もらとり庵 ゲストの小説

トビキリの朝

by 久々野 彰

 アナログな壁時計の秒針が微かな音と共に時を刻む夜中。
 部屋中の電気を消してふかふかのベットと枕に身体を埋めるようにして眠っている綾香の部屋のドアが音も無く開いた。
 そして同じく電気の消された廊下から人影がゆっくりと部屋に侵入し、後ろ手でドアを閉めるとそのまま腰を落として慎重に寝入りばなの綾香に近づいていく。


「………」
 侵入者は綾香の枕元にまで辿り着くと、寝入っている綾香の寝顔を確認する。
 健康的な生活を送っている綾香は今日も長々と風呂に入って体を温めた後、そのまま11時にはベッドに入って就寝する。
 その割には早起きが出来ないという悲しい低血圧の少女であったが、特に本人は悩んだ様子もなく、幸せそうに寝入っていた。
 格闘技を極めて、エクストリームの女王という称号を持った少女にしてはあまりにも無防備で、そして心安らかに眠っている。幸せそうな寝顔だった。
 侵入者はそんな綾香の顔を見、そして時計を確認する。


 …ピ、ピ、ピ、ポーン


 時計が12時を回り、日付がこの瞬間に代わった。
 1月22日から1月23日になった瞬間、その侵入者は寝ている綾香の布団に手を入れ、綾香の身体を揺さぶった。

「綾香様」
「ZZZ……」
 口をむにゅっと猫口にして綾香は寝入っている。
「綾香様」
「ZZZ……」
 矢張り起きる気配はない。
 侵入者は更に強く揺さぶってみた。
「綾香様」
「んー…… も〜、好恵ったら。そんなに自分を卑下しないでいいのに…… 下僕? いやぁねぇ、私そういうつもりは…」
 綾香の寝ている布団の足元が少し持ち上がる。
 どうやら足を差し出している夢を見ているようだった。
「綾香様」
「浩之ったら、もー。そんなに好き? 仕方ないわねぇ〜」
 綾香はニヤニヤと笑いながらうりうりと肩をくねらせはじめる。
 胸を突き出しているつもりらしい。
「綾香様」
「あ、葵…… だから私はブルセラの親父じゃないんだから… あ、でも湯気が…」
 目は閉じられたまま、愉悦の表情を浮かべている。
「綾香様」
「ね、姉さん…… 駄目、そこ弱……」
 今度は小刻みに身体を震わせはじめた。
 背中が曲がって、布団に深く入り込むような格好になる。
「綾香様」
「セ、セリ……――うひゃぁっ!?」
 侵入者はこの寒さですっかり冷え切った己の手で、寝ている綾香のパジャマの下の肌に直に触れた。
 流石に一発で目が醒めたらしい。
 布団ごと見事に飛び跳ねた。

「な、な、な、なによっ!?」
 その声を合図とばかりに綾香の部屋の電気が点いた。
「お目覚めですか?」
「な、セ、セリオ……」

 その耳に突起物を備えていた侵入者は綾香が日々愛でて止まないHMX−13の人型ロボットこと耳センサーは伊達じゃないセリオであった。

「い、一体何を……」
「お誕生日おめでとうございます」
 まだ事態が把握出来ていない綾香に深々と頭を下げるセリオ。

「た、誕生日って……こ、こんな深夜に?」
「でも、もう0時15分ですし」
「「ですし」、じゃなーいっ!」

 綾香、ご機嫌斜め。

「こんないきなり寝入りばなを襲われれば不機嫌にもなるわよっ!」
「ですが――」
「ですがじゃないわよ。大体ねぇ……」
「誰よりも早く、綾香様の誕生日をお祝いしたくって……」
 珍しく口澱むセリオに、
「セ、セリオ……」
 綾香はややうろたえる。

