『鷲塚くん。急で悪いんだけど、今から来られる?』
「あ、はい」
『だったら今から言う場所に着て欲しいんだけど。あと、この事は誰にも言わないでね』
 そんなやり取りで休日の朝一番に会長に電話で呼び出され、促されるままゲートを潜って地下への階段を下り、背中についていって辿りついた先は第一校舎の中だった。
「実はね、芹菜と手鞠ちゃんからそれぞれ第一校舎に関する報告があがってきていて、少なくても電源について過剰供給とも思える量の電力が流れていることがわかったの」
 以前のリゾート施設時代の管制室を開放した際に、第一校舎への電力の流れについて調べていた話の続きらしかった。
 第一校舎は、いつも俺たちが使っている校舎の真正面、正対した位置に存在している。無論それは地上にあればの話で、今はずっと地下に眠ったまま機能が死んでいるので探索には明かりが必須だ。
「何でもその電力の流れさえ解明できれば、慢性的な電力不足を解消できるかもとかって言ってましたよね」
「その件で正式に動く前に、ちょっと偵察も兼ねて見てみたいものがあったのよ」
「はあ」
 懐中電灯片手に先導する会長の背中について歩いているので、声の調子からしか会長の内心を窺うことができない。
 やけに乾いていて、緊張感だけが感じられた。
「芹菜に話を通すと面倒なことになりそうだから、こっそりね」
「そうですか」
 芹菜さんを怒らすと後が怖いんだけどなぁ。オーラ出せるし。世が世なら聖戦士としてスカウトされたかも知れない。
「こっそりって……会長、いいんですか?」
 こっそりしていってね!!という感じの芹菜さんの顔が脳裏に浮かび慌てて首を振って振り払ったところで、初めて会長に尋ねる。
「うーん、良くは無いんでしょうけど。あ、携帯の電源は切っておいてくれる」
「はい」
 ここまで饒舌かつ多弁で何よりらしくない会長の態度に不信感を抱いてはいたものの、深くは聞かず言われるがままについていくことにした。
「手鞠ちゃんの試算だとここに常時流れ込んでいる電力のトラブルさえ解消すれば、本来他の場所に行き渡る電力が格段に違うわけだし、解明するのは悪い事じゃないはずよ」
 後ろめたさを隠すように、自分に言い訳を重ねている。
 非常におかしかった。
「でもそれをする為に来た訳じゃないんですよね」
「え……ああ、うん。そうね」
 下調べという題目を唱えてはいるものの、本当の目的は別にあることぐらいは予想できる。何より会長の足取りには躊躇が無く、目的の場所があるに違いない。
 一年とは言えかつてこの校舎に通っていたからなのか、単に人の目を盗んでちょくちょくこの校舎に忍び込んでいたりしたのかはわからない。
「あ、ここよここ」
 会長が足を止める。
 俺は立ち止まった会長の隣に並ぶ。
「これこれ、この扉なんだけど」
 廊下の突き当たり、教室とは明らかに違う頑丈な扉がそびえ立っていた。
「この先に行きたいんだけど、どうしても私のIDじゃ開きそうに無いのよ」
「会長のIDで開かないとなると……」
 会長のレベル3を上回るレベル4以上の権限を持つID、つまり俺のIDなら開くかも知れないということか。
「あくまで個人的なお願いだから無理強いはできないけど……良かったら頼まれてくれないかしら」
 障壁と鋼鉄の扉。
 この先には一体何があるのだろう。
「ここまで何も聞かずに来ましたけど、一つだけ教えて下さい。学園に関することですか?」
「違うわ。私自身のこと」
 目を逸らさずに会長は答えた。
「そうですか……わかりました」
 だとすれば敢えて突っ込む気は無い。俺は扉の脇にある半球状に露出している金属に手を翳した。


「竜巻?」
「はい、竜巻です。獅子ヶ崎海岸の沖合100km弱の海上でシースパウトが発生しました」
 その頃、生徒会室では一乃と慎一郎を除く獅子ヶ崎トライオンのメンバーが集まっていた。
「台風と違ってはっきりと北上してくるとはいえませんが、もし学園方面に上陸するコースを取った場合、現状の規模はFスケール2から3、大型台風並みの被害が予想されます」
「竜巻ねぇ……」
「はい。珍しくは無いのですが、この位置に発生することは極めて稀です。過去の経験則を当てにできない以上、最大限の注意を払っておいてもやり過ぎではないと考えます」
「そうね。あとでこんな筈じゃなかったと言っても後の祭りよね」
「生徒達はちょっと騒ぐかもしれないな」
「根拠がないもんねえ」
「で、だ……」
 それぞれ好きに言い合った後、鷹子が不在の会長の椅子を睨むようにして言う。
「一乃と鷲塚はどうしたんだ?」
「それが未だに携帯が繋がりません」
 仕事中ということでか、鷹子に対しての手鞠の口調もいつもに比べて固めだった。
「ピタリーダーによる呼び出しは?」
「今、使用中みたいで割り込みができません」
「二人ともか」
「二人ともです」
「何やっているんだ、あいつらは……」
 その言葉に反応するかのように、手鞠のノートパソコンに連絡信号が走る。
「っ! 第一校舎内にて、タッチリード反応が出ました」
「この状況で誰っ……ってもしかして」
「はい。慎一郎さんのIDです!」


