ね。覚悟なさい。サーヴァントならまだしも、私に魔術で挑もうなどとは片腹痛い」
 キャスターのローブが靡くと共に、空気が変わる。
 大気に満ちた魔力は濃霧となって、キャスターの体を覆っていく。


 目の前の戦闘を見つめながら、どうしたらいいのかという答えの出ない問いを繰り返し続けていた。そこに進歩は何もないと思いながら。
「……っ」
 不意に、閃いたことがある。
 思いついたというのではなく、思い出していた。
 自分がどうこうという考えが行き詰まり、一人一人について考えていた時だった。
 マスターだという葛木先生とそのサーヴァントのキャスター。
 彼らは聖杯戦争の生き残りでありながら、勝者ではないという。
 今は特に敵対はしていない。
 そして謎の老人。
 葛木先生を探しに来たらしいが、聖杯戦争には関係が無い口ぶりで正体は不明。
 最後に男装の女魔術師。
 目的は不明ながら、聖杯戦争の関係者であることは明白だ。
 現状では何一つわからない癖に、何か欠けていた。

「衛宮。そこにいると危険だぞ」
 危機感の全くない抑揚さえも失われたその葛木の声で我に返る。
 キャスターは上空に浮き上がっていて、彼の保護は要らなくなったらしい。
 残りの老人を見ると、愉快げな表情で腕組みをしたまま女魔術師同士の戦いを観戦していた。
「只見させて貰っちゃ申し訳ねえぐらいの見世物だな」
 俺の視線に気づくと、そう漏らした。
 どうやら、干渉する気は無いようだった。
 そう、彼は部外者なのだ。
「……葛木先生」
「何だ」
「筆記用具をくれませんか」
 このぐらいしか持っていないだろうという予想が当たる。
 ビジネス手帳と、紐で結わいつけられた小さなシャープペンシルを懐から取り出す。
「これでいいのか」
「ちょっと借ります」
 どうしてこんな時にとか、何をする気なんだとか、そんなことは一切聞かずに差し出してくれた。
 さっきの一言が株を上げたのかも知れないが、そんなことは今はどうでもいい。後半が全く使われていないアドレス帳の頁部分を掴むと纏めて引き裂いた。
 そして紙縒りのように丸めながら、ひとつに繋げていく。
「なんとかなる筈だ」
 自分に言い聞かせる。いや、そんなものじゃ駄目だ。出来ると信じないと。
 思いの強さが大事な作業だった。

「――――同調、開始トレースオン
 毎晩やっていることの繰り返し。
 ただ違うのは今日は絶対に失敗が出来ないことだけ。
 そんな焦りを封じ込めつつ、頭の中を真っ白にして、意識を全て内側に向ける。
 自己に暗示をかけ、言い慣れた呪文を呟くことで擬似神経を作り、己を魔力を生成する回路とする。
「……できる」
 いつもの精神の統一よりも、今は信念を強く押し出した。
 それは、焦りからのことかも知れない。
 ただ直ぐ前の魔術のぶつかり合いに当てられ続けたせいか、スムーズに回路が通るのがわかった。恐らく、時間だけで言えば新記録。
 けれどもそんなことに喜んでいる場合じゃない。
 薄目を開いて、手に握った頼りないものにその意識を向ける。
 こういう“強化”は初めてだが、不恰好だろうと見た目だけだろうと形さえ整っていれば、原理は間違っていないのだから大丈夫の筈だ。

 基本骨子を解明し変更する。
 構成材質を解明し補強する。

 それは握り慣れていた。
 一撃必殺のような大層なものを求めているわけではない。
 確実に放て、明確に飛べばそれで良かった。
 補強に補強を重ねて、きちんとしたモノに仕上げていく。
 いつもの工程を繰り返せばいい。

「よしっ」
 へなちょこな技術ではこれが精一杯というところか。
 紙で作った弓に、シャープペンの矢。
 即席の弓矢というよりも小学生の夏休みの自由課題のような代物だったが、それで十分だった。
「なんだ、それは?」
 工程を見ていた葛木には全く分からない代物であったようだが。
「……」
 悩むな、俺。
 確かにおかしいっぽいけど、そう思ったら負けだ。


 平然と返しながらも、キャスターの方が押されている。
 同じ魔術師同士だからと言って、サーヴァントであるキャスターが人間の魔術師と互角というのはおかしい。いや、魔術師同士だからこそ、力の差は明確である筈だった。キャスターが力を発揮できないのはこの場には守るべきマスターがいるからに他ならない。攻撃の魔術と護りの魔術を両方こなさなくてはならない分、二人の実力差を埋めていた。
「―――Μαρδοξ――――!」
 キャスターが生み出した水晶で展開されたガラスのような膜は、俺たちの盾となって女魔術師からの轟音と爆音を遮断する。
 この盾はどれほどの魔術をぶつけようとも通すことはなく、そればかりか物理的攻撃でさえも防ぎ込めるだけの力を持っている。
 それは、まさに『盾』アルゴスの概念。
 ただその鉄壁の防御故に、こちらから攻撃することもできない。
「キリがない。続きはまた後日だな」
「あら? 貴女に明日があると思って?」
「幾らおまえが優れた魔術師であろうとも、この場でおまえの完全勝利は無い。マスターの命と相打ちで構わないというのなら別だがな」
「そうでもないわ。貴女程度の雑魚を倒す術は幾らでもある。例えば―――こんなのはどうかしら?」
 言うと同時に屋上のコンクリートの地面が砕け、女魔術師を包むようにして四方から二本足で立つどの生き物にも有り得ないような骨が這い上がって襲い掛かる。
「雑魚の相手は雑魚がお似合いよ。私は隙があればいい」

