《招かざる客たち》


「聞きたいことは教えてあげたわ。今の貴方から等価交換を望むのも酷でしょうし、これで終わりにしましょう」
「おまえたちはこれから……おいっ」
 キャスターは俺に背を向けると、葛木に頭を下げた。
「宗一郎様。申し訳ありませんでした」
「いや、構わぬ。無駄が全て悪いわけではない」
「ちょっと……」
「別にもう貴方に興味はない。失せなさい」
「そんな勝手なっ」
「いや、衛宮にはもう暫くここにいて貰おう」
「え?」
 キャスターに食って掛かろうとする俺に葛木が声をかけ、
「今は出て行けないだろうからな」
 そのまま、屋上の出入り口にあたる扉の方に向き直った。


「そんな面白いことがあったのか。いやぁ、もっと早く来てりゃあ良かったぜ」


「え……」
「なっ……」
 ギィィと、重い音を立てて屋上のドアが開く。
「おまえは」
 間違いない。
 先日生徒会室まで葛木を探しに来ていた老人だった。
 あのやりとりからしてとっくにこの町を出たとばかり思っていたのだが、また学校にやってきていたのか。
「今日会えねば一度戻るつもりだったのだが、会えたばかりか思わぬ話よの」
 気配など感じなかった。
 それどころか、ここからあの出入り口のドアの前までの距離を考えるとどう聞き耳を立てたところで聞こえるような距離ではない。それにドアも鋼鉄製で、薄い扉でもない。なのにその相手は扉の向こうから現れ、俺たちに向かってそう言ってのけた。
 だからこそ、キャスターも気づかなかったのだろう。
「その聖杯の欠片とやらは、今どこにあるんだい?」
「欠片!?」
 慌ててキャスターの方を向く。彼女も驚きを隠せないようだった。
 そんなことは俺たちの会話では一切言っていない。それなのにどうして。
「はっ、ただの人間風情が、何を勘違いしているのやら」
「いっひっひ。人間てのは多かれ少なかれ欲呆けじゃからな」
 キャスターの眼光にも全く動ぜずに、軽い足取りで近寄ってくる。
 その背後でガランと、音がした。
「え……」
 見ると出入り口の鋼鉄製の扉が倒れていた。
 それも相当重量からしておかしなぐらいに軽そうな音を立てて。
「第一、ここは結界を張った筈。どうやって入れたというのです……宗一郎様?」
 葛木がキャスターを庇うように一歩前に出て、
「このご老体には、聊か理不尽な性がある。気にしても仕方がない」
 足を止めた老人を相対する格好になった。
 俺と老人、そして葛木とキャスターとで二等辺三角形のような立ち位置になっていた。
 だが、老人も二人も俺を無視して互いに意識を向けていた。
「葛木―――ようやく会えたのう。どれほどぶりになろうかの。いや、それほどでもないか」
 にやにやと笑いながら手にした杖を回すように手の上で遊ばせていた。
「……」
 葛木は答えない。
 どうでもいいようだ。
 だがさりげなくキャスターを庇いながら立つその姿はそこいらの一般人には見えない。
 かと言って殺気立っているわけでもなく、技術を超越した達人のような趣だ。
 何の達人かはわからないが。
「相変わらず無愛想よの。黙ってやる気か?」
「……」
 無言で葛木は眼鏡を外して上着のポケットにしまった。
 キャスターは最初こそ不安げな眼差しを浮かべていたが、今は少しも動揺した素振りも見せず葛木を見ていた。全幅の信頼を置いているようで、どこか誇らしげでもあった。
 何ひとつ事情はわからないが、ただ言えることは勝敗は見えていた。
 葛木は負けない。
 それだけは間違えようがなかった。

