「鷲塚くん!」
「芹菜さん!」
 夏海との通信が途切れた直後に連絡を入れた暫く後、慌ただしそうにしながら芹菜さんがやってきた。
「すみません、持ち場を離れてわざわざ来て貰って……」
「細かい指示は必要なくなっているから大丈夫よ。それで、この扉の向こうに夏海ちゃんがいたのね?」
「それが……」
 あの後、暫くして夏海は戻ってきていた。
「あのー、しんいちろー」
「なんだ?」
「御免。そろそろちょっと、マズいかも……」
「結局、何も何かなかったのか?」
「うん、見つからなかったぁ……あぅ、うっ……」
「一体どういうことなの?」
 俺と夏海の会話に、事情を知らない芹菜さんが尋ねる。
「トイレ問題です」
「ああ」
 俺の一言で全て納得したような表情になる。
「彼女……いつも水着だものねぇ」
「ええ、いつも水着ですから」
「いつもじゃないよーっ。海に入る時とその前後の時ぐらいだよー」
 携帯から夏海の反論があったが、夏海=水着という印象は拭い辛い。
「それで、実際のところどれだけ頑張れそう?」
 そう聞きながら芹菜さんは自分の携帯で、誰かと連絡を取り始める。恐らくは手鞠あたりだろう。
「まだギリギリって程じゃないけど、一時間は持たないと思う」
 微妙なお答え。
「あ、で、でも、大きいほうじゃないから最悪隅っこでちょちょーと」
「そ、そうか」
 女の子がそんなこと言うな!と言おうとしたが、恥ずかしいのは彼女の方だし、我慢しているはわかる。
「それで、鈴姫達の状況は……」
「もう少しかかりそうね」
 互いの情報を伝え合う。今、ガードロボを指揮できるのは鈴姫だけで、野良ガードロボを停止させることができるのは手鞠だけだ。だからこそその二人に組ませて出動させている。どちらも途中で欠ける訳にはいかない。
「くっ」
 俺自身がマスター権限を持っていればいいんだが、残念ながらそうではない。俺の首輪によってレベル4のIDを作り出すにはレベル3のIDの持ち主、ピタリーダーの所有者とのトライオンが必須だった。
「鷲塚くん」
「はい」
 芹菜さんが、少し考えた素振りを見せた後に、俺に向き直った。何か案があるらしい。
「この際だから私がやってみるわ」
「え、でもレベル3権限を持っているのは会長と夏海と手鞠と鈴姫じゃ……」
 生徒会組織がピタリーダーを持っているわけではない。生徒会からは生徒会長の一乃会長、商店街の代表として夏海、学警部長の鈴姫、そしてPITAシステム管理者の手鞠がそれぞれの代表として持っている。だから副会長の芹菜さんにはその権限はない。
「実はね」
 そんな俺の疑問に芹菜さんは笑顔で答える。
「この学園には会長が職務遂行不能状態の際、副会長が臨時に会長権限を代行する決まりがあって、外出中の会長に代わって一時的に私のPITA−IDはレベル3権限扱いになっているの」
 某国の副大統領みたいなものか。
「だから会長が外出した時に彼女の権限は委譲されてるから、資格という意味ではトライオンも大丈夫な筈よ」
「……わかりました。お願いします」
 少し考えてみたが、何か問題があるとは思えない。
「それに地下だから空調も気になるし、脱水症状の危険もあるから試すだけでも試してみましょう」
「ううぅ、面目ない……」
 夏海に事態を説明して一度連絡を切った後、芹菜さんと正対する。
「じゃあ」
「ええ」
 躊躇なく差し出された彼女の手のひらに自分の手のひらを重ねた。
 指を絡めると、しっとりと汗ばんでいるのが感じられた。
 芹菜さんとトライオンすることがあるとは思わなかっただけに、緊張する。
 意識しての動揺が大きくなる前に、片手で首輪のスイッチを押した。
「トライ……」
「オンっ」

 >PITA System... Boot OK□
 >Link Pint...   Clear□
 >Condition... All Green□
 >Access...    Start□

 >Try On!▽

 最早、随分と聞きなれた人工音声の後、彼女との意識が繋がってくるのを感じた。

「(!……)」
「(これがトライオン……鷲塚くんの……心?)」
「(互いの境界が……触れ合った先から交じり合うような……)」
「(感覚がある……ふふ……これが……)」

