もらとり庵 ゲストの小説

似たもの同士の夜 〜The second year〜

by 久々野 彰

  ●去年までのあらすじ●

 来栖川綾香ちゃんはセリオちゃんにおたんじょう日を祝ってもらいました。
 神岸あかりちゃんをはじめ、多くのお友だちからも祝ってもらいました。
 綾香ちゃんはとってもその日一日とってもしあわせでした。
 ありがとうセリオちゃん。


「嘘よ! 嘘っ! そんな話じゃ全っ然っ、なかったわっ!!」

 吠え狂う綾香を前に芹香は「そんな大声で否定しなくても」という表情を浮かべて
妹を見る。
 そのまま綾香は涙ながらに姉に昨年の彼女の1月23日の出来事を語り出す。

 その日は家族皆で呼びかけても遂に一度も彼女は部屋から出てこなかった。
 彼女の部屋の窓ガラスが割られ、吹き飛んだ彼女付きのメイドロボットの首が表の路地に転がり通行人を絶叫させ、厨房からは血走った目で包丁を振り回す女子高校生に襲いかかられたコックは逃亡し、トイレの便座に座りこんでいた保護観察処分で入院中の薬物中毒者の青年を見てしまった使用人は腰を抜かしたりして、その日一日は来栖川家にとって警察にお世話になりっぱなしの一日になってしまった。
 勿論、そのことは全てもみ消されたのだけれども。事件性もなかったし。
 そしてその日の出来事は誰も触れずにいようという暗黙の了解と共に、今まで誰も綾香に起こった事の発端を知らずにいたのだった。
 因みに当時の芹香は頭部損傷のメイドロボットを部屋に持ち込み、怪しげな召還魔法の練習に励んでいたのだが、屋敷中の騒動に家人は気を取られ後日長瀬源五郎がそのロボットを回収に来るまで気付かれることは無かった。
「そんな訳で今年は姉さんの部屋で寝かせてね」
 綾香は一時間以上喋り続けていたようだったが、芹香にはその最後の言葉しか聞こえなかった。目を開けて眠るなんて芸当は彼女にとっては何てことはなかった。
 あのセバスチャンの大声でさえシャットアウトできるのだ。綾香の高ぶった声など積極的に聞こうと思わない限り、その耳に届くことなどありえない。
 だから別に綾香のことを五月蝿い女とは思わなかった。
 自分の誰にもなかなか真似のできない小声に比べれば、特に変わった事はない。
 口には出さなかったが芹香は日頃から綾香には優越感を覚えていた。
 彼女の目には綾香は全てに於いて並だと写っていた。

 普通のお嬢様学校に通い、普通に勉強ができ、普通に運動ができ、普通に人付き合いのできるどこにでもいる容姿やプロポーションも平均のお嬢様系女の子。
 それが芹香の綾香評だった。
 だからこそ、仲良くできたのかも知れない。

 彼女の通う西音寺女子学院、通称寺女は庶民でも通えないこともないので並。
 彼女の頭脳もアメリカにいたのに6歳で博士号とか取っていないので並。
 彼女の運動能力も素手で地面を割ったりできないので並。
 彼女の髪型も金髪縦ロールでない時点で並。
 彼女の服装もオーダーメイドでもなければブランド物ですらないので並。
 彼女の財力も支払いは全てカードか小切手で済ませないので並。
 彼女の容姿もバックに薔薇の花がでたりしないので並。
 彼女の交際も取り巻きや親衛隊がいないので並。
 彼女の恋愛感も歯の光る彼氏を持たないので並。
 彼女のスタイルも爆乳で服がはちきれんばかりになっていないので並。
 彼女のお嬢様度も常識を知っているので並。