 だが、何か不吉な予感がした。
 それが何なのかはわからない。
 だから言葉にするのが躊躇われる。

「駄目だ、葛木先生……っ」
 それでも口に出していた。
 黙って見逃してしまう羽目はもうごめんだった。
 だが、裏づけも何も無い俺の頼りない直感による発言では葛木を微動だにさせることは出来ない。
 全く聞こえていないように意識を正面の老人に向けていた。
「坊やは黙って見て……え? ……っ! いけません、宗一郎様」
 俺の言葉にフードの奥で眉をしかめていたキャスターが何かに気づいたらしく俺と同じことを言った。
 葛木は老人に向き合ったまま身動きひとつせず、気配だけをキャスターに向けた。
 信頼の差、実力や経験の差、その全てに負けているのをまざまざと見せ付けられる。
 悔しさを覚えなかったといえば嘘になる。
「敵はその男だけじゃありません! 一体、別に魔術師とサーヴァントがいます」
「ほぅ……」
「えっ」
 ニヤリと笑う老人と、ピクリとも反応を示さない葛木を抜かすと驚いたのは俺一人であるようだった。
「そこっ」
「ははっ、そこかぁっ」
 キャスター、そして葛木と対峙していた老人がそれぞれ、俺たちとはまた別に相対する位置、歪な台形を形成する位置に魔術と飛び道具を打ち込んだ。
 何もない空間に吸い込まれるように飛び込んでいったその攻撃はバチンと電源が切れるような音と共に霧散した。
「手荒い歓迎、感謝する」
 そして左手で懐剣を掴んだ女性が空間から浮き上がるようにして現れる。
 右手からは微かに煙が立ち昇っていて、魔術を防いだ痕跡のようだった。
「立ち聞きとは随分と趣味が悪いわね」
「なあに、偶然だ」
 キャスターに対して、ハスキーボイスで応じる。
 地味な濃紺のビジネススーツに身を包んだその女性は、一見男性にも見える。両耳のピアスと微かな胸の膨らみに気づかなければ、その中性的な顔立ちでは即座に判断がし辛い。
「おまえの仲間じゃないのか?」
「知らんよ。まあ若い女性に慕われるのであれば悪い気はせんがのぅ」
「生憎、老人は間に合ってる」
「ほほほ、振られたようね」
「まあこの醜悪な顔ではのう。あんたのような別嬪さんがいる葛木が羨ましいわい」
「……」
「醜悪なのは顔ではあるまい。その腸こそが醜悪なのだろう」
「見ず知らずのおまえさんに言われるとは……なかなかキツいのう」
 女魔術師が、老人が、葛木が、キャスターがそれぞれ好き勝手に言葉をぶつける。
 俺を置いて。
 俺一人を部外者にして。
「くっ……」
 奥歯が軋むが、どうすることもできなかった。
「キャスター。あれはどうやって隠れていたのだ」
 葛木が問い、
「恐らくはサーヴァントの力を得ていたのだと」
 キャスターが答える。
「なるほど。アサシンとか言っておったからな」
 老人が一人頷き、
「また聞きの分際で知った風な口を……」
 キャスターが噛み付く。
「ふうん、気づいていたのか。コルキスの魔女よ」
 そしてその彼女を挑発する女に、キャスターは激昂した。
「その口、引き裂いて上げます」
 瞬時に紡がれた魔術の光弾が、幾重もの槍となって女を襲う。
「あっはっはっ。逆切れか……返すぞっ」
 女はその槍に対して防壁を作って防いでいたが、平面の板のように作っていた防壁を歪めることで、撃ち込まれた魔術の槍を斜めにそらす。
「おっと」
 飛び跳ねて、自分に襲い掛かってきた槍を交わす老人。
「宗一郎様は私の……」
「承知した」
 誰一人俺に意識を向けず、それぞれがそれぞれを敵と認識して攻撃を繰り出す。
 小競り合い程度のやり合いながら、次第に熱を帯びる。
 さっきまでの薄ら寒い屋上が、熱気を帯びた戦場に変わりつつある。
 そんな中、身動きひとつできずに見ているだけの俺は本当にただの邪魔者だった。
「畜生……」
 動けなかった。
 そして、どうしていいのかすらわからなかった。
「ま、待てよ……」

 おまえはまたこうしてみているだけなのか。
 歯噛みして終わるのか。

「だけど……」

 闇雲に動くのか。
 どう動くのか。
 第一、誰に干渉すればいいんだ。

「くぅぅっ」

 わからない。
 けど、置き去りにされたくない。

 記憶を取り戻してもなお、何も変われないでいる自分。

「遠坂……遠さかぁ……っ!」

 おまえならどうしてた。
 頭がキレるおまえなら。

「セイバー……」

 おまえだったらどうした。
 迷いなくひたむきなおまえなら。

「俺は……俺は……」

 あいつらのように強くない。
 能力も性格も、全てに劣っている。

「考えろ……考えろ……」

 それぐらいしかできないから。
 それをすることでしか、救われないから。
 俺にしかできないことがきっとある筈だから。

「くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 そう思わないと、やりきれない。
 轟音の中、思わず叫んでいた。



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