「ですがやはり私ごときロボットが綾香様の誕生日を祝おうなどと……僭越でした。お怒りになられるのも当然……」
「あー、その……そうじゃなくてね、セリオ」
 表情は変わらないくせに俯いて喋り出すだけで、こんなにも沈んだ雰囲気が出せるのかと思わんばかりに落ち込んだ雰囲気を出すセリオに綾香は慌てて、
「嬉しいのよ。そんなセリオの気持ち。凄く嬉しいわ……でもね、
「では早速の誕生日祝いの心尽くし、受け取っていただければ幸いです」
「って、いきなり立ち直ってるし!? じゃなくてね、肝心なのは
「さあさあ、準備は既に済んでおります。綾香様はベッドに優雅に腰掛けてお待ち下さい」
「だから最後まで話を――
 更に口を開きかける綾香を押さえつけるようにして座らせるとセリオはパンパンと軽く手を叩く。
「まずは場を盛り上げる為にも楽しい弾き語りを」
「へ?」

 すると、ドアがギィィと静かな音を立てて開き、ゆっくりと一人の青年が入ってきた。
 手にギターを持ったその青年は澱んだ目を誰に向けるでもなく、フラフラと頼りない足取りで綾香の部屋に入ってくる。
 そして、目を点にしている綾香と、傍らに控えるセリオの少し前まで来ると立ち止まってゆっくりとギターをかき鳴らしはじめた。


「あ〜ああやんなっちゃった あ〜んああ驚いたっと♪」


 そして弾き終わると、その場にペタリとお尻から座り込んで「僕もう、疲れちゃったよ」と呟き、四肢を投げ出して動かなくなった。


「如何でしたでしょうか?」
「だ、誰よ!? この男!?」
「阿部貴之さんです。今回、今日の綾香様の誕生日の為に特別に貸し切りました」
「か、貸し切ったって、ちょっとあんたどーゆーつもりよっ!!」
 セリオを突き飛ばすようにして、座り込んだままの貴之の前に近寄る。
「答えなさいよ!!」
「あの綾香様……」
 耳元で怒鳴っても無反応で、まるで電池が切れた人形のように座り続ける貴之に苛立ち、胸倉を掴んで持ち上げる綾香にセリオが脇から口添えする。
「阿部さんは精神病院から駆けつけてくれたばかりなので、まともな受け答えは…」
「そんな奴連れ出すなっ!!」
 貴之の胸倉を掴んだまま、セリオの方を向いて怒鳴る綾香。
 が、セリオは平然として手を口元に当てると、そっと綾香に耳打ちする。
「ここだけの話ですが、阿部貴之さんは薬物使用だけでなく連続無差別殺人及び婦女暴行の容疑者として、一時期名を馳せていらっしゃいました」
「すぐに帰しなさいっ!! そんなやつ!」
「阿部さんの生演奏を聴けるのは世界広しと言えども綾香様だ――」
「いーから帰しなさいっ!!」


 ずるずるとそれぞれの脇の下に手を入れて引き摺るように、綾香の部屋から貴之を運び出すセリオ。


「では豪勢な音楽の次は楽しい映画鑑賞会といきましょう」
「は、はぁ?」
「綾香様が毎週欠かさず見ていらっしゃる木室拓也主演ドラマの「ビューティフル・エルフ」と、綾香様が毎年一回はDVDで泣きながら鑑賞なさるブルーノ=チュン主演の「モンキー遊技」の両スタッフを駆り集めまして、綾香様の為だけに製作された特別版のドラマを今回わざわざ用意させていただきました」
「は、はぁぁっ!? な、何よそれ?」
「秘密裏にハリウッドを貸し切って製作させました。自信作です」
「な、何よ一体……」
 セリオの突拍子もない話に思考がついてこられず、反応が鈍い綾香。
「全然畑違いじゃないの……それをどうやって……」


