by 久々野 彰
●去年までのあらすじ●
来栖川綾香ちゃんはセリオちゃんにおたんじょう日を祝ってもらいました。
その次の年は芹香おねえちゃんと二人きりのパーティーをしました。
綾香ちゃんはみんなのにんきものです。
「……もー、いい」
来栖川綾香○○歳。
○○回目の誕生日を迎えていた。
「それで何でここにいるんだ」
「父さんと母さんが私がいるとロクなことが起きないからって」
「追い出されたのか」
不憫である。
「誕生日プレゼントは妹がいい? それとも弟がいい? なんて聞かれても……」
ますます不憫である。
「一応、弟にしておいてって答えたけど」
「律儀だな」
「生まれたら絶対苛めてやる」
「……」
浩之はまだこの世に誕生しない来栖川弟の幸運を天に祈ることにした。
そんなワケで綾香は、今年の誕生日は友人である藤田浩之宅にお邪魔していた。
「ねー、ねー、浩之。なんかゲームとかないの?」
「うっせーな」
居間の絨毯の上に胡坐をかいてTVの周りを見回す綾香の声を掻き消そうとしてなのか、台所で皿をスポンジで擦って洗っていた浩之は水で流し始める。
早朝から訪ねてきて我が家のように振る舞い、馴れ馴れしく接してくる綾香には流石にウンザリしているようであった。だが、浩之の苛立ちの本当の理由に綾香はまだ気付いていない。
「古傷が痛むぜ……」
「? 何か言った浩之」
「言ってねえよ」
「何よー、まるでどこぞの長岡さんみたいな扱いしないでよね」
「ったく、したくもなるぜ」
頬を膨らませて抗議にくる綾香に、浩之は吐き捨てるように言いながら食器洗いを続ける。
「確かに胸の大きさとかスタイルの良さとか運動神経が良いとか似てなくもない部分もあるけど、頭と顔なんか全然違うじゃない」
酷いものいいである。
「あかり以外は皆一緒さ」
「まっ」
こ馬鹿にしたような浩之の物言いに、少しショックを受ける綾香。
「そ、そこまで深い仲だったなんて……」
自分と浩之かお互いそれぞれに何だかんだいって誰とでも半端な関係のまま延々一生フリーで残ったもの同士として……という青写真がこっそりあった綾香だけに、逆に一番のアンパイだと思われていた神岸あかりの話が出たことに衝撃を受けていた。
「いいか綾香。今日オレはこれからあかりとデートの約束があるんだ」
食器を全て洗い終え、蛇口を締めてペーパータオルで濡れた手を拭くと、
「だからお前に構う暇もないし、構うつもりもない。支度したら出るつもりなんだからとっとと出て行け」
「なっ……」
「お前が何を期待しているんだか知らねえが、オレの身も心もあかりのものだ。アカリモエー」
「う、う、うわぁぁぁぁぁぁんっ!」
あわよくばそのまま二人きりの誕生日をとか考えていた目論見を粉微塵にされ、綾香は泣きながら浩之の家を飛び出していった。
浩之は微かに鼻を鳴らした。最大の破局のピンチを迎えた一昨年からの復讐を漸く果たせたような気分になっていた。
勃たないで苦しんだ日々を思い出しながら、あかりの家に迎えに行く準備をする浩之の頭にはもう既に綾香のことなど忘れていた。
忘れないと幼馴染から出刃で迫られるという彼なりの処世術でもあった。
「ぐすん。いいもんいいもん。浩之なんか知らないもん。こっちからおことわりだもん。あとで謝ってきたってしらないんだから。ぐすっ」
詠美ちゃん様風味という名の幼児退行気味で泣きべそをかきながら、綾香は松原葵の家に向っていた。
ほのかな想いを持っていた相手の次は、自分を信奉する後輩というワケだった。
身勝手な優先順位の確立と共に、結局はちやほやされて良い気持ちになりたいという我侭気質が根っこにある。これは彼女の生まれながらのものであり、育まれてきた環境悪のせいでもあった。
「そこまで言われたくないわ」
泣き顔で睨まれても怖くはないのである。ちょっと可愛い。
ところが一つ、問題があった。
「ところで、葵の家って何処?」
知らないのである。
来栖川綾香は松原葵の家を知らない。
そんなことがあるだろうかとも思うが、よく考えて欲しい。
綾香が葵を家に招待することはあっても、その逆はあるだろうか。
元々、綾香がさっきの浩之の家にように気軽に遊びに行くということも実は考えにくい。浩之に対して綾香は気楽に行ける相手なのは浩之が綾香に対して気楽な態度をしてくれているからだ。寺女の友人関係からしても綾香は自分と気軽に相手してくれる友人の家ならば遊びにも行くだろうが、距離を置いていたり必要以上に持ち上げられている関係の家に遊びに行くことは好まないように思えるのである。相手が恐縮しきるのを見て悦に入るタイプではなく、だからこそ綾香は神社で葵を待つのではないだろうかと第三者視点から愚考するのである。