 身体の内側から何かが互いの手の平を通じて、繋がっていく感覚。
 それは身体から触覚が伸びあって、融合されていくのが実感できる。
 そして一瞬の光沢。
 フラッシュでも焚かれたような輝きと共に、トライオンが完了したことが過去の経験からもわかった。
「………っ!」
 彼女の感覚が体に残っていてドキドキする俺だったが、気づくと芹菜さんはそそくさとノートパソコンを叩いていた。
「手鞠ちゃんのデータが役立ったわね」
「よし、開いた!」
 目の前の扉のロックが解除される音がする。
 すぐさま俺は両手で取っ手をつかんで横開きの扉を開くが、
「え?」
「……なっ」
 開け放った扉のすぐ前に全く同じような扉が存在した。同時に携帯が鳴る。この着信音は間違いなく夏海からのものだった。用件は聞かなくてもわかったが出る。
「開かないよー」
「いや開いたことは開いたんだが……」
 どうやら夏海の下に向かうまでにはまだハードルがあるようだった。
「今、調べてみるけど……ああ、やっぱりそうなのね」
「何があったかわかりますか?」
 納得したように頷く芹菜さんに尋ねる。
「この扉とさっきの扉、それぞれ異なったPITA−ID認証が必要みたい。そしてきっとこの奥にも同じ様な障壁があるんじゃないかしら?」
「夏海、扉が数枚連続で閉まっているようなんだがわかるか?」
「そうなの? こっちからは全然わかんない」
 こっちからもわからない。というか閉まった時に気づかない限りわかりようがない。
「これってつまり……決定権を持つ最高責任者が全て集まらないといけないってことなのかしら? 普通の解除方法だと」
「普通の解除方法、ですか」
 解析しているのか調査しているのかわからなかったが、俺が携帯で夏海と話している間中ずっと芹菜さんは手持ちのノートパソコンで扉を調べている。手鞠ほど優雅ではないが、タイピング自体はそう見劣りするものじゃない。
「ええ。今、私たちがやったのはトライオンで鷲塚くんの持つレベル4権限で無理矢理扉を開かせたわけなの」
「本来の扉のロックに関する命令よりも、上位命令を流し込んで無理矢理開かせたわけですね」
 ワンマン社長の鶴の一声という奴か。そう考えるとトライオンというのも使い方次第の諸刃の剣なのかも知れない。まあ今の混乱したままの状況のままじゃ、それを頼るしかないが救世主扱いされていい気になるわけにはいかない。気を引き締める。
「大丈夫よ」
「え?」
 何故か芹菜さんが訳知り顔で微笑む。
「その首輪は鷲塚くんにだけのものだもの」
「……ああ、はい。そうですね」
 俺さえ確りしていればってことか。
「って、俺口に出してました」
「さあ、どうかしら?」
「ええっ!?」
 顔に出ていたのかどっちなんだ。
「今、手鞠ちゃんにも情報送って相談しているからちょっと待っていてね」
「あ、はい」
 手鞠も手が離せない状況だろうに、大変だ。
「彼女のお陰で本当に助かってるわ。今日こんな状況で言うのもなんだけど鷲塚くんと手鞠ちゃん、あなたたちのお陰でこの学園は随分と蘇ったわ。完全復旧も時間の問題ね」
 その言葉はあっさりとした楽観的にも聞こえるが、口ぶりからはいろいろなものが感じられた。
「いやそんなことないですよ。俺はこの首輪があるだけですし、手鞠は凄いですけど……会長たちが支えてきたからこその今じゃないですか」
 そのいろいろなものの中から、聞き逃せないでいたものだけを拾って返す。彼女はそんな言葉を求めているわけではないと思ったが、言わずにはいられなかった。
「ありがとう。そう言ってくれると会長もきっと喜ぶわ」
「……」
 もちろん貴女もです、とまでは流石に重ねるようで言えなかった。わかってくれているだろうから、彼女なりの照れ隠しなのかもしれない。
「あ、手鞠と言えば、副会長もタイピング早いですね」
「雑用が多かったから、自然にね」
 手鞠ちゃんみたいにプログラムを同時に組みながらできるわけじゃないからと謙遜するが、相手は規格外だし。
「彼女ならトライオンしたら全てのシステムを掌握するプログラムを流し込むことができるわ。でも私はこうして一つ一つを解除していくのが精一杯」
「それでもすごいですよ」
「ありがとう。でもこれぐらいは慣れれば慎一郎君にもできるようになるわよ。それともこういうのは不得意な方?」
「うーん、そうですねえ。親父の発明品の対処は結構やっていますが、ソフトよりハードの方で片付けているのが多いんで自分ではよくわからないです」
「一乃はこういうの全然なのよ」
 だからいつまで経っても紙媒体でしか対処できないのだと零していると、
「手鞠ちゃんからの返事が来たわ」
 そう言って、メールを開いて内容を確認する。
「どうです?」
「やっぱりそうね。ここの扉は一枚一枚この学園の最高権限者、レベル3以上のIDを照合することで開錠するらしいわ」
「? 確かに夏海は有資格者ですけど、その理屈だと……」
 レベル3以上のID所有者、つまり夏海、手鞠、鈴姫、会長の四人がそれぞれ一枚の扉を開く資格を持つということになる。夏海が開け閉めできるのは一枚だけの筈だ。
「そうね。でもそもそも勝手にここの入り口が出現したこと自体異常なんだから、どこかおかしくなっているのかも知れない。けれども一応開閉条件はそういうことみたい。だから私と鷲塚くんは」
「扉の一枚一枚、トライオンしていくしかないってことですね」
「ええ、急ぎましょう」
 詳しい事情は後だ。
 俺と芹菜さんは、次の扉を同じ手順で開くべく、再び手を重ね合わせた。
「トライ……」
「オンっ」