「題して…「木室vsブルーノ 〜原宿通りの大決戦〜」」
「ちょっと待てぇっ!!」


 ツッコミを入れた時には既にセリオはプロジェクターとモニターを用意していた。
「それでは早速ご鑑賞下さい」
「だから待ちなさいってっ!!」
「既に先月に撮影は終了しておられます。見るのは後日になさいますか?」
「先月……って、じゃあムロタクが全身骨折の疑惑で緊急入院したのは……」
「スタントマンを使うことをどうしてもブルーノ様が許して下さらなくて」
 大袈裟に首を横に振るセリオに、
「今やってるドラマの放映が全て伸びたのはアンタのせいか――っ!!」
 掴み掛かる綾香。
「ですが、そのお陰でこれは妥協の無い素晴らしい出来になっておられます」
 その綾香の手から下がって逃れると、そう言ってセリオは手にしたフィルムを綾香に見せる。
「そ、そんなに……?」
 その自信たっぷりな雰囲気にちょっと興味を持つ綾香。
 表向きにされないながらも手抜きの無い大傑作を作ったのだとすれば、それはそれで凄いと感じたらしい。
「はい。最後にオマケでNG集も揃えております。エンパイアステートビルから落下する木室様、科白を間違えるブルーノ様、虎に右腕を噛み付かれ泣き出す木室様、木室様を右足で蹴る所を左足で蹴ってしまうブルーノ様、バスの屋根にしがみついたまま運転席に這っていくシーンで振り落とされてしまう木室様、友情の証で互いの頬を撲るシーンで木室様の顎を砕いてしまったブルーノ様、役者であることを忘れて自分の母親の名前を泣きながら叫ぶ木室様、役者であることを忘れて本気で襲い掛かるブルーノ様、それはもう流血三昧、阿鼻叫喚の無いシーンは5秒と続かず、総予算は途上国の3年分の国家予算を上回るほどの……」
「………セーリーオーっ!!」
 今度はセリオの襟首をしっかりと掴んで離さなかった。

 が、それでも簡単にその手をセリオは払い除け、
「あと、これは主演のお二人から綾香様へのサイン色紙です」
 と、キャビネットから二枚の色紙を取り出して綾香に渡した。
「?」
 一枚は普通の色紙だが、もう一枚は黒ずんだものが白い色紙に所々飛び散っているなかで「ゆるして、ください」と辛うじて日本語らしく読める文字が書いてあった。
「こ、この黒いのは……血?」
「血糊です」
「……黒くなってるのに?」
「血糊です」
「………」
 何故か目を逸らすセリオ。
「一応、十五歳以下の方には見せないようにお願いいたします」
「誰が見せるかっ!」
「はい。独り占めですね」
「違うっ!!」

 綾香に散々怒鳴られてからプロジェクターも片づけさせられると、セリオは気を取り直したように提案する。

「それではお食事の方を……」
「いらないわよっ!!」
 瞬時に答える綾香。
「ですが、折角のディナー」
「もう夜よ。それもバリバリの深夜」
 時計は既に2時をとっくに回っている。
 勿論外は真っ暗だ。
「それでは夜食ということで」
「聞いてんのか、コラ!」
「すぐに用意致します」
 そう言って部屋を出て行こうとするセリオを前に、綾香は冷たい目で唇を歪ませて
「ははん、読めたわよ」
 と、宣う。

「?」
「ここで鶴来屋の料理とか言って某会長手料理が出たりして、私を七転八倒させようとか考えているんでしょ」
「何を仰っているのか理解しかねます」
「あ、あんたが私を陥れようとしているのは判っているんだからっ!」
 しれっと返答するセリオにさっきの調子で怒鳴りかえす綾香。
「私はただ、綾香様に喜んで戴きたいが為に……」
「全然喜べてないわよっ!」
「ですから、これからは是非喜んで頂けるものを――」
 そう言うと、準備が出来ていたのかすぐにトレーを持ってセリオが再び部屋に戻ってくる。
 そして綾香の前でいつもの日課のように食事の支度をテキパキと手慣れた手つきで整える。
「綾香様は日頃豪勢なものばかり食べていて、舌が肥えて庶民の味に飢えていると感じましたので、今回は庶民の味を再現してここに用意して持ってまいりました」
「………」
 そして数分後に綾香の前に、ひび割れた子供茶碗とお寿司屋の名前と電話番号が入った湯飲みと、小皿が用意される。
「まずは前菜に雛山家から梅干しと稗を。この梅干しは鑑賞用ですからお食べにならないように注意下さい。16年物だそうです。この湯飲みには水道水をわざわざ用意致しました。因みにこのお茶碗が今朝の一家分の食事だそうですが、綾香様には一口で済む程度です」
「………」
 よく見ると、塩が結晶化してこびり付いている梅干しは、皮が剥がれていてかなり形が崩れていた。
「昨日の夕方採れ立ての食事です」
「採れ立て?」
「はい」
「………」
「掘っ建て小屋って崩れやすいのですね」
「わーっ! わーっ! わーっ!!」
 綾香は聴きたくなかったらしく、大声を上げる。