 事例をあげるまでもなく芹香の目には、綾香はそこらに転がっている程度の平凡な女にしか見えなかった。あの来栖川家の一族とは思えないほどの地味な妹。

 ――我が妹ながら不憫な。
 ――喩え貴女が橋の下で拾われていたりしていたとしても決して見捨てませんよ。

 温かい目でずっと妹で有るはずの来栖川綾香を見つめ続けていた。
 それなのに最近の彼女はどうだろう。
 少し増長していないだろうか。

 今夜も神聖な自分だけの時間で有るはずの夜、こうして自室に邪魔をしに来ては好き勝手な我侭放題の傍若無人っぷりを見せている。
 彼女の周りの人間にはそれでもいいかも知れないし、他人がいるところでは自分も周りに合わせるという必要上分かるのだが、こうして二人きりの時にでもこんな態度はどうかと思う。
 血が繋がっていなかったとしても私は姉で、彼女は妹なのだ。
 一年早く私がこの世に先に生まれ、世界に愛されてきたのだ。
 三歩下がって姉の影を踏まずについてくるのが正しい妹としての姿ではないだろうか。
 今まで蝶よ花よと可愛がってきたのが良くなかったのかもしれない。
 美人は三日で飽きると言うが、愛玩動物も不細工な方が味がある。
 だからこそこの出来そこないの妹を甘やかしてきてしまったのではないだろうか。
 躾は早いうちからはじめるべきだった。
 基本中の基本を忘れてしまっていた己を芹香は責めていた。

 ――だとしたらこれは罰。

 そう。
 妹を正しい人間に育てなかった己の罪。
 苛まれる気持ちを胸に抱え、芹香は詫びる。
 目の前の妹に。
 愛する妹に。

「姉さん、聴いてる?」

 ――聞いてません。聞くだけの価値のある話とは思えませんでしたので。

 そう言ってやれたらどんなに痛快だろうか。
 だが芹香は黙って頷くに留めた。
 喩え相手が未知の蛮人であっても自分が礼を忘れてはいけない。
 全ては自分が悪いのだ。
 そう。
 こんな人間になるまで放置してしまった自分が。
 両親から妹の存在を聞かされたその日から、妹の管理は芹香の役目だった。
 仕事で忙しい両親の代わりに面倒をみたりするのが彼女の義務であり仕事だった。
 無論、芹香も暇人ではない。
 子供の頃から人間としての最低限の教育を受け、勉強を続けねばならなかった。
 同時に自分の才能を伸ばし、趣味を持ち続けなければならなかった。
 結果、己の手を煩わせることのないようにと多くの人を雇い、妹の育成を任せきりにしてきたのだが間違っていたようだ。
 報告を鵜呑みにしてしまっていなかったか。
 幾度もの間違いを大目に見てしまわなかったか。
 指摘された注意点を深く考えずにそのままにしてしまわなかったか。
 今更悔やんでも取り返しのつくことのない多くのことが芹香の脳裏を占めていた。

 だからこそ甘んじて現状を受け入れていた。
 この貴重な自分の時間を綾香に侵食されるという許されざる事態を。

 ――でももう、限界かも知れません。

 延々と押しかけられて居座り続けられること3時間。
 庶民の長電話の平均時間など知らない彼女にとって、これだけの時間は神聖な召還魔法を唱える下準備にぐらいしか使ったことはない。それだけ貴重な時間を搾取されているというのに、内容は無駄話のみ。しかもそれがまだ続きそうな気配なのだ。
 どうして我慢できよう。
 芹香は綾香の目を盗んで彼女のティーカップにスポイトで水溶液を垂らしていた。



 一方、枕を持って芹香の部屋にやってきた綾香は、芹香のベッドに腰掛けながら延々と喋り続けていた。
 反応のない相手を見つつ、喋れば喋るほど惨めになってくる。
 なんでこんなことをわざわざこの姉に話しているんだろう、と。
 目の前の姉は日頃から眠そうにしていたが夜なのでいつも以上に眠そうに見える。
 単に部屋の明かりの加減でそう見えるだけかもしれないが。
 綾香は最早言葉だけになって、感情の入っていない話を続けながら姉のことを考えていた。
 アメリカにいた時から両親に聞かされつづけていた唯一人の姉妹。
 口には出さなかったが綾香は日頃から芹香には憐れみの情を覚えていた。
 彼女の目には芹香は全てに於いて人以下だと写っていた。

