《珍客騒動》


「――――やはり、上手くいかなんだか」
 石室に篭もった声。
 ずぶずぶと音を立てながら、窓一つ無く饐えた臭いが充満した地下室で見えることの無い夜空を見上げるように顔を上げ、それは蠢いていた。
「所詮は実験体。オリジナルさえ亡くせば、元が同じモノ同士、自然に引き合うと思うたが過ちであったようだ」
 その言葉に諦めはあっても悔いるものは混ざっていなかった。
 元より今回に関しては万全ではなく、静観に徹するつもりでいた。
 それが半端な手出しという形で介入したのはただの吝嗇な気持ちだった。

 ただ見ているのは勿体無い。
 ただ腐るのを待つのは勿体無い。
 ただ棄ててしまうのは勿体無い。

 それだけの理由で、折角の機会に、折角の苗床へ、折角の実験を行うに至った。
 その結果は芳しいものではなかった。
 己の腐った血の末の子孫は果て、用意したサーヴァントと力をろくに発揮することも出来ずに潰された。
 そして肝心の実験体は、一度も至ることもなくに終わってしまった。
 オリジナルが腐り落ちた後、溶け行く先を失った残骸を引き上げることが精々で、既に吸い込まれたものは一つも取り返すことができなかった。
 聖杯に至るどころの話ではなかった。
「まあ良い」

 ゼロではないのだ。
 少量でも拾い上げられたこの力をどう使うか、それを考える。
 どうせそのまま棄てる筈だったものだ。
 どう使おうとも、惜しむことは無い。
 また次の機会に。
 次回の機会に繋がれば、それだけで十分の収穫だったのだから。