「前菜が済みましたら次はスープを」
「こ、これは妙にまともね」
 前菜には一口も口をつけず下げさせると、次は家でいつも使っているスープ皿が出てきた。
「はい。マルチさんが綾香様の為にと朝一番の綺麗な水を使って創りあげました」
「………」
「飲まないのですか?」
「捨てなさい」
「綺麗な水ですのに」
「いーから捨てなさいっ!!」


「ではメインディッシュを」
「へいへい」
「何か投げ遣りですね」
「誰がそうさせてるのよ」
「では庶民の味を堪能して下さい」
 そう言うと、綾香の目の前にはどこにでもある普通の家の晩御飯のメニューがズラリと並べられた。
「って、見た目は普通の家庭料理だけど、何が仕組まれてるの?」
「人聞きの悪い」
「誰のせいだ」
 ジト目で見るが、セリオは動じた様子もなかった。
「これは家庭料理が非常にお上手でいらっしゃる、神岸あかりさんが自らお作りになった幸せ一杯新婚家庭料理です」
「その幸せ一杯家庭料理ってのは?」
「言葉の意味のままですが?」
「いーから言いなさいよ」
「ですから、あかりさんがお作りのなった料理です」
「どうして?」
「どうしてと言われましても」
「どうして彼女が私に料理を作るわけ? それともやっぱりさっきみたいに彼女の家の食事をかっぱらってきた訳?」
「違います」
「だったら…」
「それは藤田家の食事です」
「………」
「………」
「………」
「ですから幸せ……」
「うがーっ!!」
 料理の乗ったテーブルをちゃぶ台返しの様に投げ飛ばす綾香。
「どうしたのですか。綾香様そんなに興奮なさって、幸せ一杯愛情一杯の身も心も暖かくなる料理ですよ」
「あたしは今この瞬間に不幸せよっ!!」
「それは残念です」
「誰がそうさせてるっ!!」
 既にセリオの服の襟元は幾度となく掴まれていて伸び切っていた。
「それではあかりさんが先ほどから一階の調理場にて作っているデザートの方はどうなさいますか?」
「デザートもなにもっ! ……って、さ、先ほどからって?」
 綾香の脳裏に、足首に鉄球のついた鎖に繋がれて軟禁されているあかりの姿が浮かんだ。
「まさか――
「はい。綾香様が起きたこの時間に間に合うようにと藤田様とのお楽しみの最中に失礼して………今は調理場で出刃包丁を奮って創作デザートを一心不乱に作っておいでです。あれだけ目を血走ったあかりさんを見るのは始めてです。きっと凄いものが…
 綾香は最後まで言わせずに、セリオの顔面を片手で鷲掴みにすると、
「何をしたっ! 言いなさいっ!!」
 そう恫喝する。


「いえ、別に。ここに連れて行くまでにただ単に時間がなかったので……」
「何をしたのよっ!」
「藤田様の方の用事を早めに終わらせるお手伝いを……」
「………」
「………」
「あ、あんたねぇ……」
 全身から力が抜ける。
 綾香は何ともコメントのしようの無い顔になってその場でしゃがみ込んだ。
「ところであかりさんに頼まれて用意した青酸カリと砒素をブレンドしたフルーツパフェはあかりさん御自慢の逸品らしく是非、綾香様に食べて欲しいと……」
「あんたはっ!!」



 気がつくとすっかり太陽は昇っていた。
 低血圧など吹っ飛んでいた。



「――ご満足いただけましたか?」
「するかっ!!」
「この反省を来年に生かして……」
「するなっ! もー二度とするなっ!!」




 来年に続く




「続けるなっ!!」





<おしまい>

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