 自主性の欠片もないどころか、真っ当な人間として活動しているかどうかさえ怪しい姉芹香。
 実は綾香は彼女を姉とは信じていなかった。
 来栖川家の娘としての自分に、万が一があった場合のスペアではないかという疑惑が頭にあった。
 綾香の臓器に欠陥があった時に何時でも抽出できるようにと彼女専用に与えられたクローンが芹香なのではないかと。
 そうでもなければあまりにも人間と呼ぶには差し障りの有るような欠落した存在。
 彼女はそんな納得の仕方をしていた。
 でなければおかしい、と。

 愛嬢溢れる両親が自分を可愛がる一方、姉の芹香に対しては放任しきっている。
 人を人とも思わない利己的且つ打算的、独占的な思考でしか働くことをしない典型的企業人の祖父が芹香を引き取っていた。
 彼女の声量は人間とは思えないほど小さく、態度もお嬢様と呼ぶには控えめ過ぎる。
 一卵性双生児でもないのに、綾香自身と目の吊り垂れ以外の外見的特徴差が乏しい。
 現世を諦めきったような醒めた目をしていて、非現実的な趣味を持っている。
 自分のことを人に語ろうとしないし、人付き合いも好まない。
 時折、自分を恨みがましい目つきで見ている――ような気がする。

 綾香が日本に戻って彼女と知り合ってからというもの、彼女の方から綾香に話し掛けたり、関わろうとしたりすることは数えるほどしかない。
 才気溢れる己を鼻にかけず、誰にでも分け隔てなく接する優しい心がけの持ち主であるこの自分からわざわざ声をかけたり構ったりしている。
 姉ということだけで、渋々付き合ったことは一度もない。
 少しでも打ち解けようと、仲良くなろうと自分の時間がある限り芹香のことを構ってあげていたのだ。
 綾香がここまでした相手は今までにいなかった。
 無論、同じ屋敷に住んでいるので一番接触する機会があるという単純な理由もあったのだが、それ以上に綾香は芹香という存在に興味があった。
 今まで自分の周りにはいなかったタイプだということだけではなく、何処か惹かれるものを感じていた。そしてそれは芹香も自分に感じている筈だと思っていた。
 そう思い込んで前よりも一層近付いてみると、一見何の変化も見られないような彼女の表情の変化や感情の機微に気付くようになった。
 それが一つ、また一つと分かるたびに嬉しくなって前以上に親しく接するようになった。
 その頃からだろうか、彼女が自分を嫌っているような素振りを感じるようになったのは。
 この素晴らしき自分を嫉むものはいても、本気で嫌う人間などこの世にいないに決まっていると信じていた綾香は少なからずショックを受けた。
 そして半日一晩悩み抜いた結果、思い至ったのが彼女が自分のレプリカ説だった。
 一度そんなことを思ってみたら俄かに信憑性が増してきた。綾香の心の中で。

 何故姉芹香は家族と隔離されていたのか。
 何故あんなに人間離れした愚図なのか。
 何故馬鹿ではないのに平凡な高校にしか行かせて貰えないのか。
 何故社会から隔離されているのか。
 何故こんなに頼り甲斐のある自分に関わってこないのか。