『現在、竜巻は非常に遅い速度ながら獅子ヶ崎学園に向けて北上しています。このまま今夜から明日の午前中いっぱいまでの間にこの学園を通過する可能性があります。学園生徒は退避勧告が発令され次第、定められた手順に従って避難してください』
 降り出した小粒の雨が、暴風雨に変わるまでの時間にそんな放送が流れていたが、第一校舎内の二人には届いていなかった。
「ここに電気が流れ込んできていたのね」
「そうみたいですね」
 扉が開くと同時に中から光が漏れ出し、点灯している蛍光灯が眩しく廊下を照らしているのがわかった。
 警戒しながら埃っぽい廊下を歩く二人の前には、機能している第一校舎の姿が広がっていた。
 何故、ここだけ生きているのか。それとどうして扉で閉ざされていたのか。それを考えれば警戒し過ぎて、し過ぎることはない。
「この奥に何があるのかちゃんとわかってます?」
「ええ。もちろん、だからこそ―――」
 会長の言葉はそこで止まった。
 作動する機械音。
 静まり返った廊下で起きるその音はやけに大きく二人の耳に響く。
「会長」
「……なに、鷲塚くん」
 先ほどより遅れた返事。
「本当にこの先がどうなっているか会長、わかっていますか?」
「ええと……ごめん。わかんない」
「そうでしょうね」
 言い切った後、暫く無言の空気が二人の間に流れた。
「鷲塚くん」
「なんでしょう」
「ここのシステムにアクセスして内部構造がどうなっているか確認することできる?」
「勿論できません」
 この学園でそれができるのは手鞠だけだ。再び、時間が暫し止まる。
 この先、会長曰くわかってて当然の道は無かった。ムーバブルブロックシステムという親父の発明は、有り触れた校舎を建築学上キワモノに分類するような奇怪な迷宮へと作り変えていた。
「しかも……」
「がう、がう、がうっ」
「がが、ががう、がうう」
 列を組んで徘徊するガードロボが、壁や通路の隙間から見え隠れする。
「随分いるわけねぇ……」
「こないだの野良と違ってきちんと統制が取れていますね」
 この先に何か守るべきものがあるのか、それとも危険区域ということで警戒が厳重になされているということなのか。今の俺には知る由が無い。
「まあ近寄らない限り大丈……」
「がる?」
 徘徊しているガードロボの一体を目が合った。三度、時間が凍る。
「も、戻りましょうか」
「そ、そうね」
 忍び足で、そろりそろりと後退する。
 暫く止まったまま反応を示さなかったガードロボだったが、
「がるうううううううううううううっ!!!!」
 大きなサイレンと共にこっちに向かって走ってくる。それにつられるようにして他のガードロボットも動き出した。
「に」
「逃げろぉぉぉぉぉぉぉ」
 大音量で鳴り響く警報を背に、俺たちは薄暗い廊下は全速力で駆け出した。