仮にあったとしても運転手に「葵の家に行って頂戴」で済ませていたり、知っていてもブラブラ歩いて見つけられるほど回数は重ねてはいないだろう。
そういうことで綾香は結局、いつもの下校途中にある商店街でポツンと立ち尽くす羽目になっていた。葵はこの時勢、携帯電話を所持していないので呼び出すこともできなかったのだ。余談だが数日前に松原葵という少女の誕生日については存在すら綾香は知らなかったことを付け足しておく。
結局、綾香は暇なまま良く立ち寄るゲームセンターでお気に入りのゲームを1コインクリアし、好きなアイスクリーム屋でいつものトッピングを頼んでパクついた。
誕生日である。
自分が生まれた日として祝福される日である。
「……」
寂しかった。
去年は姉と並んで病院のベッドの上であった。
一昨年は警察沙汰でそれどころではなかった。
自分の誕生日は呪われていると両親に言われ、姉が実際に呪っている現場を見てしまっていては否定することもできなかった。白装束に鉢巻蝋燭なんて生まれて初めて見た。魔法は何処にいったと聞く勇気はさすがになかった。
だからといって、どうして自分がこんな寂しい目に遭わなくてはいけないのだろう。
自分は特別寂しがり屋と言うつもりはないが、賑やかな方が好きである。
多くの人に、色々な人に混ざってくだらないことを喋ったりするのが好きである。
友人知人の数もかなり多い。
だが、今日はたった一人。
一人ぼっちだった。
商店街をぶらつく人間は数多いのに、誰一人として自分を気にとめもしない。
イケている筈の自分なのに。
一部では有名人の筈なのに。
私服だからなのだろうか。今まで街を歩いて声をかけられていたのは、寺女の制服を着ていたからなのだろうか。
「ううう……」
お気に入りのアイスの味もわからないまま食べ終わると、綾香は苛立ったように小声で呻く。
「だぁぁぁぁぁぁ、もうっ! どーしてこーなのよっ!」
来栖川綾香は寂しさに泣く女ではない。
よって怒り狂った。
周囲の目など気にならないほど大声で吼える。
気分が良い。
これでこそ自分だと、綾香は思った。
だが、やっぱり周りからは変な目で見られていた。
「こうなったら、集められるだけ集めて一日中大騒ぎしてやるんだからっ!」
そう自分に言い聞かせると、携帯電話を取り出した。
「………」
電池切れだった。昨晩の衝撃的な現場を目撃した後、布団を頭から被ってガタガタと震えながら寝たので充電を忘れていたのだった。実の姉がケケケと目だけ笑いながら木槌を振るっているのを見たらそれは仕方がないだろう。
「この、役立たずっ!!」
しかし綾香は全てをその携帯電話のせいにしてアスファルトの上に力一杯叩き付けた。友人と選んで買った黒猫の携帯ストラップ共々粉々になる。
「……」
暫く息を荒げてその場に立ち尽くしていた綾香だったが、ひと心地つくと気を取り直したように早足で歩き始めた。近くの店のガードマンが通行人に呼ばれてこっちに来るのが彼女の目に入ったからではない。断じて。
「あ……」
自分では闇雲に歩いているつもりだった。
考えもなく、ただ道を歩いている筈だったがいつの間にか見覚えのある光景が目に飛び込んできていた。
数年間、綾香はこの道を通い続けてきた。
ここで自分と同じ目的の仲間達と共に通った道だった。
「懐かしいわね」
ささくれ立っていた心が落ち着いてくるのが自分でもわかる。
心技体。
そう毎日毎日言われ続け、それを基本とし、当然のように心がけてきた頃。
当然のようにそれができるようになってからは、意識しなくなっていたこと。
同時に毎日を過ごしていく内に今の自分がいつしか忘れてしまっていたこと。
そんなことを思い出す。
沢山の思い出と共に。
少し傾斜になった小道を歩く。
この道は狭くて車はおろか自転車すら通れないので、歩きの人しかない。
古い家屋が立ち並ぶ、都会の中の古い景色。
丁度今は綾香以外にここを歩く者はいないけれど、彼女の耳には沢山の雑音と歓声が鼓膜の向こう側に鮮明に蘇ってきていた。
高いブロック塀に挟まれた小道を通り抜けると、決して立派ではないものの重みを感じさせる佇まいを見せた日本家屋が立ち並ぶ通りに出た。
この先に、彼女のいた場所がある。
それは綾香がかつて通い続けた空手道場だった。
道場の門の前に立った。
感慨深いものがある。
そこへは雨の日も風の日も嵐の日だって通い続けた。流石にその日は練習相手は殆どいないで、台風に備えるべく窓や扉を補強する手伝いに追われたのだが。
綾香はここで、松原葵という逸材を見出した。
そして今は綾香も葵もこの門をくぐる事はない。
綾香はこの門の先を超えたと感じた時から、立ち寄ることをしていない。