 そう考えると止まらなかった。
 今までの疑問が全てその一言で片付いた。
 真実を一瞬で嗅ぎ取ってしまった自分の才気に恐怖するのも仕方がないだろう。

 あの胡散臭い中年長瀬源五郎ら世の中で生きていけない理系ヲタク共に、メイドロボットなんて化け物ロボットを作れるようになるまで資金を惜しみなく継ぎこんだのは、将来芹香が必要なくなった時、もしくは私に何かあって使われた時に身代わりとして対外的に用意する為だったのだろう。
 今までは金にならないものには一銭も払うことのない筈のあの祖父が金を出したのも、彼に弱みを握られているとしか信じていなかったのだが、そんな理由が裏にあるのであれば納得できる。
 彼の父の長瀬源四郎が仮にあの祖父の命の恩人だとしても、あおこまで金を出す筈がない。それなりの理由が必要だった。脅迫説は祖父はたかられ続けるよりは闇から闇に源五郎を葬る可能性の方が高いと思っていたのでイマイチ自分でも納得できていなかったので、この新説が今までの疑問を一気に解消してくれた。
 だからこそあんなヘッポコなメイドロボットや去年自分を貶めたあの忌まわしきHMX−13型などという存在が作られたのだろう。普通、ロボットを作ろうと思ったらもっと真っ当なものを作るはずだ。ロボットに漫才をやらせるほど、バラエティ界は困っていないのだから。
 そんな別の方向からの判断も、自分の仮説の正しさを補っているように感じた。

 綾香はそんな真実を知っても尚それを口に出すこともしなかったし、態度を変えることもなかった。白々しい同情もしなかった。
 今更自分が深い同情の念を見せたところで、今までの事実が変わるわけではない。
 彼女の深い人知れず生まれついての不幸は彼女自身にしか判らない。
 綾香が判った風な顔をしてあれこれ言ったところで却って反発を招いたりするだけだし、私が真実を知ったことが他の人に知れたら逆に芹香の身に危険が及ぶかもしれない。思慮深く伏せたままでいる方が賢明だと思っていた。

 綾香はそれが自分の優しさだと自覚していた。

 だからこそこの自分がわざわざ芹香の部屋に来て、話しかけてあげているのに反応が捗々しくない芹香を見ても怒ることは無かった。

 ――同じ地球上の生物だというのに何て気の毒なの。
 ――喩え姉さ――いえ、この芹香が人外でも決して差別したりしないわ。

 温かい目でずっと姉と称する存在の来栖川芹香を見つめ続けていた。
 それなのに最近の彼女はどうだろう。
 少し捻くれ過ぎていないだろうか。

 ――芹香は私の枷。

 そう。
 恵まれすぎてこの世に生を受けた自分への枷。
 苛まれる気持ちを胸に抱え、綾香は詫びる。
 目の前の姉に。
 愛する姉に。

「姉さん、これ飲んだらそろそろ寝ようか」

 いつか別れが来るのかもしれない。
 その日がくるまではいつまでも姉と妹でいよう。
 それがせめて今の私にできることだから。

 そう思ってきたのだが、こう長々と彼女の顔を見続けていると胸が苦しくてたまらない。さっきから飲んでいる味のちょっと変わった紅茶のせいかとも思ったが、どうやら違ったらしい。彼女の正体を知って以降、こんな長々と間近で芹香の顔を見たことはなかった。知らず、避けていたように思う。丸々太っていく家畜を見るような感情が自分の中で育ってきてしまうから。
 だからこそ今まで考えないようにしてきたのに、胸が苦しくなるにしたがって正視に堪えがたくなっていった。
 ふと思う。ここで終わらせた方が幸せなのではないだろうか。
 そんな感情が次第に沸いてきてしまうと止まらなかった。

 綾香は自分の紅茶の残りを一気に飲み干しながら、芹香の目を盗んで錠剤を投げ入れていた彼女のティーカップに目を落す。
 全てを見届けようと心に決めながら。


 結局、政財界やマスコミを騒がせた今年最大のスキャンダル、来栖川姉妹の謎の心中未遂事件の真相を知るものは誰もいなかった。




       repeat again by next year・・・



<おしまい>

moratorian.com © 1998-2004