「とぉぉぉぉぉぉぉぉいぃぃぃぃぃぃぃぃれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 八枚目の扉の開閉と共に、夏海が飛び出していった。
「夏海っ」
「あとにしてーっ」
 そう言えばずっと無言だったのは、じっと堪えていたからなのかもしれない。
 全く余裕がなかったらしく、俺たちに見向きもせずに出口に走っていく。
「まあ迷うことはない道だから大丈夫か」
 あとは最寄のトイレまで彼女の膀胱が持つことを祈ろう。
「ここはシステム管理室? ……ううん、ちょっと違うわね」
 残された俺と芹菜さんは改めて彼女が閉じ込められていた場所を調べてみる。
 制御板が密集した小部屋だった。その制御板のパネルとパネルの間に、見慣れた半球体――トライオンポイントがある。
「鷲塚くん、ここも起動してみるわ」
「はい」
 手を繋いだまま、再びトライオンで幾度目かの共有が図られる。
「……でも、このシステムの本来の目的は一体なんなんだろう」
 そんな疑問を持ったのは俺からだったのか、芹菜さんからだったのか、ふと浮かんだ思いが白い世界の中で浮かび、そして消えた。
 気がつくとそんなことは忘れていて、俺達は目の前の調査を再開する。そして調べてみた結果、ここは学園を除く全寮施設を監視する管制施設だった。
「恐らくここがまだリゾート施設だった頃に作られたものね」
 だからその後に作られた学園と商店街は含まれて居ない。リゾート客の動静だけをチェックする為のものということなのだろう。
「PITAシステムに関するものも、型が合わない旧式のものがあるみたい」
 他にも俺の親父や手鞠の父親以外が関わった可能性のものも点在した。この頃はまだ完全な両輪体制ではなかったのかもしれない。
「それでも手鞠が見たら喜びそうですね」
「そうね。でも、これだと寮の内部まで全てサーチすることができる……生徒のプライバシーを考えればおいそれと使うわけにはいかない。緊急時のみの場所ということかしら」
「ああ、だから」
 あれだけ入り口のガードが厳重だったのか。きっと本当の緊急時にのみの為のものなのだろう。
「だとしても、ちょっとおかしいような」
「まあその辺も含めて手鞠ちゃんに任せましょう。それよりも解決したのだから戻らないと」
「あ、そうですね」
 俺は兎も角、芹菜さんは会長代行として表の騒動の指揮も取っている。早く戻るべきだった。
 二人でざっと点検を済ませてから一度芹菜さんが連絡を取ると、野良ガードロボは捕獲されたものを除けば姿を消したそうだ。俺たちのトライオンと関係があるなら、きっと山に帰ったのだろう。
「でも、あれがトライオンの感覚なのね……実際に体験してみると随分とまた、直接的というか……」
 もと来た道を引き返す途中、困ったような顔で笑う芹菜さん。少しはにかんでいるようだった。
「それよりさっきのトライオンの時……」
「きゃっ」
 急に何かに気づいたように短い悲鳴を上げる。
「え?」
「……こ、こほん。慎一郎くん」
「はいっ」
 動揺を建て直し、畏まる彼女から何を言われるのかと緊張する。
「手、もう離していいわよ」
「へ? ……あ」
 指摘されて、見るとずっと俺の手は彼女の手を握りっ放しだった。
 それもきっとトライオンからこの調査中ずっと。
「あー……」
「もう……」
 慌てて繋いでいた手を離したが、妙に気恥ずかしくなってしまい、別れるまでその後はお互いずっと無言のままだった。


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