 …………ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………。

「!?」
「こ、これって……」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

 壁が、天井が、床が、短冊状に、円柱状に、半月状にまるで五右○門の斬○剣で斬られた後のようにズレ動いたり、ぽっかりと開いた穴に収納されていったり、また無意味に凹凸が飛び出したりと空間そのものが駆動音と共に蠢き始める。
「ひ、ひぇぇぇぇぇぇ」
 大きめの地震のように激しい振動が足場を悪くする。
 第一校舎の構成ブロックというブロックが侵入者を排除する為なのか、絶えず変形を繰り返しているかのようだった。
「うわ、うわ、うわわわわわっ」
「鷲塚くん、足元!」
「はいっ!」
 二人互いに助け合いながら、揺れ動く廊下を疾走する。
「うわぁぁぁぁ、っとっと」
「会長!?」
「大丈夫!」
 何度か窮地を脱していくうちにガードロボの姿は消えていた。もしかしたらこの急変する校舎に巻き込まれたのではないかと危惧するが、彼らを案じている余裕が無い。折り返しの階段も数段飛ばしで駆け上る。
「はぁっ……はぁっ……はぁ……」
「会長、少し休みましょう」
 自分はまだ余裕があったが、会長がかなり辛そうにしていたのでそう提案する。
「大丈夫……まだ動けるわよ」
「いえ、一気に走って流石に少し疲れたので」
 見え見えの嘘は見抜かれたようだったが、会長は何も言わずに荒い息だけ吐いてその場に座り込んだ。
「ふぅ……」
 会長の呼吸が回復するのを待ちながら、ざっと周囲を見渡す。幸い、上の階は下の階のようなカオスな状態にはなっていない。振動も少し遠くなっていて足場にも問題は無い。下の階があれだけ崩れていたりしたら上の階にも影響は出ていると思うのだが、違いは分からなかった。
「……はぁ」
 呼吸は大分落ち着いているようだったが、一度座り込んでしまったからなのか、なかなか動こうとはしなかった。
「鷲塚くん」
「え……は、はい!」
 気を抜きかけていたところで、急に真面目な顔をして話を振られたので少し身構える。
「そう言えば、あれから芹菜とは何か進展あった?」
「え? ……いや、その、俺達はそういうのじゃなくて」
「何よー、せっかく芹菜の前じゃ聞かないであげたんだから、本当のところ教えなさいよー」
「そんなんじゃないんですってば」
 脛の辺りで拳でぐりぐりと押されるが、それほど痛くない。
「でも明らかに変わったじゃない。あの日から」
「う……そ、それは……」
 どの日を指しているのかはあまりに明白だった。
「芹菜ってさあ……」
 座ったまま喋る会長の声のトーンが変わる。
「基本、腹を割ることってあまりないじゃない」
「え、あー」
 何と答えていいのか分からず、曖昧な反応になる。
「だから判り辛いかも知れないけど、彼女の頑ななところ、肩の力が以前よりずっと抜けてて落ち着きが増してる感じがするのよね」
「ええと、そうなんです、かね? 俺にはよく分かりませんが」
 感じないわけではないが、言い切れるほど自信が無いのでそう答える。残念ながら、自分と芹菜さんとの間は会長と芹菜さんの関係ほど狭まっている訳じゃない。会長が持てるほどの確信は無い。
「私も上手く言えないけど、常に余裕を作れていたのが、自然と余裕になれてきたぐらいの差? 話したり触れたりしてると最近そういうのを随分と感じるようになったわ。それって鷲塚くんのお陰なんでしょう?」
「……だと、いいんですけどね」
 あの時のことを思い出す。俺は芹菜さんは彼女なりの悔悟を、少しは晴らすことが出来たのだろうか。
「だ、か、ら、一体何をしたのよ。芹菜とは長い付き合いだけど、あの強情さは並大抵のことじゃないわ。どうやって攻略したのよ」
 そう、普通ならできることじゃない。明らかな反則手で手に入れた成果だ。彼女の言い分を信じれば必ずしもそうではないとのことだが、トライオンがなければそもそも為しえない事なのだから、
「攻略って会長……」
「秘密なの? 二人だけの秘密とかなの?」
「ですから……強いて言えば、昔話を少ししただけです」
 会長の追及が執拗だったこともあり、つい漏らしてしまう。
「昔話? ああ、私達が不仲だった頃の」
「ええ、まあそんなところです。会長あってこその今の学園だとかそんな話を少し」
 このぐらいなら伝えてもいいだろう。自分なりの線引きをしたつもりだった。
「や、やぁねえ、そんなことないわよ」
 照れ照れだった。ただその変化に少し落ち着きの無さが見え隠れする。今日の会長のおかしさを考えると多少不安がよぎる。
「ただ必死だっただけよ。第一当時の皆が協力してのことだし、それこそ芹菜がいなければ何一つ実行できなかったわ。それに……ええ、それに、一度は折れかけたもの」
 最後の方になって、照れたままだった彼女の表情が急に曇る。
「会長……」
「あら鷲塚くん。あんまり意外って顔していないわね。もしかしてその辺も芹菜から聞いてる?」
「いえ、ただ、その……」
 こうなっては止むを得ない、トライオンで当時の光景を見てしまったという話をする。
「そっか。なるほどねー」
「あの、すみません……」
「いいのよ、別に。そういう理由なら仕方ないじゃない―――はぁ。何か気が抜けたわねぇ……」
 そう言って持たれかかる様に壁に寄りかかると、大きく伸びをした。
「会長」
「なに?」
「俺は本当に何もしていません」
「や、やあねえ。わかってるって」
「そうじゃなくて……結局は、自分の抱えている問題は自分でしか解決できないんです」
「……そうね」
「会長はあの時の自分が嫌いで後悔しているんですか?」
「嫌いで、後悔、ね。痛いところ突くわねー」
 参ったという顔をするが、それに絆されるだけの余裕が今度は俺の方に無かった。
「それで今、立派だとか良くやったとか言われるのが辛いんですか?」
「……鷲塚くん」
「踏み込んで悪いと思ってます。けど、話を振ったのは会長です。少しだけ付き合ってください」
 やり過ぎでもいい。ここは引けない。
「私はただ、もう二度と同じ悔しさを味わいたくないだけなのよ」
「だったら尚更、どうして今頃後ろを振り返ろうとしているんです!」
「……っ」
「校舎の落書き如き、何だって言うんです! 恥ずかしいからこっそり消しに来たんですか!」
「そんなことっ……キミに言われたくないわっ!」
 立ち上がって睨み付けられたが、怯む気にはなれなかった。
「俺だから言えるんです! 知らないから身勝手な放言ができるんです!」
 斟酌が必要だと思う。理解が大事なんだと思う。けれども、今は、今だけは、我侭だけで押し通したい。
「会長が吹っ切れたと思うのなら芹菜さんはもう、吹っ切れているのだと思います」
 あの日からずっと考えていたこと。きっと図に乗りすぎだと思ってる。
「芹菜さんは、俺を利用してあの日を克服しました。けどそれは彼女が強いわけでもないし、狡猾なんてわけじゃ当然ありません。彼女なりの頼り方だったんです!」
 それはきっと、彼女が自分の問題を解決する為に必要だと思ったから。俺が鈍くて気づくことができなくて、おかしくなりかけたけれども。
「え、ちょっとそれって……どうよ?」
 更に言えばそれが事実かどうかとかはこの際、関係ない。今はただハッタリでもなんでもいい。
「会長も、俺を使って下さい! 俺だけじゃない、皆を使って下さい! 会長が以前の自分を満足に誇れないのなら、今の自分をもっと誇って下さい!」
 今の会長は皆が頼り、皆が誇り、皆が受け入れている。余人には代えがたい立派な初代生徒会長だ。それだけを全力で伝えたい。
「今の会長の方がよっぽど格好悪いです!」
「なっ……」
「違いますか? 俺、間違ってますか!?」
「そんな言い方、ずるいじゃない……」
「ずるくて結構です! でも会長はもっと思い切り前を見て欲しい。それが、俺の、いやきっと俺たちの……願いです」
 言いたいことだけを言い切った。
 これ以上はもう何も言えない。
「結局は……」
 会長が搾り出すような声で呟く。
「自分の抱えている問題は、自分でしか解決しないのよね」
「はい。けれど」
「ええ、そうね」
 会長は俺の目を見て、俺は彼女の視線から目を逸らさなかった。