「――――ク」

 腐臭を漂わせるソレが笑う。
 生気のない、黒い蟲に群がられた白い肉を前にしながら。



 泣こうが喚こうが、一日は同じペースでやってきていた。
 四季の温度差があまりないこの土地だからこそ、一年中どんな時でも一日の長さに違いをそう感じられない。尤も、この土地を離れて暮らしたことがある訳ではないので、実際の違いが分かる訳ではないのだが。
 ただ、昨日はちょっと長かった気がする。
 特別夜更かしが過ぎたというほどでもないのだが、普段とは違う種類の疲労はあれだけの睡眠では足りなかったらしく、午前中は眠気と戦い続けることで過ごしていた。
 やっと瞼が重くならなくなったのは昼休みに入るぐらいの時間だった。昼食を摂ったらその満腹感で、また眠くなるに違いないと思いながらも空腹には勝てずにいつものように生徒会室で一成と雑談を交わしながらお弁当を広げた。
 さあ食べるぞというその瞬間、まるで待ち構えていたかのようにコンコンとドアがノックされる。全くタイミングが悪い―――そんな気持ちは一成もあっただろう。生徒会室に入る前、もしくは腰を下ろす前、せめて食べる直前というのだけでも避けてくれればここまでタイミングが悪いと思わなくて済んだのだが。
「はい……なん……」
 苦笑しながら立ち上がった一成がドアを開けると、そこには見覚えのない老人が立っていた。一本残らず抜け落ちた禿頭に派手な開襟シャツを着込み、皺の上から血管が浮き出るようにした杖を握り締めてドアの前に立っているその姿は威圧感に満ちていた。
「う……」
 真正面からその老人と正対した格好になった一成は思わず息を呑み、たじろいでしまっていた。だがそんな一成の反応に対して慣れているのか無頓着なのか、老人は気にした素振りも見せずに、数歩後ずさった格好の一成に目を向ける。
「すまねえ。こちらに葛木はおるかい。職員室に行ったらここにいるかもと聞いたもんでな」
「……いえ、葛木先生でしたら、今日は来ておりませんが」
 たじろいでいようとも、聞かれたことにはすぐに答える。生真面目なのか咄嗟の反応ができないのか、俺にはわからないところだ。
 狭い生徒会室だ。一成への質問は訪れたことからの形式的なもので、ざっと見回した時点で老人も納得していたのだろう。微かに頷くと、
「そうかい。邪魔したな」
 そう言って背を向ける。
 生徒会質にいた俺たちに対しては全く関心を持っていないようだった。
 それが普通なのだが、何か引っかかる気分を覚えた。
 一成も同じ気持ちだったのか、それとも単なる親切心からだったのか、
「参ったなぁ。ここにいねえとなると……もう出ちまったか?」
「あの!」
 無骨な指を頭に当てながらドアの前から立ち去っていこうとしていた老人を呼び止めた。
「……もしなんでしたら、後で葛木に会った時に伝えておきますが」
「ん?」
 一成の申し出に、一度は背を向けていた老人が足を止めて再び振り返る。
「それとも校内放送か何か……」
「いいっていいって。そこまで大事にせんでいい。なに、縁があれば会えるしなければそれまでのことよ。人の縁てなぁ、そういうもんだ」
 何が可笑しいのかからからと笑いながら、指で頭頂の辺りを揉んでいた。
 よく見ると、その指に爪は殆どない。申し訳程度に指先の半分から三分の一程度しか生えていないそれは切り揃えたようには見えなかった。
「ですが、もしこのままお帰りになるのでしたら、伝達ぐらいは……」
 一成には一成なりの考えがあるのか、珍しく食い下がった。
「そうだな。戻らねばなるまいな」
 老人は口の中でボソリとそう呟くと、
「ならば頼もうかの。葛木に伝えてくれい」
 クシャっと相好を崩して笑った。
 人の良い老人という印象だ。
 それなのに、俺の中の緊張は抜けない。初めて会う人間で、今後も縁も縁もないだろう相手だというのに、警戒心が強まっていく。
「はい」
 一成がその表情につられるように笑顔を向けると、老人はそのまま告げる。
彪火あやかが待ちわびてるとな」
「は……?」
「それだけで構わん。気が向いたら伝えてくれぃ」
「あ、その……」
「ん?」
 それだけ言って再び去ろうとする老人を一成は慌てて呼び止めた。
「お名前をお聞かせ願えますか」
「名前? ははは」
「何かおかしいことでも」
「いや、すまん。何か真面目そうなあんちゃんだなと思ってな」
「は、はあ」
 会話が上手くかみ合っていない。わざとらしい気もしたが、口を挟むところではない。二人のやりとりを見守る。
「まあ、雑魚に名前などいるまい」
「は?」
「物語に影響のない存在にいちいち名前なんぞいるまい。わしなんぞ通行人Aとか、主人公に絡んで倒されるチンピラBとか、そんなもんよ」
 変人なのは良く判った。
 一成もどうしたものかという顔を浮かべる。
「ではともあれ、葛木に会った際に伝えておきます」
