《移り往くヒト、街、人》
月明かりだけが闇夜を照らす夜更け。 「どういうことだ、―――」 「はい、―――。恐らくは相当な術士による仕業に違いがありません」 見た目には何の痕跡も残っていない場所に、二人の人影が立っている。 「そうではない」 「っ」 「私に隠していたことを咎めているわけではない。何故、残しておいたのだと聞いているのだ」 「それは……」 別段、詰問しているわけでもない淡々とした口調で問われているのに、聞かれた側は身を硬くして答えに窮していた。 「利用されたとして、それはやはりこの争いの参加者による仕業なのか」 「は、はいっ。余人がこのことを知る筈もなく、知らなければこんな真似もできない筈です」 「では、まだ終わっていないというのだな」 「恐らくは」 「では、どうするのだ」 「はい。まだ生き残っている関係者、それを調べたいと思います」 「ふむ……それで私は今まで通りでいいのだな」 「はい。あ、あのっ」 「……ん」 話は終わったとばかり、踵を返そうとする相手を呼び止める。 「も、申し訳ありません……」 「何を謝る?」 「私は貴方を……」 「謀ったことなら気にするな。害意があったことではないことぐらいはわかる」 「ですがっ」 「なら最初からせぬことだ。私が思うに―――、おまえは気を回し過ぎている」 「……っ」 諭すように言われながらも、怯んだような態度を取る。 「何を恐れる。おまえは私なぞ比べ物にならぬぐらいに……」 「―――っ! 私はもう……」 「なんだ」 揺れ動く感情を前にしながら、自若としたまま聞き返す。 「……てられたくない……れたくないのです」 「………」 「私は、貴方を……」 「―――そうか。考えておこう」 「……」 今度こそ話は終わったとばかりに、そのまま立ち去っていく。 残っている方はその背中を俯き加減に見るだけで、追う事ができないでいた。 「私は……、私は……」 無力感に苛まれる自分にやりきれないように呟きながら、もう一度さっき眺めていた箇所を眺める。 「終わらないことを願って小細工した結果がこれですか……私らしい、惨めさね」 自嘲しながら、先ほどの相手の後を追ってその場を後にする。 「目星はついている。けれども、本当にそうなのかしら?」 そう言い残して。 せかせかもだらだらもそう変わりが無い。 焦っても何も出来ず、ぼんやりしてもどうにもならないのだから。 そんな無駄ばかりを抱えながら、世間は何事もなく数日が過ぎていた。 一頃の緊張も和らいできたのは、あれから被害者が出ていないことからだった。 そうなると人間は現金なもので、生々しい出来事さえも風化して過去のことにするかのような風潮になっていた。別に世の中に事件は一つきりというわけではない。近隣でなくても日本中新聞の一面を飾る凶悪事件は事欠かないし、一つのことに掛かりきりで居られるほど皆暇じゃないというところだろう。 そして何よりも忘れたがっていた。 嫌なことから。怖いことから。辛いことから。 都合の悪いものは見なかったことに、なかったことに、というのはこの国の風習だ。 後は他人事として噂話に興じることで、自分は他人だと距離を必死で取ることぐらいだろう。相変わらず学校では無責任な噂話が飛び交っている。 共にそれは仕方が無いことだ。 けれども、それを腹立たしく思える自分がいる。 当事者に近いからというわけではない。 怒りの矛先は常に自分だから。 そんななかったかのように振舞う周囲の人々に対してではなく、その人たちの世界の中に溶け込んで生活を続けている自分に無性に腹が立つ。 こんなことをしている場合じゃないのに。 そんな焦燥感。 そして罪悪感。 共に理由も思い当たらないのに、抱える理由があるとどこかわからないところで理解していた。 考えても、悩んでも分からない。 結局、体を動かして悩む時間を減らすことしかできなかった。 「ふう」 学校からバスに乗り、橋を渡って二十分程度で新都に到着する。 今日のアルバイトはその更に郊外にある建造物の撤去作業の手伝いだった。 アルバイト仲間のつてで誘われた日雇いの仕事だったのだが、思いの外広範囲で骨が折れる仕事らしい。開発地区である新都では建造する仕事は珍しくないが、撤去する仕事は少々珍しかった。新しいものを作る為に古いものを壊す作業はこの町にとってそれほどなかったことだったから。 行く途中、冬木教会の直ぐ側を通り過ぎる。 子供の頃のちょっとした因縁というか、引け目から自分からは近寄りたくない場所だったのだが、仕事では仕方がなかった。 見ると教会も工事の真っ最中らしい。 この近辺で何かあったのだろうか。 事件事故の話など聞いてはいないが、地元マスコミなどはここ最近の不穏な事件ばかりが取り上げられているので、もしかしたら記事になっていても見落としていたのかも知れない。 白いシートで周囲を覆った教会の建物を見上げる。 年若い、俺の親父ぐらいの年齢の神父がいたというその教会で現場監督と話しているのは外国人の初老の神父だった。 「あれ?」 それに違和感を感じる自分に、違和感を覚えた。 「俺、知ってたっけ?」 この付近は極力近寄らないようにしていた筈で、教会の神父が誰かなんて知っている筈がない。それなのに、頭の隅にはその中年神父が浮かび、会話を交わしたようなうっすらとした光景が思い浮かぶ。 「そんなはずは……ない……」 ない筈だった。 「どうしたってんだ。最近変だぞ、俺」 まるでどのことどのことも自分は知っているようなそんな錯覚。 思い当たる理由の無い焦燥感と関係があるのか、それともそれがもたらした副産物なのか。 「くそっ、考え過ぎだってのは自分でもわかってるんだけどな」 苛立たしげに頭を掻く。 考え込んで、沈み込んで、落ち込んでと、世相に比例するように暗くなっている自分に嫌気がさす。 藤ねえや桜と暢気に食卓を囲んでいた頃が妙に懐かしい。 まるで何年も前の出来事だったかのようだ。 ついこないだまでは続いていた習慣で、終わることなんかないと思っていたことなのに。 「いや、終わったわけじゃないし」 今はそれぞれが忙しいだけで、またいずれは元に戻る。 少なくても俺が学校を卒業するまでは。 なのに、もう二度と戻らない日々のような気がするのだ。 別に誰一人欠けているわけでもないのに。 「ちぇっ」 これ以上は何も考えていたくない。 しばしの間とは言え、忘れることの出来る肉体労働は願ってもなかった。 「ほおお……」 同じ頃、杖を持った老人が工事の様子を見守っていた。 「どうやったらあんな壊し方ができやがるんだか」 足元にあるアスファルトの破片を杖の先で弄りながら、乱暴な口調で一人ごちる。 つい先日に起きた出来事らしいが、今こうしてみただけでは詳細は窺い知れる筈がない。むしろ外部のものに知られないようにしているような素振りが怪しさを却って引き立てていたからこそ老人の注意が向いたとも言えた。 「流石にあいつでも、無理よなぁ……」 顔を上げて、肩に担ぐようにした杖で軽く背中を叩く。 「だったら儂ではもたぬしのう……」 心底可笑しそうに笑うと、 「どちらにせよ、繋ぎはこの町で消えておる。まだ居残っているかどうかは分からぬが……」 探さねば帰れぬ身、面倒だああ面倒だと言いながら鼻歌交じりに新都の中心部へと消えていった。 |