 それだけで自分は簡単に勝てるのだと、嘲笑うキャスター。

 が、カシャカシャと蠢く無数の骨たちの音に囲まれた魔術師は、
「……なんだ、竜牙兵ゴーレムか」
 興醒めだとばかりに呟く。
「まさかこの程度、魔術で一掃するとは思っていないだろうな?」
 その直後、一体のゴーレムが吹き飛ばされた。
「―――え」
「これでも私は荒事担当の魔術師でね」
 二体三体と、次々にゴーレムが倒されていく。その両拳によって。
「ほら、道は開けた。ゴールはそこだ」
「……な」
 背中に蝙蝠の羽を生やし、上空から光弾を打ち放つべく腕を振り上げていたキャスターが固まる。魔術を用いてゴーレムを突破するその瞬間を狙っていたのだろう、確実に葬る為の魔術を行使しようと縦の攻撃を考えていた為に、俺たちの壁になることを止めていた。
「くっ……」
 瞬時に攻撃魔術をキャンセルし、再度護りの魔術を紡ぎあげようとするが、遅い。
「―――断罪せよダーモ――――!」
「―――Ananyzapta――――!」
 いや、間に合う。
 遅れて放った筈のキャスターの魔術は、女魔術師の攻撃魔術よりも早く俺たちの元に届く。が、魔術師は動揺していない。それどころか笑っている。その視線の先は、 上空で無防備な一人の魔術師だった。その背後が揺らめくのが俺の目に、届く。
「そこだぁ―――っ!」
 キャスターの魔術によって俺たちの体に黄金色の膜が覆い、女魔術師の投げナイフのような衝撃を防いだ直後に、俺はずっと用意していた弓を引き絞ると、キャスターに向けて矢を放った。
「うぉっ!?」
 放った瞬間、100%紙製で出来ていた弓が一瞬で発火した。
 が、何とか即席の矢は目標に向かって飛んでいく。
「え?」
 まさにキャスターの背後に出現していたアサシンの掌に、そのシャープペンシルの矢は納まっていた。
「なっ……」
 慌てて身を引くキャスター。アサシンは強化したシャーペンを簡単に指でへし折ったが、それ以上は何もしてこなかった。
 上空に浮かんだままのキャスター、金網のフェンスの上に着地するアサシン、仕掛けた位置で立ち止まったままの女魔術師、これまた金網の上に悠然と座ったままでいた老人、そして俺のすぐ横にいる葛木宗一郎。
 この時、この場にいるほぼ全員から俺の存在に目を向けられた。
「―――舐めるな」
 思わず、口に出していた。

「ははは、面白い小僧だ。葛木、おまえの教え子か?」
 最初に口を出したのは、高みの見物を決め込んでいた老人だった。
「いや、衛宮は藤村教諭のクラスだ」
 そんな葛木先生のピントの外れた答えを聞いた老人は喉の奥でククッと笑い、そのままフェンスの内側に飛び降りると、そのまま開け放たれたままで風通しの良い階段の向こう側へと歩いて去っていった。
「ふむ、伊達に生き延びてないということか」
 うんうんと一人で勝手に納得したらしい女魔術師は、着地した場所から滑るよう傍らに来て控えていたアサシンの大きな腕に巻き取られ、そのまま抱きかかえられるようにして共に姿を消した。現れた時の手段はそういうからくりだったらしい。
「名前を聞いておきましょうか?」
 声だけが、屋上に通っていた。
「衛宮士郎。おまえは?」
「バゼット・フラガ・マクレミッツ」
 名乗りを最後に、今度こそ完全に気配を消していた。
 そして屋上に残ったのは俺と、葛木とキャスターだけだった。