葵はその域に達していなかったが、彼女なりのけじめなのだろう。
そしてまだ、ここには沢山の先輩同輩後輩が通い続けている。
空手というものを通して、何かを学ぶために。学び続けるために。
「好恵、元気かしら」
そしてこの道場では一番の親友であり、好敵手でもあった坂下好恵という少女が今も通っている筈だった。
綾香はあれほど練習熱心で生真面目で、自分に厳しく練習に打ち込む人間を知らなかった。努力を馬鹿にするつもりは毛頭ないが、自分がどちらかと言えば才能の上に積み上げられた努力家でしかないのであれば、彼女は純粋な努力の人間だと思っている。自分がかなわないな、と思える数少ない人間だった。
綾香は懐かしさのあまり、決してくぐることはないだろうと思っていた門を知らないうちにくぐっていた。
そして自分の汗もしみこんでいることだろう、道場の敷地内へと足を踏み入れる。
「…っ! …っ!!」
「?」
道場に近づくにつれて、人の声のような音が漏れていた。
天気が良い日は空けはなたれている筈の、雨戸まで閉じられているのでてっきり留守なのだと思っていた綾香は眉をひそめた。
「もしかして誰か練習しているのかしら?」
もしそうだとするならばと考えて綾香は好恵の姿を脳裏に浮かべた。
人百倍の努力の塊の彼女は道場主が出掛けて休みの日でさえも、鍵を借りてまで練習に励んでいた少女である。十分にありえることではあった。
「まあ、もしかしたら知らない後輩かもしれないけど」
そうしたら何と言い訳しようか、でももしかしたら格闘家なら自分を知っているかも知れない、そんなことを考えながら綾香は勝手知ったる道場の裏口に回り込むと、鍵のかかっていない勝手口を開いて中へと入り込んだ。
「あー…………あ?」
「んぁっ……あっ、ああん……」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「あっ、あっ、あっ」
知った顔。
綾香は片手をあげて挨拶をしようとした体制で固まっていた。
坂下好恵。
彼女が汗だくになって励んでいるのは稽古ではなかった。
「………あ」
薄褐色の肌。
内側から鍛え上げられた腹筋。
小振りの乳房。
赤い舌。
断続的に漏れる甘い喘ぎ声。
綾香の知らない彼女がそこにいた。
相手も綾香が知る顔であった。
この道場主の孫で、綾香が通っていた頃はまだ初等部で道着に着せられていたところがあって、そのあどけなさを綾香達で可愛がったものである。
身長も伸びで体つきも随分と良くなっている。成長期とは言え、ちょっと見ないうちに随分と立派になったものだ。随分と大きいし。
二人は綾香に気付くことなく、励み続けてた。
「………」
何か居た堪れない気持ちになって、綾香はそのままこそこそと道場を出た。
一度も勝負で負けたことがない筈の好恵に対して惨敗気分を味わっていた。
好恵に限ってこれはないと信じていた。
坂下好恵は決して不細工ではないが、もてるもてないで言えばもてない。
女生徒に人気があるタイプなのに女生徒にもあまり人気がないのは、外でも学校でも殆ど空手ばかりの練習三昧な日々をずっと過ごしているからであろうと綾香は分析していたのだ。
まさか見るからに精通したての清童を有無を言わさず……くぅぅ。
卑怯とは言うまいね――
何処かの負け犬の威勢の良かった頃の台詞が綾香の耳に届いた。
「な、泣かないんだから」
思いっきり泣いていた。
そして気がついたら、真夜中だった。
何故か着ていた服はボロボロになり、ところどころ血が付着していた。
カップルばかりを襲った正体不明の疾風の辻殴り魔のニュースが流されるのは明日のことである。
そんな彼女を屋敷の玄関で出迎える人影が二つあった。
「――綾香様。お帰りなさいませ」
「………」
「見てください。綾香様の為に用意したこの極限まで腐らせた七面鳥の丸焼きの贅沢にその皮だけを食べさせるという仏蘭西の名店の裏のポリバケツを漁る名士の方の子供時代に考え出して同級生に馬鹿にされたという創作料理を金にものをいわせて……」
「………」
祝いと称した嫌がらせをしてくるオレンジ頭と、ガン飛ばしに忙しい不気味女の圧力をシカトして、そそくさをベッドに潜り込んで寝た。
夢すら見なかった。
「綾香、御免な」
「御免なさいね」
翌朝、流石に申し訳ないと思ったのか両親が揃って謝ってきた。
「ママに避妊リングつけさせていたのをすっかり忘れていてさあ、あっはっは」
「もう、パパったら毎晩してるのに忘れてるなんて、うふふふ」
一ヶ月、引き篭もった。
repeat again by next year・・・
「もういい」
「――えー」
「黙れ」
<おしまい>