「いや、別に一切構わんぞ」
「あ、はあ」
 その言い回しがこの老人特有のものなのだろう。
「じゃあ、また縁があれば会おう。柳桐一成」
「は!? な、何故名前を……」
 クックックと背中を向けて笑いながら、今度は振り返ることなくその老人は去って行った。
 立ち尽くす一成の横を通って、代わりにドアを閉める。
 その音で一成も我に帰ったらしく、席に戻った俺を見た。
「何かすごかったな」
「あ、ああ……」
 圧倒されっぱなしだったのか一成は疲れたような顔をして、パイプ椅子に腰を下ろした。
 何事もなく、さっきまでの空気み戻れるほど印象が薄い存在ではなかったので、自然と会話は先ほどの老人へのものになる。
 あれが端役なんか演じていたら舞台など成り立つまい。無駄に存在感を出し過ぎだ。
「実は昔の知り合いとかじゃないのか」
「それはない」
 きっぱりと言い切った。あまりにあっさりと断言するので、ついもう少し粘りたくなる。
「でも、ほら子供の頃に会っただけの遠い親戚だとか……」
「いや、その可能性を含めてないと言ったのだ」
 余韻から覚めたようで、いつもの毅然とした表情に戻っていた。
「俺は幼い頃から人に対しての記憶力はいいんだ。割と物心がつくかつかないかぐらいの頃から出会った相手はまず覚えている。今のご老人は紛れもなく初対面だ」
「そうなのか……」
 記憶に関してそう断言できることに俺は戸惑いを覚えたが、一成は嘘は勿論、詰まらない思い込みからの断言はまずしない人間だ。そう言うのであれば本当だろう。
「じゃあ……何で知ってたんだろうな」
「ああ。だから驚いている」
 少し考え込むような仕草をしている一成を前にして、俺は今の言葉を反芻していた。
 目の前のこの男は自分の記憶に自信と責任を持っている。
 そしてそれが当たり前だと思っていて、特に変なこととは少しも思っていない。
「……」
 やめやめっ。
 もういい加減やめっ。
「どうしたのだ、衛宮」
「あ」
 物凄く変な顔をして一成が俺を見ていた。
 いや、変なのは俺か。
 首をブンブンと強くいきなり左右に振る方が変に決まっている。
「いや、何でもない」
 そう言えば飯を食っていたんだ。
 食べかけのままだった弁当に箸を伸ばす。
 これ以上話題が伸びないと思ったのか、それとも俺の様子に配慮したのかそこで会話が一旦止まった。
「ところで話は変わるが」
 俺と同じように黙々と無駄口を叩かず食事を再開していた一成が、ふと食べる手を止めた。
「ん?」
 小松菜と胡麻の和え物を箸で摘んだままの姿勢で聞く姿勢になる。
 食べながら返事をする羽目にならないようにという配慮だ。
 それに変なことを聞いたりして、食べ物を噴出すなんてこともないとは言い切れないし。
「弓道部部長の美綴綾子となんかあったのか」
「んがっ!」
 思わず、箸を掴んでいた指に力が入り、摘んでいたものを取り落とした。
 幸い物は弁当箱の中に落ちたので被害はなかったものの……。
「いきなり何を言うかな、おまえは」
 噴出しはしなかったが、したようなものだった。
 結局、誤魔化しきってその場の追求を逃れた。話を聞く限りは、遠坂程度ではないにしろ一成と彼女との相性もあまり良く無いらしい。
 なら尚のこと黙っていた方が良かった。
 何せ、昨晩のことを思い出すと今でも顔から火が出そうになる。
 女の子の胸にしがみついて号泣だなんて一生に一度もないようなことをしてしまったのだ。
 迷惑がっていなかったのが救いとは言え、無様な真似をしたものだ。
 こんなのは俺じゃないと叫んでまわりたいぐらいに恥ずかしい。
 しかしどうして美綴にあんな真似をしたのか、今でもわからなかった。
 ただそこにいたからなのか、それとも知り合いだったからか、もしくは誰かと勘違いしていたのか、実は美綴だからだったのか。
 どの可能性も否定できない。
 自分のことだというのに、わからなかった。
 この一件でますます彼女には頭が上がらなくなる気がしたが、元々さっぱりした性格の相手だ。
「気にするな」
 の一言は本当に救われた。その時の笑顔もさっぱりしていて、意地の悪いものは全く含まれていなかった。
 全く、迷惑をかけた。
 その後はベンチに座りながら、取り繕うように色々な話をした。
 支離滅裂になりながら、他愛も無い話を幾つかした。
 美綴はただ、聞いてくれた。
 頷きながら、合いの手を入れながらと俺が喋りやすいようにしてくれた。
 その際、美綴に頼み込んで一つの縁ができた。
 ただの思いつき以前の、話を模索した中で出てきた言葉だったが、それは割り合い上手い具合にいきそうだった。
 そんな経緯で俺はあいつから、武術を習うことにした。



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