 そして会長が再び口を開こうとした時、
『お取り込み中のところ失礼します』
「「!!」」
 会長のピタリーダーからいきなり通信が入る。
「手鞠……」
『はい、獅子ヶ崎学園のリトルプリンセス、十倉手鞠です』
 隣の俺の声も拾えているらしく、小声の呟き声にも手鞠は応えた。
『先ほどのタッチリーダー反応でお二人の居場所を解析したのですが、ジャミングが酷くて特定まで時間がかかりました』
「え、ええと……何かあったの?」
 そこまでして通信してくるということは緊急事態の筈だった。自然、緊張が走る。
『獅子ヶ崎海岸の沖合で竜巻が発生して学園方向に向かって北上中です』
「竜巻!?」
 聞けば今すぐ大変なことになるということではないらしいが、規模が大きいらしく進路次第では台風以上の惨事も考えられるとの事だった。
「ふぅ……」
 全く次から次へと、飽きさせない学園だ。
「そう、わかったわ。すぐにそっちに向かうから……」
『因みに既に一度、他のメンバーは招集しています』
「あ、あら、そう……」
 会長がマズったというアイコンタクトを俺に送った。きっと一度は二人とも呼び出されていたのだろう。携帯の電源も切っていたし、後でかなり絞られそうだ。
「す、すぐ戻るわ!」
『はい。お待ちしております。あと―――』
「な、なに?」
 意味深に間を伸ばされて、会長が怯えの含んだ声を出す。
『生徒会一同、並びに獅子ヶ崎トライオン一同。いつだって会長を誇りに思っています。胸を張って下さい、会長』
「そう……」
 さっきの啖呵が聞かれていたのか、と思うと少し気恥ずかしい。けれども、殊更照れることはしなかった。通信を切り上げた会長が少し、嬉しそうな顔をしていたから。
「さてと、休憩終了! 鷲塚くん。戻るわよ」
「はいっ」
 会長がいつもの調子だと思うと、多少遠回りしたかも知れないがこれでいいのだという自信が沸いてきた。


次へ