 あれだけの魔術が飛び交ったというのに、来た時のような光景に戻っていた。割れた場所からゴーレムが沸いて出たコンクリートも、元通りになっている。
「まだここの結界は残っていたのね。自分も使う気でいたのか、壊す力がなかったのか……どちらにしても、私には不要。壊しておきましょう」
 暫く眺めていたが、無事に修復作業を終え、屋上の隅に描かれていた七画の刻印も消したキャスターの元に向かった。
「邪魔が入って話が途中になったけど、聞かせてもらおうか、詳しい話を」
「―――もうこれ以上貴方に何を話すことがあって?」
 何やら聞き取れない言語を呟き、さっきまで描かれていた刻印の上に小さな魔術を 叩きつけるキャスターはにべもなかった。
 キャスターは俺を恐れていない。葛木も同様だろう。それは俺を舐めているというよりも自分達に対する絶対の自信から来ているようだった。
 聖杯戦争を共に戦う為のコンビ―――サーヴァントとマスター。
 この関係はほんの僅かな期間だったが、俺にもあった。
 クラスはセイバーのサーヴァント。
 性格も生真面目で融通が効きそうになかったけれども、誠実だった。
 遠坂は最強のクラスと言っていたが、戦う為の単なる道具としてではなく、魔術師という立場の不足を補う存在と考えれば、その解釈も当然だ。
 その少女は剣士とは思えないぐらいに小柄にも関わらず、ランサーの必中の一撃を回避し、バーサーカーの巨体相手に堂々と渡り合った。
 彼女となら例え相手が鬼神でも戦い抜けると確信していたぐらいで、目の前のキャスターなんかよりもずっと優秀だっただろう。更に魔力の感知すらできない魔術師としては全く素養のないであろう葛木に対して、微弱ながら魔術師の端くれである俺の方が実際の戦いは別として、ずっと優位であった筈だ。

―――俺さえ、間抜けでなければ。

 俺たちが勝者となれたかどうか、そんなのは分からない。
 けれども、最後まで勝ち抜く可能性をむざむざと握り潰したのは俺の責任だった。
 俺は、俺のせいで一人きりだった。


「まだ聖杯戦争は終わっていないんだろ?」
「なら、なあに? まさかまだ参加者のつもりでいるの?」
「わ、悪いかっ」
 こんな筈じゃなかった。
 色んな思いがあれど、全てはこの一言に尽きる。
 見苦しかろうと、食い下がるしか今の俺にはできなかった。
「もう、貴方に令呪がないのでしょう?」
「……っ!」
 腕をまくって見せた時は記憶がなく、何のことかわからなかった。
 だが、思い出した今はそれがどれだけ重い一言か理解できた。
「死にたいのなら今すぐここで殺してあげる」
 キャスターは己の掌を、俺の額に向けていた。
 これは恐らく脅しだが、けれどもきっかけがあれば脅しでなくなることも理解していた。キャスターは俺を殺す理由がない以上に、殺さない理由がないのだから。
 葛木は俺たちのやり取りを見ているだけで、その目に感情らしきものは浮かんでいなかった。それで俺は何となく、彼は俺が殺されてもそれを倫理の面で咎めることはしないのだろうなと理解した。魔術師ではないくせに、その心は俺や遠坂なんかよりもずっと魔術師に近いのだろう。彼は、止めない。そして、関わらない。
「するならしてみろ」
 それがわかっていながら、俺はキャスターを睨み付けた。
 ここで俺の頭蓋が四散しようとも、引くわけにはいかなかった。
 怯んで、逃げてどうなる。
 もう忘れることなんかできやしない。
 ずっと後悔を抱えて生き続けることなんか、したくない。

 進んで死ぬつもりは無い。
 まだ俺は何も果たしていない。
 誓ったものに対して、願ったものに向けて、何一つできていないうちに死にたくはない。
 けれども、ここで引くことはその道を閉ざす事にも匹敵する。
 いや、違う。
 そうじゃない。
 きっともう嫌なだけだ。
 引き下がる自分が、嫌なだけだ。

 どちらにしろ、覚悟は出来ていた。
 そしてもう、それを口にしてしまっていた。

「……」
 キャスターは俺の目を凝視したまま、身動き一つしなかった。
 フードの奥の素顔が良く見えた。間近で見る彼女の顔は想像通りの美人で、声よりも若干若く見えた。
 コルキスの魔女とか言われていたから、実年齢の若さではないのかも知れない。
 その表情は俺を馬鹿にしているわけではない。
 それだけが救いだった。


「―――男っていうのはどうして下衆と馬鹿ばかりなのかしら。下衆な上に馬鹿はいるくせに、下衆でも馬鹿でもないというのは殆ど見当たらない」

 大げさにため息をついてキャスターは手を下ろした。
 が、俺の体はまだ弛緩してはいなかった。油断は、できない。

「宗一郎様、戻りましょう」
「そうか。午後の授業はともかく、職員会議は出ておきたかったのだがな」
「後でその辺は辻褄を合わせておきますわ」
「気にするな。おまえはおまえの役目を果たせばいい」
 二人は階段口の方に向かう。俺を残して。
「あ、おい! 待てよっ。逃げるのか?」
 追いかけようとする俺に、キャスターは今度は顔だけを俺に向けて言った。
「不愉快だから殺そうと思ったのだけど……止めておくわ。あなたは助けられたのでしょう? 仮に自分の意思じゃなかったにしろ、その術を使った相手は貴方に今の生活を望んでいたのではなくて?」
「え……」
 その言葉に足が止まる。
「あなたに悔やむ気持ちがあるのだったら、少しは故人の意思でも尊重することでも考えなさい。今更しゃしゃり出て満足するのはあなたの自尊心だけでしょう?」
「……っ」
 今度こそ、一言もなかった。
「なんだよ……知った風な口をききやがって……」


 気がついた時には葛木もキャスターもいなかった。
 暗くなった屋上には俺だけがただ一人、ポツンと取り残されていた。



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