《闇と声と記憶が責める》


「ふぅ……」
 今日のアルバイトは作業量の割に人手が少なかったせいで随分と遅くなってしまった。真っ暗闇とはいかないが、町の中心部を少しそれただけで覚束ない灯りに照らされた地面だけが標となる時間帯。
 遅くなることは全く問題はない。
 藤ねえも桜もいない家に早く戻っても仕方がない。
 一人で食べる夕食の美味しくないことも、それに慣れ始めてきている自分も腹立たしい。
 自分の前にある何もかにもが苛立ちの対象になってくる。
 そしてそれを表に出さずに済ませようとする、取り繕う自分が誰よりも何よりも苛立たしい。
 汗ばんだ体が夜風にあたって急速に冷え込んでくる。
 人の集まりが悪いせいで今日は重労働ではあったがその分、手取りも悪くない額だった。ここ最近はアルバイトに熱心ではなかったのでこの収入は非常に助かる。
「やっぱり近頃物騒だからなんだろうな」
 がむしゃらに体を動かすことだけが、今の俺にできる最良のことだった。
 足りない人数を補うこと以上に、余計なことを考えないで済むようにという二つの理由からいつも以上に体を苛め抜いた。
 既に全身は睡眠程度では癒えない痛みが走っている。
 この痛みだけが、自分を救ってくれている。
「……ああ」
 周囲が急に暗くなったように感じ、顔を上げるとそこは公園だった。
 冬木中央公園。
 新都の中心部にある自然公園で、十年前の大火災の跡地として新都の再開発計画にも除外され、周囲の高層ビルに勤める会社員達の昼休みの場所として提供されたりしている。
 そのまま中央の広場に足を踏み入れる。慰霊碑があるぐらいで、草木が生い茂ったその場所は昼も夜もそう人気のある場所じゃない。
 その向こうは芝生すら存在しない、荒れ放題の荒涼とした地面。
 十年前の焼け跡の大地。
「俺は……」
 ズシリ、と何かが沈み込むような感覚。
「いや、違う……」
 意味の無い言葉。
 いや、意味の無いのはこの場所だ。
 何故俺はここにいる。
 こんなところに用は無い。
 歩け。
 ただの通り道だ。
 通り過ぎろ。
 走れ。
 大分夜遅い。
 一刻も早くこの場を―――。

「違う。何も無い」

 はやく、はやく、はやく。
 この場を、熱い、どけ、過ぎ去る、逃げろ、走れ、無関係、助けて、駈けろ、無意味、痛い、止めろ、待て、そんなのはない、違う、早く、忘れてしまえ、行け、危ない、飽きた、無理、来るな、止めろ―――

「ああ……」

 消えろ。
 消えろ。
 消えろ。
 消えろ。消えろ。消えろ。
 消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ……………!!!!

 脳裏から焦げた臭いと、赤い記憶を必死になって押しやる。
 押しやっていたのに、湧き上がることが止められなかった。

「なん――――で……ぐっ――――!」

 痛み。
 そして吐き気。
 ただ横切っているつもりなのに、まるで何かを掻き分けるように、周囲のざわめきを振り払うかのように、心身に重いものを絡みつかせ、もがくように足を動かす。
 足を止めたら飲み込まれてしまうような恐怖感。
 覆い尽くされ、埋め尽くされるような感覚に怯えながら、ひた進む。
 その割には少しも進んだ気がしない。
 体中が悲鳴を上げていた。
 苦しい苦しい。
 助けて助けて、と。

「やめ――――ろっ!」
 腕を振り回した。
 空を切る。
 それなのにまとわりつかれたような重苦しい感覚は一向に変わらなかった。


『―――見つけた』


「―――っ」
 自分の全てを吸い寄せるような、圧倒的なイメージが襲い掛かってくるまでは。
『貴方が、生き残りね』
「こ、声……?」
 慌てて周囲を見回す。
 もちろん、何もなかった。
 ただの自然公園の中央広場付近。
 荒野からは離れていたので周囲には草木が生い茂っているが、そこに誰か潜んでいるような素振りはない。
 そう、何もなかった。
 俺を縛り付けていたものは何もなかった。
 どうして俺はこんなにも苦しかったんだろう。
 急速に遠のいてくる感覚に加えて、滲み出ていた汗が冷えていくのが分かった。

『今、そこに―――あら、どうやら誰か来るわね』
「お、おまえは誰だ。どこにいる!」
『残念だけど、また後日にしましょう』
 どうしてだけ急に考えを変えたらしい見えない相手に突っかかる。
 だが、いくら吠え立てようとも返事はなかった。既に去ったらしいというのだけは分かった。
「何だよ、何なんだよ!」
 苛立ち。
 そして悲しみ。
 また置いていかれたのか。
 こちら側に。
 平穏無事な世界に。
 平和が嫌いなわけじゃない。
 平凡が苦手なわけじゃない。
 違うんだ。
 俺は違うんだ。
 甘受してはいけない人間なんだ。

「っくしょうぅぅぅぅぅっ!」

 俺のしたことは、
 俺のしてきたことは、

 こうなる為のことなのか。
 こうされる程のことなのか。

 何もかも気づかないのなら、わからないのならまだ良かった。
 どれだけ突き上げられ、罰せられてもまだ良かった。

 そのどちらでもない。
 世界は俺を甘やかしてくれている。
 それとも無間地獄を見せているのか。

 俺はこんなに頑張っているんだ。
 一生懸命やっているんだ。
 だから、
「だから……?」
 わからない。
 いやわかっている。


「もう、許してくれ……」


 弱音を、吐いた。
 吐かずにはいられなかった。



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